二◯二五年一二月一四日一九時四五分。
東京都文京区湯島、某アパート。
「んぅ·······」
意識が戻り、ゆっくりと瞼を開くと見慣れた自宅の天井が広がっている。
第三回BoBは『ライトニング』というプレイヤーが優勝する結果で幕を閉じた。しかし、その方法が異例だった。
なんと、一対一の状態だったというのに、ヴィンセントというプレイヤーが自決して自ら脱落したのだ。
ライトニングという相手が自分よりも格上だと判断したから降参という形で自害したのか、それとも単に優勝に興味がなかったのか、なんにせよ、自ら棄権したのは変わらない
上体を起こし、アミュスフィアを外して、シノンから詩乃へと戻った彼女は自分の部屋を見渡す。
キリコが言っていた事が本当ならもうここに死銃の共犯者はいないハズ·······。
念のために、詩乃は部屋中を探し回る。
1DKの部屋に人一人が隠れるスペースなどなく、予想通りトイレやバス、クローゼットの中には誰もいなかった。
「·······はぁ」
途端に緊張が切れた詩乃は胸を下ろし、ベッドに腰を下ろす。
そして、自分の方から明かした人殺しの件について話したヴィンセントのことを思い出しながら、詩乃はボスンという音を立てながらベッドに倒れる。
(気を許しすぎたかも·······)
初めて会ったにも関わらず、彼は自分のことを理解してくれた。詩乃は目を隠すように腕を目蓋に当てて、深いため息をつく。
なんで、あの時の事件のことをアイツに話してしまったのだろう。何故、アイツになら話しても平気だと思ってしまったのだろう。
詩乃は何故かアイツの顔を思い出すと、表情が歪む。
喜怒哀楽のどれでもない、自分でも知り得ない感情が自分の心を鷲掴みしているかのようだった。
詩乃は先程までつけていたアミュスフィアを手に待ち、寝転んだまんま上へと持ち上げる。
自分は先程まで、命を懸けた戦いをしていたのだ。VRMMO内で行われていた殺人事件、そこに自分もいたと思うと恐怖で体が少しだけ震えた。
しかし。
その恐怖心を打ち消した“者”が、今回の大会に参加していた。
詩乃はまたはぁ、とため息をついてアミュスフィアをベッドの横に放り投げるように置いた。
事件は終わったんだ。
もう気にすることではないだろう。
そう、思った瞬間だった。
玄関からインターフォンが鳴った。
このような状況で応対するか悩んだが、鍵さえかけていれば中には入ってこれない。玄関まで行き、インターフォンを鳴らした主を扉に備えられたレンズで確認する。
「朝田さん、僕だよ?」
(新川君!?)
自分の知っている友人だと気づくとすぐに鍵を開け、扉を開いた。そこにはいつも服装に、手には某菓子屋のケーキを携えている。
「優勝、できなくて残念だったね朝田さん。これ、せめて慰めにでもなれば良いかなと思ってケーキ買ってきたんだ·······一緒に食べない?」
「ず、随分早いね·······まぁ、けどありがとう! じゃあ、中に入って」
恭二は、お邪魔しますと言って詩乃の部屋に足を踏み入れる。
自室に招き入れ、恭二をテーブルに座らせる間に詩乃はキッチンでコーヒーの用意を手早く済ませた。
「ありがとう」
「ううん·······私の方こそ、わざわざお祝いに来てもらって嬉しいわ·······結局優勝できなかったけどね」
「それでも、シノンのあの活躍ぶりには驚いたよ。生中継されている中、僕は凄く興奮してた。これなら優勝も確実にできる、と思ってケーキを買って来たんだけど·······やっぱり、大規模な大会だと生き残るのは難しいよね」
「あはは·······けどまあ、良いところまで行けたから自分的には満足、かな?」
コーヒーを一口含み、苦笑いしながら恭二は部屋を見渡した。
手入れの行き届いた部屋は物が少ない事も相まって清潔感に溢れている。
そんな様子を恥ずかしながら詩乃が言った。
「もう! あんまり女の子の部屋をジロジロ見るものじゃないわよ」
「ご、ごめん!? でも、いつ来ても綺麗に片付いてるよね」
「今日はたまたまよ。それに物が少ないからそう見えるんじゃない?」
