どこまでも高く。
どこまでも澄み渡った鮮やかな青空が、エッジの頭上に広く深く広がっていた。
かつてこの地を、そして人々の心を重苦しく支配していた分厚い魔晄の雲は、今はもうどこにもない。
遮るもののない純粋な陽光が、無機質な鉄筋の壁や赤錆びた鉄板の屋根を満遍なく照らし出している。その輝きは、かつてプレートの下の暗いスラムの底で空を遮られて生きていた人々にとって、何物にも代えがたい救いの光そのものであった。
『わぁ········ッ!!!』
クラウドとティファ、そして彼女の右肩で忙しなくレンズを左右にモーター音を響かせながら動かすユウキの三人は、その光が降り注ぐ中心広場をゆっくりと歩いていた。
そこは、お城のような石造りの家が美しく立ち並ぶSAOやALOのファンタジーな街並みとはあまりにもかけ離れた、荒々しくも凄まじい現実味に満ちた空間だった。
どちらかと言うと、GGOの世界観に近い。
頭上を見上げれば、かつての上層プレートの遺構から回収された巨大な鉄骨や鉄くずが、臨時のクレーンによって幾重にも組み上げられている。四方を見渡せば神羅カンパニーの象徴とも言えるミッドガルの残骸から剥ぎ取ってきた鋼鉄の板や、崩落したビルから削り出された瓦礫を歪に継ぎ接ぎにして建てられた雑多な建造物が地平線を埋め尽くすようにして犇き合っていた。
地面は舗装されたばかりのアスファルトが広がり、周囲の土地から流れ込んだ砂埃を巻き上げながら、数多のトラックや三輪貨物車が排気音を響かせて行き交う。
その間を、過酷な星の災害を生き抜いた無数の人々が、互いに大きな声を掛け合って資材を運びながら忙しなく歩いていた。
広場の中央には、あの『究極魔法メテオ』の驚異から星が救われたことを象徴する歪んだ『鉄の記念碑』が、この大地に安置するようにして鎮座している。
プローブのレンズがういいん、ういいんと滑らかに回転し、その荒々しくも活気に満ちた『異世界』を、キリトとチャドリーが開発したデバイスで捉えていた。
スピーカーから弾けたのは、心からの感動に震えるユウキの声だった。
『す、すごいや!! クラウド、ティファ!! 見てよあの空!! すっごく青くて、なんだか吸い込まれちゃいそう!! それに建物のほとんどが鉄とコンクリートで出来ていて、ALOのお城みたいな建物はないけれど、そこに生きている人達の足跡がそのまま形になったみたい。ものすごくリアルで迫力があるよ!!』
またしてもチャドリーからの忠告など頭の片隅から吹き飛んでしまったように、ユウキは胸の奥から湧き上がる高揚感を抑えきれずに声を響かせた。
彼女の知覚に流れ込んでくるのは、無機質な鉄屑の姿、行き交う人々の怒号に似た活気、そして地面から立ち上る熱気。
疑似的な渡航とはいえ、レンズの向こう側に広がる『もう一つの現実』の圧倒的な情報量が、少女の心を激しく揺さぶっていた。
「········静かにしろ、ユウキ。そんなに大声を出すと機械が壊れるとチャドリーが言っていたはずだ」
クラウドは腰に背負った合体剣の一部の重みを感じながら、周囲を行き交う歩行者達の視線を避けるように、少しだけ顔を顰めて低く呟いた。
このデバイスはまだどこも開発していない。
それが何よりの懸念であり、そしてそこから発せられる声は『別世界の住人』であるということ、それがクラウドの不安を煽っていた。
『異世界』というものが本当にある、それが本当に世間に知れ渡ったら、また争いが起きるかもしれない。異世界への転移は仮想世界でしかできないが、いまこうしてユウキはカメラを通じてこちらを見ている。
つまり。
このまま技術が進めば、もしかしたら神羅の技術を使って“あちら側”へ行こうとする者が出てくるかもしれない。
考えすぎだ、と言われたらそうかもしれない。
しかし、そう思って仕方がないクラウドはとにかく心臓に悪かった。
ティファの肩から少女の活発な声が鳴り響くたび、すれ違う人々が怪訝そうな目を向けてくるのが、人一倍目立つことを嫌う元ソルジャーには少しだけ居心地が悪かったのだ。
「いいじゃないクラウド。ユウキは初めてこの街········ううん、ユウキ達が生きる場所とは違う世界を見てるんだから。興奮するのも無理ないよ」
