どうしても、どうあっても。
茅場から解き放たれた、普通のプレイヤーでは扱うことができないシステム外スキルの一撃をキリトは回避できるはずがなかった。辺り一面は何の遮蔽もないだだっ広い空間。眼下に現実性を望むこのフィールドは、どこまで行っても茅場晶彦という『
だが少年は死ななかった。
間近で炸裂した恐るべき轟音に思わず両目すら閉じていたのに、いつまで経っても痛みや衝撃は襲ってこなかった。
ゆっくりと、痙攣する瞼をこじ開けるようにして、キリトは再び視界に色を確保していく。
目の前に『それ』は広がっていた。
クラウド。
初期装備にしてはあまりにも変わっており、こんな最前線では場違いなほどの不釣合いな何でも屋を営んでいる傭兵が立ち塞がったのだ。
「················君はっ!?」
むしろ一番初めに驚愕の声を発したのは、キリトではなく攻撃した本人であった。何故黒幕が驚いているのか、周りのプレイヤーは理解できていなかった。あいつの個人的事情が含まれてそうな顔で、キリトの間に入ったクラウドを見つめていた。
茅場はクラウドの姿を食い入るように見つめていた。
何でも屋の手にあったのは、初期から身につけていた大剣であった。おおよその攻撃力を放つことができるであろうその大剣は茅場のスキルでさえも凌いだ。一見すれば初期装備であるためとても弱いと思ってしまう者が大半であろうが、この武器は入手方法は不明で、この階層だけでなくあらゆるモンスターにも対応可能な武器でもある。今日まで身につけているということは、耐久値が異常なほど硬質で、それほどあらゆる場面で役に立つということ。
並大抵のプレイヤーならおそらく扱うことすら難しいだろう。大剣を振るうには力のパラメーターを強化しておく必要もあり、更には素早く動ける体力と身体能力も必要なはず。
それがクラウドの武器だった。
並みのプレイヤーを超える速度で戦う存在は、あらゆるプレイヤーをも凌駕する。
彼の大剣がゲームマスターのシステム外スキルを受け止めた事実が、それを証明している。
「················」
整えられた大剣は少しずつ火花を散らしているが、彼は尚も黙ってあの茅場の一撃を食い止め続けている。
「··················ク、クラウド!?」
ようやっとキリトの方にも混乱が伝播してきた。
両手にある剣を握り直しながらも、彼の頭は理解できない空白でいっぱいだった。
「どうして··············っ!?」
「───!」
驚愕するキリトに、クラウドは何かを呟いていた。
だがそれは誰の耳にも届かなかった。何を言ったのかは聞こえなかったが、次の行動でクラウドが何を言ったのかを理解できた。キリトを手で押し飛ばして後ろに後退させた後、クラウドはまるでもたれかかるように茅場の方へと足を踏み出した。
交代。一見すればそう見えなくもない。
一瞬その行動に誰もが理解が遅れたが、悪意を誰にも向けずにただ目の前にいる元凶にだけ敵意を向けていることから、先ほどクラウドが何を呟いたのか、言葉はわからないが意味は理解した。
「ッ!!」
「っ!?」
ガキンッ!! と。
二人の剣が交差する。言葉を発することもなく、何の予兆もなく、ただ二人は流れるように戦い出した。
実を言うと、いきなりの展開にまだ理解ができていなかったのは黒幕も同じだった。ボス攻略の場に途中参加するような事例は少なく、それに今は自分の正体を見破られて決闘の最中だった。決闘の邪魔が入らないように周りにいた攻略プレイヤーには地面に寝転がってもらって、保険のためにこれ以上の増援を来させないようにするため、ボス部屋の出入り口も権限者の力で開かないようプログラムをしていたはずだった。
にも関わらず、彼はそのセキュリティーを掻い潜って黒幕の前に現れた。
一体どんな手品を使ったんだとか問い詰めたかったが、急に攻撃してきたためそれは叶わなかった。
クラウドは何の感情も抱いていない表情で剣を振るう。
眉間にしわを寄せ、険しい表情のまま茅場と剣を交える。