「そっか·······それにしても本当に凄かったよ! あの闇風を倒しちゃうなんて!!」
闇風は前回のBoBで準優勝しているベテランのプロプレイヤーだ。
"ランガン”という闇風独自のプレイスタイルは他の追随を払い除け、上位に居座っている程で、一部では闇風に憧れてGGOを始めるプレイヤーもいるくらいだ。
「それは運が良かっただけ。私一人じゃ倒せなかったわ」
「·······」
「“アイツ”がいなかったら私は闇風にすら太刀打ちできなかった。自信が持てなくて、手が震えてたもの」
ヴィンセントの言葉を思い出す詩乃。
『お前は人殺しなんかじゃない、人を救ったんだ』
「·······」
『それでも、お前がそこにいた人たちを助けたっていうのには変わりはないだろう』
ヴィンセントの言葉が頭の中を反芻すると、詩乃はわずかに口角を上げる。
ヴィンセントの作戦通り、キリコとシノンは闇風と戦った。
キリコが囮となって闇風の注意を引き連れたおかげでシノンは安心して闇風の脳天を貫く事が出来た。功績の殆どはキリコによるものだし、シノン自身もそれを良しとしていない。
次対戦する時は一人でも倒してみせるとヴィンセントの前で公言した程だ。
「今回のBoBはいろいろあったけど·······私は変われたような気がするの。弱い自分から·······
「·······」
それを聞いた恭二は、その顔から笑みが薄れ、かわりに切羽詰まったような表情を浮かべ、それを見た詩乃は瞬きして首を傾げる。
「あの·······朝田さん」
「な、なに?」
「中継で、砂漠の·······洞窟の中が映ってたんだけど」
その言葉と顔つきで、詩乃は彼がすぐに何を言いたいのか察した。あの洞窟内で起きたことを思い出し、顔から火が出るくらいに真っ赤に染まっていく。
「あ·······あの、あれは·······ッ!!」
大会のことと殺人事件のことについて集中してしまっていたために今まで忘れていたが、岩壁に寄りかかって座るヴィンセントの膝の上に頭を乗せて、弱音を吐いてしまったことを思い出した。
よくよく考えたら、大会は生中継されていて、そのシーンを恭二に見られてしまったらしい。
その事を思い出した詩乃は顔を赤くし、俯いてしまった。
それを見た恭二は声のトーンを低くして、
「あれは·······アイツに脅されたんだよね? 何か弱みを握られて、仕方なくあんなことをしたんだよね?」
「·······え?」
恭二の予想外のその言葉に、詩乃は目を丸くした。
すると恭二は、両目が鋭くなり、中腰になって身を乗り出してきた。
彼は唇を震わせながら、まるで不安でいっぱいの声で、詩乃に話しかけてくる。
「脅迫されて、自分の膝に寝転ばなければ撃ち殺すとか、そんなことを言われたんだよね? だってアイツ、朝田さんの腕を掴んでたじゃないか。まるで、逃がさないようにさ」
「いや·······あれはッ!!」
「それで仕方なく、朝田さんはアイツの指示通りに膝に寝転がったり抱きつかせたりしたんだよね。そうでなきゃ、朝田さんはあんな真似しないよね?」
「あ、あれは·······」
詩乃は何て言ったら良いのか頭の中で言葉を探しながら、手の指をいじる。
そしてしばらくすると顔を上げて、恭二に乾いた笑みを浮かべながら言った。
「別に、脅迫とかされてないよ。あれはただ·······私が間違った行動をしないように止めてくれただけなの。私が無謀な行動を取ろうとして、それで私のことを心配してくれて止めてくれたの」
「·······」
「それに、アイツ·······別に悪い人じゃなかったよ? アイツの側にいると、なんだか安心しちゃって、それで子供みたいに泣いちゃってさ」
笑っちゃうよね、と詩乃はあははと笑って誤魔化したが、恭二は無言のままだった。
「私の心が弱かったから、だから寄り添ってくれたの。静かに、優しく、さ」
その言葉を聞いた途端、恭二は唐突にテーブルを両手でバン!! と叩き、詩乃に向かって大きな声で訴える。
「朝田さんは·······シノンは弱くなんかないよ!! いつも冷静でどんな時も果敢に立ち向かっていくじゃないか!! シノンは一人でも十分に強いし、アイツらよりシノンの方が凄いよ!!」
