黛の高校生活は、青い春というよりただただ沼だった。 作:バナハロ
とりあえず、タオルを玄関からバスルームまで敷いた上で、母親に今の時間からパンツを買ってきてもらい、それと冬優子の大きめの寝巻きを用意しておく。女物だが、そんなに女っぽいものでも無いので大丈夫だろう。
今、樹貴はシャワーを浴びているので、それが終わるまでリビングで待機していると、母親が帰ってきた。
「ただいま〜」
「ただいま」
「お帰りなさい。ごめん、変なお願いして」
「平気よ。……水上くんは?」
「……今、シャワー浴びてる」
本当に驚いた。スマホも財布も持ってきておらず、服装も十中八九パジャマだ。どうやってここまで来たか、なんて徒歩以外に考えられない。
すると、父親が眉間に皺を寄せて声をかけてきた。
「冬優子、男を連れ込んだのか?」
「あなた、黙って」
「え、でも……冬優子の貞操が……!」
「……」
「……き、着替えてきます……」
圧力に負けている。おそらく母親がマジでキレると怖いのはどこの家庭でも同じだろう。
母親が、改まった様子で聞いてくる。
「どうしたのよ?」
「分かんないわよ、ふゆだって。急に来て傘も靴も履かずに『泊めて』って……昼会った時とは別人だったもの」
「……そう」
両親と何かあった、としか思えない。普通じゃないらしいから。
「とりあえず、下着。私、夕食用意するから、持って行ってあげて」
「ありがとう」
「いいわよ。冬優子ちゃんのお友達でしょ? 大事にしてあげなさい」
……それは、むしろ冬優子が樹貴の母親に言ってやりたい言葉でさえあった。
とりあえず、パンツを持って脱衣所に入ると、樹貴は既にシャワーを浴び終えていて、身体をバスタオルで拭いていた。
「んなあっ……〜〜〜っ⁉︎」
「……あ、ごめん」
「か、隠しなさいよ!」
「ん、ああ……」
樹貴はワンテンポ遅れて、バスタオルで下半身を巻く。……ほ、本当に良い身体しやがって……と、変な感想が羞恥心と一緒に漏れた。あと……男の人のアレってそんな形してたんだ……とも。
でも、樹貴本人のあまりに薄いリアクションに、冬優子も思わず大きなリアクションは取れない。
「は、はいこれ! おかあさんにパンツ買ってきてもらったから!」
「え、ごめん。わざわざ」
「ちゃんと事情聞かせてもらうからね! 変な理由だったら、お金返してもらうから!」
「いや金は普通に返すよ」
「い、いいから、さっさと着替えてまずは出て来なさい!」
「……ん」
あまりにもしおらしく、肩を落とした様子で樹貴はまた身体を拭き始めたので、冬優子はパンツだけ置いて部屋を出た。
しばらくリビングにいると、自分の服に身を包んだ樹貴が入ってきた。
「着替えもサンキュ」
「いいから、どうしたのよ」
「殴った。お袋」
「は?」
「で、逃げた。家から」
「……変な理由だったら追い出すって言ったわよね」
聞いた限り、どう考えても樹貴が悪い。親に傷害罪を犯した上で逮捕を恐れて逃げ出した、と言うのが普通に考えた場合の結論だ。
「……パンツ代払え、じゃなかった?」
「同じよ。出て行きなさい」
「……ごめん」
……なんで言い訳しないのか。樹貴が、理由もなく殴るわけないことは分かっているのに。
苛立ちながらも、やはりこのまま追い出しては意味がないと思い、慌てて後を追って手を掴む。
「待ちなさいよ。なんで殴ったの?」
「……」
「話してくれないとホントに分からないから。ふゆはニュータイプでもイノベイターでも無いのよ」
「俺もだよ」
「だから話せっつってんの!」
「……分かった。ごめん」
「次、謝ったらビンタするから」
そんな痛々しい謝罪が聞きたいわけじゃない。何があったのか、だ。
改めて席に座らせ、とりあえず麦茶だけ出してあげる。
「元々、出掛ける前からヤバい予感はしてたんだよ。部屋から余ったカード持ち出してるの、お袋に見つかったから。大量のカード買ってるのもバレて、殴られた」
「……その頬の腫れ、転んだんじゃないの?」
「そんなわけないじゃん」
……まぁ、そりゃそうか、とすぐに理解する。どんなギャグ漫画時空で生きてたら、机の角に頬をぶつけられるのか。そもそも、樹貴の部屋は綺麗に片付けてあるし、その時点で気付くべきだったかもしれない。
「で?」
「帰ったら、部屋全部漁られてて、隠してたゲームも漫画もフィギュアも、全部なくなってた」
なくなってたって……あの天井や壁に仕掛けられたとんでもショウケースをひっぺがされた、と言うことだろうか?
