マッチョトレーナーがこの先生きのこるには《完結》 作:とらんらん
「はぁ……」
「……」
ある休日の夕方。私とフジキセキは今日幾度目かのため息をつきながら、夕日に照らされた校舎をどこか重い足を引きずりながら歩いていた。生徒会副会長と栗東寮寮長がこのような姿を生徒に見せるなど言語道断なのだが……、今の私たちに襟を正す余裕がない。
「怪我による引退か……」
「レースの世界じゃよくある話だけど……、やっぱり辛いね……」
後輩に襲い掛かった悲劇。それが心に重くのしかかる。
フジキセキの言う通り、レースの世界では偶に聞く話ではある。だがそれが身近なウマ娘、それも私が目をかけていた上に、彼女自身が必死に努力をしていた事を知っているとなると、否が応にも気が沈んでしまう。
「フジキセキは偶に病院で慰問をしているのだったな。……私がフレアに何かしてあげられる事はないか?」
「……心の傷を癒すには長い時間が必要なんだ。だからちょっとした雑談でも良いから、根気強く話をしてあげて」
後輩のフレアが病院に運び込まれてから2日、放課後のトレーニングが休みという事もあって見舞いに行ったのだが、正直な話だが見ていられなかった。
あんなに明るく、トレーニングに熱心だった後輩が、泣きそうな……いや泣きながら塞ぎ込んでいた。
普通の怪我であったのなら、フレアは怪我のせいで夢を棒に振った事を悔やむが、同時にまたレースの世界で戦うために希望を見出していただろう。だが彼女の負った怪我は夢どころか希望すら奪い去ってしまった。その事実が彼女の心に暗い影を落としている。
そんな彼女を朝から病院に来ていた彼女のトレーナーが付き添い慰めていたが、当の本人も相当に参っているのかその声に力はなかった。彼もまた己が課したトレーニングが、フレアを追い込んでしまった事実に圧し潰されているようだ。
「もっと注意して見ていれば、か……」
「……」
見舞いの時に草隅トレーナーが吐き出すように呟いた言葉だ。だがこの言葉は私にも突き刺さる。
草隅トレーナーと比べてフレアとの付き合いは私の方が長い。それ故にフレアが目標を決めたら脇目もふらずに努力するという、美徳でもあり欠点にもなりうる性格であると、彼女のトレーナーよりも理解していた。
それが分かっていながらも、私は彼女のハードトレーニングを多少諫めはしても、本気で止める事はなかった。フレアが勝つためにはハードなトレーニングが必要だと理解していたし、何より彼女のトレーナーが怪我のリスクを把握し注意を払っているから大丈夫だと思い込んでいた。
そんな先入観を持たずにもっと注意していれば。そんな後悔が私にもあった。
「……トレーナーはこうなる事が、分かっていたのかもしれないね」
「ああ、今思えば分かりやすい行動だった。……草隅トレーナーと契約しているフレアに出来る最大限のフォローだった」
フレアの自主トレが発覚して以降、トレーナーは明らかにフレアを気に掛けていた。模擬レースに来たフレアの歩様のチェックやアドバイスは勿論、その場で足のマッサージまでやっていたほどだ。
明らかにフレアの怪我に対して注意を払っていた。
今思えば草隅トレーナーが私のトレーナーにどこかよそよそしかったのも、トレーナーがフレアの脚に関して何かを言ったのだろう。
「だからこそ余計に辛いのだろうな……」
「……トレーナーさんも明らかに動揺しているね」
そこまでやっていたにも関わらず、こうしてフレアが取り返しのつかない怪我をしてしまった。その事実にトレーナーは私と同じく後悔の念に苛まれている。
夜にフレアの救急搬送から学園に帰ってきた時のトレーナーは口数が明らかに少なかったし、翌日からは普段通りにしていたが、それはチームメンバー全員が一目で分かるほどに明らかに空元気だった。
「……トレーナーは?」
「今朝用事があるって言って朝ご飯を食べたら、すぐに出掛けちゃった。落ち込んでいたし、どこかに遊びに行って気分転換をしてもらおうと思ったんだけどね」
「そして出掛けた先がジムか……」
「サンドバックを打ってたよ」
その様子は私も視た。早朝で誰もない中、トレーナーはがむしゃらにサンドバッグを打っていた。
