青い薔薇たちの物語   作:白羅

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第4話

 時は少し戻り、ライスシャワーと橘が大樹のウロ近くで話をしていたころ。

 

「ねえライスちゃん。私と仮契約結んでみない?」

「仮……契約?」

「そう、仮契約。知ってる?」

 

 ライスシャワーは首を縦に振った。

 トレーナーとウマ娘は二人でともに走り続ける契約を結ぶ。それは選抜レースを終え、正式にスカウトを受けることで成立する。トレーナーごとに育成論は違い、重視するものが変わってくる。その他性格や方針等、トレーナーとウマ娘の二人の意向が合うのか試す必要がある。そう考えたトレーナーたちが発案し、学校側も認めているもの、それが仮契約というシステムである。

 お互いに相性がいいかを見極められるかに加え、ウマ娘側はトレーナーから直接指導を受けられるため、大きくレベルアップするきっかけにもなりやすい。トレーナー側はウマ娘のことをよく知ることができるため、今後のプランを明確に立てることができるようになる。お互いにwin-winなシステムである。

 

「じゃ、話が早いね。どう、契約してみない?」

 

 橘から差し伸べられた救いの手。目の前に差し出されたそれを掴もうとしたライスシャワーだが、再び手を引っ込めてしまう。

 

「ありゃ。まだ心配なことがある? いいよ、何でも言ってみて。わかる範囲だったら答えてあげるから」

 

 覗き込むように顔を近づけて話す橘。しばらくどうしようかと視線をうろうろ泳がせていたが、意を決して聞き始めた。

 

「……ライスで、いいの?」

「うん、もちろん」

「ライスじゃどんなレースにも勝てないかもしれないよ?」

「私が選抜レースで勝てるまでは絶対に手伝い続けるよ。さっきも言ったけど、トレーナーはライスちゃんみたいな娘を勝たせるためにいるんだから。そのあとはいいトレーナーさんを探してもらうしかないけどね」

「ライスといると不幸になっちゃうし、雨だって降っちゃうよ。この前以上にどしゃぶりになっちゃうよ?」

「不幸なんて気にしない。雨は携帯傘と雨合羽があれば十分でしょ。どしゃぶりだったら濡れて帰れば、帰った後のお風呂が楽しみになるだけだからね。ああ、風邪をひかないように温かくするのを忘れずに。とにかく、悪いことだらけってわけじゃないよ」

「でも……」

 

 どうにか断られようとしてしまうライスシャワー。その懐に橘は一歩踏み出す。彼女が前に進むために。

 

「そんなに深く考えないでさ、お試しって感じでいいの。どうしてもいやになったら契約を打ち切ればいいんだから。それに、ライスちゃん中等部でしょ? まだまだこれから、チャンスはいっぱいあるからね」

「あ、ライスは高等部だよ」

「おーっと……」

 

 

 

 

「まあ細かいことは気にしない! チャンスはいくらあってもいいからね。で、今回はその一回目のチャンスだよ。どう?」

 

「一回目の、チャンス……」という言葉を最後に閉口し、頭の中でいろいろ考え始めるライスシャワー。その視線は虚空ではなく、橘の顔をとらえていた。

 急かすことなく橘は待つ。周囲にそんな二人を気に掛ける人物も、気を付けないといけないような用事もない。選抜レースはとうに始まってしまっており、今から急いでも間に合わない、と言う方が正しいが。

 ともかく二人に時間はある。橘は静かに待ち続けた。

 たっぷり時間をかけおよそ5分。ライスシャワーは「よし」と小さく拳を握り、橘をまっすぐに見据えた。

 

「決まった?」

「うん。迷惑になっちゃうかもしれないけど、よろしくお願いします」

「よろしく、ライスちゃん」

 

 まっすぐに差し出されたその手を、ライスシャワーはしっかりと握り返した。

 

