舞い戻った理不尽ウマ娘は、元教え子達への対応に頭を悩ませる? 作:レイ1020
ですので、ところどころで変になる事もあるとは思いますので、何かありましたらコメント等で教えてもらえると嬉しいです。
では、始まりです!
『さぁ!夢のグランプリ、有馬記念のレースもクライマックスを迎えようとして居ます!今、先頭を駆け、いち早く第4コーナーに差し掛かったのは・・・・・・やはり、このウマ娘!』
年末の中山レース場にて争われる、グランプリ・・・・・・『G1 有馬記念』。そのレースにて、一人のウマ娘が一つの絶対に・・・・・・今後、どんなウマ娘でも成し遂げる事が不可能であろう、前人未到の大記録を成し遂げようと、この晴天の空の下軽快な足取りでレースを駆けていた。
『これまでに数多くの賞を獲得し、クラシック三冠は勿論の事、春シニア三冠も破竹の勢いで成し遂げることに成功したこのウマ娘。これまでの戦績は99戦99勝。驚くべき事に、このウマ娘はメイクデビューを果たしてから今日に至るまで、一度たりとも負けた事のないという異次元さを誇ります!』
実況の喋りがさらにヒートアップしていく。三冠と言うのは、特定の3つのG1レースのことを表しており、そのレース全てを勝利することでそのウマ娘は『三冠ウマ娘』と呼称される様になる。件のウマ娘は、クラシック三冠(皐月賞・日本ダービー・菊花賞)、春シニア三冠(大阪杯・天皇賞 春・宝塚記念)を既に獲得しているが、今回の有馬記念に勝てば、秋シニア三冠(天皇賞 秋・ジャパンカップ・有馬記念)も獲得する事が出来る。簡単に言ってるが、G1である以上、簡単に勝てるレースなど一つもないことは事実だ。実際、G2やG3で数々の勝利を収めてきたウマ娘であっても、ランクがグッと上がるG1では全く歯が立たずに敗北すると言ったことも良くある話なのだ。だが、そんな事など関係ないとでも言わんばかりにこのウマ娘は破竹の勢いで・・・・・・ジュニアからシニアに至るまで”無敗”で、これまで多くのレースに勝利してきた。・・・・・・まさに、実況の言うように異次元である。
彼女の名は・・・・・・『デスペルフォース』。腰近くまで伸ばした赤毛の髪を風に靡かせ、淡い夕日のような落ち着いたオレンジ色と白色を基調としたドレスのような勝負服を身に纏い、悠々と第4コーナーを回り始める・・・・・・・・・・・・既に後続とは”20馬身以上”の差が開いていた。
『速い速いっ!!既に二番手とは20バ身以上の差があるが、そんなことはどうでも良いとでも言わんばかりにスパートを掛けてきたデスペルフォース!200mを通過!後続もなんとか追い縋ろうとスパートをかけるが、差が詰まらない!さぁ、もうゴールは間近だ!デスペルフォース!前人未到の記録まであと100・・・・・・50・・・・・・10・・・・・・今、ゴールインッ!!!デスペルフォース!!前人未到となる”100戦100勝”達成!!そして、それと同時に秋シニア三冠も達成!!ここに・・・・・・ここに、今後語り継がれていくであろう・・・・・・『9冠バ』が誕生致しましたっ!!!」
この日、ウマ娘界に新たなる伝説が刻まれた・・・・・・。『理不尽の権化』と称されるウマ娘・・・・・・デスペルフォースによって・・・・・・。
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「ふわぁ・・・・・・よく寝た・・・・・・っていうか、随分お久な夢見たなぁ・・・・・・」
早朝5時。家にて私は、随分と懐かしい夢を見て少し機嫌が良くなった。そんな調子で、いつもの日課をこなすべく、ジャージへと着替えると、そのまま家の外へと出た。
「前世とか、前々世とかが影響してるのか分かんないけど、こうして早起きしてランニングに行くって言う日課がずっと変わらないのはある意味凄いと自分でも思える・・・・・・いや、ウマ娘だから走りたくなるって気持ちもあるとは思うけど・・・・・・」
靴紐を結びながらぶつぶつと独り言を呟く私。
私の名前はサイレントベール。なんの変哲もない一家の娘として生を受けた10歳のウマ娘だ・・・・・・と言いたいところなんだけど、実は私には前世の・・・・・・いや、前世と前々世の記憶がある。私の前々世は、唯のOLであり何を隠そう、ウマ娘プリティーダービーの熱烈ファンだった。年がら年中ウマ娘ばかりやり、アニメや漫画を見ることは勿論の事、フィギュアやポスター、さまざまなグッズを集め部屋に飾るほどにオタクであった。だけど、そんな人生を満喫出来たのは25歳までであり、その後は医者に”末期癌”に犯されていると診断されてしまい、その数ヶ月後には私は亡くなってしまったんだよね・・・・・・。
