「2時間後、トレーナー室で」
それ以上、モルモットは何も語らなかった。
ひどい顔色だと見えたのだろう。お互い様だ。
ともあれ脚も痛めば眼も霞む。
……一度寮に帰り、仮眠をとろう。
やっとそう結論した矢先だった。
「よう。付き合えよ」
三女神像の広場。
エアシャカール。月の見えない曇天の下、数字の狂信者がそこにいた。
◆
「やれやれ、何に付き合えというんだいシャカールくん。
まさか私の今回の走りから有意なデータでも取れたのかい?」
「わかってンなら事実だけ話すぞ」
ピアスの彼女は続ける。
「最初はスカーレットだ。“なにか……いやな予感がするんです”ッてな」
「ありがたいことだねぇ。心配されるというのは」
「次にデジタル。黙って体調を崩した」
「ふむ、ウマ娘の観察が上手くいかなかったのかな?
いい薬を処方してあげようじゃないか」
「最後にマンハッタンカフェ。
──“タキオンさん、最近こっちを見ないんです”だとよ」
「忙しかったからねぇ」
わかンねぇかな、と溜息。
「ここまで異常視されてンのに、気付きもしねぇヤツだったか、オマエは」
「シャカール君も同じ結論に至ったと?」
そこまで逸りゃしねぇがよ、と前置いて。
「ソレ聞いてデータを引っ搔き集めた。
トレーニング、レース、手前の食事と寝起きのタイミングまで。
──何と一致したと思う?」
「明日を生きる賢明なウマ娘?」
即座に距離が詰まり肩がホールドされる。
「引退直前のロートルだ馬鹿野郎!!
いいか!?
手前が身体になンかしら問題抱えてるッて事実、気付く奴は気付きはじめてんだよ!!」
◆
ふぅン。
「だから?」
「だからここ数戦、オマエのレースを分析した。問題はなかッたよ。
──今回の菊花賞、“あきらかにペース配分が違う”レース以外はな」
なんだそんなことか、と溜息。
彼女の頬に手をやる。
「君は優しいねぇ。
勝つ気で条件を整え、ただ負けた私に“みんな心配しているよ”とは」
言うと、距離を戻された。
「浅くなったな」
「……自分が深みに居るような物言いだねぇ?」
ちげェよ、と頭を掻いて吐き捨てられる。
「菊花賞は“最も強いウマ娘”が勝つってのが定説だが──糞喰らえだ
勝者に強者ってラベルが着くだけだ。あらゆる状況、全ウマ娘と環境の相互作用で勝敗が決まる」
「当然だろう」
「メンタルだのスピリットだのを突っ込んだ、カオス系の理論はオマエの専売じゃなかったか?
それともアレか。脚折れてもいいって気概で行けば、確実に勝てるとでも思ってたか?」
そンなら、と一息。
「欠けのない“努力する天才”や……故障からも這い上がる“本物”には勝てねェぞ」
「……何が言いたい?」
数値を、現実を識る者はこちらを睨んだ。
「ありふれてんだよ。
脚に爆弾を抱えた天才。だからこそ、少々違う手段に手を伸ばした」
一息、
「“それだけ”ならな。
オマエが違ェのは……その目標値が“ウマ娘の範疇”からすら出てること
つまり──とんでもねぇバカだってことじゃなかったのか?」
「しかし今回は違った。だから勝てなかったと?」
「あくまでレースを“実験として”勝負を無視すンなら、
オマエの“実験結果”の下に並ぶ最低フタケタのウマ娘とそのトレーナー。
オマエが抜き捨てていく“ウマ娘”って概念を無視すンなってことだよ」
その眼は、らしくなく伏せられていた。
「その中には、キミたちも居るのかい、エアシャカール君」
「昨日の話し合いの結果が“マンハッタンカフェなら今のオマエに普通に勝てる。止められる”だ。
……高々10年のウマ娘のキャリア、棒に振るつもりならエビデンス揃えて来い」
「死ぬでもあるまいに。研究は脚がなくとも続くよ?」
聞いて、ぎゅるりと彼女の瞳孔が縮まる。
「ウマ娘の現状限界速度、70km/h。
限界を超えた景色は白でも黒でもねェ……きっと、真っ赤だぞ」
「それを望んでる」
そうかい、と一枚のコピー紙を押しつけ、彼女は背を向けた。
「マジでそれが望まれてンのか、読んで考えろ」
内容は、
「発光物質によるタンパク質の標識。3年前の日付、名義は……モルモット君」
しかし、
「4年前に、私はこの理論を学会に投稿しているぞ……?」
The Dirty Jobs