空間の全方位を埋め尽くした観衆の絶叫は、すでに個々の人間の発声を判別できないほどに巨大な地鳴りとなり、すり鉢状に積み上げられた競技場の石壁を激しく叩いていた。
競技場の全天に設置された増幅魔法付きの巨大なスピーカーは限界に近い出力によってびりびりと震え、空間の密度そのものを物理的に歪ませるかのような不協和音を周囲に撒き散らしている。
西ブロックの決勝戦において、金髪の剣士が披露した前代未聞の連続乱舞。
その信じがたい光景を目撃した衝撃は、観客席のあちこちで暴動一歩手前のパニックとなって弾けていた。
ある者は。
自身の座席から身を乗り出すようにして、システムが天上に描いた『WINNER:cloud』という文字列を凝視したまま呼吸を忘れている。
またある者は、隣に座る見知らぬプレイヤーの肩を掴んで激しく揺さぶり、自らの正気を確かめるように何事かを喚き散らしていた。拳を天に突き上げて絶叫するサラマンダーの剣士達の声は自分達の将軍が敗北したことへの嘆きではなく、未知の強者に対する畏怖の叫びへと変貌を遂げている。
このアルヴヘイムという仮想世界がサービス開始以来積み上げてきた剣技の最高設定値を、力任せに根底から覆す規格外の剣技。
それは、数万の観衆の脳内へ同時に叩きつけられた解釈不能な理不尽としての意味合いを帯びていた。
競技場の中央に未だ漂う、蒼い光の粒子の残光。
それが周囲の空間に溶けていく様を見つめながら、観客達は誰もが己の視覚を疑っていた。
ALOの戦闘における連撃数の限界は、システム的な補正や硬直時間の関係上厳しく管理されているはずだった。
それを一振りの巨大な大剣で、しかもアシスト機能による光跡すら伴わずに成し遂げたという事実は、ゲームの根幹を揺るがすほどの事態として熟練のプレイヤー達のプライドを粉々に打ち砕いていた。
中央のサークルで背中の大剣アポカリプスを無造作に納めるクラウドの背中には、数万の視線が針のように突き刺さっている。しかし、そのツンツン頭の剣士は自身の周囲に巻き起こっている狂乱など端から眼中にないと言わんばかりに、ただ静かに佇んでいた。
その孤高のシルエットが観衆の興奮をさらに煽り、腹の底から湧き上がる歓声の音量を天井知らずに押し上げていく。
そして。
特等席の最前列に陣取っていたクラインは、その太い腕で自身の頭を抱え込むようにして、半開きの口から乾いた息を漏らしたままであった。
「おいおい、冗談だろ········!? ユウキちゃんの十一連撃でも人間の神経伝達速度を超えているっていうのに、その上にまだ四つも上乗せするなんて········システムのエラーか何かの間違いじゃないのかよッ!?」
「ほんと········あり得ないわね········ッ!!」
その言葉に応じる者は、周囲に誰もいなかった。
リズベットも鍛冶師としての視点から眼下の舞台に深く刻まれたクレーターと、クラウドが背負う大剣の切っ先を交互に見つめたまま、金縛りに遭ったかのように微動だにできずにいる。
アバターの肉体が帯びる筋力値、武器の物理的な耐久値、そして空気抵抗の計算。
どれほどゲーム内の規約を頭の中で組み立てようとも、先程の高速連続乱舞の動作を説明することは到底不可能だった。
「それだけじゃないわ········!!」
シノンが、いつも以上の緊張を瞳に宿らせながら呟いた。
「あの十五回の軌跡、システムの描く光のアシストに身を委ねるのではなく、クラウドの純粋な剣技だけで空間を切り刻んでいた。あんなの、VR世界のパラメーターの調整だけで再現できるはずがない。彼が剣を振るったという事実だけが、そっくりそのまま結果として世界に出力されているみたい」
その言葉に同調するように、観覧席にいたリーファやシリカ、エギル達もその圧倒的な剣技の前に言葉を失って立ち尽くしている。
仮想空間のルールの中で最強を目指してきた彼らにとって、クラウドの存在は戦い方の前提そのものが異なる『別の地平からの来訪者』であった。
そんな仲間達が驚愕の波に呑まれていく中、キリトだけは手元で自身の剣の感触を思い出すように微かに指先を動かしながら、鋭い視線をクラウドへと注ぎ込んでいた。
彼の脳裏にはかつてSAO攻略時代に見た、仮想空間の常識に囚われずにフィールドを渡ってきた、『何でも屋』の姿が鮮明に蘇っていた。