「そしたら、親が帰ってきて……全部売ってきたって。そんなもんやってる暇があるなら、勉強しろってよ」
「勉強って……あなた学年トップでしょ。まだ中間も終わったあとだし……」
「数学、94点が気に入らなかったんだとよ。数学と化学と物理は最低でも95以上取れっていつも言われてるから」
「はぁ?」
なんだそれ、と冬優子は割とマジでドン引きした。そんなの、無理に決まっているが……今はそこよりも、殴った理由だ。
「全部売られたから殴ったわけ?」
正直、冬優子でも殴るかもしれないが、冷静に考えるとそれで殴っても殴った側が悪い。手を出すのは良く無いからだ。
「いや、前にも似たようなことあったから、そこは別に良かったんだけど……いや、良くはないけど」
「いいから。で?」
「親が帰ってきてから、言い争いになって。俺が持っていってたから無事だったポケカ取られて、黛と一緒に作ったデッキも、黛がくれたファイアーサンダーフリーザーも、全部ゴミ箱に捨てられた」
「っ……」
それは……いや、それでも結局カードが大事だから、と思われても仕方ないが、多分自分と一緒に作ったデッキを捨てられたから、なのかもしれない。特に、親の中にはカードの価値がわからない人も多い。このくらいは捨てたって良い、と言う認識なのかもしれない。
「それでも耐えてたけど……『カードゲームを一人でやるわけがない。一緒にやってる友達と縁を切れ』って言われて、無理だった。殴った」
「っ……そ、それって……」
「黛の所為ってわけじゃないから」
少し、後悔した。もっと早く彼の話を聞いていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。何か……何か言えること、やれることがあった気がしてならない。……いや、他所の家庭のことだし、なかったかもしれないが……。
ふと、机の下から樹貴の足が目に入る。ここから樹貴の家まで、駅と駅の間分は空いている。歩けば30〜40分は掛かるだろう。そんな距離を裸足で走れば、当然傷も多くつくわけで。
「……でも、やり過ぎたとも思ってるよ。俺も結構、悪いことしてたから」
「そんなこと、ないわよ。ふゆでも、怒ってる」
「いや、禁止されてたからって嘘ついてたんだよ。勉強しに行くって言って、黛の家に遊びに来てたから」
「……そうなの?」
「試験で良い結果出せばアリバイ成立すると思ってたし、今までも成立させてた。サッカー部辞めたのも、親にバレて辞めさせられたからだし」
「え……」
「部活はバカになるだけだからやるなって言われてたけど……サッカーやりたくて、親のサインと印鑑を自分でして入部した。俺、筆跡は20種類くらいなら作れるし」
相変わらず訳がわからない特技を持っている男だ、と思う反面、少しどっちもどっちな気がしてきた……いや、そもそもやはり勉強にそこまで拘る理由を知らない事にはなんとも言えない……。
「お父さんは何も言わないわけ?」
「いない。中3のときに離婚した。稼ぎがお袋より少ない親父の7回目の浮気が原因で」
「……」
聞けば聞くほど切なくなっていく……。今まで、彼が明るく振る舞っていたのは、そういった暗い面を表に出さない為だったのかもしれない。……いや、出さない為というか、無意識にそうなっていたのだろう。
自分でいられる場でだけ、自分でいる。冬優子とは、真逆だが……冬優子には、自分を出せない場にも一人だけ樹貴という出せる人間がいた。
……でも、樹貴は家では、自分を表には出せなかった。良い子のふりをしてゲームも封印して、やりたくもない勉強をして……試験前は、その反動で熱が出るほど頑張って。
