黛の高校生活は、青い春というよりただただ沼だった。   作:バナハロ

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大人から見ると単純だけど本人から見ると単純じゃないのが高校生。

 バスケットボールは、基本的に背が高いプレイヤーが有利であるが、冬優子は女子の中では背が低いわけではないが、普通に運動神経が足りない。

 それでも、一応は樹貴と今日まで練習を続けてきた。なので、今日は少しでも成果を出す……とまでは気合が入っていなかった。だって他の女子があんまやる気ないし。

 つまり、元々勝てそうにない試合なのだ。だから、ベンチに座っている今も暇だった。

 

「……ふぅ」

「暇ねー」

 

 そう自分に声をかけてくるのは前野。あまり友達が多くない冬優子だが、前野はたまにこうして声をかけてくれる。

 

「そんな事ないよ。みんな、ちゃんと応援しないと」

「ふゆちゃんは本当真面目だよねー。みんな早く男子の応援行きたくてうずうずしてるのに」

 

 要するに、需要と供給である。男子は女子に良いとこ見せたいし、女子は男子を応援して健気さを見せたい。その点、女子が活躍しても何もない。男子は応援に来ないし、むしろ女子の体育を見ていると覗きと思われ、近寄りもしない。

 だから、女子の球技大会は盛り上がらない……と、思っていた時だった。

 

「お、やってんじゃん。女子。でも黛まだ出てないわ」

「デッケー声出すんじゃねーよ! バレんだろうが!」

「お前の方が声デカい」

 

 まさか、前田と樹貴が揃って応援に来てしまった。そんなやり取りが女子の耳元に届き、全員がそっちに顔を向け、冬優子だけは顔を背ける。関わり合いになりたくない。

 ……が、この状況、女子がどう動くのか気になりはする。何せ、球技大会で男子が女子の応援に来たのだ。漫画やアニメ、ラノベではなかなかあることじゃない。

 こう言う場合……女子生徒はどうするのか……と、変にワクワクしながら周りを眺める。まず動いたのは、女子担当の体育教員だった。

 

「ち、ちょっと、そこの二人! 何しに来たの?」

「? 見学ですけど」

「ダメでしょ。自分達の試合は?」

「勝ちましたよ。ちゃんとノーゴールで全部食い止めました!」

「いや報告を聞いてるんじゃないから! 何のために男子と女子を別で体育やってると思ってるの⁉︎」

「フィジカルの差による事故対策」

「そ、そうだけど……ほら、他にも理由があると思わない?」

「……ああ、女バス以外の女子はバスケが下手すぎて、見苦しいプレイしか出来ないから配慮しろとかそういうこと?」

 

 ビキッ、とそこにいた女子、全員が眉間に皺を寄せる。あのガキ、よくもまぁ人をたった一言で怒らせられるものだ、と。隣の前田なんて涙目だ。

 先生も少し困った様子でやんわりと声をかける。

 

「……いや、そういうことじゃなくてね……?」

「ていうか、見苦しいプレイになるのは先生の所為でしょー。男子のサッカーはそこそこ形になってますよ。素人もいるのに」

「…………は?」

 

 ビキッ、と先生も青筋を浮かべた。冬優子は絶対に関わり合いにならないように目を逸らした。

 

「言ったなコラ⁉︎ ちょっと見とけよあんた! オラ、試合中の全員! 気合い入れろ!」

「「「おおー!」」」

 

 急にヤンキーみたいな口調になったお陰で、一気に試合は盛り上がり始めた。結局、女子がどうとか男子がどうとかではないのかもしれない。影響力がある人間によって、その辺は左右されるものなのだろう。

 

「なんか急に戦場みたいになった」

「お前スゲーな……」

「何が?」

 

 前田と樹貴がそんな会話をする中、ビーッとブザーがなる。第3Qが終わり、次は第4Q……つまり、冬優子の番である。

 ま、一応は練習とか付き合ってもらったけど……それでも、別に周りとの差が埋まったわけではない。

 とりあえず……適当にやれば良いか……。

 

「あ、黛出る。頑張れー!」

「おい、だからあんまデッケー声出してんじゃねーよ……」

 

 ……まぁ、色々と教わった以上は、少しはやる気を出さないといけないか、と少しは良いとこ見せることにした。

 試合が始まり、クラスメートが冬優子にパスを出した。それを機に、冬優子はドリブルしながらゴール下まで運ぶ。

 

