マッチョトレーナーがこの先生きのこるには《完結》 作:とらんらん
「エアグルーヴだ。異常はあるか?」
《こちらA班、異常はありません》
《B班、同じくです》
「分かった。そのまま巡回を継続、油断するな」
《了解です》
インカム越しに配下の生徒会と風紀委員、志願者で編成された寮警備班を指揮しつつ、見慣れた栗東寮の廊下を足早に歩く。いつもならばすでに消灯時間はとっくに過ぎて真っ暗なはずの廊下は、警備の関係もあって半分程度の照明が点けられているお陰で、歩みもスムーズだ。
「……今のところは、異常はないか」
誰に聞かせるでもなく呟く。ここまで明るいにもかかわらず寮の廊下や公共スペースに出歩く生徒は誰一人いない。下手に廊下に出てしまい犯人に間違われかねないのもあるのだろうが、やはり誰もが靴下強奪犯に警戒していた。そのせいで、寮全体があからさまに緊張した雰囲気に包まれている。
これは明らかに良くない。
本来ならば不要なプレッシャーが生徒にのしかかってしまっている。このような状況が続けば、学業やレースに悪影響が出てくるのは確実だ。そんな事になる前に、一刻も早く犯人を捕まえて、学園に平和を取り戻さなければならない。
決意を新たにまた一歩足を進める。そんな時、インカムから聞き慣れた男の声――私のトレーナーの声が響いてきた。
《あー、こちら玄関》
「エアグルーヴだ。トレーナー、何があったか?」
《いや、定時連絡だ》
「むっ?」
トレーナーの指摘で腕時計に目を落とす。23時ちょうど。なるほど確かに事前にトレーナーと決めていた定時連絡の時間だ。
「もうそんな時間か。定時連絡という事は何もなかったんだな?」
《おう。お陰様で仕事が捗る》
「……行動範囲が玄関に限定されているせいで暇なのは分かるが、だからと言ってパソコンを持ち込んで玄関で仕事をするのはどうなんだ」
《しゃーねーだろ、早く出さなきゃ色々面倒臭くなるんだから》
「それは分かるが、もう少し真面目にやれ」
《大丈夫大丈夫。そこらへんは注意を払ってるから》
「たわけ。それでは警備にならんだろうが」
不安になる返答に思わずため息が出る。確かにトレーナーはデスクワーク中でも小さな物音でもすぐに反応出来る奴だが、第三者から見ればただサボってるようにしか見えん。
《それよりお前の方はどうなんだよ。ちゃんと休憩はとってるか?》
「大丈夫だ。時々休憩はとっている」
《そういってぶっ倒れるまで働くからな、お前……》
「安心しろ。シフトを組んで睡眠時間は確保している。もうしばらくしたら、ブライアンと交代する時間だ」
《そうか。ともかく根は詰め過ぎんなよ。警備ってのは別に犯人を捕まえるためのもんじゃないからな》
「……分かっている」
いささか言いたいことはあるが、それを口には出さずに頷く。
私たちが行っている寮の警備は、飽くまでも犯人に犯行を躊躇わせるための『抑止』だ。なので事件が起きなければその時点で我々の勝利なのだ。警備に挑む心構えとしては、犯人を捕まえようと息巻く私よりもトレーナーの方が本質を理解していた。
「いささか無駄話をしすぎた。いい加減切るぞ」
《おう》
インカムを切る。ともかく今の仕事に集中しよう。
小さく息を吐き、気持ちを切り替え廊下を歩いていく。
2階廊下、階段、3階、4階、4階廊下、1階談話室etc……。巡回ルートはあえて固定せずランダムに歩き回り、姿なき犯人に犯行の隙を与えない。途中、他の寮警備班とも合流し情報の共有も行い、警備の効率化を図っていく。
そんな風に仕事に集中していると、時間はあっという間に過ぎていった。
「そろそろ交代の時間か」
腕時計に目を向ければもう0時直前。ブライアンとの交代の時間が迫っていた。今から見回りつつブライアンの部屋まで行けば、ちょうど交代の時間になるだろう。
そんな事を考えつつ階段の踊り場まで登ったその時――階段の先に中央に学園の制服に身を包んだ生徒を見つけた。
「警備班? いや、あれは――」
数瞬の思考の後、私はすぐに身構えた。
今の状況、そしこの時間帯に制服姿で寮を出歩くウマ娘など、寮警備班以外にいないだろう。しかし寮警備班には専用の腕章の着用を義務付けられている。だが目の前の長い栗毛が特徴のウマ娘には、その腕章が付けられていない。
ならばこのウマ娘の正体は二つに一つ。
「おい、貴様」
一つは寮警備班。腕章を付け忘れたか、もしくは無くした者。
そしてもう一つは――
「っ!」
「待てっ!」
よっぽどやましい事――それこそ寮を騒がせている犯人以外の何者でもない!