「新川·······君?」
「大体アイツらはシノンの邪魔しかしてないじゃないか! シノン一人ならあんな局面容易く乗り越えられるのに、それをアイツらがいるせいで狂って·······ッ!!」
違う、そうじゃない········。
自分一人では絶対に乗り越えられなかった。
死銃に殺されそうになった時、自分は死を悟っていたのだから。
ヴィンセントに助けられてからも泣いて、喚いて、罵って·······ヴィンセントとキリコとライトニングに迷惑しかかけられなかった。
それでもヴィンセントは見捨てはしなかった。そんな自分をヴィンセントは守ろうと戦ってくれた。
自分一人の力なんてたかが知れている。弱っていた自分の心に寄り添い、理解してくれたヴィンセントには感謝すらしている。
感謝を述べたいのはむしろ私の方だ。
ヴィンセントの生き様が自分に勇気を与え、過去と向き合う覚悟を授けてくれたのだから。
「私は弱いよ? 新川君。でも、今回の件で私は強くなれた気がするの。もう逃げ道を探したりしないで前に歩ける気がするの。だから、アイツの·······あの人の事を悪く言うのは、やめて?」
「········」
黙ってしまった恭二を前に詩乃も重い空気が流れる。
恭二はヴィンセント達と出会う前から大切な友人の一人だ。詩乃が東京の高校に通い始めて最初に声をかけた恭二はいつも相談に乗ってくれる上、どんな時でも支えてくれる親友だ。
だが、例え親友でもヴィンセントを悪く言う事はさすがに見過ごせない。キリコとライトニングもだ。
彼らも短い時間だが、恭二と同じぐらい信頼を持っている。心強い仲間だと、詩乃は感じていた。
「ほ、ほら! け、ケーキ食べましょ?」
「·······」
箱を開けようと詩乃がテーブルに手を伸ばした瞬間、詩乃の腕を恭二が掴みかかった。
一瞬、頬を赤くしたがだんだんと力を入れ始め、腕に痛みが生じる。
「新川、君?」
「·······」
「ちょっと、痛いわ·······離して────ッ!!」
自分の腕を離すように恭二に言うが、彼の耳には届かず、むしろ握る手を更に強める。
「朝田さんは僕のものだ」
小声だったが、恭二はなんどもその言葉を同じように繰り返す。
「朝田さんは僕のものだ朝田さんは僕のものだ朝田さんは僕のものだ、朝田さんは·······ッ!!」
「ッ!?」
小声で呟き続ける恭二の腕を詩乃は振り払おうとするが、予想も出来ない程の握力でそれが叶わない。
すると、恭二は掴んだ腕で強引に詩乃をベッドの壁際に追い込み、態勢を崩した詩乃の体の上に跨った。
「·······そんな事言わないでよ朝田さん。朝田さんは強くなきゃいけないんだ。僕が憧れた朝田さんは、誰よりも強くなきゃいけないんだ。僕の、僕だけの朝田さんを苦しめる奴らは許せないんだよ」
「し、新川、君·······?」
恭二の表情は詩乃の知っているものではなかった。
焦点が定まっておらず、不気味な笑みを浮かべ、詩乃を物のように見下している。
その姿に詩乃は恐怖した。
今まで見た事がない恭二を前に詩乃は振り払う事も抵抗する事も出来ない。
「や、やめてッ!!」
「駄目だよ朝田さん。朝田さんは僕を裏切っちゃ駄目だ。僕だけが、僕だけが朝田さんを守ってあげられるのに、他の男なんか見ちゃ駄目だよ」
「や、やめてってばッ!!」
抵抗する力を強めてなんとか振り払おうとするも、恭二の力は強く、もはや逃れようもなかった。
ここでようやく詩乃は気付く。
自分の中から沸き上がってくる、恐怖というものを。
すると恭二は詩乃を押さえつけたまま、ミリタリージャケットの前ポケットに右手を差し込み、何かを取り出して詩乃の腰辺りに当てた。
「動いちゃ駄目だよ朝田さん。動いたらこれを朝田さんに射さなきゃいけなくなる」
「な、なに·······それ?」
「僕の家が病院だってことは知ってるだろ? これは無針注射器でね·······中には“サクシニルコリン”っていう筋肉を動けなくする薬が入ってる。
