見た瞬間、全ての常識は砕けてしまった気がした。
通常、モンスターといったエネミー系はプレイヤーへ襲いかかるものであったはず。無駄な会話をすることはなく、恐怖を抱かせるための不快な咆哮だけを上げる。プレイヤーの命を刈り取るためだけに設定されており、必要最低限の発声器官しかプログラムしていないはずなのに、目の前にいる奴は人間らしい言葉を放ってきた。
その言葉に、アスナは強烈な違和感を覚える。
本来、敵というのは喋らないはず。なのに、目の前にいるこいつは流暢に人間の言葉を喋った。
そういう設定をされている特別個体か? と考えれば納得がいくが、ゲームをあまりやってこなかったアスナからすればそういう考えにたどり着くことはできなかった。敵は喋らずただプレイヤーを視認した瞬間襲ってくるだけの害を為す存在という常識が定着してしまっているアスナからしたら、こんなモンスターがいるなんて信じられなかった。
「こ·················これが依頼に書いてあったモンスター!?」
存在すら疑いたくなる。
別に喋ったからというわけではない。確かに、モンスターが人の言葉を話すのは気味が悪い。
が。
それ以上に、そのモンスターの外見の方を見て存在を認めたくなかったようにも思える。
だって、どう考えても気色が悪い。
受け入れがたい長いものをいくつもつけ、思わず引いてしまうほどのだらしなくいやらしい目つき。
見ようによってはマスコット的存在に見えなくもない··········はず。だが少なくとも、女性にとってはかなり無理そうな見た目をしている。
「················っ!!」
不意に不安が襲ってきたが、大きな声が出せなかった。嫌なものを見た瞬間、思わず悲鳴を叫びたくなるようなものだが、それは唐突に現れた際に適用される現象だろう。今回は堂々と目の前に現れた。幽霊やゴキブリみたいに不意に現れるのではなく、正面に堂々と登場したため叫んで現実を否定してしまうよりも先に、理性が脳内を上書きして思考を正常のものにしてきた。
目の前の現実を否定できなかった。
なかったことにはできなかった。
とにもかくにも、今目の前にいるモンスターは紛れもなくそこに存在している。見た目があれだの、目つきがどうだのと文句を言う暇なんてなかった。たとえどれだけ気持ち悪かったとしても、受け入れがたい見た目だったとしても、目の前に現れたら全てを受け入れるしかない。
アスナは警戒を強めながら武器を構えようとする。いつでも戦えるように剣を抜く寸前の姿勢になる。
だが、そのアスナの姿勢には迷いが含まれていた。剣を抜こうにも抜けない。抜こうとすれば躊躇いが生じてしまう。
言葉を話す時点でこいつは異質な存在であることは明らかだ。それ故に、本当にモンスターなのかどうか判断がしづらい。見た目は完全にモンスター、疑う余地もなくモンスター。だが言葉を話したことで本当にこいつは害を為す存在なのかわからない。
もしかしたらこいつはただのNPCなのではないか? という考えが頭を過る。そうであった場合、多少の罪悪感を感じてしまうかもしれない。アスナはそれがなんとなくだが嫌だった。万が一こいつが害のないただのNPCだった場合、なんの罪もない奴を手に掛けることになってしまう。本音を言ってしまえば、こんな見た目をした奴の命の責任なんてとりたくない、そんな感じの理由なのだろう。普通のNPCであった場合、アスナはこいつを手に掛けてしまった責任をこれから先ずっと抱えなくてはならない。そこまで深く考えなくてもいいのかもしれないが、実際そういった代償がついてくる可能性もある。
ではどうやって確かめればいいのか、方法は一つである。
昔、偉い人達は口を揃えてこう言った。
人は見かけで判断してはならない。
「はぁあああああああッ!!」
『へ? ちょ待って〜ッ!?』
アスナの剣がオルトロスの横を通り過ぎる。
刃に当たってHPが減るやつは大体全員敵キャラだ。人畜無害なNPCに当たり判定が存在するわけがない。あったとしても、相手がモンスターっぽい奴だったからとでも言い訳すればおそらくみんな納得する。誰にでも間違いはある、自分でもこんな奴を前にしたら敵と間違って攻撃してしまっていた自信があると、賛同の声を上げてくれるに違いない。
