魔法少女まどか☆マギカ 続かない物語    作:FTR

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第11話

 翌日、私はいつもより早目に学校に向った。

 まどかには、先に連絡を入れておいたからあっちは何とかなるだろう。

『諸般の事情で一緒に行けない、詳しいことは学校で話す』ということでメールではごまかしたが、さやかの様子からすぐに異変に気づくだろう。詳細は昼休みか放課後に話をしようと思う。

 

 まだほとんど人がいない学校で、まずは職員室に早乙女先生を訪ねた。

 男運はとにかく、生徒の事について親身になってくれる先生であり、私が顔を出すや心底ほっとした顔をしている。やはりいい先生であり、いい人だと思う。

 まず、父の容体は何とか快方に向かっていることを説明した。出席日数については努力はするが、できれば補習も検討してもらえると助かると伝えると先生が少し考えて頷いた。

 

「前例があることではないけど、先生が協力できることはそれくらいよね。職員会議で相談してみるから」

 

 片親である私の家族構成も知っているだけに、思ったよりすんなり協力は得られた。

 今日の最初の関門はこれでいい。

 問題は次。

 教室に向うにつれて足がどんどん重くなる。まるで石灰質の泥が混ざった沼を歩いているような気分だった。

 そうこうしているうちにたどり着いた教室のドア。ガラス越しに、級友たちの視線を感じる。

 2回ほど深呼吸して、小声で『あんぱん』とおまじないを呟いてからドアに手をかけた。

  

 

 ドアを開けると同時に遮蔽物なしに飛んでくる生の視線は、いろんな種類のものが混ざっていた。

 まどかたちを除けばあまり社会と接点が多くない私だ。下手をしたら休んでいたことに気付かない人もいたかもしれない。

 そのまま誰にも声をかけずに席に座る。

 教卓から見て右の隅。最後方の席。

 そこに向かう途中、どうしても視野に入るのは視線を上げようとしないさやかの姿だ。

 何も言えることはないし、何かを言えた義理でもない。

 そのまま無言で脇を素通りして、私は自分のデスクを起動した。

 視界の端で、まどかが何か言いたそうにしているのだけは見えた。

 私が席に着くと同時に教員が入って来て、私にとっては久々の授業が始まった。

 

 

 昼休み、私は終礼が終わると同時に弁当箱を抱えて席を立った。

 私がいてはさやかも食事が摂りづらかろう。

 

「有季ちゃん!」

 

 廊下に出る私を、思った通りにまどかが追って来た。

 振り返ると、困った顔をしたまどかが立ち尽くしていた。説明の言葉を選びきれなくて休み時間の度に屋上や更衣室に逃げ込んで時を稼いできたが、ここは観念するしかないだろう。

 

「……屋上で」

 

 端的にそれだけ言って、私は先に立って歩いた。

 

 

 

 

 

「全ての責任は私にある」

 

 誰もいない屋上で視線を伏せたまままどかと向き合って立ち、私は開口一番そう告げた。

 

「責任、って?」

 

「仁美を追い詰めてしまったこと。そのためにさやかが傷ついたこと」

 

「どういう、ことかな」

 

 その言葉で理解した。彼女はまだ、事の次第を知らないらしい。

 言いたくないが、ちゃんと説明をするのが筋だろう。

 

「さやかが上条君を想っていた事を私は知っていた。同時に、仁美も彼を想っていたことに気づいていた。だから、彼に手紙を書いて、さやかのことを考えてあげて欲しいとお願いした」

 

「上条君が……」

 

 何も知らないまどかとしては、かなりびっくりする話なのだろう。

 

「その結果、上条君はさやかの手を取った。私以外、誰も知らなかった仁美の想いは行き場を失い、今回のようなことになった」

 

 私の言葉を必死に飲み込み、それ以上に必死に活路を探すまどかの思考が手に取るように分かった。

 

「でも、それって有季ちゃんだけのせいじゃ……」

 

「この場合、私は介入するべきではなかった。二人の気持ちは二人のもの。それを裏で操るようなことはするべきではなかった。弁解のしようもない」

 

「有季ちゃんだって二人にひどいことしようと思ってやったわけないんでしょ?」

 

「悪気の有無の問題じゃない。私の行動の結果、こんな酷いことになってしまったことがすべて。その責任を免れることはできない。まどかの気持ちは嬉しい。でも……もう貴女たちと一緒にはいられない」

 

 私の宣言に、まどかの顔色が変わった。

 まどかはいい奴だ。情に篤く、人の痛みの分かる子だ。できればこの先も、ずっと仲良くやっていきたかった。本音を言えば、そんな子にこんな言葉をぶつけたくはない。でも、これは付けなければならない落とし前だ。

 

「どうしてそんな風に言うの? 謝ればさやかちゃんだって……」

 

「誰もが笑っていられる結末だったら、それで良かったかも知れない。でも、もう謝って済むレベルの話じゃなくなってしまった。これはけじめをつけなければいけないこと」

 

 私はそのまま頭を下げた。

 

「まどかは、さやかの傍にいてあげて欲しい。勝手だと思うし、厚かましいことも自覚している。でも、これはまどかにしか頼めない。一番つらいのは、多分さやか。私はもう、何もできない」

 

 

 涙を滲ませて尚も食い下がるまどかを説き伏せ、ようやく解放されるまでちょっと時間がかかった。

 とぼとぼと教室に戻るまどかを見送り、ちらりと見えていた建屋の物陰の黒髪に向って声をかけた。

 

「ごめん。まどかを泣かせてしまった」

 

 怒られるかもしれないと思ったが、物陰から出て来たほむらは、予想外にため息一つついただけだった。

 

