マッチョトレーナーがこの先生きのこるには《完結》 作:とらんらん
「――という事が昨日あってな。私のトレーナーも中々苦労しているようだ」
「そんな事があったんですか……」
「武藤さんも大変だね」
私が零した愚痴に、ドーベルとライアンは曖昧に頷いた。
トレーナーと花壇で花の世話をした翌日、私はドーベルに誘われてメジロ家のお茶会に参加していた。もっともメジロ家のお茶会とはいっても、今ここにいるのは私とドーベルとライアンだけだ。他のメジロ家の面々は各々用事があるらしく、遅れての参加らしい。
「っと、すまない。この場には似つかわしくない話だった」
「ううん、こういった話って中々聞けないし、面白かったよ」
そんな背景の下でいつもよりも少ない人数で始まったお茶会だが、少人数だからと言って静かだった訳ではなかった。ドーベルとは元々交流があったし、ライアンの方も同級生かつトレーナーの筋トレ仲間という事もあり、ドーベルとの繋がりも相まって友好関係を築けている。お陰で「女三人寄れば姦しい」のことわざ通り、話に花が咲いていた。
もっともそのせいで気が緩んでしまったからといって、昨日トレーナーから聴いた苦労話をするのは、流石に内容が物騒なのだから反省すべきことだが。
「でも実際、武器があってもトレーナーたちが私たちウマ娘に勝つのって、武藤トレーナーみたいに格闘技経験者じゃない限り難しいですよね?」
「ああ、私のトレーナーもそう結論付けていた」
そういった事は詳しくはないから判らないが、トレーナーがああいうのだから、事実なのだろう。
「それにせめて身体を鍛えないとどうしようもない、かぁ」
「ああ、だがトレーナーたちがそれを出来るかどうかの問題もある」
「私のトレーナーもそうですけど、普段の仕事以外にもレースの研究とかやらなきゃいけない事がありますし、難しいですよね」
トレーナーが悩んでいたのもそれだ。一つの問題を解決しようとすると、更なる問題が浮き彫りになってしまった。しかも立ちふさがるのは小手先ではどうしようもない難問。まったく、トレーナーも厄介な問題を抱えたものだ。
そんな事を考えていると、ライアンが思わぬことを口にした。
「でもトレーナーには自分の身体を鍛えてもらいたい、って思っている担当ウマ娘は結構いるみたいだよ?」
ライアンが思わぬことを口にした。
「そうなの?」
「うん。前に私のトレーナーさんをマッスルトレーナー計画で鍛えたのは覚えてる?」
「ああ、私のトレーナーも協力したあれか」
あの時はトレーナーがノリノリでライアンに協力していたな。後日、ライアンのトレーナーが見事な筋肉を手に入れて三人でキャッキャと喜んでいたのを覚えている。
「あの後からなんだけど、同級生や後輩からどうやってトレーナーに筋トレを勧めたらいいの? って相談されるようになったんだ」
「なにそれ。その娘たちはライアンみたいにトレーナーをムキムキにしたいって事?」
「うーん、ちょっと違うかな? どちらかと言えば細マッチョにしたいんだって」
「ふむ。彼女たちはなぜそのような事を?」
「好きな人には格好良くいてもらいたいから、だって」
『ああ……』
ドーベルと二人して理解できた。ファッションしかり行動しかり、好きな人が格好良くいて欲しい、というのはエゴかもしれないが本心でもある。ライアンに相談を持ち掛けたウマ娘たちは、自分が好きな肉体をもって貰いたいと思ったのだろう。
「納得出来たわ。確かに太ってたり痩せてたりしてるより、引き締まってる方がいいわよね。トレーナーにとってもやりすぎなければ健康にもいいし」
「そうだな。因みにライアンはそういった相談にはどう答えているんだ?」
「トレーナーと一緒にトレーニングするのを勧めてるよ。バーベルを使う時とかサポートが必要だしね」
「あ……」
「……そうか」
当たり前のようにジムでのデートを勧めるのかライアン。……いや、ライアン自身はデートという意識はなく、純粋にトレーニングの事を考えているのだろうな。ドーベルも何かを察した顔をしているし。それはともかく、
「しかし担当トレーナーがいる生徒たちにそんな需要があるとは思わなかった」
「武藤さんはトレセン学園に来た時にはもうムキムキだったしね」
「それじゃあ先輩が気付かないのも無理はないですよ。でも一緒にジムでトレーニングかぁ。アタシのトレーナーも最近運動不足だってボヤいていたし、誘ってみようかな?」
「それがいいよ。適度な運動は健康の基だからね」
トレーナーの運動不足か。私のトレーナーには縁遠いため意識した事がなかったが、トレーナーたちは多忙なために運動不足になりがちだと聞いた事があるな。
そのような事が頭を過った――その時だった。