少なくとも責められることはないだろう。
危険因子の排除を第一優先すべきこの世界では、アスナの行為は正当防衛として適用される。怪しい奴が目の前に現れればどんな奴であろうと警戒すべきである。危害を加えられる前に即刻対処する。それがアスナが出した結論であった。
『ちょ、ちょっ!! ちょ待って!? いきなり何すんの〜!?』
「あなたでしょ!? この辺りで暴れているっていうモンスターは!?」
『は〜い〜!?』
ある意味、オルトロスは真っ当な反応を見せた。
急に攻撃されたことに驚いたオルトロスはギョ!? としながらも大きく跳んで避けたことにより、アスナの剣は惜しくも当たらなかった。
なんの前触れもなく攻撃されて驚いてはいるみたいだが、それでもオルトロスの表情は全く変わってない。相も変わらずふざけた目つきでアスナを見ている。本当に驚いているのか疑わしいので判断に困る。結局当たり判定も確かめられなかったので、まだこいつが危険な存在かどうかわからない。
と、アスナが警戒を怠らず細剣をオルトロスに向けていると、
『ちゃ、ちゃうちゃう! ちゃうで〜! ワイ、悪いモンスターじゃないよぉ〜?』
その台詞を言っていいのは“奴”だけである。
序盤で簡単に倒せる雑魚敵だが仲間になればめちゃくちゃ強くなって頼もしい存在である、あの“青い奴”がその台詞を言うことで説得力が生まれ、『そうか。こいつは他の魔物とは違って悪いやつではないんだな。ではこらしめるのはやめよう。それにこんなに可愛くてプルプルとした奴が人に危害を加えるとは思えない』という気持ちに初めてなる。
だがこいつはどうだろうか? 悪くないモンスターに見えるだろうか。
先程、人は見かけで判断してはならないと言ったが、ある“合衆国の心理学者”は人間が相手に与える印象がどのような要素で構成されているのかを研究していた。
そこで“ある法則性”を見つけ出した。
『第一印象は見た目で決まる』
これの意味は「第一印象は出会って数秒で決まる」ということと、対面の人について「言語、視覚、聴覚」で矛盾した情報が与えられた時に、どの要素を優先して判断しているかというものである。
そのことについて研究した結果、
視覚で55%、聴覚で38%、言語で7%。
という結果になったという。
つまり話の内容といった言語情報よりも、見た目や仕草、身だしなみがだらしなかったり、姿勢が悪かったりといった視覚情報が人の印象を左右するという事である。視覚情報と聴覚情報を合わせると九割にも達するため、「人は見た目で九割判断している」という解釈が広まっていった。
残酷なことだが、今の世の中で初めて会った人に好印象を与えるには、自分の人間性やトーク力よりも見た目が重要なのである。第一印象は出会ってから三秒から五秒で決まるとすら言われており、初対面の段階で与えた印象は余程の転機が無い限りはずっと残り続ける。
初対面でいい印象を与えると、悪い部分を見せても今日はたまたま機嫌が悪かったんだろうと見なされて多少は許されてしまう(だがあまり人前では常に悪い印象を見せないように心掛けることをお勧めする)。逆に初対面で悪い印象を与えてしまうと、良いところがあったとしても簡単には相手の考えを覆すことは困難。
最初のイメージがずっと定着する現象を『初頭効果』と言う。
初頭効果に加えて、ハロー効果と呼ばれる際立った特徴に引きずられてその人の全てを判断する心理学的な性質も人間は合わせ持っているので、人は人を誤解しやすい傾向にある。初めの印象で誠実そうな印象を与えると、多少の遅刻が許されるようになったり、有名大学出身や大手企業に就職していると聞くと関係は無いのに頭を使うこと全般では超優秀だと思われやすいのはこのことだ。
長々と説明してしまったが、要はオルトロスのその台詞にはなんの説得力もないということだ。
アスナは警戒を一切解かずにオルトロスを睨んでいる。
「······················」
