縁がもたらす壱の結末   作:ベーシックハッピー

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無惨は逃げ出した。その結果がこちら。
トラウマを刺激する要素がいい具合に重なった場合です。
やや強引かもしれませんがご容赦を……。

感想、高評価、お気に入り登録、ここすき、ありがとうございます。
とりあえずはこれで一旦終わりです。

仕事などの関係でもしかすると書く時間が取れないため、別の選択肢からの話は当分無理かと思います。
アンケートまで取っておいてなんですが、このような結果となり大変申し訳ありません。


夜明け

 雪に覆われた大地を踏みしめながら炭治郎は麓を目指して歩いていた。母である葵枝を背負ってただひたすらに歩いていた。そんな中で自分の前を禰豆子が六太を背負って歩き、竹雄達もそれぞれ寒さに耐えながらしっかりとした足取りで歩いている事を確認し、炭治郎は少しだけ後方へと目をやった。

 

(父さん……)

 

 もう見えなくなった我が家に残っているだろう炭十郎の事を思い出し、その無事を祈りながらも炭治郎は別の事へ意識を向ける。

 

(冨岡さんは鬼狩りだって縁壱さんは言った……。なら、もしかして冨岡さんがあの鬼を倒してくれるかもしれない)

 

 淡い希望ではあるがそれがあるのとないのとでは心持ちが違う。炭治郎は自らを鼓舞するかのようにそう思う事で押し潰されそうな程の不安を撥ね退けようとした。

 

『じきに朝が来る。日の光を浴びれば鬼は全て息絶える故に死を恐れてそろそろ逃げ出すはずだ』

「分かったよ縁壱さん。みんな、頑張れ。縁壱さんが夜が明ければ大丈夫だって言ってるから」

「「「「うんっ!」」」」

 

 かつて鬼と戦っていた縁壱からの言葉は絶対の信頼感を有していた。例えその夜明けがまだ少し遠いとしても、いつまで耐えればいいか分からないよりは気持ちが折れずに済む。だから禰豆子達も力強く返事をした。彼女達も感覚的に察しているのだ。ここで一番拙いのは気持ちを沈ませる事だと。

 

「母さん、しっかり掴まってて。少しだけ急ぐから」

「分かったわ。その、ごめんね、炭治郎」

 

 少しだけ肩に感じる力が強くなったのを受け、炭治郎は凛々しく前を見つめる。香ったのだ。背中の母から申し訳なさと悲しさが混ざった匂いを。

 

(母さんも分かってるんだ。父さんがどうして残ったのかを……)

 

 それを裏付けるように葵枝は炭治郎の背中で静かに涙を流していた。

 

(炭十郎さん……っ)

 

 病に侵され余命幾ばくもないと分かっていても、その別れが寿命ではなく化物の襲撃によるものとなれば受ける悲しみや悔しさが異なるというもの。いくら覚悟はしていても、いつか死ぬかもしれないと思いながら平和に暮らすより、何者かに殺されると分かり切っている方が辛く苦しいものだ。

 

 涙する葵枝を見て縁壱は己が無力さを静かに悔やんでいた。

 

(あの時は届いた手を、今回は届かせるどころか伸ばす事さえ出来ない……か)

 

 竈門家の先祖である炭吉とその妻であるすやこ。その二人を鬼から助けた事が縁壱と竈門家の関わりの切っ掛けだ。もし縁壱に肉体があれば、義勇の持つ刀をその手に無惨へと挑んだ事だろう。そして今度こそその命運を断ち切ったはずだ。

 けれど、今の縁壱に出来るのは見る事と言葉を炭治郎へ伝えるのみ。これではどうやっても現状を打破する事は出来なかった。

 

 やがて炭治郎達は三郎という男性が暮らす小屋までたどり着く。すると炭治郎は一先ずそこで禰豆子達には待っているように告げて一人急ぎ来た道を戻った。

 

(そろそろ夜明けが近いはずだっ! 無事でいて父さんっ! 冨岡さんっ!)