ティファは右肩のプローブを愛おしそうに庇いながら、困ったような顔を浮かべつつも心底楽しげな微笑みをクラウドに向けた。クラウドは思わずムっとしたような表情をするが、カメラ越しのユウキも『そうだそうだ!!』なんて声を響かせる。
そして。
ティファは肩のレンズに視線を合わせるようにして、優しくこの街の成り立ちを語りかける。
「ユウキ、驚いたでしょ? このエッジっていう街はね、前にも話した神羅カンパニーのあったミッドガルが崩壊した後に、みんなで力を合わせて一から作った場所なの。まぁ、確かにALOみたいにまだ綺麗なお城のような建物はないけれど、みんなここから新しい生活を始めようと必死に生きているんだよ。今までずっと魔晄を組み上げていたせいで覆われることが多かった空もずっと晴れるようになって、それであの青空を照らす太陽がみんなの支えになっているの」
『うん、歩く人達を見てると分かるよ!! みんなの歩くスピードがすごく速くて、なんだかやる気に満ちてる!!』
興奮気味にそう答えたユウキだったが、プローブのレンズがういいんと小さな音を立てて、街並みからすぐ隣を歩く二人の姿へと焦点を結んだ瞬間。
『それにしてもさ』
「うん?」
スピーカーの振動板が微かに震え、熱烈な感嘆の吐息へと変わった。
仮想世界、ALOでのアバターを通じても、クラウドとティファの二人の容姿がどれほど整っているかは知っていたつもりだった。以前、ALOでクラウドのログアウトを手伝った時や、アスナを救出した時は二人とも人間の姿だったから、その整った容姿は誰が見ても異常だと思えるくらいに光り輝いていた。
けれど。
こうして『現実の身体』を持って、その隣を歩く二人の圧倒的な存在感はユウキの想像を遥かに凌駕していた。
衣服の繊維が擦れ合う微細な音、陽光を浴びて金色と黒色に煌めく髪の一筋に至るまでが、疑いようのない『現実』という驚異的な解像度を以て、少女の知覚へと流れ込んできたのだ。
『こうして近くで二人の本当の姿を見てると、なんだか不思議。なんでだろうね? ずっと一緒にいたのに、なんだか二人とも別人のように感じちゃって·······ボク、胸がすっごくドキドキしちゃうや。ティファは髪も肌も透き通るみたいに綺麗だし、美人で羨ましいよ!!』
「ふふ、ありがとう。そんな風に言ってもらえるとなんだか照れちゃうね」
ティファが白い頬を少しだけ朱に染め、隣に立つクラウドへと共感を求めるように悪戯っぽく視線を向けた。
一方で。
クラウドはその屈強な腕を組んだまま、どこか居心地悪そうにずっと視線を泳がせている。
自分に向けられる無垢な称賛や親愛の情をどう受け止めていいか分からず、ただ不器用そうに佇んでいるのがいかにも彼らしい。
プローブのレンズが、そんなクラウドの端正な横顔をじっと捉える。
ユウキは仮想世界で共に風を切り、剣を交えた日々の記憶を愛おしく思い起こしながら、ふっと声のトーンを落とした。
『ねえ、クラウド。前にも言ったと思うけど──────』
そこで言葉が、綺麗に区切られた。
一拍の間。
広場の喧騒の中に、微かな機械のハミングだけが流れる。
クラウドは少女の急に真剣になった響きに、何か戦いに関する重要な問いかけでもあるのかと無意識に身構え、前を見据えたまま僅かに眉を寄せた。ティファもまた、ユウキが次に何を紡ぐのかと面白そうに目を細めて耳を澄ます。
次の瞬間。
静寂を鮮やかに割って飛び出してきたのは。
悪戯っぽく、ちょっとからかいつつも素直な称賛の声だった。
『クラウドってやっぱり········すっごくイケメンなんだね!!』
「───────ッ!!!」
想定の斜め上、あまりにも直球すぎる言葉を突きつけられたクラウドは、目に見えて動揺した。
以前も言われた言葉。その言葉自体は嬉しいものだが、しかしそんな直球に褒められると精神面が幼児並みに耐性がないクラウドは、激しく人見知りを発動して狼狽えたように目を背ける。
いつもならどんな強敵の奇襲にも動じないソルジャーの身体が、一瞬にして硬直する。
歩調が乱れ、返す言葉を見つけられないまま、鋭い魔晄を浴びた者の目が丸く見開かれた。
