マッチョトレーナーがこの先生きのこるには《完結》 作:とらんらん
本編はこれを書いていた当時、騎手関係で起きたある事件を参考にしました。
追記、58話の一部描写を改定しました。シリウスのサポカイベントで親と微妙な関係の可能性があると思って書いた描写が、シリウス実装で読みが外れていた事が判明しましたので……。
唐突だが、トレセン学園にあるジムの設備は充実している。
広くとられたスペース、最近型の各種トレーニング器具、多数のウマ娘が訪れる事を見越しての各種器具の配備数。俺や筋トレ友達のライアンのように筋トレが趣味の奴からすれば、学園のジムは天国のようなもんだ。
そんな訳で、
「ふっ、ふっ、ふっ!」
「はああああああ!」
「オラァ!」
今日のチーム・デネボラはジムでのトレーニングって事で、みんなでサンドバッグを打っている真っ最中だ。各々拳や蹴りを繰り出す度に、サンドバッグが大きく揺れている。そこの所は流石圧倒的パワーを誇るウマ娘って感じだ。
なに? サンドバッグ打ちなんてレースに役に立つのかって? このトレーニングは大腿筋や大殿筋、腹筋や腹直筋を鍛えられるんだ。レースに出るウマ娘は脚だけじゃなくて身体全体をバランスよく鍛える必要があるから、一見無用にも見えるサンドバッグ打ちも有効なトレーニング手段だぞ。
「マヤノ、フォームが崩れてるぞ。脇締めて」
「はーい! やぁ!」
因みにだがサンドバッグを打つに当たって、担当たちにはフォームとか心得はしっかりと教え込んでいるぞ。サンドバッグを打ってて怪我をするって例はよくあるからな。トレーニングで怪我とか勘弁だ。
「シッ! ところでトレーナー?」
「どうした、エアグルーヴ?」
「なぜこのトレーニングなんだ?」
「もしかして嫌だったか?」
「いや、このトレーニング自体には異論はない。それに身体作りについては貴様が一番分かっているからな。だが事前のトレーニング予定をわざわざ貴様が余り行わないサンドバッグ打ちに変更した事を見るに、別の意図があるようにも思える」
付き合いが長いだけに、エアグルーヴも何かを察したようだな。
「やっぱ露骨すぎたか。ここの所色々とあっただろ? 特にマヤノとフラッシュが。それのストレス発散がメインだな」
マヤノは配信をやるたびによくわからん輩に荒らされて凹んでいるし、フラッシュの方は実はチームのウマッター公式アカウントの管理をお願いしているんだが、ここ最近の荒らされ具合にイライラしてんだ。
このまま行くとヤバそうだから、急遽予定を変えて二人のストレス解消を兼ねてのサンドバッグ打ちにしたんだよ。
「シッ! ……なるほど」
エアグルーヴは納得した様に頷いた。
「それで貴様もサンドバッグを打っているのか」
「うん」
素直に頷いて、怒りを込めて渾身の右正拳突きをサンドバッグに叩き込む。
ゴメン、さっきの説明だけどちょっと嘘ついた。今回のトレーニングは俺のストレス解消も兼ねてるんだよ。こういったサンドバッグ打ちはストレス発散で偶にやってたりする。
「私情で貴様までサンドバッグ打ちするのは問題ではないのか」
「トレーナーが担当に走りのフォームを実演するのと同じで、サンドバッグ打ちでも見せる形で指導はしてるって事でセーフ」
「恐ろしいまでの詭弁だな……」
「ゆーて俺も打ちながらみんなを見てるから、ちゃんと指導は出来るぞ? てことでエアグルーヴ、もうちょい腰の捻りを意識して打ってみようか」
「む? こう――かっ! なるほど、威力が上がったな。……お陰で貴様に注意しにくくなったが」
俺の要件はサブでメインはあくまでも担当のトレーニングだから、そこら辺はちゃんと弁えてるぞ。
「……それにしても、今回の件で随分とイラついているようだな」
「そりゃなぁ……」
で、俺のストレスの原因だが、当然最近急増している各種嫌がらせだ。
先日心当たりがないデリバリーが届いて事務方が苦労したんだが、あの攻撃は止まったものの、今度は俺宛てのバッシングの手紙が大量に届くようになった。なお中身は内容どころか文脈も同じだから、大量印刷したものだろうな。