 

 ゆっくりと濃度を下げる夜の闇。まるで絶望が薄れていくようなそれを見て、炭治郎は我が家へと急いだ。もし鬼を倒せなかったらきっと凄惨な状況になっているだろう。そんな最悪な想像を振り払うように炭治郎は走る。

 

 全集中の呼吸のおかげもあって、下山時よりも短い時間で我が家が見えてくる辺りへとたどり着いた炭治郎。そこで彼が見たのは……

 

「父さんっ!?」

『鬼舞辻無惨を追い詰めているのか。となると……』

「良かった! 冨岡さんも生きてるっ! けど鬼も生きてる……っ!」

 

 それは頸を持つ腕ごと日輪刀で切り捨てようとする炭十郎の姿だった。近くには義勇の姿もあり、その格好はあちこち傷付いて負傷している。

 無惨はその右足が再生しているが、左足の腱には手斧が突き刺さっていた。そう、無惨は炭十郎から逃げようとした。だがそこを見逃さず義勇が手斧で再度攻撃したのである。それが原因で無惨は動きを僅かではあるが止めたのだ。そして炭十郎が好機をしっかり掴み取った瞬間を炭治郎は目撃したという訳だった。

 

 そしてここへ炭治郎が現れた事。これが、間違いなく決め手であった。縁壱が彼へとある事を教える中、無惨は頸を持つ手を斬られていた。その衝撃で宙へと頸が跳ね飛ばされる。その時無惨は炭治郎の気配に気付いたのか彼のいる方へ視線を向けて目を見開いたのだ。

 

(っ!? あの小僧の耳にあるのはまさかっ!?)

 

 瞬間、無惨の脳裏に甦る記憶。それは縁壱と対峙した際の、忘れられぬ記憶。静かな怒りや悲しみを背負い、自分へ近付いてくる化物の姿。その相手にあった花札を模した耳飾り。一気に噴き出す過去の亡霊。刻み付けられた恐怖と悔しさ。それらが一挙に押し寄せ無惨の思考を停止させた。

 

 そこへ更なる衝撃の発言が炭治郎から放たれる事になる。彼は急いでその場から駆け出しながら叫んだのだ。

 

「父さんっ! その鬼はきっと全身を細かく分かれさせて逃げるっ! っ! だから神楽を全部使って逃がさないようにしろって縁壱さんがっ!!」

(よ、縁壱っ?! あの小僧、今縁壱と言ったのかっ!? どういう事だっ!? 私の逃走方法を知っている以上本当にあの男がこの炭焼きどもに関係しているのかっ!?)

 

 耳飾りによって思考を止められ、そこから復帰しないままに聞かされるかつての己の恥。これまで炭十郎を生まれ変わりと思ってきた無惨にとって、炭治郎の存在と発言はそれらを一気に覆すものとなった。

 何せ縁壱が鬼殺隊を追放された後の詳しい足取りを誰も知らないに等しい。つまり彼が本当に子を設けなかった事を断言出来る者が鬼側にはいないのだ。そこへ炭十郎の呼吸法と剣技に炭治郎の耳飾りときて、とどめが縁壱という名前と無惨が生き恥と感じた際の逃走手段情報だ。

 

(嘘だ嘘だ嘘だっ! あの男に子孫がいて、それもあの呼吸法や私の情報まで受け継いでいたなどとっ!)

 

 錯乱状態に陥る無惨。そんな事は知らない縁壱はある事に気付いて空を見上げた。

 

(曇っている、か……)

 

 もう日の出となっていい頃合いにも関わらず、一向に太陽の光が差さない事。その原因は厚く空を覆う雲だった。それがある意味で一縷の望みを遠ざけていたのだ。

 

(鬼舞辻無惨を滅ぼせる千載一遇の好機だと言うのに……)

 

 これまで無惨は敵を相手に長時間過ごす事などなかった。縁壱相手でさえ、その凄まじさを実感し恐怖心から逃走を計って成功させている。しかもそれ以外ならば苦戦する事なく勝利してきた。

 逆に言えば、縁壱のような炭十郎を相手にし、しかもその前には義勇による時間稼ぎを受けた今回は、無惨にとって初めての長期戦だった。

 

(どうする!? あの男の子孫が残っていただけでも厄介なのに、私の事までも言い伝え続けているとは! しかもあの呼吸法までもだ! ここで全滅させなければ不味いっ! 鬼狩りが関わった以上確実に奴らは保護される! そうなれば見つけるまでどれだけ時間がかかるか分からんっ!)

 

 未だ鬼殺隊を率いる産屋敷一族の居場所が掴めずにいる無惨にとって、鬼殺隊に炭治郎が加わる事は厄介事の種が撒かれるのと同義だった。かつて根絶やしにした日の呼吸。それが甦るだけでなく縁壱の知る自身の情報までも伝わる事となるのだ。

 

 それはこの数百年以上に渡り自身の事を隠し続けてきた無惨にとってはかなりの痛手である。

 

(とはいえこのままでは殺されかねん! 幸いあの死にぞこないはもう持たぬ! 柱の男もそれなりに出来るが何とでもなる! 問題は逃げる前にあの小僧を殺す事が出来るかだ!)

