ナナを先頭に歩けば、そこにはアリサが炊き出しの為に大鍋の中身をかき混ぜていた。
既に時間だからなのか、職人などが食事を始めている。察知した匂いの原因はこれだった。
「ああ~アリサさんだ。こんちわーっす」
「あれ?ブラッドの皆さんとサツキさんですか。今日はここに視察なんですか?」
鍋をかき混ぜ、来る人達に汁物をお椀によそいながらも真面目に挨拶をしている。この光景に何かを見出したのか、ナナとロミオの視線はアリサへと向いていた。
「暫くは極東に厄介になる以上、今の状況を知っておいた方が今後の為にも良いだろうと判断しましたので、高峰さんとこちらへお邪魔させて頂いてます」
実際にはサツキに強引に連れて来られたが、事実を言う必要はどこにも無い。
ジュリウスの言葉をそのまま額面通りに受け取ったのか、アリサは明るい笑顔で対応していた。
「そうでしたか。ここは見た目は殆ど完成と言った様にも見えるんですが、これからはここがサテライトの製造拠点とするので完成からはまだまだって所ですね」
先程のサツキからも聞いていたが、ここはクレイドルが一元管理しながら進めている為にアリサの言葉の方が重く聞こえていた。しかし、言葉とは裏腹にどこかここの職人達は笑顔で仕事をしている様にも思える。そんな姿を見たからなのか、こちらが一方的に悪い気持ちになる必要はどこにも無かった。
「何だサツキさんか。で。そこの兄ちゃん達は誰なんだ?」
食事をしながらも一人の男性が声を掛ける。視察の名目でこれまで色んな人間が来ているのもあるが、やはり作業中であれば邪魔になるので殆どの人間は気にはするも話かける人は居なかった。
偶々今回は見知った人間が人を連れてきた事と、休憩中な事もあって珍しく話かけていた。
「この人達は本部直轄の部隊の人達ですよ。今回はここの視察で来ましたんで」
「本部ねぇ。って事は皆はエリートってやつか?ここいらに居る連中は皆学が無くてな。まぁ、特筆する部分は何も無いがゆっくりしてってくれ」
ここの代表的な人間なのか、特に本部から来たと言っても誰も気にする者は居なかった。
ここに居るのは元々屋敷にいた人間を集めて組織した職人達。誰もが一線級の技術も持っていた。
言葉尻には自身の表れがあるからなのか、それとも自分体達の仕事に誇りを持っているからなのか、卑屈な雰囲気は微塵も無かった。自分に自信があるからこそ他人に対しても穏やかに接している。ただ己の出来る事だけを真剣にやっていた。
「そういや姉ちゃん。旦那はどこ行ったんだ?さっきから見てねぇが?」
「もう。まだ旦那じゃありませんから」
「でもよ。当主だって結婚したんだから姉ちゃん達もそろそろじゃないのか?」
この場にエイジが居ない事に疑問を持ったからなのか、職人達はアリサをからかう様に話かけている。エイジがここに居る間は割と2人で来ている事が多く、先ほどまではこの炊き出しを作っていたはずだったが、気が付けば姿をくらましていた。
「……そのうちですから」
そう言いながらアリサは顔を赤くしている。この反応が恐らくは職人達が面白いと感じているのだとも思えていた。
「お待たせ!良い物が獲れたんだ……あれ?ブラッドの人がなんでこんな所に?」
そう言いながらにやってきたのはエイジだった。大きな何かと一匹の何かを入れた袋の様な物を持っている。それが何なのか疑問に思ったのか、その場に居た全員の視線がエイジへと向っていた。
「今回はサツキさんにつれられてこちらに来ました」
「そうなんだ…そう言えば、良い物捕ってきたからこれから食べようか?」
そう言うと同時に何か大きな塊を袋から取り出していた。当初はこれが一体何なのかは誰にも理解できなかったが、職人が真っ先に気が付いたのかどこか喜んでいる様にも見えた。その中身が何なのかを理解している様だった。
「エイジ。これって猪か?にしては随分と大物を獲ってきた来たもんだな」
「偶然見たんで、折角だからと思って仕留めてきましたよ。アラガミとは違うんで苦労はしませんでしたけど。そうだ。結構な量があるんで皆さんもどうです?アリサ、悪いけど皆の分も準備してくれる?」
「はい。直ぐに準備しますね」
「動かす様で悪いけど、そこで火の準備良いかな?」
