ソルジャーアート・オンライン   作:織姫ミグル

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第3章

 

 

現状の調査結果を報告。

 

調査を行った結果、ミッドガルネットワークに突如として発生した未知の空間は『SAO』と呼ばれる別次元の世界で作られた仮想空間であることが判明しました。その空間は調査に向かった者の活躍により消滅致しました。よってネットワークの回線状況も徐々に安定していくと思われます。

 

しかし予期せぬ事態が発生。

 

調査に向かった者の意識が未だに元の身体へと戻らないため、仮想空間に取り残されている可能性があります。『SAO』と呼ばれる空間は完全に消え去ったため、別の空間に迷い込んでしまったと推測されます。前例のないことのため、装置を強制的に取り外すということを試みた場合、永遠に意識だけが仮想空間に取り残されるというリスクが生じてしまう可能性があります。調査に向かった者の記憶から逆探知を試みた結果、『ALfheim Online』と呼ばれる別空間に飛ばされたという情報を入手しました。

 

安全に調査に向かった者の意識を取り戻すため、『責任者』が自ら現地に赴き、彼のサポートをするという方向で救助にあたります。

 

最低限の必須事項は、彼の身の安全の保障。

 

各研究員は、サポートに向かった者のバックアップをお願いします。

 

前例のない事態に陥ってしまった以上、細心の注意と共にサポートに臨んでください。

 

 

 

<><><><><>

 

 

 

「ぶッッッ!?」

 

 

ドスン!! という勢いよく地面に激突した音が聞こえた。

 

それが自分の顔面から出た音だということに気付いて、キリトは面食らう。

 

いきなり全ての映像が停止し、あらゆる方向でポリゴンが欠け、青白い閃光がノイズとなって視界の端を這い回った瞬間にモザイク状に全オブジェクトの解像度が減少した。その一瞬の出来事のせいで、こんな樹海の真ん中に落ちてしまったのだ。

 

 

「っつ~ッ!!」

 

 

痛覚は現実よりも抑えられているはずたが、なんとなく無意識の内に痛みを感じてしまったらしい。

 

地面、木々に囲まれた土の上でキリトは尻餅をついた。大空から落ちるなんて経験、現実だとスカイダイビングくらいでしかできないだろう。しかし、キリトは仮想空間とはいえ、パラシュートもなく自由落下状態に陥っていた。

 

キリトの腕に震えが走る。

 

命綱なしのスカイダイビングなんて、普通に考えて恐怖でしかない。

 

が、それも数秒で収まった。

恐怖よりも先にこの世界へとやってきたという実感を得て安心したという感情の方が先行したらしい。無事に仮想空間へと降り立った安堵感に包まれた影響か、やたらと体が重たく感じられる。

 

キリトはその重みに従うようにゆっくりと背中から仰向けに倒れる。

 

寝転がって見上げると、無数の星達が見下ろすように空に広がっているのが見えるから今は夜なのだろう。

 

仮想空間と現実世界は、現実と同じ時間が流れている。現実で夜の時は仮想空間でも夜に、現実で昼の時は仮想空間でも昼にといったように、時間の変化によって景観が移り変わる設定になっている。時間とともに移りゆく世界の表情や移ろう景色を楽しむための設定は、どうやら『あの世界』から引き継がれているようだ。

 

エギルに話を聞いた時はまだ半信半疑だったが、今広がる景色を見ただけでこの『ALO』のモデリングの高精細さは『SAO』と何ら遜色がないように思える。

 

その再現力の高さに、思わずキリトは眼を閉じながらため息をつく。

 

 

「また······来ちゃったなぁ」

 

 

その言葉に含まれた感情は複雑だった。

 

二年間も閉じ込められたことによる疲労、死んだら現実でも死を迎えるという恐怖、そしてその世界を生き抜いたという事実。

 

それらがぐちゃぐちゃに混ざり合って、見えない感情に体が拘束されたような錯覚を感じる。地面に縫い付けられたように横たわるキリトは思わず苦笑する。

 

あれだけの恐怖を味わったというのに、性懲りもなく仮想空間へとやってきた自分に呆れているのか······

 

だが、あの世界との明確な違いは、この世界はライフがゼロになっても現実では死なないということ。そしていつでも好きな時にここから出られるという保証がされているということである。

 

しかし、ここは一体何処なのだろうか?

 

辺りを見回しても、チュートリアルでナビゲーターが言っていたような種族の街は何処にもない。建造物どころか、キリトの他に人はいなかった。

 

着地予定地が狂ったことに疑問に思う。何故そうなったのか、必ず原因があるはずだ。開始直後にバグに襲われるなんて、そんなの今後の運営に関わる大きな問題だ。

 

先程のオブジェクト表示異常、そして謎の空間移動。

 

あれが原因みたいだが、そうなってしまった理由はなんなのか。何の理由もなくあんな現象が起きるなんて思えない。何か必ず理由があるはずだ。

 

ソフトもネット環境も良好のはず。何かそこに不具合を起こす原因となるものはない。ゲームハード一世代前の機械とはいえ、問題なく動く。

 

『ナーヴギア』が正常に稼動している以上、そこにも問題はないはず······だ。

 

 

「······!?」

 

 

と、そこまで考えたところで、キリトは思い当たることがあるのか目を大きく見開いた。

 

