四月一九日。
選抜レースの日は授業が無く、レースに集中する為やトレーナーによるウマ娘の能力の分析等の理由があり、原則授業は無しとなっている。たまに成績が危ない生徒は、座学専門担当の先生に付きっきりで居残り授業という地獄へまっしぐらである。
リギル所属のグラスワンダーは、現在短距離戦で出走しているウマ娘が争い、賑わうターフの中、体操服を着て自分の出番を待っていた。その立ち姿は、ビシッとした背筋とは裏腹にどこかおっとりとしているが、心の中では勝負心に燃え上がる情熱を宿していた。
「おうグラスやんか。アンタならやっぱりウチとかち合う事になったんか」
その声にグラスは首を微動だに動かさず静かに目線を声の方へと向ける。自分よりも身長の低いウマ娘の姿が見える。
「あら、タマモ先輩。私もタマモ先輩のような方と同じレースで競えるなんて光栄です。しかし勝負であれば先輩方でも容赦しません。その首討ち取るつもりでやらせてもらいます」
それを聞いたタマモクロスはゲラゲラと笑い始める。周囲が歓声にも負けない程の笑い声。やがてタマモは落ち着くと。
「おう、随分と物騒な事言ってくれるやんけ。せやけど勝負っちゅのはそうでなくちゃつまんないよな。グラスがそうきてくれるならウチもやりがいがあるっちゅわけで、グラスに嚙み殺す覚悟でやらせてもらうわ」
ギロリと、互いの視線が交差する。猛獣のような殺意と歓喜に満ちた視線が、近くにいるウマ娘達にも伝わったのか、ダラダラと汗が零れていくのをグラスは視界の端で捉えた。
タマモもそれに気づいたのか、ため息をついてやれやれとした感じで、
「なんや、この程度でビビられたら張り合いがないってこと位分かるやろうに」
「……流石にこれに関しては慣れだと思いますけど」
グラスとしては、これは精神とメンタルの問題だからある程度の恐怖でビビるのは仕方ないと思ってる。
(しかし、この程度でビビられては、やはり張り合いがない相手と戦うのは面白みがないものですね)
グラスは、自分の心が冷めそうになったがレースのことを考えてなんとか持ち直す。
「…………?」
『一〇分後に中距離戦を始めます。Aグループはスターティングゲートの方へと移動をお願いします』
「お、そろそろウチらの番か。楽しいレースになると良いな」
「……そうですね」
「ん、なんや?なんか気になるものでもあったんか?」
「いえ、私達も行きましょう」
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『選抜レース、距離一六〇〇メートル中距離戦。現在ライスシャワーが先行して三馬身離れたところにマヤノトップガン、その外グラスワンダーとトウカイテイオー、内側にナイスネイチャ、ウイニングチケット、タマモクロス、後方から離れてマチカネタンホイザがペースを徐々に上げてる模様です。ちなみに実況はこの私生徒の模範であるこの学級委員長サクラバクシンオーがお届けしてます!バクシーン!』
グラスは視線を僅かにずらせて、自分と並んで走ってるポニーテールのウマ娘を見る。
名前は確かトウカイテイオー。
数年目に突如としてその名をトレセンまでに轟かせた注目のウマ娘。現役のウマ娘をすら軽く追い抜かせるほどの圧倒的な速さと末脚の切れ味を兼ね備え、いつかは皇帝を超えるかもしれないと噂され世界中から注目されているウマ娘。
(その余裕の表情……。余程の自信があるのでしょうか)
周囲は勝利を目指し、その表情はまるで飢えた猛獣。なのに、まるでなにかの遊びかのような笑みを浮かべながらこのレースを走ってる。
(……変な人ですね)
ならば、と。
「ここで現役の力を見せつけてあげましょう。その余裕の表情を完膚なきまで落としてあげます」
『おっと!ここでグラスワンダーによるが展開された!見えない空間へと自身の領域に引きずり込む攻撃型の領域が一気に広がっていく!』
外の世界が、出走者達全員がグラスによって展開された薄暗い空間へと引きずりこんでいく。能力や魔術によって作られた空間ではない。ウマ娘の世界で発見された超能力や魔術以外の第三の異能の力。
通称。
超能力や魔術とは違い、ウマ娘持つ異能の力の一種であり、例えば相手を拘束させるデバフスキルもあれば、自身のスタミナを回復させたりスピードのキレや速度を上げるバフスキルもある。まるでゲームのような話だが、実際にあるウマ娘世界で発見された異能の力。
領域は、自身の限界から入る完全集中型、自身の領域を展開させて相手をデバフで叩き落す攻撃型、自身を護るデバフだけでも護る防御型、この三つに分けられている。別に肉体そのものを領域に引きずり込むのではなく、意識体を領域へと引きずりこむのだ。その中で今グラスが発動させたのは攻撃型だ。
(第三の力であるスキル。この世界に来てから思わぬ発見でしたがこれもまた何かの縁。早速ですがトウカイテイオーさん。新人潰しな感じで多少躊躇いはしますが、勝負であるならば情けなど無用。貴女には早々脱落……を……?)