そう言いながら塊を解体するとエイジは北斗に火を起こす準備を依頼していた。取り出したナイフがいとも簡単に塊となった肉を切り分けていく。それと同時に、その場で簡易バーベキューの様に網の上へと置いて行く。
野生の獲ったばかりの肉と脂の焼ける匂いが一面に充満していく。既にアリサもブラッドとサツキの分も用意したのか、その場で全員が舌鼓を打っていた。
「まさか獲ってくるなんて思ってませんでしたよ」
「丁度見かけて追いかけたら結構な数が居たからね。乱獲する訳じゃないから大丈夫じゃないかな?」
アリサとエイジは隣に座って食べている。職人達も臨時のメニューに笑顔で話に花が咲いているようだった。
「まさか、こんな所でこんな物が食べる事が出来るとは思ってませんでした」
「極東の食事もだけど、ここでも結構良い物が食べられるんだね」
シエルが感心すれば、ナナも頬張る様に食べていた。獲れたてだからなのか、肉の鮮度と同時にそれなりについた脂肪が肉の柔らかさを作っている。アナグラの食事も良いが、これもまた美味なのか、焼けた肉は一気に消費されていく。
ロミオとギルは無言で食べているからなのか、何も言葉にはしていなかった。
「エイジさん。ここでは毎回この様な食事をされてるんですか?」
「いや。今回は偶々だから。工事の途中で見かけたからそのまま獲りに行っただけだよ」
ジュリウスもこんな食事が珍しかったからなのか率直にエイジに確認していた。何時もの状況を知っている人間からすれば今回の様な件は偶にあるのか、敢えて何も言う事は無く食べている。久しぶりに食べた猪肉が良かったからなのか、職人の1人が珍しく口を開いていた。
「この兄ちゃんが来ればこんな事は多いぞ。普段はこうまで良いもんは食えないからな。とにかくここでは遠慮すればあっと言う間に無くなるからな。お前さん達も遠慮なんてするなよ」
その一言にエイジを見たが、特に気にしていなかったからなのか、それ以上は何も言う事も無くアリサと話をしながら食べている。
見れば持ってきた塊の半分以上は既に無くなっている。後は各々が勝手に自分で焼きながら食べていた。
「でも猪なんて簡単に獲れる物なんでしょうか?」
「動きさえ見極めれば問題ないけど、やっぱり動きを読めないと最悪は大けがするよ。見た目に反して案外と俊敏だからね」
北斗も経験があるのか、シエルの言葉にそのまま返事をしていた。元々は山中での生活をしていた事もあって、野生の動物を狩る経験はこれまでに何度もあった。
しかし、それは殆どが罠にかけた状態で仕留めたからだが、今のここではそんな物を作る時間は存在していない。まさかとは思いながらに北斗はエイジに確認してみたいと考えていた。
「あのエイジさん。猪ってどうやって仕留めたんですか?」
「苦無を投げて、後はこの短刀だよ。こう見えて切れ味は一級品だからね」
そう言いながらに腰の部分にぶら下げていた苦無と短刀を北斗に見せていた。
黒光りする刃は若干厚めだが、それでもその切れ味は業物である事を主張するかの様に鋭い物である事は容易に想像出来ていた。
「普通は罠で獲るかと思うんですが?」
「アラガミ程じゃないから問題ないよ。それにこれ位の事なら日常茶飯事だから、それこそ気にする事は何も無いんだけどね」
「エイジさんって見た目にそぐわずワイルドなんだね」
「ナナさん。エイジさんはアリサさんとお付き合いされてるんですから、それ上の事は野暮と言うものですよ」
ナナが会話を聞いていたのか改めてエイジを見ている。その視線に何か感じたのかシエルが当たり前だと言わんばかりに説明をした事で改めてロミオはショックを受けていた。
「あの、シエルさん。その情報一体どこから?」
「それはリッカさんから聞きましたのでご安心下さい」
シエルにそう言われても、一体どこに安心する要素があるのかアリサには分からなかった。
アリサは気が付いていないが、アナグラの内部でもエイジが居る時と居ない時では表情も態度も大きく違う事は新人でさえも知っていた。
もちろんある種の羨望の眼差しで見られる事はあっても、そこから先に踏み込む事は一切ない。仮にそれがバレれば教導の名の元に半殺しにされる覚悟の上でなければ今のアリサを口説くのは不可能だった。その為、アリサに不埒な事を考える人間は誰もおらず、唯一ハルオミだけが勇者の如く行った結果がそれであった事が拍車をかけていた。