……それなら、確かに家にいたくない気持ちも分かるかも……と、冬優子が思いかけた時だ。
「……でも、ちゃんと仲直りしないとダメよ」
調理中で、話が聞こえていたのだろう。母親が料理を持って机に並べながら口を挟んでくる。
「厳しいかもしれないし、行き過ぎな躾かもしれない。……でも、全部あなたを想ってお母さんは言ってるはずだから」
「だと良いんすけど……」
「そうなの。あなたに意地悪したいだけでそういう事してるなら、家庭内暴力とかに発展してるはずでしょ?」
「殴られましたよ」
「それは嘘ついてたから。そんなレベルのものじゃなくて、バットで殴ったり、刀で叩き斬ったり」
「刀……?」
「何かない? あなたの事を、お母さんが心配してるって分かる事」
「何かって言われても……」
冬優子も思い当たらない。まぁそもそも顔を合わせた事が少なすぎるから、よく分からない……と、思った時だ。
そう、その顔を合わせた日だ。そういえば、あの時……冬優子がその日だけ樹貴の面倒を見るふりして、部屋の中を見学するつもりだった時だ。確か、樹貴はこう言っていた。
『お袋が帰ってくるの、20時過ぎくらいだから、それまでに帰ってね』
だが、実際に帰ってきた時間は……。
「そうよ、水上」
「何がそう?」
「風邪ひいた時、随分と早いお母さんのお帰りだったじゃないの。あれ、あんたが風邪引いてたから早く帰ってきたんじゃないの?」
「……」
言われて、樹貴はその時のことを思い返すように天井を見上げる。
「そっ、か……そうなのかな……」
「身近な人の愛情って、分かりにくいものよ。不器用な人なら、なおさらね」
冬優子の母親がそう言うと、樹貴は俯いたまま小さくため息を漏らす。普段、感情を読み取りづらい樹貴だが、今回ばかりはすぐにわかった。……殴った事を後悔している顔だ。
「……帰る」
「バカね。帰るなら明日にしなさい。もう夜遅いし、その格好のまま帰るつもり?」
「似合ってない?」
「ふゆのよそれは!」
「あ、そっか。てかこれ、女装じゃん。やばっ」
「……」
いつもの調子に戻った。鬱陶しいのに……なんだろう、なんかやたらとホッとしてしまう。目の前の男に暗いままでいられると、少し嫌だ。
「じゃあ、水上くん。うちの電話使って良いから、お母さんに連絡しなさい。今日は、冬優子と同じ部屋で寝て良いわよ」
「良いんすか?」
「良くないわよ! 真に受けてんじゃないわよバカ!」
「いや電話借りて」
「……ーっ! ーっ!」
「ちょっ、叩くな叩くな。意外と重い」
「重いってどういう意味よコラァッ!」
「じゃあ……すみません。玄関にあった子機借りますね」
「どうぞー」
それだけ話して、樹貴は一度、リビングを出て行った。その様子を眺めながら、冬優子は机の上に項垂れる。
「はぁーあ……なんか、一気にいつもの喧しいバカに戻ったわね……」
「その割に楽しそうじゃない」
「やめて」
さっきまでよりマシってだけだ。……それに、冬優子自身にも思うところはある。今まで、彼の様子がおかしかったり、親との関係がうまくいっていないのは分かっていた。
でも、自分は何もしなかった。こうして彼が追い詰められ、助けを求めるまで、何も……。
「はぁ……」
「冬優子ちゃんは、よくやったと思うわよ」
「っ、な、何の話よ……」
「普通、どんな事情があっても家から追い返しちゃうもの。入れて、話を聞いてあげて、下着を用意してあげたの、ちゃんと友達してると思うわ」
「そ、そんなんじゃないから」
「でも、彼のお風呂場に突入するのは良く無いと思うわ」
「ちっがうわよ! あれはまさか……!」
ていうか、そうだった。自分は彼の彼を見て……。
「あら、顔真っ赤。むっつり」