 

 そこで思いつくのはかつて縁壱相手に全身を小さな細胞へ分裂させて逃げた時の事。それなら炭治郎を殺しながら逃げられると思い付き、今回もそうしようとして無惨は気付く。

 まず今無惨の頸は空中にある。そこで分裂すると炭治郎に当たる事なく通り過ぎてしまう。ならば体の方もと思うも、既に炭治郎の忠告通り炭十郎によるヒノカミ神楽が無惨の体を斬り刻んでいた。勿論しっかりと的確に残る心臓や脳を狙ってだ。

 

(駄目だっ! 今は小僧を殺せぬっ! こうなれば頸がもう少し落下するまで待つしかないっ!)

 

 幸いにして頸のある位置が炭治郎の目線まで来るのにそう時間はかからない。もう勝ったと思っているだろう炭十郎達の表情が絶望に変わるのもすぐだと、そう思っていた無惨へ残酷な現実が突きつけられる。

 

 それはそれまで空を覆っていた雲に裂け目が生じてきた事。つまり朝日が差し込み始めたのだ。

 

「っ?! 既に夜が明けているだとっ!?」

 

 長期戦の経験など皆無な無惨が失念していた事が牙を剥いて襲いかかってくる。今は所々しか日が差していないがいつ雲が無くなるか分からない。そう無惨が思った時だ。

 

(っ! 今なら小僧を殺して逃げられるっ!)

 

 遂に頸の位置が炭治郎を通り過ぎない高さとなったのだ。迷わず無惨はここで切り札を切る事にした。

 

「鳴女っ!」

 

 この時鳴女はやっと呼ばれたと思っていた。そう、使い魔を通じて無惨の様子を見ていた彼女は、何度となく助けるべきかと迷っていたのだ。もしも、もしも無惨が鳴女に自己判断で動く事を許していれば、彼はその命脈を絶たれる事はなかった。あるいは無惨が上司として器が大きい存在ならば勝手な判断で鳴女も行動したかもしれない。

 何故ここまで鳴女が無惨の命令あるまで反応しなかったかは、結局彼の普段の言動が原因なのだ。天上天下唯我独尊を地でいく性格と思考。それ故配下への接し方は劣悪の一言。結果を出してもそれが当然と平気で言い切り、挙句少しでも失態を犯せば容赦なく責め立てる。鳴女が下手に無惨を助けようと手を出せば激しい叱責や処罰を受けると恐怖しても仕方ない。

 

 こうしてようやく無惨からの命令に従い鳴女が救出へ動く。炭治郎の後方へ出現する襖。それこそが鳴女の血鬼術。その襖が開き、炭治郎の後方に不気味な空間が姿を見せる。そこは無限城と呼ばれる無惨の隠れ家だ。

 

(よし、これであの小僧を貫いて逃げられる)

 

 だが分裂しようとした瞬間、襖が消える。

 

「なっ?!」

 

 丁度襖の出現した場所へ日の光が差し込んだのだ。血鬼術で生まれた襖が日の光によって消えてしまったのである。鬼は日の光によって死ぬ。ならばその能力も同様なのは考えれば分かる事だ。

 何とか陽射しを避けて出現する血鬼術による襖。けれどその努力を嘲笑うように陽射しは差しこむ場所を増やしていく。

 

「鳴女っ! 鳴女ぇぇぇっ!! 私を助けろぉぉぉぉっ!」

 

 その言葉に呼応して陽射しの差していない場所へ複数の襖が開いた状態で出現する。だがそれらもすぐに消えてしまう。頸はまだ日陰にいるため陽射しを浴びないで済んでいたが、襖はそれよりも大きいために陽射しを浴びてしまったのだ。

 

 最早襖が出現する事はなかった。力を使い過ぎたのか、はたまた無駄と諦めたのかは分からない。あるいは開いた襖を通じて差し込んだ陽射しで鳴女が滅んだのかもしれない。とにかく陽射しを直接浴びずに無惨へ手を出せる手段はなくなったと言える。

 

「誰でもいいっ! 私をっ! 私を助けろぉぉぉっ!!」

 

