悪魔とモルモットの等価性について   作:ウィルデンシュタイン

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5.consideration:My soul

闇がある。

 

深夜と言うには浅い時間、トレーナー室に男がいる。

彼は光らず、動かず、ただ両の掌を組んで机の対面に。

 

第一声はこうだった。

「今回は、本当に残念でした。

──全ては僕の責任です」

視線は3年前の書付から動かない。

 

「おいおい。

分かち合うならともかく、敗北の味まで奪っていくつもりかい?」

それよりも、

「出会った日、君の前歴を聞きはしたが……動機を聞きはしなかったね、モルモット君

なぜ、私に匹敵するレベルの生化学者が、この中央トレセン学園にいた?」

 

「ええ、ですから残念なんです

──あなたを壊し損ねた」

やっと顔を上げたモルモットは、にっこりと笑っていた。

 

 

「……なんだいそれ」

もはや光り輝かぬ実験動物に問う。

「私の目的、ウマ娘の限界の果てを見るんじゃあなかったのかい?」

 

理由はわかるがね。

「君は……おそらく数年、十数年をかけて、生物発光に関する理論を作り上げた

しかし、それはこの小娘が“副作用”程度に、余技で生み出せる程度のものだった」

 

ええ、と彼は笑みで頷く。

「僕、昔からそこそこ優秀で小器用でして。

いい大学、いい企業、いい研究でいい社会貢献、いい生活──のはずだったんです」

彼の視線は動かない。

「ですけどね。やっとまとまりはじめたその研究、

腫瘍をはじめとした生体患部の特定に役立つはずのそれ。

“アグネスタキオンが卒業するのを待つほうが早い”ってことになりまして」

 

「ウマ娘より速い人間はいない、か。

……その結果、私は君から奪ったんだな」

人間のスポーツの栄光を、ウマ娘が奪い続けているように。

 

「ええ、しかし──僕はそこそこ優秀で小器用でした。

中央トレセン学園のトレーナー試験倍率はご存じですよね?」

「狭き門だ。この国の、いや、世界でもっとも輝かしい世界に触れる人間になるのだから」

 

「ええ。その権利を、僕はあなたに加害するために奪い取ったんです

“アグネスタキオン”がトレーナーについていないという情報は買えましたからね。

あとは理解を示せばいい」

「その後は?」

 

「もちろん、胃袋を握らせて頂きました。

あなたが禁止薬物でも盛られてレース資格剥奪、なんてのは滑稽で良いと思いましたが

……あなたの眼が、どうしてもね」

「まさかここから口説くつもりかい?」

 

「あ、そっちも考えましたが、心理学専門じゃないので

顔がオメガ好みとか声が耳から離れないとかその辺言っても無為でしょうし」

彼は指を立てない。

「ま、似てた……というか、上位互換だったんですよ。

知れば知るほど──僕自身の」

 

「ウマ娘だからねぇ」

「10年かけた研究が小娘に潰された苦しみも」

「私はここまで、年齢と同じだけかけているからねぇ」

「僕はいたって健康ですし」

「私は脚に難がある──」

 

「つまり、幸福でも不幸でも勝てなかったわけです。

精々使えたのは、成人男性であることくらいだった」

彼の瞳は変わらない。どろりと濁った赤泥のままだ。

 

「その、“精々”を使えば、私はもうこの世にいなかっただろうに。

──なぜ尽くした?」

答えろ。

「どうしてモルモットになんかなったッ!?」

 

答えは一言だった。

 

「言い訳をさせないため」

彼は息を吸う。

「僕のような外的要因によってでは、“僕のせいで”なんて言い訳できてしまうでしょう

……それは確かにあなたを傷つけるでしょうが、それでは足りない」

 

だから、

「あなたにとって最高のトレーナー、最高の環境、最高の実験、

最高のレース、最高の結果をもって」

 

吐き出される。

「あなたの目標、“ウマ娘の可能性の果て、その先”が、存在しないことを証明させる」

 

つまり、

「アグネスタキオンという空想科学を根本から否定すること。

これが、僕の菊花賞における目標でした。──失敗しましたがね」

 

 