「……あ」
不意に頭の中でパズルが自動で組み立てられるかのように考えが纏まっていき……、
「それだ!」
トレーナーの頭を悩ませていた問題を解決できるかもしれない名案が浮かび、思わず叫んだ。
「いかがでしょうか、会長」
「……なるほど、いい考えだ」
「おい、会長。これを本気でやるのか?」
「真の目的はともかく、手段は有効だ。仮に失敗しても誰も損はしないだろう」
「では――」
「私も喜んで協力しよう。理事長の件は任せてくれ。エアグルーヴは――」
「私は生徒たちにそれとなく噂を流しておきます。幸い私のチームには噂に聡い者もおりますので、すぐに全生徒に知れ渡るでしょう」
「それは頼もしいな」
「いかがでしょうか、理事長」
「うむ、君の提案は分かった。確かにこの案ならば健康促進に繋がるだろう」
「では――」
「懸念! しかしこの政策は生徒たちのトレーニングに支障が出るのではないか?」
「いえ、私たちが使う器具はウマ娘用に調節された高負荷なものばかりで彼らには使えません。そのため使用できる器具が限定的となりますので、施設の占有率は自然と下がると思われます」
「ふむ」
「またこの政策はトレーナーとウマ娘が同じ目的をもって共に行動する事で、両者により深い信頼を築くことも目的としています」
「なるほど」
「理事長、いかがでしょうか?」
「(……武藤トレーナーからのレポートにも言及されていた。将来的にあの問題の解決にもつながるかもしれん)……了承! 明日にでも公布しよう!」
「ありがとうございます」
ある日の昼下がりの生徒会室。私は仕事がひと段落し、気分転換を兼ねて窓を開けて外を眺めていた。グラウンドでは多くのウマ娘たちがトレーニングに励み、切磋琢磨している光景が良く見える。
これまでにも見られた日常風景。だが最近ではそこに新たな一幕が加わるようになっていた。
「ふむ、早速か」
視界の端、あるトレーナーがその担当ウマ娘に連れられて、ジムのある棟に入っていく。
また耳をすませば、あちらでも窓を開けているのか、微かに声が聞こえていた。
「ぬおおおおおおぁ!」
「トレーナーさん、あと10回だから頑張って!」
『レッツマッスルー!』
「ミーク、今度はあのランニングマシーンを使ってみましょう!」
「侮らないで下さい。この程度のダンベル位なら……!」
「樫本さんストップストップ! ココン、グラッセ! 樫本さんのフォロー!」
『はい!』
男女入り乱れた活気のある声が響いている。
このような光景は最近よく見られるようになっていた。
「会長? いかがされましたか?」
「ん? ああ、先日公布された政策が早速効果を表しているようだからね。その様子を観察していたんだ」
仕事に勤しんでいたエアグルーヴに笑顔で返答しつつ、ジムのある棟の入り口の観察を続ける。するとまた一組、棟に入っていくトレーナーとウマ娘の姿が見えた。ウマ娘は笑顔を浮かべており、対するトレーナーは若干戸惑った様子なのがここからでも良くわかる。
「君の狙い通り、成果は上々のようだ」
「会長にそういって頂けるのなら幸いです」
頭を下げるエアグルーヴ。事実、ここまで彼女の目論見通りに事は進んでいる。
「謙遜する事はないさ。今回のような学園、トレーナー、ウマ娘の全員が得をする策なんて、私では思いつかなかった」
「ありがとうございます」
――すべての始まりは、エアグルーヴが持ち込んだ企画書だった。
「トレーナーマッチョ化計画」
……最初にこの表紙を見た時は、私もブライアンも自分のトレーナーに影響を受けすぎて暴走したんじゃないかと目を疑ったな。もっともそこに書かれていた内容は、いつものエアグルーヴらしく、思慮分別なものだった。
「表向きはトレーナーの健康問題の解決案。トレーナーの運動不足の解消が、健康維持に繋がる、としたんだったね」
「はい。恥かしながら私のトレーナーが運動不足とは全くの無縁でしたから忘れがちでしたが、トレーナーは運動不足な事が多いと聞きました」
実際、トレーナーの業務は多忙だ。私たち生徒のトレーニングに加えて、レース研究、レース関係者との打ち合わせなど、様々な業務に携わっている。そのため運動不足による健康不安が囁かれている、というのはトレーナー君からも聞いた事がある。
「そのための対策として、これまでトレーナーへは許可制だった学園のジム利用の解放を提案。理事長からはまさか生徒からこのような提案がされるとは思わなかった、と驚いておられたよ」
「トレーナーの福利厚生は学園の仕事ですからね。些か不自然ではないかと不安がありましたが」
