魔法少女まどか☆マギカ 続かない物語    作:FTR

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最終話

 呼び鈴を鳴らすと、ドアが開いて嬉しそうな顔が私を出迎えてくれた。

 幾つになっても変わらない、マミさんの柔らかい微笑みだ。

 

「いらっしゃい、待ってたわ」

 

「ちょっと早かった?」

 

「そんなことないわ。杏子さんとほむらさんはちょっと遅れて来るそうよ。先に始めててって」

 

「了解した」

 

 そう言って自室に招き入れてくれるマミさん。

 リビングに入ると、シャワーでも浴びたばかりなのか、全裸のあすみがスツールに座って髪をわしわし拭きながら視線だけで私を出迎えた。すらりと伸びた20代後半の8頭身は、女の私の目から見ても嫌味なくらい艶めかしい。

 いい女ぶりでもアピールしたいのか知らんが、幾ら自宅でも緩みすぎだろう、お前。

 

「久しぶり」

 

 私も人のことは言えないが、こいつも割と発言が原稿用紙一行を越えない無口さんだ。これで英語はぺらぺらと言うから不思議だ。

 

「いつ日本に?」

 

「昨夜。まだ時差ボケが治ってない」

 

「時差ボケでもパンツくらいは穿くべき」

 

「相変わらず有季はうるさいね」

 

 そう言いながら黒パンツをめんどくさそうに穿くあすみ。首にはタオル……おっさんか、お前は。

 そんなあすみの行状に加え、目の前に広がるリビングの状態に私の血圧は上昇に転じていた。塩分コントロールは完璧なつもりだが、下手したら私は高血圧が原因で死ぬかもしれない。

 

「……貴女たちに言いたいことがある」

 

 黒いオーラを発する私にマミさんが目を白黒させるが、あすみは知らん顔だ。

 

「またお説教?」

 

 おう、お説教だとも。

 

「巴マミ。神名あすみ。貴女たちは堕落している」

 

 そう宣告しながら、私は自分が犯した痛恨のエラーを反芻していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 時はだいぶ遡る。

 

 ワルプルギスの夜との決戦は、敵が強大でありながらもわずか数分で決着した。

 その時の戦術の発案者は、憚りながら私だ。

 お菓子の魔女を退治した時に話した戦術が、そのままツボにはまった形だ。

 作戦の方針はそう難しいことではない。

 基本方針は、短時間に最大の攻撃力を一気に叩きつけて魔女の防御力に対して飽和攻撃を仕掛けることとした。

 まずやってもらったのが、マミさんのリボンで全員を繋ぐこと。

 魔法少女四人全員だ。

 その状態でワルプルギスの夜の出現と同時にほむらに『叛逆の物語』でマミさんVSほむらのガンカタのシーンのように時間を止めてもらう。

 そこで状況開始。そのまま魔力が許す限りの攻撃をぶっ放してもらった。

 人魚の魔女が使いそうな特大サイズの槍の雨や、隕石みたいな勢いで飛来するガスタンクみたいにでかい棘鉄球の一撃、ティロった80cm列車砲も豪快に砲門を開いたそうだ。

 それは原作第11話でほむらが叩きつけた火力をも余裕で凌駕する攻撃力。しかもどれもエンチャントだ。あまりの物々しさに、当のほむらは相対的に豆鉄砲にしか見えない対戦車ロケットを撃ちながら呆気に取られていたらしい。

 それでも、全員が3回グリーフシードでソウルジェムを浄化しなければならないくらいの手間はかかったらしい。

 街一個消し飛びそうな打撃をそこまで耐える辺り、さすがはワルプルギスの夜と言う感じだ。

 しかしながらさしもの魔女もついに力尽き、フヒヒと笑いながら数個のグリーフシードとなって果てた。

 かき消すように去った雨雲の彼方に見えた青空は、今でもよく覚えている。

 

 

 台風一過の青空の下で、風に飛ばされた小枝などが散乱する道を私が向かったのはマミさんの部屋だ。

 結果はこの青空を見れば一目瞭然。

 今は凱旋しているであろう彼女たちのために、マミさんと一緒にケーキを焼くことが私の任務だ。

 マミさんの部屋の呼び鈴を押すと、既にエプロンを装備したマミさんが出迎えに出て来た。言葉をかけようとした時、マミさんが人差し指を唇に当てた。

 何事かと中に入ってみれば、リビングで杏子が大の字になって眠っていた。

 その隣では、あすみも可愛い寝息を立てている。

 

「さすがに疲れたみたいね。緊張感がすごかったし」

 