何らかの罠や策を使って一気に翻弄させるのでもなく、彼はただ、バスターソードを上から下へと振り下ろす。
己の目の前にいる敵を倒すために。
「フッ··················面白いな」
案外真剣にやっていたと思ったが、急な展開でしかも攻撃されているにも関わらず、茅場は茅場でどこかアクシデントを楽しむような口振りでそんな言葉を吐き出していた。
茅場はクラウドの攻撃を盾で受け流すと、そのまま押し返すように盾を前に突き出した。顔面を狙っての攻撃にクラウドは僅かに目を見開くが、すぐに冷静さを取り戻してバスターソードを横にして防いだ。その衝撃でクラウドは後ろへと飛ばされ、強制的に後退させられた。
それを確認すると、茅場はようやく肩の力を抜く。その様子を見たクラウドは何かを察したのか、剣先を茅場に向けるも攻撃はしなかった。
急な展開で力んでしまっていたが、これでようやくお互いに落ち着いて話し合いをすることができそうだ。
「まさか·························君が私の前に現れるとは」
この時をずっと待っていたと言わんばかりの眼差しをクラウドに向ける。
対して、クラウドはそんな眼差しなど気にも留めずに相変わらず無言のまま茅場に剣を向けている。
「だが、何故君がここで立ち塞がる。攻略組でも何でもない君には、見ず知らずのプレイヤーのために命を懸ける理由などないはずだが?」
煽るような質問。
対して、自称元ソルジャーの何でも屋は言葉ではなく、行動で返した。全長一・九メートル、重量三十キロを越す鉄塊の得物を真横に振るう。
空気を裂く音が聞こえた。
直後に、元凶でさえも想定していなかった閃光が炸裂する。
破晄撃。
気を纏って生み出された壮絶な雷光は、規則正しい曲線を描いて地面を抉り取り、轟音と閃光を撒き散らして黒幕へと突っ込んだ。ちゃんと狙うのは茅場だけで、周りにいるプレイヤーには命中しないような軌道を選んだのだろうが、撒き散らされる衝撃波だけで何人かがひっくり返っている。
このゲームを作った本人でさえも見たことがない技を目の当たりにして驚愕の表情をわずかに見せる。
灰色の粉塵が舞う。
標的までの距離は目と鼻の先。
身に覚えがない技を放ってきたクラウドは一体何者か、彼は一体なんなのかとか様々な考察をしている黒幕に、恐るべき速度で直撃する。
ドゴォオオオオオオオオンッ!!!
莫大な音の塊が炸裂した。
灰色の粉塵が撒き散らされて、茅場がいた場所を覆い隠す。全てのプレイヤーの視界が一時的に奪われた。
もうもうと立ち込める粉塵は、しばらくそのままだった。
やがて、ゆっくりと視界は回復していく。
クラウドの前に、景色が広がっていく。
「··················」
世界は何も変わっていなかった。
自称で非公式とはいえソルジャー・クラス1stの力を振るい、気を溜めてまで放った一撃。それだけのものをぶつけられても、黒幕はびくともしなかった。
結果は明白だった。
奴の持つ壁は、生半可なものではない。防御力に優れた盾はクラウドの攻撃さえも防ぐ。
だが、これでこっちの意思は伝わったはずだ。何しに来たのかとかそういった質問の答えはこれで十分のはず。彼なりの最大限の意思表示をしたことによって、周りにいたプレイヤーは目を見開きながら驚き、クラウドに対して警戒を高める。
対して、今回の事件の黒幕の男だけは冷静にただ静かに頷いた。
「なるほど。自分が関係ないものだったとしても、やるべきことは変わらない、か。実に素晴らしい考え方だな」
「··················」
彼はただ興味深い目でクラウドを見ている。
対してクラウドは片手一本で重いバスターソードを水平に構えたまま、周囲へ視線を走らせる。
何でも屋を中心とした、半径三十メートル前後の半円。それが、麻痺状態で地面に倒れ伏しているプレイヤー達によって作られた闘技場だった。それぞれが抱く感情がクラウドに向けられて妙な空気感が漂うが、彼は気にしなかった。
彼はただ中心に立っている黒幕の男だけを見て、わずかに唇を動かした。
