須郷は薄暗い一室にいた。
世界樹の中にあるその部屋は、ファンタジー世界であるこのゲームには似つかわしくないデザインだった。
仕事のために使うであろう大量の機材に、現代的な事務机と椅子があった。簡単に言い表すなら企業ビルのてっぺんにある社長オフィスだ。カーテンで閉め切った部屋で須郷は高級そうな椅子に腰を掛け、両足をだらしなく机に乗せてくつろいでいた。
重役だからこそできる態度。仮想空間だからこそ許される姿勢。
彼はたった一人で、誰が聞いても不快にしか思えない下手な鼻歌を気持ち良さそうに歌っている。おっさんの鼻歌なんて想像するだけでゾッとする。
呑気なものだ、と第三者の誰かがこの場にいたらそう思っていただろう。彼は今重罪を犯しているというのに、何も思っていないような顔で振る舞っている。
『SAO』の生存者の意識の一部を強引にこの世界に閉じ込め、そして人体実験を行っている。世間にバレれば即逮捕されるようなことをしているというのに、それでも須郷の顔から余裕が消えることはなかった。
計画は完璧。皆娯楽にばかり注目して、フルダイブの本当の価値に気づいていないバカな奴らばかりだ。楽しんでいる内は誰も肝心なことに気がつかない。たとえ何かの手違いで世間に漏れ出たとしても、今行っている実験の偉大さを見せつければ誰もが須郷を讃えるだろう、と少なくとも本人はそう思っているようだ。
人は本当の須郷を見ればクズな人間のお手本とでも表現するだろう。しかし、そういう非難を平気で浴びせている時点で、そいつらも人の尊厳を知らないクズに過ぎない。
何を言われようと偉大な実験が成功すれば皆自分の重要さに気づいて保護さえするようになる。
そう思ってるから彼は困らない。
「ボス、指示されてた被験体の継続モニタリングの結果の報告に来ました。一回目と変わらず、またスピカちゃんの夢見てました」
と、ヌメっとした声が聞こえた。
敬語ではあるが、その一文一文に敬意はそこまで込められていない。
聞こえてきた方を見ると、そこにはナメクジ型のモンスターが一匹いた。触手をうねうねと動かしてこちらに近づいてくる。
気持ちの悪い姿をしているが、こいつは須郷の共犯者。つまり非人道的な実験を行っている科学者の一人である。
何でそんな姿をしているのかはわからないが、十中八九そいつの趣味だろう。普通の人なら絶対になりたくない姿を平気そうな顔でしているということは、つまりはそういうことなのだろう。
そんなナメクジ部下からの報告に、須郷はゆったりとした調子で適当に言葉を投げ返した。
「感情誘導回路形成の結果か、それともただの偶然か。どちらにしても、お前はそんなつまらない結果の報告をするためだけにわざわざここに来たのか?」
須郷は優秀な部下しかいらないタイプの上司だ。
要件の重要度を自分で理解できないような奴は須郷からすれば使えないレベル。無能な部下を雇うなんて、須郷からすればあってはならないこと。採用する時見る目がなかったということにだけはしたくないのか、須郷はナメクジ部下を害虫でも見るかのような目付きで睨む。
「す、すんません!!」
「······ふん」
しかし、人員確保が全然出来ていないのは当人の能力不足が原因。須郷が人件費ケチって優秀な人材を雇えなかったから、その程度の事も出来ないような奴しか見つからなかったのもまた事実。
たかが知れてる部下の判断能力など、期待するだけ無駄。
だから大抵は諦めている。よって余程の事がない限りは許してやっている。
しかし、失態に対しては死んだ程度では許さない。ペインアブソーバを全切りして限界まで痛め付けて、現実で後遺症を残すほどの苦痛を与えてでもケジメをつけさせるのが須郷のやり方だ。
そのため、ナメクジ共には常にペインアブソーバを切らせている。
いつでも処刑を実行できるように。
「と、ところでボス」
「あ?」
「昨日言っていた、『頭痛』の方はもう大丈夫なんですか?」
「ああ、まだたまに痛むよ。原因はおそらくフルダイブで脳に負担をかけすぎたからか、もしくは働きすぎからくる疲労が原因か」
「だ、大丈夫なんすか?」
「原因はどっちでもいいんだがなぁ。フルダイブだろうが疲労だろうが、そこから来る頭痛なんてプロピオン酸系の解熱消炎鎮痛剤でも飲んどきゃどうにでもなる······
須郷は昨日から頭痛に悩まされている。
痛み自体はそこまででもない。なんか頭重いなぁと軽く感じてしまう程度のものであるため、特に日常生活に支障をきたすほどではない。
ただ、それよりも気になることがある。
(······あの現象は一体なんだったんだ?)
