「あの、アリサさんは居ませんか?」
「アリサさんなら現在は出張中の為に、ここには居ません。予定では明日には帰還予定ですが、どうかされましたか?」
フランの言葉に何かガッカリしたのか、目の前にいた女性は少しだけ考える素振りを見せていた。フランもここに来てからは大よそのゴッドイーターの名前と顔は一致しているが、目の前に居る少女は少なくともフランの記憶には該当しなかった。
「いえ。大した事では無かったので、明日改めて来ます」
「そうでしたか。申し訳ありませんが、その様にお願いします」
ぺこりと聞こえそうな程深くお辞儀をした少女を見れば、そのまま真っ直ぐにホールの外へと出ていくのをフランは見る事しか出来なかった。
「そう言えば、ヒバリさん。今日来た女性神機使いの件なんですが、私の記憶の中では該当する人物は居ませんでしたが、どなたなのかご存じないですか?」
交代の際に先ほどの事を思い出したのか、フランはヒバリに確認すべく大よその特徴を伝えていた。当初は何か考える事があったのかヒバリは端末から次々とデータを引っ張り出す。それが誰なのか知っている様にも見えていた。
「ひょっとしたらこの人じゃありませんか?」
「そうです。この人です」
該当した人物の顔写真と氏名は極東の所属では無い事を示していた。この人物であればアリサとは確かに面識はあるに違い無いが、その要件が何なのかが分からない。名前も特に名乗らなかった以上、今はただアリサが戻った時に分かるだろうとその程度の認識だけしていた。
「そうか。流石は神機使いの生命力は大した物だな。所でどんな要件だったんだ?」
ヒバリからの話はすぐさま弥生の元まで届いていた。マルグリット・クラヴェリ。一番最初にアリサ達がネモス・ディアナで邂逅した神機使いの少女でもあり、それと同時に今は根絶したと思われる黒蛛病の患者でもあった。一時期は心停止の状態にまで陥ったものの、その後のブラッドとユノの活躍によりギリギリの所で一命をとりとめていたのが思い出されていた。
「いえ。詳しい事は分かりませんが、アリサを頼って来たとの事です」
「そうか。今はここから派遣しているから、あそこも人的な部分でゆとりが出たのかもしれんな。アリサは確か明日だったな」
「予定通りであればそうなります。如何しますか?」
「詳しい事は後で聞く事にしよう。それと今回の帰還についてはエイジとリンドウだけだ。ツバキはそのまま残っている。入れ替わる形だが俺が現地に合流する」
既に帰国の途に就いているのはツバキを除いた全員だった。事実、その帰還したヘリに入れ替わる形で無明は本部へと乗り込むのは新種の細胞の件ではなく、今後の行方を見据える為に確認すべき事があるのが目的でもあった。
事実、情報の諜報ともなれば何かと面倒な事もあり、その為には2人で居た方が何かと都合が良いからと事前に連絡をしていた。
「了解しました。準備は既に出来ておりますので」
その言葉と同時に弥生が無明の部屋から退出する。今回の珍しい来訪者が何をしに来たのかは本人のみぞ知る事となっていた。
「ヒバリさん。ただいま戻りました」
本部とは違い雑多な感じが残ったままのアナグラにアリサは少しだけ既視感を覚えていた。最後のデートはともかく、新種の討伐や内部での影響など幾らエイジが一緒だったとしても心が穏やかにはならない部分が多かったものの、ヒバリの声を聞いた事によって改めてここが極東である。その感覚が戻ってきた事を確認していた。
「お帰りなさいアリサさん。そう言えばエイジさんとお楽しみみたいでしたね。弥生さんから聞きましたよ」
ヒバリの言葉にその場にいた数人が反応している。ここが本部であれば何かと問題が生じる可能性があるが、生憎とアナグラである以上アリサも少しはヒバリの言葉を受け流すゆとりがあった。
「お楽しみだなんて……向こうでは何時もと同じでしたよ」
