解析結果の内容と、今後の計画内容を詳しく説明させていただきます。
ミッドガル元神羅カンパニー科学部門の総括、宝条が行っていた研究の中に『多重宇宙論』と『ジェノバのリユニオン能力』の証明のための実験として、脳のデータ断片化というものがありました。
彼はセフィロスを探して世界各地を回っている時にミッドガルネットワークに自分の断片をばら蒔いていただけでなく、僕自身の身体にもデータを残していたもよう。その身が滅びようとも研究へと没頭するために自分の魂をデータ化するその熱意は尊敬には値しますが、結果は失敗に終わりました。
不完全な上に強引な意識の乗っ取りにより、依り代となっていた別次元の人間である“須郷伸之”の身が保たず、自我崩壊したのと同時に、データで復元及び再現した『ジェノバ』の精神汚染に耐えきれず、アバターは飲み込まれて完全消滅致しました。
しかし。
彼の脅威は過ぎ去ったわけではありません。
全ての実験を同時進行で進めるほどの彼が、そう簡単に消滅するとは思えません。またどこかで、リユニオンの証明のためにネットワークを通じて復活する可能性があります。
そうしたトラブルが発生する前に、彼を制圧する手段を早急に考える必要があると思われます。
なお、そのための策として『ある機器の設計図』と『仮想空間への座標』を入手致しました。その機器を利用して仮想空間にある彼の意識を一つずつ破壊していくことを推奨致します。
しかし現状の情報では彼の意識の断片がどこにあるのかは不明。今日明日復活するということはないでしょうが、この件は長期プロジェクトとして登録し、一つずつ確実に探しだして破壊していく方針で進めます。
さらに。
彼の意識を探すために仮想空間へと再びダイブすることも重要ですが、本来その世界はゲームであり、楽しむための世界であるため、それを利用するというのも一つの手です。
『クエスト』として全プレイヤーに協力して頂くだけでなく、多額の報酬もご用意する方針です。
まだ『二台』しか完成していませんが、後々量産化させて、こちら側の世界の人々にもフルダイブ型のゲームを楽しみつつ我々が出したクエストを達成してもらう、という方向で計画を進めてまいります。
そして。
一番最初にその機器を手にすべき人は『彼と彼女』以外おりません。
最後に。
宝条だけでなく、セフィロスの意識も未だに行方不明です。彼とは違って拡散することなく仮想世界の中を巡っており、もし仮に接触したとしても手は出さないようにお願い致します。
死んだとはいえ、彼の異常な戦闘能力は健在であり、そして不明確な状態でいるもようで、こちらの攻撃が通用しない可能性があります。
先日も報告した通り、本作戦の最優先事項はセフィロスの討伐ですが、死傷者を出すことだけは避けてください。
細心の注意と共に、引き続き彼らの捜索及び討伐作戦に臨んでください。
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「旨い! これ旨いよアスナ!」
「よかった。結構再現するのに苦労したんだからね?」
円形の小さな庭園。
ふんだんに花壇に配されたその外周部には白木のベンチが設置され、そのうちの一つに二人の男女が腰掛けて座っていた。
女性の膝の上にはバスケットが置かれており、中には丸いキッチンペーパーで包まれたハンバーガーが入っている。
その香ばしい香りに目を見開いたキリトは急いで口へと放り込んでいく。
「すごいな、あの七十四層の安地で食べたハンバーガーを現実で再現するなんて」
「本当、大変だったんだよ。特にソースの再現が難しくて。おかしな話だよね、現実の味を真似しようと向こうの世界で苦労して、今度はその味を再現するのにこっちで苦労するなんてさ」
「あはは······」
キリトは手渡されたハンバーガーをじっと見る。あの時の記憶が呼び起こされる味につい懐かしさを覚え、微笑んでしまう。
二人は今、特殊な学校に通っている。
ここに通っている生徒は全て、SAO事件に巻き込まれたプレイヤー達である。中学生、高校生と、二年間仮想空間に閉じ込められていた子供達は、救済措置として統廃合で空いた校舎を再利用し、失われた学生生活を取り戻している。
二人は鼻にくっつこうとするマヨネーズと格闘しながらハンバーガーをかじりつつ、話し合いを始めた。
「そういえばキリト君」
「アスナ······一応ここではキャラネームを出すのはマナー違反だぞ? ここでは和人って呼んでもらわないと」
「あ、そうだった。って、それだと私はどうなるのよ? バレバレじゃないの!」
「本名をキャラネームにしたりするからだよ······と言っても、俺もなんかバレてるみたいたけど」
ここは一応SAO事件に巻き込まれた子供達が集う学校である。
よって、誰が誰なのかキャラネームが知られてしまえば正体が大体わかってしまう。何より、あの世界では創造者の手によって、プレイヤー達のアバターは現実と同じ顔にされてしまった。
故に、最前線で戦っていたプレイヤーや有名プレイヤーは入学直後に即バレしてしまった。
通り名があったプレイヤー達は今では学校のアイドル的存在になりつつある。
それは置いといて、アスナはキリトに話したいことを話し始める。
「それでキリト君は、あの話聞いた?」
「あの話?」
「······須郷さんが、亡くなったって話」
「······ああ、聞いたよ」
須郷伸之。
アスナの父、結城彰三が娘の夫にと見込んだ男。
総合電子機器メーカー『レクト』のフルダイブ技術研究部門研究員で、その子会社であるALO運営体『レクト・プログレス』のスタッフだった人間。
奴は人間の感情や思考を意のままにコントロールする方法の研究をするために非人道的な行動をし、自らの野望の達成のために会社を掌握すべきと考え、結城家の財産目当てに明日奈と結婚することを企んでいたクソ野郎であった。
そんなアイツがつい先日亡くなったのだ。
詳しいことはあまり知らされていないが、死因は出血性脳血管疾患というものらしい。
脳の血管が破れて出血することから起こるもので、出血した血液は血腫という血の塊をつくり、血腫のできた部分の脳細胞が破壊されたことが原因で死亡したとのこと。
脳血管疾患は突然死を招く恐ろしいものであり、誘因となる危険因子がいくつもわかっているが、恐らく今回は特別な例だ。
それも、前例がない。
解剖の結果、奴に出血性脳血管疾患の要因となるものはなかったらしい。過去の彼のカルテを見れば、それはわかる。
なのに、脳の血管が破れていた。
その理由は、奴を遥かに上回る『科学者』が原因だろう。
奴が研究していた、人間の感情や思考を意のままにコントロールする方法。それを、“先にやった者”の手によって奴は命を落とした。
あの時現れた謎の科学者、“宝条”という人間。
奴の正体は詳しくは知らないが、少なくとも須郷よりも天才で、厄介なマッドサイエンティストだろう。そんな奴に脳を奪われたことによって、須郷の頭脳に異常なほどの負担がかかり、血圧が上がって小さなこぶができ、血管が破裂してしまったのだろう。
あくまでも、詳しく聞いてないから推論だが。
しかし、そう考えると何故キリトは無事だったのだろうか?