「美樹さやかを魔法少女にしない手段としては、貴女の選択は間違っていたとは思わない。それに、『ハコの魔女』のことをカバーできなかったのは私のエラーよ。貴女一人のせいじゃないわ」

 

「そう簡単には割り切れない」

 

「そうでしょうね。でも、あまり考え込まない方がいいわ。客観的に見て、貴女の選択がもたらした結果は、完璧ではないけれど現時点で最良のもののひとつよ。貴女が不自然ではない形でまどかと距離を取ったことで、彼女と美樹さやかを魔法少女という問題から遠ざけることに成功したとも言えるわ。むしろ、美樹さやかが自責の念から志筑仁美救済のために契約する可能性が生じたことが、この場合は怖いかも知れないわね」

 

 ほむららしい冷たい言い方だが、まどかを崩すツールとして淫獣がさやかの現状を利用する可能性は確かにあるだろう。

 だが、ある程度の対策は講じてあるつもりだ。さやかはインキュベーターの手口を既に知っている。上条君と距離を取ることはあっても、魔法少女になるという選択を取ることはないと信じたい。ゾンビになった自分では上条君の隣にいることはできないと思って自壊していったさやかだ。仮にそこまで思い詰めたとしたら、その前に何がしかの兆候があるだろう。

 

「万が一さやかが軽挙に及んだ場合も含めて、今後もインキュベーター対策を引き続きお願いしたい。これでまどかの身にもしものことがあったら、さすがにやりきれない」

 

「貴女に言われるまでもない事ね」

 

 そう言ってほむらは長い黒髪を手櫛で梳いた。

 

 

 

 

 

 

 最後の授業が終わり、私はHRの終礼と同時に席を立った。

 さやかは、やはり視線を私に向けようともしない。悲しいが、そんなリアクションにもそのうち慣れるだろう。

 まどかが何か言いかけていたのは見なかったことにした。

 

 向かう先は懲りもせずにあすみの家だ。

 先日はよく観察できなかったので、まずは家の様子を見つつ、ついでにご近所の人がいたら聞き込みでもしようかと思っていた。その時までは。

 

「よ」

 

 校門のところにいたのは、見慣れたポニーテール。

 ポテチをもしゃもしゃ食べながら杏子が手を挙げた。

 コンソメパンチだった。

 分かっておらん。ポテトチップスはトヨシロの味が活きるうすしお味であるべきだ。

 そんなことを思う私を他所に、杏子が覇気のない沈んだ声で言った。

 

「ちょっと顔貸してくんない?」

 

 

 

 話し合いの会場は私の家。

 夕飯を食って行けと言って、遠慮する彼女を無理やり引きずり込んだ。既に素寒貧なのだ、そうそう買い食いばかりしておれん。家御飯なら家族口座のお金が使える。皆を呼んで食事会するならともかく、杏子1人分くらいは誤差で吸収できる。

 下拵えを済ませ、今はご飯が炊きあがるのを待つのみ。その時間を使って杏子の話を聞いた。

 

「あのあすみっていう奴のこと、ちょっとは分かったよ」

 

「……調べたの?」

 

「いろいろとね」

 

 なるほど、学校に行っていないから何かと捗るのだろう。彼女の将来が心配ではあるが、現状ではありがたいことこの上ない。

 だが、どの辺を調べたのかと訊いたらとんでもないことを言いだした。

 

「ちょっとだけ、あいつの家にお邪魔した」

 

 おいおい。

 不法侵入なのはもちろん、そのせいであすみの警戒レベルが上がったらどうすんねん。

 そうは言ってもイリーガルな領域まで踏み込んでいろいろ調べてくれた杏子の情報は確かに有益だった。

 

 総じて言えば、あすみのおかれた状況は概ね私が知る通り。

 養育里親の児童虐待の発生率は児童養護施設の3倍ほどと聞いたことがあるが、あすみはその範囲に入っていたことは残念だが本当の事だった。

 引き取った親戚は小さいながらもそこそこの規模の会社を経営する経営者だったのだが、先日不渡りを出し、借金を抱えて倒産、その結果として夜逃げしたそうだが、あすみは置き去りにされたらしい。そいつらが逃げた先でどうなったのかまでは分からない。

 倒産の時期はちょうどあすみが魔法少女になった頃。原因が何なのかは考えるまでもないだろう。

 そんな彼女が親戚からどういう扱いを受けていたかも、だいたい予想通りだったようだ。

 引き取り人はあすみの親を嫌っていたようで、その因果が子に報いた形だったらしく、厄介者という言葉がしっくり馴染む扱いを受けていたようだ。

 ネグレクト。身体的な虐待と並んで児童虐待の最も多いものの一つだ。

 私が見たプレハブはあすみの塒だったらしく、里親は母屋には入れずにそこで暮らすことを強いており、食事なども最低限のものしか与えなかったらしい。箪笥の中身も最低限。オハラ時代のニコ・ロビンみたいだが、あすみの境遇はあれよりさらにひどかったようだ。

 

「あいつ置きっぱなしにして旅行に行っちまったこともあったみたいでさ、給食の残り物でやり過ごしたみたいだよ。『2日くらい食べなくても死にはしないのに、みっともないことをする子だ』だってさ。通報でもあったのか、たまに児童相談所も様子を見に来てたって」

 

 昨日の今日でよくそんなことまで調べがついたな、と思ったが、置きっぱなしだった母屋のパソコンを立ち上げて残っていたメールに目を通したら事細かにそんなことが書いてあったそうな。

