走ることに安心はないのだと、彼女はそう笑った。 作:サッカーボーイ
息を乱して、肩を震わせて、視界が揺れながら、青く茂る芝の上を駆ける。
歓声が響き渡る大きな会場の中。
人口的に整えられた芝であるが故の走りやすさと言うべきか。子供の頃に走り回っていた原っぱに比べればそれはもう心地良く走り回れる場所だった。
はっ、はっ、はっ。
呼吸のリズムは崩れないように肺の底から息を掻き出して全身を駆動させながら、一歩二歩踏み締めて、右足を軸に
渡さない。
誰にも譲る気はない。
この小さなボールを蹴り続ける──ただそれだけに、人生を費やしてきた。
それこそ、物心ついた時にはもうボールを蹴っていた。
足癖が悪かったのさ。
親が物を蹴って壊すオレを見かねて与えてくれたサッカーボール。安物のありふれたそのボールは、今でもボロボロのまま自宅に置いてある。
────止めろ!
気持ちよくドリブルをするオレの前に、二人の男が立ち塞がる。
普通ならここでパスをするんだろう。
それこそが戦略であり作戦であり堅実であり、このチームを優勝に導く為に必要なことだ。
──オレ以外のヤツならな。
託された番号は信頼の表れ。
10と刻まれたオレの背中には絶対的な全てが乗っている。
オレはエースだ。
このフィールドにおける、このチームにおける、そして、このサッカーという世界における絶対的なエース。ただ一人の突出を唯一許されてるのがオレ。
フィジカルもスポーツIQも持ち合わせてるから、なんて単純な理由じゃない。
この
────それが、エースってもんだろう。
スタミナを搾り出して誰にも追いつけない速度で駆け抜ける。
ボールが弾んでどこかに飛んでいく、なんて初歩的なミスはしない。ただこれだけ、ボールを抱えて走り抜けて相手のゴールへと叩き込む。これだけを磨き続けて俺は、この番号を背負うに至ったのだから。
「は────は、ハハっ!!」
正面から迫りくるブロックもお構いなし。
接触する瞬間になって、世界が灰色に包まれる。
ここぞという時にオレの身に訪れる、別世界。
これだけやればなんとでもなるだろう、そう言わんばかりに神様が与えたオレの才能。
嗚呼。
どいつこもいつもゆっくりだ。
まるで止まってるような速度。
誰も彼もが選び抜かれた実力者なのにも関わらず、誰一人としてオレの影すら踏めないなんて。
極限の集中の中、視界に映り込んだ僅かな黒い光。
ここを走れと言わんばかりに指し示される輝きに沿って駆け抜け────ゴールへと、ボールを蹴り放った。
○
「ふー…………」
なんて、思い出に浸って黄昏れる三十路の男性。
学び舎の屋上でタバコをスパスパ吸ってる辺りがもうダメ人間感溢れている気がするが、あまり気にしないことにする。
誰もいない所で吸ってるんだから許してくれるさ。
学園内が禁煙という事実に目を瞑れば、オレに有利なのは間違いない。
視線を下にずらせば、頭に耳の生えた美少女達が歩いている。
ジャージ姿で走っている子もいれば、制服姿で友人と談笑している姿も見える。
日本ウマ娘トレーニングセンター。
略してトレセン。
トゥインクルシリーズと呼ばれる、ウマ娘という超人種族が鎬を削り一着を競い合うレースに参加する全国から選び抜かれたエリートが集う学園だ。
身体能力は人間の数倍以上、毒や病気にすらなぜか耐性があるのにウマ娘しか罹らない病気は人間が罹らないとかよくわからん関係性。でもそれを特に不思議に思うこともなく、オレ達人間は彼女達を受け入れているし、彼女達はオレ達弱き人類を仲間だと思ってくれている。
