マッチョトレーナーがこの先生きのこるには《完結》 作:とらんらん
夏合宿も中盤戦に差し掛かったある日のトレーニング。トレーニングの合間の小休憩の時間に、私はトレーナーが用意したセーフティーゾーン(レジャーシートとパラソルで作った休憩場所)で、スポドリをチビチビと口にしながら砂浜にいるある人物に視線を向けていた。
「……アイツもよくやるねぇ」
「本当ですね」
私の呟きに、同じく私の隣で休憩しているフラッシュが頷いた。私の視線の先にいるのは、トレーナーだ。アイツは私たちの元から離れて砂浜を駆けている真っ最中だ。普通ならこういった小休止の間なんかはトレーナーが担当に指導とかするもんだが、今回は実験とか言って、あんなところで走っている。
「新たに提唱されたり思いついたトレーニングを、実際に担当に実践させる前に自分の身体で試すなんて、トレーナーさんらしいですね」
「まあ確かにアイツらしくはあるな。おっと今度はシャドーボクシングを始めたな」
理論上は効果的でも現実で実行したら思わぬ不利益があった、なんてよくある話だ。それを防止するために、担当にやらせる前に自分で試すトレーナーは割と多い。ましてや私のトレーナーは筋トレが趣味の筋肉ダルマだ。こういったテストは嬉々として実行するし、これまでもやってきていた。
これについては歓迎できる。だが今回の問題はな、
「……ああ、確かにトレーナーらしくはある。それに関しては問題はない。問題はないんだが……」
「うん、なんかね……」
「これはちょっと、どうかと思うよ……」
同じくトレーナーを眺めているエアグルーヴとマヤノ、フジだが、その視線は大分微妙だ。
ああ、その理由はよーくわかる。てか、ここにいる全員、アイツを見る目が例外なくジト目だし。完全に私たちの心は一つになってるな、コレ。思わずため息を吐く。
「……流石に着ぐるみ着てトレーニングするのはどうよ」
ピンクのウサギの着ぐるみがやたら鋭い拳を繰り出しているという光景に、思わずため息が漏れた。
「おい、あの着ぐるみ着るの私たちもやる事になるのか?」
「あのたわけが効果を立証出来たら、もしかしたら……」
「マジかよ……」
トレセン学園のグラウンドを走る着ぐるみ×5とかシュールすぎるだろ。
私も学園じゃアウトローとか言われて色々と目立ってはいるが、そんな形で目立つとか嫌すぎる。
「トレーナーさんは過負荷トレーニングの一環とか言ってたね」
「ああ、確かに着ぐるみ着りゃ全身に負荷が掛かるだろうよ。外見最悪だがな」
「あれではデメリットが大きすぎます。外見を改善すれば――いえ、無理ですね」
「着ぐるみだからね。どうやっても無理だよ……」
各々から次々に不満が漏れ出てくる。概ね全員が着ぐるみ式過負荷トレーニングは不評のようだな。
「採用されそうになったら、私が殴ってでも止める」
「シリウス先輩、流石にそこまでは……。全員で反対すれば採用はしないでしょう」
「それもそうか。なら最初は全員で止めて、それでもダメなら殴る」
「……それなら、まあ」
……提案した私が言うのもあれだが、それでいいのかエアグルーヴ?
そんな事をしていたら、テストが終わったのかピンクのウサギがこちらに歩いてきた。立ち上がって迎え入れる。
「よう、どうだった」
「あー、それなぁ……」
カポっとウサギ頭をとって出てきたのは、顔面汗だくになっているトレーナー。なおその表情は若干苦々しさが浮かんでいた。
「着ぐるみはいい感じに全身の過負荷にはなるが、お前らのトレーニングメニューにするには向かないな」
「ほー」
とりあえず殴らなくてもよさそうだ。
「具体的に何がダメだったんだ?」
「思った以上に可動域がなかった。こんなん着てトレーニングなんてしたら、フォームに変な癖がつきかねないな」
「んなもん、最初から気づいとけ」
ちょっと考えれば分かるだろうが。トレーナーのボケに若干頭痛を覚えていると、首を傾げたマヤノが口を開いた。
「待って? 私たちのトレーニングメニューには向いてない、なの?」
「おう」
おい、コイツためらいなく頷いたぞ。嫌な予感しかしない……!
