いつも良いとこを横取りしていく大ギルドの増援部隊。
それを正面から完全封鎖し、文字通りの『通行止め』を執行してきたというのに、クラウドとキリトの二人の身体には疲弊の兆候すら見当たらない。
ほぼ負けは確定。
そう思っていたのに、その圧倒的な実力差にスリーピング・ナイツの面々は無自覚のうちに息を呑んでいた。
「·······ふっ」
クラウドは特に何も語らず、ただ突き出した右手の親指を立てるサムズアップの動作で祝福を示していた。
その規格外の強者としての佇まい、自信と余裕で満ち溢れた姿。
そして。
ピンチの時には必ず駆けつけて自分達を支えてくれるという、その圧倒的な信頼感を前にした瞬間、ユウキはもう完全に戦闘体勢を崩していた。
「クラウドッ!!」
ユウキは飛行不可エリアに設定されたボスフロアの制約など忘れたかのような、凄まじい脚力による跳躍。残された魔力と体力を全て喜びへと変換した少女の突進を、クラウドは避けることも身構えることすらもしなかった。
ガバッ、と。
ユウキの突進はかなり強く、通常のプレイヤーであれば体勢を崩して弾き飛ばされていたであろう猛烈な威力を、クラウドはソルジャーとしての身体能力を以て、正面からその細い身体を完璧に受け止めた。
「クラウド·······ボク達、本当に勝てたんだ·······!! クラウドが外でずっと食い止めてくれたから、最後まで諦めずに戦えたんだよ··············っ!!」
「·······」
その声は僅かに小さく、そして震えていた。
彼女はクラウドの胸板に顔を埋め、ユウキは歓喜の叫びを上げる。
もう諦めかけていたのに、クラウド達がいてくれたおかげで無事に勝てた。
一人の少女の純粋な喜びが、胸元を通じて伝わってくる。
そんなユウキの頭に、クラウドの鉄のように硬い掌が乗っけられる。
急に抱きつかれたことにクラウドは一切の戸惑いを見せることなく、もはや慣れたようにただ右手でユウキの小さな頭をぽんと一度叩き、フッと鼻で笑った。
「あぁ、見ればわかる」
「もう!! 相変わらずだなぁ!!」
褒めるならもっと褒めてくれて良いのに、彼はいつもの如く冷たい感じで返した。
彼なりの祝福、そして不器用な温かさが優しく彼女を包み込んでいくようだった。
「これで、これ以上の延滞料金を請求されずに済んだなユウキ」
「ふふん!! クラウドにそこまで言わせたらボク達の完全勝利だね!!」
クラウドの胸から離れたユウキは、勝ち誇ったようにピースサインをして見せてくれた。
その笑顔はとても素敵で、思わずクラウドもつられて再び右手の親指を立てる。
「じゃ、約束の報酬だね!!」
ユウキは満面の笑みを浮かべながら、手慣れた手付きでメインメニューのウィンドウを展開させた。
特定の位置にある項目を指先でタップすると、ジャリンと重々しい金属音と共に、ボスドロップによって得られた莫大な金貨、そして希少素材の正確な一割が空間に実体化する。
それを契約の清算としてクラウドへと手渡した。
「·······」
すると。
クラウドはどういうわけかその報酬をユウキに押し返した。
いらない、そう言うかのように。
「え·······クラウド、いらないの?」
「·······あぁ」
クラウドはそう言って彼女の目を見つめる。
一体どういうつもりなのか、意図が分からずユウキは報酬の入った袋を持ったまま呆然とする。
クラウドは、そんなユウキの目を見ながら、
「いい気晴らしになった·······それで充分だ」
「··············」
ユウキは。
クラウドのその不器用さにもはや呆れていた。
素直に言えば良いのに、だが彼の性格を知っているからこそ、ユウキはにっこりと笑った。
「そっか!!」
ビジネスライクでありながらも。
互いの実力と剣士としての誇りを認め合った最高に熱いやり取り。
それを見守るティファとアスナの目にも、どこか優しい光が灯っていた。
<><><><><>
その後。
クラウド達の蹂躙によって広場まで戻された大ギルドの面々がここまで再度やって来て、しかしもう終わってしまっていたことに対して舌打ちや見苦しい理不尽な捨て台詞を吐き散らしながら迷宮区の彼方へと引き上げていった。