 斯様な杏子の所業はどこに出しても恥ずかしくない立派な犯罪行為なのだが、天が許さなくても私が許そう。今の私にとっては黄金より貴重な情報の数々だ。

 ハートマン軍曹の言葉に『パパとママの愛情が足りなかったのか、貴様?』とあるが、親の愛情は子供の成育においては本当に重要なものの一つだ。それは形も定まっていない柔軟な子供の心をまっすぐに伸ばすために不可欠なものだということは学術的にも統計が取れている。ネグレクトは児童への福祉の観点から言えば取り返しがつかない可能性がある悪行であり、また言葉の暴力は身体への暴力よりたちが悪いこともある。人格形成時に刻まれた傷は、解呪不能な呪いのように生涯その子を蝕むことすらあると聞く。

 だが、話はそれだけでは終わらない。

 

「体罰は?」

 

「……ひっぱたいたっていう記録はちょこちょことあった」

 

 私は内心で唇をかんだ。ネグレクトだけでなく身体的な虐待もあったのかも知れない。服の上から見える範囲では外傷もなかったが、どの程度の事がなされていたかは不明。いわゆるごく普通の折檻のレベルであればまだいいが、そこにマイナスの精神性がある体罰であればそれは暴力だ。

 これに性的虐待が入れば数え役満だが、特殊な事情がない限りは世帯が引き取るのことが多いのが里親の通例だ。引き取った夫婦の妻がいれば夫や息子の変態行為を看過することはそうそうないと思う。女は幾つになっても女、自分の手の内にいる雄が他の雌に靡くのを良しとしないのが女と言う種族の習性だ。その妻がそう言った方面についても真性の腐れ外道だった可能性は排除できないが、私も女の端くれとしてエロ同人誌みたいなことはなかったと祈りたい。

 だが、その種の外道かどうかは分からなくとも同種の精神性の持ち主であることには変わりなかった。杏子の言うことでは引き取った夫婦の妻の方は親しい友人へメールで、二言目には『養育費や里親手当はもっともらえると思ってた』といったようなことが書いてあったそうな。

 

 聞き終わった時、私の中で義憤が火の手を上げていた。

 許せぬ。

 これらは控えめに言っても鬼畜の所業だ。正直な感想を言えば、呪われて当然の人でなしとしか思えん。

 自分の人生を削りに削って私を育ててくれている父の事を思うと、なおさらそういう気持ちが溢れてくる。

 ネットで数行書いてあったキャラ設定の文字列ではない、神名あすみという生きた女の子に降りかかった過酷な状況。そのことを喉が詰まるほどの生々しさを感じながら私は理解した。

 そんな私を他所に、背もたれにもたれながら天井を見上げて杏子がぽつりと言った。

 

「自分で調べてみて気付いたんだけどさ……変なんだよ、こういうの」

 

 いろいろ言葉が足りない杏子の呟きに、私は首を傾げた。

 

「神名あすみの置かれた境遇の事?」

 

 私の問いかけに3秒ほど時間を置いて杏子は首を振り、私に視線を向けた。

 

「知ってるかい? 魔法少女ってのはさ、命懸けでやることなんだ。そうするしか他に仕方ない奴だけがなるものさ。理由は人それぞれ。自分のためとか、他の誰かのためとか。ひどい状況から抜け出したいってのもあるだろうね」

 

 その辺の話は聞いた覚えがある。原作アニメで杏子自身が言っていたことだ。

 だが、次の言葉は私も初耳だった。

 

「でもさ、考えてみると、自分と無関係なものまで呪うなんていう魔法少女を、あたしは聞いたことがないんだよ」

 

 その彼女の言葉の真意が、私にはよく理解できなかった。

『ボクは、君たちの願い事をなんでも一つ叶えてあげる。なんだって構わない。どんな奇跡だって起こしてあげられるよ』。

 それがインキュベーターの契約時の口上だろう。

 

「……魔法少女になるための願いと言うものはどんなものでもいいと聞いている。誰かを害する目的の願いであっても問題ないとも思われる」

 

 だが、杏子はまたも首を振った。 

 

「奇跡ってのはタダじゃないんだ。希望を祈って、それと同じ分だけの絶望が撒き散らされて、そうやって差し引きをゼロにして世の中のバランスは成り立ってる。それなのにさ、こんなマイナスばかりの話ってのはおかしいんだよ。これが自分の敵をぶっ潰すためってことだったら納得できるよ。そこには救いってもんがある。でも、誰彼かまわず他人を呪って回るってことには何の希望もない。何か変なんだよ、そんなの」

 

 杏子の説明を聞いて、ようやく彼女が気付いたという違和感についておぼろげながら理解した。

 言われてみれば確かに妙だ。

 魔法少女は、まず最初に祈りと言う元本があり、そこに魔女との闘争や因果の調整という負債がのしかかる。グリーフシードと言う稼ぎで多少の返済は可能であっても、必要経費を考えれば利益率は低い。そんな自転車操業の果てに破産して絶望に至るというのが基本プロセスと認識している。あすみの願いには、確かにその元本になるべき希望がない。

 杏子の言うとおり、魔法少女の願いは本来は希望に繋がるものであるべきだ。そうでなければ希望と絶望の因果がバランスしない。

 

 考え込む杏子の表情からは、彼女の中の複雑な思いが垣間見えた。

 そんな彼女とは別に、私の中にも杏子の提言から派生した『何故』が充満していた。

 確かに、淫獣が唱えるロジックに照らすと神名あすみのあり方は魔法少女として歪すぎる。奴が、あの効率主義者が、そんな人選するのは不自然だ。

 では、何故インキュベーターはそんな女の子を魔法少女にしたのだろう。

 あすみの祈りは、苦境から助かりたいという希望を求めたものではなく、他者に対して不幸あれと言う呪いこそが彼女の祈りの本質だ。

 そのことから思い出すのは、原作のさやかだ。

 呪いはソウルジェムを曇らせる。それは魔法少女の本来のベクトルである希望と逆の位相を持つファクターなはずだ。そんな生まれた時点で壊れかけの魔法少女では、誕生と同時に末期のさやかになり果てたようなものだ。世の中を呪っているという、息をしているだけでもソウルジェムがどんどん濁っていくコンディションでは、人並み外れて魔法少女としての寿命が短くなるのではないだろうか。