で、死んだと思って気がつくと、私は自分が大好きだったウマ娘の世界に転生していた。自身もデスペルフォースというウマ娘になっていて、その時は本当に大興奮したものだった。その後は、私は親に頼み込んで中央トレセン学園に入学し、そこでレースで活躍するべくトレーニングなどをひたすら頑張っていた。画面越しで見るトレセン学園と、直でみるトレセン学園は当たり前だが全く違くオタクだった私としては発狂物であった。唯一残念だったのは、私のいる時代はまだアニメ主人公のトウカイテイオーやスペシャルウィークは勿論のこと、皇帝と称されるシンボリルドルフや女帝のエアグルーヴ、ナリタブライアンもまだ入学すらしていなかった事だ。
で、一番先に入学してくるであろうルドルフは、私が高校3年生の時に中等部に入学してきた。その他にもマルゼンスキーやミスターシービーも入学してきたが、高等部と中等部と分かれている部分もあって、最初は接点はかなり少なかった。だが、その年に私が無事に9冠と100戦100勝を達成すると、何故かその日を境にルドルフから何かと理由をつけられてレースで勝負を挑まれるようになり、そこから彼女との接点がかなり増えたんだ。原作キャラとレースが出来るなんてこれほど嬉しい事はないと、私は何度もレースをして居たけど、後の皇帝と言えど、まだまだ経験の浅い子供である事に変わりは無かったので、私がレースで負ける事は一度たりともなかった。
そんな楽しい日々を過ごしながらも、私は少し名残惜しい気持ちもありながらトレセン学園を卒業した。卒業後の進路としてどうするかと悩んでいた私だったが、とりあえずレースは引退すると決めていた。これは、あの有馬記念の前の時から決めて居た事であって、ちょうど区切りが良かったのと、そろそろ自分の新たなる可能性に力を注ぎたいとも考えていたのもあった。当時、私の専属トレーナーだった人は、最初こそ反対して居たものの、最後には優しく了承してくれていた。
それで、卒業後の進路として、私が有力として居たのが、”トレーナー業”だった。ウマ娘がトレーナーをやるなどほとんどない事らしいが、そもそもの話、レースを走らない人のトレーナーとレース感覚も経験もトレーニング方法もウマ娘の体の構造等もしっかりと理解している事の多いウマ娘の方が、トレーナーとしては向いていると私は思っているのだ。だからこそ、私はその旨を理事長やトレーナーに伝え、トレーナー資格を取るべく勉学に励んだ訳なんだけど、それもなんとか突破して再び中央トレセン学園にトレーナーとして赴任する事となった。
私がトレーナーとして戻ってきたと知ったルドルフは、すぐさま私のところまで来てトレーナーになってくれと説得しに来たんだけど、その勢いが本当に凄まじくて若干引いてしまったのはナイショの話だ。で、その後、ルドルフと共にチーム『リブラ』を立ち上げ、その後メンバーとしてエアグルーヴ、マルゼンスキーを迎え入れ、『リブラ』はスタートを切った。
私がトレーナーとして、ルドルフがチームのリーダーとして引っ張り、チームは順風満帆の日々を過ごしていた。私がこれまでに経験してきたレースの知識をメンバーには全部叩き込ませ、今にして思えばスパルタとも取れるトレーニングを毎日欠かさず続けて居たこともあって、トレーニング後には全員が屍のように地面に崩れ落ちていたことも良くあった。
だが、トレーニングの成果はちゃんと出て居たようで、ルドルフが初めて皐月賞を勝利した時は、涙を見せながら盛大に喜んだものだ。それに感化されたのか、残りの二人も揃って重賞レースを順当に勝利を収めていった。・・・・・・あの頃は本当に楽しかったなぁ・・・・・・みんな笑顔で楽しそうにレースやトレーニングをしていて、それを見守るのが何より大好きだった・・・・・・。
だけど・・・・・・。
「・・・・・・いや、これ以上はブルーになるからやめておこう。過ぎてしまった事はしょうがないし、今は今でちゃんと生きてる訳なんだし・・・・・・過去を掘り下げてもしょうがないからね」
これからランニングだと言うのに、暗い気持ちになりたくなかった私は、靴紐をしっかりと結ぶと明るくなりつつある空の下、ランニングを開始するのだった・・・・・・。
如何だったでしょうか?拙い文で申し訳ないのですが、今後もできるだけ頑張っていきたいと思って居ますので、応援よろしくお願いします!
次回で今回の主人公の出生と時代についてを明らかにして行きますのでお楽しみに!
主人公のことについてはまだまだ未知の所が多いですが、今後の話でそれを明らかにさせて行きますので、そこもお楽しみにお待ちください!