魔法少女まどか☆マギカ 続かない物語    作:FTR

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第10話

 翌朝、学校にはまた休みの電話を入れ、私は父の病院に向った。

 

 もはや通い慣れてきた道を歩きながらも、思考は大きく分けて3つの事に注がれている。

 一つは父の事。

 一つはあすみのこと。

 もう一つは、やはり仁美のことだ。

 

 病院に到着し、父の病室に行く前、無駄とは思ったが受付で仁美が搬入されていないかを訊いてみた。

 結果は予想していたが、やはり関係者以外には教えられないと門前払いだった。

 仕方がない。病院側も守秘義務があるし、何より朝の報道で集団自殺未遂ということで大きく取り扱われていただけに、親族以外が訊いても病院側も簡単に情報は出さないだろう。天下の公器を自称しているくせに数字を取るためなら平気で外道を働く腐れた連中に追い回されるよりはマシだが、仁美の動向について掴めないのは辛い。学校やまどかたちに訊くにしても、休んでいながら何故それを私が知っているかを説明することが難しい。報道で名前でも出ていればやりようはあったのだが、未成年の仁美の名前が表に出ることはないだろう。

 顔見知りのナースさんにあの事件に友達が関わっているかもしれないという話をしたら微妙な表情をされたが、やはり教えてはもらえなかった。顔色から察するに、恐らくこの病院にも被害者の搬入があったのだろう。守秘義務遵守、よく訓練されたナースだ。

 何はともあれ、もどかしい。

 どうにも整理がつかない靄が自分の内側に立ち込めているような気分だ。

 だが、もやもやとしているだけでは未来は来ない。

 今の私ができることは更なる被害を防ぐことだ。仁美のことはいったん保留にして神名あすみを何とかしないことには、それは叶わない可能性が高い。

 その方策は今なお模索中だが、大凡の方針は決めている。

 父の病室のところでノートを広げて 記憶にある限りの彼女の情報と思いつく単語を可能な限り樹形図の形に書き留めていく。

 まず、戦いは何と言っても情報だ。敵を知り己を知れば百戦危うからずという孫子の言葉は、今に限らず未来永劫闘争における基本であり続けるだろう。その基本を押さえる。

 そのための取っ掛かりとしては、まず手持ちの情報の整理。頭の中だけでまとめるのではなく、一度紙に書いて形にしてみると気づかなかった粗も見えてくる。

 

 神名あすみ。12歳。

 願いは『自分の知る周囲の人間の不幸』。

 魔法特性としては精神攻撃。

 武器はモーニングスター。モーニングスターと言うよりガンダムハンマーみたいだが。

 性質は鬱屈で、性格は実に陰湿。

 この世界の神名あすみを取り巻く情報が私が知る設定のそれを踏襲してくれているのであれば、大雑把な所は生の情報が乏しい現時点でも練っていくことはできる。

 不幸をばらまく疫病神と言うところは最悪の一言に尽きるのだが、ある一文を書いた時にペンが止まった。

 

 『Entbehrliche Braut』。

 

 直訳すれば『不要な花嫁』。

 魔法少女神名あすみの行き着く果ての姿だ。

 記憶違いでなければ、その『花嫁』という要素はあすみ自身が捨てきれなかった幸せな憧憬の影響であったと論じられていたように思う。自分のやってきたことが悪いことだと認識した時点で魔女化するというあたりも、彼女が決して完全無欠な悪ではなく、彼女の中の良心が細々とだが生きている証拠だと思う。

 現実は話し合って真心を込めて説得すれば改心するというほど甘いものではないと思うが、私が突破口にできるとしたらこれくらいだろう。

 物語で語られたきっちりとしたキャラクターイメージがあるなら考えようは幾らでもあるが、生きた人間としてあすみを考えねばならないとなると打てる手が曖昧になりすぎる。宇宙世紀でもないこの世界、人と人が分かり合うのは簡単ではないのだ。むしろ他人の恐怖をなくすべく、全人類がオレンジ色のLCLに転化された方が話が早いかもしれん。

 

