「ママ······」
それは突然だった。
街を行き交う人々の合間を縫って観光を楽しんでいると、ある場所にたどり着いた。
『世界樹』
その『根本』
グランド・クエストにいつか挑む際、場所は何処なのか確認するために様子見でやって来たわけだが、その瞬間、キリトの胸ポケットに入っていたナビゲーション・ピクシーのユイがいつになく真剣な顔をして飛び出した。
彼女は視線を固定したまま動かない。
「お、おい。どうしたんだユイ?」
意外と、グランド・クエスト入口付近は人がいなく、誰もその異様な様子に気付いていなかった。
ナビピクシーなんてのはこの世界ではかなりレアらしく、それを連れて歩いている様子はあまり見られない。故に、ナビゲーション・ピクシーが一人で勝手に行動するような様子を見るのも当然レアだ。
キリトもリーファも突然のユイの行動に戸惑っていたが、彼女の視線につられるように上へと顔を上げる。
枝葉が揺れている。
何本も枝分かれしている世界樹の葉っぱが風に流されてサラサラとでかい音を立てている。
一見すれば普通の光景だ。
いや、世界樹なんて天を貫く樹木があること自体普通ではないのだが、この世界ではありふれた光景だろう。
三人は数秒間、何もしゃべることなく見続けていると、ユイが思わず口から溢すかのように言った。
「ママが······ママがいます」
「······え?」
その言葉に、キリトは驚愕する。
顔を強張らせて、それは本当なのか問い詰める。
「本当かユイッ!?」
「はい! 間違いありませんッ!! このプレイヤーIDは、ママのものですッ!! 座標は······真っ直ぐこの上空ですッ!!」
「ッ!!」
それだけを聞くと、彼は力を込めるかのような体勢になり、勢いよくその背中から半透明な黒い翅を出現させる。
出現というより、突き生えてきたようにも見えた。
それを見た瞬間、ユイはキリトの胸ポケットに戻る。
翅を大きく広げ、次の瞬間には空気を破裂させる音と共に強風が辺りに吹き荒れた。
そして、彼の姿はそこにはなかった。
「ちょ······ちょっとキリト君!?」
突然の行動にリーファは驚くも、彼は振り返らず凄まじい勢いで上昇していく。空気を叩きのめし、一メートル、二メートル、風圧を押し退けてどんどん飛距離を伸ばす毎にスピードが上がっていく。
まるでスペースシャトルのロケットみたいだった。点火したブースターエンジンは切れるまで飛距離を飛ばし続ける。
幹の周囲を包む厚雲を抜け、空どころか宇宙にまで飛び出しそうな勢いで上昇するキリトに、何とか追い付いてきていたリーファが声をかける。
「はぁ、はぁ······気をつけてキリト君ッ!! そこから先は─────ッ!!」
その声が届く前に、キリトは衝撃に襲われた。
ガンッ!! と。
突然目の前に虹色の壁が現れたかと思ったら、キリトの頭脳が激しく震える。
「·······ッ!?」
「キリト君ッ!?」
大丈夫!? という声に返す余裕なんてなかった。
グワングワンと、揺れてるのはアバターの作られた頭脳なので現実世界にはあまり影響はないが、脳が震えたキリトは頭に星が回っているようなふざけた感覚に怒りだし、突然現れた障壁を破ろうとするかのごとく、拳を何度も何度も叩きつける。
だが、そんなアクションを起こしても、障壁はそんな彼を嘲笑うように虹色の綺麗なエフェクトを飛び散らせる。
「くそッ!! なんだよこれッ!?」
「やめてキリト君ッ!! 無理だよ、アップデートでもうそこから先は行けなくされてるんだよッ!!」
いつの間にか同高度に達していたリーファがキリトの腕を掴んで止めながら叫んだ。