「·············死人が大量に出る直前だったみたいだな」
ここでようやく、状況を完全に理解した。
その一言で取り囲むように倒れているプレイヤー達の警戒が膨らんだが、やはり黒幕だけが率直に頷いた。
頷いて、クラウドの後方で呆然と見ている黒服の少年剣士を見ながら、
「そう、彼らの中の一人が私の正体を見破ってしまってね。彼らには悪いが仕方なく、管理者権限で強制的におとなしくしてもらっている」
「··················証拠隠滅か。相当追い込まれてたみたいだな」
「少々事情が変わったんでね。私も形振り構ってはいられなかった」
告げながら、黒幕である茅場晶彦は己の親指で、自らの胸を差す。
そして、一言で言った。
「決闘をしないかクラウド君?」
「··················」
一瞬、唐突な発言に思考が停止した。
しかしその一言で、また一つ理解した。
だから先ほどまでキリトはたった一人で戦っていたのかと。周りが倒れ伏している中で唯一立っているキリトに違和感を抱いていたが、そういうことだったのか、と。
だがクラウドは、そんな茅場のクソ真面目な態度につまらなそうに目を細め、
「ここは本物の戦場だ、上品な剣士の礼儀作法になんか興味はないし必要もない。本当に本気でやるんなら全力で来い、こっちも手加減なしで戦わせてもらう。無駄死にが嫌ならとっとと目の前から消えることを勧めるが」
「心配はない」
クラウドは煽ったわけではない。その言葉はむしろ確認だった。
おふざけじゃないことを今一度確認するための台詞を言うと、茅場は軽く腕を振る。
その手に握られている幅三センチ程の刃を備えた一振りのロングソード。軍馬を操りながら戦う騎士が扱う用に最適化された剣は八十センチ程度の長さの剣だ。バスターソードに比べたら耐久性や攻撃力が劣っているようにも見えるが、そうは感じさせないほどの殺意が宿っている。
茅場はその剣を構え、クラウドに告げる。
「ゲームであっても遊びではないことはこちらも重々承知している」
黒幕が最初に言った言葉は本人にも刻まれている。
その言葉の意味を真に理解しているからこそ、こんな行動に出たわけだ。
「この世界を本物にするために受け入れた“イレギュラー”の君がこの二年でどれほどの実を結んだか、試させてもらおう」
それが合図。
権限者とイレギュラーの一対一の激突が、始まる。
<><><><><>
彼らの動きを再現するために、処理速度が悲鳴を上げる。
ドッ!! と発射音のような足音が、倒れ伏している彼らの動作に遅れてボス部屋に響く。地面は抉れ、地上で二、三回と巨大な刃が激突した。火花は雷光のようだった。そして、続けざまに撒き散らされる衝撃波が、花火のように何度も球状へ広がっていくのを、周りに倒れているプレイヤー達は見た。
悲鳴を上げる者までいた。
衝撃波の余波は殴りつけるようなほどの威力で、まともに喰らえばHPを減らしてしまうほどだった。
身を屈め、ダメージを受け止めようとする者もいる。
衝撃波の渦は、それらを平等に叩き伏せていった。
「なるほど」
盾の耐久値は武器よりも高い。
剣で何度もぶつかり合っていたが、クラウドの一撃は重すぎることがわかった。大剣であるというのもあるが、単純にクラウドの力が異常だった。剣で受け止めることがとても難しい。剣で受け止めれば刃先から衝撃波をまともに受けることになり、腕が痺れてすぐに使い物にならなくなってしまう。
だから攻撃のほとんどを盾で受け止めた茅場は、一度クラウドの剣を弾き返すと一旦引き下がり、周りにいたプレイヤー達を不甲斐ない眼差しで見渡していた。
クラウドに一騎打ちを申し込んだのはおそらくこれが理由だ。
彼はまさにイレギュラー的存在。その存在は全てのプレイヤー諸君を凌駕する。経験や精神力といったゲームのレベル上げのシステムではどうにもならない部分が飛び抜けて優れているクラウドといっぺん戦ってみたかったのだ。
戦って、彼の存在を理解しようとしていた。