 あらかたまとめ終わったら、次は行動だ。

 彼女の居場所を掴まねば接触もできない。

 神名あすみというキャラの基本情報は知っていると言っても、それだけであすみをどうこうできるものではない。キャラクターと言う文字列ではなく、生身の人間としてのあすみを把握したい。生きている彼女の人となりが分かれば、思考パターンもある程度は想像することができる。

 私は病院の電話室に籠って携帯を取り出し、情報検索を始めた。

 初手として私がやったのは、近所の小学校に片っ端から電話をすること。

 

『落し物を拾った。子供の物だと思うけど、神名あすみという名前が書いてある。そちらにそういう名前の児童はいないか』

 

 学校名を含めた詳細な自己紹介の後で、大体こんな感じの内容で説明をする。

 大きなお友達が同じようなことをすれば司法当局が張り切って出張ってくることになると思うが、この辺は女子中学生としての立場をフルに活用する。面倒見のいいお姉さんを演じればそう難しいことではない。

 ヒットしたのは運よく2校目。

 電話に出た、やたら甲高い声のおばちゃんが威勢よくあすみの存在を肯定してくれた。どこで拾ったとかは『通院中の病院』と適当にでっちあげて、放課後に届けに行く旨を告げて電話を切った。

 まずは一手。

 その足で私は病院の売店に行き、棚の端っこにぶら下がっていたいかにもチープな巾着袋を購入した。小道具としてはこれで充分だろう。

 

 

 そんなことに時間を費やしながら迎えた午後、マイナス続きだった私の日常にプラスの変化があった。

 父のところで未だ目覚めぬ彼の様子を見ていると、ナースさんが寄ってきて主治医からの状況説明がある旨の連絡を受けた。

 ささやかな異変は、その説明の時に私にもたらされた。

 父が運び込まれた時に手術の説明を受けたプレパレーションルームに呼び出され、今日現在の状況を聞く。

 昨日までは『様子を見る』『何とも言えない』と歯切れの悪い言葉ばかりを聞かされていたが、今日は少しだけ医者様の表情が明るい。

 

「容体が回復に向かって来ているよ。後は目を覚ましてくれれば大丈夫だろう」

 

 一瞬耳を疑うような吉報だった。

 何があったのかは見当もつかない。私は安心していいのだろうか。

 

「それにしても、一晩でここまで突然数値が改善するのは驚いたよ」

 

 そういってバイタルのデータを説明してくれるけど、私の心は微妙な舵取りに四苦八苦だった。

 いきなりやって来た幸運に、心が追い付いていかないのだ。

 父が回復することはもちろん嬉しい。

 だが、それを素直に現代医学の勝利として飲み込むには、今の私の状況は複雑すぎるしあすみの呪いが解けた、ということを期待するほど私も楽天家ではない。

 何かがおかしい。

 ふと、脳裏をよぎったのは我が同好の士、中学生の枠からはみ出したプロポーションの持ち主たる年上の友人の微笑みだった。

 彼女の魔法の特性と父の容態との摺合せが上手くできるのかは私が知るところではないが、もし私が知らぬところで父の患部を『結び合わせる』ということをやってくれたのだとしたら、父の容体が快方に向かうこともあり得ない話ではない。

 それが事実なら嬉しいけれどもサービスのしすぎだ。事の真相については確認の必要があるだろう。

 

 

 

 病院を出たのは3時過ぎ。

 病院の敷地の一角にあるロータリーから市内を回るバスに乗り込んだ。

 中学生の下校時間として違和感がない時間に現地に着けるだろう。

 調査済みの停留所で降車。

 見滝原小学校は、思いのほか近所だった。あすみと遭遇した公園から歩いて20分ほど。

 児童たちが帰り始めた時間に、私は学校の事務室の呼び出しのベルを押した。

 

「わざわざありがとうね」

 

 電話で応じてくれた人だろうが、やや丸い体型の事務のおばちゃんが校庭の彼方にいる人を呼ぶようなでかいメゾソプラノを響かせて受付に出て来た。

 露骨な笑顔が、なんだか取ってつけたようで嫌な感じだ。

 

「これです」

 