そんなスカッとする光景を確認したユウキ達は、合流したクラウド達と共に部屋の奥に隠されていた螺旋階段を登り詰めた。
小さな東屋風の建造物を抜けると、そこは未だ誰も足を踏み入れたことのない領域、第二八層であった。
皆翅を展開して近くの主街区まで一気に飛び、中央広場に聳える巨大な転移門の水晶柱が見えたので、チームの代表としてユウキが触れてアクティベートした。
これで終わり。
今回のボス攻略は、クラウド達の助力もあって、無事に終了した。
<><><><><>
アクティベート完了。
そう告げるキィンという高音のSEが第二八層の空へと響いた瞬間、新生アインクラッドの最前線を自分達の手で切り拓けたのだという極上の達成感が皆の胸を激しく支配した。
「みんな本当にお疲れ様!! ついにやり遂げたね!」
アスナの声が響くと、そこからは早かった。
青い光の粒子が瞬く転移門を潜り、拠点であるロンバールへと帰還したユウキ達は広場の片隅で小さな輪を作ると、今まで我慢していた分を解放させるように満面の笑みを浮かべ、全員一人も余ることなく順番に両手で激しく掌を打ち交わしていった。
「イエーイ!! やったねティファ!!」
「うん!!」
「本当に··············!!」
「あぁ!! 夢じゃ、ないんだよな··············!!」
「ふふっ··············」
ユウキとティファがその場で可愛くぴょんぴょんと飛びながらハイタッチ。
テッチやジュンも重いアーマーの胸当てを叩いて快哉を叫び、シウネーがいつもの柔和な笑みを浮かべてみんなを労っている。
「ほら!! クラウドも!!」
「え··············?」
そして喜びの分かち合いの矛先がクラウドへと向かい、ユウキは両手を上げて彼の顔の前まで持ってくる。
「ほら!! 早く早く!!」
「··············」
「もう何やってるのクラウド!! ほら!!」
それでクラウドが渋っていると、ティファが強引に彼の手を掴んでユウキの手と合わせる。
「ティファ··········」
「こういう時はちゃんと喜び合わないとだよクラウド!!」
「そうだよ!! ほら!! 今度は自分からやってみようクラウド!!」
「··········」
自分からしなかったことに対してのペナルティ追加。
クラウドが躊躇ってしまったが故にティファの手によって強制的にハイタッチして終わりかと思えば、今度はユウキがまるで今学んだことをやってみよう!! 感覚でアンコールを要求してきた。
「ハハッ! クラウドの奴、相変わらずだな」
「うん、そうだね」
キリトとアスナはそんなユウキ達の姿を見て、互いに笑い合っていた。
それにしても、なんだか新鮮な感覚だ。
かつてデスゲーム時代に最強のギルドを率いていた頃、アスナにとっての攻略とは常に誰かの犠牲と隣り合わせの息の詰まるような義務でしかなかった。キリトも、こうやって誰かと手を取り合って戦い、そして純粋にゲームを楽しむ喜びを久しく忘れていた。
こうして心から信頼できる大切な仲間達と肩を並べ、ただ純粋に勝利の喜びを分かち合っている。
「················」
するとアスナは、どういうわけか俯いてしまっていた。
胸の奥底から湧き上がる純粋な幸福感に満たされているのは確かだ。
でもなんだか何かが引っ掛かる。
「················っ!!」
いや。
理由は分かっている。
「? どうしたんだ、アスナ?」
そんなアスナの様子に違和感を感じたキリトは、彼女の顔を覗き込むようにしながら一体どうしたのか訊ねてきた。
アスナはその声にハッとし、すぐに首を横に振る。
「ううん········なんでもないよ」
「?」
キリトは彼女の様子が少々おかしいことに気付いていたが、それを感じさせないくらいにアスナはいつもの顔に戻す。
そう。
そんなことを考えている場合ではない。
現実世界における親との確執や閉塞感など、この圧倒的な一体感の前には無用の産物でしかなかった。
「無事に終えられたね········」