弾かれたように駆け出したウマ娘を追って、私も階段を駆け上がる! だがその途中で、
「誰!?」
「きゃあ!?」
叫び声が私の耳に響いた。
「っ、しまった!」
階段を登り切り廊下に目を向けると、そこには寮警備班の腕章を付けた生徒が二人倒れ伏していた。しかも両者の足には靴下はない。
それを認識した時には、反射的にインカムに手を伸ばしていた。
「トレーナー!」
《どうした?》
「窃盗犯が現れた!」
《――照明を全部点けるぞ!》
「頼む! 私はこのまま寮警備班を指揮する! 貴様は――」
《各方面への通信は俺がやっておく。後は任せろ》
「頼むぞ!」
トレーナーとの通信が切れると同時に、寮の全ての照明が付けられた。
「こちらエアグルーヴ! 目標が現れた! 容姿は長い栗毛で制服姿のウマ娘! 現在2階中廊下を逃走中だ!」
私は栗東寮にいる寮警備班全員に通信を入れながら駆ける。こんな閉所で全力疾走など言語道断だが、今回ばかりはそうも言っていられない。日頃のトレーニングで鍛え上げられた脚力をもって犯人の後を追う。
しかし、
「――速いっ!」
全力を出しているにも関わらず、犯人との距離は縮まらない。それどころか少しずつだが差が広がっていく。原因は小回りの差だ。直線での速度は私とほぼ同格ではあるが、犯人は階段などでの進路変更の際のコーナリングが恐ろしい程に巧みなのだ。
このままいけば、近いうちに見失いかねないだろう。
――だが私にも、いや私たちにも奴にはない強みがある。
「副会長!」
「来たか! B班C班はこのまま私と奴を追うぞ!」
「はい!」
《A班3階東廊下に到着しました! 追い込みを掛けます!》
《こちらD班です。現在2階西階段にいますので、このまま進路を塞ぎます》
「良いぞ、このまま奴の逃げ道を塞ぐ!」
《了解!》
《見つけたあああああああぁ! フルボッコにしてやるううううううううううううぁああああ!》
《ちょ、待ってデジたん!?》
《えー、F班です。このまま犯人を追跡します》
いくら犯人の足が速かろうと、組織の力には勝てない。
時に追い立て、時に道を塞ぎ、そして時にあえて逃げ道を用意し、犯人の行動範囲を狭めていく。時折連携の隙を突かれて強行突破されてしまう事もあるが、それでも時が経つにつれて犯人の逃げ道は着実に少なくなってきていた。
「まったく犯人もしつこいな……」
チラチラと見え隠れする犯人の後姿を視界に収めつつ、小さく零す。
追いかけっこが始まって早5分。正直な所ここまでやっているにも関わらず、すぐに捕らえられていない犯人には、舌を巻くばかりだ。私が犯人の立場なら、開始1分で捕まってしまうだろう。
犯人が階段を猛スピードで駆け上がり、私の視界から姿を消す。もう何度も見た光景だ。
だがこの追跡劇ももう終わる。
「フジキセキ!」
《こちらE班。予定ポイントに到着しているよ》
「よし、このまま挟み撃ちにする!」
既に包囲網は完成している。階段の先にフジキセキがリーダーとして率いている複数の寮警備班連合だ。挟み撃ちにして犯人を召し捕る算段だ。
「激しい抵抗が予想される! 心して掛かれ!」
「はい!」
ウマ娘が本気で暴れればとんでもないことになるのは確実。人海戦術で被害を最小限にする必要がある。
この後に起こるであろう戦いに備えつつ、追跡メンバーと共に犯人を追って階段を駆け上っていく。
そしてそこにいたのは――
「え?」
「なに?」
フジキセキ率いる寮警備班「だけ」だった。
「……どういう事だ?」
「それは私のセリフだよ。もしかして失敗した?」
「それはありえん。完全に誘い込めたはずだ」
「だよね。ミスはなかったはずだよ」
困惑した様に頷くフジキセキ。指揮の関係上、通信はオープンにしていたので、私が出した指揮は当然フジキセキも聴いている。その上でフジキセキは「ミスはない」と言っているのだ。
ありえない事態に皆が一様に首を傾げていると、インカムから焦ったような声が響いた。
《こちら2階西階段のD班です! 副会長、応答してください!》
「どうした?」
《階段封鎖中に犯人と思われる生徒に遭遇、封鎖を突破されました!》
「なに!?」
もたらさせた発見報告に思考が停止してしまう。私たちが犯人の姿を捕捉しながら追跡し、そして見失ったのは中央階段の最上階付近。犯人が正反対の西階段に現れる事自体がありえないはずだ。