 淫獣が私たちにけしかけるためにあすみを魔法少女にしたのだとしたら、何故そんな面倒な奴を手駒にしたのか。呪いと言う特殊な祈りだけで淫獣が彼女を選定したとは思えない。

 

 脳みその容量を思考に割り振って無表情なままフリーズしている私と違い、杏子は早めに結論を出した。

 

「一つだけ言っておくけど、おかしな魔法少女だからってそいつの立ち位置が変わるわけじゃないってのは分かってるよね?」

 

「分かっている」

 

「それで今はいいんじゃねえかな。そりゃ見聞きした話が本当なら同情はするさ。でも、だからといってあんたを呪っていい理由にはならない。今のところ、その魔法少女はあんたの敵だ」

 

 そりゃそうだ。今現在神名あすみが脅威であり続けていることに違いはない。だが、そんな杏子の言葉の中で『今のところ』という部分に彼女の苦悩が伺えた。

 

「……貴女は、敵と味方の二元論的な視点だけで彼女と事を構えるべきだと思う?」

 

 私の問いを受け、杏子は怪訝な顔をした後、考え込んだ。

 

「難しいことは解んないけどさ、あっちから仕掛けて来たからにはしょうがないってのはあるだろうね。降りかかる火の粉って奴さ。でも、だからって問答無用でばっさりってのはちょっと焦りすぎな気もするかな」

 

 さすが杏子。

 言って聞かせてぶん殴って、殺しちゃうのはその次と宣うだけはある。

 もっとも、悪・即・斬とやろうにも私が使える最大の武器は台所の中華包丁がせいぜいだ。

 いきなり蛮勇を振りかざして返り討ちに遭い、粗挽き肉に成り果てる事は私も避けたい。

 

 その時、やや重くなっていた空気を払うように炊飯器が炊き上がりを知らせるアラームを鳴らした。

 一つ息を吐いて私は立ち上がり、速やかに状況を開始した。

 まず下拵えしておいた食材を用意し、コンロに鍋をかける。

 調理はまず鍋に油をなじませ、挽肉を炒めるところから。水分が飛んでぱちぱちと鳴るくらいまで炒めるのがコツだ。

 お玉が鍋をひっかくガシャガシャと言う音と、油が弾ける香ばしさを感じさせる音が辺りに響く。この手の料理は周囲の後始末がちょっと難儀だが、その辺の手間を惜しんでは美味しいものは食べられない。

 軽快に鳴り響くグルメサウンドに興味をそそられたのか、杏子がキッチンを覗き込んできた。

 

「何だか凄そうだね。何食わせてくれるの?」

 

「麻婆豆腐」

 

 

 

 楽しい夕食の時間が終わり、杏子はタラコのように厚みを増した唇で『気を付けろよ』と言い残して帰って行った。

 表まで出てそんな彼女の背中を見送りながら思う。

 何だかんだで、杏子はいい奴だ。

 つっけんどんな感じもするけど、苦労をしただけあって懐が深い。口の悪さは、多分シャイな性根から来る照れ隠しなんだろう。振舞った御夕飯も悲鳴を上げながらもご飯粒一つ残さず綺麗に完食。食べ物を粗末にしないところは同じ思想の持ち主として尊敬できる。

 改めて考えてみると、根っこの部分で杏子はさやかに似てるのかも知れない。馬が合うのも、何となく分かる気がした。

 さやかの名を思った時、胸の辺りに微かな痛みが走るが、それはそれだ。

 私の作戦は継続中、私事に足を取られて立ち止まるわけにはいかない。下手を打てば余波はマミさんやほむら、そして杏子にも及ぶ可能性があるのだ。

 

 

 

 

 

 異変が起こったのは、そんなことを思っている時だった。

 家の中に戻ろうとした私の前を、奇妙な光が舞った。

 一瞬、蛍かと思った淡い光の球。

 それは羽虫のような軌道で私の周りを飛び交い、本当に蛍のように明滅を繰り返した。幾ら目を凝らしても蛍のように本体は見えない。光そのものが乱舞しているらしい。

 この手の異常事態については、私も既に耐性ができている。

 どうやら、これも魔法であるらしい。

 その光の軌道が、まるで私の袖を引くように家の外に導こうとしているのが理解できた。

 一瞬ためらい、私は意を決した。

 玄関のドアを開いてサンダルから靴に履き替え、鍵を閉めて今一度外に出た。

 光は変わらずそこに漂っていた。

 その光球に近づくと、一定の距離で光球がすいと離れる。

 道案内のつもりらしい。

 こういうことをしそうな人物に、一人だけ心当たりがあった。

 虎穴に入らずんば何とやら。

 私はそのまま水先案内人の後に続いて夜の帳が降りた街を歩いた。 

 

 

 到着したのは、もう馴染みになったいつもの公園だった。

 光球の案内は、その一角に向かってゆらゆらと飛び続いた。

 程なく見えてきた、ブルーベリーみたいな色の青いツナギを着たいい男が座っていると似合いそうなベンチに座る、小柄な人影。

 神名あすみは私服姿でそこに鎮座していた。

 光球は彼女の手元に近づくと、あすみは蚊を退治するように両手で光球を挟んだ。光球はその使命を終えて消滅し、辺りを照らすのは街灯の灯りだけになった。

 歩み寄る私に気づいて視線を上げたあすみの目を、真正面から見つめ返す。

 子供らしからぬ、やけに透明な澄んだ眼差しだった。

 水晶の瞳に端正な顔立ち、骨格のバランスもすらりとしていて申し分ない。恐らく成長すればモデル系の外見に仕上がっていくだろう。割と本気で羨ましい。

 

