銀髪の怪物は二本の足で歩き、ありきたりな言葉を述べていた。
声は雑音まみれで聞こえないが、言っている内容はそんな重要ではない普通の言葉だった。ただ『意味』を表現できないだけで、そいつは普通の言葉を喋っている。
そいつがいるのは、フィールドの外。このゲームの城の外側の剥き出しになっている柱の端だった。城の外にはただ青空だけが広がっており、その先には何もない。地平線の線が見えるくらいで、その先はおそらく何もプログラムされていないだろう。
そんな偽物の風景を見上げながら歩くそいつは、細い細い足場になど一瞥もくれない。価値がないし、興味もないから。理由はただそれだけであった。
『················crあgehvfuglsoozwaド』
実のところ、真実を言えばそいつは本当はそこにはいない。
そこにいるのは、ただの残りカス。実体を持たない紛れもの。だから、この世界ではどの役割にも当てはまらない。プレイヤーでもなければNPCでもない、ましてやモンスターとも言えない。何と表現すればいいのか、なんてそいつのことを呼べばいいのかわからない。
少なくとも、まともではない。
ここであえてそいつを表現するなら、『記憶』と言ったところか。
『ふhu···········krgehvowmhfolpど』
そいつは空を見上げながら、薄く薄く微笑んだ。世界を滅ぼすことよりも、束の間の世間話のような日常の方が価値や興味があるとでも言っているかのような表情だった。
『·································
もう一度、そいつは名を呼んだ。
男性にも女性にも、大人にも子供にも、聖人にも罪人にも見えるその人間が発した声色が、ほんの一瞬だけ、その名を呼ぶ時はザザッとした歪な感触を含ませた。
喜怒哀楽の全てを内包する普段のものとは違う何かが不気味さを増している。
『···········!』
と、その時だった。
バキリ!! と。
そいつの体の中心が細かく砕けるような感触があった。
そいつ自身の存在を司る、『記憶』の集合体の結合にエラーが生じている。その原因を考え、それからそいつは城の中へと振り返った。銀色の毛先からザラザラと分解しつつあるそいつの顔色は変わらなかった。あるいは、そいつにはそれすらも興味を向ける価値がなかったのだろうか。
だが、微かな変化には驚いていた。
『························howう』
そいつは笑う。
距離も方向もわからない、ただ確かな敵意の感情。そいつは歩みを止めて、別のものへと注意を向ける。そいつほどの人物であっても注意を向けざるを得ない何かが、城の中に存在していたのだ。
「··········なruasdfほど」
その間にも、ザラザラと指先が形を失って行く。
もう一人のイレギュラーが現れたことによって聖なる存在と言っていいのかわからないが、何かの力によって存在を保てなくなってきてしまっている。
だが、そいつはこんなことで焦るようなほどの人間ではなかった。
『りyeirnfheおン』
そいつは歌うように何かを呟いた。
右手はすでに肘の辺りまで分解されており、体全体が半透明に透け、今にも崩れ落ちそうなのにそいつは笑っている。
しばらく笑うと、そいつは蜃気楼のようにそこから姿を消した。
消えた、と表現しないのは、まだそいつはこの世界に紛れ込んでいるからだ。
奴は別のところに移動したのだ。
最も効率的に周りから強引に存在価値を認識させられる、最前線の場へと。
<><><><><>
「キリト君っ!」
少年の背後から声がかかる。
キリトは首だけを動かして振り返ると、そこには地面に倒れ伏したアスナが涙を流しながら自分の名を大きく叫んでいた。
普段の彼女なら、こういう反応は見せなかっただろう。
だが、いつもの日常を送り続けた人間は急な展開を迎えると、全ての過程を通り越して現実を否定したくなる。