「·······ゲームの仕様の枠に収まる奴じゃないのは知っていたが、まさかここまでこちらのシステムに自分の剣技を適応させてくるとはな」
キリトの声は驚きを通り越し、一人の剣士としての純粋な歓喜に震えていた。
「あの十五連撃·······クラウドっていう存在そのものがこの世界に刻みつけた、唯一無二の絶技だよ。ゲームのプログラムが用意したスキルじゃない。アイツ自身の誇り、そのものだ」
キリトのその言葉を、アスナの隣に座る紫髪の少女ユウキが自身の胸の奥へと深く染み込ませるようにして聞いていた。
少女の瞳には、大地を照らす太陽をも凌ぐほど鋭く、熱い輝きが宿っていた。
「凄い··············凄いよ、クラウド·········ッ!!」
限界を超える現実のリハビリの果てに、ようやく掴み取った東ブロックの頂点。
キリトとの死闘を終えて、これ以上ないほどに燃え尽きかけていた彼女の魂に·······今、クラウドが放った蒼い軌跡が爆発的な火を灯していた。
周囲のプレイヤー達が恐怖や困惑、そして熱狂に囚われる中、ユウキだけはその規格外の強さの中に自分に対するこれ以上ない『誠実さ』を感じ取っていた。
興奮の波は競技場内だけに留まらず、ネット放送局のMMOストリームを通じ、全VRワールドへと伝播しつつあった。
増幅魔法によって中継されている各地のスクリーンの前でも無数のプレイヤーが言葉を失い、新たな伝説の誕生に立ち会ったことを確信していた。各種族の領主達や、上位ギルドのマスター達も、この西ブロックの決勝の結果を受けて自身の戦略を根本から見直さざるを得ないほどの衝撃を受けている。
「アスナ·······ボク今、すっごく胸が熱いんだ」
握り締めたユウキの小さな拳が、歓喜のあまり微かに震える。
「クラウドはボクの依頼を果たすために、本当に本気で受け止めてくれた。クラウドはボクが病気だからって手加減なんかしない。一人の対等な剣士として、本気で迎え撃つ気で来てくれるんだ··············ッ!!」
対戦相手を『病人』として憐れむ大人の目、あるいは運命の理不尽さ。
そうした周囲の配慮を、クラウドの放った十五連撃は完全に消し飛ばしていた。本当だったらその大技をユウキとの決勝の時まで取っておいても良かったはずなのに、彼はここで繰り出したのだ。
それは何故か?
大技を見せることで、『自分は強い、覚悟しておけ』と伝えるためだったからだ。
あれほどの大技を隠すつもりもなく、わざわざ堂々と見せたということはリスクに繋がる。ユウキほどの剣士ともなれば、あの技をどう攻略するかという作戦を立てようとするのは容易に想像できる。それでも、彼は出し惜しみなく技を披露した。
半端な覚悟で挑むつもりはない、クラウドという男は誇りを胸に挑む真の剣士。
ユウキを弱者とは見ない、そこにあるのはただ純粋な、強者としてのリスペクトだけだった。
アスナはその横顔を見て、胸にこみ上げる温かい感情を抑えながらそっと微笑み、彼女の細い肩を抱き寄せた。
「うん·······行っておいで、ユウキ。もうクラウドさんは待ってるよ。あなたの·······夢と誇りを受け止めるための剣を持って」
「────うん!!」
元気よく頷くと、ユウキは決勝戦の準備のために割り当てられた地下へと続く控室への通路へと躍るように駆け出して行った。
地鳴りめいた歓声は、未だに収まる気配を見せない。
むしろ。
東ブロックを制した《絶剣》と、西ブロックを壊滅させたクラウドという、二つの異なる頂点がこれから激突するという事実が理解されるにつれ、観客席の熱量は爆発的な暴走を見せ始めていた。
舞台の上の砂塵が風に流され、熱狂が闘技場を包み込んでいく。
数万の観衆が発する歓声は、これから始まる『本当の決戦』を歓迎するように。
さらに大きく、どこまでも高く燃え上がっていく。
<><><><><>
地下の薄暗い通路を抜けた先、視界を塞いでいた闇が一気に弾け、天頂に位置する太陽の強烈な光が二人の剣士の全身を容赦なく照らし出した。
円形競技場の地へと足を踏み入れた瞬間、すり鉢状の観客席から興奮となって押し寄せる地鳴りめいた歓声が、現実世界の鼓膜を物理的に揺るがすほどの圧力となって吹き抜ける。
白く輝く真昼の光を反射して、中央に設けられた舞台からは熱気が陽炎のように立ち上っていた。