「こんばんは」

 

 無言のまま警戒する私に、あすみが当たり障りのない挨拶をして来た。

 声音が平板すぎて、どこまで社交辞令なのか判断に苦しむ。

 

「誘った私が言うのもなんだけど、あっさり乗ってくれたのね」

 

「……貴女を探していた」

 

 そう告げながら、あすみから少し離れたところで足を止めた。パーソナルスペースで言えば社会的距離。戦いの間合いと言ってもいい。

 

「そうみたいね。家に忍び込んだのは貴女?」

 

 ちょっと杏子先輩、家探しばれてるじゃないですか。

 

「私ではない」

 

 反論する私に、無感情な視線を向ける事数秒。

 

「そう。そっちはどうでもいいわ。それより、いろいろ嗅ぎまわってるみたいだけど、何の用?」

 

 自覚したうえで言っているのだろうが、何の用もないだろう。

 

「相互理解のため、貴方と対話の機会を持つべきだと思っている。貴女が私に対し、否定的な感情を持っている可能性をインキュベーターから示唆された。状況の認識に齟齬が生じている懸念がある」

 

「……へえ、あの子から聞いたんだ」

 

 あすみの表情が挑発的に歪んだ。

 無害と思っていた小動物が、突然獰猛な肉食性の生物に変じたようなプレッシャーを感じる。

 今いる夜の公園と言う空間が、実は虎口だったということをようやく私は理解した。

 だが、ここで怯んでは先に進めない。

 これは私なりの戦いだ。必要なのは度胸と状況判断と、少しばかりの奸智。求めるものは、武力に依らない外交的勝利だ。

 

「私には貴女に対する否定的な感情はない。貴女と敵対的な関係になることは希望しておらず、可能であれば友好的な関係を築きたいと考えていることを理解して欲しい」

 

 切り出した私の言葉を聞き、あすみはくすくすと笑いだした。愛嬌など欠片もない黒いくすくす笑いだった。

 少し間を置き、あすみは確認するように呟いた。

 

「貴女たちって、この街の魔女をやっつけるために頑張ってるのよね?」

 

「私たちが見滝原の魔女を殲滅していることは否定しない。だが、それだけが目的ではない」

 

「謙遜しなくていいわ。正義のため、世のため人のため、世界平和のため。そんなご立派な目的ために戦っているんでしょ?」

 

 あすみは不意に表情を一変し、私を上目づかいで睨みつけてきた。

 

「私、そういう偽善って大っ嫌いなの」

 

 なるほど、と私は思った。

 この世を呪った神名あすみ。ならば、世のために戦うように見える存在は確かに彼女の敵だろう。状況から察するに、淫獣がそれらの代表として私たちのことをいいように吹き込んだようだ。上手いやり方だ。例によって、奴は嘘をついていない。

 

「そんな大嫌いな貴女たちとは仲良しにはならない、って言ったら、貴女どうする?」

 

「また改めて話し合いを申込む」

 

「戦う気はないんだ?」

 

「戦っても、相互に何のメリットもないから」

 

「そうでもないよ」

 

 そう言うやあすみは立ち上がり、自身のソウルジェムを手に取った。

 私が息を飲んだのは、そのソウルジェムのためだ。

 どす黒い。呪いの色と言う形容が相応しいような黒色だった。

 ソウルジェムの相転移に関する穢れのさじ加減については明るくないが、こんな色をしていながら、まだこの子は真っ当な魔法少女でいられるのか。

 

「これ、結構濁っちゃってるでしょ?」

 

 ソウルジェムを示しながら、あすみは私に問うた。

 

「私にはソウルジェムの穢れの度合いは判断できない。だが、貴女のソウルジェムは確かに適正な状態ではないように思える」

 

 そんな私のコメントに対するリアクションは、少々予想外の言葉だった。

 

「だから貴女に来てもらったの」

 

 その時、ようやくあすみの笑みに彼女が隠していた黒いものが混ざり始めた。

 

「貴女の言う通り、私のソウルジェムはちょっと厳しいことになってるの。このままじゃ魔法少女の力が発揮できなくなっちゃう」

 

 淫獣のレクチャーを受けたのだろうが、魔法少女の力が使えなくなることは嘘ではない。これも淫獣は嘘をついていない。多くの魔法少女がそうであるように、問題の本質が何なのかをあすみもまた知らない。

 

「ソウルジェムが濁り切った時、発生する事象は魔法少女の力を失うことだけではない。問題はその先」

 

 私の言葉に対するあずみの反応は、一瞬の沈黙。

 

「へえ、そうなんだ。何があるって言うの?」

 

「長い話になる。できれば詳細について説明したい。貴女は今、非常に危険な状態にあることを認識して欲しい」

 

 私の言葉に、あすみの目が胡散臭い物を見るように細まった。

 

「心配してくれてありがとう。でも、今は遠慮しておくわ、偽善者さん」

 

 私は内心で唇を噛んだ。私の言葉は、あすみには届かない。

 これは厄介だ。淫獣にその辺に抜かりがあるはずはないとは思ったが、やはり真実を知る私からの情報を遮断する先入観という呪縛は施工済みらしい。この障害を越えるには、まず信頼と言う鍵を手に入れねばならない。今のままでは事実上の無理ゲーだ。

 