 

「ま、まさか······な」

 

 

キリトは片頬を引き攣らせながら、『あの世界』でのメニューバーを呼び出す動作を行ってみた。右手を上げて、揃えた人差し指と中指で下へとスライドした。

 

しかし、メニューは開かれない。

 

そこで、先程聞き流していた『この世界』でのメニューバーを呼び出す動作を試してみた。左手の指を下へとスライドさせると、軽快な効果音と共に半透明のメインメニューのウィンドウが開かれた。

 

デザインは『あの世界』とほぼ同じだった。

その事実に、懐かしさと恐怖心の両方がやってきた。

 

デザインが同じなことによって、キリトの脳裏に不安が過る。ログアウトボタンは機能しているのか、そこが重要だ。

 

 

「あ、あった」

 

 

と、そんな心配は無用と言うかのように、メニューの一番下にログアウトの表示されたボタンが光っていた。一先ずゲームからの脱出不可能という不安要素は取り除かれた。

 

そして、キリトの予想は当たっていた。

 

 

「やっぱり······こんなことがあるのか」

 

 

何故、広大な森のど真ん中に落ちてしまったのか。何故、ゲーム開始と同時に不具合が起きてしまったのか。

 

その答えは、やはりキリト自身にあった。

 

 

「あの世界のセーブデータが、この世界に引き継がれてる?」

 

 

初期ステータスが異常だった。ほとんどのステータスが、マックス値に近かった。ゲーム開始時点でこの数値はどう考えても異常だ。データがバグってるとしか思えない。

 

疑問に思いながらもキリトは見入るようにメニューを操作していると、ある事実にたどり着く。

 

それは、熟練度の数値だった。

 

その熟練度の数値が、“SAOで二年をかけて鍛えた各種スキルの熟練度”と一致している。

 

片手剣のステータスに、体術のステータス。その他釣りやら索敵やら、欠損しているものもあるがほとんどのステータスが『SAOキリト』と同じだった。

 

この世界はSAOを作った会社とは別の会社であるはず。わざわざ別のゲームにセーブデータを引き継げるなんてシステムを導入しているとは考えにくい。仮にそんなシステムがあったとしても、念のため本人に確認を取るはずだ。『別のゲームのデータをこの世界に引き継ぎますか?』という項目も出さずに勝手に引き継いでしまったら、ゲームバランスが崩壊する。

 

ではこれはやはり、『ナーヴギア』でゲームを起動したことによるバグなのか?

 

 

「わけがわからないな」

 

 

キリトはメニューから視線を外し、やや遠くを見た。

 

ここから何千、何キロメートルほど先には、この世界を象徴する『でっかい樹』がある。天を貫くほどの大きさの樹木。

 

そこに、『彼女』がいるかもしれない。

 

それだけを目的としてこの世界に降り立ったはずなのに、今は混乱しすぎて自分の頭の中は疑問で埋め尽くされている。何か疑問を払拭するための材料を探すものの、思考が止まってしまってこれ以上は進まなかった。

 

ならば切り替えるしかない。

 

今優先すべきことは、『彼女の救出』。そのための策を今から考えてから行動すべきだ。

 

疑問で埋め尽くされて真っ白になっていた脳みそを無理やり動かし、キリトはこの世界のことをよく知るために再びメニューを開いて目を通す。

 

もしも。

 

もしも、だ。

 

あの世界のセーブデータが引き継がれたというのなら、()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

例えばそう、『武器』とか。

 

 

「······ってうわ!?」

 

 

しかし、現実はそんなに甘くはないみたいだ。

 

 

「ま、そりゃそうか」

 

 

この世界でも使えるアイテムがあるかもと、そんな期待を込めてアイテム欄を開いてみたものの、そこに現れたのは文字化けした羅列。

 

理解できない文字に意味不明な順に並べられた数字、どれがどれなのかすらも判別できないほど激しく文字化けしている。

 

そりゃ覚悟はしていたが、やはり考えが甘かったようだ。

 

下にスライドして全てのアイテムを確認していくものの、どれもこれも同じように破損してしまっている。

 

 

「······っ!?」

 

 

いや、一つだけ例外があった。

 

それを見た瞬間、キリトの指がぴたりと止まった。

 

 

「······“ユイ”······っ!?」

 

 

一見すれば、そこに表示されている文字を見ただけでは何のアイテムなのかは理解できない。少なくとも、第三者がそれを見ても他のアイテムと同じく文字化けした何かとしか判別できないだろう。

 

しかし、キリトには理解できた。

というか、キリトにしか理解できなかった。

 

『MHCP001』

 

その意味を知っているのは世界でキリトと、『彼女』だけだった。

 

彼はその項目に視線を固定した瞬間、無意識の内に震える指をその項目へと伸ばす。アイテム選択の効果音が鼓膜へと伝わってきた時、目の前に『小さなクリスタル』が浮かび上がった。

 

涙滴型の無色透明の水晶。

 

それは紛れもなく、『彼女』とあの世界で出会った《小さな女の子の魂》が宿っている『結晶』。

 

 

「······ッ!!」

 

 