ふと、グラスは気づいた。
グラスは領域にいる、はずのトウカイテイオーの姿がいないことに気づく。
おかしい。何故いない?
領域は、発動者を中心に半径五メートルは絶対に引き込まれるのが領域だ。例えどんな手段を用いたとしても、発動者を中心に半径五メートルにいる限り必ず引き込まれる。それが領域。
なのに、
「何故トウカイテイオーはいないのですか!?」
グラスは思わず領域を解除する。意識が急激に現実へとピント合わせられていく。
『おや?グラスワンダーが領域を解除したようですが、これもまたなにかの作戦でしょうか?』
現実に戻ってきたところでグラスは前方を見るが、先頭はライスシャワーやマヤノトップガンとやらしかいない。仕掛けるにしてもまだ第三コーナーに入ったばかりだ。
(……いや、まさか……!)
不気味な鼓動を感じながら、グラスは恐る恐る隣を見る。そして、現実が本当の意味で叩きつけられた。
トウカイテイオーは、隣にいた。
(ありえない、ありえない!!確かに、トウカイテイオーさんは他のウマ娘とは違って波長の乱れが異常値なのですが、たったそれだけの理由で領域内へ落とせないことはないはず!)
領域が効かないのなら別の策でカバーする。
スキル。
スキルなら、領域問わずに色んな場所で発動できる。が、領域外だと多少発動に時間が掛かる。そのため、愚策ではあるが多重構成で一気に畳み掛ける。
(独占力。束縛。先行駆け引き。これだけで充分ですね!)
『おっと!第三コーナーカーブを曲がったところでトウカイテイオーが仕掛けました!ナイスネイチャも上がってきました!後ろからマチカネタンホイザも徐々に追い込んできてますよ!』
「……敵ながら天晴なタイミングですね。そこは褒めましょう。ですが__」
グラスも、土に脚を叩きつけて、
「__緑の大地における赤き戦場にて、我これより出陣致す」
『グラスワンダーもここで仕掛けた!タマモクロスも上がってきました!第四コーナーを終えてラストの直線!!ライスシャワーもマヤノトップガンも上がってきてますがどうもイマイチな様子です!その僅かな隙を見逃さなかったトウカイテイオーが一気に先頭へ舞い降りた!!圧倒的なスピード!』
グラスはスパートを掛けたと同時にスキルも発動させた。デバフの他にもバフを掛けてスピードにキレを持たせる。
『グラスワンダーが迫る迫る!己の体に潜ませ、勝利の飢えを解放させた武士が一人一人静かに刺すかのように、背筋に寒気を覚えさせるオーラを纏わせながら迫っていく!しかしタマモクロスも牙を剥き出しにして噛みついてきた!!ゴールまで残り六〇〇メートル!さあ最後に勝つのは新入生か、それとも現役生達か!?』
「……追いつかない!?」
確かにグラスはスキルを発動させた。ライスを追い抜く時にもがいてる表情を確かに見ていた。他のウマ娘だって僅かに脚が衰え始めているのも見た。
だが、テイオーは衰えるところか寧ろキレが増していた。
(何故、です?スキルを使用する際、ウマ娘としての本能が騒ぐはずです!ですが、貴女からは何も感じない、しかもデバフも発動させてない!どういうことなのですか!?)
「良いねェ良いねェ!最ッ高に良いねェ!!愉快に素敵に腰振って逃げるバカは見てて飽きないぞォ!!アァ!?」
「あ、脚が……重い……!!」
さっきの束縛が、まるで跳ね返されたかのような違和感がある。懸命に脚を動かしている、が。
『早い早い!!流石あのトウカイテイオーだ!!後方のウマ娘を大きく突き放して大差でゴール!やはりこのウマ娘、世界に注目されているトウカイテイオーだ。あのシンボリルドルフに並ぶと噂されていうこのウマ娘は一体どこまで行くのか、私も楽しみであります!』
「くっ……。なんとか二着までは死守できましたか……」
『さ、三着……。いやまあアタシらしいし、むしろ普通って感じ……?』
「……?」
グラスは、さっきまで隣で争っていた赤髪のウマ娘の雰囲気に眉を潜めた。
(さっきまで狂気な笑みで走っていたのに、急にまともな人へと戻った……?)
いや、前世の世界ではそういう人物だったって考えれば不思議では無いが、あそこまで乱れるものなのかは少々疑問だが。
「……けど、負けは負けです。私は首を討ち取られてしまったのですね」
「なんやグラス。えらい落ちこんどるやんか。そんなに敗北が気になるんか?」
「タマモ先輩……」
「確かにウチらはあの新入生に完膚なきまでに倒された。あれ以上の試合をされて文句なんて無い。けど、負けたからには次で勝つんや。ウチがオグリに背中を見せつけて、ウチがオグリに背中を見せられたように、な」
「……ですね」
グラスは、雪辱を胸に収めて決意する。
次は、必ず射止める。