病室はリヴィの呼吸以外に何も聞こえない程静寂に包まれていた。目覚める気配は無いのか、ロミオの存在にリヴィは気が付く事はなかった。
シーツから出た腕はロミオが思う以上に細く、当時の様に包帯は巻いていないが、見える右腕がどれ程の状況だったのかは想像すら出来なかった。これまでに聞いているジュリウスの神機への適合だけでなく、自分の神機にも適合させブラッドアーツまでも解き放つ。
当初は信じる事も難しかったが、自分の神機をミッションの際に接合した瞬間、これまでに感じた事が無い感触が有った様にも感じていた。
「こんな細い腕で今まで頑張ってきたんだな。よく頑張ったな」
ロミオがリヴィの頬を撫でた瞬間だった。これまでに感じた事の無い映像がロミオの脳内に映し出される。それはこれまでにリヴィが見てきた映像だと判断するまでにそれなりに時間が必要とされていた。
「どう?俺と話をするのは嫌?」
「そんな事は無い。ただ、何を聞きたいのか分からない。それに私はラケル先生に捨てられたんだ。これ以上私に纏わりつけばロミオも同じ目に合う」
「んな事無いって。ここに居る皆はラケル先生と直接話をする事なんて殆どないんだぜ。俺だってラケル先生とはまともに話なんてした事が無いんだからさ」
何気なく言われた言葉にリヴィは思わず絶句していた。これまでに自身の異能が認められたからこそラケルと接する機会が多かったが、実際にはここに居る殆どの生徒はラケルと話をするケースは皆無だとは思ってもいなかった。
当初は周りに目を向ける機会が無かったが、気付けば月に数人が同じクラスから見なくなったと同時に新たな子供がやってくる。当初は気にもしなかったが、ロミオと話をす様になってからは周囲を見るだけの余裕が出てきた結果だった。
「そう……なのか?」
「そうだよ。確かにこれまでリヴィはラケル先生と一緒に居る機会が多かったから気が付いてないかもしれないけど、ここのほとんどの連中は皆そうだよ」
リヴィは改めてこれまで自分が置かれていた立場が周りから見て優遇されていた事を認識していた。殆ど会った事が無い子供が大半にも関わらず、自分は2.3日に1回はラケルと会っている。いくらジュリウスが来た事で自分に感心が無くなったとは言え、その回数から考えれば周囲がやっかみで何かを言うのは当然だと認識していた。
「そうだったんだ……」
「リヴィがこれまでどんな事してたかは知らないけど、これからは俺達と何も変わらないんだろ。いい加減話ばっかりも飽きてきたんだったら、皆と一緒に遊ばない?」
「そうだな」
そう言い終わると同時にロミオの手が差し出される。それが当然だと言えるほどに自然と出た手をリヴィは取っていた。
これまで自分が拒否したはずの手は思いの外温かかった。これまでの自分がそれほど向けられた行為を無碍にし、我儘だったのかと思うと同時にロミオに対してい感謝さえしていた。
「なんだ今の!?」
話すかに触れたリヴィの頬から手を離した瞬間ロミオは思わずのけ反っていた。頭の中に浮かんだ映像は紛れも無くマグノリア=コンパス時代の物。おぼろげだった記憶がロミオの記憶中枢を刺激したのか、当時の状況がクッキリと思い出されていた。
「ロ、ロミオなの…か?」
「まだ休んでいなよ」
「あ、ああ。あとで話を…聞かせて…ほしい」
目の焦点が合っていないのか、リヴィは僅かに目を開く。恐らくは完全に覚醒していないからなのか、言葉はまだ舌足らずの様にも聞こえていた。本来であればそうだと言いたい所ではあったが、今はまだ誰にも見られない様にと釘を刺されている以上、無言のまま頬を撫で終えるとそのままリヴィの目が閉じた事を確認してその場を去っていた。
「もう大丈夫なの?」
「ああ。身体そのものは問題無い。今日は一日安静にして明日からは再び螺旋の樹の内部へと進行する予定だ」
時間の経過と共にこれまで蓄積された疲労が抜けると同時に、オラクル細胞が安定し始めた事から、リヴィの復帰の日程は程なく決定されていた。既にロミオのヴェリアミーチェは整備に回されているのか、完全に整備が終われば即現場復帰の予定となっていた。
「でも倒れた時はどうしたものかと思いましたから」
「皆にも迷惑をかけたが、私はもう大丈夫だ」
「でも、この前に比べれたらリヴィちゃんの顔が少し穏やかになったみたいだね。やっぱりこれまでの戦いが思った以上に大変だったからなのかな」
ナナが言う様に、今のリヴィの顔は以前に比べれば晴々とした様にも見えていた。これまでにあった眉間に皺はなく、言動の端々も言葉そのものは同じだが、口調はどこか穏やかになっている様だった。