目の前にいる少年はみんなと違い、二本の足で床を踏みしめ、二本の剣を持ち、勇ましい姿を見せている。その姿自体はいつもと変わらない。だが、いつもの展開から外れざるを得ない状況に直面しており、彼女は今少年のことを恐れていた。
少年が怖くて恐れてるなんてそんな幼稚で単純な理由じゃない、失うことが怖いのだ。
なにせ、少年の様子が、明らかにいつもと違っていた。
勇ましさはあるものの、まるで氷の海に浸かっていたように青ざめた顔。身体中に巻き付いた重い装備に耐えるのもやっとという感じで震えているのが見える。
彼だって、本当は怖いのだ。
今、目の前には元凶がいる。
黒幕がいる。
開発者がいる。
この世界の神がいる。
そんな奴を目の前にして、流石の彼も緊張してしまっている。先ほどまで一緒に戦っていた存在が実は黒幕で、その正体に気付いたらまさかの一騎打ちの申し出。勝てばみんなを解放するという最大のチャンス。そのプレッシャーもあって、彼はこれ以上ないくらい緊張している。
失敗は許されない。
失敗はつまり、自分の死を意味する。
勝利と死が同時に迫って来て、彼は心臓が破裂しそうなほど緊張している。
「ごめんな。ここで逃げるわけには··················いかないんだ」
「っ!?」
だが、それを感じさせないような台詞を彼は最愛の人に告げた。
その目を改めて見て、アスナはギョッとした。
よく見なければわからない程度だが···············キリトの右目と左目の瞳孔の開き方が全く同じだった。焦点は正常に合っていて、なんの曇りもない瞳でアスナを見つめている。キリトの表情から、その事に気付いている様子はなさそうに見える。
つまり、彼には何の迷いもなかった。
本当は崩れ落ちそうになりながらも、彼は体に力を込めて真っ直ぐな目でただアスナを見ていた。
アスナの表情が止まった。
その目を見ればわかる。その目が語るのはキリトの抱える本当の芯。
だからこそ、少年は臆病な自分を隠す。誰かのせいだと、こんな世界がなければこんな事にはならなかったと、そんなつまらない台詞を口に出して誰かを傷つけないために。
もはや思い出すだけでも辛い、一つの過去。レベルを偽ってパーティーメンバーに入り込み、そこで得た仲間たちからの信頼。それを、自分のせいで全て失ってしまった。百パーセント自分が悪いというわけではない。しかし、それでも彼はその件については自分のせいだと悔やんでいる。あの事件に囚われている。
だから彼は、ずっとソロでい続けた。
もう二度と、失わずに済むように。失うものが最初からなければ、傷つくことはない。
だが、そんなキリトにもう一度やり直すチャンスがやって来た。自暴自棄で攻略していた彼に、手を差し伸べた存在が現れた。
彼女、アスナがいなければ彼はずっと自己犠牲のようなプレイを続けていただろう。彼女のおかげで彼は変わったと言ってもいい。
実際、キリトは大切なものを守るために傷つく覚悟を決めて、一つの結果として成し遂げた。お涙頂戴の美化された自殺願望ではなく、ただやるべき行動の先にある種の終わりが待ち構えていて、それでも大切なもののために、彼女のために、前へ進んだのだという、一つの結果を。
その折れない芯が、アスナを黙らせる。
「死ぬつもりじゃ·········ないんだよね?」
「ああ·········必ず勝つ。勝ってこの世界を終わらせる」
「···············わかった、信じてる」
おそらく、アスナでも彼を止める権利はなかったのかもしれない。
知らず知らずのうちに、彼女は自分でもわかっていない彼の本質を見抜いていた。他人は、その人が知らない自分を見抜くのが得意だ。故に、今彼が考えていることがアスナにはわかっていた。
「キリト! やめろ·········っ!!」
「キリトォォオオオオッ!!」
また新しい声が少年に投じられた。
自分よりも年下の男の子に運命を任せるなんて真似、大人として見過ごせないのだろう。勝つか死ぬかが賭けられた戦いに、まだ十五年くらいしか生きてきていない子供なんかにやらせるわけにはいかない。未来を生きるべき人間がそんな戦いに挑むなんて納得できない。