「馬鹿な、ありえん……!」
「エアグルーヴ、今はそんなことはどうでも良いんだ!」
「あ、ああ。そうだな……。D班、状況は?」
《犯人は玄関に向かって逃走中! 私たちも追跡していますが追いつけません!》
「――っ!」
「フジキセキ!? ――くっ!」
その瞬間、弾かれたようにフジキセキが私の横を駆け抜けていった。私も釣られたように階段を駆け下りる。
「エアグルーヴ、急いで! 今から行けばギリギリ間に合うかもしれない!」
「分かっている!」
フジキセキの行動は独断先行だが、実の所最善の選択だ。寮警備班の多くは犯人の追い込みのためにどれも寮の上層階におり、一階にいるのは犯人追跡中のD班のみ。すぐにでも応援を寄こさなければならない。
そして各班の位置を勘案した場合――、真っ先に玄関に到達できるのは私たちだけだった。
《あー、こちら玄関。話は聞いたぞ》
インカムから聞き慣れた男の声が聞こえてきた。
「トレーナー! 犯人がそっちに来る!」
《分かってる。逃げられるかもしれないが、このまま迎撃するぞ》
「トレーナーさん、何を言っているんだい!?」
《しゃーねーだろ。玄関はガラス扉だから鍵掛けててもブチ破られるのは確定。外は警備部の奴らはボチボチ集まっちゃあいるが、犯人のスペックを考えると数が少なすぎて、外に出られた時点で負け確定なんだから。なーに、うまく文明の利器を使えば何とかなるって。具体的には対ウマ娘用スタングレネード》
「たわけ! 幾ら武器があると言っても、本気のウマ娘相手じゃいくら貴様でもタダじゃ済まないんだぞ!」
《あー……、まあ昔病院で5階から落っこちた時もギリギリ何とかなったから大丈夫大丈夫》
「おいっ!?」
「あぁ、もうあの人は! エアグルーヴ、急ごう!」
「ああ!」
トレーナーはああ言ったが、暴走するウマ娘は暴走する自動車と同じだ。多少の策を練った所で、ただの人間がそう簡単に止められる物じゃない。衝突なんてした日には良くて大怪我、最悪の場合は――考えたくもない。
そんな最悪を回避するには、私たちウマ娘がいち早く玄関に辿り着く以外に選択肢はなかった。
だからフジキセキに促されるように必死に足を前に出し、一秒でも早く辿り着けるように足掻いた。
だが……そんな私たちを余所に事態はドンドンと進んでいく。
《追いつけない!》
《D班、任せろ。きっちり足止めしてやる》
「急いで!」
「分かっている!」
4階到着。手すりを使って最小限のロスで3階に向かう。
《D班、目を瞑って耳を塞げ! スタングレネード行くぞ!》
《え? あ、はい!》
「不味い、接触した!」
3階到着。後ろの寮警備班のメンバーが付いてこれていないが、玄関に到着するのが最優先だ。先を急ぐ。
《せっ――うっし、クリーンヒット!》
「やったか!」
「これで足止めは出来たね。後は私たちが取り押さえれば――」
2階到着。下の階から聞き慣れない爆発音が響いた。
《って全然効いてないだと!?》
「えっ?」
「不味い、トレーナー!」
ようやく1階到着。慌てて玄関に目を向ける。そこにあったのは――
「ちぃっ!」
全速力で駆ける制服姿のウマ娘と、それを迎え撃とうと突撃するトレーナーの姿だった。
「いやー……」
「……」
「……」
ぶち破られたガラス扉から外を眺めながら頭をボリボリと掻く。
「こう……あれだ」
「…………おい」
「…………ねえ」
靴下窃盗犯との対決だが、大見え切ったにも関わらず結局取り逃がしてしまった。ちと納得いかないのもあるが、それ以上にダサすぎて恥ずかしい。お陰で後ろにいるエアグルーヴとフジの顔を見れない。
「仕留めたと思ったんだけどなぁ」
「…………無視するのはどうかと思うよ?」
「…………無視とはいい度胸をしているじゃないか」
外からは遠くから警備部職員たちの怒声が微かに聞こえてきている。
聞いた感じあいつらも大分頑張っているみたいだが、正直期待はしていない。G1勝利バですら捉えきれなかったあの変態を、警備部の奴らが捕まえられるとは思えない。
とはいえ今から追跡に参加してもしょうがないので、寮の方を何とかした方が良いだろう。先程の追跡劇で色々と荒れてしまった。