「おっ、ほらほらほら見た? 前田。あれ俺の弟子なんだよ」

「分かったから落ち着けよ……」

 

 誰が弟子よ誰が、と思いながらも、とりあえずそのままプレイを続ける。

 ゴール下まで潜り込んでから、冬優子は反対側から詰めてきていたチームメイトにパスを回す。

 そのチームメイトは受け取り、シュートを放ったがブロックされた。

 

「惜しい」

「黛意外と素早いな……」

「私が鍛えました」

「私が作りました、みたいに言うな」

 

 そして、攻守交代。今度は、敵が攻めてくる。それに対して冬優子もチームメイトと同様、走って戻る。

 が、敵チームの一人は明らかに動きが違う。おそらく、女子バスケット部なのだろう。

 ゴール下まで潜り込むと、一気にシュートモーションに入るが、それはフェイント。味方にパスを放った。

 それをもらった味方が、レイアップシュートを放ち、二点取られてしまう。

 

「っ……」

 

 あっさりやり返された……と、冬優子は奥歯を噛む。ただでさえチームは負けているのに、これ以上点差が開かれるのは困る。

 すぐにやり返さないと……と、思っている時だった。

 

「ふゆちゃん!」

 

 声をかけたのは前野。パスをくれた。そうだ、焦ることは無い。落ち着いて練習通りやればいける。

 すぐに、ボールをつきながら移動。だが、敵の戻りも早い。すぐにこちらに向かってくる。

 それに対し、冬優子は。今こそ必殺シュートを放つ時……と、スリーポイントライン間際で足を止めた。

 

「え、まさか……」

「やるんだ、もう」

 

 冬優子が思い出したのは、練習中での樹貴との会話。中々、シュートを決められなかった時のことだ。

 

『あーもうっ、シュートなんてマジで意味わかんないわよ!』

『だから、ゴールの板の後ろの角に当てるんだって』

『当てても入らないじゃないさっきから!』

『そりゃまぁ俺も知ったか知識しかないし……もう、普通に自分がやりたいようにやってみちゃえば?』

『はぁ?』

『黛、黒バスなら赤司の次に好きなの、花宮か氷室か緑間でしょ?』

『なんで分かるのよ!』

『氷室か緑間の真似してみなよ。結局、遊びでやるスポーツのコツなんて見よう見まねだから』

『……し、仕方ないわね』

 

 と、いうわけで、冬優子が編み出したシュートだ。氷室のミラージュシュートは、正直よく分からないので、緑間から。

 

「人事を尽くして……天命を待つ……!」

 

 そう願いながら、シュートを打った。ボールはやたらと高く舞い上がり、ゴールにゆっくりと楕円を描いて向かう。

 ……そして、一度も板やカゴにぶつかる事なく、スポーンと入ってネットを揺らした。嘘……と、冬優子は唖然とする。

 

「おおおお! すっごー!」

「ふゆちゃんナーイス!」

「スリーだ、スリー!」

 

 周りのチームメイトが盛り上がり、冬優子も内心すごく心臓が速く鼓動を打っていた。まさか……練習通りに決められるなんて……良いとこ、六割弱の確率だったのに。

 興奮で頬が熱くなる。まだあんまり疲れていないのに、汗が流れる。見開いた瞳が、瞬きを忘れる。

 ヤバい……ちょっと嬉しい。ゲームで例えるなら、ウイングマンをメッチャ練習していたおかげで、実戦でヘッドショット三発で勝ち抜いたような、そんな嬉しさが胸の奥で熱として残っていた。いや、それ以上かもしれない。

 ハッとなって、樹貴の方を見る。すると、樹貴は笑顔で拍手してくれていた。

 

「えへ、えへへっ……」

 

 ちょっと嬉しくて、人目も気にせずに樹貴にピースをした。……おかげで、敵がゲーム開始したボールが後ろを通っているのに気がつかなかった。

 樹貴が人差し指を立てている。アンコールだろうか? 