数万の群衆の視線はもはや一つの混沌とした熱の塊となり、中央のサークルへと集中している。
天上に浮かぶシステムメッセージは東ブロックの覇者《yuuki》と、西ブロックの勝者《cloud》の名を、眩い光の下で鮮明に発光させていた。
互いの距離が数メートルに達した場所で、二人の歩調が同時に止まった。
金髪の剣士の佇まいには急ぐ気配もなければ、周囲の狂乱に惑わされる様子もない。
背負った幅広の大剣アポカリプスの重みを大地の踏み込みへと変え、ただ静かに佇んでいる。その首に巻いている赤いマントが、決戦の底に巻き起こる砂混じりの風に小さくはためいていた。
対する紫髪の少女は腰の細身の片手剣の柄にそっと指先を添え、一人の強者としての視線を正面の剣士へと注ぎ込んでいた。
現実の過酷な闘病、そして身体の自由を取り戻すための限界を超えた訓練。その全ての歩みが、アバターの足に確かな安定感となって大地を捉えている。
二人の間に漂う気配の余韻が、周囲の空気の密度を塗り替えていく。
その沈黙を破るように、ユウキが小さく唇を開いた。
「待たせちゃったね、クラウド。西ブロックの試合、ちゃんと全部見せてもらったよ」
「··············」
その表情にはいつもの天真爛漫な子供のような無邪気さはなかった。
一人の剣士としての毅然とした輝きを帯びた瞳が、真っ直ぐに金髪のソルジャーを射抜いている。
「わざわざあんな大技をボクに見せるように使ってさ··············『半端な覚悟で来るな』って、そういう意味でしょ? ボクを病人扱いしないで全力でやるって、そういう約束の代わりでしょ?」
クラウドは肩の力を抜いたまま、彼女の言葉を静かに受け止めていた。
背中にあるアポカリプスの柄へと右手を伸ばすその動作は滑らかで、一切の無駄がない。
「お前がキリトを破った時点で、俺は何の心配もなく戦えた。だから、俺の全力を見せることに迷いはなかった。何でも屋として依頼を引き受けた以上、相手が誰であれ、出し惜しみをするつもりはない」
クラウドのぶっきらぼうだが、確かな敬意を乗せた声。
「えへへ········やっぱりクラウドって最高にかっこいいね。ボク、すっごく嬉しいよ」
それに応えるように、ユウキは珍しく不敵に笑ってみせた。
「ねえ、クラウド。ボクは全力のクラウドを、ボクのこの剣で超えてみせる。それがボクの·········ボクだけの『誇り』だから!! 準備はいい?」
「ああ·········約束通り、一切の妥協もなく、全力でお前を斬りに行く」
クラウドが重厚なアポカリプスを背中引き抜くと、白昼の太陽を浴びた赤黒い刃がぎらりと凶暴な光を放った。
ユウキもまた、腰の細剣を音もなく引き抜き、鋭い構えへと移行する。
観客席の最前列で見守るキリトやアスナ達も、二人の短い言葉の応酬を息を呑んで聞き届けていた。
システムのアシストに頼らず独自の戦闘技術を貫く男と、その規約の枠内で究極の神速へと達した少女。
この世界の歴史上、最も歪で、最も美しい一騎打ちの火蓋が、今まさに切って落とされようとしていた。
試合開始を告げる無機質なカウントダウンが、全天のスピーカーから響き渡る。
数字がゼロへと切り替わった、その直後。
二つの輪郭が、観衆の視界から完全に消失した。
直後に響いたのは、金属の衝突音ではない。
地を揺るがすような、凄まじい衝撃波の風圧だった。
<><><><><>
舞台の中心から炸裂した暴風は、表面に薄く積もっていた砂粒を綺麗に薙ぎ払い、周囲の石壁へと叩きつけていた。
視覚的な捉え方を無慈悲に置いていくほどの速度で接近した二人の影は、その後互いの間合いが交錯した瞬間から常人の眼では到底追いきれない高速の域へと突入していった。
先に主導権を握りにかかったのは、東の頂点たるユウキであった。
彼女が手にする細身の片手剣は、この世界を生き抜いた故に手に入れたシステムのアシストによる直線的な加速を纏いながら、クラウドの急所へ向かって一点の狂いもない神速の刺突を繰り出す。
その刃先が描く軌跡は、太陽の下で紫色の光線と化していた。
しかし。
異世界のソルジャーは、そのレーザーの如き襲撃を正面から受けるような愚は犯さない。