その言葉を聞いた詩乃はヴィンセント達が言っていた事が当たっていた事に気づき、同時にその共犯者が目の前にいる恭二だという事に驚愕した。
「アナタが·······もう一人の·······死銃!?」
「さすが朝田さんだね。よくそこまでたどり着いたよ·······と言ってもゼクシードと薄塩たらこは
「ッ!?」
ゆっくりと服の下に手を這わせ、詩乃の肌を撫でながら恭二は不敵な笑みを浮かべている。
「朝田さん·······僕、知ってるんだよ? 昔、朝田さんが拳銃で人を殺した事」
「ッ!?」
「それを知った時、僕がどんな想いを抱いたか分かるかい? すぐ近くに本物の人間を殺した人間がいる···その時の感触や、どんな想いで引き金を引いたのとか色々聞きたかったんだ。そんな事、普通は出来ないよ。みんな、先の事ばかり考えて行動してさ···でも、朝田さんは違う。殺した後の事なんて考えない。今を生きる強さを秘めているんだ。それがどれだけ凄い事か! だから、僕は朝田さんを好きになったんだよ? 人を殺すなんて中々体験出来ないからねッ!!」
狂っている。
そう感じるのに時間はかからなかった。
今まで恭二と過ごしてきた時間が次々と黒く塗り潰されていく。恭二は詩乃を見てはいなかったのだ。
見ていたのは人を殺した体験だけ。それさえあれば誰でもよかったのだ。その経験に恭二は惹かれ、憧れているのだから。
恭二の詩乃に対する恋慕は歪だった。
朝田詩乃という人間に好意を抱いた訳ではなく、本物の拳銃で人を殺した朝田詩乃による憧れからの好意。
それを恭二は恋だと錯覚し、度々見え隠れしていた狂気を膨張させていったのだ。
そう気づくと、詩乃にはもう恭二は恐怖しか与えてくれない。手足は痺れ、力が入らずに抵抗も出来ない。
「大丈夫だよ朝田さん、怖がらなくても。これから僕たちは一つになるんだ。僕達が出会った時からずっと貯めていたものを、今朝田さんにあげる。そうっと注射するからさ、何にも痛いことなんてないよ。心配しなくていい、僕に全部任せればいいんだ」
何を言っているのか、詩乃には全く理解できなかった。めちゃくちゃにした文章を読まされているような感覚で、頭に何も入ってこない。
とにかく自分は今危険な目に遭っているということしか頭にない。
「まだ、間に合うよ·······や、やめてよ。こんなこと。まだやり直せるよ、高認試験を受けて、立派なお医者さんに、なるんでしょ·······ッ!?」
「コウニン·······イシャ·······?」
恭二は人形のようにギギギッ! という感じで首を傾げ、ああと何かを思い出したように、右手で詩乃を押さえたまま左手をジャケットのポケットに差し込む。
そこから出てきたのは、A4サイズくらいの紙切れだった。
それを詩乃の眼前に押し付けて見せる。
それは模擬試験の成績票だった。だがしかし、そこに書かれている数字はどれも悲惨なもので、とてもじゃないが医者になれるような偏差値ではなかった。
「し、新川君·······これ」
「笑っちゃうよね、こんな偏差値で。こんなんで立派な医者になれると思う?」
「で、でも·······ご両親は········」
そんな悲惨な成績票を見せられてよくもまあご両親はゲームをすることを許してくれているものだ、とでも言いたげに恭二は口元を三日月のように笑ってみせた。
「こんな成績で、ゲームなんて許してくれるはずもないだろ。親にはアミュスフィアで遠隔指導受けてあるって言ってあるからさ、だから僕もGGOをやれたんだ。さすがに接続料までは払ってくれなかったけど、それくらいゲームで、ゲームで稼げた·······のに!!」
笑みが消えていく恭二は、奥歯を噛み締め、まるで苦虫を噛み潰したように、
「もう、こんな下らない現実なんて·······どうでも良いんだ。親も、学校の奴らも·······どうしようもないほど馬鹿ばっかりだ! GGOで最強になれれば、それで僕は満足だった。そうなれた········《シュピーゲル》ならそうなれたはずなのに·······ッ!!」
