「フェルドマン。リヴィ・コレットの件だが、体調の確認をしているか?」
一旦は螺旋の樹の調査を取りやめる事でリヴィの体調の確認とばかりに紫藤は改めてフェルドマンに確認していた。これまでの結果から抑制剤の過度な使用が身体を蝕むだけでなく、その効果までもが慢性的になっているからなのか、効き目が弱くなりつつある事実がそこにあった。
これまでのデータその物は情報管理局の内部だけで管理していたが、既に管理の権限が外れた事による数値の確認は今後の作戦の結果にまで大きく影響を及ぼす。既にリヴィが苦しんでいる事実があるからこそ、以前は問題無いと聞いていた話を改めて確認すべくフェルドマンに訊ねていた。
「確認はしています。本人の言葉からは問題無いとの報告も聞いていますが」
「通り一辺倒の回答を聞いている訳では無い。これまでの摂取量からすれば、そろそろ抑制剤の効き目がなくなりつつある。このまま使用するのであれば最悪は本人の命の問題にもなりかねん」
一刀両断の如き言葉にフェルドマンはそれ以上の事は何も言えなくなっていた。
目の前の人間が抑制剤を作っただけでなく、その薬効までも一番理解しているのが一番の要因でもあった。だからこそ、その言葉の意味は理解できるが、一人の犠牲の上で全人類を天秤に乗せる事は出来ない。どんな厳しい結果になるのかは予測しているが、今はそんな事を言う必要はどこにも無かった。
「一人の人間の下で成り立つ作戦は最早作戦では無い。それは単なる人身御供でしかない事を理解しているか?」
「……勿論理解しています。私とて無為無策でやっている訳ではない。現時点でやる為の対案が無ければ仕方ないと以前にも言ったはずですが、それをもうお忘れで?」
フェルドマンの視線に力がこもる。これ以外の作戦はあり得ないと言う確固たる意志が見えるからこその言葉には、自分の立案した作戦を覆す意志は感じられなかった。
ヴェリアミーチェの本来の持ち主でもあるロミオは保護しているものの、現時点で戦場に出せばどうなるのかは考えるまでも無かった。事実、救出作戦に関しては極秘裏に動いた結果でしか無く、その事実はフェルドマンにすら伝えていない。もしそれが発覚した場合、ロミオに対し、即時戦線復帰を言い渡すと同時に過酷な戦場に放り出されるのは明白でしかない。
仮に言った所で何かが改善される様な雰囲気は微塵も無かった。
「そうか……ならば多少なりとも改善した抑制剤を使うと良い。以前ほどの副作用が無いだけでなく、薬効の配分も変えてある。これならば多少なりとも効き目は改善されるだろう」
こうなる事を予測していたのか、紫藤から渡されたアンプルにフェルドマンの顔色が僅かに変化していた。
薬効を変えるとは言っても事実上の成分の強化はそれだけ身体にかかる負担も大きくなるのは当然の事だった。数字を見たからこそギリギリの範囲まで副作用を抑え、効き目だけを高めたそれが何を意味するのかは自身が一番理解している。だからこそ、フェルドマンの表情は僅かに曇っていた。
「はい。では、その様にお願いします」
ブラッドが一旦は螺旋の樹の探索を中断し始めてから1週間が経過しようとしていた。既に資材が揃ったのか、神機兵がゆっくりと資材を運搬している。
既に今回の指揮を任されたアリさはタブレットを片手に進行状況を逐一確認していた。
「アリサ。状況はどうなってる?」
「資材運搬は今ので最後ですから、この後はキットの組み立てになりますね」
エイジの言葉にアリサは改めて予定を確認していた。事前に聞いていたリヴィの件に関しても未だ改善の兆しが見える事は無かった。そうなれば屋敷で訓練をしているロミオの復帰が一刻も早くする事だけが念頭に置かれていた。
一度はアリサも屋敷で見た事もあってか、既にエイジが屋敷での教導を開始している事を知っている。現時点でブラッドにはロミオの件はまだ伝えていない事もあってか、その話をしようとすれば必然的に近寄っての小声となっていた。
「ロミオの件だけど、もう少し時間が欲しい所かな。良い線までは言ってるんだけど、やっぱり実戦をしない事には厳しいかも」
「でも、神機無しだと無理ですよね?」
「そこなんだよ。だからと言って夜中にアナグラって訳にも行かないからね。案外と難しいんだよ」
アリサをベースキャンプ設置の責任者にしたのはロミオの存在があったからだった。
元々サテライトの建設をアリサの主導でやっていた為に疑問が誰も浮かばなかったが、それはあくまでもエイジとリンドウが派兵に行っているからの話であって、既に派兵に行かない今は誰がなっても不思議では無い。しかし、これまでサテライトの建設に尽力を注いでいたのがアリサであればそれは全て自然な流れにしかならない。だからこそエイジは屋敷でのロミオの教導に精力を傾ける事が可能となっていた。