 その時彼女のソウルジェムから銀色の輝きが放たれ、あすみが見覚えのある魔法少女装束に変身した。

 素材がいいだけに外見だけはやけに可愛らしい。フィギュア職人の仕事が捗りそうな見てくれ。

 だが、外見に騙されてはいけない。私の目の前にいるのは、美少女の形をした猛獣だ。

 空気は既に変わっている。穏やかな話し合いの空気から、一触即発のそれへ。魔法少女ではない私ではどうすることもできない闘争の空間へ。

 

「話を聞くのはともかく、困っているのは本当よ。最初は真面目に魔女を狩ってグリーフシードを集めてたけど、貴女たちが乱獲してるせいで最近実入りが少ないの」

 

 それはそうだろう。ほむらは魔女の出現情報を知っている。淫獣退治に血道を上げていた薔薇園の魔女の時はともかく、普通の魔法少女相手では、たまたま近くを通りかかったのでもなければ効率でほむらに勝てない。後から駆けつけても、現場に到着した時には既にほむらの狩りは終わっているだろう。

 魔法少女が縄張りを持つのはそんな都合もあると思う。グリーフシードの安定供給は彼女たちにとっては死活問題、ほむらとマミさんと言う魔法少女が存在する見滝原にいる限り、あすみには滅多に手番は回ってこない。

 そんなあすみが、自身の目的の最後のカードを開いた。

 

「だったらあの子の言う通り、自分で集めるなんて面倒なことしないで貴女たちからもらえばいいかなって思うのよ」

 

 一瞬、眩暈がするほど血圧が上がった。

 これが淫獣のシナリオか。

 グリーフシードを集めることができなければ、それを他者から奪い取ればいい。あすみはそういう世紀末な発想を植え付けられているらしい。

 なるほど、どう考えても燃費が悪いであろう魔法少女だと思ったが、加速度的にソウルジェムを消耗させる祈りを抱えて飢えたあすみが最初に襲うのは、どう考えても近場にいる魔法少女だろう。私たちが動かなくても、お尻に火が点いたあすみが自発的に私たちを狩り立てに動くという寸法だ。やはり淫獣は、私たちに潰し合いをさせるつもりだったらしい。

 

「それは推奨できない。冷静な話し合いの方がすべてにおいて合理的」

 

「黙ってグリーフシードを差し出してくれるなら考えてあげてもいいけど?」

 

「それはできない。私はグリーフシードを保有していない。魔法少女ではないから」

 

 そう告げた途端、あすみの手が一閃した。

 すべてが速すぎ、私は寸毫も動くことができなかった。

 私の鼻先を掠めるように黒い何かが落下し、つま先の数センチ先の公園の地面に穴を穿った。地響きにも似た重い音が響いた。

 棘鉄球。数センチずれていれば私の顔は綺麗になくなっていただろう。パンツが無事だったのは、たまたま膀胱が空だったからだ。

 

「ならば、お友達を呼んでくれない? もちろん一人ずつね」

 

 じゃらりと鎖を鳴らしてあすみが要求を突き付けてくるが、無論返事は決まっている。

 

「それはできない」

 

 私の返答に、あすみは一つため息をついた。

 

「じゃあ、しょうがない」

 

 あすみの笑みを浮かべた口元がぽつりと言葉を吐き出した。

 

「私のお願いを聞きたくなる夢を見せてあげる」

 

 その言葉と同時に、公園の地面に幾条もの光の線が走る。

 事の重大さに息を飲んだ時には既に遅かった。

 周囲に広がるのは、世界のネガとポジが逆転した気持ち悪い世界。

 あすみが作った魔法の世界。私にとっては魔女の結界も同義だ。

 白黒の世界の中、光だけでなく、音もずれて聞こえる。

 イメージとしては忌むべき『ハコの魔女』の結界のような感じだ。

 手足が伸びたりするくらいならばまだよかった。

 これに比べればあっちのほうがよほどいい。

 石のように動かなくなった首から下。

 そんな私の目に見えたのは、私を見つめる1人の女性だった。

 背格好は20代半ばくらいであろうか。面影は私によく似ている。

 毎朝手を合わせる仏壇のフォトフレームの中で、四角く切り取られていた時間の中で微笑んでいる女性。

 私の母だ。

 その母が、怨敵と対峙したような顔で私を見つめている。

 青白い炎でも出ていそうな目が、雄弁に語りかけてくる。

 

 ―お前さえ生まなければ―

 

 音ではなく、得体が知れない波動となって彼女の黒い心情が私に押し寄せて来ている。

 唐突に突き付けられた悪意に対し心の防波堤を懸命に築くが、築いた傍から波が砂の城を浚うように心が剥き出しにされていく。

 これがあすみの使う精神攻撃なのだとしたら、それはきっとその効能は被術者の深層心理から最も苦手なものを引き出すものなのだろう。

 そういう理屈はどうでもいい。

 これは抗いようがない攻撃だという事が問題なのだ。

 

 私の中のこのトラウマについては、早い時期から自覚はしていた。

 それはサバイバーズギルトにも似た、どうしようもない負の感情。

 泣いても、私にどうしろと言うのだと叫んでも、少しも心が軽くならない課された罪の意識。

 剥き出しにされたそれが、目の前で母の姿になって突き付けられていた。 

 無理をして私を生まなければ、彼女は死ぬことはなかった。それは確かなこと。

 私が殺したと言われても反論できない事実だ。

 そんな強烈な悪意に魂が悲鳴を上げた時だった。 

 背後に気配を感じて振り返ると、そこには父がいた。

 いつもの優しいまなざしは、そこにはない。

 その冷たい視線が、怨敵を見つめるように私を見つめていた。

 

 ―お前さえいなければ― 

 