二人は止めるためにシステムを凌駕しようとするほどの力で必死に立ち上がろうとしている。
しかし、少年はそんな二人の方に振り返ると、首を横に振って、
「エギル。今まで、剣士クラスのサポートサンキューな。知ってたぜ、お前の儲けのほとんどは全部中層プレイヤーの育成につぎ込んでたこと」
「!?」
「クライン··················あの時、お前を·········置いていってずっと後悔してた。悪かった」
「キ············キリトッ!!」
優しい声、という感じではなかった。
掠れたような声色で懺悔の言葉だけを残し、改めて元凶の方へと向き直った。
クラインはとにかくそんなキリトの納得ができなかった。
まるで、ここでお別れだみたいな意味を含ませた謝罪の言葉に怒りの感情を抱く。おそらく、少年は負けるつもりはないとは思っているだろう。しかし、あえてそんな言葉を言うということは、最悪の事態を心の中で想定しているということ。それはつまり、勝負の結果が少年には既に見えているということだ。
まだやってもいないのに、勝手にそんな結果を押し付けられたことにムカついたクラインはその考えを否定するように、
「て············テメェキリト!! 謝ってんじゃねぇ!! 今謝るんじゃねぇよ、絶対許さねぇぞ!! ちゃんと向こうで、飯の一つでも奢ってもらってからじゃねぇと絶対許さねぇからなッ!!」
溢れんばかりの涙を流しながら、喉を潰してでも叫んでいるクラインの言葉に、キリトはただ無言で親指を突き出して返事をする。
今度こそ、黒幕と対峙する。
こいつを倒せば全てが終わる。こんなデスゲームからみんなを解放できる。いよいよ始まる決戦に手に汗が滲み出る。これほどまでに緊張したことはない。
でも、引くわけにはいかない。
全てを賭けた戦いが、今から始まる。
だが、その前に、
「·········悪いが、一つだけ頼みがある」
「何かな?」
そう言うとキリトは最後にもう一度、泣き笑いの顔でこちらを見て来るアスナを見ながら、
「負けるつもりはないが、もし俺が死んだら───しばらくでいい、アスナが自殺できないように計らってほしい」
「!?」
「··········良かろう。彼女はセルムブルグから出られないように設定する」
「キリト君!! ダメだよ!! そんなの、そんなのないよッ!!」
残酷な取り引きだった。
一見すれば救いのように見えるが、視点を変えたらそれはゲームクリアまで孤独感を抱えて過ごすという意味になる。
そんなこと、少年は理解していた。もし自分が死んでしまったらアスナに辛い想いをさせてしまうということに。それでも彼はアスナにだけは死んで欲しくなかった。愛する人が先に死んだり、自分の後を追ってくるなんてこと、許せるはずもない。
彼女の幸せを願う少年は、とにかく彼女にだけは生きていて欲しい。
残酷な重荷を背負わせようと、辛い想いをさせようと、彼女だけは死んではダメだ。
だからこそ、彼は負けるつもりはなかった。
そんな辛い想いを彼女にだけさせないために、キリトは二つの剣を構える。
その様子を見た茅場は微かに微笑むと、左手のウィンドウを操作して、キリトと茅場のHPバーを同じ長さにまで調整された。レッドゾーンぎりぎり手前まで引き下げられ、強攻撃が一撃でも入ればすぐに決着がつくほどの量。次に彼は、キリトと対等な立ち位置になるため、今まで設定していた不死属性のプログラムを解除し、床に突き立てていた長剣を抜いて盾を構える。
いよいよ本番が始まる雰囲気が漂っている。
二人の剣士は鋭い眼光で互いを見つめ合い、殺意を交差させている。
そう。
これから始まるのは試合じゃない、死合だ。
その緊張感は計り知れないほどではあるが、その空気を押しのけるようにキリトは深く呼吸をする。
集中し、ただ一つのことだけを考えればいい。
そう、目の前にいるやつを、
「倒す··········ッ!!」
ドッ!! と二人は同時に前へ出た。
