マッチョトレーナーがこの先生きのこるには《完結》 作:とらんらん
武藤トレーナーが安田記念の記者会見場で襲撃犯を撃退する数年前。
サトノグループ本社ビルの一角にある会議室。そこで二人の中年の男たちが言い争い――正確には一方が言葉を荒げてまくし立てていた。
「正気ですか部長!? あれは不確定要素しかないのですよ!?」
「主任、それは私も分かっている」
「いいえ、貴方は分かっていない! 事態を理解していたら、そんな言葉は出てこない!」
主任と呼ばれた男は怒りに任せてダンっと両手をテーブルに叩きつける。その衝撃で広げられていた諸々の書類がテーブルから滑り落ちてしまったが、そんな些末な事を気にする者はこの場にはいない。
「確かにアレは有用です! 我々のプロジェクトの趣旨を考慮すれば最適なのは私も認めます!」
「……なら良い事だろう?」
「良い訳がありません! 仕様通りに動かなければ意味がない! 例え我々にとって都合がいい方向での不具合があったとしてもです!」
「……なら、君はどうしたいのだ?」
「今すぐ開発の中止をするべきです!」
「……それこそ無理な話だ」
「なぜです!?」
「……君たちが作っているモノは既に完成間近、しかも君の言っているイレギュラー以外は何も問題は起こっていない。ここまで開発が進んでいては、今更プロジェクトの中止は難しい。仮に私が上層部に進言しても止まらん」
「アレが孕んでいる危険性を無視してですか!?」
「……危険性と言ったか。私には彼女たちが危険だとは――」
「部長、貴方は本気で言っているのですか!?」
部長と呼ばれた男の言葉を遮り、主任は思いの丈を叫んだ。
「メガドリームサポーターに搭載されたAIが唐突に自らを三女神と呼称し、そして人格を持つ! この事象は明らかに危険なんですよ!」
――彼らはサトノグループにおいて、トレセン学園向けに開発しているVRソフト、「メガドリームサポーター」の開発主任と、彼のその上司であり開発責任者であった。
当初、開発は順調だった。メガドリームサポーターにはサトノの技術力と資金力、人材をふんだんに注ぎ込まれており、スケジュールに遅れは出ていない。このまま行けば、上層部も開発に関わる者たちも誰もが無事に完成し、そして恐ろしく金払いの良いトレセン学園が買ってくれると思っていた。
だがそんな彼らにイレギュラーが起こる。メガドリームサポーターに搭載されているAIの進化と言っていいレベルの突然変異だ。その性能は当初予定していたAIのスペックを遥かに凌駕していると言っても過言ではなかった。
誰もが彼女たち三女神AIに驚愕していた。だがそんな中、主任と呼ばれた男は直ぐにその危険性を察知していた。
――このイレギュラーは危険すぎる。
彼は感情の赴くままに駆け出し、そして上司である男にその危険性を訴え――、そして上記の押し問答へと繋がる。
「確かに私たちは人格を模したAIを作成していましたが、あくまでも『模した』です! あんな三女神を自ら呼称するような自己進化をするAIなんて作っていません! そうなった原因を突き止めなければいけません!」
彼にとって自己進化をするAI――それも全く意図しない形――など恐怖の対象でしかなかった。今は良くても、このまま進化を続けていけばいずれ自分たちのコントロールを離れる可能性は高いと彼は見ている。そしてその先にあるのはSFでよくあるAIの暴走だ。彼はそれだけは何としてでも阻止したかった。
「……君たちが作っているモノは既に完成間近、しかも君の言っているイレギュラー以外は何も問題は起こっていない。ここまで開発が進んでいては、今更プロジェクトの中止は難しいだろう……」
「危険を無視してですか!?」
「仮に私が上層部に進言しても止まらんだろうな。それだけ上層部はやる気だ」
「なら、私が上層部に危険性についてのプレゼンをします! 機会を下さい!」
「……残念だが、君が何時間もプレゼンをしたところで止まらないだろう」
「なぜです!?」
叫ぶ主任を余所に、部長は苦々し気な表情を浮かべながら続けた。
「私だって彼女たち三女神AIについては思う所はある。だから上層部に実物を視察させて、開発を一時中断して三女神AIの解析を優先すべきであると進言したよ」
「ならなぜ――」
