子供の頃だ。
朝目覚めると、身体のどこかしらの骨が折れていた。
既に死んでいた両親に代わり育ててくれていた伯母……養母が、少年の影の中に潜む『魔』の姿を見定めた。
しばらくの間はどうにもならなかった。
ひどい時には両手両足が折れていることもあった。少年の身体は傷んでく。
やがて満足に歩くこともできなくなったことで。
専門家……養母の恩師という男が現れた。
「その頃には俺は満足に歩くこともできなかった。しかし教師ウぇ……ロード・エルメロイII世の指示もあって『魔』の声を聞くようになったのはその時だ。その声に従って俺は動くことが出来た。内側から発する声に従って初めて、折れた手足を動かすことができた」
言葉の前半を言いよどんだが、その後には突如、シロウが急激な動きを見せた。
発せられるサイオンとは違う……あえて言えば「プシオン」の強烈なものが、シロウの身体をすべて覆う。
その上で制服の上を取ると、それを後ろに投げ捨てる。顕わになった上半身(インナーありだが)は、顔から腹にいたるまでも埋め尽くすあらゆる『霊基』というアリサが知らないものに覆われていた。
「生来の
その言葉に、まるで自分と同じだとアリサは思った。いや、比べるなど烏滸がましい。
彼は自分が魔法を知らぬ頃から生命の危機に立ち向かって、生きるために、あそこまで磨き抜かれてきたのだ。
「師は俺に、その力の使い方を教えてくれた。まだ身体が出来ていない内は、最も無駄のない動きをしなければ骨が耐えられない。最も小さい動きでしか動いてはならない。自然と……俺の身体は、拳の奥義を、魔道の粋を吸収していくことになった」
そしてまた茉莉花とも違う。
茉莉花がグラップリングというものを興味からやったのとは違い、彼にとっては生きることが、自然と修行になっていたのだ。
箸で米を食べることすら彼には身体の強化になったのである。
「拳術と魔道は修練だ。俺には生きることそのものが拳と魔──『魔拳』の修練だった──そうしなければ立っているだけでも足が折れる。腕を差し出すだけで肘が折れる」
「それじゃ……火狩君や千種先輩が勝てないのも道理よね……」
ようやく紡ぎだしたアリサの言葉に、シロウがにやりとする。
「そうだな。どれだけ言おうが、俺の方がアイツらよりも小さな頃から異常な
言いながら、草原に背中を預けて寝転がる。見上げた青空に感じるところを話す。
「けど、人間として『正しい』のはアッチだろ。遺伝子操作の是非は別にして。俺のは異常なカミサマのカケラを取り込みすぎたが故の悪食からだしな。元々、俺の母親の使い魔や母親の出自からそういうことになったわけだしな」
詳細は語らないが、それでも何となく察するものが彼女なりにあったようだ。
「怖がらせて私から離れたい。離れてもらう。とか考えていない?」
言いながら同じく十文字アリサもまた草むらに身を投げる。近すぎる彼女の距離に特にドギマギなどはしないが、色々と厄介ではある。
「アナタとは比べ物にならないかもしれないけど、私も魔道の修練において命の危険を伴っている。オーバーヒートといういずれ来るかもしれない十文字の魔法師としての命脈絶ちは私の生命をも奪うかもしれない。それを制御するためにも私は魔法を学んでいる」
「その為に君は遠上家の養女から十文字家の娘になったんだな。だとしたらば遠上茉莉花の気持ちも汲んでやれよ。十文字家に行かされて、その上―――妙な男に付き纏って遠上からすれば、二重の意味で痛苦だろ」
「―――シロウくんにもそういうことってあったの?」
「前に言ったろ? 俺の母親は没落した家の再興のために養女という体で胎盤として出されたって。そして、俺の伯母は元々の生家で当主として就きながらも俺の母親を心配していたんだ……まぁ色んな意味で手遅れで気付けなかったことを後悔したそうだが」
その言葉でシロウの母親が自分とは比べ物にならないほど出された家での扱いが悪かったのだと気付く。