しかし彼はその腕を振り払うと、またその障壁に向かうために一度距離を取って突進していく。
「行かなきゃ·······行かなきゃならないんだッ!!」
本当に彼は猪突猛進という言葉がよく似合う。
無理だと言っているのに、無駄だと言っているのに、それでも彼は力任せで何も考えず脳筋スタイルで突進していく。
その前を塞ぐものがいた。
リーファだ。
「もうやめてッ!!」
「そこをどいてくれリーファッ!!」
「嫌だッ!! どかないッ!!」
「ッ!!」
彼の身を案じての叫び。
彼女に危うく体当たりしそうな所で、キリトは正気を取り戻して急ブレーキをかける。そのまま彼女の腕に抱かれて、彼の気持ちを落ち着かせるように背中を擦る。
「キリト君がどうして焦ってるのかわからないけど、これ以上の無茶はやめて。アップデートされちゃった以上、もうこの先に行くにはグランド・クエストを挑戦する他ないんだよ」
「ッ!!」
奥歯を噛み締めながらも、肩を落とすように脱力するキリト。
そんな彼を落とさないように支えるリーファ。
その時、急上昇する前にキリトのポケットに戻っていたユイがまた飛び出してきた。
ナビゲーション・ピクシーという立場でも、その障壁は冷酷にも役目を果たし、行く手を阻む。
が、
彼女はそれよりもある可能性に気付いたかのように必死な面持ちになって虹色の障壁に両手を付き、大声で口を開いた。
「ナビピクシーの私にプログラムされている警告モード音声なら········届くかもしれませんッ!!」
「「!?」」
「ママッ!! 私ですッ!! ママァァァアアアアアッッッ!!!!!」
<><><><><>
幻聴は初めてではない。
前にもこうやって虚しく鳥籠の中に閉じ込められて日々の時間を無駄にしていく最中、見知らぬ誰かからの励ましの声が、風に乗って運ばれてきた。
その時は元気付けられた。
だが、今はまだそれらしい希望がやって来ず、不貞腐れて疲弊したようにテーブルに突っ伏していた。
そんな時、
声が聞こえた気がした。
愛する人との間にやって来た、愛娘の声が。
「ッ!?」
かすかな呼び声を感じて、顔を上げるアスナ。
辺りを見渡すも、ここには自分以外誰もいない。逃がさないように今もなお、金色の鉄格子が取り囲んでいるだけだ。
だが、先程確かに聞こえたんだ。
消えたはずの、愛娘の声が。
『······マ·········ママ·······ッ!!』
何度も何度も、名前ではなくとも自分を呼んでいる声がする。
あの幼い少女、血は繋がっていないけど、自分と自分の愛する人を半分ずつ分けたような少女が目の前に現れた時、愛する人と一緒に支えていこうと思えた女の子。
『ママッ!!』
幻聴なんかじゃない、確実にあの子の声だ。
あの時、ソードアート・オンライン時代にいなくなったはずなのに、形見だけ残して消えたはずなのに。
記憶の奥底から蘇ってくる思い出に、アスナは目尻から涙を流し、
「ユイ·····ちゃん? ユイちゃん、なの·······ッ!?」
掠れた声で鉄格子に近寄って下を見るも、そこにあるのは分厚い雲のみ。しかし、この先にあの少女がいると確信を持てた。
何故なら、彼女が呼び掛けてきてくれているからだ。
『ママ······私、ここにいるよ!!』
雲海の先に、いなくなったはずの愛娘がいると感じて、アスナは鉄格子をガシャンガシャンと鳴らしながら必死に自分もここにいることをアピールする。
「ユイちゃん! 私は、私はここだよ!!」
届くはずもない。
わかっていても叫ばずにはいられなかった。
愛娘がいるということは、その側には最愛の人もいるはず。