改めて攻略達成したことを実感するように、アスナは空を見上げながらそう呟いた。
広場の頭上に広がるどこまでも無機質な仮想世界の空。
現実世界の重力や結城家という息苦しい檻の中で己を縛り付ける有形無形の圧迫は、確かにアスナの精神を今尚苛ませ続けている。
だが。
五感の全てを以て知覚するこの圧倒的な一体感と、隣で優しく微笑む少年。
そして不器用ながらも共に往く異世界の強者達の存在が、彼女の心の中に澱んでいた『不純物』を確実に取り除いていた。
親の敷いたレールに怯える日々は、少なくともこの一瞬においては不要。
かつて最強のギルドを率いた『閃光』としての自負を蘇らせるように、アスナは自らの瞳に宿る光をより一層強く確固たるものへと変えていく。
「いいえアスナさん。まだ全てが終わったわけではありません」
不意に。
いつの間にか彼女の隣にいたシウネーがアスナの細い肩をぽんと優しく叩いた。
みんなにとって保護者的な立場である彼女の顔にはどこか悪戯っぽい、そして楽しげな色が浮かんでいる。
「·······え? ちゃんと終わったはずだけど?」
アスナは真面目だった。
だから考えて考えて、自分達が何かやり残したことはないかを探るために懸命に頭を働かせた。
だが何も心当たりはない。
結局分からずに不思議そうに首を傾げるアスナに対し、シウネーはそんな真剣な彼女に対して笑いを漏らしながら、しかし衝撃的な真実でも告げるような声でこう言った。
「一番大切なことがまだ残っていますよ───
緊張の糸を思いっきり切られたアスナはがくっと膝を折りそうになり、もうっ!! と虚空に向けて小さな拳を振り上げたあと、両手を腰に当てて膨れてみせた。
「もう!! シウネーったら、完全に騙されたわ!!」
「ごめんなさい·······こういうの一度やってみたくて」
シウネーも真面目だからこそ、こういう悪戯をしてみたかったのだろう。
だが確かに緊張を解すには一番いいやり方だ。
心臓には少し悪いが。
「はぁ·······でも、そうね。うん、やろう!! 盛大にやりましょう!!」
アスナが元気に同意すると、ジュンがにやっと笑みを浮かべて身を乗り出してきた。
「なんせボス攻略の予算とドロップの報酬もたっぷりあるからな!! で、場所はどうする? どこか大きい街の高級レストランでも丸ごと一軒貸し切りにすっか!?」
「あ、じゃあ─────」
そのジュンの大声を聞いた瞬間、一歩遅れて歩み寄ってきたティファが自らの格闘用グローブの位置を直しながら前へと進み出た。
彼女の美しいルビー色の瞳が、温かい色彩を宿してみんなを見る。
「そういうことなら場所は私の店にしない? “セブンスヘブン”なら新階層の食材の持ち込みも大歓迎だし、何より誰の目も気にせずに夜から朝まで盛大に騒げると思うよ」
ティファがクラウドへ視線を送り、賛同してくれるかどうか表情を見ようとするも、彼は興味なさそうにそっぽを向く。
しかし、その提案は名案だ。
ティファの店の居心地の良さを知っているユウキは、待ってましたとばかりにぱっと顔を輝かせた。
「いいね!! ティファの美味しいご飯、また食べたいと思ってたんだ!! 賛成!! ボクそこでやりたい!!」
ユウキは純粋な喜びを満開にしてその場を跳ね回り、キリトや他のメンバーも一斉に賛同の声を上げた。
「あ·······あの」
だが。
その活気溢れる喧噪の傍らで、シウネーだけは何処か申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「私達、アスナさん達にボス攻略のお手伝いをお願いする時に、ボスがドロップした報酬を全てお渡しするって約束していましたよね。なのに色々市場で買い込んでしまって·······お店を貸し切りにする予算まで使ってしまったら、どうしましょう」
「あ! ボクもすっかり忘れてた! クラウドにはさっき一割を突き返されちゃったからいいけど、アスナの分の取り分を考えてなかったよ!!」
頭を抱えて肩をすぼめる二人に、アスナはクスッと笑って首を横に振った。