ははは。なんだいそれ。

「ただの献身的なトレーナーじゃないか……」

「意外そうですね」

「君こそ蠅みたいに指を振る癖はどこに行った」

「嘘吐くときの癖でして……」

 

「それじゃあなにかい」

弁当の味も、

紅茶の渋みも、

トレーニングの苦しみも、

二冠も、

あの言葉も、

「嘘かい?」

 

「嘘ですが事実です」

ともあれ、

「回答には回答で返してほしいです。構いませんか?」

 

「打ちのめされたいなら構わないよ?」

いいですよ、と彼は親指を立てる。

「どうして、実験を始めたんですか?」

 

「知ってるくせに──」

「脚の爆弾。しかし、現実(データ)と感情は異なります」

……はぁ。

「“G1を数勝して折れる”。そういう脚だってこと。

……自分のことが、誰よりもよくわかっていたからさ」

 

「多くのウマ娘が目指して夢破れる段階です」

「その通り。

……夢のかけらだけを見せつけられて、そこで終わる。

私は(ドリーム)には届かない」

あんまりだろ?

「時間制限付きの天才。煌めき(トゥインクル)に眼を焼かれて、

そのあとずっと“走れないウマ娘”として生きるんだ」

 

わかるかい、と両腕を広げ、世界を抱くように。

「この世の栄冠、頂点にはウマ娘がいる。

その輝きを、光を、“半分だけ”見せつけられて……そこで終わる!!

私は、物心ついた瞬間にそれを理解したのさ」

 

「よくある話ですね」

「よくある話だろう?」

だが、

「──私は天才だった」

 

「自分で走り続けるにせよ、その技術を他のウマ娘に預けるにせよ、“わずかな望みがあった”

そうですね?」

おや。

「気付いていたのかい。プランBに」

「用意される薬剤がことごとく“ウマ娘用”で“アグネスタキオン用”でないものですから」

 

そうかい。

「ともあれ、あとは実験だ。君という都合のいいモルモットを手に入れて、研究は飛躍し……

まだ私の脚は折れておらず、しかし2冠で止まった」

彼は手を揉んで。

「大戦果でしょうに」

 

違うんだよモルモット君。

「私があこがれたのは、憎んだのは、焦がれたのは、“ウマ娘”だ

たとえプランA、私の選手生命の延命が叶ったとしても──その後、私が死ぬまでプランBは続く

おぞましいことだ」

 

つまり、

「そのプランBを、私の証明とするために。

“ウマ娘”という概念をぶち壊す。“ウマ娘の可能性の果て、その先”を焼き付けることで──

歴史を、“タキオン(不在粒子)は存在した”という証明の以後とで書き換える」

 

一息、

「そのために、世界を実験(ため)していたのさ」

 

 

さて。

「感想はあるかい?」

「よくお互い黙ってここまで来たなぁ、と。

あなたは?」

 

そうだなぁ。

「私の顔と声が好みだと言ったね?」

「お恥ずかしいことに、脚と性格も……」

「お互い様さ。

出会って見透かされて侮辱されたあの日、私は少しだけ、

──安心したんだ」

 

「今はどうです?」

「願いと引き換えに悲劇を約束する悪魔。ありふれた話だ」

彼は眉根を寄せ、

「悲劇になってないから困ってるんですが……」

それに、

「“思考実験にて理想的な働きをする架空存在”も悪魔と言うそうですが、

“タキオン”さんは自覚はおありで?」

「速度限界超えられずに困ってるねぇ……」

 

しかし、

「君こそ、どうして話した?」

「大目標が頓挫したら心情を打ち明けて仲直り&パワーアップするのがお約束では?」

「お互い呪い合う関係でもかい?」

「その辺は実際怪しいと思いますがね……他に手がないんですよ」

 

……信じられてはいるんだねぇ。

「前提から整理しようか。

……“ウマ娘の速度限界、その先”。存在しないという論拠はあるのかい?」

 

そうですね、と彼は姿勢を正す。

 