「うるっっっさいから!」
「でも、ちゃんと支えてあげるのよ。良い子なんだから」
「いつも支えてるわよ」
「なら良いけど」
そもそも、本当ならわざわざ支えてやることも無いだろうに。友達とは言え、そこまで世話を焼く義理は無い……が、でもそういえば今日は、マツリカをもらってしまったし、カード屋を案内してもらったりしたんだよなぁ……と、少しだけ思う。
こう言うのも助け合いなのだとしたら……まぁ、確かに助け合いは重要なのかもしれない。
「……」
少し、ため息をついたまま食卓で待機した。
×××
樹貴が眠るのはリビングのソファー。そこに冬優子は集まり、二人で並んでゲームをする事にした。見方を変えればせっかくのお泊まり会なので、夜通しゲームをやるのだ。
「何やるよ。たまにはスマブラ以外のことする?」
「例えば?」
「A○EX。交互にやって、長く生きてたくさんキル取った方の勝ち」
「……上等じゃない。負けたら?」
「うーん……せっかくお泊まりだし、そうだな。二次元での過去の嫁暴露」
「急にバラエティみたいになったわね……ていうか、あなたA○EXはやった事あるのね。PC?」
「プレ4でネトフリとか見れるから、設置が許可されてんの。お袋の趣味、サスペンスドラマだから」
意外と身勝手な理由なんだな……と、冬優子としては思ったが、まぁここ数年で父親と別れたのだし、息抜き出来る趣味はあった方が良いのだろう。
……もしかして、彼女と別れたのも母親が関係しているのだろうか?
「ちなみに、彼女とはどうして別れたの?」
「ああ、サッカー部のマネージャーだったから。フラれる時『サッカー部のレギュラーだから付き合ってあげてたけど、辞めるなら別れる』って言われた」
「いるのね、肩書きしか見ないような女……」
「そういう方が多いでしょ」
そして、それは男も同じだ。男の場合は自分の肩書を売りにして女に迫り、なまじ実績があるだけあってプライドは一丁前。冬優子にも覚えがある。
少し嫌な事を思い出していると、その冬優子に隣の樹貴がしれっと言った。
「……だから、黛と一緒にいるのは楽しい」
「き、急に何よ……ナンパ?」
「え、いや本音。今日は泊めてくれて助かったから、たまには素直に気持ち伝えないと」
……少し、嬉しい。中学の時も小学生の時も、猫被りを茶化されて手をあげて怒られたから。
だから、そんな自分を隠して来たのに……隠してる部分を肯定されると、やはり少しだけ嬉しくて……それでいて、やはり素直に喜べなくて。
「いつも無駄に素直でしょあんたは」
「まぁ、黛に比べるとね」
「どういう意味よ!」
「ツンデレはやっぱり可愛いって話」
「ブッ飛ばす!」
「もう夜だから大きな声出さない」
「あんたが言うな!」
こうして大きな声で本当に漫才みたいな事を言い合うしかなかった。
ふぅ、と少し冬優子は落ち着いて、隣のバカを見る。ここまで余計な事を言える性格だと……やはり明日が心配だ。
「……ねぇ、明日帰るんでしょ?」
「うん。……あ、靴とかどうしよ」
「それはサンダルでもなんでも貸すけど。ちゃんとお母さんと和解出来るんでしょうね?」
「余裕」
「……」
……不安だ。
「……明日、ふゆも行くわ」
「え、黛もお母さんと喧嘩してんの?」
「違うわよ、バカ。あんたについて行くって言ってんの」
「え、わ、わざわざ?」
「……喧嘩になって、またうちに来られても困るから」
その辺わかってほしい。じゃないと、また母親に揶揄われる。父親もマジギレしてしまうかもしれない。
「ふゆ、あんたのお母さんと一回しか顔合わせてないから分からないけど……人の話に耳を傾けるタイプに見えなかったんだけど」