「そうか?私は何も変わっていないが」
リヴィはそう言いながらも僅かに心当たりがあった。寝ている所ではあったが、懐かしい顔を見た様な気がしていた。
眠りから目覚めた際に見た顔は誰だったのかは分からないが、少なくとも警戒する様な顔ではない。何となく記憶にはあるが、それが一体誰なのかと言われれば言葉にするのも憚られていた。
「お前らもそれ位にしておけ。リヴィ、体調はもう大丈夫なのか?」
2人の会話を遮る様にギルはリヴィに話かけていた。今回の作戦に関しては事実上リヴィの能力が生命線となっているのはブラッドだけでなく、情報管理局を含めたすべての総意でもあった。
3日間の休息は明日で終わる。それが始まれば再び厳しい戦いが待ち受けているのは明白だった。
「ふう……」
訓練室でリヴィはヴェリアミーチェを馴染ませるかの様に振るい続けていた。ただでさえ自分の体調が悪化した事による作戦の停滞だけでなく、自分以外に代わりになる者が誰も居ないとの強迫観念からなのか、リヴィは無心になて神機を振るい続けていた。
「どうやら本調子みたいだな」
「北斗か。随分と済まない事をした。見ての通り体調そのものはもう問題無い。あとは実戦に入るだけだ」
休憩に入ったのか、リヴィは汗をぬぐいながら水を飲んでいる。気が付けば既に全身は汗にまみれていた。
「そうか。上層は中々厳しいみたいだ。他のメンバーの話だと、周囲に俺達が見たのと同じなのかは分からないが、時折黒い蝶を見るらしい。それがラケルの仕業なのかは分からないが、気を付けるに越した事は無いだろう。だが……」
「私の事なら気にする必要は無い。既に当時の状況からは脱却しているだけでなく、ラケルは終末捕喰を結果的に引き起こした大罪人だ。生憎と感傷的になる様な軟なメンタルは持ち合わせていない」
以前に聞いた事を思い出したのか、北斗はそれ以上の言葉を出すにあたって僅かに良いのかと逡巡していた。いくら隊長と言えど軽々しく口にして良い物なのかは直ぐには判断出来ない。今はひとまずリヴィの様子だけを見るに留まっていた。
「では改めて作戦の再開だ。既に手順はこれまで同様に『対話』の能力で不活性化した所を一気に推し進める。交代要員は常に配備させている。君達に出来る事を専念してやってくれ」
フェルドマンの言葉通り、リヴィの復調と同時に作戦は再開されていた。既に全員の神機の整備は終わっているからなのか、これまで以上に神機からどこか鼓動の様な物を感じる。
口には出さないが、既にこの先にあるのが何なのかを考えれば自然と力が入る。全員の心は一つになっていた。
「神機に関してだが、整備は完全に終えている。だが、前回の様に無理矢理血の力の出力を上げると今度は無事で済まされない可能性もある。上層が厳しい事は知っているが、自分の命があっての作戦なんだ。違和感を感じる様なら直ぐに撤退と神機の接続を切断してくれ」
「了解した。復帰したばかりだ。無理をするつもりはない」
神機保管庫でリヴィはナオヤからヴェリアミーチェの取り扱いに関しての注意を受けていた。今回の倒れた原因は自分の制御出来るレベルを大幅に越えた血の力の行使が原因なのは明白だった。
既に抑制剤の利きが悪くなりつつあるのは自身が一番理解している。気を付けろとは言われても、既に自分の中にある時限爆弾がいつ破裂するのかは誰にも分からない。子供の頃に交わした約束を行使すべく、口では無理はしないと言いながらも時間が既に無い事は間違い無かった。
このまま行ける所までは止まるつもりは最初からリヴィの中には無かった。
「それと、今回の作戦に関しては上層に向かう際に、ベースキャンプの物資の搬入も兼ねている。ベースキャンプ地までは神機兵と行動を共にしてくれ」
「確か、今回は我々だけのはずでは?」
ツバキの言葉と同時にそれぞれの端末に今回の作戦の内容が更新されていた。先ほどまでは単にその先を目指す事になっていたが、気が付けば任務の内容は更新されている。改めて見れば確かに物資の供給の為に神機兵の護衛に変わっていた。
「各自確認したな。今さらではあるが、この作戦はかなり厳しい物に変わりはない。前に進むのは良い事だが、時には撤退する事も必要だ。どんな結果になろうとも命が最優先だ。命を投げ出しても遂行しろとは言わない」
改めて神機保管庫にツバキの声が響き渡ると同時に、ブラッドは螺旋の樹に再度侵入すべく神機保管庫後にしていた。
「後はあいつ次第か。ところでナオヤ。あいつは神機兵の操縦は大丈夫なのか?」