彼のあの身のこなし、あれは明らかに現実的ではない。音速を超えて戦うクラウドは、現実の常識が通用しない。ゲームのシステムを借りても、あそこまで動けるなんてプレイヤーはそうそういない。彼には、我々が理解できない何かを隠し持っている。それがなんなのかを知りたい。だから茅場はわざわざ乱入してきたクラウドと一対一で戦うことを望んだのだ。
「··············楽しいな」
そんな言葉を溢したのは黒幕だった。
こんな状況なのにも関わらず、彼はこの戦いが楽しいと感じてしまっていた。
一見して、二人の男は剣と剣をぶつける肉弾戦で戦っているように見えるかもしれないが、その本質は互いに異なっている。茅場はおそらく正当なゲームシステムの中でさらにレベルを上げた状態で戦っているのかもしれないが、クラウドの力の本質は『ある細胞』だった。その細胞は人の常識なんかでは説明できないほどの力と可能性を秘めている。
そもそも、馬鹿正直に筋力だけを増強したところで、あれだけの破壊力を生み出すことはできない。筋肉をいくら鍛えたとしても、金属製のものを一刀両断なんてことできるわけがない。せいぜい一定のラインを超えたところで、自分の筋肉が内臓を圧迫してしまい、自滅するのがオチだろう。
彼らは音速を超えるほどの素早さで剣を交える。
相手の思考を高速戦闘の中読み取り、即座に攻撃へと移行する。弾き返されれば次の一手を数秒単位で考える。
これがかなり難しい作業だった。
彼らの真髄は人の身で圧倒的な破壊力を生み出すと同時に、無理な力や速度を出した結果起こるであろうあらゆる弊害や副作用を事前に推測し、補助的なシステムによって摘まみ取っていく周到さにこそある。戦闘中は常に数百、数千も生み出され、なおかつ戦況によって一瞬一瞬で変わっていく弊害を一つでも見逃せば、その直後に高速戦闘中のプレイヤーは死亡する。
限界を超える、と口に出すのは簡単だが、そこまでやって初めて成し遂げられる業であり、そこまでやったとしても、『生身の身体の限界』はやはり完全には拭えない。
頭脳への負担は半端なく、それを再現するためのVR機器も処理に忙しくて回路が焼き切れるほどだった。
権限者としても、並外れた力を持つ超兵士の力にしても、単に強大な力を持っていれば強い、などという話ではない。結局は、莫大な力を振るう者には莫大な力を操るだけの技術や資質が必要とされているのだ。
クラウドは強い。
茅場晶彦は強い。
何らかの力を得ただけでは、そのポジションに立てるわけではない。レベル上げシステムで強くなろうと、特殊な細胞を埋め込まれようと、それを使いこなせなければ何の意味もない。どれだけスピードが出るレースカーを持っていたとしても、それを操る者が実力不足なのでは本当の力を発揮できない。元から強大な力や技術、頭脳を持つ者だからこそ、特殊な力を上乗せすることで彼らは常人には想像もつかない領域にまで足を踏み入れることができる。
だがしかし、クラウド自身は特別ではない。
茅場に比べれば生まれついての特別資質や優秀な頭脳に恵まれたわけではない。
しかし。
しかし、だ。
黒幕もかつては持っていた、大切なものを。
それは何か··············彼はただ、一・九メートルを越す巨体な剣をゆらりと構え直す。
その様子を見た茅場は、前から、それもゲームが開始しても間もない頃から気になっていたことを聞いてきた。
「そうまでして、このゲームをクリアしたい理由があるのかな?」
そう問うと、構えたクラウドに応じるように茅場も動いた。
盾を前に出し、反対側に持っている剣を斜め上で構える。
周囲ではクラウドに加勢しようとプレイヤー達がもがき、それでも震える手で各々の武器を掴もうとしているのが見えたが、二人は改めて視線をやることすらなかった。
「··············君は覚えていないかもしれないが、ずっと聞きたかったことがある」
「?」
「君は何故、
「··············」