 その命令に誰か助けに来る事はない。それに例え十二鬼月が来たとしても無惨の救出は不可能だっただろう。既に雲はどいて完全に太陽が姿を見せていたのだ。

 

 全ては無惨に刻まれた縁壱の記憶が原因だった。かつては縁壱の残したものを全て消し去る事で不安や心配事の種を取り除けた無惨だったが、今回炭十郎の姿と活躍を現役の柱が目撃した事で日の呼吸の復活は防ぐ事は出来ないと確信出来てしまったのである。

 更には竈門家に無惨の情報が言い伝えられていたと誤解させた事も大きい。縁壱は、その兄が鬼になった事に加え当時無惨の傍にいた側近の女性鬼を見逃した事もあって追放処分となったが、それから数百年の歳月が流れた今、竈門家に代々伝わる呼吸法を忌み嫌う者が出るはずもないと無惨は悟っていたのだ。

 

 そう、皮肉にも縁壱に繋がる事を消し去った事でヒノカミ神楽が鬼殺隊へ取り入れられない可能性を潰してしまったのである。

 

(あの時はあの男の寿命を待てば良かった……。だが今回はその手が使えん。あの息子がいる以上、確実に日の呼吸は再興する……。そして、またあの死にぞこないのような者を、いやあの男のような化物を生み出す……。そうなれば私に安寧の日々はやってこない……っ)

 

 温かく眩しい光を浴びながら断末魔さえ上げる事さえ出来ずに鬼舞辻無惨はこの世から消えていく。清浄なる光と熱が邪悪な鬼を浄化し、後に残ったのは戦いの名残とも言うべき溶けた雪と血の跡だけ。それ以外は何も残さず、鬼舞辻無惨という名の災厄は消えたのだ。

 

(これで鬼の悲劇は終わる、か……。兄上……)

 

 柔らかな日差しの中に消えていった無惨を見送り、縁壱は一人静かに目を閉じる。自分が経験したような悲劇がもう起きぬ事を喜び、最愛の兄がやっと正しい形でその生を終えられた事を思って。

 

 そして、もう一つ無惨達と共に消え失せていこうとするものがある。

 

「終わった……かな……っ」

 

 戦いを終えた炭十郎は日輪刀を支えにするように雪の大地へ膝を付いた。すると同時に多量の血を吐き雪を赤く染める。

 

「炭十郎殿っ!?」

 

 残った寿命を全て使い潰し、その命の灯を燃やし尽くした炭十郎。その最期が、迫っていたのである。

 慌てて駆け寄る義勇だったが、医療の心得がない彼にも分かる程炭十郎は衰弱していた。もう生きているのが不思議なくらいに顔色は悪く、肌艶も良くないのだ。

 

「……炭十郎殿」

 

 かける言葉を見失い、ただ名を呼ぶしか義勇には出来ない。そんな彼へ炭十郎は微かに笑みを返すのみ。もう喋るのも辛いのだろうと、そう思って義勇は強く拳と握り締めた。

 

(情けないっ! 仮にも柱と呼ばれておきながら、炭十郎殿ばかりに負担を強いてしまうとはっ!)

 

 自分の無力さを責める義勇だったが、その手へそっと触れる物があった。

 

「富岡さん、っありがとう。貴方の、おかげで……私はっ……家族を、失わずに済んだ」

「炭十郎殿……」

 

 話すのも苦しいのに自分を慰めるために口を動かす炭十郎の姿に義勇は胸が苦しくなった。それでも、その気遣いに感謝するように彼はそっと拳から力を抜いた。自分を責めるならば炭十郎が眠った後にしようと、そう考えて。

 そうしなければ目の前の男はまた自分を気遣ってしまうだろう。死を目前にした者へこれ以上負担をかけたくない。その想いで義勇は感謝を示すために小さく頭を下げた。その行動に炭十郎は静かな笑みを返す。そこへ無惨撃破の影の主役が現れる。

 

「父さんっ! 冨岡さんっ!」

「炭治郎、どうして(お前が外にいる。家の中で寝ていたんじゃないのか)……?」

「まさか戻ってくるとはな……」

 

 目に涙を浮かべて駆け寄ってきた炭治郎へそれぞれの反応を示す義勇と炭十郎。疑問と苦笑という二つの反応に構わず、炭治郎は父からの匂いが薄くなっている事に涙を流しそうになっていた。

 

(父さんの匂いが全然しない……。こんな事初めてだ……っ)

 

