走ることに安心はないのだと、彼女はそう笑った。 作:サッカーボーイ
無事にディクタストライカをスカウトしたオレに向けられた視線は、『ああ、やっぱりか』と言った内容だった。
小宮山には「そうなると思いました」と呆れられ、六平さんには「やっぱりお前はいけ好かない若造だ」と罵られた。しょうがないだろ、若い頃から直感に従って生きていたのだから。
あんな蹴り上げるような走りで、あんな暴力的な加速で、あんな────昔のオレに似た走りを見せられちゃ、黙っていられなかった。いや、似せた訳じゃないのは理解してるよ。
それでも、心惹かれたのだ。
彼女の走りを特等席で見ていたい、と。
「────……と、言うわけだスターオー。後輩が出来るぞ」
「……………………はぁ」
部室にディクタストライカを連れてきたらスターオーにため息を吐かれた。
なにか納得いってないような、でもそれを表に出すのは躊躇っていたような気がしたが、スターオーはかなり顕著に感情を顕にした。
「トレーナー。いま、どういう時期かわかっていますか」
「…………はい」
あ、怒ってる。
桃色の尻尾(ポニーテールの比喩表現)が静かに揺らぎ、トレセン学園共有のジャージ姿で瞳に怒りを滲ませる彼女は久しぶりに見た。オレが二日酔いで動けなくなった日以来の説教だった。
「今は4月4日木曜日。新入生がチーム所属を考えるには少々早く、また、これからクラシックに出走する担当ウマ娘を抱えるのならば不用意に手を広げることはあまり好ましくありません」
恥も外聞も放り投げて正座するオレの背中に突き刺さる懐疑と嘲笑の視線が痛いぜ。
サクラスターオー。
名門サクラ一族の出身であり、今年のクラシック戦線にて有力バだと言われているウマ娘。
元々ポテンシャルは十二分に持ち合わせている素質バだったのだが、右足で踏ん張る事が出来ないという身体的なハンディキャップを抱えてもいた。
本格化する古バとなってからが勝負、と評価されていたのだが……
ゆらゆら尻尾(本物)を揺らし感情を逆立てながら、スターオーは続ける。
「昨年度、私は断りを入れました。その理由をお忘れですか?」
「いやあ面目ない。
な、と言いながらフランクにディクタストライカへと目を向けると、あり得ないものを見たと言わんばかりの顔で此方を睨みつけていた。
すんげ~~~怖いぜ?
なんだか知らんが、オレが担当するウマ娘はどいつもこいつも綺麗よりの美人が多い。よって、その表情が怒りに歪むさまをじっくりと見せられると情けないアラサー男性は心を縮こませてしまうのだ。
「…………ディクタストライカさんですね」
「…………おう。サクラスターオー先輩だな」
「スターオーで構いません。共に高め合う仲間が増えたこと自体は、とても嬉しく思います」
そんなオレを無視して若者二人は親睦を深めている。
これを肴に煙草一本服したいところだが、流石にそれをやってしまえばトレーナーとしての資格すら剥奪されてしまいそうなので鋼の自制心で耐えた。
「まったく、小娘の怒るラインはわからんぞ」
「皐月賞が目前だから私に集中しろと言ってるんですよ」
はい、仰る通りです。
スターオーは二週間後に一生に一度のクラシックレース一冠目、皐月賞が控えている。
前哨戦である弥生賞を歴代で二番目となる2分2秒1で勝ち、それまでの下馬評も何もかもを覆し一躍有力バとなった。
正直、前述の理由でクラシックに間に合わないと考えていたのだが、スターオーはオレが考えるより何倍も優秀なウマ娘だった。
身体を壊さないように筋力トレーニングと体力作りを優先し、一年間で彼女は想像の三倍は強くなったと言っていい。担当するウマ娘が軒並み優秀過ぎてトレーナー冥利に尽きるが、そろそろ僻みを受けそうで怖いとも思う。
流石に話してくれる同期が小宮山一人しかいないのはヤバいって。
話が逸れた。
デビュー戦、2戦目と続けて出走し脚に負担のかかったスターオーは長期的な休息を取らざるを得ず、その間レース勘を磨いたりだとかそう言った事はあまりしなかった。強いて言うなら勝負事に慣らすために色んなスポーツ観戦に行き、その戦意を衰えさせないようにしたくらいか。
だからレースに本格的に復帰したのは今年の2月から。
条件戦で勘を取り戻し、弥生賞にて1着を取ったのは一重に彼女の努力の結果だった。
「へぇ、先輩皐月賞出るのか」
「……実家からは、あまり期待されていませんが」
そう呟くスターオーの顔色は優れない。
中央トレセンに入れてる時点で期待してない訳がないと思うが……