息を呑む。

このアイテムだけ他とは違う、キリトはそう確信していた。だからこそ、彼は試そうと思った。また、『あの子』に会えるかもしれない。『彼女』と一緒に育てた小さな女の子。短い時間だったが、家族のような時間を共に過ごした女の子の姿を思い浮かべただけで、キリトの目頭が熱くなってくる。

 

 

「······神様、お願いします······」

 

 

もう、目元から涙すら浮かべそうな表情で。彼は天に祈るように、そっとその『クリスタル』を二度押した。

 

パキン!! と。

 

唐突に、その手の中にあった結晶からそんな音が聞こえた。

 

 

「ッ!?」

 

 

キリトは目を見開いて立ち上がる。

 

クリスタルから発せられた音につい不安になってしまったが、次第にその心配はなくなる。

 

水晶がキリトの手から離れると数メートルほどの位置に停止して、純白の光が辺りを照らす。光が強くなるごとにそれは明確な形へと変貌していく。

 

長い黒髪に、純白のワンピースを着込んだ『小さな女の子』。

 

瞼を閉じていて眠っているように見えたが、それは紛れもなく彼が知っている女の子だった。

 

じわじわと、キリトの体の内側から希望が滲んできた。

 

やがて、女の子の両目が静かに開いて真っ直ぐにキリトのことを見つめた時、彼の頬に一粒の涙が伝っていた。

 

情けない姿に見えたかもしれない。なんなら、自分の姿はあの時とは全く違う。髪型に服装、耳まで尖っていて誰なのかわかりにくい姿をしている。

 

それでも、彼を見ている女の子からすればその姿はあの時と全く変わらない。その瞳に宿る勇ましさは、紛れもなく彼のものだった。

 

彼を見た瞬間、女の子は今にも泣きそうな子供のような声でこう言った。

 

 

「また、会えましたね······パパ」

 

 

小さな女の子の声が聞こえた。

 

たったそれだけで、少年の涙腺が熱を帯びた。涙を流した姿を見せないようにするために、一度顔を下げてから目元を拭うと、優しく笑いかけながら静かに囁いた。

 

 

「おかえり······ユイ」

 

 

 

<><><><><>

 

 

 

「それでね! ボクは他のVRMMOもいくつかやってたんだけど、間違いなく最悪だったのはアメリカの『インセクサイト』ってやつだよ!」

 

「······」

 

 

クラウドはどう反応したら良いのか迷っている。

難しい顔をしながら、昼と夜の区別がいまいちつきづらい仮想空間に作られた街中を歩く。一応時間帯は夜に設定されているせいか、行き来するプレイヤー達の足取りは心なしか忙しい気がする。おそらく、ログアウトするための準備に取りかかろうとしている前段階なのだろう。

 

しかし、それ以上になんか目立っている気がして落ち着かない。

 

横を通りすぎるプレイヤー達が先程からクラウドを見てくる。そんな注目されるような人間ではないと思うのだが、誰もが皆クラウドの姿をチラリと見てくる。珍しそうな視線をぶつけられて、クラウドは少々悪寒のようなものを感じていた。

 

できれば、自分の自意識過剰の被害妄想であってほしい。それはそれで苦しむことになるが、皆自分のことを実は見てませんでしたで終わってくれた方が何かと楽に感じられる。ただの思い込みだったとなれば、安心感が得られる気がするからである。

 

 

「なんで最悪かって言うと、虫! 虫ばっか!! モンスターが虫なのはともかく、自分も虫なんだよ!? ボクはまだ二足歩行のアリンコになったんだけど────」

 

「······」

 

 

現状、こっちの方が最悪です。

確実に目立ってる気がする。ユウキが人目を気にせず話してるからというのは考えにくい。それもあるのかもしれないが、行き交う人々はクラウドの方に注目している。ユウキの話し声がその注目度を高めている。

 

とりあえずわかったのは、そのインセクサイトやらなんやらが最悪でしたという話だけだ。『SAO』が発売されて以降、新たなVRゲームが続々と発売されたという話も聞いたが正直自分の世界とは関係ないのでどうでもよかった。アメリカってなんだろう? って思ったが、別世界の地名かなんかだと思われる。

 

それはいいとして、ちょっと人目が気になり始めたクラウドは出来るだけ早く目的地にたどり着くように早足になる。

 

 

「あ、待って! ちょっと待って!!」

 

 

それに気付いたユウキもクラウドに合わせるように歩く速度を上げる。

 

 

「そんなに急いでどこ行くの?」

 

「あんたの家」

 

「あはは! そうでした!」

 

 

からかうように言ってくるユウキに頭が痛くなる。

 

わかっているくせに、クラウドの様子を見て敢えての冗談交じりの質問に彼は投げやりに答えた。

 

剣を交えた仲とはいえ、やはりこの子はどこか慣れない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

と、ユウキはそんなクラウドに小首を傾げて、

 

 

「もしかして、皆に見られてるの気にしてる?」

 

「······別に」

 

「まあでも仕方ないよ。クラウドのアバター、どっからどう見てもただの人の姿なんだもん。妖精がモチーフのこの世界で普通の人間が歩いてたら人目につくのは無理ないよ」

 

「······」

 

 

流された。

気にしないようにしてたのに、ユウキはお構いなしに注目されている原因を明かした。

 

しかし、だとしたらまずいことになった。

 

