「ねぇ、アスナ·······?」
「なに? ユウキ?」
漆黒の帷。
それはまるでユウキ自身の迷いにも思え、それが東の地平から昇ってきた曙光によって静かに剥ぎ取られていた。
夜明け。
その暗闇が晴れ、しかしまだその境界を曖昧にぼかす空中湖において、世界樹を縮小模倣したかのような大樹の枝葉が朝風に吹かれ、微細な擦過音を小さく響かせる。
自然の音、それがユウキ自身の想いを代弁しているかのようだった。
言いにくいこと、そんな感じで微かに揺れる朝風は、前に進もうと決意した彼女の背中を押してくれているようだった。
ユウキは一度頷くと、まだ心残りがあるものを今のうちに払拭しようと決意し、アスナに向かってこう告げた。
「クラウドに会いに行く前にさ·······ボクと一回だけ手合わせしてくれないかな?」
「え?」
太陽はまだ完全な光を出さず、大気中に停滞する霞の寒気が彼女達の上を緩やかに這う中、ユウキは腰に佩いた黒曜石の輝きを刻む片手直剣の柄に細い指先を優しく這わせる。
そのまま真っ直ぐに、けれどどこか切実な光を湛えた瞳を正面の親友へとぶつけてきた。
新たな一日が訪れつつあるこの空の小島は、かつてユウキが自らの想いを刃に乗せ、数多の挑戦者を圧倒し、そして二人が初めて戦いを行った場所である。
その地でまた、ユウキは彼女に決闘を申し込んだ。
「え? 手合わせって·······ここで私とデュエルをするの?」
アスナは思わず、水妖精の容姿を持った自分のアバターの目蓋を僅かに痙攣させて、驚きの声を漏らした。
ユウキはすらりとマクアフィテルを引き抜き、その切っ先を緩やかに地面へと向けながら、一歩、また一歩とアスナとの距離を縮めていく。
その瞳の奥には、剣士の碑の前で自身の致命的な脆弱性に怯え、ボロポロと涙を流して去っていった時のような狼狽の影はもう払拭されていたが、それでもまだ現実世界で待ち受ける二◯年という気の遠くなるような過酷な戦いの重圧が、彼女の細い肩の端に錘となって残っているのをアスナは見逃さなかった。
ユウキはゆっくりと頷き、
「うん。クラウドと会う時に弱気な顔をしてたらあれだからさ。その前に戦って精神統一して、元に戻ったっていう証拠を見せたいんだ。アスナ·······弱気になっていたボクの背中を、思い切り後ろから蹴り上げるつもりで本気で戦って?」
ユウキは深く息を吸い込んだ。
自分がこれから歩む道、その一歩を踏み出すために。
「現実世界で先生からこれからのこと、たった独りでその恐怖の全てを背負わなきゃいけないっていう現実を突きつけられた時、ボク本当に怖くなって·······そのまま引きずってたら結局みんなの前から逃げ出しちゃった」
恐怖も。
「でも、アスナとキリトがボクのところに来てくれて·······それでボクを呼んでくれた時、心がとても楽になってさ。それに、クラウドからの“逃げるな”っていう言葉をアスナから届けてくれた時、ボクの心を縛り付けてた嫌なものが、全部軽くなった感じがして」
後悔も。
「でも今のままじゃまだダメ。病人扱いして手加減するような真似は絶対にしないって、一割の報酬を断ってまで待っててくれるクラウドの前に·······ボクは最高のボクで、一人の対等な剣士として会いに行きたい。だから────!!」
心残りが無いように。
「アスナ!! その剣でボクを叩き直してッ!!」
全てを出し切る。
その本音剥き出しの美しき矜持を受け止めた瞬間、アスナは彼女の親友であり、仲間としての誇りが、一気に激しい熱量となって点火した。
同情も、薄っぺらい労りも。
その全ては、この少女の誇りを何よりも深く傷つける無用の産物でしかない。
「··············」
アスナは逆光を浴びる愛剣の鞘へと指を滑らせ、一閃、眩い銀の軌跡を宙に描きながら抜き放った。
左足を引き、右足を前に深く踏み込んで。
その細剣の切っ先をユウキの眉間へと静かに据える。
「うん·······もちろん!!」
アスナは精一杯の声で応じると、左手の操作によって対人戦における最上位の規約、全ての体力を削りあう決戦モードを選択した。