声が届いているかどうかはわからない。
なのに、
それでも声が聞こえた瞬間に希望が持てたアスナは、どうすれば彼らに自分がここにいるのか知らせられるか模索する。
「ッ!!」
せっかく目の前に、届く距離にいるのに、届かない。
悔しさに奥歯を噛み締めて、目を瞑ってしまう。
何か、何でもいいから自分がここにいることを知らせないと。しかし、何の方法も思い付かず、焦燥に駆られてどうしたら良いのかわからないまま、更に強く奥歯を噛み締める。
そんな時だった。
また風が不意に吹いて、それに乗って見知らぬ人の声が混じって飛んできていた。
『······想いを託せ』
「え?」
『アンタの誇りを、想いを、今こそ託すんだ······』
聞いたことのある声だった。
あの時、自分の誇りだけは手放すなと慰めてくれた男の人の声。その声が、今度はその誇りを託せと助言してくれていた。
今度は背後から聞こえた気がしたが、後ろを向いても勿論誰もいなかった。
しかし。
その言葉がヒントになった。
アスナはその言葉で何かを思い出し、誰にも見つからないように隠していた枕元の底にある小さな銀色のカードを手に取る。
「これなら!!」
それを手に取って再び鉄格子の前まで行き、格子と格子の間から手を伸ばして、今まで希望となっていたそのカードキーを彼女は手放した。
いや、手放したのではない、託したのだ。
自分の抱いた希望を、引き継いでもらうように、彼らのもとに届くことを信じて、何の躊躇いもなく、手に持っていたカードキーを離して雲海の底へと落とす。
「お願い、ユイちゃん······キリト君! どうか、私の想いを受け取ってッ!!」
両手を合わせて神に祈るように、枝から溢れ落ちた葉のように宙に舞ったカードキーは、雲海の底へと落下していく。
それを見ながら、アスナはこう思った。
私の誇りや想い、どうか引き継いで、と。
<><><><><>
「くそッ!!」
相も変わらず。
リーファに言われても苛立ったように目の前の障壁を殴り付ける。
破れようが破れまいが、本当はどうでも良かったのかもしれない。ただ、このどうにもならない怒りを鎮めるために、気休め程度でもいいから精神を安定させるために八つ当たりをしているのだろう。
「くそ、くそッ!!」
「·······キリト君」
リーファは止めようにも止められなかった。
一応もうそんなことは無駄だということは伝えた。それを理解した上であのような行動をしているのだ。
見えない障壁に自分の怒りをぶつけて、弾き返されても何度も何度も、相手が気絶するまで殴るのを止めない感覚で拳を振るい続け、しかし虹色の障壁は水面に浮かぶ波紋のように広がっていくだけだった。
こんなところまで来たのに、くそみたいなアップデートによって阻まれて、アスナがいる牢獄に手が届かない。
この世界にやって来て二日。
たった二日に思えるが、キリトからすればもう二日経っているという感覚だった。あまりにも遅すぎる。こうしている間にも、あの須郷とかいうくそ野郎はアスナを手に入れるために縁談の話を進めていることだろう。
それだけじゃない。
今もなお意識不明のSAOプレイヤー達の意識を拉致し、良からぬことを企んでいると思うと、何とかしなければという使命感が彼の心を急かせる。
「ッ!!」
彼はついにもう我慢の限界に陥り、背中の剣で叩き斬るという、無駄でもやってみる価値はあるという希望を僅かに抱いて背中から抜き放つ。
······前に。
憤怒の感情に支配されていたキリトの視界に、何か眩い光が反射して一瞬目を眩ませた。
「あれは·······?」