これも推論だが、臓器移植をする場合と似ていると思われる。ドナーと受け手が適合しなければならない。
キリトとザックスという青年は上手く適合できたから、脳にあまり負担がかからなかったのだと思われる。しかし、長時間共生していれば、キリトも須郷と同じ目に遭っていた可能性もある。
上手く適合できたからといって、完全に安全ではなかった。短期決戦で終わらなかったらどうなってたか。
キリトは思わず酷い傷口を見るような顔になった。
「────リト君」
「······」
「キリト君!」
「!? な、なに?」
「大丈夫? ずっとぼーっとしてたけど、話し聞いてた?」
「ああ、ごめん。ぼんやりしちゃってた」
「もう!」
「ごめんごめん。で、なんの話だっけ?」
思考が別の次元へと行っていたキリトは正気を取り戻すと、アスナが何の話をしていたのか再度訊ねる。
「キリト君が団長からもらった『世界の種子』だけどさ、あれって結局どういうものだったの?」
アスナにそう聞かれたキリトは、こう告げる。
「今日のオフ会で詳しく説明するつもりだけどさ───」
ニコッと小さく笑って、
「クラウド達への招待状だよ」
<><><><><>
そうして。
和人達は今夜のイベントであるオフ会に参加である。
SAO時代世話になった頼れる兄貴分であるエギルのお店、『ダイシー・カフェ』へと足を運んでいた。学校が終わって、指定された通りの時間帯に台東区御徒町のごみごみした表通りにある、煤けたような黒い木造で、店を強調するために設置されている金属製の二つのサイコロを模った看板の扉の前にいる和人は、後ろにいる女性二人に声をかける。
「スグはエギルと会ったことあったっけ?」
「うん、向こうで二回くらい一緒に狩りしたよ。大きい人だよねぇ~」
「言っとくけど、本物もあのまんまだからな。心の準備しとけよ?」
「そうなの!?」
「ふふっ、私も初めてここに来た時はビックリしたよー。本当にあの姿のままなんだもん」
「ああ、正直俺もビビった。ま、あんまり緊張すんなスグ。悪い奴じゃないのは知ってるだろ?」
「う、うん」
巨体であるエギルの現実の姿を想像して驚愕している直葉に、和人は口角を上げて掌で優しく頭の上をポンと叩くと、そのまま一気に店の扉を押す。
カラン、と店の扉が開けられた音を告げるベル。
それと同時に、中にいた奴ら全員の視線が一斉にこちらへと向けられる。中にいた奴らのほとんどが全員知り合いだ。見たことのない顔もいたが、自分と同じ学生服を着ている連中がいるため会場はここであるとすぐに確信を持てた。
が。
どういうわけか、店内の様子を見た瞬間に和人の顔に冷や汗が浮かぶ。店の奥でここの店長であろうエギルがピザをどんどん焼いており、各テーブルの上にすでに並べられて置いてある。
そこでさらに気付く。
シリカ達、参加者の皆の手の中には飲み物が入ったグラスや食事が握られていることに。
······始まっている。
そう思ったのは入って数秒後のことだった。
そして自分達の姿を確認したオフ会の参加者達全員が、和人達に拍手喝采を送る。
お世辞にもあまり広くない店内なので、その音は店の外にまで響いていた。体の奥にまで響く大音量に、和人は苦笑してすぐに二人を入れると店の扉を閉める。
状況がいまいち呑み込めていない和人は目を細めて、
「······おいおい、俺達遅刻はしてないぞ」
「へっへ、主役は最後に登場するものですからね。あんた達には少しずらした時間帯で伝えたのよん。さ、こっちに来て!!」
そう言ってこちらへ近づいてきて背中を押す茶髪のふわふわしたショートヘアーな女性。
この子の名前は“篠崎里香”。
SAO時代、四十八層の主従区である『リンダース』で武具屋を開いていた少女だ。その頃使っていたプレイヤー名は“リズベット”。ウェイトレスのような服装の装備を着込んで鍛冶屋としても活躍していた。
そんな彼女に押されて店の奥の小さなステージ台へと強引に登らされた和人は、皆からの注目を集めるために彼の頭の上にある一つの照明だけを残して店内全ての明かりを消すと、彼女はマイクを手に取り、コホンと喉の調子を確かめて、
「えー、それでは皆さん、ご唱和ください······せーのぉ!」
その一声の合図に、全員が口を揃えてこう言った。
「「「「「キリト! SAOクリアおめでとー!!」」」」」
唖然とする和人を置いて、全方向からパンッパンパンッと火薬の音と共に無数の紙吹雪に紙テープが舞い散った。
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そんなこんなで今夜はオフ会である。
同じ学校の生徒+妹+社会人という面子で、エギルが運営する店で盛大なパーティーが開催される。
和人もドリンクの入ったグラスを手に取り、全員と乾杯した後、全員に簡単な自己紹介をし、聞かされてなかった公開スピーチをやらされ、疲弊した彼はふらふらとした足取りでカウンター席へと歩いていく。
と、店の雰囲気に押されてか、和人は冗談混じりにカッコ良く気障にオーダーを告げる。
「マスター、バーボン。ロックで」
昔見た映画で覚えた台詞をそのまんま言ってみたところ、ロックアイスに琥珀色の液体が注がれたタンブラーが真横から滑り出てくる。
ガチで出てきた注文に驚愕した和人は、カウンターの奥でグラスを磨いている巨漢な男性を見る。彼はニヤリとした笑みを浮かべて、まるで飲めるものなら飲んでみろと言ってきているみたいだった。
注文した後に言うのもなんだが、冗談が通じないというのはいかがなものか。
和人は勇敢にもその飲み物へと口付ける。が、未成年なので慎重に恐る恐るといった感じで舌を伸ばし、液体をちびりと舐めてみれば、
「······烏龍茶じゃないか」
「そりゃさすがにな」
さすがは、この店のマスターなだけあって一応空気は読んでくれていたみたいだった。無駄な心配にさらに疲れた和人はカウンターに頭を沈み込ませると、隣のスツールにスーツを着込んだ男性が座った。
額にバンダナを巻いて、和人を横目に笑いながらエギルにオーダーを告げる。
「エギル、俺には本物をくれ」
「おいおい、いいのかよクライン。この後会社に戻るんだろ?」
「へっ! 残業なんて飲まずにやってられるかっての! それにしても、いいねぇ······!」