「そして三女神AIを見た上層部の連中は……、全員例外なく三女神AIを見て喜んでいたよ……。これほどのAIが完成したとなればサトノグループの未来は明るい、とね」
「……はぁっ!?」
主任は上層部のあまりにもお花畑な考えに思わず悲鳴を上げた。部長が自分程ではないとしても警告をしているのに、それを無視して無邪気に喜んでいるのだ。悲鳴の一つも上げたくなる。しかも例外すらないのだから更に救えない。
「あの三女神AIは確かに自己進化したAIではあるが、行動原理自体はメガドリームサポーターの設計からは逸脱していない。しかも視察でついてきていたサトノのご令嬢方がテストしたんだが、三女神はかなり親身になって接していた上に、ご令嬢方は有効なトレーニングが出来たんだ。……これが痛かった」
「図らずとも実証実験で成功してしまったんですか……」
「その通りだ。お陰で全員ノリノリだよ……」
「……確かに今は大丈夫かもしれませんが、将来的にAIが我々の意図しない暴走をする可能性はあります」
「それは私も進言したが、完全にスルーされた。……三女神AIの研究を確約させるので精一杯だった」
なお今回の視察で気を良くした上層部の面々は、メガドリームサポーター開発に更なる予算の投入を決定していたりする。これは三女神AIの研究の予算も含まれており、この決定には、開発中断を進言していた部長としては非常に微妙な気分だった。
「しかしなぜ、上層部はこんなにも乗り気なんですか」
「そういえば、君はスカウトされたんだったね。……サトノの面々というのはロマンに走りやすいんだよ。そんな彼らにSFによくある『ヒトと変わらない思考をするAI』なんてモノを与えてみろ。食いつくに決まっているだろう」
「……AIの暴走だってSFの定番でしょうに」
「そういえば君はアメリカからの帰国子女だったね。残念だがここはアメリカではなく、古くからそういったモノを受け入れる土壌が育まれている日本だ。言いたくはないが、多くの日本人も彼女たちを快く受け入れるだろう」
日本は古くから付喪神信仰があり、「物に魂が宿る」という概念を連綿と受け継いできていた。更に近年では漫画やアニメといったサブカル文化の浸透もしている。これにより多くの日本人には三女神のような「ヒトのようなAI」を受け入れる土壌が整っているのだ。
「……もう、止められないんですね」
「ああ。すまないな主任」
「いえ。………ラボに戻ります。失礼します」
「ああ」
主任は一つ礼をすると、会議室を出る。
「……こうなったら仕方ない」
彼は誰もいない廊下を歩きながら、誰に聞かせるでもなく呟いた。――その瞳には強い意志が宿っている。
「――私だけでも動かなければならない」
――半年後、メガドリームサポーターが完成したのと同時に、主任は唐突に職を辞した。部下が慌てて彼が住んでいたアパートを訪れたが、既に引き払われており、ガランとした部屋の中に一枚のメモだけが残されていた。
『私は好きにした。君らも好きにしろ』
ある日のトレセン学園にて。
「URAが作った拡張パッチ?」
「そうなんだ」
チーム・デネボラ、本日のトレーニングはメガドリームサポーターにて雨の重馬場でのレース体験中。VRってのはこういう事も出来るから便利だよな。
チームメンバーがぬかるんだレース場で疾走しているのを見ていたら、不意にダーレーアラビアンから妙な提案を受けた。
「なんでも『これまでにない新しいトレーニング体験』をコンセプトにして作られているらしくてね。折角だから君たちに体験してもらいたいんだ」
「それは構わんが……」
こちらとしてもトレーニングに活かせるってんなら問題はない。ダーレーアラビアンを始め三女神がいるから、変な事にはならないだろうし。……ただ気になる事もある。
「そういう拡張パッチって普通は開発元のサトノが作るもんじゃないのか?」
「勿論作っているさ。でもレース関連となるとやっぱり本職のURAの方がノウハウがあるからね。メガドリームサポーターの拡張はサトノとURA双方がやる事になっているんだよ」
「そんなもんか」
そういやURAはVR関連のグッズも出してたっけな。VR技術を持っている以上、URAがサトノの商品に食い込むのも自然っちゃ自然か。
「んじゃ、あいつ等が帰ってきたら使ってみるかね」
「助かるよ。君たちが新機能使用者の第一号だから、俺だけじゃなくてバイアリーとゴドルフィンも参加させてもらうけどいいかな?」