二人の視界の端で戦闘開始を告げる重々しいアラート音が鳴り響き、一◯秒のカウントダウンを刻み始める。背後で黒いコートと前髪を朝風に揺らしたキリトは、二人の邪魔にならぬよう一歩下がって大樹の張り出した大きな根の隙間へと静かに背を付けた。
キリトもこの戦いを見届けてくれることを確認して、二人は五メートルほどの距離を取ってカウントを待つ。
緊張、そんな感情が両者の間を包んでいる。
だが、ここでそんなものを抱くことは礼儀に反することになる。
全てをぶつけ合う。
その思いを胸に、二人は剣を構える。
そして。
「ハアッ!!!!!」
「!?」
カウントがゼロを示し、ウインドウが消失した、まさにその直後。
ユウキの右足が微動だにせず、ただ左足の親指が地面を僅かに捉えたと思った瞬間。
彼女の身体は物理的な加速の法則を完全に無視して、前方へと滑り出してきた。
<><><><><>
それはどこか瞬間移動にも見えた。
アスナとの距離、それを一歩の踏み込みで間合いを完全に消滅させるほどのその挙動は、この小島を覆う朝霧すらも切り裂く速度に達している。
「ッ!!」
アスナが反射的に防御の姿勢を取るよりも早く、ユウキは低い姿勢のまま剣を振り抜く速度を極限まで高めた一閃を放った。横一文字に奔る紫の一閃が、アスナの喉元を正確に狙って滑り込んでくる。
だが、アスナは上体を後方へ反らし、その一撃を首の皮一枚の距離で回避する。
しかしユウキの方も攻撃は単発では終わらない。
ユウキは空振ったマクアフィテルの遠心力を利用し、即座に身体を軸に回転させ、剣の腹をアスナの細剣へと叩きつけた。刃を滑らせる摩擦音を響かせながら、アスナの細剣の軌道を強引に横へと逸らす。
体の軸を僅かに崩されたアスナに対し、ユウキは追撃として左足の踵を鋭く旋回させ、アスナの足首を正確に刈り取る足払いを放ってきた。
「ふっ!!」
アスナは驚異的な体幹の制御によってその一撃を跳躍で回避し、空中で身を翻しながら細剣の突きを連続で繰り出す。
ガガガガガガギィィィンッ!!!!
一瞬の間の内に、一◯を超える火花が早朝の霧の中で爆ぜ散る。
ユウキは上半身を小さく左右に揺らすだけの最小限の挙動で、アスナの直線的な直突きを全てマクアフィテルの刀身の腹で受け流し、あるいは叩き落としていく。その戦術の完成度は、かつて新アインクラッドでフロアボスを倒してきた、どの攻略組の戦いをも凌駕する、息をもつかせぬ激しさであった。
「ハアアアッ!!!!」
ユウキはさらに地を蹴り、空中へと身体を跳ね上げた。
大樹の張り出した巨根を足場にして反転すると、ブレイクダンスの技の如く触れる片手を軸にして下半身を激しく回転させ、空中からアスナの頭部へと強烈な踵落としを落とし込んできた。
アスナは細剣の柄を両手で握り締め、クロスさせるようにしてその細い脚の一撃を受け止める。
ズドォォォンッ! と、地面が細かく砕け散るほどの衝撃がアスナの腕を突き抜け、足元の石が四方に弾け飛んだ。
しかし、ユウキは技の反動をそのまま次の加速へと変換した。
着地の衝撃を吸収すると同時に、今度は右足の踏み込みだけで再びアスナの視界からその姿を完全に消し去る。
二歩目。
アスナの首元の皮膚に電流が流れるような危機感を感知した。
背後。
ユウキはいつの間にかアスナの真後ろへと回り込んでおり、音もなくマクアフィテルを水平に振り抜いていた。
アスナは振り返る時間すら惜しみ、細剣を背後へと回してその一撃を感覚だけで受け止めた。
キンッ! という硬質の金属音が響き渡る。
アスナは手応えを感じ、今度こそ即座に振り向くも、ユウキはすでにその場にはいなかった。再び左足の親指の先が地を捉え、今度はアスナの左側面へとその位置を滑らせていく。
三歩目。
完全に気配を絶ち、ただ加速の残像だけを空間に残して奔るユウキの超高速戦闘。
それは、システムのアシストによる軌道予測線を完全に置き去りにし、純粋な自由意志のみでVR空間の限界を突破する、まさにこの世界を生きる者の証であった。
上下、左右、前後。
あらゆる角度から不規則に放たれるユウキの斬撃に対し、アスナは自らの『閃光』の二つ名を証明するかのように、細剣を限界の速度で振り回してそのすべてを叩き落としていく。
激突する鋼と鋼の摩擦音が絶え間なく小島に鳴り響き、飛び散る火花が朝霧を鮮やかに焦がしていく。