伯母からその辺りの顛末を聞いていたからこそアリサに対する茉莉花の気持ちを慮っているのだ。
しかし―――。
「それって私の意思や気持ちは無視なの?アナタが考えてるのはミーナの気持ちだけじゃない」
矢を射るような一言とふくれっ面にシロウは少しだけ参る。
「……時には、一緒に過ごしてきた家族の心を考えてやれよ。それと軽部家の葬儀の時にちょっと聞いたけど、遠上の兄貴がお前の想い人なんだろ?」
「それはそうだけど……」
「お前が誰が好きなのかは一高の全男子の関心事だから、そこで妙に距離が近すぎる俺が勘違いされるのは正直カンベン願うよ」
唐橘はどうか分からないけど、シロウはそういうことなのだ。
だというのに……。
「おい十文字、俺の胸板に手を這わせるな」
「いや、神々のカケラの発現というのは現代魔法師としても興味があるのよ。やっぱりギリシャ神話での女怪メドゥーサもその一つ?」
「そうらしい。俺が蛇使いなのは母の使い魔だか友人の―――だからやめなさいっての!」
説明することでこちらの干渉を遮断しようとする十文字の高等テク。しかも片手だけだったのが遂に両手で以てしかも胸を当たりかねない位置にまで、身を乗り出してきた。
「ダメ?」
「ダメだ」
こんな場末の娼婦……とまでは言わないが、それでも男に対してこんな過剰なスキンシップを臆面もなく出来るタイプじゃなかったはずだ。
拒絶すればするほど、接触する機会を得たらばこうもなってくるとは……。
(我が夫……)
自分にだけ響く念話が激しく怖い。家に帰ったらばどうなるやら……と思っていると十文字も『?』な顔を周りを見渡している。
(まさか聞こえているのか?)
確かめるのはマズイが、そうしている間に―――。
「コラー!!そこの2人!! 白昼堂々!! ナニやってるんだー!!」
ちょっと前まで会っていた風紀委員長がやってきたのだった。
「分かっていたけど……! なんだ!? 勝利者権利として女の子に慰撫されたかったのか!? こんな風紀を乱す行為許されるかーーー!!」
「むぅ……だが裏部。これが男女の正常な付き合いだとすれば、ただの僻みにならんかな? しかも、一方はその風紀委員だぞ」
裏部委員長と一緒にいたのは、碓氷会頭であり、そんなフォローとも言い切れんことを言うのだが。
「確かに魔法科高校の風紀委員の業務ではないけど、だからと節度を弁えないことを許されるか!?」
「だそうだぞ。2人とも」
「会頭も言ってるんだから、十文字退いてくれ」
「いえ、今回は私がある意味では元凶みたいなものだからシロウ君を慰撫しなければならないんです」
「ムダな奉仕精神!!」
「リターンがデカすぎないか!?」
十師族の令嬢が、どこの馬の骨かもしれない男に過剰なスキンシップをするという事実に2人が驚いた瞬間。
アリサがシロウの胸板から2人に対して振り向いた瞬間。
シロウは
一瞬の早業。アリサも普通に立ち上がらせたそれを前にした2人は、やはり驚愕する。まぁ普通の体術ではないことは確かなのだから……。
「十文字、お前が聞きたいことは言っただろ。んじゃ―――」
「千種!! ここに衛宮と十文字がいたぞ――!!」
と立ち去ろうとした一瞬の間に、今度はマーシャルマジックアーツ部の男女部長が襲来する。
(何なんだ今日は!? 厄日か!しかも、十文字は再び腕に絡んでいるし)
頭が痛くなりそうなことばかりの中でも、現れた両部長は―――。
「衛宮士郎くん!! 頼む!! 明日の金沢の第三高校との対抗試合に同道してくれ!! お願いだ!!」
「前から仰られてましたけど……いや、本当にダメですって」
如何に学生バイトとはいえ日曜日という一番の掻き入れ時に休むなんてことは出来ない。
というか学生バイトとして雇ってくれたからこそ、そんな不義理は出来ないのだ。
柔らかい
「そこを何とか!!」
「なんとかって言われても―――んん?」
「シロウ君、端末が鳴り響いているよ」
言われずとも分かっていたが、それにしてもこんな時間にとは……と思いつつ端末の通知を見ると。