そして今日も今日とてキラキラ輝く青春をオレに見せつけてくるのだ。
勘弁してほしい。
青春がとっくに過ぎ去って後は枯れるのみ、そんなおっさんには少々眩すぎるんだよ。
プア〜、と口から紫煙を吐き出しながらゆっくり時を過ごしていると、後ろの扉が開いた音が聞こえた。
「──
「あ〜〜…………もう来たんすね」
「まったくもう! 何度言えばやめてくれるんですか?」
全面的に悪いのはオレだからな。
特に反抗することもなく、携帯灰皿にぶち込んで何事もなかったかのように振る舞う。
振り返って注意を促してきた女性に向き合ってみれば、どこか呆れた表情をしながら怒りを露わにしている。
「まあまあ、仕事終わりの一服くらいはいいじゃないですか。世間は禁煙の流れですが、現場レベルだと未だに煙草休憩がありますからね。オレもそこに流されずに芯のある立ち振る舞いをしようとしたわけです」
「減給しますよ?」
「大変申し訳ございませんでした」
脅されては仕方ない。
いやまあしょうがないよね。
オレの上司だし、かつては栄光を手にしたプロだったかもしれんが、今のオレは若手もいい所だ。そんな奴が外れた行動をしていたら情け容赦なく裁かれるだろう。
「私だってこんなこと言いたくないんですからね! 喫煙もまあ、あまり好ましいものではありませんが……学園の外で嗜まれるのなら私だって言いません。……多分」
「今多分って言いました?」
喫煙者には肩が狭い世の中だ。
まあ常識的に考えて若者の競技者を導く役職に就いてるくせに煙草をやめられないオレが悪いのだが、そこは個人の趣味という塩梅でそれなりに見逃してもらえている。ホワイト企業だね。勤務体系はブラックだけど。
思春期という多感な時期を、勝負の世界で過ごす彼女達。
ウマ娘という種族は走る事が本能に刻まれており、レースで一番を競い合うのが人生を賭してやり遂げるべき宿命だそうだ。
全盛期が訪れるであろう中等部〜高等部の間をトレセン学園で過ごし、酸いも甘いも涙も汗も何もかもを体験して大人になっていく。
なんて残酷なんだろうか。
勝負の世界に身を投じるのが当たり前なんて、悲しすぎるぜ。
そしてそれを支えるのが、オレの選んだ職業。
ウマ娘のトレーナーという、この世の中でもかなりブラック気味な職業さ。
「まあ彼女達の前じゃ吸いませんよ。元競技者の端くれですから」
「……それは信用してます。何より、貴方の教え子達が証明していますから」
それはオレの功績じゃなく、単に奴らが優れていただけだ。
そう言いたい気持ちをグッと堪えて、苦虫を噛み潰したような表情からまったく気にもとめてないような朗らかな表情へ変えておく。
「まあ、オレは優秀ですからね。なんで出来れば喫煙室をここに設置してもらえると助かるんですが」
「それはそれ、です!」
ぷりぷり怒りを示す女性──駿川たづなさんへと謝罪をして、また見下ろす形でウマ娘達を観察する。
季節は春。
桜舞い散るトレセン学園には、これからの明るい未来を望む若者達で溢れかえっている。
その影でもがき苦しむ上級生達も、歴史に名を刻むどころか、今を生きる人々にすら覚えてもらえない凡夫なウマ娘たちが踏み台となっている。
ここから見える全てを含めても、彼女達が頂点に立つことはないだろう。
「……無常だよ」
散々味わってきた勝負の世界。
オレが蹴散らしてきた踏み台達を今改めて認識させられ、背中にのしかかっている重りに笑う。