 

「いや、実戦で二本連続は無理よ!」

「いや後ろ後ろ」

「え? ……あっ、しまっ……!」

 

 慌てて後を追ったがもう遅い。ゴールを決められ、3対4。また逆転されてしまう。

 浮かれてて油断するなんて……と、羞恥心のあまり顔が赤くなる。そして……それと同時に八つ当たりに近い感情が、自分が八つ当たりできる唯一の人間に向けられる。

 

「水上ぃ……!」

「え、いや俺の所為じゃね……」

「あ、いたぞお前ら! 何覗きしてんだ⁉︎」

「やばっ、バレた」

「逃げろ!」

「いや逃げるな! 試合始まるから!」

 

 なんて言いながらサッカーの元にバカ二人は戻っていった。

 

 ×××

 

 残念ながら、女子バスケは準決勝で敗退してしまった。まぁでもそこそこ良いとこまで行ったし、何より冬優子は樹貴に良いとこをちゃんと見せられたので満足……。

 

「ん?」

 

 ……ていうかそれ、なんかすっごく自分が樹貴の前で活躍したがってたみたいじゃん……と、普通に恥ずかしくなる。別に、あのバカの前で活躍することなんてなかったのに。

 

「はぁ……ふゆのばか……」

「ほら、ふゆちゃん急がないと。男子の試合終わっちゃう」

 

 前野に手を引かれて、強制的に駆け足で試合を見に行った。ちょうど、試合は決勝戦が始まるところらしい。

 両チームの前半のメンバーが整列していた。その中には前後半出場する樹貴の姿もある。一人だけキーパーなのでビブスを着ているからよくわかる。

 

「……」

 

 挨拶を終えて、グローブを嵌めている樹貴はゴールの下まで歩いて準備運動を始めている。

 ……こうして見ると、意外と確かにキーパーっぽい……。なんか、ゴール前にいることに慣れている感じが。

 ストレッチしていると、樹貴はふとこっちを見た。それと同時に、大きく手を振ってくる。なんでこれだけ女子がいる中で、ピンポイントに自分を見つけられるのか……と、気恥ずかしくなったので目を逸らす。

 ……逸らしながらも、チラリと見ると「ふー、やれやれ」といった仕草。カチンときたので「あっかんべー」と目の下を伸ばして舌を出すと、両手で顎と目の上を掴んで伸ばす変顔をしてきた。

 

「ぶふっ……ごほっ、げほっ……!」

 

 イケメンが台無しになるレベルのアホ行為と変顔に思わず吹き出してしまう。むせて咳をなんとか手で抑えて我慢していると、隣の前野が声を掛けてきた。

 

「……やっぱり好きでしょ?」

「ぇほっ、けほっ……は?」

「水上のこと」

「そ、そんな事ないよ?」

「……本当に?」

「本当」

 

 やめてほしい、そういうの。正直、彼氏欲しいなーと思わないでもないが……でも、あの男は嫌だ。なんか負けた気がするから。

 試合が始まり、グラウンド上でボールの蹴り合いが始まる。当然ながら、サッカー部じゃない人もいるので、そんなにハイレベルでもない。でも、活躍したいと言う心意気はヒシヒシと感じていた。

 一方、樹貴は暇を極めたのかゴールのバーを掴んで懸垂し始めた。

 

「あのバカ……やらないって言ってた癖に……!」

「相変わらず落ち着きない奴だよね」

「そ、そうだね……?」

 

 なんとかキャラを取り繕いながら相槌を打つ。

 すると、前田が敵を躱し、そしてゴール前までボールを運ぶ。そこまで行って、クラスメートの野球部の男子にパスを出した。シュートも出来ただろうに、サッカー部があんまり活躍し過ぎないように弁えている様子だ。

 良いパスをもらった野球部がシュートしたが、敵のバックがスライディングでカット、そのまま前に大きくボールを蹴った。

 

「カウンター……!」

「ヤバいじゃん」

 

 そのボールを拾ったのは敵のFW。ゴリゴリのサッカー部である。そのままドリブルして、DFを片っ端から抜き去っていく。

 残りは……GK一人。

 

「うわ、これヤバっ……!」

 

 その敵に対し、樹貴は前に出た。このままドリブルされるほうが不味いので、セオリー通りだ。

 敵との距離は6メートルほど。そこでFWはシュートを放った。ギリギリの角度をつけた、ゴールの左端を狙った緩いシュート。それを、その場で足を開いた樹貴がつま先で遠くへカットした。

 

「おお……」

「っぶなぁ……!」

 