赤い顔をしながらの言葉に説得力は皆無である事は間違い無い。本来であればこのまま詳細を聞きたいと思ってはいるものの、今はまだ就業中。ひとまずその件は皆で聞く事を心に決めて、先日の件を改めてアリサに伝える事にしていた。
「そうでしたか。でも態々ここまで来るのは何か目的があるんでしょうか?」
「詳しい事は分かりませんが、多分明日にも改めて来るとは思います」
既に時間は夕方の4時を回っていた。この時間帯であれば来る可能性があるのは明日になる。それならばと思った矢先にヒバリの手元の端末が警報を鳴らしていたのか、状況が同時に流れてくると同時に先ほどまでの緩やかな空間が一気に緊張感の高まる空間へと変貌していく。
民間人と一人の護衛が逃走しながら交戦中の内容でもあった。
「コウタさん。帰投中の所すみませんが、そこから約10キロ先で民間人と護衛の方が救難信号を出しています。ここから出るよりも早いので、すみませんがこのまま任務を更新します」
《了解。すぐに現場に行くよ》
コウタの返事と同時に通信が切れる。誰からの通信なのかは分からないが、今はただ無事である事を祈るしか出来なかった。
《護衛の神機使いが負傷している。怪我は問題ないけど、多少の治療は必要だからこのまま同行します》
「了解しました。近隣にアラガミの姿は確認出来ませんが、周囲の警戒をお願いします」
現場へと急行した第1部隊が無事に完了したと同時に、護衛のゴッドイーターの負傷の一報。コウタの話から判断するのであれば、大事にはならない可能性が高く、軽い治療をするだけに留まるからとヒバリは判断し、そのまま受け入れ態勢と同時に治療の手配を進めていた。
帰投したヘリから降り立ったのはコウタ達第1部隊のメンバーと見慣れない神機使い。それと今回の同乗者を見た瞬間、ヒバリは固まっていた。
「フェンリル極東支部へようこそ。葦原総統」
「態々済まない。まさか助けられるとは思ってなかったからな。折角だから榊支部長か無明さんは居るか?少し挨拶をしたい」
まさか那智だとは思っても無かったのか、ロビーに居たアリサも偶然見かけた那智を見て少し固まっていた。既にネモス・ディアナとは友好関係が築かれてはいたものの、やはり当時の印象が強すぎたのかアリサの表情が少しだけ強張っている。それに気が付いたのか那智は少しだけ固い表情を緩ませながらアリサの元へと歩いた。
「なるほど。我々としても今回の提案は特に困る事でも無いし、お互いの技術交流も兼ねるのであれば特に問題無いと考えていますが、そちらは問題無いのですか?」
「既に我々の防衛任務の中にネモスディアナは含まれている以上、その件に関しては特に問題ありませんよ」
突如として降って湧いた話が決まったからなのか、那智と榊の話合いから、ネモス・ディアナに所属する神機使いを極東の教導に組み込む話が決定していた。終末捕喰の影響もあってか、ここ極東でも少しづつ志願する人間が多くなった事も影響したからなのか派遣の日程がスムーズに進んでいた。
極東が世界有数の激戦区であるのは既に常識となりつつあったが、その一方では過度な戦力は不信感を生む原因にもなりやすいと判断したのか、これまでにも色んな支部からの教導の名目で極東支部に派遣されている。そんな中で今さら一人増えた所で何も問題は無かった。
「我々としても一時的とは言え、戦力が増強されるのは間違い無いのでこれから通達を出しておきますので」
榊の言葉をそのままに弥生が命令書を作り上げる。既に決定された内容はそのまま全員へと通達される事になった。
「俺が?別に構わないけどさ」
「そう言ってもらえると助かるよ。マルグリットさんはアリサの話だと曹長クラスの力量があるらしいから、そのまま実戦に組み込んでほしいんだ」