押し当てられている注射器がぶるぶると震えるのが伝わってくる。詩乃はそれで彼が間違って押してしまわないか、心臓の鼓動が早まった気がした。
「なのに·········あのゼクシードの屑が·······AGI最強だなんて嘘を·······あの卑怯者のせいで、シュピーゲルはM16もろくに装備出来ないんだ·······畜生、畜生·······ッ!!」
詩乃はその時理解した、何故恭二がゼクシードを殺したのかを。
勝つことすら出来ず、ずっと負け続けてリアルマネーが獲得できなくなったのだ。故に、恭二はゼクシードを恨み、最初の犠牲者として彼を殺したのだ。
「今じゃ接続料すらも稼げない·······GGOは、僕の全てだったのに·······現実を全て犠牲にしたのに·······ッ!!」
「だから、だからゼクシードを殺したって言うの!?」
たかだかそんなことで、と詩乃は思うが、GGOが全てだった彼にとって、ゲームが出来なくなるというのはとてつもないほどの苦痛だった。
すると恭二は、一瞬ギュッと瞬きすると、不敵な笑みを浮かべた。
「そうだよ朝田さん·······『死銃』で今度こそGGO·······いや、全てのVRMMOで最強の伝説を作るための生贄に、アイツほど相応しい奴はいないだろう? ゼクシードとたらこ、それに今回の大会で殺したペイルライダーにギャレットッ!! これでもうどんな馬鹿なプレイヤーでも、死銃の力は本物だと気付いたはずだ。最強、僕こそが、最強なんだ·······ッ!!」
ゲラゲラと笑う恭二は抑えがたい衝動に駆られながらも、鋭い目付きで詩乃を見る。
「これでもうこんな下らない現実には用はないよ」
息がかかるほど顔を近づけて、
「さあ朝田さん、一緒に『次』に行こう」
恭二の言う『次』、そこにはおそらく恐ろしい意味が含まれているに違いない。
詩乃は首を横に振って、恭二の良心になんとか訴えかける。
「だめだよ·······ま、まだ引き返せる。君はまだやり直せる·······だから私と、一緒に警察に·······ッ!!」
「もういいよ」
「!?」
「もういいんだよ、現実なんて。さあ、僕と一つになろう朝田さん」
もうダメだ。
そう思うように詩乃は目をギュッと瞑った。
(ゴメンね·······ヴィンセント。せっかく助けてもらったのに·······ッ!!)
自分にこの先の未来はない。あるのは全ての現実から解放された自由という名の地獄だ。
それでも、謝らざるにはを得なかった。
死銃から命を救ってもらい、生きる意味さえ授けてくれたヴィンセントに·······何も返せない事を。
<><><><><>
────────苦しいのか?
(·······誰·······?)
────────哀しいのか?
『誰·······なの·······?』
心に直接語りかける声を懸命に探す。折れかかった心を支えてくれるような優しい声はどこから聞こえるのだろうか。
氷で覆われ、凍てつく闇の世界で蹲っている詩乃はどうする事も出来ない。
すると、肩に暖かい感触が詩乃の氷を徐々に溶かしていった。
振り返れば、見慣れた『黒髪の赤マントを羽織った男性』がそこにいた。肩に置かれたガントレットが固まったいる詩乃の硬直を解く。
『ヴィンセント·······ッ!?』
────────そう思えるなら、お前は化け物じゃない。
『でも·······私は·······』
────────何度も言わせるな、お前は人殺しじゃない、人を救ったんだ。
『·······けど』
────────お前ならきっと出来る、それでもまだ迷っているならば·······
『·······』
────────せめて最後くらい、銃口に向かって死んで見せろ。
『·······ッ!!』
そう言ってヴィンセントは腰のホルスターからクイックシルバーを取り出し、詩乃に銃口を向けた。
と思ったらその次の瞬間には拳銃を逆手に持ち変え、グリップを詩乃の方向へと向ける。まるで掴み取れと言わんばかりに詩乃に差し出してみせた。
彼女の目の色が変わった。金縛りに似た感覚はここで解けた。接着剤で固めた紐を指で折って再び柔軟性を取り戻したように、
そして、
