「これが今後の拠点となるベースキャンプですか。思ったよりも中は充実してますね」
「シエルちゃん。簡単な設備だけどシャワー室とかもあったよ!」
上層部へのルート発見後の行動は迅速だった。当初はアラガミが付近に待ち構えていないかとの懸念事項もあったものの、結果的には杞憂に終わっていた。
今後の拠点となるベースキャンプも併せて設置が完了した事から、アリサからの依頼によって北斗達はその確認をする事になっていた。
「これは簡易キットの組み合わせではありますが、サテライトのノウハウを使ってます。外部の防壁程のレベルではありませんが、対アラガミの部分だけでなく、住環境もそれなりに利用する部分に関しての不自由さは感じないはずですよ」
最終確認の為にアリサもブラッドと行動を共にしていた。既に引き渡し完了の手続きを終え、後は設備に関しての不具合を一つ一つ確認していく。突如として現れた設備にナナははしゃぎ、シエルはただ感心していた。
「まぁ、以前の物に比べればかなり違うだろうな。ただ、ここが拠点となるなら暫くはアナグラには戻れないと考えた方が良いのかもしれんな」
ギルの言葉にこれまではしゃいでいたナナも現実を見直したのか、先ほどまでの表情とは打って変わって引き締まっていた。螺旋の樹の内部は、これまでに分かっている事だけを挙げても事実上のアラガミの体内に近い物があり、この場は事実上の敵地のど真ん中でもある。
何気に呟いたはずのギルの一言ではあったが、現実を直視するには十分すぎていた。
「ギルの言う通りかもな。既に上層部へのルートも確立したのであれば、今後は更に厳しい戦いが予想されるのは間違い無いだろう。中層の時点で居ないならジュリウスはこの上に居る。あともう少しだけやるしかないな」
事前に榊からもたらされた情報の中でも今後の上層部への進行はこれまで以上に険しい道程が待ち受けている事は確認している。既に対策を立てるべく、新たな制御装置は神機兵が運ぶ事が決定している以上、残された時間はそう多くは無い。まだ見ぬ光景に全員が改めて気持ちを引き締めていた。
「北斗。少しだけ確認したい事があるが、今良いか?」
全員が居る場面で発言したのはリヴィだった。今後の進展を考えるに当たって最大の要点でもあるのがジュリウスの所存だった。
リヴィはブラッドに配属されてまだ間もない事だけでなく、ここに来るまでに色んな情報に一通り目を通していた。ジュリウスのやって来た事が正しいのかどうなのかは今決める話ではなく、今後の歴史がその正邪を判断すれば良いだけの話。しかし、あくまでもジュリウスが生存している前提での話であって、最悪の展開になった場合の決意は誰の口からも聞いた事が一度も無かった。だからこそ、今後のモチベーションの源泉でもあるジュリウスの事について確認しておきたいと考えていた。
リヴィが発言した事で全員の視線がリヴィへと集まる。それが合図だと言わんばかりにリヴィは現時点での話の為に口を開いていた。
「正直な所、君達とは違い、私はジュリウスの事はよく分からない。だが、これまでの調査で既に生体反応そのものが確認できず、もし万が一無事だとしても未だ特異点の状態であれば終末捕喰は始まってしまう。それでもジュリウスを助けたいと思う気持ちが皆にはあるのか?」
本来であればこんな状況下で言う言葉ではなかった。リヴィが言った言葉は極東の中でもブラッド以外の事実上の全員が口には出さないまでも少なからず考えている言葉ではないのかと思える部分が多分にあった。それは奇しくもまだブラッドが極東に来る前にクレイドルの主要メンバーでもある旧第1部隊が考えぬいた状況と酷似していた。
しかし、事実上の部外秘でもあるその内容を今の北斗達は知る術は無い。当時の状況に近い事だけが今の現実である事を知らしめていた。
「今はそんな事を考える必要は無いと思う。リヴィはジュリウスの事をどう思っているのかは知らないが、ここに居る全員は少なくとも助けたいと願って行動をしている。今から最悪の事態を考えた所で何かが変わる訳でないのもまた事実だ」
北斗はそう言いながらリヴィに向けた視線に力を込めていた。もとより終末捕喰が一旦は発動した時点で全員が激しく後悔している事を北斗が一番理解している。既に同じ轍は二度と踏まないとの確固たる意志があるからこそ、リヴィの質問が愚問だとばかりに明言していた。
「そうか……すまない事を聞いてしまったみたいだ。先ほどの発言の詫びをしよう」
明確な意志にリヴィは少しだけ安堵した様な表情を浮かべていた。フェルドマンに報告した際に適合における拒絶反応についての質問は事実は異なる答えを述べていた。