 端的にそう告げ、用意してあった巾着袋を渡す。

 端っこにはきちんとマジックで『神名あすみ』という名前を女の子っぽい文字で書いておいた。

 そんな使い捨てのギミックを手渡しはしたが、これで終わってしまっては次に繋がらない。これは釣り餌。次いで言葉の釣糸を私は垂れた。

 

「あの」

 

「何?」

 

「彼女に会うことはできませんか。彼女からリンゴをもらったので、お礼を言いたいのですが」

 

 私の言葉に、鋼鉄の硬度と思われたおばちゃんの営業スマイルにようやく罅が入った。

 

「そう……困ったわね」

 

 僅かに表情を歪め口ごもる様子を見られればこれ以上の言葉は要らない。これだけで充分なリアクションだ。

 あすみは学校に行っていないことがこれで分かった。

 

「余計なことですが、もしかして長くお休みされているとか?」

 

「え?」

 

「病院で見た時、あまり顔色が良くなかったものですから」

 

 それだけ告げると、妙に事務的な態度に変わったおばちゃん。察しのいい子だと思ってもらえたなら私の作戦勝ちだ。状況はそんな思惑通りに進んだようで、出力を50%ほど減じた笑顔を張りつかせたおばちゃんにあれこれとその時の状況を質問された。

 答えることは嘘っぱちばかりだが、こっちは善意の第三者、それがために我が身に面倒が降りかかることはないだろう。

 事情聴取は20分ほど。最後に市役所から連絡がいくかもしれないと言われて話は終わった。恐らくソーシャルワーカーの類の事だろう。

 

「本当にありがとうね」

 

 最後におばちゃんのでかい声を聞いた後で、私は受付を後にした。

 

 状況はある程度判明した。

 あすみは現在学校に行っておらず、行方不明扱いになっているようだ。捜索願が出ているかは分からんが、それでも多少の手掛かりは手に入った。

 次の一手。校門を出たところで携帯を取り出し、検索作業を開始。ネット社会って言うのは恐ろしくはあるが便利でもある。

 

 

 目的の家は彼女と会った公園までほど近い距離にある住宅街の中にあった。

 2階建てで庭付きの、ちゃんとした一戸建て。車庫は車2台停められる大きな邸宅だ。

 だが、私が注視していたのはそんな邸宅ではない。

 ブロック塀にスプレーで書かれた数々の雑言。

 総じて言っていることは一つ。

 

『金返せ』

 

 ドラマなどでよくある借金取りが残す足跡が、現実のものとなって私の前に広がっていた。

 

 なるほど、こう来たか。

 

 ネットで検索した事はさほど難しいものではない。

 まず調べたのは地域の情報。小学校は基本的に徒歩通学、その学区は思ったより狭いので調査すべき情報の対象範囲も限定的になる。

 その地域の地名で検索し、異常の有無を確かめた。時期はマミさんと淫獣が決別した春休みの前後。調べたのは主に火災や人死にが出ていないかだ。私が知るあすみの設定において、彼女が魔法少女になった時に真っ先に呪ったのは養い親と実父だったからだ。

 残念ながらそっちが空振りに終わったので、次いで失踪者情報に切り替えて検索。

 そこで見つけた見滝原における失踪者の中の1件が目に留まった。この学区内ではその1件だけ、しかも苗字が『神名』と来ればほぼ確定だろう。

 そのページで大体の住所は分かったので訪れて見たのだが、来てみればこのありさまだ。

 詳細は分からない。だが、この家の家主にただならぬ事が起こったことは間違いないだろう。

 鉄柵の隙間から庭を覗いてみるが、窓はカーテンが閉め切られており、人の気配はない。広い庭にぽつんと建っている家の構えに不似合いなプレハブが気になったが、それ以外はごく普通の家だ。ドラマなどでありがちな差押の札は見えないが、様子から察するに、遠からず競売にかけられる運命にあるのではないだろうか。

 そんなことを思っていた時だった。

 

「あれ?」

 

 背後から聞こえた野中藍のような声に振り返ると、そこに見知ったポニテの女の子がいた。

 

「何やってんだ、こんなとこで?」

 

 ネコ科の肉食獣が日向ぼっこしてるような緊張感がない声で杏子が言った。

 

 

 

 

「ふ~ん、あの家がね……」

 