莫大な粉塵が舞い上がり、あっという間に土ほこりのカーテンが周りに倒れ伏しているプレイヤーの視界を遮って行く。地面を揺さぶる振動はほとんど地震に近く、屈強に訓練された血盟騎士団でも怯えの嘶きを上げた。
「はぁッ!!」
「っ!!」
金属音が連続する。
二刀流と剣盾。
それぞれの武器は守りと攻撃の両方の役目を全うしながら動いている。攻撃に特化して、攻撃こそが最大の防御とでもいうかのような二刀流に、バランスに優れて防御攻撃の調和がとれた剣盾では正直勝敗となるものがわからない。
しかしやるべきことは変わらない。
脅威がものすごい速度でこちらへ疾走してくるが、キリトの方針は揺らがなかった。
全ての目的はそこに集約される。
そう。
強大な敵に惑わされてはいけない。
彼の目的は一刻も早く、一秒でも正確に··········このゲームを終わらせる事だ。
「「ッ!!」」
音は消えた。
光は消えた。
ただ真正面から飛び込んだキリトと茅場が互いの剣を叩きつけた。それだけのシンプルな動作にも関わらず、周囲に撒き散らされた余波は甚大だった。
数瞬遅れて、爆風が発生した。
金属同士のぶつかり合いによって生じた轟音と共に、二人を中心にドーム状の衝撃波が広がった。ちょうどボスエリア程の範囲の爆風の嵐が、周囲に倒れこむプレイヤーの肌を殴りつける。
「おおおァあああッ!!」
神速の剣術。
目にも止まらぬ速さで何人にも受け止めることのできないはずの斬撃を幾度も交差させて放つ。しかし茅場は盾で剣を弾き返す。続けて複数の太刀筋を見舞いながら、キリトは知る。茅場もまた、キリトと同等かそれ以上に多種多様な剣術を所有している。
当然といえば当然か。
茅場はこのゲームの開発者。
開発者が開発したゲームなのだから、このゲームが苦手なんてことはまずない。自分の性格の一部が開発する際にこのゲームに入り込んでいるため、この世界は茅場のために作られた世界だ。対して、こちらはただのプレイヤー。一種のゲームファンにすぎない。ゲームを購入し、めちゃくちゃやりこんだだけのただの一般人。
開発者と一般人。
その違いは言わなくてもわかる。
しかし、両者には共通点も存在している。
エクストラスキルとエクストラスキル。
ユニークスキルとユニークスキル。
《二刀流》と《神聖剣》。
判明しているのはこの二つだけだが、他にも様々なスキルが存在する。
片手剣を二本使用する駿足の《二刀流》、防御を攻撃に変える《神聖剣》、防御を捨てて戦う《暗黒剣》、構えから放たれる《抜刀術》、槍の極み《無限槍》、短剣などの投擲の《手裏剣術》。
一人一つが習得することを想定されたもの。出現条件がわからず、並みのプレイヤーですら習得できる可能性は少ないスキルの一つを、二人は互いに一つずつ所有している。
「大したものだ」
「!?」
二刀流と盾がぶつかり合う轟音の中、茅場の声が通る。
「二刀流をそこまで扱い、速さだけでなく力技でねじ伏せに来るとはな」
しかし、と茅場は続け、
「───そのアバター、すでに限界に達していると見える」
「ッ!?」
その指摘にキリトの動きがわずかに鈍った所で、茅場の攻撃がさらに苛烈さを増して襲いかかる。
一瞬で差を引き離されそうになり、しかしキリトはさらに逆転し返すべく刃を振るう。
《二刀流》のスキル発動時のキリトは、生身の身体を制御できる運動量を超えたパワーを強引に引き出している。二刀流は速さと攻撃力に特化しており、そのスキルは通常の片手剣と比べたら遥かに動きが多くなり、その代償として現実の肉体、正確には頭脳に負担がかかる。激しい運動をしている感覚が現実の頭脳を刺激し、疲労感を発生させてしまい仮想の身体が自動的に悲鳴を上げる。
そんな状態で長時間の戦いなど行えるはずもなく、ましてやギリギリの戦いだった七十五層のボス攻略の後ではキリトの身体はもう限界寸前だった。だからこそキリトの《二刀流》は必然的に一撃で勝負を決められる威力を出すように研ぎ澄まされていっていた。
だが、茅場に一撃必殺は通じない。
