バナージ・リンクスの受難【完結】 作:PureFighter00
岐阜銘酒、
無言でバナージ少年に茶碗を渡す。彼は真っ直ぐ前を向いて「仕事ですし、僕は未成年です」と断った。酒が入ったプロレスラーの如き大男の酒の勧めを正面から断った。もう勝敗はついた様なものだ。「小賢しい真似をした。試してすまん。お茶で良いのでおじさんの話に付き合って貰えないか……」と優しい目でドズルはバナージを見つめた。
「ウチの娘は、好きかい?」
「はい、好きです」
淡々と、然しながらバナージは即答した。もうドズルの目には涙が溢れ出している。
「ありがとう、本当にありがとう。今日この日を俺は生涯忘れまい……俺の愛するミネバを好きになってくれて本当にありがとう……」
ポタポタと大粒の涙が茶卓を濡らした。長い夜が始まる。
その日、ドズルは真の意味で神への祈りを捧げて、神に心から感謝した。人の誕生というのは今この科学技術の発達した現代でも危険を伴う。はっきり書こう、出産は今でも命懸けの行為である。この日本でもだ。一定確率で本当に死ぬ。
この恐るべき事実を知ったドズルは狼狽した。ギレンが見たこともない慌て方だ。大学時代、竹の塚のバーでヤクザと乱闘し、6人を殴り倒した豪のものがみっともないぐらい狼狽した。
「大丈夫よ、貴方の子が私を悲しませると思って?」
優しい微笑みを湛えた妻を見て、今生の別れになるのではないかとドズルは本当に心配した。彼らの母は、末弟ガルマを産んだ後に死んでいるのだ。一族最初の孫という事でザビ家の面々は病院に勢揃い。アダムスファミリーが如き異様だ。あの冷静沈着が服着て歩いている様な兄貴(ギレン)までがイラつきを隠せないでいた。案外この男(ビルドファイター時空の風に当てられたのもあるが)家族愛が深いのである。この産院を選んだのもギレンとキシリアが凡ゆる情報を加味して評価した結果だ。「出来ることはする。しかしものには限界がある……」金を積んで何とかなるなら兄貴は得意の演説でそこらの信金から金を根こそぎ集めただろう。
オギャアという産声に緊張が走る。看護婦の告げた「母子共に健康です!」の声に、家族全員がヤコブの梯子を幻視した。
皆で保育器の中の娘を見た。この世に生まれ出た事を嘆く様な泣き声にドズルは己の無力さを憎んだ。思いっきり病院の床を叩いたらリノリウムのタイルが粉微塵になった。
「子供は何故泣くのだろうな……」
薄ら涙を浮かべてギレンが頭のおかしい事を呟き出す。
「このご時世だ。赤子が泣きたくなるのも無理は無い」
話は無茶苦茶だが、ギレンが語ると何故か説得力が300%増しぐらいになる。
「せめてウチの社員の子供ぐらい、キャッキャと笑い声を上げて生まれて欲しいと思わんか。次に西新井周辺、次に足立区、ゆくゆくは世界全てだ」
完璧に頭のおかしい発言だが、今ここに集ったジオン工業幹部全てがギレンの詭弁時空に取り込まれていく。
「泣くのが仕事なんて馬鹿な話があるか!」
ギレンは異次元論法でキレていた。
「こんなに泣いたのは久しぶりだよ。きっと俺は今後も節目節目にみっともなく泣くのだろうな……」
美濃布漉の残量は既に僅か。酒が胃を通らず涙として流れ出ているかの様だ。全く酔えない。しかし気分は悪くない。
ビルドファイターズ時空に悲しみの涙は流れない。その様にこの世界は定義されている。だがしかし、それでも涙は流れるのだ。バナージ・リンクスの頬にもそれは流れる。好いた人物がこれほどまでに愛されてきた話を聞いて、泣かぬ奴があるものか。
その時客間に繋がる襖がピシャリと開いた。
さぁ、哀戦士でも流そうか。