ユイからであった。しかも音声ではなくて映像通信もとは……。
ともあれ「すみません」と先輩方に言ってから通話状態に入る。
「はい、もしもし衛宮です」
『あっシロウくん。ネコさんから急遽の連絡が入ったんだよ。明日から数日間は臨時休業日になったから』
「そりゃまた急な話だな。けどそれが蛍塚店長から直で来ないんだ?」
『それは―――』
そしてバイト仲間の美少女たる由比雪子から伝えられるところによると、簡潔に言えば隣近所のテナントでの不祥事が発端だった。
飲食店にありがちな保健所の立ち入りではなく、ある種のガス爆発であった。
幸いなことに火災で焼失ということこそ無かったが、小規模な爆発の衝撃は大きくてコペンハーゲンもそれなりの被害を被ったそうだ。
『更に幸いなことに、まだ従業員も出勤前だったからよかったんだけど、従業員の連絡先が入った電子端末が無人の店内にあったそうで……』
その言葉で何となく端末のニュース欄から見るとネコさんの親父である蛍塚オーナーともマスター・ファイアフライ(口ひげが似合うダンディ)が取材に答えている様子が―――。
情報の裏は取れた。
「それで知っている番号に相互情報共有を促しているのか」
『そういうことだね。とりあえず私の方ではシロウくんにということ』
「んじゃ俺も―――と言っても俺の知っている番号よりもお前の方が多いんだよな」
そもそもコペンハーゲンは小さめのトラットリアなわけで、従業員もそこまでいない。オーナー親子合わせても10人程度だ。
そういう訳で、日曜日が暇になった。同時にユイから送られてきた日程を確認して、『片付け作業』まで流石に未成年に任せられないということなんだろうというものを察してから……。
『それで明日なんだけど私と―――』
「横から失礼するけど、明日シロウくんは私と金沢まで行くことになっていますから、柴田勝家がお市の方を北ノ庄城に連れていったように」
「更に横から失礼するが、彼は我が部のスーパードクターとして帯同することが決定しているのです」
ずずいっ!とシロウの左右から飛び出てきたアリサと千種が勝手にシロウの予定を埋めやがった。
久々のコペンハーゲンの看板娘とのデートを邪魔してた2人に言い募る前に―――。
『そ、そうか。いや申し訳ない……まさかシロウ殿に、そのような関係の人がいたとは』
「ユイ、烈士ちゃんモードが混ざっているよ」
もしかして何か配信する前だったのかと思いつつツッコんだのだが……。
『それではまたな。今日の配信見てくれれば嬉しいぞ!』
少しだけ泣き顔を見せたユイに対するフォローや誤解を解くことも出来ずに切れてしまう端末。
溜め息を突いてから後ろにいる人間たちに言葉を吐き出す。
「分かりました。ただマネージャーじゃなくて応援役でいいですね。何事もなければ何もしませんよ」
「それが一番だからな。ただ重篤なけが人や当たりどころが悪い人間が出たならば頼むよ」
千種部長の一礼とその言葉を聞いてから、腕に絡んでいる十文字に向き直る。
(なんか否応なしに面倒なことに巻き込まれていく。その起点はコイツだよな……)
妙な運命力……とでもいうべきものが、彼女には働いている。
それに引きずられている形なのかもしれない。
流れに逆らえば逆らうほど、そちら側に寄せられる結果を認識して―――。
「分かったよ。けど、お前の『男避け』として俺が適格かどうかなんて分かんないぞ。どうせあっちにだってお前にコナ掛けたい男子は一杯いるんだから」
その中には有力な魔法家の子弟がいるのは当たり前なのだから……。
「うん、あの時と同じく頼りにしてる」
満面の笑みで言ってくれやがると少々、悪態を突きつつも……。
「金沢カレーのレシピでも盗むいい機会だと思っておきますか」
結局の所、そんなシロウなりの理由付けで金沢の第三高校での対抗試合。
マーシャル・マジック・アーツ部の応援に行くことになったのである……。
その裏で走っている策謀も知らずに……虎口に飛び込むも同然だったのである。