刀使いだったクラインは店内にいる美少女達に鼻の下を伸ばして見つめている。
ここにいる女性陣は、確かに顔面偏差値が高い。彼がだらしない顔になってしまうのも無理はない。しかし、彼女であるアスナにそんな目を向けているクラインに和人はいい気はしないわけで、しかし暴力とかそんな乱暴なことはこんなめでたい場ではしたくないので、行き先のない怒りを吐き出すように大きなため息をつく。
すると、クラインとは反対側のスツールに、もう一人の男が座ってきた。
「やあ、キリト君!!」
「?」
元気良く、そう声をかけてきた。
顔の両側にウェーブしながら流れる長髪は黒髪に染まり、クラインとは違って高級そうなスーツを着ている。きっちりとしたネクタイを締めて話しかけてくる男性の姿を見た和人は、目を見開いて思わず立ち上がってしまった。
「もしかして、ディアベル!?」
「久しぶりだね、キリト君」
ディアベル。
第一層の攻略時に、ゲーム攻略のリーダーシップを担っていたプレイヤー。
自身のことを『ナイト』と自称し、第一層の攻略プレイヤー全員に笑いを起こさせるほどのカリスマ性を秘めた男性。
そんな彼がわざわざ和人に近付いてきて声をかけてきてくれた。
「君に会えて光栄だよ、キリト君」
「そんな、光栄だなんて······!」
「いや、君はあのゲームをクリアしたんだ。誇りに思うべきだよ。あのデスゲームから解放した君は、俺達にとっては英雄と呼ぶべき存在なんだ。実際、俺達が無事に生きて帰って来られたのは君のおかげだ。正直、俺達だけではあの世界から脱出するのは不可能だったはずだ。そんなところに最前線プレイヤーである、あの『黒の剣士』がいたおかげでいくつものフロアを突破できた。ソロな上にいくつもの功績を残している君にはそれだけの価値がある。だから、こうやって現実でも君に会えて本当に嬉しいよ。キリト君」
「······」
そんな言葉を並べられて照れるように頬を赤く染める和人は顔を附せる。スツールにストンと落ちるように座り直すと、顔面を誰にも見せないようにして視線をただずっと下に向けている。
彼はあまり、誉められ慣れていない。
ディアベルの素直なその言葉を聞いて、素直に照れている和人にクラインは大笑いだった。
「アッハッハ!! 顔が赤くなってんぞキリト!! 烏龍茶で酔ったんじゃないのか!?」
「う、うるさいな······ッ!!」
和人が小学生みたいな反応をした。
照れて顔を附せたままの和人はどういう顔をしたらいいのかわからず、様々な感情が入り乱って、なんとも言えない表情をしている。色々と話をしたいのだが、この様子じゃ真面に顔すら合わせられないだろう。
そんな彼に対して、ディアベルは和人達にこう聞いてきた。
「そういえば、『彼』は来てないのか?」
「? 彼?」
応えたのはエギルだった。
真面に話せる状況ではない和人に代わって話を聞くエギルに、ディアベルはあるプレイヤーの名前を告げる。
「ああ。あの時、第一層のフロアボスに単体で挑んで勝ったプレイヤーである、“クラウド”さんだよ」
「「「!?」」」
その名前が出てきて、和人達は目を見開いていた。そんな彼らなどお構いなしに、ディアベルは続ける。
「今日はSAOクリア記念のパーティーだと聞いたから、てっきり彼も参加してると思ったんだが、連絡がつかなかったのか?」
「あ、ああ。アイツはどうも現実でも人とは関わりたくない体質らしくてな。連絡をしようにも居場所とかわからなかった」
「ハハッ、彼らしいね。出来れば今日会えたら一言お礼を告げたかったんだが、連絡がつかなかったんならしょうがないね」
そう言って肩を落とすディアベルだったが、和人がここでようやく顔を上げて話し出す。
「······いや、会えると思うぞ?」
「え?」
「今夜の十一時、『イグドラル・シティ』で行われる二次会に、アイツは姿を現すはずだ」
「!? 本当か!?」
「ああ、約束したからな。また会おうって」
強い意志の籠った声で、きっぱりと告げる和人。そんな彼に、エギルとクラインはどういうわけか驚いている。
そんな顔をしている二人には気付かず、ディアベルは快哉を上げるようにして叫ぶ。
「そうか! じゃあ俺もその二次会には絶対に参加するよ!! 彼とは話したいことが山ほどあるんだ!!」
「ああ、そうしてやってくれ」
「ああ! ありがとうキリト君!! 必ず今夜行くよ!!」
そう言って、ディアベルは喜びの表情のままスツールから立ち上がって店の奥へと去っていく。
彼が店内溢れる人混みの中へと消えていくのを確認し終えると、エギルとクラインは声を潜めて聞いてきた。
「おいキリト、いいのかよ。あんなこと言っちまって」
「俺達以外の皆には内緒にしてるけど······
「······ああ」
和人はゆっくりと頷いた。
クラウドのことは、信用に値する人物達にだけ真実を話している。他人には口外しない、絶対に他人には打ち明けないと予め約束させた上で真実を話した。
真実を話したと言っても、『クラウドは別世界の住人である』という、一点のことのみしか話していない。それ以上のことは彼のプライバシーの侵害へと繋がる。彼がどういう経緯でSAOに参加したのかとか、彼は一体どういう存在なのかとか、アスナ以外には話していない。
あくまでも、『別世界の住人』ということだけだ。
それ以上のことは誰にも話していない。
「未だに信じられないが、アイツの居場所が掴めない以上、すぐに納得したよ。けど、そんな信じられないことが本当にあるんだな」
「俺だってまだ信じられねぇよ。まさかアイツがそんなおとぎ話の中でしか聞いたことのない存在だったなんてよ」
二人は視線をわずかに上げ、腕を組んで困惑している。
あり得ない話に強引に納得している二人だったが、本音を言えば未だに信じることができていない。
異世界という、非現実的な物を持ち出されて理解してくれというのがそもそも無理な話だ。現代社会の概念を歪めてしまうほどスケールのでかい話なのだ。夢物語でしか聞かない話に、納得できる奴の方が少ないだろう。
彼らからしてみれば、作り話の世界の住人が現れたような感じなのだろう。予め聞かされていたとはいえ、改めてその話を思い出すと凄い話だ。
そんな彼にまた会えるなどと言った和人は笑みを浮かべ、エギルにこう訊ねる。