口が勝手に動いて思ってもいないことを喋るなんてこと今までなかった。自分は社交不安障害でもないし、統合失調症でも発達障害でもない。『てんかん発作』の一種なのかとも思うが、だとしてもそんなことになるほど自分は脳を過剰に活動させてはいない。
廃ゲーマー共よりもフルダイブはしていない。仕事や実験の際にログインするくらいで、たいして脳の神経細胞に負担を与えていない。
なんにしても、あの現象は不気味だった。
まるで、
須郷はあの現象について悩みつつも、すぐ近くにいるナメクジ部下に話しかける。
「そういや被験者を確保した時に、『意味不明なバグ』が入ったろ? あれの原因は特定できたか?」
「え······ああ」
須郷のその言葉で、部下は彼が何を尋ねようとしているのかを察した。
「まだ解明できてませんが、一つ気になるものがありました」
「あ?」
「SAOがクリアされてログアウト処理が始まった際に開始した被験者確保で何人かのプレイヤーをこっちに連れてきたとき、一人を除いて全員アバターを与えずに閉じ込めたじゃないですか」
「ああ」
「で、被験者の数を数えた時に気付いたんですが、数が合ってませんでした」
「······は?」
「えっと~、たしか三百人の旧SAOプレイヤーをこっちに連れてきたと思うんすけど···データを確認して人数を数えてたらなんか『三百一人』って表示されてました」
初めて聞く報告だった。
そりゃ今日初めてその件についてこっちから聞いたんだから知らされてなくて当たり前だが、報連相の基本も出来ていない部下に須郷は一瞬怒りの感情を抱く。
何かわかったら即報告するようにと伝えたのに、それすらも出来ないのかこいつは、という視線を向けるも部下はそれに気付かない。
今日まで全然知らせて来なかった部下の失態についてどうケジメをつけさせるか須郷は考え始める。少なくとも生きてるのが辛いと感じるほどの罰は最低限でも与えるつもりだ。
だが一先ずはその件については置いておく。部下の話の続きを聞いてから処遇を決定しよう。
「でもデータ閲覧室には三百人しか収納されていないんすよね~。何度数え直してもちゃんと三百人分しか用意されてなかったし。たった一人だけアバターが与えられて今もフィールドに野放しなんてそんな馬鹿なこと素直に考えられないし、だから正直わかんないです」
「だが、一応その一人のデータは事実上データベースにあるんだろう?」
「あ、はい。閲覧室に保管されてなくても、データベース上には記録として残ってます」
「······そいつのSAO時代のプレイヤーネームは? もしくは現実世界の実名は特定したか?」
「いえ、確認したんですけど文字化けしてて何もわかんなかったです。ついでに繋がっているナーヴギアも特定しようとしたんすけど、どうもおかしんすよね~。なんか逆探知しようとしたら機材が変なことになるというか、誤作動を起こすというかなんというか」
「プレイヤーデータもか? それすらもわからないのか?」
「もう謎だらけっす。何もかもが文字化けしててデータにしようにもバグるし。この辺りはほんと何もまだわかってません」
まあわかることがあるとすれば、とナメクジは前置きをして、
「正式な研究機関のような機材があるわけじゃないから断言できませんけど、どうもこいつ存在しているかも怪しいんですよね。ここまで不可解なことが起きてると、もはや何かの心霊現象なんじゃないかとすら思えるっすね~」
「······」
「じ、冗談です······」
須郷は椅子に腰掛け、テーブルに足を乗せたまま辺りを見回した。眉間にシワを寄せ、まるで今の状況が気に食わんと言っているかのように眉毛がピクピクと動く。
須郷は思考を巡らせる。
今須郷を襲っている特殊な現象。存在するはずのないSAOプレイヤーデータ。
その一連を、心霊現象などといったオカルト的なものだけで説明できるだろうか。
(無理があるだろ)
科学的な思考を持つ彼にはそんな考えには至らない。しかし、先ほどの報告を聞く限り、今起きている現象は自分の頭脳では説明できない。
そもそも自分の作った世界にバグが起きております、なんて須郷のプライド的に許せないしふざけてる。完璧な世界を創造したんだ、バグなど起きるはずもない。
となると、今起きている怪奇現象は一体どんな法則で起こされているのだろうか? と、結局はそこへと戻ってくることになる。
ナノテクに電磁波や量子力学など複数の科学技術が挙げられる、が。この場合でも須郷の意味不明な現象の説明がつかない。そもそも、そういった技術はまだどこも開発できていないはず。自分すら今やっていることなのに、他企業が先行して開発し、第三者が自分の頭脳を遠隔で制御するのは可能だったのだろうか。
いやおかしい。説明がつかない。というか納得できない。
しかしだとすると、それこそオカルトの世界に話が進んでしまうことになる。常識を越えた知識が今この現象を引き起こしているとか、非科学的すぎてもはや笑えてくる。
(······ヒヒッ)
須郷の目が細くなる。
心の中で乾いた笑い声を上げるが、
むしろ須郷は、