「それはそう。まぁ、でも聞かせるから」
「……」
「それに、黛にこれ以上、迷惑掛けられないから」
それはそう……だけど、それでうまく行かない方が迷惑でもある。
「とにかく、行くわ。不安だから」
「まぁ、来てくれるなら助かるけど……」
「ん。さ、じゃあA○EXね」
「負けた方がなんだっけ? 罰金?」
「違うわよバカ」
そのまま二人でゲーム大会を始めた。
翌朝、そのまま寝落ちした二人は、冬優子の肩の上に樹貴が頭を乗せ、その頭の上に冬優子が乗っているのを冬優子の母親によって発見され、そのメモリアルはスマホに収められた。
×××
さて、樹貴と冬優子は、水上家に到着した。休みの日は普通に母親も家にいるそうで、樹貴が冬優子の自転車を借りて、ニケツで移動。
「……ニケツ上手いのね。あんまり揺れない」
「一応、元カノいたから。言われるよ、彼女いると『お尻痛い』だの『ゆっくり走って』だの……まー気を使うよ」
「ふーん……」
まぁ、気持ちは分かる。たまにあえて許したりする奴もいるが、普通に危ないのでやめてほしい。
にしても、これからあの圧がある母親と会いに行くのか……と、ちょっとだけ冬優子は少し胃を痛める。
「……なぁ、黛」
「何よ」
「ホント、ありがとう。来てくれて」
「はぁ?」
「……多分、また喧嘩になるかもしれなかったから」
「……」
意外と、もしかしたら樹貴もビビっているのかもしれない。……いや、そもそも忘れていたが、昨日の夜は部屋にある樹貴の趣味のものは全て売られてしまったのだ。せっかくのポケカも捨てられ、改めて思うと「そりゃ殴られる」と思われてもおかしく無いこと、結構されている。
冬優子も「自分なんかが役に立てると良いけど……」と、今になってヒヨってしまった。
「そう言うのは、ちゃんと仲直り出来てからにしなさい。弱虫」
「そうだな。ごめん」
さて、それだけ話して水上家に到着した。昨日、電話したらしいので、アポは取れてるんだろうけど……と、思いながら、家の玄関を開ける樹貴の後に続く。
「ただいま」
「おかえり」
玄関で待っていた。相変わらずの圧力である。若そうで美人なのに……恐怖しかない。
その母親は、冬優子の方にジロリと視線を向ける。
「その子の家に泊ってたの?」
「そう。黛冬優子、クラスメート」
「そう。ま、どうでも良いけど」
「……あ?」
直後、圧が増えた。母親に負けないくらいの怒気が、樹貴から放たれる。思わず少し鳥肌が立ってしまうほどだ。
え……こいつ怒るとこんなに怖いの……? と、思わずギャップを感じてしまったほどだ。ちゃらんぽらんなやつほど怒ると怖い、は萌え要素ではなく普通に畏怖の対象だと認識しつつも、とりあえず後ろから樹貴の肩に手を置く。
「……落ち着きなさい。仲直りに来て怒ってどうするのよ」
「あ……ごめん」
「ふゆなら、何言われても平気だから。落ち着いて話しなさい」
言われた樹貴は、すぐに落ち着きを取り戻す。そして、頭を下げた。
「……ごめん、殴って。あと、嘘ついて」
「分かれば良いけれど。で、他に言うことは?」
その上から目線の言い分は、冬優子も少しイラっとする。今回の件、母親だって手をあげているわけだし、お互い様な気がしないでも無い。
案の定、樹貴はすぐに言い返した。
「そりゃこっちのセリフ。俺だけ謝って終わりか?」
「いつも言ってるでしょ。ゲームや娯楽なんて時間の無駄。バカになりたくなければ勉強しなさいって」
「学年トップでまだバカだと思われてんのか俺」
「それを維持して初めてバカじゃなくなるくらい分かりなさい。そこから転落する恐れがある人は総じてバカよ。……で、バカは大体、人を裏切るの。あの人みたいに」