 先制されるとこだったのをギリギリで阻止したが……まだある。敵のFWとMFが立て続けに来ていた。味方のバックも戻ってきてはいるが、前半のメンバーは攻撃特化なのか、ザルも良いとこである。

 今度は2対1。ワンツーのテンポでシュートを打たれるが、それも足を伸ばして爪先に当ててカット。今回もギリギリだ。

 が、それを拾いに行った敵の三人目がダイレクトでシュートを狙って来た。

 

「んなろっ……!」

 

 転がった状態からすぐに立ってジャンプし、指先をボールに当て、軌道を逸らし、何とかコーナーキックにまだ追いやることができた。

 

「あいつ……水上くんの反射神経どうなってるんだろう……」

「ね。ほとんど獣並みの嗅覚……」

 

 なんだあのMCUのキャラみたいな動きは……もしかして、スパイダーセンスついてる? と勘繰りたくなるレベル。

 だが、まだ不利なのは変わらない。コーナーキックを蹴るのは敵側だからだ。何人かDFとMFが戻ってきて、人数はこちらが有利になる。

 なんでこんなに序盤からハラハラさせられないといけないの……と、冬優子は唾を飲み込む。

 そうこうしている間に、ボールがコーナーから蹴られた。綺麗なループをかけて、見事に反対側、ゴール斜め前に落ちる。そこに立っていたのは、敵のFW。

 

「あ、ヤバっ……」

 

 シュートされたボールは、斜め上にループして飛んでいった。だが、樹貴はやはりそれをキャッチしてみせた。それにより、ほぼ全員がカウンターに備えて上がり始める。

 しかし……すごい。と冬優子は目を丸くする。キーパーのスタメンとは聞いていたが、まさかこれほどとは……素人の冬優子でさえ、これがすごいことなのだと自覚してしまう。

 その樹貴は、ボールを一度、地面においてから目視で誰にパスしたら良いのかを探り、そこへ大きくボールを蹴った。

 綺麗にその狙った生徒がいるところに向かう。ノーマークだったから彼を狙ったのだろう。近くには前田がいるし、あとは前田になんとかパスすれば攻められる……が、そいつはトラップミスをやらかした。

 

「あっ」

「ちょっ……!」

 

 敵の足元……よりにもよってサッカー部の奴にボールが渡り、再びピンチ。バックやら何やらをごぼう抜きにされ、また樹貴は前に出るハメになった。

 姿勢を低くしたまま突っ込んだが、敵はそれを読んでいた。近距離になる前に上の方へシュートを放つ。

 それに対し、樹貴は低くしていた姿勢を立たせた。その結果……顔面に、クリティカルヒットした。

 

「いっ……!」

「うわっ……!」

 

 顔面ブロック……というか、すごい音したような……と、思わないでもない。跳ね返ったボールは、そのまま蹴った奴の後ろに転がり、味方のバックが拾って前に蹴る……が、審判の教員が笛を吹いて試合を止めた。

 

「ストップ……水上! 大丈夫?」

「だよ、見上げればもう?」

「誰が詩をなぞれっつったよ! 鼻血出しながら教師相手にボケんな!」

 

 誰に対してもマイペースな対応をするバカには呆れるが、確かに鼻血が出るほどの衝撃を浴びた顔面は心配だ。すると、他の女子生徒達が数人、グラウンドの方に走っていった。

 

「良かったら、私たちが保健室まで連れていきましょうか?」

「ああ、頼む」

「え、いや俺全然平気ですよ。顔面ブロックくらい、試合に出てた時何回もやってますし」

「そういうのは鼻血拭いてから言え」

 

 なんて話しながら、女子達と一緒に保健室に行く樹貴。……ほんと、JKというのは分かりやすくて良い。ちょっとイケメンが試合で活躍するだけで、すぐにキャーキャーとはしゃいで媚び始める……。

 反吐が出る、なんて悪役のようなセリフを頭の中で思い浮かべていると、前野が声をかけてきた。

 

「行かなくて良いの? ふゆちゃんは」

「うーん……行ってあげたいけど、あれだけ人数がいるなら、ふゆは邪魔になっちゃいそうだし……別に良いかな」

「……そう? なら良いけど」

 

 そう、別にあの男が誰にモテようと知ったことではない。そもそも、たかだか球技大会程度で顔面ブロックする方が悪い。何も、そこまで一生懸命にならなくても……。

 

『黛が見に来るなら、カッコ良いとこ見せたいから』

 

 そんなことを言われたのを、不意に思い出した。もしかしたら……自分にカッコ良いところを見せるために……? 