「ずっと気になっていた。あの時、私が全プレイヤー諸君にこのゲームの本来の仕様を伝えた直後に、新たなプレイヤーがログインして来たという知らせを受けて正直困惑した。デスゲームと化していることはもう世間に公表されているにも関わらず私の世界に自らやって来るとは、一体どんな奴なのか興味すら湧いた。だが、それと同時に疑問に思った。何故君はこの世界にやって来たのか、そしてどうやってここに来たのか。そればかりが気になってどうやって接触したものかとこの二年間ずっと考えていたよ」
「··············」
「わざわざ危険な場所に自ら飛び込んで来るだけでなく、その方法すらも私はわからない。一体どうやってやって来たのか、何故この世界に来たのか、そして··············君は一体何者なんだ?」
そこで、茅場はふと言葉を止めた。
小さな笑い声が上がったのだ。
クラウドの肩がわずかに上下している。しかし彼の顔にあるのは黒幕が知るような、会いたかった者を前にした時に浮かべる、静かながらも狂気が含まれているような笑みとは違う。
失笑だった。
「戦っている最中に言葉が多いな」
クラウド・ストライフは、耳に入った言葉を全てなかったことにするかのように否定した。
記憶にすら留めることすら馬鹿馬鹿しいという表情で。
「戦っている中で無駄話をするほど、俺は甘くはない」
応じる声はなかった。
ビュン!! と。
風を切り裂くような音が茅場のすぐ横を通過した。
クラウドがいた場所には彼の姿はなく、気付いた時には茅場のすぐ後ろにいた。地面の腹を恐るべき脚力で蹴飛ばした結果、音速の領域へと踏み入る事ができ、その速度を保ったまま茅場の左腕を斬り裂いた。クラウドのあまりの脚力に足場にしていた地面が抉れているのを見ると、彼はもう容赦は出来ないようだ。容赦はせず、確実に黒幕を倒そうという意思が見て取れる。
斬られた部分が赤く染まる。左腕に発生している痛覚が現実の脳に衝撃を伝え、盾を握る手を弱らせる。
血ではなく、電子。
それが表面上に現れるたびに命が削られていくのだと自覚させられる。
「フフッ」
当の本人はそれでも楽しそうだった。
この世界はまさしく本物。彼にとってはそれが嬉しい事実であり、それが証明されたことを祝福するかのように、彼は笑っていた。
笑って、自分の欲望を叫んだ。
「·············私は幼い頃からいつも同じ夢を見ていた。空中に浮かぶ鋼鉄の城、その光景が何度も頭の中に過る」
「··························」
「それが何度も何度も夢の中で現れるうちに、その世界に行きたくなった。夢を現実に、誰もが一度は抱く理想。それを私は実現したかった」
茅場晶彦は何度も夢を見てきた。
故に自らが窮地に立たされたとしても、それでスタンスが変わることは絶対にありえなかった。
「ただの理想に留まらない、あれほどまでに美しい世界を夢で終わらせるなんてことは絶対にしない! あの時抱いた理想を、夢見た世界を現実にしてみせる!! そのためなら私は、そのためだったら───ッ!!」
「
「··············!?」
ようやく、クラウドは会話らしい会話の言葉を発した。いい加減うんざりしたのか、結局茅場の話に付き合う気になったんだろう。つい先ほど甘くはないとか言っていた癖にもう折れるなんて、彼はもしかしたらツンデレなのかもしれない。
そしてそれは、本来であれば別世界の住人であるクラウドが語るべきではなかったのかもしれない。
彼はいわば部外者。
どこまでいっても別世界の住人であり、その世界が一体どういうものなのか、奴の抱いている理想が何なのかさえも彼は興味がなかった。そんな奴が、黒幕の考えなどを勝手に解釈して代弁すること自体間違っているのかもしれない。
だけど、そもそもその世界を血で汚したのは誰だ? そういう風に設定したのはどこのどいつだ?
そして、そいつは世界を現実にしようとしたことで一体どんな利を得ようとしていた?
決まっている。
茅場晶彦は自らの目的のために他人の自由を奪ったのだ。他人の幸せを奪ったのだ。他人の人生を奪ったのだ。
その結果、この世界はどうなった?
現実性が生まれてより素晴らしくなった?