「いいよいいよ、気にしないで。私は元々お金やアイテムのためにみんなと戦ったわけじゃないもの。みんなの名前を『剣士の碑』に刻むっていうスリーピング・ナイツの夢を一緒に叶えられた。私にとってはそれだけで何よりの報酬だから」
「うん、私ももうどうでも良くなっちゃった。それよりも今は私の店でみんなと一緒に祝杯をあげたいな」
アスナとティファの一点の曇りもない真っ直ぐな言葉にユウキは大きな瞳を細めると、最高に嬉しそうに、そして誇らしげな微笑みを浮かべた。
金銭や希少価値の高い素材といった目に見える『対価』を以て繋がっていたはずの、一時的な利害関係。
それが今。
互いの存在を唯一無二の戦友として肯定し合う純粋なる『絆』へと昇華したことを、ユウキはその小さな胸に深く刻み付けていた。
「ありがとう!! アスナ!! ティファ!!」
二人は互いに魂の領域で認め合うようにして、強い信頼の笑みを交わした。その場の澱みかけた空気を吹き散らすように、ノリがいつもの豪快な声を響かせる。
「よし! そうと決まったらまずは酒の調達だな!! 樽で買おう、樽で! ティファの店にある極上の酒を全部開けちまおうぜ!」
「いや、ティファさんの店にノリの好きな芋焼酎は置いてあるとは限らないですよ」
眼鏡のブリッジを中指で神経質そうに押し上げながらタルケンがぼそぼそと口を挟む。
だがまあ確かに、酒場と言ってもお望みのものが置かれているかは彼らには分からない。
しかしそんな指摘に対して、即座にノリの厳しい突っ込みが炸裂した。
「なんだと!! アタシがいつそんなに芋焼酎が好きだって言ったか! アタシが本当に愛してやまないのは泡盛の古酒なんだぞ!!」
「·······色気のなさっていう点じゃどっちも大差ないじゃんか」
ジュンのさらなる辛辣な突っ込みが背後から追い打ちをかけ、広場には再び爆笑の渦が広がっていった。
皆で一緒に笑いながら、ユウキ達はティファのお言葉に甘えて『セブンスヘブン』へと向かうべく、転移門へと足を踏み入れた。
<><><><><>
ところで。
「なぁ·······俺、忘れられてる?」
キリトとクラウドと共にギルドの大軍の進行を食い止めることに貢献し、そしてその場にいたのに気付いてもらえなかったクラインは。
いつ輪の中に飛び込もうかタイミングを伺っていたのだが。
無慈悲にも少女達の歓声と、ブラッキー先生と何でも屋さんの圧倒的な存在感の前に、その機会は完全に失われていた。
<><><><><>
「それでは、ボス攻略成功を祝して────!!」
乾杯の合図に指名されたユウキは全員がグラスを手にしたことを確認すると、
「かんぱーい!!!!」
「「「「「「「「「かんぱーい!!!!」」」」」」」」」
ユウキの元気一杯の肺活量を存分に活かした元気な咆哮が店内に響き渡ると同時に皆の声も重なり、耳に心地よいグラスの衝突音が幾重にも反響した。
<><><><><>
そんな少女達の無邪気な笑い声がセブンスヘブンの店内に心地よく反響する中。
それまでずっと温和な笑みを浮かべながらグラスを傾けていたシウネーが、ふと何かを愛おしむようにしてその穏やかな瞳をクラウドへと向けた。
「でも本当に懐かしいですね。今回の攻略においてクラウドさんが駆けつけてくれたこともそうですけれど·······私達がまだこのゲームをやり始めた頃にユウキはクラウドさんと出会ってて、それでデュエル申請の作法すら忘れて夜まで剣を交えて仲良くなり、私達が借りていた宿屋の部屋にやってきたあの日のことを昨日のことのように思い出します」
「あはは·······シウネー、それ言っちゃうんだ」
シウネーの懐かしい話題を出され、ユウキは手元のグラスを弄りながら少しだけ照れくさそうに笑った。
「でも本当に楽しかったよ·······クラウドとの決闘。初めてだったし、あのSAOを生き抜いた人が目の前にいるって思ったら、時間もルールも忘れてたんだ」
ユウキはあの広大な草原で、自分の得物とあの鉄塊の如きバスターソードと火花を散らし合った記憶を愛おしむように語る。
そして部屋の最も薄暗い特等席に佇む金髪の青年へと、悪戯っぽくも真っ直ぐな視線を投げかけた。