 

「……はぁ」

 

 ため息をつきながら、校舎の方へ歩き始めた。その冬優子に、後ろから前野が尋ねる。

 

「どこ行くの?」

「お手洗い」

「……ふーん?」

「違うからね?」

 

 そう、トイレだトイレ。別に保健室になんか行かない。……たまたま偶然、保健室に辿り着いてしまうことはあるかもしれない……。

 なんて思いながら、一度保健室の窓から中を覗く。

 

「ほら、あなた達は一旦、戻りなさい」

「えー、水上が心配」

「ね。鼻折れてないの?」

「試合のこと聞きたいんだけどー」

「ダーメっ。婚活なら放課後にしなさい。一応、授業中だから」

 

 そんな言い方をされれば、女子達も諦めるしかないわけで。と言うか、なんなら冬優子もやめた方が良いかも……と、少し迷ってしまう。

 そのまま女子達は保健室を後にして、残ったのは先生と樹貴だけ。諦めて戻ろうかな……と、思っていると、呼び出しの音が鳴り響く。自分のではなく、保健室の中からだ。

 

『保健の円口先生、保健の円口先生。お客様が来ております。職員室までお願いします』

「? 客? 誰だろ……仕方ないわね。ちょっと待ってて」

 

 先生は教室から出ていった。これ……チャンスかも、と冬優子は思い、足早に昇降口に向かい、靴を履き替える。

 それでも慌てずに、先に保健室に行っていたメンバーと鉢合わせしないように調整して遠回りし、保健室に到着。……中にまだ先生が来ていないことを期待しながら、扉を開けた。

 

「……水上」

「あ、黛」

 

 すごく嬉しそうな顔しやがって……と、ちょっと恥ずかしくなる。この男、喜怒哀楽はとても表に出やすい。犬か何かなのだろうか? 鼻と口を丸ごと手で覆っているのに喜んでいるのが分かる。

 

「まぁ、立派な鼻になったのね。サンタさんに褒めてもらいたいのかしら?」

「るせーよ。痛かったんだぞ意外と」

「それはそうでしょうね。ご愁傷様」

「ちょっとは心配してよ。てか、何しに来たのよ」

 

 喧しい。褒め称えに来た、なんてこの男に素直にいえば、何を言われるか分かったものではない。いや、ある意味喜ばれるかもしれないが、それはそれで嫌だ。

 

「横、座るわよ」

「つーか、あんま顔見ないでくんない。鼻血まだ完全に止まってないんだから」

「折れてんの?」

「折れてはない。らしい」

「ふーん、じゃ平気ね」

「どういう判断基準? ブラック企業?」

「意外と、ボケに回る側も面白いものね。あなたの気持ち分かったわ」

「え、いや俺ボケたことないんだけど」

「普段の素なの⁉︎」

 

 それはそれで驚いたが……まぁ、冷静に考えればそれはないだろう。1割くらいボケのつもりで言った言葉もあるはずだ。

 

「あー……止まったかも、血」

「ふゆに一滴でもつけたら殺すから」

「じゃあ隣座んなよ」

「あーそう。そう言うこと言うのね。せっかく褒めに来てあげたのに」

「はい?」

 

 何言ってんの? と言わんばかりに小首を傾げる樹貴を、冬優子はあくまで視界に写さずに言う。ただでさえ照れ臭くてキャラじゃないことを言うのに、顔を見ながらなんて言えない。

 

「……す、少ししか試合出てなかったけど……頑張ってたじゃない……」

「え?」

「カッコ良かった、わよ……その、普段に比べれば」

「……」

 

 ……ダメだ、照れ臭すぎる。やっぱりこう言うのはキャラじゃないというか……いや、普通にキャラじゃない。

 死ぬほど小っ恥ずかしく思いながら、真っ赤になった顔は絶対に樹貴に向けなかった。……というか、なんでこいつ褒められて黙っているのか。何か言うことないのだろうか? 