「ねぇ、たづなさん」
「…………勝負の世界ですから」
そう言ってたづなさんは踵を返し、出口へと歩いていく。
よし、喫煙は怒られたけど特に何も言われなかった。今回は上手く誤魔化せたみたいだな。
「それと川内トレーナー、今日提出の書類なんですが」
「……すぐ戻って確認します」
上司にうだつの上がらない毎日を過ごしていたら、新入生限定の模擬レースの日を迎えた。
模擬レースもとい、この学園でもっとも最初に行われる格付けである。
うら若き中高生がキャッキャウフフと食堂にて茶をシバいてる裏で『アイツは私より下』だとか『私はアイツより上』みたいなちょっとしたプライドのやり取りもある恐ろしい世界。
大口を叩いていたウマ娘があっという間に転落していくこともあれば、注目されていなかった穴バが一気に表舞台に立つような事もある。
ここはそんなウマ娘たちの辛く厳しい人生の登竜門と言ったところだ。
緊張しているウマ娘達の中にも堂々と胸を張っている娘がいる。
そういう娘は大物か、大バカ者かの二択だ。
大抵大物だ。
大物は図太い精神を持つことが必要条件のような気がする。
「ま、ここでの勝ち負けなんかどうでもいいんだが」
先程まで考えていた事を全て吹き飛ばす言葉を吐いてから、改めて双眼鏡で覗き見る。
次に走る連中はなんか、こう……
毎年そうだが、個性がバラバラな層が集まっている気がする。
たまにあるんだよな。明らかに個性強めの連中が一緒のレースに適当に纏められてること。
「よぉ、若造」
「……お爺ちゃんじゃないですか、後継者は見つかりました?」
「ふざけるなバ鹿が、まだ現役だ」
コツンと杖で突かれる。
まさに老練と言った身なりの老人──
名門チームを率いており、オレがまだまだ子供だった頃にレースを総なめしていた最強チームに唯一対抗した人物。
その最強チームを率いていた怪物トレーナーは既に引退したが、彼は未だに現役バリバリで強豪チームを指導している。オレのような門外漢の癖に突然現れた新人にもそれなりに目をかけてくれるので、後進育成に力を注いでいるんだろう。多分。
「今年はどんな奴を取るんだ?」
「それを決めるのはオレじゃないでしょ」
トレーナーは選ぶんじゃない。
選ばれるものだと、オレは思っている。
実際に走るのはウマ娘だ。
オレ達トレーナーは彼女たちを支える事は出来ても、共に走ってやることは出来ない。
だから必要なのは彼女達の納得だろう。
「そう言って注目株を毎回奪ってく癖に何言ってんだ」
「…………しょうがなくないっすか? だって、あと一歩足りてないの見たら気になるじゃん」
オレが最初にチームに勧誘したのはある青鹿毛のウマ娘だった。
高貴で由緒正しき血を持ち、幼い頃から前人未到の偉業を達成するために人生を賭してきた壮絶なるお嬢様。
彼女は中等部で本格化を迎えることなく高等部へと進学しており、それまではトレーナーを決めずに実家お抱えの教導官に指導されていたらしい。どうしてオレの誘いに乗ってくれたのかは未だに教えてくれないが……
「……ふん。お前は若造だが愚かな若者じゃねぇ」
「お褒めに預かり光栄です、伝説の六平トレーナー」
またもや杖で突かれた。
脇腹に抉り込むような一撃が入って悶えているオレのことなんて気にも留めず、そのまま歩いて何処かへ行ってしまった。
酷い若手いびりもあったもんだ。
オレじゃなかったら泣いて喚いて六平さんの名誉を傷つけるような痴態を晒してる所だぞ?