父親のことか、とすぐに冬優子は理解する。それと同時に、なんとなくわかった。この人、もしかして……と、思い、冬優子は口を開きかけたが、その前に母親が言った。
「……そこのあなた」
「っ、は、はい。ふゆ……わ、私ですか?」
「そう。あなたがたっちゃ……樹貴が嘘ついてまであそぼうとしてた子ね?」
「ま、まぁ……たっちゃん?」
「来なさい。あなただけ」
「えっ」
な、なんでふゆだけ? と思った。ていうか、圧があって普通に怖いし。当然、樹貴も冬優子の前に出る。
「おい、何する気だよ。ビンタか? それともカードみたいに投げ捨てる気か?」
「面接。あなたはここにいなさい。ガールズトークを盗み聞きするとロクな事にならないよ」
「殺人現場を見逃してもロクな事にならないけどな」
「水上……!」
グイッ、と樹貴の肩を引いた。
「ふゆなら平気」
「だ、大丈夫? 何かされそうになったら『助けてー』って叫ぶんだよ?」
「はじめてのおつかいか!」
本当になめられてるのかなめられてないのか分からない男だ。
そのまま「お邪魔します」と今更ながらに挨拶して靴を脱ぎ、スリッパを借りる。連れて行かれたのは、リビングだった。
「座って」
「あ、はい」
座らされたのは椅子。その向かい側の席に母親も座る。……やはり、圧がすごい。今にもあの若干ウェーブが掛かった髪は蛇のように動き出しそうだ。
その女性は、机に両肘をつけて、正面から自分を見据え、口を開いた。
「単刀直入に聞きます」
「は、はい……」
「息子とどういう関係ですか?」
「? クラスメートですけど……」
なんだろう、どういう関係って……別に特別なものではない。……いや、普通とも言い難いかもしれないが。
「では、聞き方を変えます。何を企んでいます?」
「……はい?」
「惚けないで下さい。……あの美形でおしゃれでスタイルも良くて運動も勉強もそこそこ出来る完璧な男を狙わない女性はいません。……何を企んでいます?」
「……」
あれ、この人やっぱり……と、少し緊張していたのがバカらしくなっていく。
「何も企んでいません。……というか、いつも振り回されています。お宅の息子さんには」
「惚けないで下さい!」
「……」
「あの子は、私のたった一人の家族です。あの子が普通の人生を歩んでいけるようにするのが私の義務です。……だから、あの子に変な事を教えるのはやめて下さい」
「変なことって、カードゲームとかの事ですか?」
「……ええ、そうです」
別に自分からやろうと言ったわけでは無いし、オタク趣味も元々、樹貴が持っていたものなのだが……まぁ、良い機会だ。活かすしかない。
「ゲームの何がいけないんですか?」
「頭が悪くなります。頭が悪くなると……普通ありえない行動をし始めます。……私の元夫がそうでした。仕事も出来なくて、頭も悪くて、稼ぎも少ない……私の稼ぎが無ければこの家を買う事だってできなかった。その癖に、私に怒られる度に外で女を作って来ました。離婚を切り出した時、何故別れると言われたか、理解さえしていませんでした。あの子には、そんなバカになってほしくありません」
「……それと同時に、樹貴くんを手放したくない、ということですね? 或いは、樹貴くんがゲームやアニメに現を抜かし、自分を無視するようになってほしくない、と」
「っ……」
図星のようだ。夫はいなくなった、だから息子への執着が強くなったのが本音……という事だろう。
何年も猫かぶりを続け、他人を不愉快にさせないための言動を繰り返してきた自分に、その程度のことを見抜くのは造作もない。
それ故に、冬優子は自らを出す事にした。相手を信用させるには、まず自分が素を出す事だ。