「お前ら、なんでこんな所でイチャイチャしてるんだよ」
「なんだ、コウタですか。今はエイジと話があっただけですよ」
背後からのコウタの声にアリサは僅かに焦っていた。現時点でロミオの存在を知っているのはアリサとエイジ以外ではマルグリットだけ。コウタなら知らせても問題無いとは言われたものの、これまでの事を考えた結果、マルグリットはコウタに話す事無く今に至っていた。
「だったらそんなにくっつく必要無いだろ?」
「マルグリットに構って貰えないからって僻むのはお門違いですよ」
「誰も僻んでないよ。って俺の事はどうでも良いだろ?」
既に神機兵は資材を運んだ事で、今は3人しか居ない。本来であれば自室で話せば良かった事だけが悔やまれていた。
「コウタはこれから神機兵の護衛だよね?僕はあれから内部には殆ど入らないから分からないんだけど、実際にはどうなってるの?」
エイジが裏の任務として行動していたのはコウタも知ってはいたが、その肝心の内容までは何も知らされていなかった。精々は情報管理局の目を欺く程度の事しか思っていないだけでなく、あの任務以降エイジが螺旋の樹の内部に入っていない事をコウタも知っている。事実、その後の状況は良好とは言い難い状況になりつつあった。
最大の要因は下層部から中層部に上がる際にはルートがハッキリとしていたが、中層部から上層部へと移動するにあたってのルートが何も発見出来ない点だった。ブラッドが開拓した場所は確実に安定化を図っているものの、未だ見つからない上層へのルートの発見の遅れは作戦全体を停滞させる原因でしかない。そんな事情からも一刻も早い発見が急務となっていた。
「全くだよ。上へのルートが見つからないってタツミさん達もボヤいてた。実際に俺達も護衛をしながら新ルートの開拓をするんだけど、手がかりが何も見つからないんだよ。何だかブラッド以外の人間を入れるつもりが無いみたいでさ」
話題の回避に成功はしたものの、既に今後の予定が事実上の手詰まりになっている事は何も変わらないままだった。
これまでに分かっているのは螺旋の樹の内部は植物の様な維管束が発見されている為に、そこを起点に探せば良いのではとの憶測が会議室内にあった。しかし、それが本当に正しいのかと言われれば回答に困る。
上層部に行けない事には何も進まないのもまた事実。現場だけでなく事務方も見つからない苛立ちが徐々に表面に出始めていた。
「簡易型のベースキャンプですから多分設置そのものは時間がかからないはずですから、今後はそこを拠点にする必要がありますよ」
「だよな。でも良く考えればベースキャンプが出来たらアナグラに戻る機会ってかなり減るよな。って事は今後はどうなるんだ?」
「今後は偏食因子の投与と神機の整備、食事に関してはベースキャンプが主体となりますね。住環境に関しては最低限の物で構成してますから、その辺りは各自の判断になりますけど」
「やっぱりか……でもこればっかりは仕方ないよな」
コウタは何か思う所があったのか、それ以上の言葉を出すのを止めていた。螺旋の樹の萌芽による終末捕喰の開始は既に履行されている。現在はブラッドが何とかその状況を打破する為に行動しているが、それもまた人知れず厳しい内容となっていた。
「一応はミニキッチンも併設してますから、自分達で作る事も可能ですよ」
「まぁ、それも何だけどさ。実際に俺達も機材の護衛もしているから分かるんだけど、部隊の消耗が思ったよりも早いんだよ。幾ら制御装置で安定してるとは言え、やっぱりオラクルが荒れた内部は負担も大きいんだよ」
食事の事では無く部隊の心配だった事にアリサは目を丸くしながら驚いていた。これまで長い付き合いではあったが、部隊の事を優先的に考えている姿を見た事がなかったからなのか、いつもと違って真剣な表情のコウタはこれまでに見た事が無かった。
一個人では無く部隊の長としての発言は人知れず本人の成長を意味している。本人は気が付いていないが、それがこまれまでの甘さが残っていた部分との決別を意味していた。
「コウタが珍しくまともな事言ってます。神機兵は大丈夫なんですかね?」
「あのなぁ……俺だってちゃんと部隊運営の事は考えてるよ。実際に何時もの場所じゃなくてここが最前線なんだし、過酷な状況下でのミッションは命の危険性もあるから、しっかりと考える必要があるんだよ」
既に一部の部隊を残して主力は螺旋の樹の内部が主戦場と化していた。外部に関しては未だアラガミの大群はまるで何かを監視しているかの様に一部の場所に留まったままだった。監視をしながらも時折群れからはぐれるアラガミの討伐がここ最近の通常ミッションとなっていた。
「そろそろじゃない?こっちの事はこっちでやるから、コウタも頑張りなよ」