数多の冒険の最中に巡り合ってきた強敵達との戦闘で培われた間合いの感覚、あるいは相手の肩の筋肉の微かな収縮から次の挙動を察知する野生的な勘が、細剣の到達点をあらかじめ見切っていた。
クラウドは上半身を僅か数センチメートル後方へ引くと同時に、アポカリプスの幅広の身を斜めに傾け、その切っ先を滑らせるような鮮やかな受け流し、殺された力を瞬時に次の推進力へと変換させてユウキは空中で鋭く身体を反転させた。
キィィィン、と。
耳を聾するような高周波の摩擦音が空間を震わせる。
受け流された力をそのまま次の推進力へと変え、ユウキは空中で独楽のように鋭く身体を反転させた。一瞬の硬直すら排したその身のこなしは、上段からの鋭い斬り下ろし、脇腹を狙う水平の薙ぎ払い、あるいは足元を刈り取る変幻自在の軌道へと瞬時に形を変える。
ゲームのプログラムがあらかじめ用意した定型のモーションとは明らかに異なる、彼女自身の天性の反応速度が齎す即興の連撃であった。
クラウドの視線が、その紫色の光の軌跡を静かに捉え続ける。
背負った大剣の圧倒的な重量を全く感じさせない洗練された体術を以て、クラウドはアポカリプスを最小限の範囲で動かし、ユウキの攻撃の全てを正面から叩き落とし、あるいは側面から弾いていった。
衝突のたびに散る火花が、真昼の光の下にありながらも眩いばかりの残光となって空間に焼き付いていく。
「信じられない·······システムアシスト機能を使っていないのに、ユウキの剣を全部見切って防いでいる·······!!」
観覧席の最前列で身を乗り出していたシノンが、息を呑みながらその様子を注視していた。
こちらの世界における剣と剣の戦闘は、システムが提供するスキルの発生速度とそれに対する硬直時間の計算によって成り立つのが常識であった。
しかし、眼下のクラウドという剣士が行っているのは、純粋な身体能力と剣技のみによる実戦の捌きである。規約の枠組みを根底から無視したその戦いぶりは、熟練のプレイヤーであればあるほど、戦慄を禁じ得ない光景であった。
ユウキの攻撃の鋭さは、攻防を重ねるごとに加速度的に増していく。
現実の病室で、鉛のように重い四肢を動かそうと足掻き続けた過酷な訓練の日々。
その中で培われた『もう一度この足で立ち、仲間達と共に歩んでいく』という強い意志の力が、この瞬間に仮想空間のアバターを通じて爆発的なエネルギーへと昇華されていた。一歩踏み込むごとに、彼女の足元からは空間を引き裂くようなエフェクトが激しく噴き出す。
対するクラウドの防御には、どれほどの猛攻を浴びようとも寸分の隙も生じなかった。
ぶっきらぼうな表情の裏で、彼は現実の世界において過酷な裏方の任務を一手に引き受け、自分をこの最高の舞台へと送り出してくれたティファの存在を想っていた。彼女の献身に報いるためにも、目の前で命を輝かせる少女に対し、手加減などという侮辱は絶対に許されない。
何でも屋として······そしてソルジャーとしての誇りが。
彼の剣士の腕にさらなる活力を上乗せする。
「フ·······ッ!!」
クラウドは小さく呼気を吐き出すとアポカリプスの柄を両手で固く握り直し、初めて自らの足で大地を蹴って前へと踏み込んだ。
スキルの発動を伴わない、純粋な腕力と踏み込みの勢いだけで繰り出される豪快な一気の下段斬り。大剣が巻き起こす凄まじい風圧だけで、舞台の最前列にいた周囲のプレイヤー達の頬が激しく煽られる。
正面から受け止めれば、武器の耐久値ごと身体を叩き潰される。
「ッ!?」
そう直感したユウキは背中の半透明の翅を爆発的に羽ばたかせ、垂直上方へと跳躍した。
アポカリプスの刃が地面を深く抉り、破片が陽光の輝きを浴びて周囲へと激しく飛び散る。
上空へ逃れたユウキの視線の先、クラウドのツンツンとした金髪が本当に目と鼻の先で揺れていた。地面を激しく蹴った剣士の肉体が、重力の法則を一時的に忘却したかのような跳躍力で、瞬時に彼女と同じ高度へと接近していたのだ。
足場の存在しない、不安定な宙空の領域。
そこで二人の剣士の視線が、再び至近距離で交錯した。
「まだだよ、クラウド·······!!」
「!!」
ユウキは空中で身を捩るようにして姿勢を制御し、細剣の先端を無数にブレさせながら、上方からの連続刺突を雨のように降らせた。それは単発の技の組み合わせでありながら、システムの支援を受けた通常の連撃スキルを凌駕する密度を有していた。