んでSNSの場合は、チーム・デネボラのウマッターアカウントが荒らされてるのは勿論の事、担当たちが個人でやってるウマッター、更にマヤノがやってる配信まで荒しが出たのは知っての通り。ただしこの荒しだが担当に対してじゃなくて、全て俺に関する攻撃に終始してやがるんだ。
具体的には、チームアカウントの場合は「トレーナーを追放しろ」、担当個人の場合は「あんなトレーナーの指導を受けても強くなれない」とかそんな感じ。しかもその書き込みに釣られて他の俺のアンチまで出張ってくるもんだから、荒れに荒れるんだよ。
被害が俺だけだったらぶっちゃけどうでも良いんだが、担当たちに被害が出てるとなると怒りが湧く。
「SNS系が面倒すぎる」
「だろうな。ああいうものは一度火がつけば、暫く収まらん」
「まあな。――だから被害担当艦として俺のウマッターアカウントを作ってみた」
「……そんなもので効果があるのか?」
「そこそこ釣れたな。みんなクッソ愉快な事ほざいてる」
まあ俺がアンチどもに喧嘩を売るような書き込みをしたからだけど。お陰で俺のウマッターは人間至上主義者とウマ娘至上主義者、あと俺のアンチが入り乱れて常時炎上してるぞ。画面見た時は笑ったわ。
「……貴様はこんな嫌がらせを受けて大丈夫なのか?」
「あ? こんな程度で俺が凹む訳ないだろ。むしろ殺意の方が湧くわ」
「貴様ならそうだろうな。……それで、これからどうするつもりだ」
「黙って殴られてやる義理なんざないんでね。相応の対処はさせてもらう」
郵便物については明らかに迷惑行為だ。この件は学園の方も問題視しており、学園の許可の下で警察に被害届を提出している。……とはいえ、この被害では警察は動かないと見た方がいいだろう。警察ってこういった事には余り捜査とかはしないって言うしな。
だから本命はSNSの方だ。
近年はSNSでの誹謗中傷が社会問題になったお陰で、色々と対処する方法も増えてきている。今回は学園の顧問弁護士からそこら辺の事情に強い弁護士を紹介してもらい、情報開示請求を起点にして容赦なくぶん殴る予定だ。
「郵便の送り主もSNSの火付け人も十中八九あのババアだからな。情報開示請求からの民事&刑事告訴のコンボと、後は接近禁止命令で合法的にブチ殺す」
「……随分と理詰めだな。貴様の事だから直接文句を言うのかと思ったが」
「あー、一応まだあいつが犯人で確定してる訳じゃないし」
「……本音は?」
「あんな奴と関わりたくない」
「……そうか」
会った所でどうせ金の無心しかしてこないんだ。面倒しかない。まあ仮に逆上して襲ってきたら喜んでぶん殴るが。
そんな俺の答えに、若干不満そうだが素直に引き下がるエアグルーヴ。そんな感じで駄弁りながら、ストレス解消を兼ねたトレーニングは続いていった。
「…………」
学園の生徒たちがトレーニングを終え、各々が寮で思い思いに過ごしている時間帯。私は多くの人々が行き交う新宿の街を足早に歩いていた。
目的地は新宿にあるURA公式ショップ。そこで買い物――という訳ではない。そこに働いているという、トレーナーの母親が目的だ。
「貴女はトレーナーの母親なのだろう。なぜあんなことをする……!」
人並みを掻き分けつつも、トレーナーに降りかかっている受難に込み上げてきた怒りを吐き出すように、誰かに聞かせるでもなく呟く。
……恐らく最近のSNSの荒らし行為や迷惑な宅配物の下手人は、トレーナーの見立て通り彼女なのだろう。大方トレーナーに正面からやり込められ、その腹いせといった理由か。
そんな彼女の身勝手さに文句の一つでも叩き付けたかった。
「確かこの辺りだったか……。……いるといいが」
あの母親が公式ショップでパートをしていると聞いたのでそこに向かってはいるが、流石にシフトまでは分からない。いないかもしれないのに押し掛けようとは、我ながら随分と行き当たりばったりな行動だ。だが私はこんな事をせずにはいられなかった。
――先日、学園近くの喫茶店であの二人が口論する姿を見た時、あの母親のあまりの態度に怒りを覚えつつも、同時に悲しさを感じていた。
ああいうどうしようもない親が世の中にいる事は知っている。そしてトレーナーが母親にあんな態度をとる事も納得できる。