バンっ、と机を叩きながら立ち上がり、作り笑顔を崩して睨み返した。
「息子に甘えてんじゃないわよ! あのバカは、ゲームにどんだけハマったって、成績は落とさないしあんたをシカトするようになったりしないわよ!」
「……えっ?」
直後、部屋の扉が開いた。
「黛! すごい音したけど大丈夫か⁉︎」
「引っ込んでなさい! 音源はふゆよ!」
「アッハイ」
すぐに追い出し、冬優子は続けて母親に告げる。
「約束を守ることに関してはピカイチでしょうが! ふゆの素を結局、他の誰に話す事もしてないし、ふゆが自爆しそうになった時はフォローもしてくれるし、そんな簡単に他人を裏切るような奴じゃないでしょ!」
「っ……そ、それは……」
「確かにあんたに嘘をついてたかもしんないけど、やりたい事ばかり封じられて勉強ばかりさせられたら、隠れて趣味をやるくらい高校生なら当たり前だから! 嘘はつかれたかもしれないけど、嘘をつかせたのはあんたでしょうが!」
「そ、そんな……」
「その分、あんたを失望させないように、試験終わった後、熱が出るまで勉強してたし、その間はふゆともほとんど遊ばなかったし、ちゃんとメリハリくらいつけられる。それをあんたが勝手に信用してないだけ!」
言いたいことを箇条書きのようにぶち撒けたので、少しずつ何が言いたいのか分からなくなってきた。
それでも、強引に言葉をまとめた冬優子は、樹貴の母親に続けて怒鳴った。
「と、とにかく! あんたがあいつを信用しないと、あいつだってあんたを信用しないから! それくらいの道理くらい理解しなさい!」
「っ……」
言われて、完全に母親は狼狽え、あの圧力などかけらもなくしどろもどろになっている。
肩で息をしていた冬優子は、そこでハッとした。……そういえば、廊下にあのバカがいるのに、つい本音を……茶化されるかも、と冷や汗をかきながら廊下の方を見る。
あのバカは姿を見せていないが……まさかスマホで録画とかしてないだろうな……と、不安になったので、一度廊下を出た。
「水上……」
声を掛けると、樹貴はビクッとして後退りする。
「? 何してんの?」
「い、いや……あの、うん。ちょっと……心の準備を」
「何の話よ。そんな事より、あんたさっきの話……」
直後、ビクッとして耳を塞ぎ始めた。あ、こいつ何かやましいことあるな、と思った冬優子は、すぐにその両手を掴み掛かった。
「コラ、聞きなさい! あんた今の話が何よ⁉︎」
「ちょっ、黛やめっ……な、なんでもないから……!」
「録画してたわけ⁉︎ それをふゆのお母さんの前で流すわけ⁉︎ 殺すわよ⁉︎」
「そ、そんな事しないから……ただちょっと……うん、なんでもない」
「その反応でなんでも無いわけあるかああああああ!」
「お、お前は全然俺のこと信じて無いじゃん!」
それとこれとは話が別である。そのまま掴み掛かり、樹貴のズボンのポケットに手を突っ込む。
「ちょっ、どこ触ってんの⁉︎」
「いやなら素直に出しなさいよ!」
「本当に何もしてないから!」
「あんな分かりやすい態度で嘘じゃないことがあってたまりますか!」
「わ、わかった、分かったから! 言うから!」
そこまでやってようやく、樹貴が語り始めたので、冬優子は一度手を止める。……まぁ、両手を離したわけでは無いが。
そこでようやく気がつく。ほんのりと、樹貴の頬が赤くなっていることに。え、この男が照れることあるの? と、思っていると、その赤くなったままの自分よりガタイが良いはずのイケメンは、照れた様子でポツリポツリと呟いた。
「そ、その……黛が、そんな風に思ってくれてるって知らなくて……ちょっと、照れてただけ……」