教導のメニューを考えた際に、エイジの中で一つの考えがあった。現状では教導メニューは新兵から曹長未満までが受ける事になっているが、基本的に新人である事が前提での話である以上、既にネモス・ディアナでの任務についているマルグリットがそのまま教導を行うよりは実戦に出した方が合理的ではないのだろうかとの考えがあった。
事実、総統の那智の護衛任務に付けるのであれば、それなりに技術があるのは間違い無い。それなら今後の事も考えた上で単独ではなく、集団での戦い方を学んだ方が合理的である事もその一因でもあった。
「そうなると、基本的には仮とは言え、第1部隊の所属なんだろ?俺の胃が持つかどうか……」
コウタの表情が全てを物語っていた。いくらここにはあまり居ないとは言え、現状の第1部隊を知っていればエイジとて同情の一つもしたくなるのは当然の事でもあった。
「ひょっとして、まだやってるの?」
「ああ。因みに俺はもう匙を投げたよ」
「…ご苦労様だね」
「ったくエイジよりも俺の方がこんなに苦労するのは何か間違ってるだろ。当時の第1部隊は皆良かったじゃん」
「それは無いんじゃない?」
コウタの言いたい事はエイジにもすぐに理解出来た。しかし当時の状況を考えればソーマは人との関わりが無く、アリサも今みたいな素直な性格では無い。何をどう考えたらそんな考えが出るのかはともかく、今は確かに苦労しているのはここに来て最初にブラッドが驚くのも無理は無いとまで思えた状況が思い出されていた。
一時期よりは大人しくなったものの、それでもエリナとエミールは些細な事で口論になる事が未だにあった。既に周囲はその環境に慣れたからなのか何時もの光景程度にしか認識をしていない。
そんな中でもう一人を投入すればどうなるのかは容易に想像出来る。しかし、クレイドルに入れる訳にも行かず、また新人と同行となれば細かい部分で軋轢を生じる可能性もある。だからこそコウタの部隊が今のマルグリットには丁度良いと判断した結果だった。
「もう身体の方は良くなったんですか?」
「はい。神機使いは一般の人よりも頑丈らしくて、今はもう元通りです。それよりも私の件で総統に色々言って頂きありがとうございました。実は先日お伺いしたのは丁度この近隣にまで来てたのでお礼をと思ったんです」
既に通達が来た事で、マルグリットは一時的に極東支部の配属として組み込まれていた。ゴッドイーターは本来であればフェンリルの配下に入る必要があったが、今回の経緯からネモス・ディアナはフェンリル配下では無い事もあって、事実上の特例措置としての配属となっていた。
「あの、私はエリナ・デア=フォーゲルヴァイデと言います。第1部隊に入るって聞きましたので、よろしくお願いします」
「マルグリット・クラヴェリです。以前は整備士だったんだけど、ちょっとした事で神機使いになったの。研修期間満了までだけど、お願いします」
アリサの紹介で、エリナとマルグリットは挨拶する事になっていた。何時ものエリナであれば、多少なりとも懐疑的な部分を持つ事もあったが、紹介されたのがアリサからであると同時に、今まで事実上の一人でネモス・ディアナで戦い抜いていた事がエリナを刺激したのか、アリサの心配を他所に2人は終始和やかなムードが広がっていた。
「マルグリットさんは、どうして今回ここでの教導になったんですか?」
「私にも分からないの。総統から言われてここに来ただけのつもりだったんだけど、何故かこうなってね」
何も聞かされずに来たからなのか、事実マルグリットも困惑しながらこの場所にいた。黒蛛病から完治した際に、これまでの顛末を聞かされたまでは良かったが、マルグリットが懸念したのは自身の居場所の問題でもあった。ネモス・ディアナで生活が出来ていたのは、あくまでもオラクルリソースを回収する事を条件にギースを待つべく留まる権利の確保が優先されたからだった。