「や、元気してますか?」
「そうだなぁ……ぼちぼちってトコだ」
前髪を掻き上げて額を豪快に見せつけている女──年下だが同期の、小宮山勝美が声をかけてくる。
トレーナーとしての優秀さはオレよりずっと上。
夢破れてこの道に進路を切り替えたオレとは違って、学生時代からずーっとウマ娘のトレーナー目指して努力を続けて来た人間だ。
同期ではあるけど、かなり個人的に仲良くしたいと思ってる。
ウマ娘に必要な栄養素とかデータとか精神的なケアとか、そういう部分でアドバイスを良く貰ってる。
敵に塩を送るなんて……って溜息吐きながら教えてくれる辺りが優しいと思う。オレに優しいんじゃなくて、オレが担当するウマ娘に優しいのね。勘違いしないように。
「今年はどんな娘をターゲットにするんです?」
「あのさ、六平さんと言いなんでオレに注目するんだ」
「なんでって…………川内さん、自分の立ち位置考えてますか」
客観的には。
「はぁ…………」
溜息を吐いて小宮山は話さなくなってしまった。
確かに実績を出してはいるが、それはウマ娘に才能があったから。オレじゃなくてもきっとアイツは勝ち続けていただろうさ。
これは確信だよ。
だってアイツ、つえーもん。
ちょっとだけ、まあ確かに一部分だけオレじゃないと駄目かって時もあったが…………それ以上に基礎的なスペックが高かったんだ。
だから勝てた。
その旨を伝えるも、小宮山は不満そうに眉を顰めて呟く。
「それ、担当のウマ娘に絶対言わないでくださいね」
「そこは臨機応変にやるさ。大人だからな」
まったくもう、なんて言いながら彼女はバインダーを手に抱えた。
恐らくこのレースで走るウマ娘達の資料を抱えているんだろう。見せてもらおうとして覗き込むが、小宮山は華麗にオレから距離を取る。
「煙草くさい」
「学園内では吸ってないから許してくれ」
息はケアしてるから大丈夫……
大丈夫だよな? 若い美人にそんな嫌な顔されたら流石のオレも傷つくぞ。
口臭も体臭も結構誤魔化してるつもりなのにな……
「冗談ですよ」
「オジさんには辛い冗談だ」
加齢臭を気にする年齢だぞ。
五つくらい離れてる女性にそんな事言われたらしょげる。
「もー……しょうがないですね」
同期のよしみで見せてくれた。
持つべきものは優しい友人だぜ。
彼女のリサーチ力はそれはまあ恐ろしいモノである。
中央トレーナー試験に合格し歴代のレース映像を焼き切れるまで見続けた観察眼もオレの比ではない。
まあそもそもオレに話しかけてくれる人って少ないからな。一年目から担当になってくれたウマ娘がとんでもない実績叩き出してしまったもんだから、数少ない同期には厄介がられてる。小宮山だけだよまともに相手してくれる奴は。
「オレは小宮山がいなかったらヤバかったなぁ」
「……褒めても何も出ませんよ」
そう言いつつ見せてくれた資料には、数人の名前が刻まれている。
えーと……
「……また名門揃いだな」
メジロ家にサクラ家、それもかなりの注目株。
シンボリ家の名前も見えるしこの年代かなりハイレベルになるんじゃないだろうか。
トレーナーとしては二流程度のオレが見てもそう思うのだから、小宮山や六平さんにとっては宝の山に見えるのでは?