「だから別世界にいるアイツを呼ぶために、あの『世界の種子』が必要なんだ。その後、調子はどうなんだエギル?」
「え? ああ、すげぇもんさ。今、ミラーサーバーがおよそ五十。ダウンロード総数は十万······その中で実際に稼働している大規模サーバが三百ってとこだな」
データ化されて今ではもう思考模倣されただけの偶像となった茅場晶彦から手渡された『種子』。
その正体は、彼が開発したフルダイブ・システムによる全感覚VR環境を動かすためのプログラム・パッケージだった。
『ザ・シード』
VRゲームワールドを創るための開発支援プログラム。仮想空間を創りたいと思えば、これをダウンロードして回線の太いサーバを用意し、3Dオブジェクトを設計して配置して、プログラムを走らせればそれで一つの仮想世界が誕生する。
この種子があったことにより、危険視されていたVRゲームは生き続けることになった。
SAO事件だけでなく、今回起こったALOでの傷害略取監禁事件及び責任者の死。SAOでの未帰還者三百人の意識が拉致され、非人道的実験に供されていることが露見されたことにより、『レクト・プログレス』の主任スタッフで、『アルヴヘイム・オンライン』のプロデューサー兼ディレクターでもあった須郷伸之は即逮捕されるはずだった。
しかし。
警察が到着した頃には、須郷は脳血管疾患によって既に死亡していた。
これでは逮捕して公判しようにも死人に口なしだ。何も聞けないし、何もわからない。
真実は闇へと葬られかけたが、須郷が裏でレクトプログレスのスタッフの何人かを率いて行っていた非道な実験だけは和人と明日奈の証言で明らかになり、その会社が運営していたアルヴヘイム・オンラインは大打撃を受けた。
いや。
もはやそれだけでは収まらず、VRMMOというジャンルのゲームそのものが危険視されるようになった。
SAO事件だけでもかなりの社会不安を醸成していた。そこに更に今回の事件。今度こそ安全と銘打って展開したALOを含む全てのVRMMOが犯罪に利用される可能性があると、目されることとなってしまった。
運営中止にまで追い込まれたVRMMOだったが、茅場がキリトに託した『ザ・シード』のおかげでそれら全てを根こそぎひっくり返した。
完全権利フリーを謳うコンパクトな制御システムを預かったキリトは徹底的に検証し、いかなる危険も存在しないことを証明した。
エギルのコネクションを駆使して『ザ・シード』を全世界のサーバーにアップロードしてもらい、個人、企業に関わらず誰でも落とせるようにした。
完全解放された制御システムによって死に絶えるはずだったVRMMOを救ったのは、ALOのプレイヤーでもあったいくつかのベンチャー企業関係者だった。彼らの共同出資によって立ち上げられた会社によって、ALOの全データがレクトから引き継がれた。
消え行くはずだったアルヴヘイムは彼らの活躍によって、問題だらけだった旧ALOは再構築されることになり、今では『新生ALO』と呼ばれている。
何が変わったのか、まずグランドクエストは廃止になった。
基本的には純粋に冒険を楽しむゲームとなり、詳しく説明すれば、アルヴヘイムのベースをより北欧神話の世界観に近づけた。プレイヤーは妖精となって北欧神話の世界を冒険する······というコンセプトのゲームとなったらしい。
何にしても、これでVRゲームは消えることはなくなった。
日々新たなゲームが誕生し、そしてザ・シードが生み出す可能性によってゲームだけには留まらず、新たなカテゴリーのサーバも誕生していくことだろう。
世界は大きく、可能性は無限。
現実世界が仮想世界に置換される日も、近いかもしれない。
そこまでを聞いて、和人は声を小さくして、
「エギル······
「
「いや、そっちじゃくて······」
「?」
「······『
和人は眉を顰めてそう聞いてきた。
今まで使われていた旧SAOサーバーは完全初期化となり、廃棄された。
······そこで。
新たなALO運営者が引き継いだアーガスの開発データの中に、
それは、『二つ』ほどあった。
一つは後にわかるものだが、もう一つはアーガスも開発した覚えのない謎のデータだった。
解析した結果、それは“ある空間”へと行くための『座標』だった。
和人はそれを『ビフレスト』と名付けた。
“ビフレスト”。
北欧神話で、空の上にあると言われている神々の国『アースガルド』から地上に向かって架けられているという『虹の橋』のことだ。
神話だと『ビフレスト』は神々の国『アースガルド』と、
人間の国────『ミッドガルド』を繋いでいる。
疑問に思った和人はその座標に従って解析をユイに任せたところ、『とある世界』へと繋がっていることが判明した。
何故そんなものが存在するのか、ユイにもわからないというが、和人にとってそんなことは正直どうでも良かった。
これで······
思わぬ収穫に歓喜した和人はユイに依頼し、その座標をザ・シードの力によってサーバ化して繋げた。
エギルはそっちかという顔をしながらも、その話題を持ち出されて、どこか納得したような表情になった。
和人がなんで“また会える”なんて言ったのか、ようやく理解したからだ。
「おうよ、バッチリ繋がってるぜ。しかし、なるほどな······
「俺もさすがに予想してなかったけどな。それに、『世界の種子』がなかったら実現不可能だったろうさ。さすがは天才科学者、茅場晶彦だな。俺達が理解できないものを簡単に開発してしまうなんて」
「本人も自覚して開発したのかどうかも、怪しいけどな」
そう言われ和人はタンブラーグラスの中に入っている烏龍茶を一気に飲み干し、虚空を見つめるように空っぽになったグラスへと視線を落とす。
中央の囲い。
その中に彼は何を見るのか。
空間となったグラスの中にあるもの、それは───
「お~いキリト~! こっちこ~い!!」
少し呂律が回っていない少女の声が和人の耳に入って来る。そちらへと振り向くと、勢い良く手を左右に振ってこちらへ来るように促しているリズベットの姿があった。
彼女の手には、ピンク色の液体を湛えたグラスが握られている。
「······アイツ、酔ってるんじゃないだろうな?」
どう見てもジュースとは思えない色をしている飲み物に和人が呟くと、それを出したであろう店主は澄まし顔で、
