放課後は気楽でいい。
職員室で鍵を受け取り、足取り軽く美術部の部室へと向かう。
部室の前まで来て、慣れた手付きで鍵を差し込み、扉を開ける。
「おっ邪魔っしまーっす」
誰も居ない教室へと入り電気をつけカバンを適当に放って、整頓されている資料用の本棚から漫画を手に取る。
なんでこんなものが学校にあるのかというと、この美術部は『絵を描く』という一点以外はかなり曖昧な集まりらしく、顧問の先生も放任主義で漫画を持ち込んだことを咎めるどころか『私もこの漫画好きなんだよね』とか語りだすタイプの人らしい。
なぜ伝聞形かというと、全部今の部長の話の受け売りだからだ。
顧問の先生のことは授業があるので知っているが、先生がこの部室に来ることはめったにない。
先生の名誉のために付け加えると、先生の怠慢でここに来ないのではなく、『好きなことは学生同士で楽しくやるのが一番だよ』という先生のスタンスのためだ。
いつ見ても忙しそうにしている先生(全学年の数学を担当していて、実際忙しいらしい)が『本当はちゃんと監督してないとダメなんだけどね?』と部活動初日に申し訳なさそうに言った後、『ここに来る子達はみんないい子だから大丈夫でしょ!』とニコニコしながら言っていたのをよく覚えている。
それに俺は別に絵を描くのが好きで入部した訳じゃない。
たまたまこの教室の近くを通りかかった時に、たまたま今の部長に出会い、『このままだと人数が足りなくて廃部になっちゃう』という話を聞いて、たまたまフリーだった俺が頭数を稼ぐために入部しただけだ。
結局、なんとか廃部の危機を乗り越え、なんだかんだでここに居座っている。今はこの部室に来る人は俺と部長くらいしかいないが……
部長が居れば、親身になって絵の描き方について教えてくれるし雑談もできるんだが、一人ではなんとなくやる気が出ない。
そういう訳で別段絵が得意でもない俺は部長が来るまでゆっくりと漫画を読むことにした。
一時間ほど経ち、ようやく控えめなノックの音がする。
「はーい、開いてますよー」と返事をしながら、漫画を置く。
「ライスのせいで、いつもごめんね、リュウくん」
そう言いながら入って来たのは、外向きに跳ねる癖っ毛の長い黒鹿毛が特徴的な小柄なウマ娘、美術部部長のライスシャワー先輩だ。
「別に面倒なことじゃないし気にしないで、ライス先輩」
「……本当に?」
「ホント、ホント」
上目遣いにこちらを見つめてくるライス先輩に生返事を返す。
ライス先輩は自己肯定感が低い。
今の話だって、毎日のように行われている『ライスがもっと早く来てれば、リュウくんはわざわざ職員室に行って鍵を取って来なくてもいいのに』とかいう話の短縮版だ。
ちなみに、ライス先輩はこの時間まで授業があるはずなので、すでに授業が終わっている俺より先にこの部屋に来るのは物理的に不可能である。
そして、敬語を使わないことも、態度が軽すぎることもライス先輩からの『お願い』だ。
実際、見た目が幼く、背も小さいライス先輩は妹みたいに感じることが多々あるので、こちらとしても気を遣わないでタメ語のがやりやすい。
もう一つ『ライスって呼んで?』ってお願いもあったが、それは断らせて貰った。流石に『ライス』って呼んでると先輩ってことも部長ってことも忘れそうな気がしたからだ。
「とりあえず部活始めよう、ライス先輩」
「あっ、そ、そうだね。準備しよっか」
パタパタと早足で歩きだしたライス先輩を追いかけて、俺も準備を始めた。
雑談しながら筆(俺はデッサンだから鉛筆だが)を動かすこと一時間ほど経った頃。
「ねえ、リュウくん。お願いが…あるんだけど…」
「なに?」
モジモジしながら何も言わないライス先輩を見つめていると、ほんのりと赤い顔に、時々見せる決意のこもった眼差しが返ってきた。
「そこに立ってライスの言う通りにポーズを取ってくれないかな?」
「え?」
「あっ!イヤだったら全然いいよ!ちょっと構図に行き詰まっちゃって、それで「いいよ」
ワタワタと慌てて言い訳を始めるライス先輩をさえぎり、立ち上がる。
指示された通り、部屋の真ん中、ライス先輩の机を挟んで少し離れた位置に立つ。
「で、どういうポーズ?」
「え、えっとね…………そ、そのまま自然に立ってて、欲しいなって」
「ぼっ立ち?まあいっか」
不思議な間があったが、とりあえず指示通りに立ってみる。
ライス先輩の鉛筆が立てるカリカリという音をBGMに、できるだけ自然体で立つ。
……やることがないので視線をさまよわせていると、気のせいかもしれないが、ライス先輩の方を見る度に目が合う気がする。
俺をモデルにしているとはいえ、毎回目が合うほど顔を見ているのか?ポーズの指定があったのに?