『そんな警戒せんでもええやんか〜、ワイは本当のことしか言わないよぉ〜』
「······················」
『っ!! そ、そんなに疑うんやったら証明するよぉ。ワイ、君の言うてるモンスターのこと知ってるわ〜』
「え?」
その言葉を聞いた途端、彼女は警戒を緩めてしまう。
しかし、その言葉を信じるほど彼女も馬鹿ではない。むしろ優秀な方である。
『なんなら、ワイがそいつのとこまで案内してあげるよぉ〜』
「そ、そんな言葉に騙されるもんですか。貴方みたいなのと関わるとろくなことがないのは目に見えてるわ」
『ワイがそいつのとこまで案内してあげるよぉ〜』
「······················」
なかったことにされた。
アスナがうんざりした目を向けていると、オルトロスはお構いなしに、
『君の探してるやつはこの先にいるから〜、ワイも一緒に探してあげてもいいよぉ〜ん』
元から笑っているように見えたが、オルトロスはにっこりと笑ってそう言った。
「······················」
アスナは未だに疑っている。
しかし完璧なまでに無邪気な言葉に、彼女はどこか信じ始めてしまっている節もある。
普段ならモンスターにエンカウントした瞬間に全身を粉々にしてしまうほど斬り刻んでいるのだが、なんとも間が悪いことに、前にボスモンスターをどう攻略するか各ギルドを招集して会議している中で、その攻略に参加していた『黒い剣士』から、
『NPCはその辺にある岩とか木とは違う。悲鳴だってあげる、感情だって表に出る。生き返るからって囮にしていいわけじゃない。もっと他に方法なんて探せばいくらでもある。人だろうとコンピュータだろうと、作られた物だろうと命は弄んでいいものじゃない』
と言われた後である。
あの時、彼女は最高責任者であった。
攻略をする際の総指揮を執ることを任され、彼女はボスモンスターを村に誘い込み、ボスがNPCの村人を攻撃している隙に、自分達が攻撃して倒してしまおうという提案を出した。そんな理不尽はNPCにとってみたらたまったもんじゃないと、第一層で初めてパーティーを組んだ“彼”が言い返したところから次第に口論は激化していったことがある。
それ以来、彼女はNPCに対しての認識は変わってしまった。自分たちと同じ人間のNPCは普通の人間と同等に扱うようになり、こっちから剣を抜くことは決してしなくなった。危害を加えてくるNPCは例外だが。
さっきから親しく? 話しかけてくるこいつにアスナは未だに迷っている。本当に悪いモンスターなのか、もしかしたらいいモンスターなのではないか。いやはや慣れないトークなどするべきではないものだ。ギルドに入ってかなりトークスキルは上がったとはいえ、相手がプログラムされた存在ではそのスキルが活かされるかどうかも疑わしい。
別に、“彼”との会話など律儀に心の隅に留めておく必要などどこにもないのだが、ここでまた確かめもせず倒してしまうと、何となくいろんな奴から『お前のタバコやめます宣言は一時間しか保たなかったな! 笑える!!』に似たニュアンスの台詞を言われる気がするのでそれはそれで癪だ。
まぁ、彼は絶対言わないと思うが。
周りも言わないにしても頭の中では思われる可能性がある。
どうするかアスナは考えに考え、思考回路をオーバーヒートさせるほどあらゆる可能性を考慮した後、彼女の判断をオルトロスに告げる。
「··············わかったわ」
『おほ〜! じゃあついてきて〜! こっちだからぁ〜』
聞いた瞬間オルトロスはすぐに後ろを向いて、そのまま先に歩いていく。
背中を見せることで隙が生まれてしまっていつ攻撃されてもおかしくないのだが、敢えて無防備な背中を見せて信頼関係を築いていこうというオルトロスの考えなのだろうと、アスナはそう解釈したため何もせずただ後をついて行く。
だが、オルトロスの脳内は別のことで埋め尽くされていた。
(グフッ··············グフフ!! 可愛い上に、ワイについてきてくれるその素直さ··············ますますワイの好みやで〜!!)