いつの間にかキリトから怒りの感情は消え、頭が冷えたのか冷静にその光の正体が何なのか確かめるために、視力を少しでも良くするために目を細めて凝視する。
太陽の光に反射して、枝から溢れ落ちた葉のようにひらひらと舞い落ちてくる物の正体は、
「······『カード』·······?」
風に乗ったそれを掴まえるように、というより元から彼の手に運ばれるように、『カード』らしきものは彼の手に収まった。
それが何なのか二人も気になったのか、ユイとリーファもキリトの隣から覗き込むようにして見てきた。
アイテム類いのものだろうか、銀一色でコーティングされたカードは何の文字も彫られていない。
「クリックしても、なにもでないか······」
アイテムをタップして何か表示されると思ったが、ただ指が触れる感触しかなく、何も起きなかった。
キリト達はこれが何なのか頭を悩ませていると、ナビゲーション・ピクシーのユイが解析をするためにそのカードに触れて確かめる。
すると、彼女は目を見開いてこう言った。
「これは·······パパ! これはシステム管理用のアクセス・コードですッ!!」
「!?」
「ただ、これはそれだけのカードではありません。何か、『とある秘匿性の高い研究データを見るためのカードキー』であることも確認できます」
秘匿性の高い研究データというのに何か引っ掛かったキリトだったが、それよりもそんなカードが上から落ちてきたということに焦点を当てる。
「じゃあ、これがあればGM権限が行使できるのか?」
「いえ、ゲーム内からシステムにアクセスするには、対応するコンソールが必要です。私でもシステムメニューは呼び出せません」
「······でも、そんなものが理由もなく落ちてくるわけがない。これはおそらく────」
「はい。ママが私達の存在に気付いて、このカードを託したんだと思います」
そう言われて、キリトはそのカードを潰さない程度に握り締めた。握って、目を閉じて感覚を研ぎ澄ませるように胸の辺りに当てて何かを感じ取った。
(·······アスナ)
微かに、アスナの想いが伝わってきた気がした。
託された想い。
助けてほしいという願い。自分も希望を捨てていないという覚悟。
彼女の想いを引き継いだ彼は、目を開いてリーファを見つめてこう言った。
「リーファ」
「な、なに?」
「教えてくれ、世界樹の中に通じてるっていうゲートはどこにあるんだ?」
「え!? えっと······あれは、世界樹の根本にあるドームの中だけど······」
「······そうか」
それだけを聞くと、彼は彼女から引き継いだカードキーを胸ポケットに入れて、翅を羽ばたかせた。
その様子を見て、リーファは彼がこれから何をしようとしているとか察してすぐ止めようとする。
「で、でも無理だよ!? あそこは無限に現れてくるガーディアン達によって守られてて、今までどんな軍団でも突破できなかったんだよ!?」
「それでも────」
行かなきゃならないんだ。
そう言うように、彼はリーファの手を取った。
彼は心配してくれるリーファに、ここまで着いてきてくれたこと、知識を与えてくれたこと、励まされたこと、それらに対して全て感謝するように、素直な笑顔を浮かべて言った。
「今までありがとうリーファ、ここから先は俺一人で行くよ」
「なッ!?」
「ここから先は俺の問題だ。リーファにはこれ以上迷惑はかけられない」
「な、何を言ってるの!? それじゃクラウドさん達は!? みんなで攻略しようって言ってたのにッ!?」
「『ある人』が待っている以上、俺は急がないといけない」
「!?」