「あはは!! 凄いよアスナ!! ボクの速度にちゃんとついてきてくれるんだね!!」
ユウキの輝く瞳に、純粋な、闘うことへの歓喜の炎が灯る。
現実世界の過酷な二◯年のリハビリ、天涯孤独の身で独りでその恐怖の全てを背負わなければならない絶望の檻。
その全てを一撃交わすごとに、アスナの本物の想いが木っ端微塵に打ち砕いてくれる。
「当たり前でしょユウキ!! 私はあなたを絶対に置いていったりしない!!」
自分の覚悟も本物だとユウキに証明する。
アスナは前足に重心を乗せ、眩い閃光を帯びさせながら四連撃のソードスキルを発動させた。稲妻の如き速度で宙を裂いた細剣の先端が、ユウキの胸元へと迫る。
しかし、ユウキの両眼は完全にその軌跡を見抜いていた。
彼女の右手が煙るように動いた直後、磨耗を強いる摩擦音が四つ立て続けに響き渡る。
アスナの放った四連撃は上下左右へと完璧な正確さで弾き飛ばされ、一撃もその防壁を突破することは叶わなかった。
「·······ッ!!」
しかし悲観はしない。
むしろ、ユウキがここまで本気になってくれていることが嬉しかった。
そして、最後の一撃を受け流され、突きの姿勢のまま一瞬の行動不能時間に陥ったアスナの隙をユウキは逃さない。
引き戻されたマクアフィテルの黒曜石の刀身が、空前絶後の輝きを帯びて左上に構えられた。
その構え、それは彼女を《絶剣》と呼ばせるに相応しい大技の発動を意味する。
「これでボクの全部をアスナにぶつけるよ!!」
ユウキの細い指先が、限界を超えた速度で虚空を抉る。
彼女が途方もない時間を仮想世界に捧げて編み出した、十一連撃のオリジナル・ソードスキル。
《マザーズ・ロザリオ》
一撃、二撃、三撃、四撃·······斜め右下へと放たれる直突きは硬直中のアスナの身体を正確に捉え、斜め十字の軌跡を刻みつけながら、その体力を一気に危険域へと押し下げていく。
「く·······ッ!!」
本気の連撃。
それはアスナを喜ばすと同時に、絶体絶命の状況へと追い込まれる。
それでも、アスナの瞳から輝きが消え去ることはなかった。
硬直が解けた一瞬、残りの七連撃が自らの胸の中心へと殺到する直前、アスナは自身の力で唯一編み出すことのできた五連撃の固有技を発動させ、真っ正面から迎え撃った。
「「ハアァァァアアアアアアアッ!!!!!!」」
二つの剣。
そして両者の想いが篭められた閃光が、大樹の直下で激しく交錯する。
星の名を冠するアスナの突きと、ユウキの十一連撃の最後の奔流が正面から激突し。
互いの体力値を残り一ドット、掠めれば即座に消滅するレッドゾーン状態にまで同時に叩き落とした。
傷の手応えを残しながらも、勝負の決着は一瞬の静寂の内に訪れる。
最後の一撃がアスナの胸を貫通する、まさにその直前。
ぴたり、と。
全ての体力を吹き飛ばす手前で、ユウキの剣は完全に停止した。
朝の霞が薄く立ち込める小島に、静寂が再び舞い戻る。
ユウキは剣を突き出した姿勢のまま一瞬だけ硬直していたが、やがてにっこりと、あの時アスナ達に見せた切なげな微笑みではない、心からの輝くような笑みを浮かべて見せた。
「すごいね·······アスナ」
彼女は慣れた手付きでマクアフィテルを鞘へと納めた。
そして彼女は、囁くような声で『降参』と呟いた。
直後。
デュエル開始時の時と同じ場所に、試合終了の知らせと勝者の名を告げる文章が表示される。
「ユウキ·······!!」
彼女の性格は理解している。
彼女と行動を共にしていれば、嫌でもユウキが一体どういう子なのかわかってしまう。
だからこそ。
ユウキのその満足げな笑みを見たら、こっちも思わず笑みを浮かべてしまう。
「アスナの気持ち、すっごく、すっごく伝わってきたよ!! ありがとう!!」
「·······うん!!」
アスナもまた細剣を納めると、込み上げてくる涙を意志の力で堪え、満面の笑顔を親友へと返した。
この戦いの目的は勝ち負けではない。
ユウキが前に進もうとする意思を押し出すための、謂わばエールを送る儀式だ。
今の戦い、それはまるでスリーピング・ナイツと一緒に攻略する前に、ここで彼女と戦った時の動きに似ていた。
その思い出、彼女はそれを思い出しながら一歩前に踏み出すと。