ブラッドが退出した後、フェルドマンが居ない事を確認したツバキはナオヤに改めて問い直していた。これまで屋敷での教導の内容は確認していたが、神機兵の操縦に関しては何も聞いていない。時間があれば常に教導していた為に神機兵の事まで時間が無かった事は間違い無かった。
万が一の事を考慮して神機兵のパイロットにロミオを載せてあるが、実戦は訓練とは違い何が起こるのかは予想すら出来ない。そんな中で物資の運搬だけとは言え、ロミオにそれを任せても大丈夫なのかツバキは心配になっていた。
「実際には遠隔操作らしいですよ。今回の件に関してはギリギリになってレア博士には事実を伝えてあるので、その辺りは問題ないはずです」
「そうか。お前にも、いつも以上に苦労させたみたいだからな。何かあるなら言ってくれ。私で出来る事なら善処しよう」
「いえ。今回の教導は何時もと同じですから。敢えて言うなら今回の作戦が終わったら少しゆっくりしたいですね」
「そうだな。この作戦が終わればみんなで騒ぐのも悪くは無いな」
神機保管庫にはツバキとナオヤの2人しかいない。そこには身内ならではの空気が漂い始めていた。
「案外と拍子抜けだな。まさかここまでアラガミの姿が出てこないとなると緊張の糸も切れやすくなりそうだな」
ギルが言う様に、下層や中層でアラガミの姿を見る事は殆ど無かった。時折中型種が単体で出る事はあったが、今のブラッドからすれば苦戦する様な部分はどこにも無く、戦闘が発生しても然程時間がかからない間に終了していた。
「確かにそれは否定できませんね。しかし、今後の事を考えればそろそろ中層から上層にさしかかる場所です。ベースキャンプ地までは油断しない方が良いでしょう」
「でも、これもやっぱりリヴィちゃんの『対話』の力なのかな」
ナナもここまでに来るまでにアラガミの姿が無かった事は素直に驚いていた。既にベースキャンプまでの距離はあまり無い。そこから先は上層へと入る分岐点。既にここから先に何が起こるかは誰にも想像が出来なかった。
「いくら何でもそこまでの力は無いはずだ。今回出てこなかったのは偶然だろう」
リヴィはそう言いながらも、本当にこの力がもたらした物なのか考えあぐねていた。自分の身体の状態は自分が一番理解している。何が作用しているのかは分からないが、今の自分の状態が悪化しない事は僥倖だった。
「案外と気が付かなものだな」
神機兵に乗り込んだロミオは一人呟いていた。神機兵は遠隔操作をしている為にロミオは操縦桿すら握っていない。神機兵のカメラから外部の景色を眺めながらも、今後の事について改めて考えていた。
今回の作戦に関してロミオは無明と榊からリヴィに関する事実を聞かされていた。今回倒れた直接の原因が血の力の制御が出来ない事になっていたが、実際にはリヴィの身体は既にヴェリアミーチェの適合率が一時期よりも低下し、ボロボロになりつつあった。
抑制剤で何とか最悪の展開は避けられてはいるが、実際には効果がどれほど続くのかは未知数でしかない。万が一リヴィが再び倒れる様な場面があれば今度はブラッドだけでなくリヴィの命すら危うい状況になる事が予測された結果だった。
万が一が無いのが前提ではあるが、ここはミッションで行くいつもの戦場ではなく螺旋の樹の内部。無明からは多くは語られなかったが、ロミオの存在を隠してまでこの作戦に参加させるのは暗に保険としての役割を果たしている事はロミオも理解していた。
「しかし、初めてここに来たけど、何だか気持ち悪いよな。何だが何かの体内にいるみたいだ」
神機兵のカメラを周囲に動かす事で周囲の景色を確認する。下層から中層は何かが蠢いた様にも見えるそれはまさにロミオの言葉通りだった。
「おっとそろそろか」
ロミオは神機兵の操縦を移動から作業へと切り替える。一旦組まれたプログラムは、まるで人間がそのまま操縦しているかの様に持ち込んだ荷物をベースキャンプ地に下ろしだしていた。
食料や生活物資などに荷物の内容は多岐に渡る。ここはブラッドだけでなく他の部隊も最前線基地として使用している為に、ブラッドが不在となればロミオがそれを整理するのが今のロミオの役割だった。
「ったくあいつら少しは掃除くらいしろよな………なんだ今の感じ」
北斗達は既に上層に向かったからなのか、ベースキャンプにはロミオしか居ない。誰も居ない間に物資の運搬をしていた瞬間だった。これまでに感じた事が無い程の胸騒ぎがする。これまでに感じた事の無かった感覚は不安以外の何物でもなかった。