それ口に出して言ってたら完全に即八つ裂きにされていただろうが、オルトロスはそのことについては心に留めておくだけで終わらせた。
どうせ後で楽しめる。
それまでは我慢我慢。
と、いつもと変わらない表情でそう思っていた。
··············まぁ、嘘であった場合容赦無く斬り倒してしまう予定なのだが、そのことについてはまだ黙っておこう。
<><><><><>
『グフフ!』
触手を器用に動かして前を歩くオルトロスはドロリと濁った瞳で笑いながらアスナを連れていく。紫色の肌に気色悪い長いものをつけたタコさんは、相も変わらずのわるーい表情を浮かばせている。
当人はどうやら、とってもご満悦らしい。
上機嫌に触手をパタパタ振って、
『なんかこれって··············いわゆるデートっていうのをしてるみたいやな~』
「··············ねぇ? まだなの?」
『え? 無視? まさかの無視!?』
「私は真剣にこの任務に取り組んでるの。さっさと案内してくれる?」
『んもう! せっかちなんやから~。もちょっと先やで~』
普通の会話を繰り広げてアスナとオルトロスは歩いていく。
あれから数十分が経過。結構時間を有効的に活用したい副団長のアスナからすればかなりのタイムロスに感じるだろう。本来であれば現実世界で使うはずだった時間。それを仮想世界で使うことになって皆苛立っている。アスナもその一人。一分一秒でも無駄にしたくない。その時間を現実世界に戻るために使いたいのに、今回の単独任務で失ってしまった。
しかし、これに関しては何をしても改善しない。
今のところ、出来ることは前に進むことだけ。
日々レベルを上げて剣術を極め、更なる高みへと目指すことだけが元の世界へと帰る唯一の方法。今この瞬間どう足掻いても何かが変わるとは思えない。
だがしかし。
さすがに、長すぎる気もしてきた。
オルトロスについていってもう何分経ったのか、細かく時間を数えていたアスナはそろそろ我慢の限界に近かった。ついていってもそれらしい物は見当たらない。それどころか、なんか人気のない場所まで来てしまっていた。
アスナは低い声で尋ねる。
「ねぇ? 一体どこまで行くつもりなの?」
『デュッ··············デュフフフフ!!』
と、質問した瞬間にオルトロスは口を三日月みたいな笑みを浮かべ、
『そら、二人でええコトできるトコに決まっとるやないか~!』
「!?」
『へへ~ん!! 騙されちゃってまあ可愛い~!! ホンマ君ワイの好みやで~!! えへへ、残念だけど全部嘘でした~!! 君の言うモンスターも! この辺りで好き放題やってんのも! 実はワイでした~!! ギャハハハッ!!』
「··············」
『あれ? 今ムカつくタコ野郎と思わなかった? ごめんねごめんね~!!』
一気に寒気が押し寄せてきた。
ずっとその嫌な空気は感じてはいたものの、今の台詞で全身に鳥肌を立たせる。
どの女性にとっても不快で気色の悪い発言だが、オルトロスは弛緩しきった笑みを浮かべているだけで悪びれている様子もない。いやらしい目つきでアスナを見ているが、現在彼女の頭の中はぶちギレる寸前にまで達していて、そんなキラキラした瞳を受け止める余裕などなかった。
「··············まあ、こうなるんじゃないかなって思ってたけど」
震える手を腰にある細剣へと伸ばす。
モンスターのくせに、ご丁寧な日本語で真実を語ってくれた。
では、もう遠慮はいらない。
「覚悟しなさ───ッ!!」
『え~い秘密の技! たこ足!!』
「!?」
アスナの返事も待たなかった。
怒りを爆発させて切り刻もうとした瞬間、オルトロスが先手を打った。自分の触手をアスナの腹の真ん中に巻き付け、身動きが取れないようにする。アスナの体を捕まえた途端にオルトロスは腕を持ち上げ、その際にアスナは剣を落としてしまう。
『グフッ··············グフフ!!』
「このッ!! は、離してッ!!」
アスナは無論抵抗した。
幸いにも腕だけは自由だったので巻き付いている触手に何度も拳を叩きつけて、拘束から逃れようとする。
しかし、びくともしない。
逆に、殴れば殴るだけ体力が消耗してきつくなってくる。
その様子を見たオルトロスは愉快そうに笑っていた。ついにあんなことやこんなことにそんなことまで出来る瞬間がやってきて嬉しいのか、アスナの体に巻き付けている触手の力を強めてさらに苦しませる。で、ネバっとした触手でアスナは頬を撫でられ、彼女の背筋に悪寒が走る。
『ギャハハハハッ!!』
「ッ!!」
逃れる術がない。
このままではやられる。こんな気色の悪い奴に何かをされてやられてしまう。そんなの絶対嫌だ。死ぬよりもひどい目に遭う未来しか想像できない。