「あの、あまり公言されると恥ずかしいので…」
普段のアリサでは絶対に見る事が出来ない様な少し赤くなったその表情に北斗とギルは意外性を感じ、ジュリウスに関しては我関せずを貫いていた。ロミオは先程からのショックに未だ立ち直る事が出来ないでいた。
「あの、エイジさん。先程からその小さい袋が何か動いている様にも見えるんですが、それは一体?」
このままアリサを弄るほどブラッドには勇気が無かった。
ギルに関してはハルオミからも聞いていたからなのか何となく理解しながらも、今はこの話題が逸れる事を待っていた。
そんな中で先ほどから何か小さく音が聞こえる先には肉の塊とは違った小さ目の袋が何かガサガサと動いている。今度は一体何を獲ってきたのかが気になっていた。
ジュリウスが言う様に確かにガサガサ音を立てているのは不気味にも見えたが、肝心の中身は未だエイジ以外には誰も知らない。そんな事もあってか、全員の視線が袋へと集まっていた。
「そう言えば、こんな所では見た事も無い動物を取ってきたんだ」
何か思い出したかの様に袋から取り出すと、それは茶色の小さな動物だった。当初は肉を食べるのかと思っていたが、今の時点で食べるのは無理があると思われる程の大きささった。
「こんな小さな動物をどうするつもりなんですか?」
何気に聞いたアリサの言葉でだれもが意識を取り戻していた。当初見た際にはあまりにも小さく、弱々しく感じた事もあってかそれが一体何であるのかの理解が追い付かない。
今は捕まえたエイジの言葉を待つ以外には何も無かった。
「流石に食用って訳には行かないだろうね。これだと食べる所は少ないだろうし…」
まさかの食用のつもりだったのか、女性陣は可哀想だと考えながらにその動物を見ている。つぶらな瞳がまるで助けを呼んでいる様にも見えていた。
「エイジ。まさかとは思うんですが、それは食べないですよね?」
「食べたいなら解体するけど……無理そうだよね?」
アリサの言葉だけではなく、シエルとナナも可哀想だと考えていたのか、それ以上の言葉は発しないまでも目がそうでは無いと物語っている様にも見えた。
もちろんエイジもこのまま解体して食べるつもりはなかったが、念の為に全員に確認する為に敢えてその話をしていた。
「でもこのまま飼うとなれば誰かが責任を持つ必要もあるだろうし、ましてや屋敷は無理だからアナグラで飼う事になるよ。で、誰がツバキさんを説得するの?」
エイジの一言で、今度は男性陣が固まっていた。
ギルの暴走とも言える際の鉄拳制裁の件はその場に居なかったロミオも話には聞いていた。ギルも当初はツバキをいぶかしげな目で見たものの、クレイドルの総指揮をしていると同時に、極東での教官である事をハルオミから聞かされていた。
アリサも榊博士ならば問題ないだろと考えるも、相手がツバキとなれば旗色は悪い。この場に明確な回答を出せる人間は誰一人居なかった。
「それは……」
「あの、アリサさん。出来れば私に任せて貰えないでしょうか?」
言い淀むアリサの言葉を遮る様に話したのはシエルだった。先程見た小動物をかなり気に入ったのか、ずっと目で追いかけている。
仮に何かあってもまさか本部付の部隊の事までは口には出さないだろうと考えたからなのか、エイジもアリサもそれ以上の事は何も言わなかった。
「シエルさんがそう言うなら私は何も言いませんが……でもこのまま放置するのも忍びないので一旦はアナグラへと連れて行くしかなさそうですね」
アリサの言葉通りに今は視察が終わってから改めてこの小動物を連れて行く事が決定していた。
「この小動物はここで飼う訳には行かないでしょうか?」
戻ってからのシエルは行動が早かった。事前に連絡した事もあってか、支部長室には榊とツバキが打ち合わせをしていた。
当初は大人数で行こうと言った案もあったが、それは返って逆効果の可能性があるからと今はシエルと北斗の2人だけで訪れていた。
「ここはアラガミを討伐する為の最前線である事は理解していると思っていたが、その認識は間違いか?シエル・アランソン」
アリサとエイジが言う様にツバキの反応は厳しい物があった。
事前に聞いていたからこそツバキの迫力に負ける事無く話しているが、何も聞いてなければ恐らくはそのまま撤退となっていたはずだった。