クラウドはアポカリプスの平らな面を盾のように自らの前方に掲げ、その無数の突きを金属板で受け止めるような連続音と共に凌いでいく。
カンカンカンカン、と。
小気味よくも激しい音が響き渡り、火花が二人のアバターの輪郭を白く縁取っていく。クラウドはそのまま大剣を大きく一振りし、空中の大気を力任せに薙ぐことで生じた突風によってユウキの身体を数メートル後方へと押し戻した。
互いに一度、競技場の地面へと着地する。
その足が砂を踏みしめた衝撃で、再び小さな砂煙が舞い上がった。
<><><><><>
「「·······!!」」
息を整える隙すら、二人の間には存在しなかった。
着地の衝撃を完全に相殺したユウキは、今度は地表を滑るような低空の突撃を敢行する。彼女の細剣マクアフィテルは地面すれすれの低い位置から、クラウドの膝元を狙って鋭く突き出された。
クラウドはそれに対し、アポカリプスの先端を地面に突き立てるようにして障壁を作り、その一撃を正面から遮断した。
ガキィン、と。
重苦しい音が響き、細剣の切っ先が大剣の鋼を激しく削る。
しかしユウキはその刃が止まった瞬間にはすでに次の行動へと移っていた。彼女は大剣の身を踏み台にするようにして高く跳び上がり、クラウドの頭上から脳天を目掛けて鋭い急降下斬りを繰り出す。
クラウドは突き立てていたアポカリプスを電光石火の速さで引き抜き、頭上へと掲げてその一撃を受け止めた。
押し寄せる下降の威力が、クラウドの周囲の地面に亀裂を走らせる。
真昼の太陽が二人の武器が噛み合う中心部でギラギラと反射し、観衆の目を眩ませていた。
「おいおい、なんて戦いをしてやがるんだあの二人··············ッ!?」
観客席のクラインが流れる汗を拭うことも忘れて呻くように声を漏らした。
「どっちも一歩も引かねえ。技の応酬っていうレベルじゃねえぞ、こりゃまるでお互いの意地の削り合いだ」
「それだけ·······二人が本気ってことですよ」
クラインが思わず二人の圧倒的な剣技を前にして慄いていると、アスナはただ祈るように両手を胸の前で合わせ、親友の少女を見つめていた。
ユウキの動きはこれまでのどの試合よりも生き生きとしており、まるで自らの命の全てをこの瞬間の剣の一振りに注ぎ込んでいるかのようだった。
その姿は痛々しくもあり、同時に何よりも神聖な美しさを放っていた。
競技場の上では、クラウドが初めて攻撃の連続性を高め始めていた。
アポカリプスを右から左へ、左から斜め上へと、流れるような大円の軌道で振り回す。
一撃一撃が周囲の空間を切り裂くような重低音の風切り音を伴い、ユウキの回避行動を少しずつ狭めていく。
ユウキはその大剣の嵐の中を木の葉が風に舞うかのような軽やかさで、紙一重の転身を繰り返して躱していった。アポカリプスの刃が彼女の衣服の布地を掠めるたびに、システムのエフェクトが小さな光の粉となって周囲に飛び散る。
「······ッ!!」
しかし彼女の視線は決して怯むことなく、クラウドの放つ大技の終着点、その僅かな隙を虎視眈々と狙い続けていた。
<><><><><>
「ハァ!!」
クラウドの豪快な横一文字の薙ぎ払いが、競技場の空間を真横に切り裂いた。
ユウキはその刃を自らの身体を極限まで低く沈み込ませることでやり過ごす。彼女の紫色の髪が、大剣の通過した風圧によって激しく逆立った。
「ヤアッ!!」
やり過ごした瞬間、ユウキはバネのように弾けて前へと飛び出し、クラウドの無防備な胸元へと細剣を突き出した。
当たればかなり削られる、いや下手すればそれで決着がつく。
攻撃の当たり判定は、その当たった部位によってヒットポイントの減りの変動具合が変わる。ユウキが狙ったのは人間であれば誰しもがそこを突かれれば一撃で死に至る急所。
勝負が決したかと思われたその瞬間。
「············ふっ」
「!?」
クラウドの口元が僅かに動いた。
クラウドは最初から、この突きを誘い出すために敢えて大振りの攻撃を繰り出していたのだ。
引き戻すには間に合わないはずのアポカリプスの柄をクラウドは左手の平で強く叩き、その反動を利用して大剣の軌道を強引に変えた。戻ってきた幅広の刃が、ユウキの細剣の側面へと猛烈な勢いで衝突する。
ギィィィンッ!!