「ねえ、リュウくん。ちょっと伸びをしてくれない?」
「伸び?オッケー」
指示を受けて、両手を合わせてグッと伸びをする。
伸びにつられてワイシャツとインナーシャツがズボンから出てくる。
学ランは脱いでるから、お腹がシャツの下からのぞいているだろうが、鍛えてもない野郎の肌なんて見えても問題ないだろう。
「はわわ……」
何か聞こえた気がしてライス先輩の方を見ると、すでに席にライス先輩の姿はなく、それに気付いた時にはペタリとお腹にスベスベした感触が触れていた。
「わ…!モチモチ…!」
「ライス先輩!?何やってんの?!」
俺の声にハッとしたライス先輩がものすごい急いで離れる。
赤い顔と左右バラバラに動くウマ耳から動揺が読み取れる。
「ご、ごめんなさい…!」
「いや、ちょっと驚いただけだよ。気にしないで」
「本当に…?」
「ホント、ホント」
ライス先輩が目を閉じ、ゆっくりと深呼吸する。
何度か深呼吸を繰り返し、だんだんとウマ耳と尻尾の動きが落ち着いていく。
ようやく落ち着きを取り戻した後、ゆっくりとライス先輩が目を開く。
その目はさっき見た眼差しにそっくりだった。
「じゃ、じゃあ、その…もう一個お願い、いい?」
「……先に話を聞いてもいい?」
「あの、えっと……ちょっとだけ、胸元…はだけてもらって、いい?」
「……」
……ライス先輩って、確か絵本を描いてたよな?胸元はだけるシーンあるの?
いや、構図に行き詰まったって言ってたし、さっき握ってたのは鉛筆だからスケッチをしてる。似たポーズを考えているだけかも知れない。
俺が色々考えている間にライス先輩の顔はみるみる歪んでいき、今にも泣きそうな顔になってしまった。
「……ごめんね…変なこと言って…やっぱりイヤだよね」
伏目がちにウルウルした瞳でこちらを見つめるライス先輩は、幼い見た目も相まって庇護欲と罪悪感を掻き立てられる。
これが打算ではなく、天然っぽいのがまた厄介だ。
「あー…もういいや。減るもんじゃないし」
「……えっ?」
うだうだと考えるのをやめ、シャツのボタンに手をかける。
美少女の涙目上目遣いに心を動かされない高校生男子なんているのだろうか?
「い、いいの…?あのね、上からボタン3個だけ外してくれる?」
「りょーかい」
上機嫌に尻尾と鉛筆を動かし始めたライス先輩を、妹を見守る兄のような気持ちで眺めながら、一体この"おはだけ"はどこ需要なのかと遠い目で思いをはせた。
それから一週間は珍しくテンションの高いライス先輩をいつでも見ることができた。