「その名門のうち二つを抱えてるあなたが言う?」
「それはまあ……結果論さ。特にスターオーはな」
サクラスターオー。
桜色が混じった綺麗な髪をポニーテールで纏めて、頭には星型の髪飾りを着けている。
名門サクラ一族の出身でありながら脚にハンディキャップが存在するという理由で評価は若干低めとされており、入学してからもそのネームバリューと背負ったものの重さからスカウトされる事が無かったウマ娘だった。
名門のウマ娘を担当するだけならまだしも、彼女は脚部不安があった。
だから名だたるトレーナーも足踏みしたわけだ。
何かあったら責任を取らされる──そんな当たり前の恐怖を前にして。
「勿体ないだろ。あんなに良い走りが出来るのに、脚が悪いからってだけで敬遠するのは」
足が悪いなら治せばいい。
治せないなら、負担をかけない走り方を追求すればいい。
そんなの競技者ならば誰だってやる事だ。競技者一人では正解がわからないなら、トレーナーが一緒になって歩んでいけばいい。それでもダメでやっと諦めるという選択肢が一つ出てくるのに、自身の名誉を気にして彼女の手助けをしないのは愚か者のすることだと感じた。
「……気にせず手を取れるのは、川内さんらしいです」
「名誉は腐る程手にしたからね。…………もうオレは、終わった人間だからさ」
しみったれた会話になりつつあるのを断ち切って、始まったレースを眺める。
有力だと言われているのは大まかに分けて三人。
一番人気はサクラチヨノオー。
オレが担当しているスターオーとは同門であり、スターオーから何度か話を聞いたことがある。庇護欲がそそられる可愛らしいウマ娘だと聞いたが…………先行だな。バ群に埋もれないように周囲を観察する事も出来てるし、かなりの有力バ。
二番人気はメジロアルダン。
名門メジロ家の出身で今日の目玉の一人と言われているが、小宮山の資料曰く脚に多少の不安があるらしい。オレ好みではあるんだが、メジロ家はちょっとこう……今はやめておきたい。でも誰も寄り付かないようだったら声掛けようかな。
三番人気はヤエノムテキ。
武道を嗜んでいる、という情報が目に付いた。確かに冷静に周りを見渡したり状況を俯瞰的に見れたりするのなら、精神統一的な意味では重要かもしれん。レースに武道って関係あんのかな。見てる感じ典型的な差しバ、という印象を抱く。
そしてそんな注目株を横目に流して──オレは一人のウマ娘を見ていた。
体操服の上にパーカーを着て、ギラギラと睨みを輝かせながら走っている。
「……小宮山。あいつ、何て名前だ」
「はい? どの子ですか」
「パーカー着てるやつ」
レースは1400m。
ジュニア級ですらないウマ娘が2000mを走りきるのは酷なので、マイル程度の距離でこのレースは行われる。
何が言いたいかというと──如何に本格化すらまだ完全に終わっていないウマ娘達と言っても、短いこのコースでは早めに決着がつくという事で。
既に最終コーナーへと先頭が突入している中、オレは件のウマ娘から目が離せないでいた。
脚質は差し。
追い込みではないであろう距離感で早めに抜け出して、後続に続いていたウマ娘達から最速で先団に取り付いた。
ヤエノムテキが最も始めに勝負を仕掛け、メジロアルダンとサクラチヨノオーその他先行勢も続いて行く。
最高速へと徐々に近付いていき後続を突き放していく先団を後方からじっくりと見ていた件のウマ娘は、まだ溜めている。
アレは追いつけないんじゃない。
追いつかないんだ、まだ。
残り300、まだ動かない。
残り200────仕掛けるのなら、今だ。
犬歯を剥き出しにして闘争心を前面に、パーカーから突き出た耳がピコピコ動いた。
轟音────踏み込んだその音が、下バ評も何もかもを薙ぎ倒して爆発する。
先行集団へとあっという間に追い付いて、スパートをかけているはずの彼女らをごぼう抜き。剛脚と表現するに相応しい末脚を披露して、一気にトップへ躍り出た。
残り50mの時点で、後続とは2バ身。
頭の中で時間を数える。
3ハロンとはいかないが、200m地点から1ハロン分の測定はできた。
あくまで頭の中で数えたタイムだから正確ではないが──腐っても、元競技者だ。自身のスタミナの参考値を求めるために時間と時速を考慮したり工夫していたから、素人よりは正確だと自負している。
「1ハロン33秒……」
デビューすらしてない、本格化を迎える前のウマ娘の脚じゃない。
先頭に立ってからはじわじわと速度を落としつつ、それでもクビ差で一着を取った。
脚は大丈夫なのか?