激しい金属の衝突音が響き、ユウキの細剣は大きく右側へと弾き飛ばされた。
彼女の体勢が完璧に崩れ、アバターの防御性能が一時的に著しく低下する。
「しま············ッ!!」
ユウキの瞳が驚愕に大きく見開かれる。
クラウドはその隙を逃さず、アポカリプスを腰の捻りだけで鋭く振り抜き、ユウキの胴体へと向かって水平の打撃を見舞った。刃の腹による一撃であったが、その威力はアバターを競技場の端まで吹き飛ばすに充分な衝撃を秘めていた。
ユウキの身体は地表を何十メートルも滑るようにして後方へと弾き飛ばされ、舞台の端の壁の近くでようやくその勢いを止めた。
「く······っ!!」
彼女のヒットポイントゲージが、この試合で初めて目に見えて大きく減少する。緑色のバーが、黄色い領域へとその色を変えていた。
観客席から、大きな響めきが沸き起こる。
西ブロックの強者を叩きのめした男の一瞬の隙も見逃さない戦闘技術の前に、数万のプレイヤーが改めて緊張のあまり息を呑んだ。
しかし。
吹き飛ばされた当人であるユウキはすぐに左手で地面を叩いて跳ね起きると、自身の衣服についた砂を払うこともせず、口元の笑みをさらに深くしていた。
(本当に容赦ないや、クラウド······!! でも!! これこそボクが求めていた戦いだよ!!)
気のせいか。
彼女の全身から気合を可視化させるように薄い紫の闘志が噴き出す。
そのオーラのようなものは彼女の背中にある半透明の翅をより大きく、より鮮鮮に輝かせていた。
クラウドはアポカリプスを構え直したまま、その場から一歩も動かずに彼女の様子を観察していた。
(ユウキは間違いなく本物の剣士だな············あの一撃を受けて、すぐに立ち上がるだけの精神力がある)
異世界からやってきた『英雄』の誇りと夢を抱きしめたクラウドの胸の奥に、目の前の小さな対戦相手に対するこの上ない深い敬意が改めて刻まれていく。
「いくよ······クラウド」
ユウキは再び細剣を正中線へと構え、自身の呼吸を仮想空間のシステムと同調させていく。
彼女の周囲の大気が限界まで引き絞られた弦のように、キリキリとした音を立てて緊張の度合いを高めていった。
「ここからは······ボクの本当の全力だ!!」
彼女の足元が爆発した。
次の瞬間、ユウキの姿は消滅し、クラウドの周囲のあらゆる方向から、同時に無数の紫色の残光が走り始めた。
それは彼女がこの世界で生きた証である、恐るべき身体能力によって培われた高速の移動が齎す、視覚的な残像の網目であった。
上、下、右、左。
あらゆる角度から同時に襲いかかる、神速の刺突の嵐。
常人の技量では防ぐことすら絶望的。
「············ッ!!」
それでも、と。
クラウドはアポカリプスを自身の身体の周囲で高速で縦横無尽に回転させ、全方位からの襲撃を受け止める球体の障壁を作り出した。
ガガガガガガガガガ、と。
途切れることのない連続的な金属音が劇場の底に鳴り響き、飛び散る火花が円形の檻となって二人の周囲を囲む。
もはや剣士の戦いではない。
それはまさに異次元とも呼べる光景で、キリトは最前列でその戦闘をただ凝視していた。
「ユウキの集中力がシステムの設定されたリミッターをさらに押し広げている······あの一撃一撃、その全てがアイツの魂の叫びだ。クラウドも、それを全身で受け止めている」
「ユウキ············」
アスナの目からは、静かに涙がこぼれ落ちていた。
それは悲しみではなく、過酷な運命に立ち向かい。
今この瞬間、この世界で最も輝いている親友の姿に対する心からの感動の涙であった。
<><><><><>
全方位からの猛攻を全て凌ぎ切ったクラウドの前に、再びユウキの本体が姿を現した。
彼女は正面からの最後の一撃を、クラウドのアポカリプスの刃の根元へと叩きつける。
ギィン、と。
激しい音が響き、二人のアバターの距離が互いの息遣いが感じられるほどの超至近距離で固定された。