 もう先が長くない。いや先がない。炭治郎の嗅覚はそれを彼にしっかり理解させてきた。大好きな父はその人生を終えようとしているのだと。

 潤んだ瞳を見せまいと俯く炭治郎へ炭十郎は力なく笑うとその手を動かす。普段ならばすぐの動作も、今の炭十郎では少しの時間がかかってしまう。やがて炭十郎の手は炭治郎の頭へ置かれた。弱々しい温もりに炭治郎が顔を上げると、そこには父の優しい笑顔があった。

 

「炭治郎……ありがとう……っ。お前のおかげで、あの化物を……っ、逃がさずに済んだ……。縁壱さんにも感謝……していると……伝えてくれ」

「父さん……っ!」

『それは私の方だ。私が出来なかった事を、炭十郎は、いや炭十郎殿はやってくれたのだから』

「っく……父さん、縁壱さんがね、自分が出来なかった事をやってくれて感謝してるって」

「そうか……」

 

 もう声にも力がないと、そう誰もが気付いていた。炭治郎は涙を流すものかと顔へ力を入れるが既に泣きそうで、義勇は辛そうに唇を噛み締め、縁壱さえも何かを察して遠い目をしている。

 

 一人炭十郎は息子の顔に幼い頃の面影を見て苦笑すると、空を見上げてどこか満足そうに微笑んだ。そこには雲一つない晴れ渡る空があった。

 

「あぁ、いい天気だな……」

 

 それが、竈門炭十郎の最後の言葉だった。目が独りでに閉じ、全身から力が抜けて、炭治郎の頭に置かれた手がゆっくりとそこから落ちて離れていく。

 

 ──父さんっ! 

 

 冷たい空気を震わせて炭治郎が叫ぶ。それを聞いて義勇はそっと顔を逸らし、縁壱は空を見上げた。その直後、その場に炭治郎の父を呼ぶ弱々しい声が聞こえる事となる。

 

 こうして竈門家の一番長い夜は終わりを迎えた。それは同時に、鬼による恐怖の夜の終わりでもあった。

 

 その後、炭十郎の葬儀を終えた炭治郎は義勇の頼みで鬼殺隊本部を訪れる事となる。あの無惨戦の報告を義勇が行ったのだが、縁壱絡みは炭治郎から直接聞きたいと鬼殺隊を率いていた産屋敷輝哉が希望したのだ。

 

 そうして炭治郎はお館様と呼ばれる産屋敷輝哉との面会を果たし、炭十郎の代わりに義勇と共に無惨の最期を語った。

 長年の悲願が果たされた事を鎹烏の報告で知った時は狂喜乱舞した輝哉だったが、改めてその一部始終を聞くと驚きと共に申し訳なさを声に滲ませた。

 

「そうか……。私達は君の父親を犠牲にしてしまったんだね」

「お館様……」

 

 まだあどけなさが残る炭治郎を見つめ、輝哉は悲痛な表情を浮かべる。

 

「申し訳ない事をした」

 

 無惨が死んだためか体の調子も多少ではあるが回復し、妻であるあまねの助けなく動けるようになっていた彼は、その結果をもたらしてくれた恩人の息子へ静かに頭を下げた。

 するとそれを見た炭治郎はどこか困った顔で頬を掻いた。

 

「頭を上げてください。その、気にしてません。だって父さんは、きっと犠牲になったなんて思ってないはずです。いつか死ぬなら少しでも大切な家族を守りたいって、そう思っていたんじゃないかなと思います。だから犠牲じゃないんです。父さんは、人として精一杯生きて、自分が胸を張れる生き方を貫いたんだと、そう……思います」

「……そうだね。炭治郎君、君のお父上は立派な方だ。一度、会って話をしてみたかったよ」

 

 それは輝哉の心からの言葉だった。同じ父としても、一人の人としても、会って話を聞いてみたかったと、そう思ったのだ。

 自分と同じく病魔に侵されながらも、その命を燃やし尽くして家族を守り抜いた存在と。

 

「なら、一度家に来てください。もう父さん自身は話せないですけど、家族みんなで父さんの事を教えますから」

「……そうだね。必ず行かせてもらうよ。私自身の口から、竈門炭十郎さんへ感謝を言いに行くためにも」

「はいっ! きっと父さんも母さん達も喜びますっ!」

 

 太陽のような笑顔を浮かべる炭治郎に輝哉は小さく微笑んで頷き返す。自分も子供達にこんな顔をさせてやれるようにしようと、そう思って。

 