普段の須郷ならありえない思考だ。そんな現状にいつもなら苛立ち、なんとしても解決して何事もなかったかのように振る舞うのが彼のスタイルのはず。
しかし、今は無理やり理解する。
科学の最先端の場にいるからこそ、あらゆる事態が楽しくて仕方がない。予想外な出来事こそが科学者として最も望むべきものだ。計算通りに事が進んでしまっては面白くない。何千何万と実験を行っていると、理論だけでは演算できない妙な数値が出てきたりもする。
それがむしろいい。
心地良い。
そこから更なる研究結果を出せればそれでいい。
「あの~、ボス?」
「······あ?」
「さっきからずーっとボーっとしてますけど、聞いてます?」
「!?」
と、ナメクジが急に声をかけてきた。
どうやら無意識に、自分の世界へと入り込んでしまっていたらしい。先ほどからずっと説明していたようだが、須郷は気付くこともなく仮説をずっと立て続けていた。
須郷はナメクジに問題ないとだけ告げると、目元を抑えて固く目を瞑った。
(······最近、こういうことが頻繁に起きてるな)
須郷はこの世界を創造した辺りから、漠然と何かに囚われていた。自分の信じている完璧な理論のどこかに、見えない穴が空けられたような感覚。
何かを考える度に、それを越える知識がそれを否定する。たどり着く事のできない常識がいつも脳裏に過って須郷の思考を遮る。
まるで、
彼は舌打ちをすると、机からようやく両足を下ろした。
「まあいい、特に支障はないんだ。それよりもこっちはこっちの事を進めるべきだ。実験の状況は?」
「あ、はい。実験体の一人に対して感情誘導回路形成の結果を観測するために、そいつが最も好きそうなイメージを記憶領域に挿入させてみたところ、まだ三回目なのにB13と14フィールドがスケールアウトしてて、16もかなり出てたんでもうこの頻度で現れるのは閾値を越えていると証明したと言っても過言ではないです。それから、人の思考を変更するために生体電気の逆流を試みて、人格や知識を強制入力するためのプログラムの開発状況についてですが────」
ナーヴギアといったゲーム機器は、本当なら開発するべきではなかったのかもしれない。
頭脳に直接干渉する機械なんて、必要最低限の安全装置がなければただの殺人兵器だ。今では、ナーヴギアのように頭をすっぽりと覆うような機械ではなく、ゴーグル型のより軽量化したゲーム機器が使われている。
しかし、彼らはリスクについてちゃんと考えているのだろうか。脳に与えられる負担は一体どれほどのものなのか、開発した者達は本当に試したんだろうか。
機械から発せられる電気信号が脳に与える影響によって、何らかのデメリットが発生しないなんて本当に証明したのだろうか。まだたったの二年しか使われていないフルダイブ技術を、更に長く使えば人間はどうなってしまうのか。パソコンやらコンピューターで正確に計算したとしても、それはただの仮説だ。現実で実際に起こるまでは証明したとは言えない。
心配しないで使い続けて下さいませ、と言われて使い続ければいずれ人体に悪影響を及ぼす作用によって、肉体になんらかの支障が生じる。昔のゲームだって、大型テレビに繋げてずっとゲームをプレイしていれば目に負担が行って徐々に視力が落ちていく。
フルダイブ機器から発せられる微量な電気が脳細胞を絶対に傷つけないなんて、誰が証明したんだろう。
何かを求めれば求めるほど、安全は損なわれているように思える。
······だが、どうでもいい。
「
研究結果が映し出されているホロウィンドウを触手で操作しながら説明していると、ふと須郷がポツリと呟いた。
乾いた笑みを浮かべて、一人言のように。
「······はい?」
当然、ナメクジはそんな須郷にまた目を丸くしていたが、須郷は何事もなかったかのように『何でもない』とだけ言った。
<><><><><>
「クラウドってさ、SAOにいた頃ってどんなプレイヤーだったの?」
「······いきなりだな」
「ちょっと気になっちゃって」
薄暗い洞窟でユウキが変なことを聞いてきた。
クラウド、ユウキ、チャドリーの三人は先ほどまでいた街を発ち、今は外へ出るための道を進んでいた。モンスターとエンカウントすることもなく、普通に歩いているだけでさすがに退屈だと感じたのか、気分を少しでも変えるためにユウキはクラウドに話しかける。
「SAOで仲の良い人とかいた?」
「いや······いなかった」
「ふ~ん」
クラウドは気まずそうな調子で、まるでユウキの視線から逃れるように先へと進んでいく。
しかしユウキは遅れることなくついてくる。何がなんでも会話をするために。
クラウドは視線を前に。
元々洞窟内で光が届かない状態なので、地下空洞内に明かりはない。ただし、地下への街に行くために所々経路案内を示す松明があるため、完全な暗闇という訳でもなかった。洞窟の壁に直接松明が差し込んで設置されているので、たとえ明かりがなくてもとりあえず通路を歩ける感じだ。
少し進んでクラウドは後ろを振り返ると、
(······こうもモンスターが現れないものなのか?)