刃と刃が激しく噛み合い、火花が二人の顔を交互に照らし出す。
剣を削りあって生まれたその光は、彼らの瞳の輝きを一層際立たせていた。
「クラウド、ボクと本気で戦ってくれて·······本当にありがとう」
至近距離の中。
ユウキの小さな声が、クラウドの耳へと真っ直ぐに届いた。
「ボク、今ものすごく嬉しい。クラウドの剣が、ボクに希望を与えてくれてるんだ!!」
クラウドはその言葉を、ソルジャーらしい星の光を宿した瞳で静かに受け止めていた。
「なら」
クラウドはこれ以上語ることはないだろう。
ユウキの本気を全力で受けるため、彼女を本気にさせるような一言を、静かに告げる。
「これから先の未来、誇りと夢を忘れないように、希望に向かって歩いていけるように··············お前のその剣で、勝利を掴み取ってみせろ」
「··············うん!!」
二人は同時に武器を押し込み、その反動を利用して大きく後方へと跳躍した。
ユウキは背中の翅を全出力で羽ばたかせ、垂直上方へと一気に加速していく。
クラウドもまた、競技場の地面を蹴り上げ、重力の束縛を叩き切るような跳躍で彼女を追った。
太陽に最も近い、青空の只中。
足場の存在しない不安定な空中の領域で、二人の剣士は再び対峙した。
ユウキの細剣の先端に、これまでにない濃密な光の粒子が集束し、巨大な光の結晶へと姿を変えていく。
それは、このアルヴヘイムの頂点を極めた絶技────十一連撃《マザーズ・ロザリオ》の発動。
対するクラウドの赤黒い大剣アポカリプスにも、空間の底から湧き上がるような静謐な蒼い光の束が猛烈な勢いで纏わりつき始めていた。
西ブロックの決勝でユージーンを沈めた、彼だけしか扱えない────十五連撃《超究武神覇斬》の発動前兆。
システムの限界を遥かに置き去りにした二つの絶技が。
まさに今、この瞬間。
「ヤアアアアアアアアッッッ!!!!!!!」
「ハアアアアアアアアッッッ!!!!!!!」
誇りと夢を胸に、衝突した。
<><><><><>
ドッゴォォォオッッッ!!!!!
紫色の十一連撃と蒼色の十五連撃が青空の只中で真っ向から衝突した瞬間。
世界を構成する電子そのものが引き裂かれたかのような、凄まじい閃光が爆発した。
遅れて押し寄せたのは、これまでのいかなる剣撃をも凌駕する、全方位へと牙を剥く暴風のような衝撃波であった。
空中から叩きつけられたその圧力はサークルの石畳に激しく衝突し、地表を覆っていた全ての砂塵を巻き上げて巨大な壁を作り出す。強烈な風圧はすり鉢状の観客席へと一気に駆け上がり、最前列で見守っていた観衆の身体を座席ごと激しく揺さぶった。
「く·········っ!! おわあぁぁぁぁぁぁあああああああッ!!!??」
クラインが思わず叫び声を上げ、自身の太い腕を顔の前に掲げて視界を遮る暴風に耐えようとする。
「グ·········ッ!!」
「キャ!?」
「·········ッ!!」
「「「うわァァァアアアアアアアッ!!???」」」
その隣にいたキリトやアスナ、シノンにリーファ達も同様に目を開けていることすら困難なほどの光量と空気の震えに対し、腕で顔を覆わなければならなかった。
スピーカーからは負荷の限界に達したシステムが発する耳障りなハウリング音が鳴り響き、周囲の状況を把握するための視覚情報も聴覚情報も、その瞬間に全てが白く塗りつぶされていく。
上空の擬似的に作られた太陽さえも覆い隠すほどの砂煙が競技場に吹き溜まり、数万の人間が閉じ込められた巨大な石の器は不気味なほどの停滞に包まれていた。
隣にいる仲間の輪郭すら定かではない濃密な灰色の霧の中、誰かの掠れた呟きが沈黙の中から頼りなく響いた。
「どう、なったんだ··················ッ!?」
その問いに答えられる者はどこにもいなかった。