「ふふっ、ユウキったら直球すぎだよ!!」
ティファは堪えきれずに吹き出し、両手で口元を覆いながら楽しげに肩を揺らした。
普段は無口で周囲を寄せ付けないクールな雰囲気を纏っている元ソルジャーが、たった一言の無邪気な少女の称賛によって完全に形を崩されている。
その様子が、彼女にとっても微笑ましくて仕方がなかったのだ。
「行くぞ················いつまでも同じ所に突っ立っていると邪魔になる」
クラウドは盛大に咳払いを一つ挟むと、胸の動揺を無理やり覆い隠すようにして、逃げるように素早く前を向いた。
そして大股の足取りでスタスタと、急に早足になって歩き始めてしまう。
しかし。
ティファの肩の上で正確に追従するプローブの高性能なレンズは、彼の背中の細かな変化を決して見逃さなかった。
前を見据えて足早に進むクラウドの鋭い金髪の隙間から覗く耳の尖端が、夕焼けのようにはっきりと僅かに紅く染まっているのが鮮明に映し出されていたのだ。
『あはははは!! クラウド!! 耳が真っ赤だよ!! そんなに照れなくても本当にイケメンなんだから自信を持ちなよ!!』
ユウキはクスクスと、それこそ子供らしく微笑む声を漏らした。
デジタルノイズの欠片もない瑞々しい少女の笑い声が、どこまでも青く晴れ渡ったエッジの空へと軽やかに溶けていく。
「前を見て歩かないと人にぶつかるぞ」
「クラウド、歩くのが速いってば。ユウキに街の景色をちゃんと見せてあげてよ」
ティファが呆れたような、しかし深い温もりを含んだ苦笑を浮かべながらクラウドの背中を追う。クラウドはそれ以上言い返すこともできず、ただ耳の赤みを隠すように頑なに前を向いて歩く速度を保つ。
三人はさらに進み続け、中心広場を抜けて居住区へと続く道に入り始めていた。
道の両側には即席の露店が並び、生活用品や資材に混ざって怪しげな掘り出し物を並べた小さな棚が青空の下で輝いている。
『ねえねえ!! あの角にあるお店、すっごい綺麗な緑色の水晶玉がたくさん並んでるよ!! クラウド、あれってALOでも使ってたマテリアっていうやつ?』
レンズが古びたフェルト布の上に並べられた、手のひらサイズの『美しい球体』へと吸い寄せられる。
クラウドは足を止めずに、その棚を横目で一瞥した。
「ああ、魔晄が凝縮した結晶········マテリアだ。ミッドガルと共に神羅カンパニーが崩壊した後も、ああいう『かいふく』のような基本的なものは護身用や怪我の治療のために普通に売られている」
『へぇ、あれが本物のマテリアなんだ!! クラウドがあの時、ALOで使ってたものとはなんだか輝き方が全然違うや。その魔晄のエネルギーがぎゅっと詰まってる感じがレンズ越しでもよく分かる!!』
「········あまりじっと見つめるな。商売の邪魔だと思われる」
『はぁ〜い········』
クラウドは呆れたように低く呟いたが、その表情は先程までの硬さがすっかり消え、どこか懐かしむような穏やかさを湛えていた。
たとえ神羅がなくなっても、マテリアの利用は今も続いている。
基本的な物、それこそどこでも手に入るようなものしか売られていないが、それでいいと思う。
強い魔法が封じ込められたマテリアは争いしか生まない。せめて、護身用に威力の弱い魔法マテリアを一人一つ持っていればいい。
それで充分すぎる。
そう思ったクラウドはティファの前を歩き、そのまま無機質な鉄屑の匂いと人々の熱気が混ざり合う路地を抜け、三人の足は次第に賑やかな中心部から外れた静かな居住区の境界へと向かっていく。
やがて。
街の境界線が見え始めた頃、クラウドは視線を遠くへと向けた。
そこにあるのは、かつて魔晄都市ミッドガルと呼ばれた巨大な廃墟の影。
光の中でその不気味で巨大な輪郭をくっきりと覗かせている。
「ミッドガル········」
クラウドの口から漏れたその言葉に、ユウキのレンズがすかさず反応して上方を向いた。
『ミッドガルってさ、クラウド達が昔戦っていた場所なんだよね?』
「ああ········」
クラウドは歩調を緩めることなく、乾いた大地を踏み締めながら静かに語り始めた。
