「これはまさか……」
今回の作戦の補佐の名目でフライアにいたフランは誰にも悟られない様に小さく驚いていた。慌てて周囲を見渡すが、既に開闢作戦の為にデータを作成しながら検証を続けているからなのか、フランの変化には誰も気が付く事は無かった。
一番の目的でもあるラケルの情報がまさかこんな形で取得できたのは偶然の賜物でもあった。プロテクトはかかっているも、暗号そのものは難しい物では無い。フランはすぐさまコピーした後に秘匿回線を使用し、紫藤の下へと送っていた。
「無明君。何か分かったのかね?」
フランからの秘匿回線による通信はすぐさま無明の手で解析されていた。これまでの様に面倒なプロテクトがかけられて無かった事が一番の要因ではあるが、完全に解析出来た訳では無い。恐らく他人の目を盗んでコピーはしたものの、詳細を確認していないそれを見る為には少しだけ手間がかかっていた。
いくつものファイルが開いては閉じるを繰り返す。どれほど時間が経過したのかは分からないそれを目にした瞬間だった。衝撃の内容に隣に居た榊は思わず目を見開き息を飲んでいた。
「弥生!今すぐレアに伝えるんだ。開闢作戦を中止させろ!」
いち早く行動を起こしたのは無明だった。現時点で会議室では情報管理局の下で神機兵が機材を運搬し始めている。あの中身が事実だとすれば、それは最悪の展開を招く危険性だけが存在していた。
「神機兵!準備は良いか」
フェルドマンの言葉に機材を持った神機兵は既に準備が完了したのか、隊列を組みながら切り開かれた螺旋の樹内部へと侵入していた。事前の調査の結果が正しければ、この機材を置いた事により、内部の空間が安定化する。そうなればこれまでの様に帰投の位置を確認しながらの行動をする必要が無くなる為に調査は容易になるだろうと思われていた。
「リヴィちゃん、本格的にジュリウスの神機を使いこなしてたね」
「元々それが今回のミッションの本命だからな。ある意味、あいつらにとっては当然なんだろ?」
ブラッドは現時点では神機兵の機材運搬に対する護衛任務となっていた。ブラッドアーツを習得したリヴィの一撃がこれまでに無い程の斬撃を持って螺旋の樹の一部を切り開く。その瞬間、内部より周囲を吹き飛ばす程の激しい旋風が巻き起こっていた。
大きく出来た開口部から先には空間がおぼろげながらに見えるものの、会議室での素人発言の結果、遠目で見る事しか出来ないでいた。神機兵αはオラクル制御装置を所定の場所へと設置する。既にプログラムが組まれたそれは程なくしてその効果を発揮しだしていた。そんな中でその状況を見ていたレアの通信機がけたたましく鳴っていた。
「あら?今は作戦中だって知ってるでしょ?」
会議室のモニターで見ていたレアは通信先の名前を確認すると同時に、いきなり本題を切り出す。会議室では既に作戦の状況を見ている職員が殆どだった事からレアの事に気が就く人間は誰もいなかった。
「そんな事出来る訳無いでしょ!」
突如として大きな声を発したレアに気が付いた職員の視線に気が付いていないのか、レアはそのまま半ば激昂気味に通信相手と話をしている。一体何が起こっているのだろうか?まさにその瞬間だった。
「神機兵βのバイタルが乱調してます。九条博士、大丈夫ですか?」
神機兵の搭乗に於いて操縦者のバイタル信号は常にモニターされていた。
今回の搭乗型神機兵は従来の様に性能を主体に置くのではなく、搭乗者の身の安全を保持する事を優先させていた。もちろん技術に絶対はあり得ないが、人道的な観点だけでなく、今後のアラガミ討伐を視野に入れるのであればそれは当然の事だった。だからこそ九条が搭乗している神機兵の異常がいち早く察知されていた。
「神機兵βが螺旋の樹内部へと侵入していきます!」
フランの言葉を遮ったのは、これまで神機兵のモニターをしていた職員の言葉だった。
既にフランの通信を繋げるつもりが全くないのか、幾ら呼びかけても返答は無い。それと同時に神機兵は機材を持ったまま内部へと突入していた。
「神機兵β!今すぐ行動を止めろ!レア博士!緊急停止は出来ないのか!」
事態の異常はすぐさまフェルドマンによって沈静化を図る手段に移行していた。既に職員の停止は内部から回線を切断したのか、緊急停止のボタンを押すも一向にその気配が無いだけでなく、フェルドマンの呼びかけにも応答する気配すら無い。
現時点で会議室でやれる事は事態の結末をただ見ている事だけだった。
「神機兵β螺旋の樹内部に侵入!ビーコン反応が消失しました!」