「ねぇクラウド? あの時ボクが手合わせして欲しいって言った時にクラウド報酬要求してきたけど、ボクが『デート一回』なんていう無茶な報酬を提示した時さ、クラウドってば本気で目を見開いてフリーズしてたよね!! 普段は物凄く強いのに、そういうところだけは妙に純粋っていうか!!」
「·······あれはそっちが勝手に話を進めただけだ。俺はその後すぐに冗談だと言うつもりだった」
ユウキから突然言葉を投げかけられたクラウドはグラスを握る指先に僅かな力を込め、めんどくさそうに短く応じた。
相変わらず『興味ないね』とでも言いたげにそっぽを向いているが、ツンツンとした金髪の隙間から覗く耳の端が微かに赤みを帯びている。
その最強のソルジャーらしからぬ初々しいはにかみを、カウンターの奥で買い込んだ食材を盛り付けていたティファは見逃さなかった。
ルビー色の瞳を和ませ、クスッと楽しげな笑みを漏らしながら会話の輪へと加わってくる。
「ふふっ、でもユウキの言う通りだよ。クラウドって普段は格好つけてるけど、女の子にグイグイ引っ張られるとすぐに余裕がなくなっちゃうんだから」
「ティファ·······頼むからこれ以上話をややこしくするな」
幼馴染みからの容赦のない追撃と完璧な事実の暴露に、クラウドは観念したようにグラスの縁へと視線を落とし、深く溜息をついた。
その様子に皆が笑い、キリトまで笑っていたからクラウドは静かに鋭く睨んだ。すると蛇に睨まれた蛙の如く萎縮する。エクスキャリバーを譲ってやった恩と今回のことを忘れるなとでも言いたげに、その瞳は殺気立っていた。
しかし。
SAOをクリアまで導いた何でも屋のソルジャーでも、弱いものはあるらしい。
その規格外の強者が、この世界で新しい仲間達と出会い、そして苦難を乗り越えた。
そのあまりにも熱く臨場感に満ちた彼らの『絆の歴史』を隣で聞いていたティファは、
「クラウド·······よかったね」
小声で、誰にも聞こえないくらいの音量でそう言った。
クラウドは以前、宿敵のセフィロスが原因で星痕症候群となり、そして自ら仲間達との関係を絶っていた。
ずっと孤独の中で過ごし、一人だけ前に進めていなかった。
しかし彼は再び前を向き、今を生きることを決め、大切なものを守るために再びその手に剣を取った。
そこからの彼は本当に生き生きとしていて、さらにここでキリトやアスナにユウキと出会って変わった気がする。
自分達だけではどうにもならなかった。
それをキリト達が変えてくれたんだ、と。
そう思うようにティファがクラウドの方を向くと、彼は目を瞑った。
恥ずかしがっているのだろう、クラウドは案外視線に鋭く、そしてティファの考えていることも伝わったらしい。
そんな言葉を交わさずとも通じ合う幼馴染み達の無言の視線を他所に、皆の会話を静かに見守っていたアスナは羨望の入り混じった吐息を深く漏らした。
「いいなぁ·······みんなでそんな風に最初の出会いから今まで命を懸けてたくさんの世界を旅して、お互いの背中を預け合える素敵な絆を結んできたんだね」
それは単なる現状への商品価値としての賛辞では決してない。
宿敵との因縁や孤独という過酷な過去を背負いながらも今を生きるために再びその手に剣を取った別世界の剣士、クラウドの生き様。
それを最も近くで支え続ける、ティファの包容力。
そして。
どんなにことがあろうとも、彼らを元気に精一杯支えてくれるユウキの眩いばかりの強さ。
その全てに対する、最大級の敬意が込められていた。
「·······ねぇ、ユウキ?」
「? 何? アスナ?」
アスナはそんな彼女達を見て、とても羨ましく思っていた。
だから。
アスナは意を決して、ユウキのその輝かしい瞳を正面から見据えた。
「今回のボス攻略の契約はこれで終わりなんだけど·······私、ユウキともっと一緒に戦いたい。ユウキの持つその本当の強さの理由を、もっと近くで教えてほしいの。だから·······私を『スリーピング・ナイツ』に入れてくれないかな」
「··············」
それはかなり唐突だった。