(私もきっと先は長くないだろう。だからこそ、彼のように子供達が笑えるようにしないといけないな。もう鬼舞辻無惨は死んだのだから……)

 

 長きに渡る因縁。それに終止符が打たれた今、もう産屋敷家にかかった呪いは消えた。なら自分の子供達はその暗い宿命から解き放たれて明るい道を生きて欲しい。その気持ちから輝哉も生まれて初めての晴れ晴れとした笑顔を浮かべる。

 

 それは産屋敷輝哉がやっと一人の父親に戻れた瞬間であった。

 

 時同じくして鬼殺隊はその規模を縮小し、その一年後解散の運びとなる。と言うのも、縁壱からの情報で無惨を倒せば全ての人へ害を為す鬼が死滅すると確約されたためである。

 その証拠に鬼殺隊の選抜試験を行う籐襲山から鬼が一匹残らず消えたのだ。それでも念のためにと一年調査と警戒を続け、ようやく鬼の被害無しとの報告と事実を以って鬼殺隊は不要との結論を出せたのだから。

 

 こうして、人知れず鬼から人々を守ってきた鬼殺隊はその姿を消した。呼吸法と日輪刀はその役目を終えて眠りにつく事となる。ただし完全に消え去った訳ではない。何故なら、悪鬼滅殺との文字が刻まれた一振りの刀が素朴な鞘に納められて竈門家の居間に飾られていたのだ。

 

「よし、じゃあヒノカミ神楽を教えるからな。ちゃんと覚えてくれよ、竹雄、茂」

「「うんっ!」」

「お兄ちゃん、頑張って」

「竹雄も茂も無理はしないようにね~」

 

 炭治郎の声に元気よく返す竹雄と茂。そんな三人へ花子と六太を抱き抱えた禰豆子が声をかける。葵枝はその様子を家の中から微笑みながら見つめていた。

 

「ふふっ、みんな今日も元気ね」

 

 庭先で炭治郎の動きを真似する竹雄と茂だが、やはりまだまだ難しいのかすぐに動きが止まっていた。それを花子が笑い、禰豆子が苦笑する。すると、それに竹雄と茂が文句を言い出した──ところで六太が泣き出し全員で慌てたのを見て葵枝の笑みが深くなった。

 

 そんな絵に描いたような平和を見て縁壱は一人笑みを浮かべた。

 

(きっと炭治郎が亡くなればもう私の声を聞ける者は出ないだろう。それでも、私はこの家の者達を見守り続ける。この家の者達が、あの神楽を舞い続けてくれる限りは……)

 

 あるいは近い内に成仏するかもしれないと縁壱は思った。この世への未練は無惨が討たれた事で無くなったと言っても過言ではなかったためである。

 そう思ったからだろうか。縁壱は意識が遠くなるのを感じた。まるでどこかへ引っ張られているような感覚もしてきた縁壱は、これが成仏かと思って呟く。

 

(兄上、私も今から御傍に行くやもしれません……)

 

 静かに縁壱の体が上空へと舞い上がっていく。最期の別れと思い縁壱は視線を下へと向けた。そこにいる仲の良い竈門兄妹の姿を目に焼き付けるように。

 

 と、その時だった。泣き続けていた六太が空を見上げて泣き止んだのは。六太は目が合ったのだ。そう、縁壱と。

 不思議そうな表情の六太へ縁壱が戸惑うように視線を返す。それを受けて六太は手を伸ばして微笑みかけた。その笑みに縁壱は自身に起きていた感覚が薄れていくのを感じて小さく笑う。

 

(兄上、申し訳ありません。まだ、私はそちらへ行けそうにないようです)

 

 自分を見つめて笑う幼子へ微笑んでから縁壱は空へと目を向けた。そこにはどこまでも続く青い空と白い雲、そして眩しい太陽がある。その先にいるだろう兄へそう心の中で詫びて、縁壱はどこか楽しそうに言葉を紡ぐ。

 

『炭治郎、どうやら六太は私の事が見えるらしい』

「ええっ!?」

 

 そこからまた炭治郎達が騒ぎ出すのを眺め、縁壱は思うのだ。未練がまた出来たと、そう心から思って彼は笑う。

 

 ──いつになったら私が成仏できるのか、楽しみだ。

 

 見守って居続けたいと思わせる、幸せそうな家族を眺めて……。




これが短編としての終わりです。
縁壱さん、竈門家見守りエンド、でしょうか。

今作は次回か次々回で終わった方がいいか

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