「一パーセント以下しかないから大丈夫だ。明日は休日だしな」
「······」
あまりにも呆れたような顔で見つめる和人だが、やれやれと首を横に振ると、その辺でナンパしているクラインを無視して、肩を落としながら立ち上がって呼ばれた声へと歩いていく。
その後、公開スピーチによって疲弊している和人に更なる疲労が襲いかかった事は言うまでもない。
<><><><><>
あれからもう、八月と経っていた。
爆走。
クラウドは野原が広がる大自然の中を疾走する。
彼が乗っているのは普通のバイクではない。
フェンリル。
駆動音から内燃機関のある動力源を使用していそうではある。戦闘の時は、バイクの脇のふたが開き、何本もの剣が出てくる、いわゆる戦闘用バイクである。
普段はそれを仕事道具として乗り回しており、今回も宅配の仕事としてブンブンとエンジンを鳴らし、華麗に操縦するツンツン頭の青年。
彼はヘルメットもつけずにゴーグルだけをかけ、車が一台も走ってない獣道を進んでいた。
アクセルを回してハンドルに集中しているクラウドは宅配を終え、急いで家へと帰る。
理由はただ一つ。
チャドリーから『贈り物』が届いたという連絡が入ったのだ。
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結局、帰ってきたのは夜の十一時頃だった。
ミッドガルがメテオにより破壊された後、ミッドガルに寄り添う形でその周縁部に新しくできた街『エッヂ』。壊滅したミッドガルの廃材を多く利用してもう二年。今でも建設ラッシュが続いている。
高速道路も建設中でミッドガルとも繋がっている。植物がなく街も人の服装もモノトーンでどこか生気が感じられない。人の姿もまばらで、残業から帰ってきているサラリーマンや、深夜のジョギングを楽しんでいる大人ぐらいしかいない時間帯。
特に特徴がない高い建物によって起きるビル風によって、深い森の中のような冷気をかき回している。
そして。
そんな殺風景な街中を、クラウドはバイクで徐行しながらセブンスヘブンへと向かっていた。
店についてバイクを止めると、クラウドは疲労と睡眠不足で若干ふらふらになりながら体を引きずるように建物に入り、扉を開けた。
瞬間、部屋の奥から女性の声が飛んでくる。
「あ、おかえりクラウド!」
「ただいまティファ」
この店の店長、ティファは皿洗いをしながら帰ってきたクラウドを出迎えてくれる。
まるで実家に帰ってきた安心感。それを感じ取ったクラウドは今までの疲労感が全て吹っ飛んだ気がした。笑顔でクラウドの帰還を出迎えるティファはまさにお母さんのようであった。
クラウドはティファの笑顔を見てバーのカウンター席に座ると、彼女は皿洗いの手を止め、濡れた手をタオルで拭きながら言う。
「そういえばクラウド、もうメールで送られてきてるだろうから聞いてると思うけど、クラウドにチャドリーから贈り物が届いてるよ」
「ああ、聞いたよ。それで、その荷物は一体何なんだ?」
「これだよ」
クラウドがそう聞くと、ティファはカウンターの下にある棚から一つの小包を取り出した。長方形のパッケージでダンボールで包装された小包のため、中身が何なのかわからない。
クラウドは一先ずティファから荷物を受け取ると、ビリビリッ! ガサガサッ! と、躊躇なく目の前の小包に手をかけ、綺麗に中の何かを包む茶色の紙を無作法に破いていくと、その中に入っている何かを見るなり驚愕の表情を浮かべた。
「これは······ッ!」
その中に入っていたのは、一つのソフトとゴーグルだった。
彼が小包の中から手に取った『ALfheim Online』と表記されたそれは、通称『ALO』と呼ばれる、VRMMO型のゲームソフトだった。
ソフトのパッケージの表紙に描かれているイラストには、深い森の中から見上げる巨大な満月があった。
黄金の円盤を背景に、少年少女達が剣を携え飛翔している。格好はオーソドックスなファンタジー風の衣装だが、二人の背中からは大きな透明の翅が伸びている。
あの時、キリトやユウキ達が見せた翅と同じだ。
つまりこのソフトは、あの世界へと行くための通行証みたいなものだ。
それが何故ここにあるのか?
「それに、これは······」
そして、もう一つのゴーグル。
ALOのソフトを取り出してもなお、小包の中にはなにやら直方体の形をした箱が残されていた。
二つのリングが並んだ円冠にゴーグルを組み合わせたマシン。
『AmuSphere』と表記されているそれは、VRバトルシミュレーターに酷似しており、使用した者を仮想世界へと誘う次世代型ゲーム機だと直感的にだが理解した。
よくわからず困惑しているクラウドに、ティファが話す。
「そういえばクラウド、チャドリーから手紙を預かってるよ」
「?」
「ほらこれ」
そう言うとティファは、一枚の茶色の封筒らしきものを手渡してきた。
クラウドはティファから封筒を受け取ると、中に入っている紙を取り出した。封筒の中に入れられていた一枚の白い紙を取り出すと、その紙に書かれている文に目を通す。
【拝啓、クラウド様。八月の残暑厳しき折、いかがお過ごしでしょうか? 今回、このような形でご挨拶をさせてもらうことになって大変申し訳ございません。クラウドさんにはミッドガルのネットワークを救った英雄に対し、金品を以って報酬とするには功績が大きすぎると判断したため、この度あるものをご用意致しました。それが、『アミュスフィア』と呼ばれるVRゲーム機です。宝条が進めていたあちら側とこちら側の世界をネット空間によって繋げる実験を引き継ぎ、いつでもどこでもあの世界へと行ける機器を開発致しました。このVRゴーグルは、キリトさんとユイさんのご協力によってあちら側の世界のゲーム機を僕が再現したものであり、現段階では世界にまだ二台しかありません。時間をかけて量産させる次第ではございますが、まずはクラウドさんとティファさんに是非プレイしていただきたく、VRバトルシミュレーターの後継機であるアミュスフィアと異世界への座標のデータが入っている『ALfheim Online』のソフトを同封させていただきました。どうぞ有意義にご利用下さい。またあの世界であなたと冒険できることを楽しみにしております】
「───チャドリーより······」
何かの詐欺かな?