オレの心に浮き上がった言葉は、称賛よりも心配だった。
ターフの上でクールダウンをする彼女は、少しだけ脚を気にしている様子。
怪我はしてないだろう。最後の走り方にも違和感は無かったし、あの速さを出すのはリスクが高いことを自覚している。
「川内さん? あの子の名前は────あ、ちょっと!」
自分から聞いていたくせに、オレは走り出した。
全力じゃない、駆け足程度の運動。
それでも若干鈍く痛む足に顔を顰めつつ、しかし心の内には抑えきれない衝動があった。
「────君! そこの、パーカー被った子!」
柵に手をかけ、オレは大きな声で呼んだ。
周囲のざわめきも視線も何もかもを無視して、彼女に声をかけた。
呼ばれた本人は自分だとわかったようで、少し面倒くさそうにしながら振り向いて──オレの顔を見て、驚愕したような表情になった。
「名前は!?」
やがて、フッと僅かに笑みを浮かべて声を上げる。
「──ディクタストライカ。オレの名前は、ディクタストライカだ」
ディクタ、ストライカ。
そうか。
ストライカか。
良い名前だ、オレ好みの。
「ディクタストライカ! オレは────」
「知ってるぜ。天才ストライカー」
今度は此方が驚く番だった。
不敵な笑みを浮かべたまま、ディクタストライカはオレの前まで歩いてくる。
1400mというそこそこの距離を走ったのにも関わらずすぐさまクールダウン出来てるのは、彼女自身の努力の賜物だろうか。天性のセンスに爆発的な末脚、そして鋭く美麗なルックス。
「オレの脚はお眼鏡にかなったか?」
「ああ…………ああ! 最高だ、ディクタストライカ!」
蹴り上げるように大地を穿ち、姿勢を低くして地を這うように駆け抜ける。
弾丸のような瞬発力はきっとマイルくらいで最も真価を発揮するだろうし、なによりもその走り方には見覚えがあった。
「オレを、君のトレーナーにしてくれ! 後悔はさせない、ファンタジスタの名に懸けて!」
差し出した手を、彼女はじっと眺めた。
そこに含まれた感情を今は推察する事すら出来ないけれど、やがて掌に体温が重なった。
燃え盛るような灼熱。
ぐつぐつ煮えたぎる闘争心をその身に押し込んだ、一人の『怪物』が眼前にいた。とっくの昔に失った筈の競争心が沸き上がり、勝てる筈も無いのに、白黒のボールを競い合いたいと思ってしまった。
「――――ぷ、は、はっはっは! ヨーロッパのファンタジスタがお墨付きしてくれるなら安心だな、オイ!」
ガシリと掴むその力は少女のものとは思えない程に力強い。
人とは違うのだなと実感すると共に、同じように担当したウマ娘達とはどこか違う感情を抱いた。
「ロンシャンの道案内なら任せてくれ。ヨーロッパはオレの庭だからな」
「…………どこまで本気なんだ、まったく」
そう呟くと、ディクタストライカはゆっくりとオレに視線を合わせて、その輝かしい瞳にオレを捉えた。
「よろしく頼むぜ、天才ストライカー」
「こちらこそよろしく、ディクタストライカ」
かつてサッカーボーイと謳われたオレが、ストライカーを冠するウマ娘を導く。
中々粋な因果に導かれたものだと三女神に祈りを捧げたこの日を、オレは生涯忘れなかった。
・五年前に怪我をして引退した元プロサッカー選手。小学生の頃から神童と持て囃されており、それは高校生になっても衰える事が無かった。弱小校から成り上がり齢十六にして高校ナンバーワンの座を手にし、三年間もの間王者として君臨し続けた。その結果として欧州のプロチームからスカウトを受け海外に移り、数年間活躍し続けた。今はウマ娘のトレーナー。要するにシンプルな天才。
・ウマ娘シンデレラグレイにてオグリキャップのトレーナーを務めている。ベテランという存在を全身で表してる感じがすごい。チーム名シリウスにしようと思ったけどよくわかんないから混ぜなかった。
・ウマ娘シンデレラグレイにてタマモクロスのトレーナーを務めている。オリ主は同期ではあるが、一年目からエゲつない実績を叩き出した彼と同期だと胸を張って言えるような人間ではないと心の何処かで考えてる節がある。六平には見抜かれてる。