同等かそれ以上の力、ユニークスキルをもって立ち塞がる茅場は、絶対的な防御力のスキルに加えて『ゲームマスター』という特性までも利用して、どのプレイヤーよりも先にこのゲームを理解しており、それによって己の神経を徹底的に強化している。キリトですら瞬間的に踏み込むことがやっとの世界を、茅場は悠々と突き進む。
まさに神そのものだ。ゲームを作ったものとしての特権を最大に利用してキリトの前に立ち塞がっている。
「くッ!!」
その事実にキリトは奥歯を噛んだ。
似たような許容量を持つプレイヤーとは思えぬ差。全てのプレイヤーにとっての脅威となる存在が与える一撃はシステムを超えるに匹敵する。
だが、考えられるか。
本当にそれほどの力を秘めた場合、許容量を超えて自滅しないものなのか。
「ふっ!!」
茅場が息を吐く音が聞こえる。
一瞬、ふわりという妙な感覚がキリトを包む。
それは茅場は苛烈な攻撃を止めて力の溜めを行ったのだと気づいた瞬間、渾身の一撃が来た。
「ッ!?」
真上から思い切り叩きつけられた剣を、キリトは両方の剣を交差させて構えて受け止める。その拍子に、ズシン!! という特大の衝撃が剣から腕、胴体、足へと一気に走り抜け、ブーツを履いた靴底が数センチほど地面へめり込んだ。足元は硬い地面になるようにプログラムされているはずなのに、まるで泥のように沈んでいた。
頭を殴られたわけではないのに、脳震盪のような揺らぎが生じる。
だが受け切った。
そして全体重を乗せた渾身の一撃を放った直後の茅場には、隙が生じるはずだ。
「おおおおおおおッ!!」
キリトは雄叫びと共にエリュシデータとダークリパルサーを振り抜いた。受け止めた剣を弾き返し、茅場はわずかに後退する。
完璧なタイミング。絶好のチャンス。起死回生の一手。
にも拘らず、それすら茅場の盾は受け止めた。ガギィイ!! という鈍い衝撃波が、剣に込められていた威力を分散させられてしまった事実を広く喧伝して行く。
「··················流石だねキリト君」
「!?」
「二刀流をここまで使いこなすとは·········ユニークスキルを発生させただけのプレイヤーではある」
至近距離で、茅場は感情のない笑みを浮かべる。
「だが終わりにしよう。私はまだ、
「ッ!?」
キリトはまともに応じず、一度引いた剣をより強く振るい、苛烈な一撃を見舞う。
しかし茅場は眼前にいない。
剣は虚空を斬り、茅場の姿だけその場から消え去った。
視力ではなく気配でキリトは察知する。標的は頭上。茅場の体が真上に十メートルほど飛び上がっていた。常人には不可能な、まるでロケット発射にも似た跳躍。この世界では現実では不可能なことを可能にする。壁を走って登ったり、屋根から屋根へと長い距離を飛んだりなど、システムの助力によって物理法則を無視できる。
「ッ!!」
キリトは即座に追おうとするが、先ほどの戦闘の疲労とスキルによる負荷によって、ほんの数瞬のラグが生じてしまう。
茅場は重い装備を身につけたまま空中で体を反転させると、空中に足をつけるようにしてこちらを見下ろした。
「行くぞ·········キリト君」
頭上にいる茅場のささやきに応じて、その手が持つ剣が爆発的な光を発する。明らかにシステムされていない技だった。通常プレイヤーではまず再現できない。普通のプレイヤーではあり得ない理屈を、茅場は強引に押し通す。
「はあッ!!」
怒号にも似た掛け声と共に空気を蹴飛ばすように勢いよく下降する茅場晶彦。
一直線の落下。
そして振り下ろされる特大のスキル。
そこから放たれたのは、斬撃や刺突や射出や爆発や破裂や分断や粉砕なんかではない。
ただの重圧。
上から下へと勢いよく突き進む圧倒的な破壊力は、星を砕く隕石を思わせる一撃であった。
<><><><><>
ただでさえダメージを負っていたボスエリアはその一撃で粉砕され、ボス攻略クリア後の静謐が漆黒の闇へと戻って行く。