 立ち話をするわけにもいかないので近所の行きつけのファーストフードに引きずり込んだ。

 客席の一角でハンバーガーをもりもりと食べる杏子の前で、私はホットコーヒーに口をつける。食欲がないわけではない。赤貧なだけだ。

 まずはこちらの状況を丁寧に報告した。

 父の事から始まり、高い確率であの家があすみの家であろうということまで、一通りの状況説明が終わると、杏子がちょうど最後のポテトを食べ終わった。

 

「貴女は何故あの場所に?」

 

「散歩。あんたに晩飯食わせてもらおうかなあって考えてたんだけど、まさかあんなとこで鉢合わせするとは思わなかったよ」

 

 奇妙なエンカウントだったのでまさかの可能性も考えたものの、杏子自身があすみと接点があったわけではないらしい。知らぬ間に渦中に足を踏み入れている辺りはおかしな性質持ちなのかも知らん。ラッキースケベ体質とかないだろうね、この子。

 

「うちに来てくれれば、簡単なものなら作る」

 

「今日はいいよ、あんたも大変みたいだしさ。それより、どうするつもり、その魔法少女のこと?」

 

「まず接触してみようと思っている」

 

 雲をつかむ気持ちだが、まずは接点を持たなければ話にならない。接点さえあれば干渉できる。干渉できれば制御もできるとなればいいが、そこはまた次のステップだろう。

 その取っ掛かりとして、明日にでも彼女の家の玄関先に面会希望の手紙を貼り付けてやろうと思っていた。郵便受けには借金取りからの物と思われる督促状が束になって入っていたので、ちょっとだけ敷地にお邪魔してテープで貼ったらどうかと考えていた。それをあすみが手に取る可能性は高いものではないと思うが、出来ることは何でもやってくべきだろう。小学校の方にも既に伏線は張ってあるので、同種の手紙を『会うのが難しいようですのでお礼の手紙を書きました。彼女が来たら渡してください』とでも言っておばちゃんに渡せばいいだろう。嫌がらせのために『私メリーさん、今貴女の学校の前にいるの』とでも書いてやろうかとも思ったが、そこは自重だ。

 

「呼び出して闇討ちにでもすんの?」

 

「私の力では物理的かつ直接的な攻撃は無意味。勝算は小数点以下の確率にしかならない。まずは事情の説明と説得を試みたい。私には、彼女が私に対して負の感情を抱く心当たりがない」

 

「あいつが何か適当なことを吹き込んだとか?」

 

 この場合のあいつと言うのは淫獣の事だろう。

 

「その可能性が高いと思われる。そうであれば、場合によっては彼女の誤解を解くことも可能性として期待できる」

 

「ダメだったらどうすんの?」

 

 さて、どうしたものかね、本当に。

 最悪の場合は、ワルプルギスの夜が倒れるまで、嵐が過ぎ去るのを待つ小動物のように怯えて暮らすしかないだろう。

 

「とにかく、まずは彼女に接触することが最優先。先の事はその時得られた情報を元に検討する」

 

「まずは情報収集ってつもりかもしれないけど、見たところ、ちょっと面倒くさそうな身の上っぽいじゃん」

 

 ここからでは見えないあすみの家に視線を向けて杏子が苦笑いを浮かべる。

 その意見には、私も同意する。

 無数の中傷の落書き。

 その意味するところは単純に捉えるとあの家の主が夜逃げでもしたのだろうけど、あすみの境遇に当てはめるとなかなか複雑な状況を想像せざるを得ない。

 

 神名あすみの一部の2次設定では、幼少時に両親が離婚し、母親に引き取られたもののその母親は過労で死去、その後に母方の親戚に引き取られるも酷い虐待を受けることになったというのがあった。

 それによれば耐え切れずに逃げ出し父に救いを求めたところ、当の父は既に別に幸せな家庭を築いていたというのが彼女の魔法少女化の引き金という設定になっていたと記憶している。

 その設定とこの世界の彼女の状況との乖離がどの程度のものかは現時点では分からない。だが、もし里親が借金取りから逃れるためにあすみをおいて夜逃げしたのだとしたら、それは里親として許されることではない。保護責任者遺棄は犯罪だ。