このままだとクラウドはどこに行っても注目の的になる。なんだろう、『あの世界』でのトラウマが甦るようだ。救援者だのスパイだの、チーターだのビーターなどと言われて注目されていた頃と似た状況に陥るなんて、『ここならやり直せる! 新しい人生が俺を待っている!』的な期待がたった今打ち砕かれた気分だ。

 

クラウドがうんざりした表情になると、ユウキは喜色いっぱいの顔で、

 

 

「でも、クラウドが注目されちゃうのもわかるなぁー」

 

「?」

 

 

アバターがおかしいからだろ? という眼差しを向けるも、ユウキは覗き込むようにクラウドの顔を見ながら、

 

 

「だってクラウド、すごいイケメンなんだもん!」

 

「············え?」

 

「初期段階では種族の選択しかできなくて容姿は無数のパラメーターからランダムで生成されるのに、クラウド恐ろしいくらい顔が良いもん! 一応現実の顔も参考にして作られているって聞いたことがあるけどさ、それってつまりクラウドって現実でも顔が良いってことでしょ!? 羨ましいなぁー、そんなんじゃあれでしょ? 女の子もほっとかないでしょ!」

 

「······別に」

 

「う~ん、クラウドだったら······グイグイ引っ張っていくようなタイプの子がぴったりだと思うなぁ~」

 

「······」

 

 

にっこりと笑ってそう言った。

今自分が何を言ったのか、自分が一体どんな人間なのかも知らずに。

 

ユウキは自分で言っておきながら気付いていない様子なのか······天然って怖い。

 

 

「······はぁ」

 

 

完璧なまでに無邪気な言葉に、クラウドは思わずため息をついた。

 

改めて思ったが、こういうグイグイと引っ張っていくような女の子の話に付き合うのは思ったより疲れる。

 

 

 

<><><><><>

 

 

 

ユウキの住んでいた家は、大きな通りから一本小さな道へ入った所にあった。石畳の道路にある小さな宿屋。

 

どうやらアパートメント型の宿屋の一室を借りているらしく、彼女が立ち止まったのは三階建ての建物だ。壁の表面は薄いベージュ色に塗られた煉瓦作りで、どこか歴史的建造物のような雰囲気が出ている。

 

 

「ここだよ!」

 

「ああ」

 

 

ユウキの案内でクラウドは宿屋の中に入る。彼女が泊まっている部屋は三階とのことだったが、一階は酒場兼レストランのような場所であったため、おそらく寝泊まりできるところは二階三階の二フロアのみなのだろう。

 

宿屋の主人は時間も時間だからか居眠りの真っ最中。見た感じNPCのようだが、客の接待もせずに堂々と職務放棄するとは情けない。

 

 

「この部屋だよ!」

 

 

重たいバスターソードを背負って延々と続く階段を登っていくと、先行していたユウキがずらりと並ぶドアの一枚の前に立っていた。古めかしい木のドアにユウキが立つと、ポケットの中に手を入れてゴソゴソと鍵を取り出した。

 

 

「ただいまー!」

 

 

鍵を差し込んでドアを開けると同時に元気よく声をかける。

 

 

「お帰りなさいユウキ」

 

「ただいま“シウネー”!」

 

 

と、部屋の奥から一人の女性の声がユウキを出迎えた。

 

 

「遅かったですね、一体何をしていたんですか?」

 

 

キッチンスペースから呆れながらも優しく落ち着いた声色が返ってくる。白に近いアクアブルーの髪を両肩に長く垂らし、伏せた長い睫毛の下には穏やかな濃紺の瞳が輝いている。

 

彼女はキッチンでカチャカチャと使い終わった皿を洗っている。

 

 

「ごめんね、いろいろ回ってきたから」

 

「もう夕食の準備ができてますよ。あなたも早く召し上がって────」

 

 

と、彼女は一旦皿を洗う手を止めて振り返った時、クラウドの姿を視界に入れた瞬間に体全体まで止まった。

 

シウネー、と呼ばれた女性はクラウドのことを凝視する。

 

しばらく見つめると彼女は礼儀正しくクラウドに会釈をしてきたので、クラウドも慌ててそれに倣おうとしたところで、

 

 

「紹介するねクラウド。ボクのギルド、『スリーピング・ナイツ』のメンバーの一人、“シウネー”だよ!」

 

 

ユウキはシウネーの元まで歩み寄ると右手を大きく横に伸ばし、クラウドの方を振り向いてそう言った。

 

 

「それで、このお兄さんはクラウド。さっき会ったばかりだけど、友達だよ」

 

 

再び半回転して、今度はクラウドを手で示して紹介した。

 

友達、という単語にクラウドは一瞬瞬きをするが、それを聞いたシウネーがまぁ! という感じで笑いかけた。

 

 

「どうぞ入ってくださいクラウドさん」

 

 

シウネーが勧めてきたので、クラウドは軽くお辞儀をして部屋の中へとお邪魔する。

 

彼女達が借りている部屋はワンルームではなく、家族や友人もまとめて泊まれるような複数の部屋がまとまっている形式を取っていた。

 

宿屋とはいえ誰かの部屋にお邪魔するなんて滅多にないため、クラウドはどこか新鮮な気持ちになっていた。

 

 

「それでは、クラウドさんの分の夕食もご用意致しますね」

 

 