「じゃあ書類書かないとね。たづなさん……は今行くと怒られちゃうな。そうだ、一応もらってた書類の中にあるかも、ならあとはお米ちゃんに書いてもらえれば」

「え、えっと?」

「その後は報告。それからトレーニングの下準備、そのためにはコースの申請を……」

 

 突然真面目に考え始めた橘と、手を握られたまま固まるライスシャワー。悲しいことに止める役はいない。

 

「それでよし。んじゃあライスちゃん、ボールペン持ってきて、ここにまた来てもらえる?」

「あ、えっと、書類だよね」

「そうそう。紙取ってくるから、ここで待っててね~」

 

 と橘は急いでトレーナー寮へと走り出した。

 ライスシャワーはその背中を見送り、握られた手に残る温かさに笑みを浮かべた。

 

 

 


 

 

 

 

「というわけで書類もついでに持ってきました! いやー、私ってやるときはやる女なんですよね、えっへん」

「そんなら毎日ちゃんとやってくれよ……俺も怒られなくて済むんだからよ」

「それはそれ、これはこれ。おっちゃん働きアリとサボりアリの話知ってる?」

「もちろん知ってる。お前は働きアリになるべきだって話だよな」

「ぶっぶー、残念。サボるアリがいないともしもの時に対応できないって話でしたー」

「今はそのもしもの時じゃねえ。からさぼらず働け、バカ」

「ぶーぶー」

 

 とまあいつも通りの夫婦漫才を始めた二人。頭の中からたづなに説教されていたという少し前の事実は抜けて、消えてしまっているようだ。

 そのたづなは橘に渡された書類を隅から隅まで目を通す。不備がないか、そして言っていることに矛盾がないかをしっかりと確かめる。

 そしてすべてに目を通し、不備も不審な個所もないことを確認し、たづなは顔を上げて二人を見た。

 

「なるほど。ライスさんが来ていないという報告はありましたが、そういうことがあったんですね」

「正式な契約はライスちゃんが選抜レースを走ってからですけど、それまでに契約変更されないように頑張りますよ」

 

 これで良し、と満足そうな笑みを浮かべる橘に対し、爲山はまだ()()()を浮かべていた。

 

「ああ、そういえば仮契約ってやつ。俺、一切教えてもらってないんだけど?」

「おっちゃんにはいらないでしょ。ピーンと来たら断られても契約するじゃん」

「人を直感だけで生きている奴みたいに言うな」

「違うの?」

「あってるけどさ」

「ともかく事情は把握しましたよ、橘さん。契約の件、了解しました。このまま書類は預かり、必要な所に提出、申請しておきますね」

「はーい、ありがとうございます」

「ひとまず仮とはいえ、契約成立おめでとうございます」

「どういたしまして~」

 

 上機嫌な橘とどこか不機嫌そうな爲山。不満そうな顔に意地悪してやろうと橘が一歩踏み出した瞬間「ですが」とたづなの声が刺す。

 

「それとこれとは話が別ですよ」

 

 満面の笑みである。満面の笑みであるはずなのだ。そのはずなのに、橘の背筋に()()と冷たいものが流れる。

 

「あー……それとこれ、とは?」

「契約の件と、選抜レースのサボりの件です」

「似たようなものじゃありませんか?」

「いいえ、全く違いますよ」

「誤魔化せませんか……」

「あら、誤魔化すつもりだったんですか?」

「何のことですか? 理事長の秘書であるたづなさんにそんなことしようとする奴なんていませんよ。おっちゃん以外」

「俺を売って助かろうとするんじゃねえよ!」

「ではまた爲山さんからお話を聞いておきますね」

「わー、助かります」

「俺は何にもやってねえよ! マジで!」

「まあ爲山さんはどっちでも大丈夫ですよ。問題は橘さんです。誤魔化そうと、してませんよね?」

「っ、もっちろんですよー」

 

 あははと苦笑いしながら頭を掻く橘。どうやら説教やら始末書やらからは逃げられない運命のようだ。

 どうするかと考える橘だったが、残る二人は違った。橘の腕にある()()に視線を奪われる。爲山は顔を引きつらせ、たづなは目を見開く。

 