 そのことについて、ネットの表示ではなく生きた人間として彼女を見た時、私の中でやや後ろ向きな部分が動き出したことは否定できない。

 記憶に引きずられているせいか、価値観が大人のそれに近いというのが私の長所であると同時に短所でもある。

 恐らくは敵であろうにも関わらず、あすみに対する同情の念を禁じ得ないのだ。

 健康な社会は、不幸な子供は少なくて然るべき。そういう社会を作れないというのは大人の責任だ。中学生と言うまだ子供側のカテゴリーに属しながらも、私の思考は大人側に傾斜しているのだ。

 その価値観が、本来であれば憎悪してもいいくらいの彼女に対するネガティブな感情に奇妙なブレーキをかけていた。

 それをさらに加速しているのが、淫獣の言葉。

『神名あすみが魔法少女になったのは香波有季、キミのせいと言えるだろうね』

 私が責任を感じる筋合いのものはないかも知れない。

 だが、私の行動が一人の女の子が魔道に堕ちる遠因になったことは確かだ。

 開き直れればいいのだが、どう自分をごまかしても胸に刺さるものはある。

 

「それも含めて、実際に会ってどういう子なのかを確かめたい。闘争以外の選択肢があれば、それを模索したい」

 

 生きた神名あすみという女の子とどういう距離感で接するかは実際に会った時に探っていくしかないだろう。既にカードが配られてしまっているからには、配られたその手札で勝負するしかない。人生なんてのはそんなもんだとレオナルド・ディカプリオも言っていた。

 

「いい度胸だと思うけど、大丈夫?」

 

「分からない。でも、動かなければ状況は打開できない」

 

 丸腰の身であれば、直接交渉に持ち込んでもいきなりばっさりやられることはないだろう。陰険と言う性格付けに鑑みても、やるならじわじわといたぶるように接してくるはずだ。

 座して死を待つことは私の流儀ではない。やれることはすべてやるべきだろう。

 

 

 

 

 不幸は友達を連れてやってくる、と言うのは何の言葉だっただろうか。

 友人が少ない私としては羨ましいと思えなくもないが、その交友範囲は私の予想を超えて広いのだということを知ったのはその夜の事だった。

 杏子と別れ、家に向って歩いた時のことだ。

 家の近くを流れる川の岸辺の街灯のところで見知った女の子の姿を見つけたのは、もう日が落ち切った頃だった。

 

「さやか?」

 

 街灯の鉄柱にもたれるように制服姿のさやかが地面に落としていた視線を上げた。

 その表情に私が感じたものは、背筋に冷たくなるほどの負の感情だった。

 天真爛漫なさやかとは思えないくらい、その目が曇っていた。目だけではない。まるで原作でまどかをなじった時のような暗い表情も、リアルでは初めて見る。

 

「お帰り」

 

 静かな、事務的な声音だった。私を待っていたということか。

 

「連絡をくれればよかったのに」

 

 私の言葉に、さやかは首を振った。 

 

「ちょっと……あんたに訊きたいことがあってさ」

 

 そう言ってさやかは俯き、言葉を探すように時を費やす。

 その様子に、私も状況に思いを巡らせていた。

 現時点では魔法少女とはほとんど接点を持たないさやかが、何故ここまで暗い顔をしているのだろう。

 仁美の関係でダメージを受けたにしても解せん。

 

「お父さん、大変みたいだね」

 

 話の接ぎ穂が見つかったのか、さやかが父の事を切り出してきた。

 

「命に別状はないみたい。多分回復すると今日説明を受けた」

 

「そう」

 

 そんなことを言いながらも、さやかの心が全く違うところにあることは手に取るように分かる。

 そこから数秒ためらい、さやかは口を開いた。

 

「あのさ、こんな時にこういうこと訊くのは何なんだけど……有季さ、仁美のこと、聞いたよね?」

 

 私は頷いた。

 誰に聞いたかは訊かれたら素直に答えるつもりだった。

 だが、さやかの零した更なる言葉は、そんな魔法少女の問題とは違う次元のものであり、そして違う切れ味を持った鋭利な刃物だった。

 