と思ってしまったのは被害妄想が過ぎるからだろうか。
こちら的には金品で十分なのに、わざわざゲーム機をよこすなんて、何かの嫌がらせにしか思えなかった。後で高額の料金を要求してくるんじゃないかとさえ考えてしまった。
何より長い、長すぎる。
必死に文字を追いすぎて目が痛くなるほどの長文に、クラウドは思わずため息を吐いた。
が。
それでもクラウドは悪い気はしなかった。
理由は自分でもよくわからない。もしかしたら、クラウド自身もあの世界が恋しかったのかもしれない。
ともかく、手紙の内容に目を通し終わるなり、クラウドはチャドリーから送られてきた箱を抱えて二階に上がろうとする。
「早速使ってみるの? クラウド?」
「ああ、これが本当にあの世界に繋がっているのか確かめてみたい」
チャドリーが折角用意してくれたのだ。使わないと勿体ない。
「ティファももう貰ってるのか?」
「うん。もうすぐ閉店時間だから、お店の掃除が終わったら使ってみるつもり」
「手伝うか?」
「ううん、大丈夫。先に向こうに行ってていいよクラウド」
わかった、と静かに頷くクラウド。
そうしてクラウドはアミュスフィアという機械の箱に手をかけると自室へと持っていく。
当然、この店にだってWi-Fiくらいある。
ネットに繋げて店のホームページを作成し多くの人達に客として来てもらうために、わざわざ大金を払ってパソコンや有線LANルーターなど、ネットを使うのに必要な周辺機器を買い揃えた。
クラウドは自室のドアを開けて作業用の机に荷物を置くと、梱包された銀色のゴーグルのような機械を乱雑に取り出し、説明書を読みながらベットの近くのコンセントにそのプラグを差し込み、ALOのソフトをセットした。
「後は、このワードを·····」
そしてクラウドはおもむろに銀色のゴーグルをその頭部に装着すると、そのままベットに寝転んだ。
そしてクラウドはオレンジ色のグラス越しにゆっくりと目を閉じると、再びあの世界へと意識を落とすため、説明書に描かれていた『あの世界へと行く開始コマンド』を唱える。
「リンク・スタート」
<><><><><>
不慣れな呪文を唱えた瞬間、一気にあらゆるノイズが遠ざかって視界が暗闇に包まれる。
そして。
真っ白な空間に放り出されたと思ったら、奥から『虹色のリング』がいくつも押し寄せてくる。それらがクラウドの体を通過すると、彼の意識はデシタルデータで構築されたアバターへと転送された。
よって、クラウドの体は自然豊かなあのALOに飛ばされた。
「?」
仮想世界へと意識をダイブしたクラウドはその目をゆっくり開け、辺りを見回した。
知らない景色だった。
ALOの中ではあるのだろう。あの時の世界は既に月夜に照らされており、クラウドは見知らぬ丘の上に立っていた。
「······ここは」
戻ってきたのか、それともALOとは別のところに来たのか、情報不足のため未だに自信が持てなくて全くわからなかった。アルヴヘイムの世界をあまり見て回らなかったのもあり、見慣れない景色に不安になる。
冷たい風が頬を撫で、後ろに生えている茂みも風に揺られているところに、
「案外、早く来たな」
「!」
クラウドは人の気配を感じ取り、すぐさま振り向くと、そこには“あの少年”がいた。
背後の野原に降り立った少年は半透明な翅を仕舞うと、ニッと笑いかけてくる。
「待ってたぜ、クラウド」
「······キリト」
ここ、アルヴヘイムは妖精の種族的特徴は付加されたものの基本的には現実の姿に限りなく近い外見を持っている。
SAO時代、外見を現実の姿に戻された時のように。
だから、目の前にいる少年がたとえALOで使っていたアバターから姿を変えたとしてもすぐにわかった。
新しいアカウントで、新しいアバター。
全てのステータスを初期化したことで、あの頃のキリトはもういない。
それは、クラウドも同じだった。
「
「? 見た目?」
全然変わってないならそう言うはず。なのにキリトは曖昧な言い方でそう言った。その事にいまいちよくわかってないクラウドは首を傾げる。
自分の姿に気付いてないのか? とキリトまで首を傾げると、メインメニューウィンドウを開いて、アイテム欄のボタンを押して指をスライドさせてページを進めていくと、とあるアイテムを選択してオブジェクト化させる。
それは手鏡だった。
あの時、赤いローブを着込んだ茅場晶彦に渡されたのと同じ。
これが何だ、と思う前にキリトは見てみなという顔でニヤニヤと笑っている。
クラウドは鏡を受け取ると、反射する自分の顔を覗き込む。
「!?」
それを見て目を見開く。
自分の耳が、
それだけじゃない、
全体的にはあのソルジャー服を着込んでいてあまり変わってないが、その上に赤いマントを着ていた。マントの先は燃やされたかのように破れていて、ボロボロだった。手袋も変化しており、左手の手袋には爪先に金色に輝く鉤爪のようなものが付けられている。
なんか、誰かさんを彷彿とさせるような格好だ。銃使いで汚れ仕事を請け負っていた彼のトレードマークであるマントを身に付けているみたいで、落ち着かない。
瞳も、ライフストリームのようにより碧色が強調されている。
背中には何やら大剣を背負っているようだが、それはバスターソードではない。
自分もメインメニューウィンドウを開いて装備一覧を確認したところ、その武器は『アイアンブレード』というらしい。
厳選された鉄鉱石から製錬された鉄製の大剣という設定のようだ。
正直、武器に関してはどうでもよろしい。
姿が変わっていることに驚いているクラウドに、キリトはこう話しだす。
「普通はALOに限らずVRMMOを始める時はアバター設定とかチュートリアルがあるはずなんだけど、悪いな。チャドリーに頼んでクラウドとティファのアバターにだけは、それはナシにさせてもらった」
「······なに?」
「······『ミッドガル』」
「!」
その名前がキリトから出てきたことに驚愕するクラウド。確かに異世界からやって来たと話したが、街の名前は言ってなかったはずだ。具体的な所は省いて淡々と説明したのだから。
キリトは説明を続ける。
自分達の世界の常識を教え込むように。
「俺達の世界じゃ、それは北欧神話に出てくる『人間の国』のことなんだけど、ちょっと名前が違うな」
「違う?」