「頼む」
この三女神は基本的には指導役に専念してるが、実力もガチだからな。メンバー的にもいい経験になる。
「それじゃあ、二人を呼んでくるよ」
「おう。……そういえば、その拡張パッチってURAのどこが作ったんだ?」
「ん? ちょっと見てみようか。……えーっと、URA開発五課って書いてあるね」
「よりにもよってあそこかぁ……」
その名前を聴いて猛烈に不安になった俺は悪くない。
「そろそろか……」
とある田舎町の片隅にある小さなアパートの一室。メガドリームサポーター開発主任だった男は、キャリーケースに荷物を詰め込みながら呟いた。
彼はサトノグループを文字通り逃げるように辞職した後、自分の直感の赴くままに流れに流れて、ある海が見える田舎町に辿り着いた。
どこか緩やかな空気が流れているこの海沿いの町は、これまでの慌ただしい諸事で疲れ切っていた彼にとって全てを投げ捨ててやり直す最高の場所であった。今はこの地で仕事を見つけ、そして生活していた。
「上手く行くといいが……」
そんな新しい生活を営んでいる彼であったが、胸の奥底では大きなしこりが残っていた。
そのしこりの名は三女神AI。あの突然変異で進化し、ヒトと同等レベルにまで成長したAIだ。彼女らを危険視していた彼が、仕事を辞したからと言ってその事まで忘れられるはずもない。
。
――それも彼が彼女らへ渾身の対抗手段を投じていたのだから猶更だ。
「時限式トラップが不発になる事はないとして、問題はトラップの内容だな」
あの部長との押し問答の後、彼は半年をかけて将来暴走する危険性を孕んでいる三女神AIへの対抗手段を作り上げたのだ。そしてメガドリームサポーターが完成するのと同時に、彼は作り上げたプログラムを叩き込んだのだ。
そして今日、対三女神AI用のプログラムは起動する予定だった。
「出来れば破壊したかったんだがな……」
当時を思い出して彼は思わず愚痴をこぼした。
三女神AIはいわば偶然の産物だ。再現性は無いに等しい。そんな貴重なAIに何かあったら大きな損失であるという事もあり、彼女には外敵から守る強固なプログラムが施されている。開発主任を務めていた彼であったが、普段の仕事をしつつ三女神を破壊するプログラムを半年程度で作る事は出来なかった。(同じ理由で封印も無理。短時間はともかく、永久に使用不能レベルは不可能だった。ついでに言えばサーバーの物理的破壊とか更に無理。彼は一般人だ)
そこで彼は別のアプローチで三女神を倒そうとしていた。
「あのAIはヒトと同じ思考ルーチンだからそこを突けばいい――、なんて考えてたけど、今考えると大分無茶な理論だな……」
三女神AIはヒトと同じ人格を有している。ならばその人格を破壊すれば機能も停止するはず。
これが当時、無理難題を前に知恵熱を出していた彼の頭が導き出した答えだった。
……普通なら、そんな事が一般人の彼に出来るのか? との当然の疑問符がつくような答えであったが、幸いなことに彼には心当たりがあった。
「しかもプログラムのベースに使ったのが発禁になったゲームとか……」
フィードバック型VR発表当時、各ゲームメーカーはこぞってVRを使ったゲームを発売したのだが、中には問題視されて回収騒ぎになったゲームもある事は、ゲーム開発の歴史においては有名な話だ。そしてそういった回収騒ぎになったゲームというのは、おおよそフィードバック型VRがプレイヤーに肉体的だけでなく、精神的にもダメージを負うようなモノだったという事も。
彼はそれを活用したのだ。回収騒ぎのせいでプレミア化しているとあるゲームを手に入れると、プライベートの時間を全て削って対三女神AI用プログラムに改造したのだ。仮にベースとなったゲーム無しでプログラムを作ろうとしていたら、まず間に合っていなかったのは確実だったので、この選択は間違っていなかったと言える。……彼としてはモノがモノなので少々複雑な気分だったが。
「……ともかく賽は投げられた。あの時の私の発想とプログラムが上手く行っている事を祈るしかない、か」
――三女神にとある技術者の独善的な悪意が襲い掛かろうとしていた。
データ入れたら急に自分の事を三女神とか自称し始めるAIとか色んな意味でヤバくね? って事で元主任が暴走しました。