リビングに入った途端にシウネーはそう言った。それを聞いたユウキはお腹ペコペコーとお腹をさするが、それに対してクラウドはわずかに眉をひそめて、

 

 

「悪いが、金を持ち合わせていない」

 

「そんなのいりませんから遠慮しないでください」

 

「そうだよクラウド! ほら、座って座って!!」

 

 

クラウドはつい遠慮してそのありがたい申し出を断ろうとしたが、二人はすぐに話の軌道を修正する。

 

ユウキはクラウドの後ろへと回ると、問答無用で背中を押す。わずかな抵抗をするクラウドだったが、グイグイと押されていって強引に椅子へと運ばれる。

 

素直に話が良い方に進みすぎててなんか猛烈に不安になる。シウネーという女性もなんも疑問に思わずに初対面の相手にご飯をご馳走するなんていい人すぎて逆に怖い。後で多大な請求をされるんじゃないかとか、この期に及んで今の状況が何かの罠なんじゃないかと思い始めていた。

 

しかし、シウネーはそんなクラウドを気にせずに夕食の準備に取りかかる。

 

ユウキもユウキでクラウドの前に向かい合うように座ると、構わず話しかけてくる。シウネーの作るご飯はうまいんだ! という話題を振られてクラウドはただそうかとしか返すことができなかったが、シウネーはそんな二人を見て優しげな笑みを浮かべていた。

 

彼女の目にはほのぼのした光景に見えているようだが、当の本人にとっては地獄絵図である。

 

つい先程知り合ったとはいえ、コミュ力が足りていないクラウドでは彼女の会話相手になることはできない。何て返せばよいのか、どうそこから次の会話へと繋げればよいのか、そこらへんの問題ばかり考えすぎてて思わずクラウドはやや俯き気味になる。視線を合わせただけで口が堅くなる。

 

ユウキはそれでも話題を振ってくるためなんとか日常風景が成り立っているが、クラウドからしたら一分一秒でも早く次の展開へと進んでほしいと願うばかりである。

 

 

「ところで、他の皆は?」

 

「出かけています。この時間帯でしか現れないレアモンスターを倒しに行くみたいで、場所も遠いし時間も遅くなるとのことで今日は別の所に泊まってくるそうです」

 

「そっかー」

 

 

他の皆も紹介できなくて残念そうにするユウキ。

 

そんなユウキを他所に、クラウドは安心したようにため息をつく。

 

これ以上全く関わりのない人達に囲まれてしまったら、コミュ障が発動して何も喋ることができずに気まずい雰囲気を作ってしまうことになる。そんな展開にならずに済むと、深い安堵を覚えるクラウドであった。

 

 

 

<><><><><>

 

 

 

ユウキが楽しそうに会話をしていたり、クラウドが無心になりながらその話を聞いていると、シウネーが食器皿をたくさん載せたトレイを両手で持ってキッチンから出てきた。

 

白いシチュー。

 

仮想世界特有の食材で調理された料理からいい匂いがする。その香りがより一層食欲をそそらせて、クラウドは思わず唾を一気に飲み込む。

 

 

「はい、どうぞ」

 

 

と、シウネーがそんなクラウドにスプーンを差し出してきた。クラウドは無言で頭を下げて受け取ると、シウネーは微笑みながら席に着く。

 

 

「さあどうぞ、召し上がってください」

 

 

シウネーに料理を勧められて、クラウドとユウキは揃って『いただきます』と声を出した。

 

クラウドはスプーンを手に取ってシチューをすくうと、全く無音で唇をつけ、一拍の間をおくと、

 

 

「お味の方はいかがでしょうか?」

 

「·········旨い」

 

 

目を見開いてクラウドはそう呟いた。

溢れ出るように言ったその言葉は、クラウドなりの料理評価だった。普段、あんまり料理に対して関心がないクラウドが思わず旨いと言ってしまうほどの美味しさ。

 

食べたこともない味に感動して、それ以外の言葉が出てこなかった。

 

そんなクラウドを見たシウネーは優しく微笑んで、

 

 

「有り合わせの物で手早く作っただけですけど、お口に合って良かったです」

 

 

有り合わせの物で手早く作ってこの出来とは恐れ入る。クラウドは料理評論家ではないが、彼女の作った料理は三ツ星に値する。

 

何より、クラウドはシチューが好物だった。

特に好きなのは、『母が作ってくれたシチュー』だ。

 

落ち込んだ時、クラウドの母はいつも美味しいシチューを作ってくれた。何か辛いことがあると、あの料理を食べただけで心が回復できた。ソルジャーになれず、『一般兵』にしかなれずに故郷へと帰った時も彼女はシチューを作ってくれた。ソルジャーになれなかったことを恥じ、自分の情けない姿を晒しても、母親は『自慢の息子』として温かく迎え入れてくれた。

 

母の愛情が込められたシチューはどの高級料理よりも美味しく、一口食べただけでしみじみと子供時代の母との事を思い出し、しんみり温かい気持ちになった。

 

また食べたい。そう思うことは何度もあった。

 

でもその前に、クラウドの母は亡くなった。

 

尊敬していた人に、彼の母親は奪われてしまった。

 

もう二度と食べられないと思っていたのに、何故かシウネーが作ってくれたシチューを食べた瞬間に母の事を思い出して懐かしい気持ちになれた。

 