共に戦い、剣を合わせた親友の華奢な身体を自らの両腕で優しく、そして絶対に離さないという強い意思すら込めて、その胸へと強く抱きしめた。
アバターを介して直に伝わってくる、温かい魂の震え。
「もう大丈夫だね、ユウキ。今のユウキは·······誰よりも強くて誇り高い、本物の《絶剣》だよ」
「うん! ありがとうアスナ!!」
もう迷いはない。
全てを出し切り、全てを受け止めた。
二人の絆、そして覚悟もまた本物であると証明された。
その二人の姿。
それを称賛するように大樹の根元からゆっくりと歩み寄ってきたキリトが、二人の眩しいほどの表情を受け止め、小さく拍手を送っていた。
「もう、いいんだな」
キリトの最後の確認。
その声にユウキは元気よく首を縦に振った。
「うん!! もう大丈夫!!」
「よし。それじゃあ会いに行こうか·······セブンスヘブンで、クラウド達が待ってるぞ」
「そうだね!! 行こう!!」
夜明けが訪れた。
彼女の迷いは全て晴れたことを告げるように、仮想世界の光は三人の剣士を照らし出す。
ユウキ達は顔を見合わせると、新しく切り拓かれる世界の空へと向けて、翅を大きく広げて力強く飛び立っていく。
<><><><><>
実を言うと、キリト達は焦っていた。
倉橋医師が現実世界において提示したフルダイブを通じたユウキとの接触の猶予。それは、残された時間が僅か二◯分しかないという制限を意味していた。
限られた時間の中で、全ての決着をつけなければならない。
二四層の主街区へと戻る転移門の渦へ飛び込むその瞬間、アスナは隣を翔ける親友の横顔を見つめた。ユウキの瞳には、先程まで大樹の下で激しく交錯させたマクアフィテルの熱い余韻が、熾烈な気迫となって未だ宿っている。
それを見た瞬間、アスナは安心した。
そう。
彼女達がこれから行うのは、攻略ではない。
ただ一人の、自分達にとって一番の大剣使いの前に立ち、その胸の中にある想いを言葉にして伝えるための、静かなる対話であった。
転移の光が目の奥を白々と染め、次の瞬間に視界が開けた時。
三人はあの何でも屋がいる場所、その近くの薄暗い裏路地へと降り立っていた。
そこから数歩歩いた先に、幾多の死線を潜り抜けた仲間達の絆の象徴である酒場、『セブンスヘブン』の年季の入った木製の扉が彼女達を待っていた。
「······っ!!」
ユウキは一度、その扉の前で小さく息を呑んだ。
現実世界の二◯年という過酷なリハビリの重圧、天涯孤独の身でその恐怖の全てを背負わなければならない絶望。
それらの枷をアスナとのデュエルで木っ端微塵にぶち壊したとはいえ、あの剣士の碑の前でポロポロと涙を流して逃げ出してしまった自分自身の不甲斐なさが、微かな緊張となって胸の奥を締め付けていた。
そんな彼女の背中。
それを和らげるためにアスナは、そっとユウキの背中を小さな手の平で押した。
「行こう、ユウキ。クラウドさんが待ってる」
不思議だった。
彼女の手のひらから伝わる温かみ、たったそれだけで何もかも取り除かれ、また勇気が湧いてきていた。
ユウキは隣に立つアスナのその笑みを見て、
「······うん!」
力強く頷き、意を決して『セブンスヘブン』の扉を押し開けた。
酒場特有のアルコールを再現した匂いが充満する、まだ客も疎らな店内。
そのカウンターの奥の席に。
背中に身の丈ほどもある巨大な大剣、アポカリプスを背負った金髪の男。
クラウド・ストライフがこちらに背を向けて座っていた。
そのさらに奥では、格闘用グローブを嵌めたティファがカクテルを作るシェイカーをプロ並みに激しく振り。
そして。
ここに戻ってきてくれたユウキを、優しく見守ってくれていた。
「ク、クラウド··········!!」
「··········」
ユウキが中へと足を踏み入れ、彼の名を呼んだその瞬間。
クラウドは手にしたグラスを口元から静かに離した。
彼は何も語らず、冷えたガラスの器をコト、とカウンターの上へと乗せると、ゆっくりと席から立ち上がった。
そのユウキを遥かに超える長身が、彼女の眼前へと近づいていく。
「ま、待たせてごめん、クラウド··········ボ、ボク··········!!」
クラウドはユウキの目の前で足を止めると、彼女はそんな彼に必死に言葉を構成しようと唇を震わせた。