ヒバリの言葉と同時に端末を操作する手はこれまで以上に慌ただしく動いている。既にモニターを見る余裕すら無いのか、ヒバリは自分が操作している端末と格闘する以外の方法は無い。既に会議室には緊急事態を伝える為のアラートが鳴り響いていた。
「…これは!フェルドマン局長!システムがハッキングされています!」
「今直ぐ遮断しろ!」
「コマンドを受け付けません!」
「だったら電源だ!急げ!」
神機兵の異常行動に意識が向いたからなのか、それとも発見が遅れたのか突如として襲って来たのはクラッキングによるシステムの破壊だった。既にヒバリとフランが対応しているも、次々と襲いかかる攻撃は常に後手後手に回っている。
画面のモニターからは見える光景はこれまで研究してきたオラクル制御装置の反応とは真逆の作用を起こしているのか、それは制御ではなく、寧ろ暴走させている様にも見える。レアは弥生から来た通信をそのままにただ茫然と見ている事しか出来なかった。
「ブラッド、了解しました」
会議室の混乱だけでなく、螺旋の樹の現場も先ほどのオラクル制御装置の影響からなのか、周囲の様子が徐々に変化しだしていた。既に先ほどまでの落ち着いた雰囲気は完全に消え去っている。そんな周囲の変化と同時に北斗の耳からはツバキからの指示が出ていた。
「どうしたんだ?」
「どうやら今回の作戦は失敗らしい。既にアナグラの端末は正体不明のクラッキングによってシステムがダウンしているらしい。それと作戦の最重要でもあるオラクル制御装置の一部が暴走している」
ギルの言葉に北斗は冷静に答えていた。会議室の混乱を知っているのはこの場に於いてはブラッドだけ。そこから入る情報は今作戦のメインでもある会議室からではなく支部長室からだった。
「それって…」
「全員、第1級緊急配備!アラガミの襲撃に備えろ!」
北斗の言葉に全員の意識は螺旋の樹内部へと切り替わる。既に空気が変わったのか螺旋の樹内部から発せられる雰囲気は何時もの戦場と大差なかった。
「今の音って…」
螺旋の樹内部にはまだ神機兵が居るはず、このままでは拙いと思った瞬間だった。突如として機械が破壊される音と同時に、アラガミの雄叫びが聞こえて来る。既に内部にアラガミが侵入したのか、それとも螺旋の樹内部のアラガミがここまで来たのかを知る術は無かった。
それと同時に、先ほどの咆哮に北斗とリヴィ以外の人間は聞き覚えが無かった。それが何であるのかを理解したのか、いち早くリヴィは螺旋の樹内部へと走り出していた。
「リヴィ!勝手に行くな!」
北斗の制止を聞くつもりが無いのかリヴィはジュリウスの神機を携え、破壊音の発生元へと走り出す。制止するつもりが無い事を悟ったのか北斗達も改めてその先へと走り出していた。
「何、あのアラガミ」
ナナの事は僅かに動揺が混じっていた。以前に北斗とリヴィが螺旋の樹の崩落の際に対峙したアラガミの様に思えたのは良かったが、ノルンで見た画像とはまた違っていた。
色は鈍色だったはずが、どこか黄金を思わせるだけでなく、爪の部分も大幅に変化している。その時点で以前に討伐した種とは違う事は間違い無いだけでなく、その顔面も王冠を被った人面の様にも見えていた。
「ナナ、多分クロムガウェインの亜種の可能性が高い。かなりの火力を持っているから油断するな」
ナナに言いながらも北斗は以前対峙したクロムガウェインの事を思い出していた。高機動から来る攻撃は一瞬にしてこちらの命を刈り取ろうとする攻撃に油断しないだけでなく、その姿を常時見ている必要がある。
先ほどの破壊音の発生源とも取れるそれは、ついさっきまで機材を運搬していた神機兵だった物。既に見るも無残に残骸となって崩れ落ちていた。
「固まるのは危険だ。散開しつつ全方位からの攻撃だ!」
「了解!」
北斗の指示によって全員がその場にとどまる事をせず一気に散開する。それに気がついたのかアラガミは改めて咆哮とも雄叫びとも付かない声を張り上げ北斗達の下へと移動していた。
「くそっ!まさかラケルにしてやられたとは」
ツバキは思わず憤る感情を隠す事無く口に出していた。フランからの極秘回線で送られた内容は今回の開闢作戦を睨んだ結果だったのか、それとも終末捕喰の結末をあらかじめ知っていたのかと思わせる内容だった。
既にこの地に居ないだけでなく災いの種を残し、それが芽吹くまで一切の行動を起こさない。水面下で起こっていた事実は人知れずその結果をもたらしていた。
先ほどの言葉はツバキだけでなく無明もまた同じ様に考えた一人でもあった。
「ツバキさん。今はそんな事よりも今後のリカバリーを優先するしかない。どうやらブラッドが螺旋の樹内部に発生したアラガミと交戦しているが、万が一の事もある。既に討伐を終えた部隊だけでなく、今後出発するであろう部隊も一旦は襲撃に備えるしかない。他の部隊の出撃準備を取りやめてくれ」