まさか、仮想世界の料理で母の手料理を思い出すなんて思ってもみなかったろう。彼はそのシチューを深く味わうと、微かに笑みを浮かべていた。

 

 

「あ、笑った!」

 

「······え?」

 

 

と、ユウキが唐突にそんなことを言ってきたのでクラウドは首を傾げる。

 

 

「クラウド、さっきからずっと難しい顔してたけど、ようやく笑ったね!」

 

「······」

 

 

少女はそう言った。

 

笑って、純粋に笑って。

 

真っ直ぐにクラウドのその笑顔を見て。

 

クラウドが自分でそう自覚したのは、それから五秒も経ってからだった。

 

自覚した瞬間クラウドはわずかにシチューの皿に視線を落とした。ほっぺたがわずかに赤くなっているような気もする。

 

そんなクラウドを見て、少女はまた笑っていた。

 

とても嬉しそうに。

 

 

 

<><><><><>

 

 

 

「アルブヘイム?」

 

「ううん、“アルヴ・ヘイム”! 『妖精の国」っていう意味で、その名の通りプレイヤーは九つの妖精族を選んで、世界樹と呼ばれる巨大な樹木の頂点にあるとされる空中都市を目指すっていうゲームだよ!」

 

「······そうか」

 

 

ここは『アルヴ・ヘイム』と言うのか、とクラウドの口からなんとも間の抜けた呟きが出た。

 

現在彼は簡単にではあるがこの世界の知識を聞いている。

 

情報収集は攻略の基本。チュートリアルを真面目に聞かずにこの世界にやって来てしまったなどとでたらめを述べて、この世界のことを教えてもらっている。結構無理な言い訳な気もしたが、ユウキ達はすんなり信用してくれた。わかるよー、ゲームを早くやりたくてチュートリアルとか聞き飛ばしちゃうよねー、とむしろ共感してくれた。

 

聞いた限りでは、この世界はソードアート・オンラインを元に制作された仮想空間ではあるようだが、あの世界とは違ってここでは死んでも現実では死なないらしい。他にも、ちゃんとログアウトができるように完璧に安全が保証されているとのこと。

 

しかし、クラウドは疑問を抱いた。

 

何故自分はそんな世界に降り立ったのかということだ。

 

何の予兆もなくこの世界に放り出されたクラウドは、自分が現在何処にいるのかもわかっていなかった。誰かが茅場と同じようにこの世界に閉じ込めたという仮説を立てたが、なんとなくその可能性が高まった気がした。

 

その証拠に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

クラウドはあの世界でのメニューウィンドウを開く動作を試してみたが、何も起こらなかった。それを見たユウキがこの世界でのメニューの開き方を教え、クラウドは言う通りに左手の指を振ってみた。すると、効果音と共に半透明のメインメニューウィンドウが開かれた。デザインはあの世界のと同じだったので見方についてはそれほど困らなかったが、『ログアウト』と本来表示される場所には何の文字も書かれていなかった。

 

しかし、ユウキ達は普通にログアウトが表示されているようである。

 

クラウドのメニュータブだけおかしなことになっているというのがわかると、その事に関してはユウキ達には明かさないことにした。

 

面倒事に巻き込みたくないという、クラウドなりの善意だった。

 

ユウキ達には『ログアウトボタンがあった』と嘘をつき、何の問題もないような平然とした態度で振る舞う。

 

話を戻すが、何故それで閉じ込められたと思うのか、についてだ。

 

他の皆はログアウトできるのに、自分だけできないというのは何がなんでもおかしすぎる。

 

“誰かが何か明確な意図を持ってクラウドのメニュータブからログアウトの項目を消した”、としか思えない。この世界に呼び寄せた、この世界に閉じ込めた、それを実行した誰かがいるとしか考えられなかった。

 

運悪くこの世界に迷い込んだ可能性も考えられなくはない。それでも現段階では、何者かがこの世界にクラウドを縛り続けている、と仮定して動く。その後で新たな情報が入り次第、徐々に修正していけばいい。

 

もしクラウドの読み通り、別空間から誰かが自分を呼び寄せたのだとすれば、今いる場所は敵地。クラウドはその真ん中へ降りてきたという訳だ。

 

下手に動けば、敵に自分の位置を知らせてしまうことになる。脱出を試みようとした場合、閉じ込めた誰かが何かよからぬ妨害をしてくる可能性もある。茅場だって、皆を仮想空間に繋ぎ止めておくために『死』という鎖を全プレイヤーに植え付けてきたのだ。このゲームの制作者も何かしらの方法でプレイヤー達の行動を常に把握していると考えた方がよいだろう。

 

慎重に行動せねばならない。

 

脱出の糸口を見つけ出すために、この世界での明確なクリア方法を知ろう。

 

まずはそこからだ。

 

 

「このゲームをクリアするにはどうしたらいい?」

 

「う~ん······ここはSAOとは違ってこうすればゲームクリア! っていう感じのゲームじゃないんだ。探索とか、種族間競争とか、そういうのがメインのゲームだから。強いて言うなら、この世界の中央にある『世界樹』っていうでっかい樹の頂点にいる『妖精王オベイロン』っていう人に謁見して、滞空時間が無制限となる高位種族『アルフ』に進化することがこのゲームの大目標、ってところかな?」