オレは一般家庭の出自だし、それに加えてウマ娘の世界に入った歴史も浅い。現行の名門と過去十年分のウマ娘達のデータくらいが精一杯であり、教える立場でありながらスターオーや過去の担当ウマ娘に名門の書物をどうか見せてくれとお願いしている始末。
彼女らの価値観に於いて中央トレセン入りは当たり前なのだろう。
「オレの目標もクラシック────皐月とダービーは獲りてぇ。こりゃいいチーム選んだみたいだな」
ディクタストライカは満足そうにうなずいている。
どうやら我がチームを気に入ってくれたようだな。
というより某メジロお嬢様が残していった栄光があまりにも眩しすぎて、スターオー以外誰も入ってくれなかったという悲しき過去を持つ。
「……ん? 皐月とダービー?」
「ああ、世代で一番強ェ奴らを全員下して一番になる。それがオレの目標だ」
ジュニア級であれだけの走りが出来るのならば夢物語では無い。
事実、現時点での完成度で言えばスターオーを優に越している。
これがクラシック級に上がった時に、同世代が完成した時にどこまで伸びているか。早熟という可能性も視野にいれつつ、仮にそうだったとしても、早枯れしないようにするのがオレ達トレーナーの役目だ。
毎日しっかりとデータは纏めておこう。
「菊花賞はいいのですか?」
「あー……距離に自信がねぇ。たぶんオレはマイルが一番適正だと思う」
これには正直驚いた。
ジュニア級でありながら、既に自身の適性を悟っている。
珍しい話では無いのだが、その見解はオレ────中央トレーナーの端くれである人間と一致していたのだから、なお驚く。
確かに1400mのあの走りは無敵のように見えた。
何かを必死になって蹴り上げるような、ウマ娘あるまじき走り方。
野性的で本能的な性格だと先入観を持っていたが、それ以上に理性的な面もあるのかもしれない。
「なるほどね。オーケーわかった、そういう方向性で考えていく」
「頼むぜファンタジスタ、オレをロンシャンに連れてってくれるんだろ?」
「向こうの芝は深いからなぁ」
数年前まで欧州にいたというのに、今ではすっかり日本に慣れ親しんでいる。やっぱ食文化がこっちの方が合うんだよな。
「さ、顔合わせはここまでにしてトレーニングと行こうか。スターオーはいつも通り柔軟してウォーミングアップ、脚に不安がある時はすぐ言うように」
「わかりました。それでは先に向かっていますね」
部室から出て一足先にグラウンドに向かったスターオーを尻目に、ストライカに書いてもらわねばならない書類を探す。
まさかスカウトする事になるとは思っていなかったが、メジロお嬢様に『貴方はそういう所があるのよね』と冷たく睨まれた時から準備だけは欠かしていない。いやだって、まさか門外漢の新人のスカウト受ける名門のお嬢様がいるなんて思って無くて……
懐かしい記憶を思い出しつつ、手早くチーム加入届けと学園に提出する書類をディクタストライカに手渡す。
「ほい、加入用紙。書いてる間に着替えてくるからよろしくな」
「着替え? そんなにスーツ汚したくねーのか」
「違う違う。オレも一緒に身体を動かすのさ」
ヒトとウマ娘では絶対的な差がある。
蟻が象に勝てないように、ヒトはウマ娘に勝てない。
身体的な能力にあまりにも差がありすぎて、どんな競技や種目でもウマ娘とヒトは分かれているのだ。
「ほー。サッカーなら付き合うぜ」
「勘弁してくれ。まともに足も動かせないんだ」
主に去年無茶したから。
もう満足に動かす事が出来るのは十分程度だろうし、かつての栄光は見る影もない。
サッカーという道を選ばなかったのは多分、未練だな。
「柔軟とかの補助だよ。生憎ウチのチームはスターオーしか所属してないし」
「ちっ、折角世界クラスが味わえると思ったのによ」
変わった奴だ。
ディクタストライカという名前に偽りなく、サッカーに興味がそこそこあるらしい。
「…………ああ、そうだ忘れてた」
ロッカーからジャージを取り出したところで、オレは一つ大切な事を思い出す。
「ディクタストライカ」
「なんだよ」
書類を手早く終わらせたいのか、さっさと書き進めていく彼女に告げる。
「ようこそ、チームアケルナーへ。日ノ本からでは拝めない欧州の星に」
手を止めて、オレの事をギラついた瞳で捉えながらディクタストライカは笑う。
犬歯を剥き出しに、既に漲る闘争心を露わにして。
〇
チームアケルナーの所属ウマ娘が二人になったところで、これまでのトレーニング内容は変わらない。
スターオーは残り一週間、目一杯レース勘を身に着けてもらう。