ツバキが言う様に、ここはアラガミ討伐の最前線である以上、そんな動物を飼うだけの余力は存在しない。ただでさえ食料事情が若干乏しくなっている所で餌はどうするのかと言った懸念がそこにはあった。
「いえ。その件に関しての認識はしています。今回の件につきましては我々が責任を持って預かりたいと考えていますので」
「だが、今後の世話だけではなく、今はフライアがここに一時的に逗留しているだけにしか過ぎない。万が一貴君たちがこの場を離れる事が決定した場合、その後の事はどうするつもりだ?」
「その際には我々が責任を持って引き取りたいと思います」
ツバキの懸念は事前にシエルが予想していた展開の通りに運んでいた。
動物を飼う行為自体には何の問題も無いが、あくまでもフライアの目的は神機兵に対する有用なデータ取得の為の逗留であって、今後極東支部に所属する物では無い。
当然最終的には移動すれば責任が誰にあるのかが不明瞭になるのを考えていた結果でもあった。しかし、シエルがハッキリと言った以上、そこから先は極東支部の話ではなくなる。
それならばこのまま反対する必要性はどこにも無かった。
「そうか…榊博士。どうされますか?」
「僕としては特に問題無いと考えているよ。ブラッドでしっかりと世話をしてくれるのであれば、それ以上とやかく言う必要性は無いだろうからね」
榊の言葉で漸く承認された事が理解できた。支部長が容認している以上それを覆す必要はどこにも無く、その結果としてラウンジで飼われる事が決定していた。
「可愛いですね。これどこから連れてきたんですか?」
当初ラウンジに設置された檻の様な物は一体何をどうする物なんだと憶測を呼んでいた。
作ってほしいと言われたリッカも何をどうするとは聞いてなかったが、とりあえずは要望の品を作り、後の事に付いては関知してなかった。
そんな事を考えていた際に連れてきたのが茶色い小動物だった。見た目は弱々しくも見えるが、まだ子供だからと言う事もあってか、支部内の女性陣には概ね好評だった。
「エイジさんが山中で確保したんですが、当初はこれが一体何の動物だったのか分からなかったらしいんです」
「え?エイジ先輩がですか?」
まさかエイジが捕ってきたきたとは思ってもなかったのか、発言したエリナも少し動揺していた。この動物はカピバラなので本来であればこんな極東にいるはずの無い動物。
恐らくは何らかの形で逃げ出したのがそのまま野生化したか、もしくはその子供だろうとあたりを付けていた。
「その件なんですが、どうやらサテライトの建設予定地の近くで狩をした際に確保したらしいです」
まさかその回答がシエルから出るとは思っても無かったが、今はその驚きよりも目の前のカピバラの方に意識が向いていた。
ラウンジに暫定的に置いておくと言うよりも、場所の事を考えればそこにした置く事が出来なかった事もあってか、小さなカピバラはここに来た人間の目を向けていた。
しかし、ここで大きな疑問がエリナの中にあった。ここに置いておくと言う事はすなわち許可が出ている事になる。
現状ではツバキがその件に関してやっていた事だけが記憶の中にあった。
「あの、ツバキ教官の許可が出たんですよね?」
「ええ。何とか許可して頂きました」
シエルの一言は意外だと思われていたのか、他の人間にまで影響を及ぼしていた。
基本的には教官の立場もある為に、許可を取る際には確実に意見を求められる。その結果として論理的に説得出来ないのであれば容認される事は今までの中では一度も無かった。
極東に居ればそんな事は誰でも知っているが、ブラッドはここに来てまだ日が浅い以上、そんな内情まではしる由も無かった。
「そうだったんですか。それで、この子の名前は決まっているんですか?」
「はい。カルビと名付けました。私としては中々良い名前だと思っています」
笑顔で話すシエルに、まさかの名前を告げられると一瞬何がどうなったんだとその場に居た誰もが思っていた。これがクレイドルの人間であれば間違いなくコウタが出しゃばり、その結果として全員から非難されるのは間違い無かったが、相手はブラッド。
それなりに任務には同行する事はあっても全員と完全に打ち解けられたかと言われれば、多少の疑問が生じる程の仲もあってか、それ以上の言葉を出す剛の者は誰も居なかった。