「ウマ娘に限らず……ヒトには、二種類居ると言われます」

息を吸い、

「逃げるもの。時代のくびきから脱出すべく、重圧を振り切っていくもの」

息を吐き、

「追うもの。時代そのものとなり、世界を動かし、吞み込んでいくもの」

にっこりと笑って、

「あなたはどちらでもない。歴史を見るつもりがない。いや──

歴史を壊すつもりでいる。“勝ち負けを見てない”」

 

「悪いかい?」

「憎まれるでしょうね」

だって、と彼は眼前で合掌。

「社会の中で認められることより……自分の満足できること、エゴのために社会を害す女。

僕はあなたにそう言っているんです。アグネスタキオン」

 

「その手つきは真かい?偽かい?」

「言いたくないことをいうときの癖です」

だって、

「そりゃそうでしょう。

もしも、もしもあなたが“ウマ娘の、ほんものの限界”を見つけ出し、ねじ伏せたなら……」

一息、

「現行のウマ娘と、トレーナーの努力を、あざ笑うことになるんですから

“お前らはずっと間違っていたのだ”とね」

 

……奇しくもシャカール君と同じことを言うんだねぇ。

彼女はレースへの態度。彼はウマ娘社会の観点から。

けれど、

 

「全く正解だよ。私は愚かなエゴイストだ」

 

 

彼は汚れたレンズ越しに私を見つめる。

「では、どうしますか?

──“僕”にはもう、これ以上の可能性が思いつかないんです」

立ち上がり、彼に背を向ける。

 

私は棚から目当てのものを取り出す。

「プロトVRウマレーター。覚えがあるね?

没入型の脳接続装置、ウマ娘の運動関連脳機能を再現できる優れモノさ

……改造し、安全機能を取り払えば、運動以外の脳機能を再現することもできる」

「まさか」

 

そうだよ?

「君はこれから、憎い憎い、大嫌いなアグネスタキオンとして──

荒唐無稽な空想科学実験を繰り広げるのさ」

 

 

「……副作用は」

「幻耳痛、幻尾痛、実筋力と脳の不均衡、紅茶党への味覚変異、そのほか記憶混濁」

そうだね。

「あとは……痩せぎすで眼鏡の、化学知識を持つ男性に視線が向くかもねぇ」

 

「予測される効果は?」

「本当に私の下位互換になれる。君がイカれてると評した脳機能の、7~8割が引き出せるはずだ」

「人権捧げてそれですか……」

「寿命も縮むよ?」

 

彼はヘッドセットを掴みあげる。

「悪魔の機械ですね。

存在すると知れただけでこの世は変わる」

 

そうだよ?と、彼に薄汚れた眼鏡の代わりを差出しなから問う。

「私の運動野を再現する際の副産物だが……

不完全な記憶と不完全な知能とはいえ、魂の断片と言っていいものだ。

二人分の人格をウマ娘ならぬ脳に仕込むんだ。苦痛は保証する」

 

それでも、

「私の眼鏡で、私の視界を視る覚悟はあるかい?」

それでも、

「もう一人の“アグネスタキオン”として、実験に身を捧ぐ覚悟はあるかい?」

 

彼の眼は濁っている。

とっくの昔に、砂糖を解かしすぎた紅茶のように。

「その実験結果と、トレーニングメニューと、お弁当とであなたを制御する

現状以上にあなたを“飼う”ことになるわけだ」

「犯罪者」

「お互い様でしょう」

「悪魔」

「お互い様でしょう」

「……モルモット」

そう言ってやると、彼は開いた手で私の前髪を掴み上げた。

 

「痛いよ、モルモット君」

「これから頭を痛めつけられるんです。恨んでください」

力が籠る。

 

「これからもう一年と少し。最高の舞台、ファン投票の果て、有マ記念まで連れていきます。

アグネスタキオンなら、アグネスタキオンをそうできるはずです」

なら、

「モルモット君は、私をどうするつもりだい?」

そうですね、と笑みが消える。

「実験動物の代名詞、ご存じですよね?」

それは。

 

「あなたは、モルモットです」

 

「……因果なものだねぇ」

 

彼と出会ったあの日。人権、魂を得るなら、払う覚悟をしておかねばならなかったのだ。

結局のところ。

 


 

All Day And All Of The Night

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