「クラウド達には悪いけど、先に行くって伝えといてくれ。俺は何としても、『ある人』に会わなきゃならないんだ」
「······キリト君」
それだけを告げると、キリトはリーファの手を離し、ナビゲーション・ピクシーのユイを肩に乗せて後ろへと下がっていく。
ここでお別れだ、とでも言うかのように。
彼はまた翅を広げ、急降下するように下へと降りていく。
リーファはなにも言えず、そのまま見送ってしまったが、すぐに首を横に振り、ポニーテールを揺らして何もかもを否定する。
一人で行くなんて無茶だ。
キリトは確かに強い。
だが、どれだけ強くても、あの無限に現れるガーディアン達に太刀打ちできるわけがない。最悪、串刺しにされて終わりだ。
そんなことを思いだしたら、リーファいてもたってもいられず、クラウド達が泊まっているホテルへと急いで引き返していく。
彼を失うわけにはいかない。
共に旅してきた仲間が無駄死にするなんて、なにも出来ないままいなくなっちゃうなんて、そんなの嫌だ。
彼女はすぐに救援を呼ぶべく、クラウド達に応援要請をしに、落下速度に合わせて勢いを乗せ、最短で真っ直ぐに高級ホテルへと目指す。
<><><><><>
二人のカップルは仲良く観光都市を楽しんでいた。
「それじゃあ、行こっか!!」
「ああ、そうだな」
どこを見渡しても幸せいっぱいの夢いっぱいのカップル、いや多分パーティーメンバーなのかもしれないが、男女二人でいるとカップルと間違われても仕方ない。
そんな中、
唐突に、
ズシン!! と。
衝撃音と共に大理石の砂塵が辺りに砕け散った。
「な、なんだ!?」
「何かのイベント!?」
愕然とするプレイヤー達。
しかし、落ちてきた当の本人はそんなことは一切気にせず、
「ユイ、グランド・クエストがあるドームへの道はわかるか?」
「はい、前方の階段を上がればすぐで─────」
それを聞いた瞬間、キリトは目にも止まらぬ早さで街中を駆けていく。人々の間を縫って、助走をつけて翅を広げてグランド・クエスト入り口まで飛んでいく。
「うわぁぁぁあああッ!?」
肩に乗っているユイは振り落とされないように必死にしがみつきながら、それでもキリトに問いかける。
「······でも、いいんですかパパ?」
「?」
「今までの情報から類推すると、ゲートを突破するのはかなりの困難を伴うと思われます。リーファさんの言う通り、クラウドさん達と合流した方が」
飛びながら、キリトはユイに声だけかけて言う。
「わかってる。クラウド達には悪いとは思ってる」
「だったら────ッ!!」
「けどな、ユイ」
それを言う直前、キリトはグランド・クエストの入り口がある階段前までやって来て、左手でユイの頭を撫でながら優しく、それでいて掠れた声で言った。
「もうあと一秒でもぐずぐずしてたら発狂しちまいそうだ······ユイだって、早くママに会いたいだろう?」
そう言われて、迷っていたナビピクシーは真剣な表情になって、強く頷いた。
「はい」
「だから、早く迎えに行ってやらないとな。ママもきっと、俺たちを待ってる」
「······はい!」
頷くユイに、キリトは覚悟を決めてグランド・クエストの入り口がある場所へと目指すために、大きな階段を昇り始める。
大きな門の前に立つと、
ガシャン! と。
門の間に立てられている騎士を象った彫像が二体とも、手に持っている大きな剣を門へと掲げ、両者の剣をクロスさせて通せんぼするようにして、問いかけてくる。
『未だ天の高みを知らぬ者よ。王の城へ至らんと欲するか』
それは意思確認だった。
そう問われた直後、プレイヤーにその挑戦覚悟はあるのかどうかの最終チェックのためのウィンドウが開かれ、◯かそれとも······とか思う以前に彼は迷いなくイエスの意思を示すボタンを押す。