「全身を均一に鍛えたり、スタミナ作りには割とよさそうだったな。合同練習の時なんかは出番がありそうだ」
「たわけ! 少しは外見を気にしろ!?」
余りのたわけ具合に、エアグルーヴの雷が落ちた。
「うし、水中スクワット行こうか」
考案した着ぐるみ式過負荷トレーニングにエアグルーヴに雷を落とされて、更に全員からブーイングを食らった、なんて茶番を挟みつつも、トレーニングは続く。
「よしきた」
「回数はどうする?」
「まずは手始めに100回。インターバルを挟みながらやっていこうか」
「分かりました」
「一応注意しておくが、スクワット中もちょくちょくと周りを見ておいてくれよ? 隣が足攣っておぼれてた、なんて勘弁だ」
「うん! そういえば、トレーナーちゃんはどうするの?」
「着ぐるみ返してくる」
「それが良いね。それじゃあ行ってきます」
軽く会話を交わしてメンバーを見送る。俺も水中スクワットに行ってもいいが、さっきまで着ぐるみ式過負荷トレーニングのテストをして少し疲れたからパスだ。マヤノにも言ったように、合宿所から借りてきた着ぐるみも返さなきゃならないしな。
「さてさて、どうしたもんかね」
着ぐるみを片付けながら、これまでのトレーニングで見せた全員の動きを思い起こす。合宿ってのは、普段じゃできないハードなトレーニングが出来るのでいい事ではあるんだが、同時に怪我のリスクも上がってくる。個々の身体に合わせてその都度調節しないといけない。
「シリウスとフラッシュは問題なし。マヤノもいいとして、問題はエアグルーヴとフジか。二人とも仕事で疲労の回復が遅いと想定しておかないといけないしな……」
頭の中で考えを纏めつつ、着ぐるみを専用の風呂敷に包み終える。そんな時だった。
「あの、すみません」
「ん?」
不意に声を掛けられた。聞き慣れない声に振り替えるとファッション誌で偶に見る女性用夏コーデで身を包み、大きなサングラスを掛けた女の姿があった。しかも黒鹿毛に覆われたウマ耳と尻尾も見えるのでこの人はウマ娘のようだ。
「ここがチーム・デネボラの練習場所でよろしいでしょうか?」
「んー、マスコミ……じゃないな。一般か」
「はい?」
「ああいや、こっちの事情です」
目の前のウマ娘の正体にすぐさま当りを付ける。
若くはあるが明らかに成人なのでトレセン生の可能性は真っ先に除外。許可を得たマスコミ関係者の可能性もあったが、彼女はカメラやレコーダー、メモ帳といった取材道具を持っておらず手ぶらだ。
このことを勘案すると、このウマ娘はチームメンバーの誰かのファンって所だろう。ったく、警備部が敷いた警戒網を抜けられてんじゃねーか。
まあ文句は後でいいか。今は一般客にはお帰り願わないとな。
「あー、申し訳ない。ここの練習場は関係者以外立ち入り禁止なんですよ」
「あら、そうなんですか? チームの方とお話出来ると思ったんですけど」
「残念なことに。昔面倒なファンが荒らしに来た事がありまして、それ以来一般開放はなくなったんですよ」
「なるほど。それは残念です」
「まあ休養日なんかは担当たちも外に行くこともありますので、そちらで会いに行くのは構いませんので」
プライベートの時にファンサービスするのは規制してないからな。まあ行き過ぎた場合はお引き取り願う事になるが。
だが、この返答で気になったのはどうも違う部分だったらしい。
「担当、ですか」
ウマ娘の耳がピクリと動いた。
「確認させて頂きますが、あなたが武藤トレーナーですか?」
「ええ、そうです」
するとウマ娘は小さく笑った。
「よかった」
彼女はどこかホッとした様に息を吐くと、
「――これで無関係な人を巻き込まないで済む」
ゾッとするような冷たい声と共に、ヒトでは不可能な圧倒的な速度のパワーが込められた拳が繰り出された。
完全に不意を打たれた。圧倒的な暴力を秘めた拳が顔面に迫る。そして、
「っおおおおおお!?」
後ろに倒れ込むように、顔面に迫っていた剛拳からギリギリ逃れる!