「その事なんだけど……あんた、仁美の恭介に対する気持ち、気づいてた?」

 

 それは、私の呼吸を止めるほどの威力を持った言葉だった。

 それだけで、私は何が起こったのか理解していた。

 聞いた瞬間、私は私にとっても最も大切にしているものが壊れる小さな響きを聞いたような気すらした。

 可能性としては常に考えていた。

 だが、今日のこのタイミングで襲ってくるとは思わなかった。

 これは、やると決めた時から覚悟をしていたことでもあるが、何故今なのだろう。

 これもあすみの力なのだろうか。

 

 そんな荒れる胸中を必死に抑えつけ、さやかの言葉に私は小さく頷いた。

 その刹那、さやかの表情に浮かんだのは絶望だ。

 私が守りたかった彼女たちの笑顔がまた一つ、私の目の前で砂の城のように崩れ落ちていく。

 

「仁美の気持ち、知ってた上で、ああいうことしたの? 恭介に手紙出したの……あんただよね?」

 

 続く問いにも、私は頷いた。

 最後の誠意として、下手な嘘はつきたくなかったからだ。

 

「そう。私」

 

「何で……仁美の気持ち知っていながら、どうしてそういうことしたのよ」

 

「仁美の気持ちだけじゃない。貴女の気持ちも、分かっていた」

 

 その言葉に、さやかの表情が強張った。

 

「な、何言ってるのよ」

 

 とぼけても無駄だ。強張った表情が雄弁に本心を語っているのだから。

 

「私は貴女たちどちらも応援したかった。でも、上条君のことを見つめていた時間は仁美よりさやかの方が長かったことも知っていた。だから、上条君が行動を起こすように促した」

 

「どうしてそんな勝手なことすんのよ」

 

「……仁美の気持ちが、もうじき弾けるところまで来ていたから。上条君の退院に合わせて、仁美は彼に自分の気持ちを伝えようとしていたから」

 

「だから恭介を焚き付けたの!?」

 

「そう。さやかには、仁美の先を越す権利があるべきと考えた。彼の性格に鑑みれば、仁美から告白を受ければ、それを受け入れると思った。そうなった時、泣いているさやかを私は見たくなかった」

 

 私の襟を掴んで、さやかが声を荒げる。

 

「勝手なこと言わないでよ!」

 

 火が出そうな鋭い眼に涙を滲ませて、さやかが私を糾弾してくる。

 

「昨夜、仁美から電話があったよ。恭介のこと、好きだったって、あたしのこと応援するって……謝ることしかできなかったよ。変に悟った感じで、嫌な予感もした。でも、自殺を考えるほど思い詰めてたなんて思わなかったよ! ねえ、どうして? どうしてそんなことするのよ!? 人の気持ち、弄んで……」

 

 それらの言葉をすべて受け止めながらも、私には謝る以外に言えることはない。

 結果として仁美を追い詰めてしまったのは、何も知らないさやか。でも、魔法少女ではない今の彼女は、私が描いた絵図面通りに動いたただの女の子だ。そしてそのことを知った時、平静でいられるような冷たい子ではない。

 

「ごめんなさい。こんなことになるとは、思わなかった」

 

 数分して、疲れ切ったようにさやかの手が私の襟から離れた。

 ぽつりと、感情が感じられない乾いた言葉の列がさやかの口から零れた。

 

「もう無理……あたし、あんたのこと、友達って思えない」

 

 訣別の言葉は、鉈のように鈍く、そして重かった。

 

「そう……」

 

「……何も言わないんだね」

 

「貴女の怒りは正当なもの。私は受け入れることしかできない」

 

 その途端に頬に感じた衝撃。

 それに込められていたのは、何だろう。

 怒りか、悲しみか。

 涙がにじんだ目で私を睨みつけ、そのまま何も言わずさやかは走って去って行った。

 

 

 