 心が軋む音がする。

 父にとっては、私は仇なのだとその目が語っていた。

 その心情が、私は理解できてしまった。

 私がいなければ彼は男で、母は女だ。

 いくら懸命に彼のために家事を頑張ったとしても、最愛の人を失った彼にとってそれは贖罪になりはしない。

 

 えげつない。

 これがあすみの魔法か。

 文字にしてみれば精神攻撃の4文字の漢字で足りる簡単なものだが、食らった者にしてみればそんな生易しいものではない。一度食らえば即座に発狂してもおかしくないほどのどす黒い打撃だ。

 一気に心が砕けそうになったが、それでもギリギリで踏みとどまれた。本当にギリギリだ。

 助けてくれたのは前世の記憶。それに裏打ちされた今の私の人格だ。

 一歩退いて、客観的な視点で物事を考えられる思考が私を救ってくれた。

 確かに、二人は申し訳ないと思うところもある。

 私がいなければ母は死ぬことはなかったとも思う。

 だが、それは既定事項なのだ。

 今から何をやっても覆ることもないことであり、一連の事象に対し、生み出された側である私ができたことは何もない。

 開き直りとも言えるそのロジックが、今の私の最後の鎧だ。

 他人事とは言わない。だが、物事を冷静に見つめ、それを嚥下するだけの精神的なキャパシティが私の中には存在していた。

 そうは言ってもコップの淵で表面張力で持ちこたえているところで踏みとどまっただけだ。

 次に何かが来たら自分を支えきれない。

 

 そう思った時、救いの手は外部から訪れた。

 

 

 

 

 聞こえたのは銃声。

 それがきっかけだったように、視界が映画でシーンが切り替わるように現実に戻った。

 視界が戻ると同時に膝の力が抜け、私は地面にへたり込んだ。全身の汗腺から滝のように脂汗が流れていた。

 

「やっと出て来た」

 

 あすみがぎりぎりで回避したのか、あるいは射手がわざと外したのか、頬に一条の擦過傷を受けながら満足そうに笑うあすみの視線の先、やや離れた樹のところに魔法少女姿のマミさんがいた。

 

「その子から離れなさい」

 

 顔を見れば分かるが、これは本気で怒っている。

 そんなマミさんに、あすみは挑発的な口調で問いかけた。

 

「どうせ誰かが近くにいると思ったけど、案の定ね。貴女がこの街の魔法少女?」

 

「ええ」

 

「出て来たってことはやる気ってことでいいんだよね?」

 

「手を出すなと言われていたけど、私の友達を傷つけることは許さない」

 

「いいね、話が早いのって」

 

 そう言うや、右手を一振りするあすみ。モーニングスターがじゃらりと獰猛な音を立てた。

 そんな様子に、マミさんも完全に臨戦態勢に入った。

 

「一応訊くけど、穏便に話し合うつもりはないわよね?」

 

 マミさんのその言葉は本来の意味に反し、言外に『逃げるなよ?』と言っているような気がした。

 

「今さら話し合いじゃ決着はつかないってことは分かってるでしょ? それに……」

 

 そう言ってあすみは爬虫類のような冷たい笑みを浮かべた。

 

「話し合いじゃ、貴女の持ってるグリーフシードが手に入らないじゃない」

 

 その言葉が、開戦のゴングだった。

 先手はマミさんが取った。

 一瞬で出現したマスケットを流れるような動きでポイントし、引き金を引く。派手に響く銃声。ちょっとマミさん、ここ魔女の結界内じゃなくて街中の公園だよ。

 その時には既にあすみもその場にはいなかった。

 踊るようなステップで軸をずらし手にした得物を一閃すると、私のすぐ上を棘鉄球が唸りを上げて飛んでいく。

 モーニングスター。星型の棘鉄球が所以で名づけられた打撃系の武器だが、その棘鉄球が棍棒の先についていればメイスのように、鎖でつながれていればフレイルのように使用する対板金鎧用の得物だ。

 あすみの物は平常時はメイスのような形をしているが、意のままにフレイルに変化するらしい。しかも鎖の長さは伸縮自在。まるで蛇腹剣みたいな二面性を持つ武器だ。

 矢のような勢いで飛来する棘鉄球だが、当然素直に食らうマミさんではなく、素早い身のこなしで棘鉄球を躱して魔銃を構える。

 しかし、発砲は一手遅れた。

 状況はすぐに理解できた。

 恐怖すべきはあすみの足捌きだ。

 彼女はマミさんの射線に常に私が入るように動いていた。あすみにしてみれば私がどうなろうと知ったことではないだろうが、マミさんとしてはそうはいかない。

 やり口としては卑怯だが、それはこの場においては褒め言葉にしかならないだろう。

 散発的なマミさんの射撃と、遠慮のないあすみの鎖の音が幾つも交差する。

 業を煮やしたマミさんが数丁のマスケットを展開して広角からの一斉射撃。

 それと同時にあすみの棘鉄球に付随する鎖が蛇のように宙でのたうち、渦を巻くようにあすみの正面に展開する。

 轟音と共に撃ち出された何発もの銃弾が、ネビュラチェーンのように面を作った鎖の渦に当たって弾けた。

 驟雨のような跳弾が周囲を飛び回り、私の鼻先5センチのところにも着弾する。機関銃陣地のキルゾーンで十字砲火を浴びているみたいな気分だ。

 こら、生きた心地がしないぞ、おい。

 離脱しようにも頭上を一撃必殺ないろんなものが乱舞しているようでは身動きの取りようがない。匍匐前進しようとした目の前に流れ弾が着弾するありさまに、私はその場に縫いとめられることとなった。