そのまま砂浜を転がって距離を取り、すぐさま起き上がって追撃に備える。
「――随分なご挨拶だな」
「不意打ちなのに躱されるなんてね。あれで終われば私も楽だったのに」
なんて事もないかのようにほざくウマ娘の姿に、思わず頬が歪む。ウマ娘の全力の右ストレートなんぞ喰らったら、良くて顔面崩壊、悪けりゃ頭を吹き飛ばされて一撃死だ。軽々とやっていい事じゃない。それを躊躇いなく俺に繰り出すような輩となると、候補は限られてくる。
「おい、まさか赤い蹄鉄かよ……」
「あら、よくわかったわね」
「赤の他人の書き込みに、本家が出張ってくんじゃねーよ。暇人かてめーら」
「私たちとしても、貴方には少し思う所があったからね。あの書き込みはいい切っ掛けになったわ」
「アホか。後一応言っておくが、俺は一度たりとも自分でウマ娘より強いとか公言した事はないからな。そこんとこ勘違いすんなよ?」
「あら、そうなの。でも世間はそうは見ていないわ。それで十分」
「……ちっ、本当に面倒な奴だな」
ダメ元で世間でささやかれている噂に訂正を入れてはみたが、やっぱり無駄のようだ。頬が歪みそうになるのを抑えつつ、ファイティングポーズをとる。
「へえ、自分でウマ娘より弱いって言っておきながら戦う気なのね」
「確かに勝てねぇが、だからと言って無抵抗で殴られてやるほどお人好しじゃないんでね」
軽口を叩きつつも、頭を高速回転させる。
状況はハッキリ言って最悪だ。圧倒的なスペック差の相手と、何も障害物もない砂浜で真正面から素手で戦わないといけない。相手の技量はイマイチ分からんが、たとえ俺の方が技量が上でも、身体のスペック差を考えればそんなアドバンテージはあってないようなもんだ。
せめて学園から支給されている護身用武器があれば多少はやりようがあるだろうが、生憎と手元にはない。完全に油断していた俺のミスだ。トレーニングで使っている砂浜は周囲を警備部の面々が見回りをしているし、そもそも事件は完全に終わったと思ってたから、持ち込んだ護身用武器は全部宿に置きっぱなしだ。
「勝てると思っているの?」
「さあな。だが最低でもてめぇの顔面を陥没させてやるよ」
だがこんな状況であっても、侮ったように笑うアマに不敵に笑って返す。戦いにおいて、弱みを見せたらその時点で負けが決まるからな。相手に悟られる訳にはいかん。
「凄い自信ね」
「担当にはどんな状況でも最後まで食らいつけって教え込んでるんでね。教えた当人がこれをやってなきゃ立つ瀬がないだろ」
足に力を貯めいつでも飛び出せるように構える。
「――さあ、行くぜ。格下だからって舐めてると痛い目見るぜ」
「その自信。身体と一緒に粉々にしてあげるわ」
守っていても身体能力の差で早急にジリ貧になるのは確定している。
――先手必勝
奴を倒すにはこれしかない。
限界まで貯め込んでいた脚の力を解放――
「……いえ、やっぱり辞めておくわ」
しようとした所で、黒鹿毛のウマ娘は肩を竦めた。これに釣られて、俺も動きを止める。
「……急にどうしたよ」
「面倒な子たちがもうすぐ来るからね」
奴は海を眺めながらそんな事をほざき始めた。警戒は解かずに俺も海に目を向けると、
「てめぇ、何してやがる!」
完全にブチ切れているシリウスが、波など物ともせずにこっちに向かって駆けていた。更にその後ろには他のチームメンバーも続いている。
なるほど増援、それもウマ娘が5人も来るとなるとなりゃ、逃げたくもなるか。そんな事を考えている内に、対峙していたウマ娘が踵を返した。
「今回はお暇させてもらうわ」
「ああ、そうかい。このまま一生帰ってくんな」
「それは無理ね。次はちゃんと自分の立場を解らせてあげるわ。それまで精々怯えていなさい」
そんな捨て台詞を吐くと、黒鹿毛のウマ娘は逃げていった。その姿を見送りつつ、思わずため息を吐く。
「面倒臭い事になったな……」
今後に起こるであろう面倒事に憂鬱な気分になった。
次回からしばらくシリアスが続きます。