 

 

クラウドはゲームについては実は詳しくはない。

 

ゴールドソーサーでアーケードゲームを遊んだことはあるが、こういった家庭用のゲームには手をつけたことがなかった。そもそもゲーム自体あまりしたことがない。故に、ゲームとはクリアするためにあるものだと認識していたので、ユウキの説明を聞いて少々混乱していた。

 

クリアが目的ではないゲームってそれ何の意味があるんだ? と、楽しさがいまいち理解できなかったが、どうやらそういったゲームもあるのだと何となく理解すると視線を正面のユウキから横の窓へと移す。

 

 

「······あれがその『世界樹』か?」

 

「うん。あそこの頂上に妖精王がいて、その人に会えば高位種族に生まれ変われるんだ」

 

「そうか」

 

 

そう言った直後、クラウドは急に席を立った。

 

突然の行動にユウキは硬直してしまったが、すぐに我に返って彼の手をガシィ! と掴んで動きを止めさせた。

 

 

「ちょ!? ちょっとどこ行くの!?」

 

「『世界樹』の上に行く」

 

「えぇッ!?」

 

 

あまりにも唐突な返答だったせいか、ユウキはそんな声を出した。少々呆れたような視線を向けるも、クラウドの表情は一切変わらない。

 

······冗談と思っていたのだが、どうも何か事情があるらしい。

 

だが、クラウドが言ったことはあまりにも馬鹿げているわけで、

 

 

「それは多分全プレイヤーがそう思ってるよきっと。でも、無理だよ」

 

「どうして?」

 

「世界樹に登るには、世界樹の内側、根本の所にある大きなドームを通って行かないといけないんだけど、そのドームを守っているNPCのガーディアン達が凄く強いんだ。今まで色んな種族が何度も挑んだんだけど、案の定どの種族も全滅しちゃったんだ」

 

「······そのガーディアンていうのは、そんなに強いのか?」

 

「強いどころじゃないよ~、だって考えてみてよ? このゲームは正式サービスが開始されてからもう一年も経つのに誰もまだクリアできてないんだもん。それくらい敵は強く設定されている上に、一体だけじゃなくて何体も襲ってくるんだよ!? 大勢で挑んでも突破できないんだから、ほぼ不可能に近いね」

 

「······」

 

 

クラウドは少しだけ黙り込んだ。

ユウキは懇切丁寧に、それでいてどこか落ち込み気味に言葉を紡いでくれた。まるで、力になれなくてごめんとでも言うかのように。

 

このゲームの大目標といえるそのクエストをクリアすれば何か変わるかと思ったが、ユウキの表情からして絶対攻略不可と思われるぐらいの難易度に設定されているのだろう。一年も誰もクリアできていないのなら、その難しさは容易に想像できる。

 

実際、世界樹の頂上に行ったらこのゲームから解放されるなんて確証もない。

 

特別なスキルが与えられるとしか言われてないし、そこに行ったらこの世界から脱出できるなんて誰も言っていない。

 

 

「······」

 

 

口から出た言葉は、無音だった。

 

彼は目を閉じて、天井を見上げて一言だけ呟いていた。

 

面倒だな、と。

 

冷めた表情をして疲れたように。途方に暮れたように突っ立っているクラウドは肩を落とす。決勝の試合で敗北した側の選手のように、顔に手を持ってきて大きくため息をついた。

 

 

「あ、ああ! えっと! ご、ごめんねクラウド!! 話の腰を折るようなこと言っちゃってッ!!」

 

 

おろおろして両手をバタバタと振りながら謝るユウキであったが、完全に萎えているクラウドはネガティブモードに突入していた。

 

こうなってしまったらクラウドはとことん落ちてしまう。元から精神面が弱かったのもあり、マイナスな考えが少しでも入ってしまうと思考が散漫になって一気にダメになる。何を考えてもマイナスに捉えてしまい、もはや気まずい雰囲気が生まれ始めている。

 

あわわわわ! とユウキは慌てた様子で何とかしてクラウドの機嫌を取り戻そうと奮闘していると、

 

 

「あ、あのう」

 

 

身動きのないクラウドにユウキがおろおろとしていると、場を和ませるようにシウネーがようやく会話に加わった。

 

 

「もう時間も遅いですし、続きは明日の朝にしませんか?」

 

「そ、そうだね! もう時間も遅いし、そろそろ落ちないとだね!! クラウドも、それでいいよね? 宿泊代はこっちで出すから、ログアウトするために今日はここで寝泊まりしない?」

 

 

シウネーが神業的なフォローを割り込ませ、クラウドとユウキの騒ぎが和らぐ。ナイスアシストと言うかのようにユウキは目を輝かせると、即座にクラウドにもその提案を提示する。

 

人という生き物は気を遣ってもらうと、それに甘えないと失礼だと考えてしまうが故に気持ちをプラスの方へと切り替えてしまうものである。

 

 

「······ああ」

 

 

考えるのに疲れた、という顔をしながらクラウドは頷く。

 

 

「よかったぁー! じゃ、こっちに来て! ちょうど一部屋空いてるんだ!!」

 

 

そう言うとユウキはその部屋に案内すべくクラウドの手を取る。

 