けれど。
喉の奥が詰まったかのように、謝罪の言葉は不器用な吐息となって消えていく。
言葉が出てこない。
それでも、ユウキは顔を伏せることはしなかった。
彼女の輝かしい綺麗な瞳は、迷いが完全に晴れたことを証明するかのように、真っ直ぐにクラウドの油断のない瞳を見続け、見据えていた。
クラウドが言ってくれたように、一人の対等な剣士として、その視線を一瞬たりとも逸らそうとはしなかった。
「··········」
そんなユウキの覚悟を受け止めたクラウドは。
薄い唇を僅かに動かし、いつものように鼻で笑うことはしなかった。
彼は顎を引き、静かに口を開いた。
「
「··········え?」
唐突に放たれたその自白にユウキは、そして背後に佇むアスナとキリトまでもが、一瞬だけ困惑の表情を浮かべた。
以前も聞いた話、そして自らの根源を否定するような言葉を、何故この瞬間に口にしたのか分からなかったからだ。
クラウドは自らの背中のアポカリプスの重みを確かめるように視線を僅かに落とし、誰も立ち入ることのできない『思い出』の奥底に眠る、かつての過酷な出来事を静かに語り始めた。
「元ソルジャー・クラス1st·······ずっとそう思い込んでいた。他人の経歴を自分の都合の良いようにすり替えて、偽りの人格を演じていただけの、ただの幻想を夢見た憐れな一般兵だったんだ。大見栄きって故郷を飛び出したのに、結局俺はソルジャーになれなかった」
「··········」
「それで本物のソルジャーだった親友を失い、アイツから聞いた話を自分と混ぜ合わせ、幻想の自分に溺れ、魔晄に精神を汚染されて本当の自分が一体何者なのかさえ分からなくなっていた。そして目の前で大切な仲間が消えていくのを、ただ呆然と眺めていることしかできなかった」
クラウドのその声は。
どこまでも淡々と、けれど自らの弱さを一切の虚飾なく曝け出すような。
そんな重々しい響きを伴っていた。
「自分の過去が全て偽物だと突きつけられた時、俺は完全に壊れた。心の弱い人間は簡単に自分を見失う、それが俺の弱さだと自覚させられた。現実から逃げて、精神の底に引き籠もって、二度と前を向けないと思い詰めていた·······ある意味お前と同じだ、ユウキ」
クラウドは再びしっかりとユウキを見つめ直した。
その瞳の奥に、かつてライフストリームの中で。
大切な『思い出』を一つずつ拾い集めて本当の自分を取り戻した時の、静かなる灯火が宿る。
「だが、ずっと一緒にいてくれた仲間が、俺のこの手を最後まで放さなかった。格好悪い自分も、弱い自分も、全てを受け止めて·······俺という一人の人間をもう一度現実へと引き戻してくれたんだ」
クラウドは背後のティファを僅かに一瞥し、再びユウキへと向き直った。
「失った記憶や変えられない過去はどれだけ悔やんでも消えはしない。けれど、どれほど格好悪くても、壊れてしまっても、そこからもう一度前を向くことはできる。お前には、その手を握ってくれる仲間がもういるはずだ·······ユウキ」
クラウドの言葉の全てが、ユウキの胸へと染み渡っていく。
病人扱いして憐れむのではなく、自らの最も深く歪んだ過去の傷痕を曝け出すことで、一人の同じ『現実と戦う者』として彼女の足元を支えようとしてくれたのだ。
ユウキの唇の端が、滑らかに、そして最高の笑顔を浮かべる。
最後に。
クラウドはユウキに聞いた。
同じ痛みを持つ者同士、だからこそ聞かなければならなかったこと。
「俺は幻想の世界の住人だった。でも、もう幻想はいらない·······“俺は俺の現実を生きる”、そう決めた。だからお前も、どんなことがあっても自分の現実を生きてほしい·······できるか、ユウキ?」
「·······」
クラウドの言葉に、ユウキは息を呑んだ。
そんな彼の顔を見て、ユウキは自分の想いを確かめるように胸に手を当てて。
それから、答えた。
「もちろん!! みんなと一緒なら!!」
現実は甘くない。
それでも、その先に待つのは必ずしも悲劇ではない。
たとえ進む先に困難が待ち受けていようとも、仲間がいれば乗り越えられる。
大切なものは常に一緒にいる。
それを忘れなければ、誰だって強くなれる。