なんとしてでも逃れたいが、解決策が見つからない。
ギリッと奥歯を噛んだ、その時だった。
ザシュ!! と。
直後に触腕の一本が根本に落ちた。
ちょうど、アスナを捕まえていた一本である。
『ぎ··············ぎにゃああああああああああああああああああッ!!!??』
鼓膜に響く甲高い声がオルトロスの口から発せられる。
その声が聞こえた瞬間、アスナの心臓は掛け値なしに止まったと思う。何が起こったのか理解できず、拘束から解き放たれたアスナはそのまま地面へと落とされ、尻餅をついて唖然としてしまっている。
その間にも、オルトロスは自慢の腕の一本がなくなった苦しみで悶えており、ブヨンブヨンと体を揺さぶってどうにか痛みを逃がそうと必死になっている。
「··············無事か?」
「!?」
そんな中で、アスナは確かに聞いた。
男の声だった。
いつの間にか目の前に立っていた男から発せられた声。アスナはその声の主が誰なのか、息すら殺して視線を徐々に上へと上昇させる。
足から腰まで。
腰から胴体まで。
胴体から顔まで。
少しずつそいつの全体を確認するように視線を向けるにつれて、ピリピリと全身の肌を薄く刺すような感覚が増していく。
目の前にいる男の全体像を把握し終えた後、先程まで悶え苦しんでいたオルトロスも自分に攻撃してきた奴を視認すると、わかりやすい質問を投げかけてきた。
『こ、こんの~!! なんやねん! 誰やねんお前は~ッ!!』
必死な声色で何者なのか聞いてきたオルトロスに、男は手に持っていた大剣を肩に担ぐと口元に余裕そうな笑みを浮かべ、静かに言った。
「ただの通りすがりだ」
『あ、実はワイもただの通りすがりですねん。ほんじゃ』
気が変わったっぽい。
男の筋肉を見た瞬間に考えを改めたのか、ふざけた口調だけを返して帰ろうとするオルトロスであったが。
ズバァ!! と。
鋭い音の塊がオルトロスの目の前を通過した。
オルトロスは冷や汗をかきながら一撃が来た方向へと視線を向ける。音の塊というよりかは空気の絶縁を破って解き放たれた衝撃波がオルトロスの全身を叩いた。
鋭い一撃を放ったくせに、アスナはまだ当てる気ではない。
今のはついうっかり。なんかふざけたことを抜かして立ち去ろうとしていたので、つい力の制御を誤って剣先から鋭い一撃が飛び出しただけだ。
その一撃がもしオルトロスの体に少しでも当たっていたら死んでいたかもしれないが、まだその時ではない。
顔の前に細剣をかざすと、刃に宿っていた光の残滓が弾ける。プログラムされた技を放ち終えたという知らせだった。敢えて当てなかったソードスキルには殺意が込められており、もしそれが当たったらどうなってしまうのだろうと、オルトロスはさらに冷や汗を流している。
「··············ふざけないで」
可憐な少女にしては、俯いているにせよあまりに低い声であった。
そこに副団長としての気品はない。
「··············逃がすと思ってるの?」
俯いていた少女が、何か怖い声で呟いていた。
そしてようやっと顔を上げる。
いよいよ、アスナの眼光が真っ正面からムカつくタコ野郎を射貫いていく。
「あれだけ時間を取らせておいて、その挙げ句私にあんなことをしておいて··············ただで済むと思わないでよねッ!!」
あらいやだ、とオルトロスは心の中で思った。
どうしよう、好みの女の子の後ろに悪魔みたいなのが見える。完全になんか黒いオーラを纏っている。
「··············ふっ」
対して、その様子を見ていた男は薄く笑った。
嘲るのでも、見下すのでもない。
「なら··············俺も手を貸そう」
彼は、クラウドは彼女の隣に立って武器を構える。
前後に何があったのかは知らないが、面白い展開になりそうだと感じたクラウドは微笑んでいた。
釣られるように、アスナもまた薄く笑っていた。
二人は肩を並べ、各々の得物をオルトロスへと向けていつでも戦えるようにする。
一見すれば、大団円みたいな柔らかい空気。
冷静に考えれば不自然極まるそのムードをぶち壊すように、改めてオルトロスはふざけた口調で冷酷に言ってのけた。
『じょ、上等じゃ~ッ!! 二人まとめて相手してくれるわァァァァアアアアッ!!』
オルトロスが長い触手を乱暴に振り回して迫ってくる。
それに合わせるように、二人も地面を蹴って向かっていく。今日初めて会ったばかりだが、上手く合わせられるとお互い確信していた。
チームプレーも悪くはないと感じていたクラウドには、何の迷いもない。
両陣営に別れた剣士二人と怪物は互いに睨み合い、そして躊躇なく激突した。