「星の命である魔晄を無尽蔵に吸い上げ、八つの巨大なプレートで下の世界から空を完全に塞いでいた、欲の象徴のような街だ。上層には豊かな人間が住み、下層のスラムには陽の光も当たらない奴らが惨めに暮らしていた。けれど、あのメテオが激突する直前、星自身の防衛本能であるライフストリームによって中心部は破壊され、上層のプレートも多くが崩落した。今はただの巨大な廃墟だ。住んでいる人間は誰もいない」
『そっか········』
クラウドの重みのある解説を聞きながら、ユウキはレンズ越しにその光景をじっと眺めていた。
青空の下に静かに横たわるその巨大な鉄の死骸は、恐ろしくもどこか引き込まれるような圧倒的な存在感を放っている。
彼らが命を懸けて戦い抜いたという光景が、今もそこに形として残っているのだ。
胸の奥を突き動かされるような強い好奇心と共に、言葉では言い表すのは難しい高揚感を覚えたユウキは、少し弱々しい声をスピーカーから響かせた。
『ねぇ、クラウド········あそこまで行ってもいい?』
その提案にクラウドは一瞬だけ足を止め、無言のまま、この星にとって負の遺産とも言えるミッドガルを見つめた。
ティファもまた、驚いたように肩のプローブに視線を合わせる。
ユウキからすれば、ずっとクラウド達から聞いていた場所が目の前にある。クラウド達が命を賭け、そして爆破テロを行った場所。
それは人に誇れるようなものではない。犯したテロ行為は、どれほど大義名分があろうと無差別に人の命を奪い、平穏を脅かした消えない罪だ。
そして、その原因ともなったブラック企業。
あんなものがあったから悲劇が起こったと言っても過言ではない。
薄汚れた過去の傷跡に純粋な憧れを抱いて近付こうとするユウキに、クラウドは言い知れぬ後ろめたさを覚えていた。
そんな所に行きたいと言い出したユウキに、クラウドは少し声を低くして。
「あそこは今も崩落が激しい、それにモンスターも徘徊している。観光気分で行くような場所じゃない」
どこか誤魔化すように、そう言った。
嘘は言っていない。
神羅が開発したモンスターが今も彷徨いており、弱いと言っても一般人からしたら充分危険な存在だ。
それでユウキは仮想空間では凄腕の剣士とはいえ、現実ではただの女の子。
カメラ越しとはいえ、モンスターに襲われでもしたらプローブもただでは済まない。身の安全、たとえ物理的なダメージはなくても、プローブ越しに本物のモンスターに襲われる瞬間はトラウマになるかもしれない。
クラウドとティファは並外れた身体能力があり、それでモンスターに襲われても大丈夫だが、ユウキの現実での常識が耐えられるかわからない。
だがユウキは折れない。
『分かってるよ!! でも、クラウド達がどんな場所を歩いて、どんな場所で戦っていたのか········ボク、この目でちゃんと見てみたいんだ』
「········」
レンズを必死に上下に揺らして懇願するユウキの熱意にクラウドは小さく溜息を吐いたが、その横顔には怒りといったようなものはなかった。
ユウキの視界を守るティファは、
「私はいいと思うよ。何かあっても絶対に大丈夫だし。クラウド、少し寄り道してこう?」
と優しく微笑みかけると、彼は諦めたように背中の合体剣の柄に一度触れ、
「········はぁ」
そして静かに溜息をついた。
「········ティファ、足元に気をつけろ。道が荒れている」
「うん、わかった!!」
「ユウキ、危ないと判断したらすぐに引き返すぞ。それに行くのは手前までだ。そこから先は本当に危ない」
『うん!! ありがとう!!』
<><><><><>
エッジの境界線を越えると、そこに広がるのはかつての厄災が残した傷痕をそのままに、そして乾燥した砂が波のように押し寄せて、三人の歩みを拒むかのように吹き荒れた。
周囲に停車しているのは、神羅カンパニーの元社員達が今も再建のために頑張っている証でもある、残骸を運ぶための大型貨物自動車であった。
その周囲には、崩落した上層プレートから回収されたと思われる歪んだ鉄骨の束や、高圧電線を保護していた太い絶縁パイプが、幾重にも乱雑に積み上げられている。