クラウドを部屋へとつれていく前にユウキはシウネーの方を一瞬振り向いて、『ありがとうシウネー』とアイコンタクトを取ると、シウネーは気にしないでと言うように微笑み返した。

 

扉がいくつも向かい合っている中、ユウキはその中の一つを開ける。

 

奥にベッドが一つだけあり、他には特に変わったものはなかった。とりあえず、寝起きするだけなら十分すぎる設備だけが備えられていた。

 

 

「この部屋だけ誰も使ってないから、自由に使って!」

 

「ああ、助かるよ」

 

「じゃあまた明日ね! 今日は色々ありがとう! おやすみークラウド」

 

 

笑ってドアをゆっくりと閉めるユウキから目を離して、クラウドは横の窓から夜空を眺めた。

 

 

「······まだ続いてるのか」

 

 

何気なく、そう呟いていた。

 

ユウキ達には隠すことになってしまったが、今のクラウドはログアウトができない。よって暇潰しのために窓の外を覗いてみたが、何をしても満たされることはない。

 

不安を払拭しようとしても、精神面が弱いクラウドではそれができない。

 

夜空はとても綺麗ではあったが、それでも偽物だ。現実に近い星空が広がっているものの、微妙に違う夜空に、クラウドは口の端を歪めてしまう。

 

 

「偽物には偽物がお似合いってことか」

 

 

クラウドはほんの一瞬、わずかに一瞬だけその光景の前に息を止めた。

 

結局は、これが現実。

 

皮肉が込められてそうな現状にクラウドはただ笑うしかなかった。ソルジャーになれなかった偽物には偽物の世界での活躍を、なんて暗いことまで考えてしまう始末。そんなにネガティブな思考になってしまうのは、全てが終わったと思ったのにまだ仮想世界に囚われているからだろう。

 

お前にはここがお似合いだ、なんて世界そのものに言われている気分だった。

 

 

「······」

 

 

くだらない、とクラウドは鼻で笑った。

 

被害妄想にも程があるだろうと最終的に自分の中でそう結論付ける。

 

バスターソードを背中から離して近くの壁に立て掛けると、そのままベッドの上へと寝転がった。

 

ぼんやりと天井を見つめていると、クラウドは目を閉じる。暗闇の中、コオロギの鳴き声に似た音が聞こえてくる。その鳴き声は人によってはうるさく聞こえるかもしれないが、クラウドは一々そんなことを気にしなかった。

 

なんかやけに全身に疲労が溜まっているような気がする。

 

その理由を考えて、やがて一つの答えを導き出す。優しい闇のまどろみの中、睡魔に囚われた幼い子供のようにぼんやりとして、

 

 

(あいつとの戦い······楽しかったな)

 

 

無意識の内に、彼はゲームを楽しんでいた。

 

そしていつの間にかクラウドの心の中には、『見えない何か』が生まれつつあるようだった。

 

それに気付かないまま彼は眠気に身を委ねた。

 

 

 

<><><><><>

 

 

 

真夜中。

 

人の声はすっかり聞こえなくなり、冷たい夜風が窓のカーテンを静かに揺らす。

 

遮光カーテンによってベッドの近くにある窓は閉ざされていたが、それも完璧ではない。

 

カーテンから漏れた月の光が、薄くクラウドの部屋全体を照らし出す。今まで物の輪郭しか見えなかったが、色や質感の違いまでわかる程度の薄暗闇へと変貌していく。

 

小さな吐息。

 

その音を辿ると、ベッドの上で眠るクラウドに行き当たる。彼は暑いのが苦手なのか、毛布もかけずに眠っていた。窓も開けて、部屋の空気を常時換気させている。

 

今日だけで色々なことがありすぎて疲労が溜まっていたのもあり、彼は完全に熟睡してしまっていた。

 

しかし、だからこそクラウドは気付くのが遅れた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「······ッ!?」

 

 

クラウドはすぐさま飛び起きる。

 

人の気配を感じ取ったクラウドは数瞬遅れてベッドから飛び跳ねるように起き上がると、近くの壁に立て掛けているバスターソードへと手を伸ばす。

 

疲れていたせいで人の気配すらも感じ取れなかったなんて、と奥歯を噛み締めながらもクラウドは“そいつ”に警戒する。

 

······だが、いつまで経ってもそいつは何もしてこない。

 

これだけの動きを見せたのに、そいつは何もしないどころかただクラウドを見つめている。明確な敵対心をさらけ出しても、目の前の相手は襲うことが目的ではないのか、背筋をピンと伸ばして立っている。

 

剣を手にしたのにただ突っ立っているだけなんて、明らかにおかしすぎる。

 

 

「······?」

 

 

なんだこいつは? と疑問に思っていると不意に風と共に窓から月灯りが射し込んだ。

 

影が明確になり、クラウドはゆっくりとした動きで目の下をゴシゴシと拭った。動きか遅いというよりかは、力が入っていないように見える。

 

警戒する必要もなくなった、そんな感じで。

 

彼はしばらく自分の顔を覗き込む『そいつ』をぼんやりと眺めていると、

 

 

「お久しぶりですクラウドさん!」

 

 

“片眼鏡を掛けた少年”は緩やかに言って、久々の再会を祝うように頭を下げた。

 

 

 

 


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