そう考えるものは少ないだろう。現実とは違った刺激を味わうためにこの世界に来た人達は開発者の身勝手な思惑によって絶望を抱いた。それから人々は変わっていった。必死に生きる者、現実から目を背ける者、手を血で汚す者。一見すれば彼の望み通り現実とはなっている。現実らしい出来事がこの世界で起きていることで、ゲームの中に作られた仮想世界は本物らしくなっている。
しかし、知らず知らずの内に世界は汚れていっている。
皮肉にも、この世界を作った創造主によって。
「何の罪もない奴らに絶望を送りつけて、人の尊厳や夢を無条件で奪って、本来笑い合える場所を血で染めるような穢れきった世界がアンタの望んだ世界か?」
「··············」
「美しい世界って何だ? 現実って何だ? アンタにとってそれは一体何なんだ? ただ単純に生きた人間を連れて来て、非現実的なモンスターと戦わせて、プレイヤー同士互いに殺し合いをさせて、理不尽ばかりの世界にして、そのまま生命活動をこの世界で終わらせることが、アンタにとっての現実なのか?」
クラウドはただ聞いていた。
質問を繰り返していた。
興味の対象外なのにも関わらず、まるで興味を抱いたかのように質問を連続させる。実際、気になってはいた。黒幕は何故この世界を作ったのか、みんなを閉じ込めるような真似なんてしたのか。その答えを聞きたくてクラウドは黒幕に質問していた。尋問や詰問ではなく、素直な質問を。
そんな質問を繰り返している内に、茅場から息の詰まる音を確かに聞いた。
「実際アンタは凄いことをやり遂げた。みんなが夢見た世界を創造し、その世界にみんなを連れて来た」
そこだけは認める。
普通じゃ考えられない世界。
夢を幻想を、現実に変えた世界。
「だが結局その世界を穢したのはアンタ自身だ。 自分勝手の理想を一方的に押し付けて、他人の理想を踏み躙って否定する。それが··············アンタの抱いた理想だったのか?」
もはや言葉の応酬に留まらなかった。
質問に答えることもせず、茅場はただ黙って剣を構えた。奴の顔に怒りはない。しかし剣を構えると奴の剣に光が宿る。その剣に乗せられているのは明確な敵意と殺意。
さっきのクラウドの真似か、答えて欲しくば剣で語り合おうってことなのか。
どちらにしても、その意思はクラウドにはちゃんと伝わった。茅場と同じく剣を構え、赤のライトエフェクトを宿らせる。
そして、
「っ!!」
ゴウッ!! と。
ついにクラウドの剣が茅場の懐へと潜り込む。
バーストスラッシュ。
クラウドが保有している技の中では弱い方だとは思うが、鋭い突きで間合いを一気に詰めるにはうってつけだった。
だが奴の闘志はまだ途切れていない。彼もそれに合わせるようにスキルを発動してクラウドへと迫る。そもそも彼は自分が行使したスキルに限り負荷を軽減している。周りのオブジェクトやプレイヤーのグラフィックなどのデータ量が抑えられている今、彼らを縛るものは何もない。
「ッ!!」
しかしクラウドだけはその先へと行く。
クラウドの身体が悲鳴を上げる。処理速度の限界を超える。アバターを保つための負荷が彼の肉体を破壊しにかかる。
「「ッ!!」」
両者とも、最初から回避など考えてもいなかった。互いに剣を突きの構えで標的に向かって駆け出した。
クロスカウンターなどという小綺麗なものではなかった。
両者の攻撃がそれぞれの肉体へと容赦無く突き刺さった。
二人は互いに交差し、互いが先ほどまでいた位置に入れ替わるようにして突き進んだ。
剣を交える瞬間、その直後。
二人はしばらく剣を突きの構えの状態のままその場に立っていた。
一瞬にも見えたが、あるいは永劫にも見えた。
しばしの沈黙のうち。
やがて動きがあった。
「·············ふっ」
最初に聞こえたのは声だった。
その笑いがこぼれた時、クラウドは思わず姿勢を崩してしまう。足をふらつかせ、膝をついてしまう。
が。
「············なんで、だろうね」
世界の全てを築き上げたはずの黒幕から出てきたのは、シンプルな疑問の言葉だった。それだけでは質問の意味がわかりかねるほどに。
「············哀れだな」
クラウドはふらつきながらも再び立ち上がり、大剣を二、三回ほど回転させて背中に収めた。
そして、ポツリと呟いた茅場のあらゆる意味が込められた疑問に、クラウドは哀れみの目を向けながらこう答えていた。
「アンタは何もわかっていなかった。自分の妄想を現実にしようとすることばかり考えていた結果、いつの間にか『人間』としての尊厳や夢、誇りを忘れた。それがアンタの敗因だ」