「分かった。真壁、これから出る部隊の出動は一時凍結しろ!それと同時に帰投する部隊に関しては第1級緊急配備を通告。装備の解除はさせるな!それとクレイドルの即時帰還を要請。至急だ!」
《了解しました。既に殆どの部隊は帰投、若しくは出撃の凍結を行っています。帰投する部隊に関しては既に70%は帰投済みです》
通信の向こう側でも慌ただしい事は時折漏れるノイズから察する事は可能だった。従来の様にアラガミの襲撃であれば時間は稼げるが、生憎と螺旋の樹はアナグラからもかなり近い。ツバキは次々と指示を出しながらも様子を伺っていた。
《こちらリンドウ。何があった?》
「ラケルにしてやられた。今はブラッドが対応しているが、恐らくは以前に討伐したクロムガウェインの亜種の可能性が高い。既にブラッドは交戦中だ。あとどれ位かかる?」
リンドウからの通信に答えたのはツバキではなく無明だった。説明をする程の余裕は既に無い。冷静にはなっているからなのか、それとも既に詳細は伝わっているのか、リンドウも余分な言葉を発する事は無かった。
《今、全力で飛ばしてるが、30…いや20分はかかる》
「そうか。俺も装備して待機する」
《なあ、大丈夫なのか?》
「すまんが現時点で分かっている情報は殆ど無い。螺旋の樹内部にはセンサーが無い以上、至近距離からのアラガミの襲撃は警戒せざるを得ないだろう。先ほどのクロムガウェインの亜種に関してもブラッドからの報告が全てだ」
無明の判断にリンドウはそれ以上の言葉が出てこなかった。第1級緊急配備だけでなく無明自身が神機を装備する意味をリンドウが一番よく理解している。それがもたらす物が何なのかを知らない訳では無い。今出来る事は限られていた。
「ついにやってしまった」
神機兵βに登場していた九条は人知れず狂喜していた。憧れと懸想を抱いたラケルからの映像は九条を狂気へと変えるには十分すぎていた。
レアが僅かに席を離れた瞬間、オラクル制御装置のプログラムを書き換えるだけでなく、万が一の際にそれが確実に行われる様に時限式のウイルスもフライアの端末から直接侵入させている。既に神機兵の通信を切っている以上、現状を把握する術は何処にも無かった。
今の九条を支えているのはラケルを慕う妄信的な感情だけ。既に神機兵を乗り捨てたのか九条は自分の足で螺旋の樹内部を走っていた。
「やはり貴女はこの螺旋の樹の内部で……」
何かを感じ取ったのか、周囲には何も存在していないはずの場所で九条は一人呟く様に言葉を漏らしていた。
「九条博士。私の願いを聞き入れて下さって有難うございます」
「ラケル博士…」
突如として現れたラケルに九条は足を止めていた。どれほど歩いたのか分からない程に疲弊した身体に力が漲る。気が付けば九条はラケルに対し跪く様な形で身体を寄せていた。
「貴方のお蔭で…こうやって形を成す事が出来ました…」
ラケルの笑顔に九条は自分の事すら忘れたのか、その笑みに意識を奪われていた。それを理解したからなのか、ラケルは九条の頬を撫でるかの様にゆっくりと両手を顔に添えていた。
「九条博士。私も実は不思議な程に貴方に執着があったんです……これからは…ずっと私と共に歩んで行きましょう」
「ラ…ケル…博…士」
菩薩の様な笑みと頬の添えられたラケルの手により九条は完全に自分の意志を失っていた。それが何を意味するのかは分からない。今の九条にとってラケルの言葉は絶大だった。
「そう……私の中でずっと……」
その瞬間、九条の身体は黒い蝶に囲まれる。それが何を意味するのか、黒い蝶が消え去った後には車椅子から立ち上がるラケルの姿だけが残されていた。
「ジュリウス。どうして貴方は未だに抗うのですか?」
未だアラガミと戦っていたジュリウスの下に来たのは以前に感応現象で繋がった北斗ではなくラケルだった。突如現れた事に驚きはあるが、既にジュリウスの中では以前の様なラケルに対する感情は無くなっていた。
相対するその存在は既に人間ではない。こちらに向かってくるアラガミに意識を向けながらもジュリウスはラケルに対し警戒を続けていた。
「ラケル!貴様がやった事は人類にとって許されない事だ。何を今さら言っている!」
「ジュリウス。少し私の考えを知って貰った方が良いでしょう。ほら……」
突如として先ほどまでの光景が一気に暗闇へと塗り替えられる。目には見えないが何かに囲まれている事だけは察知していた。気が付けば既に禍々しい何かがジュリウスを囲んでいる。
現時点で抵抗する術は今のジュリウスには存在していなかった。