「とりあえず、玄関のガラスを片付けるか」
「そろそろ諦めよう?」
「いいからこっちを向け」
「はい」
諦めて振り返る。そこにはいい笑顔だが目が笑っていないフジと、明らかにお怒りになっているエアグルーヴの姿があった。うん、さっきのやつ嘘ついた。この二人が怖いから振り向けなかったんよ。
「何か言いたい事はあるかい?」
「次はもう少し上手くやる」
「たわけ! あんなことをして怪我でもしたらどうする!」
エアグルーヴの雷が落ちた。
「下手をすれば貴様は死んでいたんだぞ!?」
「いやー、やれなくもないかなって」
「今回は流石に擁護は出来ないよトレーナーさん。暴走するウマ娘相手に立ち向かうなんて自殺行為だよ」
「そこは俺も分かってるから、初手でスタングレネード使ったんだよ。効かなかったけど」
「ならばせめて逃げればよかっただろう! よりにもよって自分から向かっていくなど何を考えている!?」
「いや、空手にはウマ娘を想定した戦い方があるから、それを実践してみたんだが」
「空手にそんなものあるの?」
「俺が昔行ってた道場で実際教えてもらった」
真面目な話、古武術や軍隊格闘みたいな実戦形式の格闘技には、何かしらウマ娘を想定した戦い方ってのは存在していたりする。戦場に圧倒的パワーとスピードを持つ存在がいる以上、それに対抗しようと考えるのは当然の事だろう。
まあその対策がどの格闘技でも、「不意打ちかましてこかして踏みつける」が基本なのは笑っちまったが。
「……その道場はいつまで通っていた?」
「高校卒業まで」
「10年以上昔じゃないか! いくら昔習ったからと言ってそう簡単にうまくいくか!」
「いやー、割と上手くやれたぞ? フェイントからの足払い。スタングレネードは効かない癖にフェイントは引っ掛かったから、うまくいったはずだったんよ」
「失敗しているだろうに」
「それなんだよなー」
あの時の足払いは、普通のウマ娘だったら確実に決まってた。だがその時に、奇妙な事が起きたんだよ。
「……てか正直言うけどさ。俺の足払いがすり抜けたようにしか見えなかったんだよな」
いや、俺も言ってることが滅茶苦茶なのは分かってる。でも実際に足払いがすり抜けたのを見ちまったもんだからしょうがない。
「何をバカな事を――と言いたい所ではあるが……」
「……うん、私も見ていたよ。確かにトレーナーさんのキックが犯人の足をすり抜けてた」
どうやら二人ともその瞬間を見ていたらしい。お陰で話が速い。
「どうなってんだ?」
「私に聴かれても分かる訳がないだろう。……私たちの立ち位置のせいで、足がすり抜けたように見えた可能性は?」
「ないな。蹴った当人にもすり抜けたようにしか見えなかった。フジ、マジックの可能性は?」
「聞いたことがないね。仮にあったとしても、マジックは事前に綿密な計画を立てて実行するものだから、あんな突発的な状況でやるなんて無理じゃないかな」
首を傾げ、唸る一同。そんな時だった。
「……それは私が説明します」
「ん?」
背後からの声に反応して振り返る。そこにいたのは制服姿の長い黒髪が特徴で独特な雰囲気を醸し出すウマ娘がいた。
「マンハッタンカフェ?」
「はい……。お久しぶりです」
ぺこりと頭を下げるマンハッタンカフェ。思わぬ人物がやってきた。
「なんでここに? 所属は美浦寮じゃなかったか?」
「……犯人を確認するために抜け出してきました」
「おいおい、目の前に副会長様がいるのに随分と大胆だな」
「おい」
「……私も寮警備班として参加していますし、会長には許可を取ってありますので大丈夫です……」
周囲からは変わり者やらなんやら言われているが、なんだかんだで常識はあるからそこら辺は抜かりはないらしい。
それはともかく、
「説明って事は、犯人について何か知ってんのか?」
「……犯人がどういった人物なのかはわかりません。でも……先程、遠目からですが犯人の後ろ姿を見て確信しました」
マンハッタンカフェが校舎の方角に顔を向ける。遠くからは未だに犯人を追い立てる警備部の奴らによる怒声が微かに聞こえてきていた。
「犯人は……『お友だち』と同じ存在です」
小さく、だがこの場にいる全員にハッキリと聞こえる声で、彼女は断言した。
因みにカフェは武藤トレーナーの担当ではありません。