「確かに若干訝しんだようだが、私たちの目的のために付け加えた一文のお陰で、問題視はしていなかったよ。――それに身体を鍛える事は、理事長たちが抱えている問題の解決にも繋がるから、無下には扱えないしね」
元プロレスラーという格闘技経験者からの視点、単独で三人ものウマ娘と死闘を演じた経験を元に、武藤トレーナーが書いた対ウマ娘戦術についてのレポート、通称「武藤レポート」は私も読ませてもらったが、中々興味深いものだった。そしてこのレポートのお陰で、根本的なトレーナーたちはフィジカル不足に陥っている事も知れた。
「学園はトレーナーの健康促進を名目に、ジムを解放。これはトレーナーへの福利厚生になるし、裏の目的としてフィジカルを向上させて暴走したウマ娘に対抗するための下地を作れる」
「幸い名目と裏の目的が一致していますから、実行しやすかったのでしょうね」
「ああ」
ついでに言えば、この政策でやる事はジムの解放程度だ。予算を掛けずに福利厚生の充実とフィジカル向上が出来るのだから、学園上層部としても実行しやすかったのだろう。
「私としてはジムをトレーナーが使っているせいで、生徒たちのトレーニングの邪魔をしてしまう可能性を危惧しましたが、杞憂で良かったです」
「そんな事をするようなトレーナーなど、トレセン学園にはいないさ。それにジムにあるトレーニング器具はどれもウマ娘用だから、トレーナーたちが使える器具は限られている。その分占有率は自然と低くなるから、ウマ娘のトレーニングの邪魔にはならないだろう」
「? 私のトレーナーは低負荷とはいえウマ娘用のバーベルも使っていますが」
「……それが出来るのは武藤トレーナーだけだよ?」
あの筋肉ムキムキなトレーナーが基準になっていないかい、エアグルーヴ?
それはともかく、理事長も思う所があったのだろう。私が計画書を提示した翌日にはトレーナーに向けて公布がなされていた。
「実施! トレーナーに学園のジムを解放する! 存分に身体を鍛えて欲しい!」
この即断即決は、流石理事長というべきだろう。この公布にトレーナーたちは若干驚いたらしいが、特に反対はなかった。ただし、この後に続く言葉に多くのトレーナーたちが首を傾げる事になる。
「余談! トレーナーがジムを使用する際は、担当ウマ娘と共にトレーニングする事を推奨する!」
トレーニングのサポートや共にトレーニングをする事で両者の絆を深める、という名目で、こんな一文も付け加えられていた。これは私たちが理事長に要請して付け加えた要望であり――そして本命だ。
「ともかくトレーナーへのジムの解放はなった。推奨項目の狙いを生徒たちは理解しているお陰で、盛況のようだ」
「ええ、この推奨項目は生徒にとって使い勝手のいい口実になります」
「その最たる例は、デートの口実だな。私も初日に早速使わせてもらったよ」
「それはよかった」
私たちの真の目的はこれだ。推奨を名目にそのままジムデートに勤しむもよし、少し発展させてトレーニングウェアを一緒に買いに行くもよし、様々な口実に使えるからな。内容が内容だけに、トレーナーも早々に無下には出来ないのがより美味しい所だ。また副次的にジムデートがそのままウマ娘の筋力トレーニングに繋がるのも見逃せない。
これだけでも美味しい所が満載なのだが、この推奨項目の効果はこれだけに留まらない。
「長期的視点ですと、この推奨項目を活用すればトレーナーの体格を自分の好みに改善させる事が出来ます。もっとも当初はこの事に気付けたのは一部の者だけでしたが」
「それを君がフォローするために噂を流したのだろう? 手ごたえはどうだい?」
「上々です。それとなく聴いて回りましたが、皆意欲的でした。やはりメジロライアンと彼女のトレーナーという成功例があるのが大きかったですね」
推奨項目の効果を短期的にしないための仕込みは上手く行っているようだ。惚れた男を自分好みの体格に出来るチャンスだ。彼女たちも見す見す見逃すはずがない。かくいう私もトレーナー君の肉体改造計画を作っている最中だがね。
「トレーナーは運動不足を解消した上で身体作りができ、トレセン学園は小さな労力で福利厚生を充実した上で裏の目的も達成でき、ウマ娘はトレーナーと共にいる口実が出来た上にトレーナーを自分好みの身体に出来る」
「誰も損をしていない。素晴らしい事です」
「全くだ」
ありがとうエアグルーヴ、君のお陰で私の目指す理想の実現にまた一歩前進する事が出来たよ。いい笑顔で笑い合いながら、私は仕事に戻った。
「あっ……」
「どうされました?」
「……トレーナー君がシービーに連れられてジムに入っていった」
「あっ……」
「……すまないが、少し出掛けてくる」
「あ、はい」
生徒会による邪悪()な策謀がトレーナーに襲い掛かる……!