アスナのその一点の曇りもない真っ直ぐな加入申請に隣にいたキリトも目を見開き、スリーピング・ナイツの面々は一瞬言葉を失い、クラウドとティファはただ呆然とし、セブンスヘブンの店内には急激な静寂が支配した。
かつてデスゲーム時代に最大ギルドの副団長として鉄の規律をメンバーに強要し、人前では決して弱い部分を見せられなかったアスナのプライド。誰を信用して良いか分からず、そして誰に対しても希望の象徴として偽りの自分を演じ続けた。
結局、あの時自分のありのままの姿を見せれたのは、キリトくらいだった。
しかしユウキ達はその強固な心の壁をあまりにもあっさりと、そして温かく飛び越えてくれた。
本当の自分を曝け出し、そして受け入れてくれる彼女達の優しさ。
だからこそ、本当の強さを知るためにこの輪に加わりたいと切望したのだ。
アスナの真剣な眼差しを正面から受け止めたユウキは、原作のような暗い拒絶の影を見せることは決してなかった。
それで。
彼女は。
自らの親友であり戦友となったアスナを見つめ、最高に誇らしげで、けれどどこか遠い未来の希望を見据えるような、揺るぎない『切なげな微笑』をその唇の端に浮かべた。
「ありがとう·······アスナ。すっごく、すっごく嬉しいよ」
ユウキのその声には揺るぎない剣士としての気概と、アスナへの純粋な親愛に満ちていた。
「でもね、アスナ。ボク達のギルド『スリーピング・ナイツ』は·······この春で一度お休みにするって、みんなで最初から決めているんだ。それからはみんな、中々ゲームにはログインできなくなっちゃうと思うから。ほら、前話した通り·······
「あ────!!」
ユウキは言いにくそうにして顔を俯かせる。
そのユウキの様子に、アスナはハッと思い出した。
ユウキは現在病人であり、通称『AIDS』と言われるものと戦っている。だが生後すぐに多剤併用療法を開始し、沢山の薬を飲んだお陰で免疫力は多少上がって今では彼女の身体はだいぶ回復はしている。
とはいえ、まだまだ腕も足も凄く細いし、筋力もない。
リハビリが始まったら精一杯頑張るつもりだと言っていた。
しかしそれは同時に、現実世界での途方もない歳月をかけた、過酷なリハビリと長期の治療の戦いへと戻ることを意味していた。
ユウキは、それが嫌だった。
アスナやキリト、あるいは別世界からやって来るクラウドやティファに対して、自らの『病気と戦うリハビリ中の弱い自分の姿』を見せて、余計な心配をかけたくない。
だが。
それでも皆の前では絶対無敵の剣、《絶剣》としての誇り高い姿のまま記憶に残り、現実でも頑張って病に打ち勝ってみせるという、強靭な精神が故の前向きな意志は揺らがない。
その瞳はとても強く、希望に満ちていた。
「··············そっか」
アスナもまた。
ユウキの瞳の奥に灯る、何者にも折ることのできない『覚悟』の光を正確に看破した。
だからこそ。
それ以上無理に話したり、引き留めたりすることはしなかった。
「ごめんね、アスナ」
「ううん·······こちらこそ急に無理なお願いをしてごめんね、ユウキ。でもその春が来るまでの時間は一緒にいられるよね?」
「うん! もちろん!! 春まではこれでもかってくらい一緒にたくさんの思い出を作ろ!! アスナ!!」
二人は互いに心の中で認め合い、固い絆を結び直すようにして笑みを交わした。
そして。
その場の空気が微妙に重くなっていたことを自覚し、アスナは場をさらに盛り上げるように両手をぱんと叩き、
「よし、それじゃあ景気づけに“アレ”見にいこう! きっともう更新が反映されているはずだし、私達にとって『一番大事な証拠』を見に行こう!!」
「大事な·······証拠?」
もはやそれすらも忘れてしまっていたらしい。
首を傾げるシウネーに、アスナに続くようにユウキが言った。
「もう!! 肝心なことを忘れないでよ!! ほら!! 黒鉄宮の『剣士の碑』!!」
その元気な声に、皆が思い出したようにハッと顔を上げた。
「よぉしッ!! そうと決まったらみんなではじまりの街へしゅっぱ〜つッ!!」
