悪魔とモルモットの等価性について   作:ウィルデンシュタイン

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1.abstract:My road

光がある。

照らされた場所は幾つかのきらめきを持っていた。

 

ビーカーやバイアルといった化学実験用の器具に加え、女性がひとり照らされている。

細い身だ。白衣を纏い栗毛をまばらに切りそろえた頭上には、筒に近い形状の獣耳がある。

ウマ娘だ。

しかし、彼女は眼を伏せ、光を映さないまま光源へと言葉を投げかけた。

 

「それで?私の脚には欠陥がある。そう言いたいんだね?」

返答は即座に返ってきた。

 

「いいえ」

一息、

「ただ──タキオンさん、あなたの走りには迷いと怯えがあった。全力を出すことへの」

 

黄緑色を発する光源は、痩躯の男性の形をしていた。

輝く男が実験室に立っている。

 

 

……ふぅン?知ったような口を効くようじゃないか。

「重要な試薬を3本強奪してここまで押しかけて言うに事欠いてソレかい。

目的はなんだい?君に割く時間は本来ゼロだが……」

眼を見開く。

「このアグネスタキオンに対して仮説を立てた以上、講釈くらいは聞いてやろうじゃないか」

 

眼前に居るのは私より二回りほど年かさの男だ。

髪にも服にも清潔感を保つ程度には気を使っているようだが、それだけだ。

螺子がゆるみ、ずり落ちかけた眼鏡がかろうじて特徴となるだろうか。

 

しかし彼は淀みなく続ける。

「焦りがなかったんですよ」

「……続けたまえ」

 

頷かれる。

「退学寸前、トレーナーは無し、選抜レース不出場、そしてあの“皇帝”との対戦

まっとうなウマ娘なら全力を出しきるか、焦りから掛かって惨敗するか、です」

 

けれどね、と指が立つ。

「あなたは、あなたに勝ちを譲り機会を与えるために“流した”シンボリルドルフに、微差で負けた

……全力で走れない理由が、あったんじゃないですか?」

 

聞いた。だから言ってやる。

「論理が滅茶苦茶だ。単に全力で走ってあの程度だったのかもしれないよ?」

「あ、バレました?」

 

そりゃそうだ。

「心理学はしろうとだろう、君。

前職は……」

 

遮り、男が回り込んで対面に座った。眩しいからやめろ。

「化学関係ですね。爆弾と煤が出るだけの煙幕弾の違いがわかる程度の、

……あなたが、教員と学生を遠ざけるために、

いくつかのトラブルを起こしたことがわかる程度の」

 

「ずけずけ言うねぇ」

「心理学が専門じゃないもので」

 

指をさして笑ってやった。

「それでなんだい。学園に馴染めない、才能もないウマ娘に、

ありがたくもトレーナーになってやろうと?」

「正しいですが正確じゃありません

この学園を選んだ、才能あるウマ娘以上の何かが、消えるのが惜しいと思ったんですよ」

 

おいおい。

「ずいぶん調べたんだろう?私の目標は“ウマ娘の限界速度、その突破”だよ?

研究はまだ始まったばかり。言うに事欠いて“ウマ娘以上”とはなんだい?」

 

彼は腕を組んで首を傾げる。

「こーいうときは逆に質問で返すのが定石だと思うんですが、怒ります?」

「許可する。聞いてから怒るよ」

はははと笑って疑問が来る。

 

「ウマ娘でない者が、ウマ娘に勝ちうる要素はなんだと思いますか?」

「論理的脳機能だろう。運動を司る部分以外に関しては同等。

翻っていうならそれくらいだ。100m未満、超短距離走の記録も、とっくの昔にウマ娘のものだ」

 

ええ、ホワイトボードをお借りしますね、と男が瞬いた。……この副作用は記録しておこう。

壁際まで移動した彼が水性ペンを取る。

白板を横断するように矢印、そこに1000、2000、3000と数字が等間隔。

 

「短距離、マイル、中長距離。ウマ娘の活躍の場は多岐に渡りますが……」

カツ、と音をたて、それぞれの数字そのものに丸がつけられる。

「レース制度も、レース場も、距離の単位も概念も、ウマ娘でない者なしには成り立たない」

 

……なるほど。さて怒るか。

「結論は論文の最初に書けと教授に習わなかったかい?

簡素に言いたまえ簡素に」

「最初に言ったので言い換えますね」

 

流される。光る指を立てられて一言。

「あなた、ぶっちゃけこの20近く上のおっさんより賢いでしょう。

あれだけの作用と副作用を持つ試薬をこれだけの設備で?」

 

一息、

「狂ってる。あるいは常識を超えてる。

正規の手段を通していない以上論文はハネられてますが、怯えている先生は沢山おりますよ。

天才がいると」

 

「結論は言い切りたまえよ?」

「肉体的にはあの“皇帝”と拮抗し、頭脳面では歴史の偉人に名を並べるであろう、万能の天才

あなたこそ、“ウマ娘の限界”なんですよ──ハタから見ればね」

 

「なるほど、それがキミの仮説か」

つまり、

「その“ウマ娘の限界”がトレーナーを拒むようなマネをする理由を、こう推論した

……脚に問題がある。そのケアは並みのトレーナーではなく、

“万能の天才”でなければ成しえない」

 

だったら。

「答えたまえ。君にできることは何がある?」

言う。

「君に探偵もどきの才覚があることはわかった。それで何ができる?」

彼は丁寧にペンをしまい、私に目線を合わせた。

 

「とるに足らないことを、いくらでも」

「安い口説き文句だな」

「いや、ほんとうに素寒貧なんです。トレセンへの受験で大方使い果たしまして……

トレーナー資格、わずかの生化学知識、あとは、」

一息、

「35年分の人権、くらいですね」

 

……ほう。

「例示したまえ」

「あなたの競争ウマ娘としてのキャリア以内に、僕が役を果たせなくなるようなこと──“以外”」

「事務手続き」

「さんざ勉強しました」

「栄養管理」

「ここ30年近く自炊でして」

「投薬は」

「オブラートは要りませんよ」

「監禁」

「家族は悲しみも怪しみもしません」

 

ふぅ、と息をつく。

「マゾヒストめ」

「快楽を感じてはいませんよ、念のため……」

 

似たようなものだ。

「いいだろう、契約だ。

まずは退学の回避。残りは成人男性として実験動物になりたまえ」

だから手を差し出す。それくらいはしてやっても良いだろう。

 

「改めて、アグネスタキオンだ。

これから人権を失う君、なんと呼ばれたい?」

「そこ、僕に決める権利あるんですかね?」

 

いちいち突っかかるので言う通りにしてやる。

「……モルモット。モルモット君と呼んでやろう。

実験動物にはお似合いの字名だろう?」

 

後から考えれば、私はここで気づくべきだったのだろう。

この男の、眼鏡越しの、泥のような瞳の意味に。

けれど、

 

「ええ。よろしくお願いします──タキオン(不在粒子)。」

私が果てを見るまでの道は、ここで閉ざされたのだ。

 


 

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