車体の傍らでは無骨な作業服に身を包んだ数人の男達が、青白い火花を散らしながら大型の溶断機で鉄くずを細分化する作業に追われていた。
金属の擦れ合う鈍い音と、劣化した重油の焦げる特有の臭気が、この枯れ果てた大地に混じって鼻腔を鋭く突く。
『クラウド········あれはさっき言ってた、エッジを拡張するための資材を集めているの?』
ティファの肩に据えられたプローブが微細な音を響かせながら、火花の中に佇む作業員達をレンズの奥に収めた。
スピーカーから漏れるユウキの声は、先程までの純粋な高揚からこの世界の地道な営みを凝視する真摯な響きへと変化している。
「ああ、使えるものは何でも使う。ミッドガルを解体して、新しい街を作るんだ」
クラウドは歩調を緩めることなく、ただ一瞥をくれただけで短く応じた。
背負った合体剣が彼の歩みに合わせて衣擦れに似た硬質な微音を立てる。その視線はトラックの向こう側、崩壊した都市の巨大な亀裂から覗く、今はもう誰もいないスラムの面影へと向けられていた。
今思えば、エッジもそういうところが多い。
まだまだ再建への道のりは長そうだとクラウドは溜息をついた。
『ボクの世界のゲームでも、いろんな素材を使って新しい拠点や街を築くっていうものはあったよ········でも、これはそういう遊びで再生するんじゃない。みんなが自分の手で、あの都市から未来を切り出しているんだね』
ユウキの感嘆は、仮想世界しか知らぬ少女にとって、物理的な現実が持つ重層的な意味を正確に捉えていた。
ただのオブジェクトではない。
そこにある鉄錆の一片、ボルトの一つ一つにかつてそこで生きていた人々の記憶と、それを回収して再起を図ろうとする生きる者達の意志が、目に見えぬ思いとなって積み重なっているのだ。
「最初は、誰もがみんなただ生き延びるだけで精一杯だった········でも、今はみんなあそこから離れて前を向こうとしている。だから希望の象徴って言われてるんだ」
ティファが優しく微笑み、肩のプローブに語りかける。
彼らの前を横切るように、別の貨物車が煙を吹き上げながら走り去っていった。
その荷台には神羅の旧式パーツと思われる、精密な計器類や配線盤が隙間なく積み込まれている。それはかつてこの世界を支配した過剰なテクノロジーの残骸であり、同時にこれからの生活を支えるための貴重な部品でもあった。
鉄を焼き切る溶断機の鋭い高音や、重機が軋みを上げて瓦礫を反転させる地響きが、背後へと遠ざかっていく。
巨大な隔壁の直下へと近付くにつれ、空気は一層冷え込んでいく。
見上げるほどの高さにあるプレートの裏面は、メテオの熱線によって融解し、再び凝固したことでまるで巨大な鍾乳石のような不気味な造形を描いていた。
自然の産物ではなく、人類の過ちと星の抵抗が遺した、歪な跡地。
するとクラウドは。
何を思ったのか、不意にその場に歩みを留めた。
そして。
「ユウキ········これまでの光景を見て、この世界をどう思った?」
低く、しかしプローブの受信機を直接震わせるような、確かな問いかけだった。
隣に立つティファが動きを止め、緊張を孕んだ眼差しでクラウドの背中を見つめる。
彼の屈強な肩幅と、そこに腰に背負われた得物のシルエットが、西日の逆光の中で重厚な影となって大地に落ちていた。
『········』
ユウキはすぐには答えなかった。
静寂が、三人の間に重く伸し掛かっていく。
上層プレートの底面から吹き降ろす風は荒野の熱を奪い去り、肌を刺すような冷気となって周囲を侵食していた。遠方で微かに爆ぜる金属の火花、錆びた鉄から削られた鉄屑が風に煽られて地面を滑っていく乾いた微音。
それら全ての環境音が、世界の広大さと、それに比した人間の小ささを際立たせる。
ティファの肩にあるプローブは、この地一帯に微かに残留する魔晄の磁場を感知したのか、微小な電子ノイズを発生させていた。
内部に組み込まれた超小型の歯車が『チチチ········』と細かな音を立てて噛み合い、焦点を合わせ直すためにレンズの絞りが前後に幾度も往復する。
ユウキはその小さな機構を通じて、眼前に佇む崩落の爪痕を、言葉もなくただ凝視し続けていた。
『········“生きてる”、って思うよ』