意思は示された。
よって、石像はこう語る。
『されば、そなたの双翼が天翔けるに足ることを示すが良い』
そう言った直後、門は地響きを鳴らしながら開かれていく。
その先には、闇が広がっていた。
暗くドームの形状すら掴めない。
入ってから明転するという演出なのか、その仕様はソードアート・オンラインのボス部屋を思い起こさせる。
「ユイ、行くぞ。しっかり頭を引っ込めてろよ」
「はいパパ······頑張って」
それだけを言い残し、少女はキリトの胸ポケットに身を隠す。
それを確認すると、彼はついにグランド・クエストへと足を踏み入れる。踏み入れた瞬間、予想していた通り、ドーム全体に眩い明かりが降り注ぎ、その眩しさに目を細める。
世界樹の内部なだけあって、中は自然らしい根か蔦のようなものが絡み合って構成されたダンジョンだった。
周囲を見渡すと、『青い鏡』みたいなものがいくつもあった。数えるだけでも五千はありそうだ。正確に計る余裕はないから適当にそう判断した。
そして。
その天上。
一番上に、円形の扉がキリトを見下ろしていた。形的には四枚の石板が十字を描くように分割されていて、まるで花開く寸前の蕾のようだった。
しかし、その扉が開く様子は見られない。
あそこまでたどり着かなければ、開くつもりはないということか。
随分と遊ばれている気がする。
とにかく、やるべきことは決まっている。閉ざされたあのゲートの向こうに、愛する人がいるんだ。世界樹への本当の入り口。
そこを突破するために、彼は背中に背負った剣を抜き、両手で構えて大きく叫んで力を込めて飛び上がる。
「行くぞッ!!」
翅は風圧に逆らい、急上昇していく。
すると、そのタイミングを見計らったかのように。
一枚の青い鏡から、人の形をした何かが具現化した。
「ッ!?」
ドーム内に現れたのは、白い鎧を身に纏った人形。右手に武器を携え、キリトの行く手を阻むように目の前へと接近してくる。
恐らく、こいつがリーファの言っていたガーディアンだろう。
ガーディアンは世界樹を守るために、侵入してきた妖精を叩き潰すために剣を上に掲げて迫ってくる。
「どけぇぇぇええええッ!!」
彼はなにも恐れなかった。
むしろ怒りを抱いて、自分の得物を振り下ろす。
両者の剣が鍔に近い所で拮抗する。
ガガガギギギ!!
と、火花を散らして互いの威力を押し合う。
そして、キリトはこのままじゃ時間を無駄にするだけだと判断し、一度力を抜いてわざと相手に剣を振り下ろさせ、キリトの持っている大剣で受け流しながら、彼の背後へと流されたガーディアンの頭を狙って、横薙ぎに一閃、薙ぎ払った。
ガーディアンの首は切り取られ、消えるのではなくその場で破裂した。
この世界の死を判断するためのエンドフレイム。それは敵も例外ではないらしい。薄紫の煙幕が舞い上がり、範囲は狭いが視界を奪われる。
「ッ!!」
その間に、新たなガーディアンが、今度は数百体現れた。
「なッ!?」
今までのはただの茶番だった、もしくは小手調べとして一体放出した、そう言われた気分だった。
「クソッ!!」
だが、負けない。
負けるわけにはいかない。
すぐそこに、愛する人が待っているんだ。
(アスナッ!!)
その人のことを思い浮かべながら、何百体もいるガーディアンに剣一本で挑んでいく。
(アスナッ!!)
翅を力いっぱい動かし、回避しては斬り、全身の重さを乗せて剣を叩き込む。鎧を引き剥がし、腕や足を切断して再起不能にさせて、どんどん上へと突き進んでいく。
(行けるッ!!)
