「神隠しの真相」という曲から連想した話です。
BGMにどうぞ。
焼けた空を反射する川沿いに一筋の風が涼やかにそよいでいた。
鈴虫の合唱にとんぼの踊り。心地よさでどうにかなってしまいそうな夏の夕暮れだった。
「宿題はやった? 夏休みあと二十日くらいだけど」
「う、全然……。まあいいじゃん。柚希は終わったんでしょ」
「うん、昨日ね」
「でも、まだ終わってないものもあるでしょ」
「そりゃ、日記はまだやり終えてないけど」
「違う違う、もっと大事なもの。私はもうすぐ終わるけどね」
「本当に? 日記以外は全部終わったはずなんだけどな…」
「宿題以外にもやることあるでしょ?」
「彼氏作りとか?」
「ちーがーう。お盆にはおじいちゃんとかおばあちゃんが帰ってくるじゃない」
「優菜の家は祖父母が帰ってくるの……? 私は家族で実家に帰るけど」
「そうだよ。お盆はおばあちゃんが旅行から帰ってくるんだ。だから仏壇を豪華に飾りつけておばあちゃんを驚かせてあげるの」
藍色に侵食される空を眺めながら優菜はにこにこと屈託なく笑っている。
「旅行かー。アクティブなおばあさんだね…」
「うん、もう一年も帰ってきてないの。だから今年は連れて行ってもらおうと思って」
「勉強はどうするの」
「向こうでする」
「嘘をつくな嘘を」
りんりんと鈴虫が鳴く草原を進み、神社の境内へと入る。
「……勉強なんてしなくても良くない?」
「開き直るんじゃない。やりなさいよ、彼氏を作るよりは楽なんだから」
「柚希、一向にできる気配すらないもんね」
「うるさい。お前も気配すらないじゃん。仲間だよ仲間」
「仲間だねっ。ふふ、でも私は今は…友達がいればいいから」
「私?」
「…………そぅ」
「何を赤くなってんだよ優菜ぁ」
「だってそんなストレートに聞かれたら!」
しゃがみこんで赤い頬を押さえる優菜を煽りつつ小突く柚希だった。
「はあ、お前私のこと好きすぎるだろ……。ほら早く立てよ。スカートが汚れるだろ」
「……」
「はやく」
「……あのぅ」
「ん?」
「…立たせて。バッグ重すぎて…」
「何なんだお前は」
ベンチで沈む夕日を眺めていた。優菜は落ち着きなく時間を気にしている。
「で、全校出校日になんでそんなでかくて重いバッグもってきてんの? プリント1枚くらいしか提出物ないのに」
「いやーちょっと神社でやることあってさ」
「はあ。ここが神社だけど」
「そう、ここで今から」
「……もしかして」
「うん。花火持ってきた」
藍色の空に火花がはじけた。
「人の命っていつ終わると思う?」
唐突に優菜が言った。どことなく緊張をはらんだ声音だ。
「へ? 死んだときだろ」
「そっか。私は違うと思う。人は死んだら、魂になる。人の体から魂が抜け出て、旅をするの」
「どうした? 優菜…」
夜闇に浮かび上がる優菜の横顔を柚希は見つめる。
「人はもともと魂なんだから、体が死んでも魂が生きてれば、死なない。人は死なないの。魂っていうのは小さいつぶつぶで、どこにだって飛んで行ける。風に乗って、世界中を旅できるの。いいなー、私も行きたいなぁ」
「なあ、どうしたんだよ」
ぬるい風が嫌な汗を浮き立たせる。
「ほら、この風だってだれかの魂」
ベンチから離れてくるりと振り返り、一瞬、柚希に向けられた瞳は深い灰色をしていた。
「おばあちゃんが、帰ってこないんだ。もう三年もたつのに。お母さんに聞いたら、毎年お盆に帰ってくるんだって。でも、死んで魂だけになってるから目には見えないんだって。だから私、会いに行くの」
優菜の手には大きな八角の鏡が握られている。
「ねぇ……柚希も行きたい?」
「八月十五日の午前零時にこの鏡をのぞくと、体を脱いで、魂だけになれるの。……今、十一時五十五分だからあと、五分」
「おい……お前。」
ねぇ、と優菜は一歩前に出る。柚希は鏡の中の自分と目があった。
「一緒に行かない?」
「……どうして」
「柚希と行きたい。行こうよ。彼氏なんかいらない。柚希と、おばあちゃんと三人で行きたいの」
「一緒に世界中を旅しようよ。大丈夫、痛くなんかないよ。ほら」
「私おばあちゃん子でさ。小さい頃はいつも面倒見てくれてた。うちの両親は共働きだから、毎日おばあちゃんと遊んでた」
「なのにさ、ひどいよね。いつの間にかいなくなっちゃったの。私だけ残して。お母さんに聞いたら『骨になった』なんて言うし。もう帰ってこないって」
「長い長い旅行に行っちゃったのよ、って」
「おかしいよね……だってさ、」
「……私もっ、連れてってくれればよかったじゃん!!」
鏡にぽたりと水滴が落ちる。優菜は大粒の涙をこぼしていた。
「ひどいよ…一人にしないでよ…」
「私ね、優菜といると寂しくないんだ。おばあちゃんがまだ生きてた頃みたいに、ふわふわして、あったかい」
「ねぇ…一緒に行こうよ。」
優菜は手を伸ばす。柚希は優菜の背後に何者かの存在を感じた。差し出されたその手が、自分の知っている優菜とはなにか別のものに見えた。そう、自分たちとは全く異質の――
「……あっ」
先に声を発したのは柚希だったが、優菜は一瞬早く気づいていた。
優菜の手に重なっていたのは、大きくて皴の多い透明な手だった。
時計は午前零時を告げていた。
『……優菜』
心を奥底から癒すような声。
「あ、ああ」
『突然いなくなってごめんね』
優菜は顔をくしゃくしゃにする。人の形をした光は微笑みかけた。
『今はあなたの人生を大事にしてね。すべてやり切ったら、おいで。いつまででも待っているから』
「うん…うん。おばあちゃん」
ひときわ強く光を放ち、人影は消えた。
八角鏡を取り落とす。境内は再び藍に包まれた。
鈴虫の合唱が再びあたりを包み、草葉の陰でとんぼが眠っている。
二人の少女と夜の闇。
肩に手を置いたのは誰だろうか。
「……今度一緒にどこかへ行こうか。ほら、……夏休みだし」