必殺とも言える一撃を放った茅場を中心に爆風が巻き起こり、麻痺状態で地面に倒れ伏していた攻略メンバー全員を吹き飛ばしていた。全員無事みたいだが、中にはその攻撃に巻き込まれてライフが赤にまで減っている者までいた。
爆音と、振動と、粉塵が炸裂する。
「ぐっ··············ごはっ·······!?」
そんな中に、キリトは倒れていた。
攻撃自体は二つの剣で受け止めたものの、それを支える足の方が耐えきれなかったのだ。疲労で立っていられるのも不思議であったキリトの足はもっと前から悲鳴をあげており、莫大な重圧を受けてその限界を超えてしまったらしい。殴り倒されるように受けた攻撃によってキリトは地面に叩きつけられ、みんなと同じように仰向けに転がっていた。
その全身はボロボロだった。茅場の一撃が直撃しなかったとしても、重圧は武器を通して体を蝕む。特大な威力を誇る謎のスキルと人工の大地の間に挟まれたキリトは、腕と言わず足と言わず胴体と言わず、ありとあらゆる所から痛みが生じている。
あのトッププレイヤーの一人でユニークスキル保持者のキリトでさえ、この有様だった。
もう一度同じ攻撃を喰らえば、今度は絶命するという計算がすぐに導かれた。
だが、
「··············ッ!!」
ギシリ!! と奥歯を噛み締めるキリトの顔に、恐怖や驚愕、ましてや諦めといったものはない。
あるのは怒り。
不幸中の幸いにも犠牲者はいないようだったが、しかしそれは結果論だ。明らかに広範囲に当てることを想定されたその未知なスキルは、下手すれば身動き一つ取れないアスナ達にまで巻き込みかねない危険な技だった。実際、スキルを放った余波が何人か受けている。
幸いにもアスナやクライン、キリトと長く接していた者達は無事だったが、もしあれがアスナにまともに当たっていたら。そう考えただけで、キリトの背筋に寒い何かが走る。
同じプレイヤーのくせに。
対等な立場で戦うと言っていたくせに。
世界に認められた優秀な頭脳を持っているくせに。
どうして、こんなつまらない事にしか力を振るえないのか。
「茅場·······晶彦··············っ!!」
傷だらけの体を引きずるように上半身を起こし、瓦礫の上に落ちていたエリュシデータとダークリパルサーをつかみ直し、キリトは掠れるような声で元凶の名を呟いた。
対して、同じように隆起している地面へ荒々しく足をつけた開発者の茅場は、
「··············終わりかな?」
「ッ!?」
「それとも、まだ私に挑む気かな?」
「茅場ぁぁあああああああああああああああああッ!!」
尊敬もクソもない。
呼び捨てにしようが誰も咎めない。
己の血を振りまくような勢いでキリトは猛然と立ち上がる。両手に構えた二刀流はふらふらと揺れていた。あまりにも強く握りしめ過ぎたのか、彼の爪からビキリという音が鳴った。受け流しきれなかった莫大な衝撃のせいで、もうHPバーは残っているのかわからないくらいのあたりにまで減っていた。
つまる所、ライフはあと一しか残っていないという状態なわけだろう。
もはや勝ち目など見えなかった。体もフラフラとさせていて立っているだけでもやっとなのに、こんな状態で勝てるわけもない。
しかし。
それでも。
「ッ!!」
それでも、彼の眼光だけは衰えない。
そしてその眼光が消えない限り、キリトの両手剣の刃が止まることはない。
己を鼓舞するように傷ついた呼吸器官を押してまで雄叫びをあげるキリト。その意思は揺らがない。全てを剣に込める。人々の想いを、託されてきたものを、この男にわからせてやるというかのように、彼は再び二刀流の構えをとった。
「·······面白い」
しかしそれ以上に早く、茅場が動いた。
「それでこそだキリト君。それでこそ·······この世界を生きた者が持つ栄光だ」
言葉と共に、また茅場の剣に光が灯る。
「キリト·······その名は永遠にこの世界に刻まれるに値する!!」
敬意を表す言葉を剣に乗せ、再び茅場は莫大な速度で一直線にキリトに迫る。
(だ、ダメ·······っ!!)