ユウキの最高に晴れやかな号令がセブンスヘブンの店内に鳴り響き、皆次々と大ジョッキをテーブルへと置く。
そして。
名実ともに自分達の生きた証をその記念碑へと深く刻み込むため。
高鳴る鼓動を胸に抱いたままセブンスヘブンの扉を開け放って、第一層へと繋がる転移門へと一斉に足を踏み出すのだった。
「··············」
そんな中、クラウドはアスナとユウキの二人を見つめていた。
一瞬の出来事だったが、そのどこか元気のない二人の姿を。
<><><><><>
空間に青白い光の粒子が爆ぜ、視界の全グラフィックが超高速で再構築されていく。
直後。
皆の五感に真っ先に飛び込んできたのはひんやりとした空気と、かつて二年間もの間全プレイヤーを絶望の檻へと縛り付け続けた原点の地───第一層の『はじまりの街』であった。
巨大な王宮が背後に聳え立ち、そちらは一切見ないで急いで証拠を目にしようと歩みを進める。
その地面を踏みしめるブーツの硬い音が、街の静寂に心地よく反響していた。
前方には四角い黒鉄宮が姿を現した。
高い門を潜って建物の中に一歩足を踏み入れると、その場のただならぬ空気が、まさに重厚な戦記の如き反響を空間に与えていく。
神聖な間。
そうとも呼べる雰囲気に包まれた大広間が広がり、その中央にはあの巨大な横長の黒光りする鉄碑。
『剣士の碑』が鎮座していた。
「あった·······! ボク達の、名前だ·······!!」
一同が巨大な鉄碑の前まで来ると、不意にユウキが声を震わせて呟いた。
アスナやティファも顔を上げ、鉄碑のほぼ中央、新しく刻まれたばかりで最高の輝きを放つ【Braves of 27th floor】の一文をその目に焼き付けた。
そこには確かに、アルファベットで深々と刻み込まれた皆の名前があった。
「〜〜〜〜〜!!!!」
本当なら大声を出したい。
それくらいの衝動に駆られ、しかしそれだけは耐えた。
でも、これでもう思い残すことはない。
春が来れば過酷なリハビリと長期の治療の戦いへと戻らねばならないユウキにとって、この刻まれた名前は単なるゲームのクリア実績ではない。
自分がこの世界で確かに生きて、最高の仲間達と命を懸けて戦い抜いたのだという。
何者にも消し去ることのできない、魂の証明そのものであった。
「おーいみんな!! 鉄碑の前に綺麗に並んで!! 最高の瞬間を保存しようぜ!!」
一緒についてきていたキリトが呼びかけ、ユウキ達スリーピング・ナイツのメンバーとアスナにティファが整列する。
キリトは手慣れた手付きで撮影のクリスタルを操作し、彼女達の方に向ける。
「じゃ、撮るぞ」
「ほら笑って、ユウキ」
ティファの言葉に無言で頷くユウキ。
キリトは構えると、
「はい、チーズ」
その合図に、皆が同じポーズを取る。
それはユウキらしさを意識した、右手でVの字を作って勝利を告げる時の姿。
ぱしゃっと鮮やかな閃光が弾け、最高の笑顔を浮かべた剣士達の瞬間が、完全保存された。
撮影データの記録が保存されたのを確認し、一同が安堵の息を漏らす中でユウキは、碑の少し後ろで静かに佇んでいたティファの方へと吸い寄せられるようにして歩み寄っていった。
彼女は微笑み、そんなティファの顔を見たユウキはつい無意識に『誰か』と重ね合わせていた。
「良かったね·······ユウキ」
「うん·······」
その小さな指先がティファのその手を、そっと壊れ物を扱うかのようにして掴む。
そして。
誰にも聞こえないほどの、胸の奥底から漏れ出るような密やかな声で呟いた。
「ボク、ついにやったよ·······“姉ちゃん”」
「ふふっ、ユウキったらまた言ってる」
それをいつの間にか隣で聞いていたアスナが楽しげに笑みをこぼして、ユウキは何だろうと振り返った。
アスナはそんな彼女に、
「気付いてないの? ティファさんのこと“姉ちゃん”って。ボス部屋でもティファさんに足場になってもらった時に叫んでたんだよ。まあ私は凄く微笑ましいと思ったけれど──────ッ!?」
その時だった。
途中までなんてことのない会話のつもりで話していたアスナの口が、凍ったように止まった。
それは何故か?