ネット放送の中継映像も、あまりの負荷に描画が一時的に乱れ、全VR世界で見守る無数のプレイヤー達が固唾を呑んでスクリーンの回復を待ち望んでいる。
やがて。
試合の場に滞留していた激しい砂嵐が上空の風に流されるようにして少しずつ、外側へと晴れていった。
視界の端から徐々に本来の色彩が戻り始め、数万の観衆の視線は、磁石に引き寄せられるかのように舞台の中心点へと、一斉に注ぎ込まれていく。
誰もが呼吸をすることすら忘れていた。
晴れゆく砂塵の向こう側。
競技場の中心に佇んでいたのは───確かな“二つの影”であった。
しかし観衆が予想していたような、一方が光の粒子となって消滅していくような光景はそこにはなかった。
「··············」
「··············」
この世界の王者を決めるための場に。
クラウドとユウキの双方が、同時に片膝を地面へとついた体勢のまま、微動だにせず静止していた。
互いの距離は僅か数メートル。
その手元を確認した熟練のプレイヤー達の間から、さらに大きな、喉の奥に詰まったような驚きの声が漏れる。
二人の剣士の手には、それぞれの得物であるはずのアポカリプスも、マクアフィテルも存在していなかった。
限界を超えた絶技同士の正面衝突によるアバター間の反発、あるいは武器の耐久値の急激な変動によるシステム的な強制解除。
理由が何であれ、二人の手には互いの誇りの象徴であったはずの剣が握られていなかった。空の手のひらを地面につき、ただ激しく肩を上下させながら、お互いのアバターの残存ヒットポイントが空間に出力されるのを待っている。
二人の頭上に、二つの巨大なヒットポイントゲージが並んで表示された。
青空の下、極限まで削り取られたバーの先端が、ミリ単位の領域で静止する。
ほんの僅か、本当に人間の眼では判別がつかないほどの微細な差。
しかし、こちらの世界のシステムが導き出した厳格な数値の上下が、明確な文字となって天上にフラッシュした。
ピィィィィィィ!!
試合の終了を告げる高音の電子音が、静まり返った円形競技場全体へと響き渡る。
試合結果。
皆がそれを見届けようと、瞬きをすることさえ忘れて天上の巨大な文字列を凝視していた。
そこにあったのは、各種族の猛者達や、数多の戦場を経験してきたキリト達でさえも予測し得なかった、仮想空間の限界が生んだ奇跡の数値であった。
本来、回数の多さだけで比較すればクラウドの放った十五連撃がユウキの十一連撃を数の上では圧倒していたはずであった。
だがしかし、クラウドの絶技はゲーム内のプログラムに用意された正規のスキルではなく、彼自身の剣士としての動きを無理やりシステムへと適応させた、謂わば『規約外の力技』に過ぎない。
そのため一撃ごとの威力配分やダメージ補正は、こちらの世界に準拠したユウキのオリジナル・ソードスキルに劣る。システム側が《超究武神覇斬》という規格外の現象を処理しきれず、威力の『減退』を引き起こしていたのだ。
逆に、ユウキが放った十一連撃《マザーズ・ロザリオ》は、この世界のシステムが保証する究極の神速と、急所への正確無比な精密性を兼ね備えていた。
クラウドが十四手目を叩き込み、最終の十五手目へと移行しようとした、まさにその瞬間。ユウキの全出力を乗せた最後の一突きが、クラウドの防御の隙間を完璧なカウンターとして貫く。
圧倒的な物量の総和と、神速が齎した急所へのクリティカル判定。
異世界の戦闘技術と、この世界の最高到達点が、空中の大爆発の瞬間に寸分の狂いもなく威力を相殺し合い、互いのアバターの耐久値を同時に消し飛ばしたのである。
それは、ゲームの物理演算の枠組みを力任せに並び立たせた、二人の剣士の意地と誇りの証明に他ならなかった。
誰もが上空にフラッシュしたその文字列の意味を理解した瞬間、言葉を失って呆然と立ち尽くした。
そう。
結果は─────
<><><><><>
統一デュエル・トーナメント、終了。
リザルト──────《yuuki》及び《cloud》同時優勝。