それ以上は何もない。
直後。
重たくズン、と。
理想を抱いて溺死するかのように茅場晶彦が纏うアバター、ヒースクリフの身体が真下へ崩れていった。
<><><><><>
全部終わった。
荒い息を吐くクラウドが辺りを見回すと、そこには既に緊張感はなかった。倒れ伏した勇敢な剣士達ばかりが並べられた空間に過ぎない。
「クラウド!!」
「クラウドさん!!」
意外なほど間近で声が響いた。
驚いてクラウドがそちらへ目をやると、キリトとアスナがいた。
「··············無事か?」
「「こっちの台詞だ(です)!!」」
「???」
二人の声が見事に揃った。
具体的な事は何もわからないが、ともあれ二人とも無事のようで合流できたのはいい事だ。
そしてその後ろにいるクライン達はクライン達で、
「嘘だろ··············あの茅場晶彦がぶっ倒れてやがるぞ」
「本当に··············倒しちまいやがった」
「マジかよ」
「本当に··············クリアされたの?」
驚愕の事実に驚くばかりで、全員が全員倒れている茅場に注目している。
そしてクラウドも、倒れている茅場の方へ視線を戻して、
「····························」
何も言わなかった。
ただ、憐れむような目で茅場を見ていた。
結局、こいつはこいつなりの信念を持って生きた。自分の理想を追い求めた結果、人としての正しい道から外れて狂気へと走ってしまった。
彼もまた、この世界に囚われた被害者の一人なのかもしれない。
理想に囚われた哀れな被害者。
意味は違えど、彼はこの世界に囚われていた。
同情はしないが、可哀想な奴だ。だから彼は負けてしまったのだ。
「····························」
キリトもまた、彼を見つめていた。クラウドと同じような目で。
ともあれ、これで一区切りだ。
キリト達はそう思って、ゲームがクリアされたことを皆で喜ぼうとした。
その矢先だった。
「がはっ!?」··············という、あまりにも酷い声が響き渡った。
音源はどこか。
クラウドが、キリトが、アスナが、クラインが、エギルが、その場にいるプレイヤー全員がそちらへ振り返った。
開発者であり黒幕である、茅場晶彦。
仰向けに倒れている人影の、その左胸へ容赦無く··············
「「「「「!?」」」」」
全員が全員目を見開いた。
よく考えてみれば、おかしいところが沢山あった。
黒幕は倒したはずなのに、彼のアバターはポリゴンになって弾けるというこの世界でのお決まりの動作がなかった。HPは確かにゼロになっていたはずなのに、ただ仰向けに倒れるだけで終わっていた。そのことに気付かなかった自分たちの愚かさを呪おうとするも、もう遅かった。
第二波は既に投じられていた。
更なる脅威が、舞い降りていた。
その凶器の名を、何でも屋はこう呟いていた。
「··············“正宗”··············?」
その直後、茅場に突き刺さっていた凶器の持ち手から声が聞こえたきた。
『··············フltu』
心臓を串刺しにされた茅場の顔を見ようと現れた影は、ノイズまみれだった。
ザザッ! と。
何重にもブレた姿で降り立った奴の髪はあまりにも長すぎる。その姿を目にしたプレイヤー達は全員警戒心を高める。そんな奴らを気にすることもなく、『そいつ』は串刺しにした茅場を突き刺したまま持ち上げて愉快に笑っていた。
「だ··············誰、だ··············ッ!?」
茅場は苦痛に耐えながらもそう尋ねた。
その質問に、『そいつ』は雑音まみれの声で、
『djhjw李krtkjfdゆにwoqplsん』
「ッ!?」
わけのわからない言葉に、
その言葉に反応したのは串刺しにされながらも誰なのか問い詰めた黒幕ではなく、クラウドだった。
彼らにとってはバグの言語で意味が理解できなかった。しかし、その言葉を唯一理解できた者がクラウドだった。
その言葉は何度も聞いた。現実の世界で、何度も、何度も、何度も耳にした不快な言葉だった。その言葉はクラウドの耳に入ってきた直後、今目の前にいる奴が何者なのか理解した。理解してしまった。
「··············セ·············ッ!!」
ぶるぶると、クラウドの唇が震えた。
この場合、頭に浮かぶのは一つしかない。
蘇るのは、現実での記憶。