詩乃は闇の底から這い上がるように底を蹴り、ヴィンセントが手に持っているクイックシルバーへ手を伸ばす。
彼は微笑み、銃を手にした彼女は、スライドを引いて銃口を暗い闇へと向けて。
バン! と。
一発、たった一発だけを撃って。
自分の殻を撃ち砕いてみせた。
<><><><><>
「ッ!!」
正気を取り戻した彼女は、恐怖を克服し、今なお掴んでいる恭二の頭に、ベッドの上に置いてあったアミュスフィアを手に取ると、ゴッ! という鈍い音と共に顔が横にずれた。
とっさに、アミュスフィアを掴んだ手首にビリビリした痛みが走る。頭部を狙った打撲によって受けた衝撃が骨に伝わってきたのだ。
アミュスフィアは壊れてしまったが、目の前にいる恭二を引きはがすことには成功した。
「がぁッ!?」
「ッ!!」
その瞬間、恭二が押さえ込んでいた詩乃の両手は自由になり、追撃として彼の鳩尾に蹴りを突きつける。
左に突きつけられていた注射器が抜けると、詩乃はベッドの頭側から転がり落ちて、背中を床に打ち付ける。
背中を強く打ってしまったが、詩乃はすぐに立ち上がろうとして手を床につけて起き上がる。
そして、詩乃は床を蹴ってドアかある方向へと逃げ走っていく。一秒でも早く逃れるために大股でキッチンを走り抜けていくものの、玄関マットが勢いよく滑り、体勢を崩してしまう。
倒れはしなかったものの、膝を強く打ち付け激痛が走り、それでもなお逃げるために手をドアまで伸ばし、ドアノブを右手で握った。
ドアノブを下におろして、それを開こうとしたのとほぼ同時に、
「朝田さんッ!!」
「·······ッ!?」
後ろ足を恭二がその冷たい手で握り締め、引き戻そうとしてくる。詩乃は掴まれていなかった左足で彼の顔を蹴るが、それでもなお彼は離さない。
「朝田さん! 朝田さん!朝田さん! 朝田さん! 朝田さんッ!!」
「·······ッ!!」
両目の焦点が合っていない恭二に何度も蹴りを喰らわせていた、その時だった。
ガシャン! という音が後ろから聞こえてきたと思ったら、誰かが恭二の顔を蹴り飛ばした。
「ぐあッ!?」
「無事かシノンッ!!」
そう呼ぶのは若い男性だった。
プレイヤーネームで呼ばれた詩乃は一瞬唖然とするが、そのやや長めの黒い髪に同じ色の黒いジャケットを着ている男性を詩乃は知っていた。
「キリ·······ッ!!」
呆然と呟いたのも束の間、開かれたドアの向こう側から沢山のサイレンの音が部屋に侵入し響き渡った。
<><><><><>
「朝田さぁー、最近マジで調子乗ってない?」
「·······」
十二月半ばにしては風があまり吹かず、放課後直後の生徒達の喧騒も校舎裏までは吹いてこない。
あれから数日。
事情聴取をされて警察から解放されてから普通に学校に通い始めた詩乃は、呼び出された不良女子学生達を前にして真顔になっていた。
「ま、別に良いや。それよりあたしらさぁ、超困ってんだけどさぁー、トモダチなんだから助けてくれるよなぁ?」
「·······」
「とりあえず二万、貸してくんない?」
右手を差し出してくる不良女子に詩乃は無反応だった。
しばらくして、詩乃は口を開く。
「前にも言ったけど、あなた達に貸すお金はない」
「·······あ?」
そう言われた不良女子は目を細めて鋭い目付きで睨んでくるが、詩乃は特に気にしない。
「いつまでも調子乗ってんじゃねぇぞ。言っとくけどな、今日はマジで兄貴から『アレ』借りてきたんだからな·······泣かすぞ朝田」
「好きにしたら?」
そう言われてこめかみが一瞬痛んだ不良女子学生は、大量のマスコットがぶら下がっている通学鞄から、黒い自動拳銃が取り出された。
おそらく、モデルガンであろう。
慣れない手つきで取り出してみせた不良女子学生はそのモデルガンの銃口を詩乃へと向けると、
「これダンボールとか穴開けられんだぜ。人には絶対に向けるなとは言われたけどさぁ、朝田なら平気だよな、お前慣れてるもんな」
「·······」
「泣けよ朝田、土下座して謝れよ。ホントに撃つぞテメェ」
「だから、
その言葉がトリガーとなる。