適合率が上昇しているのは体感だけでなく神機の運用やその状態が数値化されている為に誤魔化す事は出来ないが、自分の浸食に関しては生体データでは表れにくいからなのか、情報管理局員も気が付く事は無かった。自分の力でここまで来たなどと、おこがましい考えは無いが、事実上『圧殺』の能力が無ければ何も始まらないのもまた事実。
明確な意志があるのであれば、それに最後まで付き合うのもまた一興だとリヴィは考えていた。
「ここが上層部なの?これまでとは全然違うんだけど……」
「そうだな。事前の話だとオラクルがかなり荒れているって話だったが」
ナナとギルの言葉がブラッド全員の気持ちを代弁していた。これまでに分かっている事は螺旋の樹の内部はオラクルが暴風雨の様に荒れ狂っていると予測されていただけでなく、事実、観測している計器もその数値を叩き出していた。
そんな事もあってか、入念な準備を終え改めて上に進むとそこは何もない凪いだ状態の空間が広がっている。一部の場所からは青空が顔を出し、その傍には小さな滝の様に水が崖の上から流れ落ちている。これまでの様に禍々しい雰囲気はどこにも無く、まるで小高い高原の様な光景はこの場に居た全員が呆気に取られる様でもあった。
近寄っては居ないが、隙間から見える空の向こうは既に雲が眼下にある様な光景に、本当にここが最前線なのかと自分の視覚に入る景色を疑わずにはいられなかった。
「でも、穏やかな様にしか見えないんだど……」
ナナは改めて周囲を見渡している。見える範囲の中にアラガミの姿は微塵も無く、本来であればここにベースキャンプを設置した方が良い様にも思えていた。
「ナナ、ちょっと待つんだ」
何も無いのであれば周囲の探索をするのは当然だとばかりにいち早く動こうとしたナナを北斗の右腕が伸びる事で制止する。確かに景色は風光明媚だと言えるも、何か嫌な感じだけが纏わりついている。まだ誰も気が付いていないのか、突然の北斗の行動に誰もが動こうとはしなかった。
「何かあったんですか?」
「何と言う訳じゃない……ただ嫌な勘が働くだけだ」
シエルの質問に対し、北斗は抽象的な言葉でしか表す事が出来なかった。嫌な予感はこれまでに培ってきた戦場に於ける勘でしかなく、またそれがこれまでの中で間違っていない事も理解している。だからこそシエルの質問に対し、北斗もそれ以上の言葉を出すには時間が必要だった。
「何だあれは?」
リヴィの言葉に全員の視線はその声の方へと向いていた。今までのどかだったはずの景色が徐々に崩れ出す。周囲に湧いたのはこれまで見た事が無い黒い蝶の群れだった。
「なんだここは?さっきまで居た場所とは違う様な気がする……」
黒い蝶に襲われた事により、周囲の視界が一気に塞がれていた。憎悪の塊の様な蝶は明らかに自然界に存在しない物であると同時に、何かしらの明白な意志がそこに宿っていた。
既にどれ程の時間が経過したのかは分からないが、改めて周囲を確認しても先ほどの場所とは明らかに異なるだけでなく、他のメンバー全員の姿も発見する事は出来ないでいた。周囲を歩くも出口らしいものは何処にも見当たらない。既にここが夢なの現実なのかすら判断する材料はどこにも無かった。
「何故、貴方はここにいるのですか?」
周囲の探索を初めて数分もしないうちに聞こえて来る声に北斗は聞き覚えがあった。自分の記憶違いで無ければこの場に居るはずの無い人物の声でもあり、最悪の展開を考えた際に確実にそうであろう人物の声。忘れるはずもないラケル・クラウディウス本人の声だった。
圧倒的な存在感が視界にないはずのそれを際立たせている。気配を察知したのか、純白の神機の刃を振り返りざまに向けた先に、先ほどの声を発した人物は佇んでいた。
「フフッ。随分な挨拶ですね。私は貴方にそんな教育をした覚えはありませんよ。それともそれが今の貴方方の流儀なんですか?」
これまでに何度も見たラケルの笑みは、当時と何も違わないままだった。
既に車椅子に乗っていないからなのか、佇んだラケルは笑み浮かべるだけで動こうとはしない。しかし、その佇まいは明らかに人外のそれと同じ気配を持っていた。
「………貴様は何故ここに居る?」
北斗の言葉には明確な殺気が含まれていた。ジュリウスを上手く使う事で自分の大望でもある終末捕喰を完遂させた張本人でもあり、今回の螺旋の樹の汚染に於いても最大級のイレギュラーを作り出した人間は北斗が放つ殺気をいとも受け流す。まるで子供がやる事を穏やかな目で見守る親の様な視線は終始崩れる事はなかった。
「それは愚問と言うものですよ。貴方方はここに来る際にしっかりとした認識を持って来ていたのではありませんか?……ここは私とジュリウスが作り出した世界。私からすれば貴方方がここに居る必要性が何も無い存在でしかありませんよ。
改めてもう一度言います。何故、貴方はここに居るのですか?」