彼がこの世界にやってきた原因であり、現実で幾度も相手にしてきた、史上最高で最悪の『英雄』。ある意味において、その存在は伝説となった者。
そうこうしている間にも、ノイズだらけの奴の体が明確な姿になろうと強引に元の形に戻されて行く。
そう、
「!?」
それに気づいた時にはもう遅かった。
それはじわじわと茅場の体を蝕んでいき、外側から内側へと染み込ませるように重ねていっていた。
くつくつと『それ』は嗤っていた。
嗤いながら、茅場の体に侵入していく。
「セ··············ッ!?」
「··············クラウド?」
キリトがクラウドに声をかける。
しかし、声は届かない。
不自然なまでに今ある光景に得体のしれない悪寒を覚えたクラウドはゆっくりと目の前を見る。しかし、そうしようにも頭痛がそれをさせない。それだけの余裕がない。頭を押さえるのが精一杯で、焦点すら合わせられない。
「おいクラウド!?」
「クラウドさん!?」
「ッ!!」
膝をついた。
“声が聞こえる”。
前方から、『あれ』を象徴する長い銀髪。その輝ききれぬ闇の中から、甘美ながら武骨な男の声が飛んで来る。
「あ··············」
クラウドの判断能力が粉々に吹き飛んだ。クラウドにとっての脅威が、完全に理性を消しとばした。苦しみながら後ろに逃げるように後退するが、『それ』の足音が近づいて来る。
『くあuedfriofktoencド』
『それ』の声が嗤っている。
圧倒的な苦痛。あるいは明確化された死へのカウントダウン。闇の中から突如現れた奇怪な声に、思わず頭を押さえる。キリトとアスナに声をかけられても何も聞こえない。聞こえるのは、『あれ』の声だけ。
そしてついに、
『··················
誰もが聞き取れる声と共に、グジュるグジュりという粘質な音が響き渡った。
音源は貫かれた茅場晶彦の中へと潜り混んでいき、そして『それ』は存在を確立するために新たな
「··················フフッ」
そして。
今度の今度こそ、奴の存在が明確になった。
「あ·········ああ·········ッ!!」
クラウドは後ろに引く。
その存在を認めたくないかのように。
「な·········!?」
「なん、だよ·········あいつ!?」
周りにいた奴らはただ見ることしかできなかった。
目の前で起きている現象が意味不明すぎて何もできなかったのだ。常識を超えた出来事に脳は衝撃を受けて言うことが効かなかった。全て目の当たりにしていたというのに、その現象の詳細が何一つ理解できていなかった。
「キ、キリト君······ッ!?」
「ッ!!」
「お、おいおい何なんだよこいつ!?」
アスナは目の前の現象に恐怖心を抱き、キリトに恐る恐る抱きついていた。
何が起こったのかわからなかった。
とにかく茅場の体を奪った、ということだけはキリトも理解できた。そう思った時には『そいつ』の姿は明確な形を取り戻していき、綻びかけていた部分を修復していっていた。あまりにも非現実的な現象に流石のキリトも恐怖していた。アスナを抱きしめたまま、キリトはエリュシデータを『それ』に向けていつでも戦えるように構えておく。
その時だった。
「··················
一言。
その呼び方だけで、クラウドの全身にゾッとした感覚が襲いかかった。
「··················ッ!!」
あのクールなクラウドが取り乱している。
その様子を見たキリト達も、目の前にいる奴がとんでもない奴だと理解した。誰なのか知っているのかとも聞こうとした。しかし、クラウドはそれどころではない。頭を抱えて地面に崩れ落ち、苦痛が容赦なくクラウドを襲う。
そいつは近づいてくる。
それは。
プレイヤーなどではなかった。
カツカツと、コツコツと。取り込んだアバターで、得意げに足音を鳴らし、その存在自体を自慢するかのように、そいつはゆっくりと近づいてくる。
見知った奴だった。
そいつはまさしく『それ』だった。
奴の銀髪には魔が宿る。
背中一面の銀色の滝にはまるで背中一面の刺青か何かのように、禍々しくも巨大な悪魔の顔が浮かんでいた。猫のように縦に開いた瞳孔は見る者を圧倒するほどの冷たさ。
その存在は『
クラウドの口から、掠れた声が漏れた。
声帯どころか、全身が震えてまともな言葉が出ないまま、彼はその名を絞り出す。
「
「久しぶりだな···························クラウド」
ゾワッ!! と。
今度こそ、正真正銘の絶望が口を開き、クラウドだけでなくキリト達まで丸呑みにする。