不良女子学生は本当に詩乃の左足目掛けてモデルガンを発砲しようとするも弾が出てこなかった。
「あ? クソッ!! なんだよこれ」
「1911ガバメントか·······お兄さん渋い趣味ね、私の好みじゃないけど」
そう呟いて平然と近づいていく詩乃は、不良女子学生からモデルガンを取り上げ、銃の左側面を見せつける。
「ガバメントは、サムセーフティの他にグリップセーフティもあるから、こことここを解除しないと撃てないわ」
詩乃は手慣れた手つきで二箇所の安全装置を外す。
「それにシングルアクションだから最初は自分でコッキングしないとだめ」
親指でハンマーを起こすと、固い音と共にトリガーがわずかに持ち上がった。詩乃は適当に辺りを見渡すと、六メートル先にある焼却炉の傍らに置かれていた一つのジュースの空き缶を見つけた。
それに向かって左手をグリップに添え、基本的なスタンスで構えると、左目を瞑って右目で狙いを定め、直線上に空き缶を捉える。
そして、
バス! という発射音と共に、リコイルショックが手に伝わってくる。詩乃の狙いは正確で、ちゃんとオレンジ色の小さな弾が発射された。
初めて触った銃だったから外れるかなと思ったが、運良く空き缶の上部に当たって、くわん、という高い音を響かせてアルミ缶は回転しながら宙を舞い、やがて落ちてきて地面へと転がった。
そして詩乃はモデルガンを持った手で不良女子学生の方へ振り返ると、怯んだように口元を強張らせた姿がそこにあった。
「や、やめ·······ッ!!」
撃たれると思ったのだろうか。その様子を見た詩乃は微笑みを浮かべ、
「·······確かに、人には向けない方がいいわ、これ」
と、だけ言い残し、ハンマーをデコックし、二つのセーフティを元に戻すと、グリップを向けて不良女子学生に差し出す。
いつまで経っても取ろうとしなかったので、めんどくさくなってきた詩乃は『ここ置いとくから』と、適当な場所にモデルガンを置いて立ち去っていった。
詩乃は変わった。
あれ以来、銃を見ても発作をしなくなったのだ。
それは恐らく、“アイツ”のおかげかもしれない。
詩乃はまたあの言葉を思い出す。
『お前は人殺しなんかじゃない、人を救ったんだ』
「·······」
『それでも、お前がそこにいた人たちを助けたっていうのには変わりはないだろう』
その言葉に救われた詩乃は、ようやく一歩前に進めた気がした。
萎えかけていた脚に鞭を打って、詩乃は無理矢理にでも前へ前進した。先程握ったモデルガンの感触がまだ手に残留していたが、それもすぐに消え去った。
感触が消えた手で詩乃は通学鞄から眼鏡を取り出し、そっと顔に掛ける。
そしてそのまま、学校の敷地外へ出ようとしたその時だった。
なぜだか、校門の方が騒がしい。
見てみると、見覚えのある少年の顔がそこにはあった。
<><><><><>
「·······」
廃墟の暗がりに潜むヴィンセントは、朝が来たことを確認し、外へと出る。廃墟内には予想よりも多くの食料やら水やらが残っていたため、ヴィンセントはそこを拠点にしていた。
そして、これから行くのは『忘らるる都』。
行く理由は特にない。ただ散歩程度の感覚で良く行くのだ。
そこで彼は声をかけられた。
「こちらにいると聞いたもので·······その顔ですと、あの世界には何もなかったようですね」
「·······リーブ·······」
ヴィンセントはつまらなそうに言って、そちらを見る。
表情には出さず、ヴィンセントはさりげなくリーブから距離を取る。
ぼんやりと浮いたリーブは、完全に闇を自分のものとしたヴィンセントに向かってこう言った。
「こう言ってはなんですが、報酬も出ているわけですし·······また金にもならない戦闘に参加してテロリスト達を鎮圧するとか、過労は感心しませんよ」
「私はただ散歩に行くだけだ。それより、何の用だ?」
「ただの今後の確認ですよ、ついてきてくれますか?」
「·······フン」
吐き捨てるように鼻で返答すると、ヴィンセントはリーブが乗ってきた車に乗る。
ヴィンセントはそれ以上は何も言わず、ただ車に乗って窓の外を眺めた。