出口を目指して足を進めているものの、こうもモンスターと都合よく出会わないもんなんだろうか。洞窟こそいかにも魔物の住み処って感じで大抵襲いかかってくるものだと思うのだが。
などと思ったのだが、ここはゲームの世界。仮想空間であるため自分の常識は通用しない。あまり考えない方がいいのかもしれない。
「どうかしたのクラウド?」
「何でもない」
ユウキはそんなクラウドに首を傾げた。
彼女の様子を見ると、やはりこの世界ではモンスターの生態は現実とは異なっているのだと思われる。こうもリラックスしながら歩いてるのを見ると、モンスターは決まったところにしか出現しないのではないかと思われる。
気配を察知することに長けたクラウドは常に周囲を警戒している。だが街を出てから洞窟内を歩くまで人影らしい人影もなかったし、人の気配らしい気配もなかった。人であろうとモンスターであろうと、潜んでいるなら潜んでいるなりの吐息すら聞こえてきそうなほどの静寂に包まれているというのに、その音さえ聞こえない。
つまりは単に誰もいないということだろう。
そう勝手に思い込んで自己完結する。
出口へと導くために両側に備え付けられた松明の明かりを頼りに奥へと進んでいくクラウドとユウキ。
リラックスした状態を保ったまま二人は先へと歩いていく。
そんな時だった。
カツン、と。
何か小さなものが転がるような物音がクラウド達の後ろから聞こえてきた。
「!?」
クラウドは慌てて背後を振り返る。
その途端、次の動きがあった。
洞窟の壁一面が大きく波打った。壁を形成している岩がゴロゴロという固い音を響かせ、どこか一点に集中していく。
そして不意に、彼のすぐ後ろにいるユウキの足元が勢いよく盛り上がっていた。
「!?」
ユウキが気付く前にクラウドが驚いた。洞窟の地面が隆起し、そこから『掌』のようなものが現れた。
「ユウキ!」
「え?」
クラウドはユウキの返事も待たずに走り出す。そしてそのまま飛び込むように彼女に抱きつき、一緒に地面に倒れ込む。
固い地面に背中をぶつけるように倒れた彼はようやく事態の把握を開始する。
先程までいた場所に、巨大な腕が伸びていた。
洞窟の天井まで伸びている腕は、地面を突き破ってそのまま真下から飛び出してきた。
それに応じて周囲の石ころや岩がその一点に集合していく。形は問わずに強引に押し潰し、練り混ぜて形を整えたような巨大な何かが形成されていく。
石像。
この世界ではゴーレムと言った方が適切か。
巨大な石像は地を踏み鳴らし、洞窟内の地面を大波に揺られる小船のように大きく振動させた。
「ようやくお出ましか」
そこまで考えて、クラウドは思わず笑った。ユウキもそれにつられるように笑みを浮かべる。
出口までの道を大きく塞いだ石像は、二人を睥睨するように見下ろしている。そして二人の姿を捉えたゴーレムはゆっくりとした動作で腕をゴゴゴと上に上げると、勢いよく二人の元へと振り下ろした。
クラウドはユウキを抱き抱え、その攻撃を避けるように後ろへと一歩後退してかわす。
避けられたことを確認したゴーレムは、ジロリと頭を動かして二人を睨み付ける。砕けた岩が複雑に噛み合ったような音を鳴らしながら、石像は重たい足音を響かせて二人に近付いてくる。
クラウドはユウキを地面に降ろして体勢を立て直すと、彼女に問いかける。
「やれるか?」
「もちろん!!」
この時を待ちわびた。
そう言うかのようにユウキは元気よく答える。
二人は得物を抜き、構える。
「始めるぞ」
「うん!!」
クラウドが戦闘開始の合図を囁く音量で叫び、ユウキもそれに応えて駆け出していく。
めちゃくちゃ熱い展開になりそうな予感に気分が好調した二人は、自分達の相棒を握り締めてゴーレムへと立ち向かっていく。