「··············ッ!?」
ただ事ではない空気の緊迫を察知し、背後で腕を組んでいたクラウドの美しい瞳が微かに、けれど鋭く見開かれる。
「あ·······ぁッ!!」
目を疑うような光景だった。
あのいつも元気一杯なユウキが。
「ぁ·······ボ、ボク··············ッ!!」
その綺麗な瞳に、堰を切ったように透明な雫が溢れ出し、彼女の柔らかい頰を伝って次々に滴り落ちていく。
異常事態にも思えた。
あのユウキがここまで泣いてるなんて、思いもしなかったからだ。
「ユ、ユウキ··········っ!? 」
「どうしたの··········っ!?」
息を呑んで手を伸ばそうとしたアスナと、その小さな肩を優しく抱き留めようとしたティファの手から。
ユウキは感情の決壊に怯えるように、二歩、三歩と後ずさった。
それはシステム上のバグでも、データのエラーでもない。
不治の病と戦い、クラウド達の生き様に背中を押されて、自分もちゃんと生きようと決意したからこそ。
「────ッ!!」
唇が痙攣するように震え、掠れた声を漏らしながら、ユウキは溢れる涙を振り払うようにして左手を激しく振った。
このままここに居たら、自分の現実の脆弱な部分全てが暴かれてしまう。
心配をかけたくない、どこまでも『絶剣』としての誇り高い姿のまま、記憶に残っていたいという強靭な剣士としての精神が、彼女の指先を狂ったように動かした。
出現した半透明のウィンドウを急いで指先で叩く。
直後。
その小さな身体はまるで幻影の如く消え去った。
「あ────っ!!」
「待って!! ユウキ──────ッ!!」
アスナの悲痛な叫びも、ティファの手も、そのログアウトの速度には届かない。
仮想世界から去ったことを告げる光の粒子が、アインクラッドの無機質な虚空へと舞い散ったあとに残されたのは、ただ冷たい鋼鉄の床と異様な静寂。
ずっと一緒にいたユウキは、ティファ達の目の前から文字通りかき消えるようにして姿を消したのだった。
「ユウキ··················」
呆然と立ち尽くし、親友が消え去った虚空を見つめるアスナの肩が微かに小刻みに震えている。
「·········」
ただ見ていることしかできなかったキリトは、そんな彼女の肩に手を乗せ、優しく撫でる。
「アスナ」
その只事ではない涙の別れの余韻の中、背後から重々しい靴音を響かせ、一歩前へと踏み出してくる足音があった。
クラウドである。
彼はいつもの腕組みを解き、心の奥を射抜くような鋭い瞳を、静かにアスナへと向けていた。
「ユウキは·········
低く。
そして冷たいクラウドの声が、黒鉄宮の壁に重々しく反響する。
「·········え?」
「アイツのさっきの涙は、ただの感極まった類のものじゃない。死線を潜り抜け、
彼がそう言うのにはワケがある。
かつて魔晄中毒や星痕といった人智を超えた過酷な病を自らの肉体で経験し、さらには数々の戦友の死を見届けてきた。
彼にとって、今ユウキがログアウトの間際に覗かせた、あの『己の致命的な脆弱性を必死に隠そうとする必死な眼差し』は、あまりにも見覚えがありすぎる代物であった。
「クラウド·········っ!!」
クラウドのその一切の妥協を許さない問い質しを前にして、ティファはきつく唇を噛み締め、言葉を失った。
ユウキは二人に、『クラウドには内緒にしておいて』ということを強く望んでいた。
その理由は。
同じことをする、それはとても愚かであることは理解している。
だが、その苦しみを知っているクラウドだからこそ、余計な心配はさせたくなかった。
しかし今。
この不器用ながらも仲間を大切に思う自称ソルジャーは、すでにユウキの背負う過酷な宿命の正体へと確実に足を踏み込もうとしていた。
彼の目は誤魔化せない。
何人も見てきたんだ、そんな目をする人間を。
だからこそ、もう野放しなんてしない。
“忘らるる都”で“彼女”を失った時のようなあの気持ちを味わうのは、二度と御免だ。
静まり返る黒鉄宮の闇の中で、クラウドの厳しい視線がアスナの細い肩を激しく震わせる。
親友の誇りを守るべきか、それとも仲間として真実を打ち明けるべきか。
どちらにしても、彼は納得しない。
どっちを選んだところで、もうクラウドは何も言わずに去ったユウキに一言言ってやらねば気が済まなくなっていたのだから。