だがあの肉親同士がいがみ合う姿を見ていて頭に渦巻いたのは、「なぜ仲良くできない」という身勝手な想いだった。
……理由は分かっている。私の場合はお母様を慕い、そしてお母様も私を大切にしてくれている。対してトレーナーは母親とは私と完全に真逆の関係性だ。そんなトレーナーを見ていて辛かった。
だから全ての元凶であるあの母親を怒鳴りつけたかった。
あそこまで拗れたのはあの母親の態度のせいなのは火を見るよりも明らかだ。根を正さなければ正常な親子関係に戻せない。そしてもしも彼女が真摯に反省したなら――多少は仲を取り持ってやっても良いと思っていた。
……自分がやろうとしている事は、自分自身のワガママからくる身勝手な行動だと私だってわかっている。こんな私をトレーナーが見れば、余計なお世話だと怒るかもしれない。そもそもあの母親が私の説得で態度を改めるかすらも未知数だ。私が言うのも変な話だが、親子関係が改善する可能性は低いだろう。
だがそれでも、あんな悲しい親子を見たくはない。そんな想いが私を突き動かしていた。
「ここか」
URAのグッズショップの看板が見えた。気合いを入れ直し乗り込もうとしたところで、
「だからもう少し待ってよ」
「む?」
繁華街特有の様々な音が混じり合った騒音の中から、微かに――それこそウマ娘でなければ気付かない程――だが最近聞いた女の声が裏路地から聞こえ思わず足を止めた。そちらに視線を向けると、目当てのトレーナーの母親が路地の奥で隠れるように誰かと電話をしている最中だった。
「この間利子はちゃんと払ったんだからいいじゃない。元本の方? そっちはアテが外れたのよ……」
話の内容的に相手は消費者金融だろうか? 彼女は他者に聞かれないように声を抑えて話している。確かにこれなら意識しなければ聞かれないだろう。もっとも私のように彼女に注目しているウマ娘の聴力の前では無意味であるが。
それはともかく、電話中では声を掛けられない。彼女が電話を終えるまで物陰に隠れて待つことにする。
「そっ、あのバカ息子からお金取りっぱぐれちゃたのよ。中央のトレーナーなんて高給取りなんだから、お金をくれたっていいのにねぇ?」
「……」
あの母親の言葉に思わず顔を顰める。分かっていた事だが、彼女は本当にお金の事しか考えていない。それだけ借金があり追い詰められているのだろうが……。
「――ええ、分かってるわよ。ちゃんとお金を稼ぐ手立ては考えてあるわ。――まさか。あのバカ息子に土下座した所で一円だってくれやしないわ。だからアイツの名前を使って稼がせてもらうわ」
「……は?」
トレーナーの名前を使って稼ぐ? 意図が分からず思わず声が漏れてしまった。そんな私を知る由もない彼女は話を続ける。
「あんなバカ息子だけど、レースの世界じゃG1を何回も獲った腕利きトレーナーで名前が通ってるからね。スカウトされなくてうだつが上がらないウマ娘の家族に、母親から口添えしてやるって言ってやれば謝礼は弾むわ。大きい家でやれば直ぐに借金くらい返せるお金が手に入るわ。――ええ、そうね。さっさと集めて――」
「―――」
あの女はまだ電話を続けているが、最後まで聴かず踵を返して元来た道を戻る。
「~~~~~っ」
吐き気がした。……私の傲慢な想いなど何の意味などないと本人から叩きつけられた。……もしあの電話を訊かずにあの女に話しかけていたら大変な事になっていただろう。
「……ああ、すまないトレーナー。私が間違っていた」
ここにはいない愛するヒトに謝罪する。
トレーナーの言った通りだった。あの女は自分の息子を息子として認識しておらず、ただの便利な金蔓としか見ていない。更生など不可能だ。だからこそ、
「――あの女を何とかしなければ」
どこまでも身勝手で、更には犯罪に利用しようとするあの女を一刻も早く、排除しなければならない。
トレーナーが準備している報復でも相応に罰を与えられるだろうが、あんな計画を知った今となっては実行までに時間が掛かるし、何よりも罰が軽すぎる。
――容赦はしない。
愛するヒトを守るべく、頭をフル回転させながら学園への道を歩いて行った。
余談ですがエアグルーヴの瞳にハイライトはありません