振り下ろされる剣を回避しては斬り、回避が不可能な場合は剣で受け止めて、流して斬る。
無傷では済まなかった。
四方八方から攻めてくるガーディアン達は、問答無用でキリトの背後に回り込んでは斬り込んでくる。背中を斬られた感触と共にHPバーが消費し、それでも諦めることなく突き進んでいく。
体を捻って回避し、剣で受け止められなかったらやむを得ず左手でダメージを負いながらも受け止める。奴らの攻撃力は案外小さい。
しかし、数の暴力で攻めてきているため、攻撃力が弱くても対処しきれない数に、キリトは苛立ち八つ当たりをしたいかのように破壊衝動が目覚め始めている。
「邪魔だぁぁぁあああッ!!」
いちいち現れてくる雑魚共に構っている暇なんてない。そう言うかのように彼は剣をぶんまわし、一気にキリトの近くにいたガーディアンどもを片付ける。
でもまだ終わらない。
空高く上がる度に数は更に増していき、キリトは更に頭に血を昇らせる。
一匹二匹と、切り崩して突き進み、ちょうど良く三匹が重なりあった所を剣でまとめて貫き、絶命させる。
あと少しだ。
あと少しで、天上へと手が届く。
何体も現れる敵を無双し、手を伸ばしてリング型のゲートへと手を伸ばす。
······その瞬間。
あと数メートルというところで、手を伸ばしていた左手に、何か黄色い細い線が突き刺さっていた。
「ッ!?」
それは、『矢』だった。
光を纏った矢だった。
それに気付き振り返ると、獲物を仕留めるべく配置されたガーディアン達が、白銀の弓矢を構えてこちらに向けていた。
ガーディアン達は黄金の矢束を引き、空飛ぶ鳥を撃ち落とすかの如く、キリト目掛けて、
一斉に矢を放つ。
下全方向からの攻撃。
避けられない、とわかっていても、彼はゲートを目指して左手を伸ばす。突き刺された矢のことなど気にせず、あと数センチでゲートに触れられる。
だから必死に手を伸ばす。
が、
「ガハッ!?」
一本の矢が背中を直撃した瞬間、体勢が崩れ、伸ばしていた左手も止まる。
HPバーを見ると、もうあとわずかしかない。
次々に放たれる矢に射たれると感じた彼は、
(ごめん······アスナ)
愛する人を思い浮かべて、目を閉じてしまう。
あと少しだったのに、
手が届く距離まで来たのにッ!!
ここまでか·······。
「······」
大量の矢が迫ってくる。
そして、光が吹き荒れた。
キリトの五感が、消えてなくなろうと瞬間。
「てやあぁぁぁあッ!!」
光を飛ばすように、嵐が吹き荒れた。
五感が戻りつつあるキリトは、見に覚えのある光景に息を呑んだ。
かつて、アインクラッドで出会ったビーストテイマーの少女が持っていた、使い魔を復活させるアイテムを奪おうと企んでいた連中をたった一撃で吹き飛ばした技。
画竜点睛。
竜巻を引き起こし、敵全体が放った攻撃を相殺させる。
それを引き起こした青年が、キリトを守るように空中に立っていた。
「ク、クラウドッ!?」
「ッ!!」
キリトの呼び声に、彼は舌打ちして応える。
現在、命を刈り取ろうとするガーディアン達に囲まれている。上を見たら、壁のように固まっているガーディアンもいる。あれでは突破は不可能だ。
よって、クラウドの答えは決まっていた。
そのために、クラウドは短時間で位置を確認する。
クラウドを中心にして、半径十メートル以内に、数十体ものガーディアンが取り囲んでいる。
入り口まで戻る距離は、なんとかなる。
それを確認した途端、彼の青い瞳孔が拡縮する。
そして、『ソルジャー』としての身体能力が発動する。
「一旦引くぞッ!!」
「え!?」
返事を待つ余裕はない。
彼はキリトの襟を掴むと、片足の爪先を空気に押し付け、思いっ切り蹴る。風圧を操作し、方向転換を可能にし、ロケット並みの爆発力を得た彼の体が音速の壁を突き抜け、恐るべき速度で地面に激突した。
膝を付いて、一度止まってしまった隙を逃さず、ガーディアン達は後を追うように剣や弓矢を構えて迫ってくる。
クラウドは膝を付いたまま、両手を使わず足だけ使ってクラウチングスタートをするような体勢になると、
轟ッ!! と。
矢の雨すら蹴散らして、クラウドは砲弾のように出口に向かって駆け出した。出口まで何十メートルあっても、そんなものは彼には関係ない。