「……」
冬優子も同じように少し顔が赤くなる……確かに、結構恥ずかしい告白はしていたかもしれない。
が、それ以上に思ったのは、目の前のギャップの塊のような男が、照れて顔を赤らめている姿。そんな様子を見させられると……照れより、嗜虐心が湧いてしまう。
「あらあ? 照れてるのかしら? 女の子に褒められただけで?」
「っ、そ、そう言ってるでしょ……」
「意外とウブなのねー? こーんなチャラチャラした格好してる癖に、もしかして女慣れしてないのかしら?」
「いや……と言うより、女の子に褒められ慣れてないと言うか……」
「じゃあ、今日はもーっとふゆが褒めてあげようかしら?」
「い、いや……いいです」
「遠慮しないの。本当は?」
なんてやってる時だった。その自分達の背後から、声を掛けられる。
「たっちゃん」
「っ……お、お袋……」
「これ……返す」
「?」
言いながら出されたのは、ポケモンカードだった。ゴミ箱に投げ捨てられたはずの。
所々、しなびているのは、軽く濡れた布巾で吹いたからだろうか? もしかしたら、殴られて初めて悪いと思い、その分だけでも取っておいたのかもしれない。
「……それと、ごめんなさい。……まぁ、節度と成績を落とさない程度になら、ゲームもアニメも漫画も許可します」
「え……マジで? 大丈夫? 熱?」
「……やっぱり不許可で」
「あー嘘嘘! マジか、やったぜ!」
「あと、これ」
言いながら手渡されたのは封筒だった。中から小銭の音がするが、厚さ的にはお札も入っている事だろう。
「何それ?」
「昨日、売っちゃった物のお金。……弁償代も兼ねて少し多めに色つけたから、黛さんと好きなもの買ってきなさい」
「え……本当どうしたの?」
「次、失礼な態度を取ったら本当に禁止するから」
「あ、いえ。何でもないです! 行こう、黛」
「え、ええ……いや、その前に着替えなさいよ。その服、ふゆの」
「あ、そっか。洗って返すから、待ってて」
「はいはい。ゆっくりで良いわよ。たっちゃん」
「お前までたっちゃんって呼ばなくて良いんだよ」
それだけ話して二階に上がる樹貴。その背中を眺めながら、冬優子は少しため息をつく。なんか……ドッと疲れた。
すると、その冬優子に母親が頭を下げてきた。
「ありがとうございます、黛さん」
「いえ……こちらこそ生意気言ってすみませんでした」
「いえ……あなたの言う通りだと思いまして。一生の愛を誓った相手に裏切られて、息子のことまでいつの間にか信用できなくなっていたんですね、私は」
正直、その経験がない冬優子にはその気持ちは分からないから、もしかしたら言ってることは的外れだったのかもしれない。
でも、通じたということは、あながち間違いでもなかったのだろう。……そうだ、ついでにもう一つ言っておこうと思っていたことがあった。
「生意気ついでにもう一つ、良いですか?」
「は、はい」
「たまには、ちゃんとしたものを食べさせてあげて下さい。冷蔵庫の中、ほとんど空でしたよ?」
「も、申し訳ありません……お恥ずかしい。ですが、その……我が家の中で料理が出来たのは元夫だけでして……」
「…………は?」
「私もたっちゃんも、運動も勉強も完璧ですが、料理だけはちょっと……一緒に父の日にケーキを焼こうとして、マンションを焼いてしまったのは本当に怒られました……」
「……」
早死に一家かよ、と思った冬優子は、少し気が緩んで思わず言ってしまった。
「……もし良かったら、機会を作っていただければ、ふゆが教えますけど?」
「ほ、本当ですか?」
「はい」
「では、是非お願い致します」
似たもの親子でもあったんだ……と、冬優子は少しため息をついた。