ラケルの笑顔は今もなお崩れる事は無かった。禍々しい空気を全身に纏い、全ての物を拒絶している様にも見える。ラケルの事を何も知らない人間であれば気にならないレベルではあるが、これまでに何度も接してきた北斗からすればラケルの皮を被った悪意そのものの様にしか見えなかった。
「貴方はあの時ジュリウスにこの螺旋の樹を任せたのではありませんか?」
そう言葉にしながら一歩一歩北斗に向けてゆっくりと歩き出している。目の前には神機の刃があるにも関わらず、まるでそんな物が最初から無かったかの様にゆっくりと歩を進めていた。
「ジュリウスを手放したく無いと言うのであれば、何故あの時、手を取らなかったんですか?」
神機の刃まであと2メートルもあるかどうかの距離をゆっくりと歩む姿は先ほどまでと何も変わらない。徐々に近づくラケルは北斗の下へ歩みと止める気配は無いのか、笑みを浮かべた表情そのままに今なおゆっくりと距離を詰めている。
「そう……あの時もそうでしたよね。ロミオが襲われた際に貴方はどうしてましたか?」
ラケルの口から出たロミオの言葉に北斗の精神は僅かに揺らいでいた。赤い雨の中を知り合ったばかりの老夫婦を見つける為に、防護服を着用しそのまま走り出した事を思い出していた。あれが元気なロミオを最後に見た場面だった。
「もし貴方があの時ジュリウスの制止を振り切ってロミオの所へ走っていればこんな事にはならなかったんじゃないですか?」
そう言った瞬間、ラケルの背後には当時の情景が浮かび上がっていた。シェルター内部に居た為に知り得なかった事実。うっすらと浮かび上がる光景はロミオがマルドゥークに弾き飛ばされ空中に浮いている姿。
「そしてジュリウスが黒蛛病に罹患する事も無かったかもしれない」
弾き飛ばされたロミオを救出すべく走り出したジュリウスもまたマルドゥークに弾き飛ばされる姿が浮かび上がる。
「そしてその後も……ジュリウスがブラッドを抜ける際に、貴方がもっと強く引き止めていればこんな事にはならなかったのかもしれない……」
既にラケルは北斗の間合いに入っていた。このまま一気に横薙ぎに神機を振れば間違い無くラケルの胴体は一瞬にして切り離される。本来であれば不用意に間合いに入る事はあり得ない。にもかからず未だラケルは歩を止める気配は無く北斗の元へと歩み続けていた。
「全ては確かに私が貴方に対して与えた試練です。しかし……この様な結果になったのは私だけの試練だけではありません。貴方が貴方自身で考え、導きだした答えとしての結果が今出ているだけなのです。
これが試練の結果の対価であれば現実を粛々と受け入れるだけなのではありませんか?」
「…………」
ラケルと北斗の距離は既に50センチも無い程の至近距離まで迫っていた。神機を振るうまでもなく、これまで鍛え上げた自分の業があれば一撃の下に葬り去る事が確実な距離。にもかからず、今の北斗は攻撃そのものをする意志は無かった。
「……沈黙は肯定と同じですよ。……最後にもう一度尋ねましょう。貴方が成すべき時に成す事が出来なかった貴方は……今更何の為にここに居るのですか?」
不意にラケルから発せられる気が大きく膨れていた。攻撃する意志は無くてもこれまでに鍛えられた精神と肉体は半ば無意識の内に神機を横薙ぎに振るっていた。
大気を斬り裂くかの様な斬撃がラケルの胴体めがけて襲い掛かる。絶対の間合いを外す事はあり得ないと言わんばかりの鋭さを秘めていた。事実上の至近距離であれば余程の頃が無い限り回避するのは不可能だった。
この間合いで攻撃を避ける事が出来る人物は北斗が知る中では2人しかいない。ましてや目の前のラケルがそんな芸当が出来るはずもなかった。
「…迷いの無い見事な太刀筋……どうやら貴方は絶対の覚悟を持ってここに来たようですね」
北斗はラケルに向けた斬撃に手ごたえを感じる事は無かった。確実に仕留めるかの様に振るったはずの斬撃は勢いが衰える事なく空を斬っている。残像の如くラケルの姿は消えると同時に北斗の背後に集まった黒い蝶が集まると、改めてラケルの身体を形作っていた。
「……良いでしょう。貴方にジュリウスを取り戻す資格があるのか試して見ると良いでしょう。ただし……それは終末捕喰から特異点を引きずり出すのと同じ事。『再生なき永遠の破壊』を生み出す引鉄を引く事になる事。
ジュリウスを救出する行為に対し、貴方はそうであったとしても他の皆が果たしてそう考えていると言い切れますか?」
「それ以上は黙れ!」
背後からの声に北斗は超反応とも言える速度で機を鋭く振るう。しかし、そんな行為すらまるで嘲笑うかの様にラケルの胴体に刃が通る事は無かった。既にラケルの姿は先ほどとは違い現れる気配は微塵も無い。
既に現れる必要が無かったのか、純白の刃が再び斬り裂く事は無かった。