「俺達の世界では、『ミッドガルド』と呼んでいる。俺の仮説だけど、クラウドがあの時人間体だったのは、クラウドが人間の国からやって来たっていう設定だったからだと思っている。旧ソードアート・オンラインのキャラクターデータがそのまま引き継がれたこともあるだろうけど、北欧神話がモチーフにされたこの世界ではクラウドはそういう役割を担ってたんだと思う」
無茶苦茶な話だ。
それで納得しろというのか。
「意味がわからないな」
「何言ってんだよ、そもそもお前自体俺達からしたら意味不明な存在なんだからな? 異世界の住人だなんて、普通信じられないぜ?」
「ま······確かにな」
「けど、そういう設定だったから人間の姿だったっていう方が、なんかファンタジーチックで面白くないか?」
クラウドは面倒くさそうにため息をつく。
首を横に振って馬鹿馬鹿しくて呆れるというかのように両腕の肘関節部分を曲げて、
「興味ないね」
「久しぶりに聞いたな、その口癖」
もはや彼にとっての一種のシンボルとなってしまっているその台詞を聞いて、キリトは思わず笑ってしまった。
「ま、そんな理屈は置いておいて。クラウド達は別世界から来たわけだろ? それで人間の姿のままだったら他の奴らに知られる危険性があるわけだからさ、チャドリーに頼んでそっちの世界でもアカウントを作成する場合はアバターデータを妖精姿になるように設定してもらったんだ」
「身バレ防止だけじゃなく······秩序を保つために、この世界に沿った姿になったわけか」
「そういうこと」
彼らはそもそも、自分たちが住む現実の世界以外に他の世界が存在することを知らない。知るべきではない。
異世界なんていう人々の常識を覆す情報が知れ渡ることで、世界秩序が乱れるのを防ぐために、こっちに訪れる際には別の世界から来たことをキリト達の世界の住人に気づかれないように、その仮想世界の世界観に合わせた姿になってもらうことが、個人情報だけでなく、世界の秩序を守ることに繋がる。
だから今回は人間の姿ではない。
「とはいえ人間の姿のVRゲームも存在するから、他のゲームにコンバートしたらまたその世界の雰囲気に合わせた姿になる。だから人間が出てくるゲームにそのアバターを移動させてしまえば人間の姿になってしまうわけだけど、世界観に合ってるわけだから身バレする心配はないだろ?」
「ああ」
「それにクラウド達の世界にはまだALOしかないし、それもクラウドとティファしか持ってない。いずれチャドリーは量産する予定らしいけど、まだどうなるかわからないからな。クラウド達にはβテスターとして、このゲームに参加してもらった」
「······そうか」
「そして───」
「?」
キリトは一拍置くと、自分の右拳を緩く握りしめて、
「クラウドとは、対等な立場でゲームをしたいからな。あの時はクラウドは『ナーヴギア』じゃなかったから死ぬ心配もなかった。何より、お前にはソルジャーとしての身体能力とチート並の武器に技があったからな。だから本気を出してなかったはずだ、最後のアイツの時以外は」
「······ああ」
「だから今回はステータスも武器も初期化して、俺達の世界の秩序に合わせた数値から始めてもらうことにしたんだ。クラウド、お前とは一度本気で剣を合わせてみたかったからな」
強い意志の籠った声で、きっぱりと告げる。
ある意味で、剣の業界の先輩たるクラウドに対して。
「キリト······」
クラウドは何かを言おうとして、しかし呑み込んだ。
彼はキリトと違い、プロの剣士だ。『ゲームでは済まない世界』をキリトよりも深く知る人物だ。その彼が言い淀むほど、キリトの口調からは確固たる決意があった。
そこまで言って、キリトは再び視線をクラウドに向ける。
「だから悪いな、勝手にアバターを設定しちゃって」
「別に気にしてない。髪色もそんなに変わってないしな」
ステータス値がわかるメニューを見れば、クラウドの種族は『シルフ』となっていた。リーファと同じ種族で、確か飛行速度と聴力に長けて風属性魔法が得意という設定だったはずだ。
よく見れば、クラウドの髪は緑がかった金髪だった。
種族がシルフなら、装備も緑がかった服装になるはずなのだが、そこはAIがランダムで生成してるからなんとも言えない、とキリトが言ってきた。
「まあ、別にシルフだから緑色の装備を着ないといけないなんて決まりはないからな。クラウドの髪色で何の種族なのか一応判別はできるよ」
「······俺がシルフなら、ティファは───」
「うん、俺と同じスプリガン」
スプリガンは黒味がかった容姿を持っており、綺麗な黒髪を持つ彼女にはピッタリだった。
戦闘面においては他種族より抜き出ているところがないため、あまり人気のない妖精らしいが、世界の秩序に合わせたらティファはスプリガンが妥当だと思われる。
どんな姿なのか、これからやって来る予定なので少し楽しみではある。
しかし、
「髪色で種族を決めるというのはどうなんだ?」
「なんか、クラウドとティファが他の髪色になるなんて想像できなくてさ。それっぽい種族をこっちで選んでみたんだ」
事実、キリトもそういう理由でスプリガンを選んだ身なわけで。そこは彼の性格と性質による価値観で決めたのだろう。
ま、クラウドもティファも恐らくその事に関しては気にしてないだろう。
種族が選べなかったのは少々残念ではあるが、こっちの世界で正式にサービスが開始された時にまた別のアカウントでも作れば良い。
どちらにしても、またキリト達の世界に来れた。
それだけで充分だった。
「さらに、
「?」
急に言われたその台詞の意味がわからず、クラウドは首を傾げる。すると彼はいたずらっ子みたいに笑ってウィンクをすると、クラウドの斜め後ろを指差した。
そこにあるのは夜空だけだと思うが、クラウドは疑問に思いながら振り向いて空を見上げた。
すると、
ゴーン! ゴーン!! と。
重々しい鐘の音が響き渡った。
それと同時に。
月明かりに照らされていたアルヴヘイムに、『一つの影』が落とされた。月蝕、に近い現象に目を細めていると、月の中に何か巨大なものが侵食しているのが見えた。
円形ではない、三角形の楔がどんどん月明かりを呑み込んでいく。
そして。
そして。
影は月明かりを完全に遮り、しかし奥から降り注ぐ月光によって、その三角形の影の輪郭を浮き彫りにさせる。
円錐形の物体。
その巨大な黒い影にクラウドは眉を顰める。もっとその姿を見ようと目を擦り、再び視界に影を捉える。