現役のウマ娘────それも古バとなり実力を発揮する格上にひたすら頼み込み、緊張の中で冷静にレース運びを考える練習をさせる。……まあ、格上と言っても、今のURAは一人のウマ娘が全てを制圧する暗黒の時代になっているので、それと比べてしまうと劣るところがあるが。
名門シンボリ家が輩出した怪物は頂点に君臨したままである。
「なあスターオー」
「なんですか?」
足を大きく広げて前屈を行い、ピッタリと胸と地面をくっつけてリラックスしながら返事をするスターオー。
スポーツ選手が身体が硬いのは基本的に推奨されないからな。
これに関してはウマ娘も人間と変わらず、身体がある程度柔らかくなければ怪我のリスクが高まってしまうのだ。
しっかりと教えを聞いてくれたようで何より。
「脚に違和感はないか」
「はい。重心も偏ってないと思います」
よしよし、良い傾向だな。
本当ならオレ自身の手で確かめてやりたいのだが、年頃のウマ娘にそれをやるには少々問題がある。
以前メジロのお嬢様にやらせてくれとお願いしたところ、ゴミを見る目で蔑まれた挙句蹴り飛ばされそうになった。ちゃんと事情を説明したら納得はしてくれたが、毎日やるのは流石に嫌だと拒否され一週間に一度という事になった。
スターオーは特に注意を払うべきなのだが……
「マッサージも欠かしてないな?」
「もちろんです」
V、とピースサインを作ってにこやかに微笑む。
確かにトレーナーが担当ウマ娘の身体に注意を向け、トレーニングに全力を注げる環境を作るのは大切だ。オレ達はそのために存在しているのだし、彼女たちを立派なアスリートにしてやろうという気概もある。
だが、オレ達は支えるだけじゃ駄目だとも思っている。
彼女らが「一人のアスリート」として一人前にならねば意味がないとすら思ってるのだ。
自身の体調を気遣い、栄養管理もある程度まで把握し、コンディションを保つ方法を模索し発見させる。身体の異常にすら気が付かないなんて二流もいいとこだ。
「流石に一年通してずっと管理されてればわかるようになりますよ」
苦笑いしながらスターオーは言った。
この一年間、メジロのお嬢様が覇道を突き進むのを手助けしながらスターオーに『自己管理』を覚えさせるのに徹底した。
シニア級が本番だと思ってたからな。
クラシック級で本格化した自分の肉体を覚えてもらい、成長のピークを迎えるであろうシニア級で十全な実力を発揮してもらおうと考えていたのだ。オレの浅慮など一瞬で崩壊し、やはりウマ娘を完全に分析することなど不可能だと改めて思い知らされたのだが。
「炎症の度合い、疲労感の良し悪し、脳が疲れている状態…………明確に自分が悪い状態であり、それをどうにかする方法の模索。ノートがどれくらい積み重なったか見たほうがいいですよ、本当に」
いや、いいよ。
オレも嫌という程そういう情報纏めたし。
専門家ですら言ってる事食い違ってたりするから滅茶苦茶大変だったしな。
「…………やはり、我がサクラ一門に就職しませんか? いえ、特別講師枠でも構いません」
「イヤだよ面倒くさい。オレはこうやって一人のウマ娘を担当に持ってその子をマンツーマンで導く、それくらいの器だよ」
そもそも中央トレーナー以上に優秀な人材囲いこんでるくせになに言ってんだ。給料はいいかもしれんが、生憎と貯蓄だけは十二分にある。サッカー選手になったのも金持ちになりたかったからじゃなく、ずっとサッカーやりたかったからだしな。
「そうですか。気が変わったら教えてください」
「あいつもそう言うんだよな、本当に。名門なんだしこんな三十路のオッサンは放っとけばいいのに」
タバコが恋しい。
現役の頃はこんなにもヤニに染まる事になるとは思ってもみなかった。
代わりにガムを噛もうにもくちゃくちゃやるのは行儀が悪いし品格も落ちる、仮にも名門を指導しているのならば相応の態度で臨まなければいけない。でも煙草だけは許してください、お願いします。
そう言ってひらひら手を振りながら立ち上がるが、スターオーは珍しく食い下がって来た。
「世界の頂点に一度でも立った人を軽視するほど我々は愚かじゃありません。種目こそ違えど、メジャースポーツにおける世界一の価値をもっと理解していただきたい」
「なんでオレ本人なのに説教されてるんだ?」
「自分自身を軽視してるからです。いいですか、トレーナー」
若干眉間に皺をよせて、不機嫌そうに桜色の尾(頭についてるほうのやつ)を揺らしながら言う。
「たしかにウマ娘とヒトの間では隔絶した差があります。ヒトの専門知識がウマ娘に通じないように、ウマ娘の専門知識がヒトに通じない。そんな事はよくあることですし、それ故にウマ娘のトレーナーというのは優秀な人材しかなれません」