……トレーナーのストレス解消法として、サンドバッグを打つ事は知っているし、私も視た事がある。フォームを意識し、その巨躯を生かした綺麗な打ち込みだった。だが今朝のそれは明らかにいつものそれと様子が違う。繰り出されるのはフォームなど知らぬとばかりの荒々しい拳や蹴り。それを鬼気迫る表情でサンドバックに叩き込んでいた。トレーナーとの付き合いはそれなりに長いと自負がある私だが、こんな姿は初めて見た。
「明日はチートデイだったな。明日の昼は好みのおかずにしてやろう」
「うん、それがいいよ」
トレーナーは自分の全力を尽くした上で、失敗してしまったのだ。このような状況で発破をかけた所で余計に追い詰めるだけ。今必要なのはトレーナーの心を癒す事だ。皆で協力しなければいけない。
そんな事を考えながら廊下を歩いていると、
「ねえ、あのヒト大丈夫かな……」
「分かんない……」
不意にそんな声が聞こえてきた。声の方向に目を向けるとそこには二人の生徒がある部屋の前で、不安げに中を覗き込むんでいる。
「どうしたんだろう?」
「何かトラブルか――!?」
そのガラス扉には大きくトレーニングジムと書かれており――
「ねえ、もしかして……!」
「――まさか!」
不安に駆られて私たちもジムを覗き込む。
ジムの中では自主トレなのかそれなりの人数が思い思いにトレーニングに励んでいるようだが、その誰もが気になるのかチラチラとそれに目を向けている。
その視線の先にいるのは――見慣れた巨躯がひたすらにサンドバックを叩く姿。そして彼の足元はまるでバケツをひっくり返したような量の汗で出来た水たまりが出来ている。
――まさか朝から?
そう思い至った瞬間、私の身体は反射的にトレーナーの元に駆けよっていた。
「貴様何をやっている!?」
「トレーナーさん、ストップ!」
「っ……エアグルーヴにフジ?」
私とフジキセキで肩を掴み強引にサンドバックから引きはがす。掴んだその身体は汗まみれになるほど身体を動かしていたにも関わらず、その身体は汗冷えのせいか異様に冷たかった。
「おいおい、どうしたんだ?」
「それは私のセリフだ! 貴様何をやっていた!?」
「何って、サンドバックを打ってただけだぞ?」
「何時間!? 何時間打ってたの!?」
「何時間って……。朝からやってたけど、まだ1時間ちょい位のはず――」
「たわけ! もう6時前だぞ!?」
「マジ? ……うわ、マジだよ」
ジムの壁に掛けられている時計を見て驚くトレーナー。その様は演技ではなく本物の反応だ。だがそれ故に今のトレーナーが異常であることがはっきりと分かる。
「ともかくすぐに部屋に帰って休め! いや、身体が冷え切っている! すぐにシャワーを浴びるんだ!」
「ゆーて結構床汚しちゃってるし、先にそっちを片付けないと」
「そんなのは私がやるから! いいから早く身体を温めて!」
「お、おう……」
すぐにでも失われている体温を取り戻すべく、トレーナーの手を引いてジムから出ようとする。そんな時、不意にサンドバックの側に置かれていたトレーナーのスマートフォンから呼び出し音が鳴り響いた。
「ええい、こんな時に! もしもし!」
『武藤さん――、いや違う?』
スマホから聞こえてきたのは、草隅トレーナーの声だった。
『誰なんだ? 武藤さんに代わってくれ!』
「代理だ!トレーナーは今忙しい! 要件は私が聴く!」
『緊急事態なんだ! すぐに武藤さんを呼んでくれ!』
「私から伝える! いいから要件を言え!」
『――今病院から、フレアが病室から抜け出して行方が分からないって電話があったんだ!』
「……なに!?」
「!?」
「――エアグルーヴ、貸せ!」
側で話を聴いていたトレーナーが、私の手からスマホを奪い取る。
「俺だ! 行方不明が分かったのはいつだ! ――なら最速で抜け出しても松場杖にしろ車いすにしろ、そこまで遠くには行ってないはずだ! お前もすぐに探し出せ! 俺今から向かう! ――エアグルーヴ、フジ! チームのメンバーも呼び出せ! すぐにフレアを探すぞ!」
「あ、ああ」
そう矢継ぎ早に叫ぶとトレーナーは駆け出し、私も慌てて付いていく。
――事態は加速していく。
武藤暴走中。