 そんなことを思っている間にも戦闘は続いている。

 銃弾を弾く鎖の盾の後ろから、別の棘鉄球が弧を描いてマミさんを襲う。

 あすみが諸手に構えた2本のモーニングスター。ウイグル獄長の泰山流双条鞭より流麗で物騒な動きだ。

 周囲では魔法少女同士のガチンコのとばっちりを受けた街灯が砕け、阿部さん用ベンチも木端微塵に弾け飛ぶ。

 現状、情勢はマミさんの方が不利だ。

 どちらが強い弱いではなく、相性の問題だと思う。大火力を繰り出そうとすればその隙に棘鉄球の一撃を食らうだろうし、小火器ではあすみのガードを破れない。射線には私と言うお荷物が入るし、それを避けるために3次元機動を取ろうとすれば動きの鈍る空中であすみの棘鉄球の的になるだけだ。

 恐らくマミさんもそう思ったのだろう。

 発砲済みの魔銃を投げ捨てて首元のリボンに手をかけ、彼女本来の拘束魔法が発動した。

 流石は緊縛の女王、一瞬で網のように広がるリボンにあすみの放つ2つの棘鉄球が絡め捕られ、絡んだ鎖とリボンで両者が綱引きの格好になった。

 

「そんなこともできるんだ」

 

 ぎりぎりと音を立てて長柄を引っ張るあすみが素直に驚いたような顔をする。

 

「残念だったわね」

 

 リボンを引っ張るマミさんがそう言うや、左右に軽快な音と煙と共にマスケットが数丁現れる。

 

「大人しく降参してくれたら、これ以上のことはしなくて済むんだけど、どうする?」

 

「もしかして勝ったつもりでいるの?」

 

 その時のあすみの笑顔に、私は見覚えがあった。

 正義側のそれとは思えない、歪んだ笑み。

 あすみの前で足を止めることは死を意味する。

 危ない。

 私が大声で警告を叫ぶと同時に、あすみの笑みを浮かべた口元がぽつりと言葉を吐き出した。

 

「完成」

 

 その言葉と同時に、公園の地面に幾条もの光の線が走る。

 瞬時にそれに気づき退避機動で宙に舞ったマミさんを、自由になったあすみの棘鉄球が蛇のように追う。

 心臓のあたりを庇ったマミさんの左腕が砕ける鈍い音が響いた。

 ぞっと血の気が引いたが、そこはマミさんも百戦錬磨。彼女の読みはあすみの上を行った。

 最初からそれが狙いだったのか、左腕を犠牲にして作った隙でマミさんのリボンが編みこまれ、一瞬で巨大なマスケット型のハンドキャノンを形作る。

 初めて聞く彼女の厨二な決め台詞は、詰めの一撃に相応しい自信に溢れていた。

 

「ティロ・フィナーレ!」

 

 ぶっ放された一撃があすみを襲うが、直撃を食らうより一瞬早くあすみも対応した。

 鞭のように鎖がうねり、棘鉄球を地面に叩き付ける。その棘鉄球が、その原理を理解しようとするのも馬鹿らしい勢いで巨大化した。まるでマリオカートに出てくるワンワンみたいだ。マミさんの一撃は射線に割り込んだその直径3メートルほどの棘鉄球に命中し、派手に爆発した。ちょっとマミさん、もう一度言いますがここ街中の公園です。

 とっさに耳を塞いで鼓膜は無事だったが、衝撃波はお腹に来る。最前線で野戦砲の効力射を受けた西部戦線の兵隊さんの気持ちが分かった気がした。

 

 

 

 

「大丈夫?」

 

 爆発による戦塵が晴れた時、マミさんが私の隣に立っていた。

 

「何とか……状況は?」

 

「逃げられたわ。あっちも大怪我したはずなのに、ずいぶん我慢強いみたい。今日は痛み分けね」

 

 どうやら命拾いしたらしい。

 私は埃まみれになった程度で問題ないが、マミさんの左腕はおかしな方向に曲がったままだった。

 

「ひどい怪我」

 

「ああ、これ? 大丈夫よ」

 

 ぶらんと力の抜けた左腕にマミさんが意識を剥けると、ほのかに光りながら治癒が始まった。

 

「事前に見ていなかったら、多分あの魔法陣に掴まって負けていたわね」

 

 そう自嘲気味に舌を出すマミさんだが、今日彼女が失ったアドバンテージは笑って済ませられるものではない。

 

「ありがとう、助かった。でも……あの局面は私を切り捨てるべきだった」

 

 あすみに対し、私を庇うために対峙したマミさん。遠距離射撃では私の身の安全が確保できないがために、敢えて彼女は身を晒したのだろう。それは同時にあすみの呪いの枠内に組み込まれたということでもある。

 この場であすみを倒せればよかったのかも知れないけど、このベテラン魔法少女と対峙してなお、彼女は互角に渡り合った。結果はこの通り、戦術的には引き分けでも、戦略的に私たちの負け戦。現状で頼れるものは、マミさん抗魔力がどの程度のものかだけだ。基本路線通りに私の事には介入しなければこうはならなかったはずなのだが、マミさんはきっぱりと言った。

 

「嫌よ」

 

 その強い声音に、彼女の中の揺るがぬ意思が垣間見えた。 

 

「貴女の考えも分かるけど、これは譲れないの。ワルプルギスの夜を倒せたと言っても、その時に貴女がいないようでは意味がないのよ」

 

「それは違う。ワルプルギスの夜を倒せなくなってはそれこそ意味がない」

 

「そうね。だから、次は逃がさない。早いうちに決着をつけなくちゃね」

 

 誓詞のような、強い宣言。

 絶句する私に、マミさんは笑って見せた。

 

 

「大丈夫、負けるもんですか」

 

 

 

 

 

 

 

 


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