「橘さん。それどうしました?」

「それ……?」

 

 怒気を孕んだ低い声に気づくことなく、橘は指差された()()がある左腕を見た。

 そこには強く掴まれた痕が残っていた。橘にはいつ付けられたのかも、つけられた相手もすぐにわかった。

 思わずそちらに視線を向けると、その相手も同じことを思っていたようで視線がぶつかってしまう。もちろん、視線がぶつかった相手は爲山だ。

 

 さて、ここでなぜ二人がこんな反応をしているか説明する必要があるだろう。トレセン学園という名前の通り、ここは走りを教えて速さを鍛えるだけでなく、教育機関として必要なことを教える学校という側面もある。そのため、教える側である大人たちの状態というものには日ごろから目を光らせている。脅迫や暴行といったグレーなことを含め、教育するにあたって悪影響を与えるようなものは必ず排除する。あるトレーナーはやりすぎだと言っているが、それでも変わることはない。それが昔から続いているということもあるが、一番は正しいと思っている人が大半だということだろう。

 同意のうえでお互いを痛めつける、そういう()で跡がついたとしても厳重注意を受ける。それを回避するには理事長やたづなに赤裸々に語る必要があるらしいが本当かどうかはわからない。

 そういうことを一言も書いていないのでわかるだろうが、この二人はそういう関係ではないしそういう癖でもない。なぜかたづなも知っているので、この跡は爲山に強く掴まれたせいでついた跡であることはすぐに察しが付く。そして万に一つもないような悪い方向へと思考ははたらく。

 具体的には、選抜レース場で襲われ、急いで逃げ出したのではないかと。

 

「もしかして、暴行を受けましたか? だとしたら」

「いえ、朝からついてたんですよ。うっかり腕時計を外し忘れちゃって。今朝たづなさんが来たと思うんですけど、気づきませんでした?」

 

 無意識のうちに圧をかけてしゃべっていたたづなだが、それとは対照的に橘は飄々とした態度で対応した。予想外の反応にぽかんと口を開けるたづなに対し橘はどうだったかなーと思い出すふりをする。

 

「よく考えれば見せてなかった気も……」

「えっと橘さん、かばっているんですか?」

「誰を? なんの目的で? 危害を加えられてるのにかばうっておかしくないです?」

「ですが」

「今回も()()()()()()です。ですから安心してください。これ、気のせいじゃありませんか?」

 

 大きくため息を一つ。それからやれやれといった表情を見せる。

 

「わかりました。そういえば朝からあったような気がします」

「だよね、うんうん」

「ですが」

 

 と真面目な表情で橘に近寄る。橘が抱いている苦手意識は近寄られるとより強くなるもので、詰め寄られているわけでもないのに思わず半歩下がってしまう。いつものことなのでたづなは気にしない。

 

「もし本当に暴行を受けた場合はすぐ報告してください。トレーナー同士はもちろん、ウマ娘とトレーナー間でも、です。自分か受けただけでなく、見かけた場合でも報告してください」

「え、ええ。もちろんです」

「親しい友人だとしてもですよ。話を聞いて、場合によっては重い処罰を下しますから」

「わかりました」

「爲山さん、わかりましたか」

「い、イエスマム」

()()でいいですよ」

 

 鋭い視線に射貫かれ、冷や汗をかきながら沈黙していた爲山も橘同様に背筋を伸ばして返答してしまう。

 二人の返答に満足してたづなは帰っていくが、その背中が見えなくなるまでは二人とも動けないままであった。そして、見えなくなってから二人同時に大きく息を吐いた。

 

「……やっぱたづなさんって怖いな」

「それ聞かれたら五体満足で帰れなくなるんじゃない?」

「はは、姿が見えないんだし聞かれてるはずが……あるな。あの人分身できるって噂だし、今でも木陰から聞かれてるかもしれないし」

「だよねー……って、おや通知が」

 