 

「……ちょっと、何か言いなさいよ」

「え? あ、あー……うん。何か」

「そうじゃなくて! 何そのやっつけ感丸出しのボケ⁉︎」

 

 思わずカッとなって顔を向けた時だ。ふと、気がついてしまった。鼻血を抑えるように鼻と口を押さえている手が、顔全体を隠していることに。

 ……もしかして、こいつ……と、思ったので、声を掛ける。

 

「ねぇ、あんた」

「あんたって名前の人はいません」

 

 間違いない、さっきからこの小学生みたいなボケ方……もはや確実だ。

 

「ちょっと手、退けなさいよ」

「……いや、鼻血溢れるから。飛ぶよ、一滴」

「いいわよ。許すから手を退けて」

「嫌です」

「退けなさい!」

「あ、空見て。竜の巣」

「日本晴れでしょうが!」

 

 言いながら、冬優子は力技で行くことにした。樹貴の両手首を掴み、強引に持ち上げる。それにより、樹貴の顔は表に出てきた。

 その樹貴の顔は……それはもう、熱中症? と聞きたくなるほど真っ赤に染まっていた。

 

「鼻血はどこよ?」

「っ……お、お前本当性格悪いのな……」

「結構よ」

 

 憎まれ口も、今の冬優子には聞かない。ホント、こういうところがあるからこの男は憎めない……なんて、ニヤニヤしながら思っている時だった。保健室の扉が開かれた。

 

「ふぅ〜……お母さん、心配しすぎなんだよ。どう間違えたら、一人娘の私しかいないのにオレオレ詐欺に引っかかりかけて職場まで来るのよ……ねぇ、水上く、ん?」

 

 先生が、戻ってきてしまった。ベッドの上に座っている少年と、その両腕を掴んで真っ赤になっている顔を間近で見物する冬優子……誰がどう考えたって、襲っているように見えるだろう。

 

「……」

「……」

「……センセー、襲われるー」

 

 こいつ、余計なこと……てか、男子が言うのかそのセリフ……! と、奥歯を噛み締めた。

 

「ち、違うんです先生。これは……」

「うん。分かったから……とりあえず二人とも、生徒指導室に行こうか」

「俺も⁉︎」

「当然でしょ」

「お前が言うな!」

 

 なんてやりながら、球技大会中に不純異性交遊を疑われ、めちゃくちゃ怒られた。

 

 ×××

 

 さて、放課後。いろいろあったが、とにかくたくさん汗をかいたこともあって、冬優子は着替えの時間中に身体をボディタオルで拭いておいた。もう帰るだけとはいえ、臭いとかその辺は気を遣わないといけなかったから。

 で、今日も樹貴と一緒に帰宅する。廊下を歩いて昇降口に向かいながら、樹貴が軽く伸びをする。

 

「あーあ、結局負けちゃったなー。まぁ俺出てなかったらデュフェンスズタボロだから仕方ないけど」

「ふふ、実際すごかったもんね」

 

 嘘ではない。あれだけカット出来るのは大したものだと思う。ちょっとこのまま部活に復帰しないのは勿体無い気もするほど。

 

「でも、黛もすごかったよ」

「え、何が?」

「バスケ。少ししか見れなかったけど……スリー決めてたじゃん」

「……」

 

 そういえばそうだった。今更になって褒められて、少し頬が赤く染まる。

 

「やっぱり、カッコ良い黛も好きだな、俺」

「っ……も、も〜、そういうことあんまり女の子に言わない方が良いよ?」

「あ、そっか。ごめん」

 

 何が困るって、やはり嬉しいのが困る。練習の成果を、一番自分を見てくれた人に褒められる、と言うのは中々悪い気分ではない。

 ……もう少し褒められても良いのだろうか? まぁ、ちょっと後で素に戻れる時に詳しく聞けば良い。

 そう思いながら、昇降口で靴を履き替える。上履きを脱いでローファーを手に取ると……その中に、画鋲が入っていた。

 

「……」

 

 ……想像してなかったわけではない。樹貴はサッカーの一件で人気が出た。なら、周りは冬優子以上に樹貴に好かれる努力をするより、冬優子を落として他を選ばせる手段に出るだろう。

 

「……はぁ」

 

 めんどくさ、とため息が漏れた直後だった。

 

「どしたの、黛?」

「なんでもないよ?」

 

 そう返しながら、画鋲は下駄箱の中に入れて隠しておいた。

 

 

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