しかし、自分の意識が無いままに屋敷とネモス・ディアナが調印し、その結果として極東からローテーションで神機使いが派遣されていた。住環境はともかく、自分の居場所の確保が出来た事から、少し先の未来に希望を持つべく当時は戦っていたものの、現状ではその希望を持つ事すら出来ない。そんな中で那智の護衛にと、まるで設えたかの様な任務がこれまでに舞い込んでいた。
「あ、あの。ギースさんの事なんですが…」
「ギースの事は無明さんからも聞きました。あの時確かにギースは神機兵に搭乗していたのは事実ではあったんですが、その後の事についても全部教えてくれましたので」
マルグリットの処遇は本来であれば議会の下で切捨てる話が大半ではあった。しかし、当時クレイドルが発足した事とアリサの議会への条件としてマルグリットの保護と同時に、全面的な支援までもがなされていた。黒蛛病の発症から致死までが100%である以上、そこに求められるのは経過観察と言う名のデータの採取。
結果論ではあったが、命の灯が消える直前に発生した終末捕喰の結果、一命をとりとめた事実だけが残っていた。
「そうでしたか…」
「アリサさんが気に病む必要はどこにも無いんです。本当の事を言えば私自身も薄々とは感じていました。いくら隠蔽した所で神機使いがオラクル細胞無しで生活出来ない事位は知ってましたから」
そう語るマルグリットの表情は当時の様な何かに追い縋る様な物では無かった。恐らくは何かしらの葛藤があった事は想像出来るが、それはあくまでもアリサが一方的に考えている話であって、本人に直接聞いた訳では無い。本人が立ち直った以上、それ以上の口を出す事は無いだろうと一人考えていた。
「本当の事を言えば、今回の教導が何を意味するのかじゃなくて自分がどこまでやれるのかを試したい気持ちもあったんで、丁度良い機会だと思ったんです。今なら教導の教官が居るからってタツミさんから聞きましたから」
マルグリットの教導教官の言葉にアリサは少しだけ反応していた。ここアナグラで教導教官をやっているのは3人だけ。それが誰の事を指しているのかは分からないが、何となく確認したい気持ちがアリサの中に芽生えていた。
「因みにタツミさんは誰の話をしてたんですか?」
「確か、エイジさんですね。本部とここを常時行ったり来たりだから、機会は少ないって言ってました。でもアリサさんとお付き合いしてるからって事も聞いてますので大丈夫です」
マルグリットの言葉にアリサの表情が僅かに渋い表情を浮かべていた事に気が付いたのか、すぐさまフォローの様に言葉を続けていた。何がどう大丈夫なのかは横に一旦置く事に成功したからなのか、アリサの表情も元に戻っていた。
「詳しい事は分からないけど、取敢えずは部隊同伴で良いんだよな?」
「多分、明日正式に辞令が出ると思うから、頼んだよ」
アリサとエリナがマルグリットと話をしている頃、同じくエイジもコウタと打ち合わせをしていた。本来であればそれほど重要な話では無かった為に、別で動く必要は無かったが、何となくの流れと同時に、女性同士の方が何かと都合が良いだろうと判断していた。
「でも教導なんてやった事ないんだぞ。本当に大丈夫なのか?」
「教導と言うよりも実践における部隊内部の動きがメインだから、コウタがいつもやっている事をそのままやれば問題無いと思う。気負う必要はないって」
「まあ、エイジがそう言うなら良いけどさ」
「配属を推したのは僕だけど、今回の件はマルグリットの事だけじゃなくてエリナとエミールにも良い刺激になると思うんだ。彼女は今まで単独で戦ってきたらしいから、それなりに動けるだろうし、あとはエリナと一緒の方が何かと良い結果を生むと思ったんだよ」
部隊全体の事まで言われれば、コウタも何も言えなくなる。戦力の底上げをして困る要素がどこにも無い以上、今はその言葉を信じてやるしかなかった。そんな言葉と共に教導が開始されようとしていた。