その時だった。
月明かりとは違う、全く別の光がアルヴヘイム全体を包み込む。
光が広がる。
世界を覆う。
輝きに思わず目をやられたクラウドは一瞬目を閉じてしまった。フォーカスの遠近が揺らぎ、元に戻って景色の輪郭が浮き上がってくると、それは『でっかい城』だった。
いくつもの薄い層を積み重ねて作られているのか、光はその層と層の間から洩れ、城の先端から先端まで眩く光を放っている。
そこでようやく気付いた。
何階層も積み重ねて建てられた、鋼鉄の城。
その城に見覚えのあるクラウドが戸惑っていると、キリトが隣までやって来て告げる。
「そう、“アレ”がオマケだ。俺達がかつて立っていたSAOの象徴······『浮遊城アインクラッド』だ!!」
そう言うキリトにクラウドは驚愕する。
あり得ない。
あの世界は消えたはずだ。
夜空に浮かぶアインクラッドはアルヴヘイムの空の一部へと化し、世界樹の上部の枝と隣接する形で浮遊している。
アレがここにあるということは、つまり············
「·····また登れ、と?」
「ああ、決着をつけるんだ。前は七十五層で終わったからな」
少年は大きく頷いた。
そしてまたクラウドを見る。
「クラウド」
「?」
「俺、弱くなっちまったからさ······力を貸してくれないか?」
「······」
言葉は必要なかった。
クラウドは静かに目を閉じ背中に意識を集中させる。肩甲骨の少し上の付近から半透明でコウモリ模様の翅が現れ、それを見たキリトも翅を広げる。
そして、クラウドは口を覆い隠していたマントを捲ると、フッと笑い、
「俺は安くないぞ、キリト」
「金いんのかよ······出世払いな。ツケとけ!!」
<><><><><>
アルヴヘイムとアインクラッドに光が戻ってきた。
それに合わせて、今まで世界中に散り散りになっていたプレイヤー達も再び集まってくる。
あの絶望はどこにもない。
死を恐れるべき場所と呼ばれた浮遊城だが、それでも、仮想空間の象徴とも呼べるあの城に魅力を感じ、どうしても捨てられなかった人達がまた挑もうと帰ってきたのだ。
「おーい!! 遅ぇぞキリト! クラウド!!」
「おーい! そこの男子二人! 置いてくわよー!」
「一緒に行きましょう! キリトさん! クラウドさん!!」
「待ってたぜクラウド!!」
「全く······いつまでたっても世話が焼けるナ。クラウドとキー坊にハ」
浮遊城アインクラッドがある方角に向けて飛んでいくと、そこにはクラウドのよく知る仲間たちが夜空に輝く星のように、妖精の双翼の鱗粉を広げながら飛んで来ていた。
赤い髪を黄色と黒のバンダナを巻いて、どこか通常よりも長い刀を腰に差したサラマンダー、クライン。
その隣にはレプラコーンのリズベット。
猫のような耳と尻尾を伸ばして、腰に短剣を差して肩に小さなドラゴンを乗せているシリカ。
巨大なバトルアックスを背負った屈強な男のエギル。
それはネズミ意識してなのか、少し小汚ない格好を敢えてしている情報屋兼何でも屋クラウドの仲介人であったアルゴ。
さらに。
「「クラウド!!」」
「「クラウドさん!!」」
あの時、ALOに迷い込んでしまって一緒に冒険してきた者達までこちらへやって来ていた。
スプリガンの黒髪のロングストレートに、上下に黒い装備を着込んで拳に格闘用グローブを着けて翅を広げているティファ。
ティファと同じく長く伸びたストレートの髪はインプを象徴とするパープルブラックに、黒曜石の装備を身に付けているユウキ。
クラウドと違ってシルフらしい緑色の服装に身を包んだ長刀使いのリーファ。
そして。
白銀のレイピアを腰に吊り下げ、肩に小さなナビゲーション・ピクシーを乗せた青髪ウンディーネのアスナ。
全員が集まった。
皆の前まで飛んできたクラウドの前に、キリトが先に出て身を翻し、彼の前に手を差し伸べる。
「さ、行こうぜクラウド!」
二つの世界。
アインクラッドとアルヴヘイム。
そして。
キリトとクラウドの世界。
双方の世界に激震が走る。
各々の世界から集まった者達は、すでにこの先を見据えている。
だから、彼はその手を取る。
とても楽しそうに。
手に取って、覚悟を決めたように笑みを浮かべて皆の目を見て告げる。
「よし、行こうよ、みんな!!」
「「「「「「「「「「ダァァァアアアアアアッッッ!!???」」」」」」」」」」
その言葉に皆が前へとずっこけた。空を飛んでいる状態でその動作は危険だと思うが、全員が揃いも揃って同じ動きをしたことにクラウドはよくわかっていない表情をする。
そこでクラインがツッコミを入れてくる。
「やめてくれよ、その気の抜けた言い方! お前らしくないぞ!!」
「?」
「『行くぜ!!』くらい言えねぇのかよ!?」
その言葉に頭を掻いたクラウド。
そして気を取り直して、再びクラウドは全員に告げる。
躊躇なく挑みかかるように、
「行くぜ!!」
全員が頷き、勢いよく顔を上げた。
大冒険はまだ終わらない。
世界の垣根を超えて集結した彼らを止められるものは何もない。
世界は広い。
誰も予想できない。
だから彼らはその翅を広げて、まだ見ぬ世界を求めて旅立っていった。
今度こそ、あの世界をクリアするために。
<><><><><>
VRMMOは、本来の機能を取り戻した。
しかしそれでも全ての驚異が去ったわけではない。
かつん、と。
硬い足音が響いたのは今回追加された鋼鉄の城の最上層。
想定されていたフロアボス、ではない。最後のボスは少なくともそんな小さな足音では収まらないほどデカイ存在だったからだ。
しかし。
ある意味では、それは本来のボスよりも大きな存在だった。
『·····フッ』
顔を出したのは銀髪の怪物。
ノイズまみれのアバターで不安定な存在ながらも確かに奴はそこに存在している。
空気が変わる。
主導権を奪った、そんな感じな雰囲気が漂っている。
広々とした空間の奥に用意された、縦軸に置かれた玉座。
最上級の玉座に腰を下ろすと、怪物は足を組んで頬杖をつく。
あまりにも場違いな存在に誰も気付くことなく、奴は我が物顔で笑みを消さずに城のてっぺんの階層で静かに目を閉じる。
まるで眠りにつくように。
『······私は、思い出にはならない』
一向に口調を変えず、笑いながら奴はこう告げた。
『私を倒せなかった時点で、お前が行き着く先にあるのは絶望しかないぞ。クラウド』