一蹴りであっという間に出口の外へと出たクラウドは、掴んでいたキリトを乱暴に降ろし、尻餅をつかせる。
「ッ!!」
尾てい骨が痛む。
痛みに関してはどうでも良かったが、なんでクラウドがあそこにいたのか聞こうとしたところに、
「「クラウドッ!!」」
「クラウドさん! キリト君ッ!!」
パーティーメンバーのティファとユウキ、そして先程分かれたリーファまでもやって来ていた。
痛みの悲鳴すら上げられず、地面に縫い止められた感覚のキリトの元に、クラウドは語る。
「先に謝っておく、すまない」
「は?」
バゴ! という鈍い音が響き渡った。
クラウドは鈍い感覚と共に、キリトの顔面を殴り飛ばしていた。
「······え?」
むしろ、最初に驚いたのは殴られたキリト本人ではなく周囲にいたユウキ達だった。
クラウドの意外な行動に皆唖然としている。
まさか、クラウドがキリトを殴るとは思っていなかった。大剣ばかり振るっていた彼が、拳を握って顔面にダメージを与えるなんて、見たこともなかった。
ぶっ飛ばされてわけがわからないキリトは倒れ込み、呻き声を上げながら立ってクラウドを睨む。
「なにすんだよッ!?」
「勝手な行動をした罰だ」
冷静に、あっさりと。
クラウドはそう答えた。
「キリト」
そしてクラウドは続けてこう訊ねる。
まるで、初めから知っているにも拘わらず核心を突くように。
「気持ちはわかるが、勝手な行動はするな。一人で挑むなんて無茶にも程がある」
「ッ!!」
キリトは血は出てないが唇を拭いながら立ち上がり、クラウドを睨み付けるとそのまま素通りし、背を向けたまま言う。
「確かにそうかもしれない······けど、行かなきゃならないんだ」
背中で語り合う二人。
クラウドは断片的な言葉を整理しつつ、背中越しにキリトに向かって言い放つ。
それが合図だった。
パーティー全体の均衡が崩れてしまうのは。
「キリト·······
「······え?」
言うと、反応したのはリーファだった。
それを聞いた瞬間、彼女は思考は真っ白に染まって、意識が手放しそうになって、キリトとクラウドの二人を見つめながら、主にキリトを見ながら、震えた声で言う。
「え? うそ······だって、その人は······ッ!?」
「リーファ?」
ユウキが様子がおかしいリーファを心配していると、彼女は息を呑んで両目を限界まで見開いて、口許を手で覆って後ずさっていた。
その様子に、キリトまで心配したように声をかける。
「どうしたんだ、リーファ?」
その声を聞いて、その顔を見て、リーファは消えそうになりながらも掠れた声を絞り出した。
「お兄ちゃん·······なの······?」
「え?」
事態を飲み込めていないクラウド達には、キリトとリーファの関係性がよくわからない。
だが、唐突に理解した。
二人には、複雑な関係性があるのだと。
それを聞いたキリトは愕然とした表情で、彼女を見ていた。そして、彼は思い当たる人物の名前を呼ぶ。
「······スグ?」
その声を聞いてもう耐えられなかった。
リーファは吐きそうな感じで口許を押さえながら顔をそむけ、ウィンドウを開くために右手で口を押さえながら左手を振るう。
そしてそのまま、パーティーメンバーの一人だったリーファは、ALOからログアウトした。
姿を消しても、キリトは搾り出すように、名前を呼んだ。
「リーファは······直葉、だったのか·······!?」
それに気付いたキリトはクラウド達を置いて、自分もログアウトする。
後に残された三人は、ただ黙って見送ることしか出来なかった。後を追おうにも、ログアウトされてしまっては不可能だ。
「クラウド·······」
「········」
ティファとユウキはクラウドを静かに見つめるが、彼はただため息だけをつく。クラウドは近くにあったベンチに腰掛け、夕空に浮かぶ雲を眺めながらぼんやりと呟く。
「もめ事がないなら、俺の出番はない」
それに、と一息つくように。
「いつ何があるかなんてわからないんだ。話せる内に、わかり合えるまで二人にさせておいた方がいい······
それだけだった。
だから彼は何も心配ないように、二人が戻ってくるのを待つ。