 掌中にあった大切な珠が床に落ちて割れた時、人はどういう顔をするのだろう。

 ろくに機能しない表情筋が、この時はただ恨めしかった。

 運命と言うのは、こうやってその手にある鎌を振り回すのか。

 失ってみて、初めて分かる眩しさと言うものを私は身を持って知った。

 仕掛けた時点で、もちろんこういう覚悟はしていた。でも、その結果として我が身を訪れた喪失感は、そんな覚悟では追いつかないほどの重さと痛みを伴っていた。

 さやかを魔女にしないための選択だったのだと叫ぶことは簡単だ。

 そのためにまどかがこの世界にいられなくなる可能性があるということも。

 でもそれは、この世界では誰も信じてくれない妄想でしかない。 

 これは、あの日賭けに出ようと決意した私を訪れた、結果の一つ。

 簡単なことだ。

 私は賭けに出た。

 そして負けた。

 賭けるチップが、私にとってかけがえのない友情であったと言うだけの話だ。

 シンプルに考えれば、それだけの話。

 もともと拾って当たった宝くじのような友情、私が嫌われてさやかの未来が買えるなら安い買い物と思っていた。

 だが、実際に掌からそれが零れ落ちる感触は、想像もつかなかったほどに痛みを伴うものだった。

 上条君を見舞う時の、嬉しそうに笑うさやかの姿が脳裏にリフレインする。

 希望が見えたと思った後の絶望ほど、人を苛むものはないことを私は思い知った。

 全身にのしかかる脱力感から街灯のにもたれ、どうしても滲む視野でアスファルトを見つめていた時、肩に優しい掌の感触があった。

 

「……大丈夫?」

 

 聞こえた声に振り返ると、どういう訳かそこに制服姿のマミさんがいた。 

 慌てて目元をぬぐい、姿勢を正す。

 

「大丈夫」

 

 そんな私を見るマミさんの目が、いつになく優しげだった。

 見られていたのか、一部始終を。

 

「言ったわよね、最近は貴女の表情が少しは判るって。今の貴女、全然大丈夫に見えないわよ」

 

 返す言葉が見つからない。

 ただ沈黙する私に、マミさんは微笑む。

 

「ねえ、香波さん。もう少し私の事、頼ってくれないかしら」

 

「頼る?」

 

「お友達が危ない目に遭うことを知っていたなら、前もって言っておいて欲しいわ。私だって何もできないほど弱いわけじゃないわ。お父さんのことだって、相談してくれたらもっと早く力になれた」

 

「……貴女は私の私兵ではない。私事のために軽々しく魔法を使ってもらう訳にはいかない」

 

 これは私の中のルールだ。最終的にまどかの円環の理化の遠因となったさやかの魔法少女化と違い、父の事はまどかの魔法少女化に影響は及ぼさない。仁美の事にしても、首尾よくいけば問題がないはずだった。既に最初のしわ寄せを負ってもらったマミさんだ、そんな事まで押し付けることはできない。

 だが、マミさんのリアクションは予想の上を行った。

 

「ずいぶん勝手な言い方ね」

 

 マミさんは呆れたような視線を私に向けてきた。

 

「ねえ、香波さん、貴女が言っていた最大の目的っていうのは何?」

 

「鹿目まどかを魔法少女にしないこと」

 

「その理由は?」

 

「彼女が魔女になった場合、惑星規模の……」

 

「そうじゃないでしょ」

 

 私の言葉を、マミさんが遮った。

 

「彼女は貴女の友達だから。違う?」

 

「……違わない」

 

「貴女は、友達のために戦おうとしている。それならば、私の考えていることも分かってもらえるはずよ。それにね」

 

 そう言って、マミさんは胸を張った。

 

「『1人の女の子である貴女の傍にいることはできる』……あの日に貴女が私に言ってくれた言葉、そのまま返すわ。泣いてる友達の傍にいてあげることくらいなら、私にもできるのよ」

 

 彼女が発したそんな文字列が、静かに心に染み込んできた。

 理解したのは、アニメーションの登場人物ではない、生きた存在としてのこのベテラン魔法少女の心根の優しさと懐の深さだ。

 人から言われた言葉が、これほど暖かいと思ったのは生まれて初めてだったと思う。

 堪えきれずに目から零れ落ちるものを拭いもせず、私は声を押し殺して泣いた。

 

 壊れてしまった、壊してしまった友情と、そしてそんな私の事を友達だと言ってくれる魔法少女が注いでくれた優しさを想って。

 

 

 


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