 スマホを取り出してその内容を確認する。そこには『選抜レースの件について』という題で呼び出しすると書かれていた。それから下の方に『女性に対して()()というのは失礼ですよ』と書かれていた。

 少し悩んでから最後の部分だけを爲山に見せた。思わずひきつる顔、当然の反応だった。

 

「五体満足でよかったね」

「心は無事じゃないやい」

 

 ともかく話は終わったので、橘は怒られるために理事長室に、それから爲山は自分と契約を結んでいるウマ娘の元へと行くのであった。

 

 

 


 

 

 

 反省をしてからの帰宅中、橘はコースで面白いものを見てしまう。

 

「やっほーゴルシちゃん」

 

 星屑のように輝く長髪に出るとこは出るわがままボディ、くるみ割り人形のような帽子と耳当てが特徴的なウマ娘、ゴルシちゃんことゴールドシップである。なお、ゴルゴルちゃんというあだ名は気に入っていないらしく、よくそう呼ぶ爲山を見るとすぐに関節をキめに行こうとする。その他余罪多数で要注意ウマ娘とされ、トレセン学園内でかなり注目されている──主に悪い意味で、だが。その理由もすぐにわかる。

 ちなみに、要注意ウマ娘は彼女を含め三人、要注意人物も三人である。

 

「おー! 橘じゃねえか! 元気か?」

「えっと熟成十日目のサーロインって感じかな。今何してるの?」

「見てわかんだろ」

 

 と親指を指す方向には真面目にストレッチをしている見慣れないウマ娘。どこかで見た気もするが、橘の脳内には引っかからなかった。

 そんな彼女と一人将棋をしているゴールドシップを見て一言。

 

「えっと、レース?」

「よくわかってんじゃねえか」

「よくわかってないんだけどあってるんだ」

 

 ゴールドシップはまともじゃないことで有名である。他二人の要注意ウマ娘がその危険性からそうなっていることと比べても、奇人の度合いは群を抜いている。橘もなんとなくでついていけている気がする程度であり、本気を出したゴルシちゃんには追い付けないと思っている。

 

「んじゃ、審判してくれ」

「頭差までしか判定できないけど大丈夫?」

「問題ありません」

 

 間髪入れずに返答したのはゴールドシップではなく、準備運動を終えたウマ娘であった。

 

「この私がバクシンし、一目でわかるほどの結果をお見せしましょう!」

 

 その瞳には焔が宿っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、勝者ゴルシちゃーん」

「うっしゃあ!」

「まける……と、は」

「ゴルシちゃん相手だし善戦した方かなあ」

 

 結果は三馬身差(橘判断)である。

 バクシンすると宣言していた少女はまだ息が戻っておらず立ち上がることすらままならないのに対し、ゴールドシップはシャドー逆エビ固めをしている。ガッツポーズではないようだ。

 橘は、この様子だと動けるのはしばらくしてからだろうと思い、近くの自販機でスポーツドリンクを二つ購入する。お疲れ様とバクシンウマ娘に声をかけ、休んで明日に備えるようにと一言添えてスポーツドリンクを渡した。

 

「ゴルシちゃんお疲れ」

「おう。ゴール役助かったぜ」

「あれだけ差がついたら判定できるよ。あれ以上に差が縮まったら難しかったかも。ゴルシちゃんみたいにウマ娘並みの視力があればいいんだけどね」

「だったら分身できるようになんねえとな。一緒に特訓して温泉に八人で入りに行かねえか?」

「楽しそうだけど遠慮しとくね。明日から忙しくなりそうだし」

「そっか、じゃあ選別だ」

 

 ゴールドシップはポケットにあった紙を渡した。中身を確認すると、そこには何かの建物の図面と、いくつかの矢印が書いてあった。

 

「これは?」

「誰にもばれないように美浦寮に侵入する裏口」

「それやばくない?」

 

 とは思ったものの、橘は行為を無下にできない性格である。バレたらどうなるかわからないものだとわかっているが、返すこともできず受け取ることにした。

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