「ああ。じゃあそろそろ行くか……」
準備が出来たのか、何時ものメンバーとは違う部隊構成でコウタの背中は徐々に遠くなっている。既に日程的な物がクリアできたのか、改めてブラッドの螺旋の樹への投入が数時間後決定していた。
「さてと。ソーマ、君は今回の件に関してだが、どう考えているんだい?」
支部長室を後にしたブラッド以外でこの部屋にいるのはソーマだけだった。今回の螺旋の樹の探索に於いてはソーマの名前は入っていなかった。
元々極東支部での研究の内容はレトロオラクル細胞の研究を主としてやってきたソーマからしても未知数の物だった。当初は断りを入れた部分もあったものの、無明が改めてソーマを説得した事によって今に至っていた。
「…俺が出来る事はロミオの神機の効果でもある『圧殺』の事だけだ。少なくとも現時点で分かっているのは、あの力は本当にアラガミを抹殺する程の内容なのかが気になる点だ。これまでの数値と俺の経験上、あれはもう少し意味合いが違うのかもしれん」
「ほう。では何だと考えてるんだい?」
何時もの笑みを浮かべ、細い目の榊の視線が珍しくソーマに注がれていた。
これまで研究といえば、既に聞き及んだ知識を総動員して結論を導き出すやり方をソーマはやっていた。やり方そのものは間違っていないが、それはあくまでも十把一絡げにくくられる研究者と何ら変わらない点だった。
実際それでもそれなりの成果が少しづつ出始めているのは良い事ではあるが、それでは自身の経験を全否定しているのと変わらない行為に榊は少しだけ残念に考えていた。
榊の次点でもある紫藤博士は既にフェンリルでも確固たる地位を築いているが、それはこれまでの自信の経験に裏打ちされた結果が表に出た格好だった。そんな経緯があるからこそ、本部の技術フォーラムでは実戦に関する論文で紫藤の右に出る者は誰もおらず、その結果として今回も使用されている抑制剤を開発出来た経緯が存在していた。
しかし、ソーマは良い意味ではスタンダードではあるが、悪くとらえれば誰でも出来る内容でしかなく、今回の作戦の参加に当たっては自身の経験を上手く引き出す事が出来る可能性を秘めてるとの榊と紫藤の算段の結果でしかなかった。
「実際にこの目で見た訳では無いが、ログを見た限りだと小型種に関してはその存在に押しつぶされた感じはあるが、中型種以降はその働きが弱っている様にも窺える。そう考えると俺が思っていた内容は間違っている可能性があるな」
「なるほど。だとすればどう考える?」
「……そうだな。俺なら……おいオッサン。俺はあんたの弟子になった覚えは無いぞ」
榊の誘導尋問の様な質問に気が付いたのか、ソーマはそこで言葉を一旦区切っていた。既にそれが答えを導きだしつつあった事を理解しながらも、ソーマは改めて自分の推論を纏める様に考え出していた。
「そんなつもりは無いよ。ただ、ヨハンが生きていれば今の君を見てなんて思うかと考えるとね……」
「ふん。馬鹿馬鹿しい。親父は親父だ。俺には関係無い。今後の事もあるから、リッカとナオヤにも幾つか確認したい事がある。俺もこれで失礼するぞ」
支部長室を出た事を確認した榊は一つの写真を見ていた。映っているのはまだ若かりし頃の榊とヨハネス、アイーシャの3人。当時の状況がどれほど絶望的だったのかを考えれば、今はまだ恵まれているのかもしれない。しかし、目の前ではゆっくりと進行する終末捕喰に対する案が事実上無に等しいのは間違いなかった。
既に幕は上がっている。今の榊の心情は子供の成長を見守る親の様な物だった。
「あっ!きっとあれはそうですよ。遂に見つけましたよハルさん」
「どれどれ……ああ。多分そうだろうな。でかしたぞカノン!」
「ありがとうございますハルさん!」
未だ見つからない上層部へのルートが見つかったのは本当に偶然の事だった。制御装置を護りながらの探索任務は根気が必要となってくる。既に第1.第2部隊も同じ様に探索してはいたものの、一番最初に発見したのは第4部隊のカノンだった。改めてハルオミもその存在を確認する。既に上層部に向けての入り口らしき物が大きな空間に穴を空けている様にも見えていた。
「了解しました。すぐに行動を開始します」
上層部へのルート確認の一報はすぐさま北斗達の耳にも届いていた。時間がいくら経過しようともその入り口の痕跡はこれまで見つかる気配は無く、その結果ここからは何も進まないままの現状に大きな進歩を見せる結果となっていた。
「遂に見つかったんですか?」
「ああ。カノンさんが見つけたらしい。これから直ぐにブリーフィングと作戦の開始だ」
休憩とばかりにラウンジにあった空気が一気に張りつめる。既にその表情はこれからの作戦の厳しさを物語っていたからなのか、誰も甘い考えを持った者は居なかった。