余波を受けただけでもわかる。
あれをまともに受けたら今度こそキリトの命はない。その一撃を今度はキリトにだけ与えるつもりのため皆が巻き込まれる心配はないが、それでもアスナは止めるために立ち上がろうとする。
(このままじゃ··············っ!!)
目の前で最愛の人を失ってしまう。
歯噛みするアスナの前で、キリトが構える。
しかし、あれはどう見ても攻撃の構えじゃない。
明らかに受け止めるつもりだ。
このままでは本当に失ってしまう。
(ダメッ!!)
ルールを凌駕する力で麻痺状態の中強引に立ち上がる。
足に力を込める。破壊の塊を込めて放つ茅場の前まで走り抜ける。
反撃のための挙動ではない。
全ては防御。
彼を失わないために、アスナは盾となるため走るのだ。
「ダメぇぇええええええッ!!」
間に合わない。
茅場が、全力をもってキリトの体を貫く。
光が吹き荒れた。
キリトだけでなく、アスナの目が、耳が、鼻が、舌が、肌が、全ての感覚プログラムが機能しなくなっていた。
ガキンッ!!
その音すら理解できなかった。
五感が死んでいる。あるのは白。瓦礫の吹き飛ぶ音も、吹きすさぶ衝撃波も、舞い上がる粉塵も、何かを貫く感触も、何もかもが脳に入ってこない。本物の死とは、純粋な消滅とは、これほどまでに何もないのか。
「「··················?」」
なのに。
何かがおかしい。
少しずつだが、五感は戻りつつある。真っ白に塗りつぶされた五感が戻るのに、しばらく時間が必要だった。
失われたのではなく、回復しつつあるということは·········
「な、何が·········?」
茅場が放った一撃は、まさに確実に命を狩り取る一撃であったはずだ。キリトを含む、下手したら周りにいた奴ら全員のライフを一つ残さず奪い尽くしてもお釣りが返ってくるはずだ。それがまるでなかったことにされたかのように、キリトの体は無事だった。被害らしい被害もない。
「··················君はっ!?」
反応したのは意外にも、全てを用意したはずの元凶だった。
珍しく驚きの表情を見せているその顔は、まるで彼のことを知っているかのような様子を見せている。それもそのはずだ、彼にとって目の前にいるそいつは初対面ではないのだから。アバターを変えているからそいつはおそらく認識していないだろうが、元凶にとってそいつはイレギュラーな存在。
元凶のその言葉に全員の五感が戻り、ハッと顔を上げた。
その元凶の放った、誰かを呼ぶような言葉。それが全員に行き渡った時には全ての感覚が息を吹き返した。
システム外のような一撃であったにも拘らず、被害が起きていない状況。
そして、その中心点に立っているのは。
「··················ク、クラウド!?」
「···························」
茅場の攻撃を正面から相棒のバスターソードで押さえつけ、キリトを守るように降り立った一人の兵士。
自称、『元ソルジャー・クラス1st』のプレイヤーが元凶の前に立ち塞がったのだ。