長い沈黙の果てに漏れたユウキのその声。
それは微かな震えを帯びていながらも、どこか澄み切っていた。
『ボクの世界の街やダイブした先で見たいろんな景色は、どれだけ綺麗でも、どこかで作られたものだった。綺麗に整えられて、管理されて、終わったら次のデータに書き換わる········でも、ここは違う』
小さなプローブが、僅かに上下へ揺れる。
ユウキが肯定するように首を振った気配が伝わってきた。
『傷だらけで、不格好で、痛々しいくらいにボロボロで········でも、誰もが自分の息で、自分の足で、明日を掴もうとしている。この冷たい風も、鉄の錆びた光景も、全部が本物なんだね。綺麗事だけじゃない、ここで生きるってこういうことなんだって、すごく胸に響くよ』
ユウキの電子化された言葉が、冷え切った大気の中に溶けていく。
「ユウキ········」
その言葉を受け止めた瞬間、ティファは胸の奥を小さな衝撃が通り抜けるのを感じていた。
かつて全てを失った七番街のスラムの崩壊、親しい人々との永遠の別れ。
そして。
絶望の底から自分達の手で新たな都市、エッジを立ち上げてきた、幾多の苦難に満ちた日々の歩み。
それらは決して平坦な道ではなく、時には立ち止まり、涙を流すことの連続であった。しかし、この『別世界から訪れた少女』は、その痛ましい歴史の集積を悲劇として憐れむのではなく、力強い『生きる想いの力』として肯定してくれたのだ。
ただの荒涼とした世界ではない。
ここに生きる人々の意志が本物であると認めてもらえたことに、ティファは救われるような静かな感動を覚え、そっと視線を落とした。
「········」
クラウドは振り返らない。
ただ。
その硬質な肩の線が、僅かに和らいだように見えた。
彼は魔晄の光を宿した瞳を僅かに細め、少女の言葉の余韻を噛みしめるように、地平の先をじっと睨んでいた。
作り物ではない痛みと、それを越えて前を向く人々の営み。
その尊さを、仮想世界を駆け抜けてきた彼女が自らの目をレンズを通して見つめ、肯定してくれたこと。
そのひたむきな眼差しと、崩壊の残骸のなかに希望を抱く姿に触れたとき。
クラウドの胸の中で、かつてこの世界のために戦った“親友”と“彼女”の面影が、今を懸命に生きようとする少女の姿と確かな一本の線となって重なり合う。
「········」
彼は半身を僅かに翻し、ティファの肩に固定されている小さな機械へと、その視線を迷わず向けた。
「ユウキ········お前に見せたいものがある」
低く、しかし鼓膜の奥へと深く染み入るような声だった。
その言葉に含まれた特別な温度と重みを瞬時に察したのか、隣に立つティファもまた、息を潜めるようにしてクラウドの横顔を見つめる。
彼がその胸の奥底に秘めていた次なる目的地がどこであるのかを、彼女は直感的に理解していた。
『え········? ボクに、見せたいもの········?』
スピーカーから漏れたユウキの戸惑いの声に、クラウドは小さく頷き、再び視線を荒野へと向けた。
「ああ。お前がこの世界の傷跡に希望を見出してくれたからこそ、一人の剣士として、お前にだけは見ておいてほしい場所········“アイツ”らがいる場所だ」
クラウドはそれだけ告げると、迷いのない足取りで再び歩き始めた。
進行方向は、ミッドガルの内部へと続く崩落した道ではなく、巨大な円盤状の構造物から徐々に距離を置くように、外側へと延びる未舗装の広大な荒野へと向けられていた。
西日はすでに傾き始め、鋼鉄の廃墟となった街が落とす長い影は、荒野のさらに奥へと根を伸ばすように広がっている。
斜光を浴びて鈍い橙色の照り返しを放つ合体剣の金属光沢を背に、クラウドは静かに先導を続ける。
一歩一歩。
過去の足跡を辿るようにして荒涼とした道を進み行く彼らの靴底の音が、規則正しいリズムとなって夕闇の迫る広大な荒野へと深く響き渡っていく。
そして。
その風化の途上にある過酷な戦乱の記憶を通り抜けた、その先。
そこにあるのは、一つしかない。
何もない荒野のただ中に、それは静かに突き刺さっている。
あの──────“夢と誇りを受け継いだ大剣”が。