「おおその通りだ。だが優秀な人材しかなれない訳ではなく、中央や名門が抱える人材が優秀なだけだな」
「人の身で
サッカーやってる時だけな。
しかも君らウマ娘みたいに超越者みたいな力を発揮する訳じゃなく、単に究極的な集中力と人並み外れた光景が見えるようになるだけ。アドレナリンの過剰分泌が正しい状態だとオレは思っている。
「あの人言ってましたよ、『まさか
「ウマ娘とサッカーやるのは勘弁だ」
タックルで吹き飛ぶオレ、スライディングに怯えるオレ、強すぎる力に耐えきれず爆発したボールを弔ったオレ。去年メジロのお嬢様に刻まれた数々のトラウマは今も尚オレの胸中に眠っている。
「それに領域が何だってんだ。そんなもん100%の力を出せる奴が120%出せるようになっただけじゃんか」
「十分すぎませんか?」
「120%出しても勝てないレース作ればいいだろ」
オレは天才型だ。
急に自慢みたいになったが、そういう意図ではない。
天才型で努力型で秀才でもある、特にサッカーというスポーツにおいてオレは頂点だった。絶対だと謳われたことだってあるし、負ける事などあり得ないとすら言われた。オレが居る限りチームに敗北はない、なんて讃え方もされたよ。
それでもオレ一人じゃ勝ち目のない試合ってのはあった。
恥も外聞も投げ出し、超一流の選手たちが徒党を組んでオレだけをブロックする。当然周りの選手だって一流なのだからそんなふうに集中狙いしても無駄なのだが、なぜか負けた。
あの時が一番堪えたなぁ。
仲間とのコミュニケーションも上手くいってなかった。
ああいう風になっちまったらお終いだって、そう思い知らされたよ。
「いいかスターオー。領域なんてオカルトがレースを左右するんじゃない。それまでに積み上げた全てが、領域という形で顔を出すんだ。そいつの意地、覚悟、根性、肉体、精神、そしてなによりも──才能って絶対的なものが」
そう、才能だ。
結局のところ、全てをそこに行き着く。どんな言葉も才能の二文字で表せるのだから、これ以上に適した表現はない。
「そしてその才能を使い、相手の才能を潰す。たとえ最強と呼ばれる存在でも、どう足掻いても勝ち目のない舞台に引き摺り下ろせば勝てるのさ」
……とは言え。
ウマ娘はある程度のラフプレーは使っても、グレーゾーンを攻める事はしない。やれば勝てるがやらないというラインをしっかり弁えているし、中央の格式はそれを許さないだろう。
「人はそれを作戦と呼ぶ。自分が100%を発揮できる作戦、相手が100%発揮できない作戦、当日のバ場状況と照らし合わせて自分に足りない要素を拾い上げる作戦。勝負事は奥が深いんだな、これが」
それを組み立てるだけの知識も知恵もスターオーには備わっている。
オレが二年間かけてしっかり基礎を組み上げようとした計画を、こいつは一年前倒しにして終わらせた。ならばもう出来る筈だ。
「……出来るでしょうか、私に」
「おうとも。お前の努力はオレが保証する」
そして、トレーナーとして一番の仕事はこれだ。
年頃の情緒不安定な娘さんを不安にさせないように、とにかく肯定する。お日様の下を胸を張って歩けるように導くのがオレ達の役割だ。
「まずは皐月賞を獲る。弥生賞の時点で歴代2番目の速さなんだ、最速でゴールすることも夢じゃないだろ?」
「……ふふっ。そうですね」
スターオーはまだまだ伸びる。
実力もそうだが、一人のアスリートとして大成するだろう。オレが担当していたもう一人のウマ娘は『家を継ぐのでそんな道御免ですわ』と言いながらチームから去って行った。中々に薄情だぜ。
そして彼女は立ち上がり、先程までの緩やかな空気感を消し飛ばした上で、瞳に情熱を宿しながら言った。
「必ずや三冠を捧げましょう。唯一この私に手を差し伸べてくれた、貴方に」
覚悟も闘志も準備も万全。
勝負は終わるまでわからないものだと、オレはわかっている。
優勝確実だと謳われた強豪校が、弱小の公立高校に破られた例を見たことがあるから。
だが、それでも────スターオーならば必ず獲るのだろう。
そう、思った。
サクラスターオー
・名門サクラ一族出身だが、右脚に発達不良を患っておりハンディキャップを背負っている。名門を未勝利で終わらせトレーナー人生が終わるというリスクと、少女一人の人生がほぼほぼ確実に暗黒で終わるのを見届けたくないというトレーナーのエゴで全然トレーナーが決まらなかった。選抜レースにて川内トレーナーに見つかりスカウトされた。
ディクタストライカ
・今回出番なし、夏休み前にメイクデビューするまで本格的な出番はない。川内トレーナーのことは幼い頃から知っていた。