 そこで聞かされた戦闘の展開。

 一見すると電車道で押し切ったように思えるが、それは外野から見た事後の感想。現場で巨大な敵と対峙した彼女たちにかかったプレッシャーは相当なものだっただろう。精神的にグロッキーにもなるだろう。

 

「ほむらは?」

 

「屋上に行ったわ。街の様子が見たいって」

 

 そう言ってマミさんはキッチンに戻り、メレンゲ作りを再開する。

 

「手伝う」

 

 そう宣言してエプロンを取り出そうとした私に、マミさんが首を振った。

 

「ここはいいわ。屋上に行ってあげて」

 

 

 

 階段を上ると、屋上に通じるドアの向こうに青空が見えた。

 春の日差しは、もう初夏を思わせるように少し強い。

 広い屋上に目を走らせると、フェンスのところに見覚えのある黒髪の後姿が見えた。

 とことこと歩き、2メートルほどのところに近寄った時の事。

 

「不思議なものね」

 

 私の方を振り向きもせず、台風一過の街並みを見ながらほむらが言った。

 

「夢にまで見た景色だというのに、まるで現実感がないわ。そのうち目が覚めて、また病院の天井が見えるような気がするのよ」

 

「それで貴女の中で折り合いがつくのなら、夢だと思っておくといい」

 

 私の返事に、ほむらが意外そうな顔をして振り向いた。

 

「でもきっとそれは、長い夢になる」

 

 そんな私の言葉に、ほむらはため息を吐いた。いつものような暗いため息ではない。それは笑いをこらえるようなため息だった。

 

「貴女の言葉を借りれば、これが世界の選択なんでしょうね」

 

「あの言葉の先には、こういう言葉がある」

 

 私を見つめるほむらに、私は8歳児の言葉を継げた。

 

「『大丈夫なのよ。これからは良いことしかおこらないの。ねー。』」

 

 漂ったのは、5秒ほどの沈黙。

 

「もうちょっと感情をこめて言って欲しい台詞ね」

 

 そう言うほむらの顔に、彼女が忘れかけていた笑みがこぼれた。

 見たこともない、純度の高い笑顔。

 まるで憑き物が落ちたような、見る者がつられて笑ってしまいそうな素敵な微笑みだった。

 初めて会った時、彼女の瞳の中に感じた狂気の香りは、今のほむらからは感じない。

 背負ってきた忌まわしい運命が課した重荷が、彼女の身から剥がれ落ちているのだと今の彼女からは感じることができる。悪魔に堕する暁美ほむらに繋がる未来は、ここには存在しない。

 そんな彼女に見惚れていた私に、ほむらが首を傾げた。

 

「……何?」

 

「貴女の笑った顔を初めて見た」

 

 そう答えた私に、ほむらが言う。

 

「その言葉、そのままお返しするわ。貴女が笑っているところを見るのも初めてよ」

 

「え?」

 

 言われてとっさに顔に手を伸ばした。

 

「私、笑ってる?」

 

「ええ」

 

 自分でも意外だ。恐らく、今のほむらの笑顔につられたのだろう。

 そう言って笑うほむらが、ふと視線を落として言った。

 

「ありがとう、香波さん。この景色が見られたのは、貴女のおかげだと思う。貴女が何者かは知らない。何を企んでいるのかもね。でも、感謝している」

 

 真正面からの言葉に、私もまた真正面から返した。

 

「私の望みは、まどかがこのまま静かに時を重ね、幸せなおばあさんになって天寿を全うしてくれること。それ以上の望みは何もない。仮に企みがあったとしても、無意味な努力をするつもりはない。彼女に仇をなそうとすれば、貴女が黙っていないことは知っているから。それと、私のおかげという部分については、貴女の認識は誤っている」

 

 ふと脳裏をよぎったのは、とある擬人化された魔道書の言葉。強大な敵を相手に戦い続け、ついに奇跡を起こして見せたお人好しの魔術師に彼女がかけた言葉だ。今のほむらには、その言葉が誰よりも相応しい気がした。

 

「貴女は戦った。まどかを失い、他者の助けも得られず、それでも貴女は戦った。絶望的な状況だったことは知っている。一縷の望みすらも消えかけてしまった時があったことも。総てを諦め投げ捨てても、誰も貴女を責めることなど出来はしなかった。でも、貴女は戦った。戦い抜いた。戦って戦って戦って、今回のループまで耐え続けた。悪戯好きの運命を前に一歩も引かずに」

 

 そして一つ息を吸って、私は告げた。

 

「だから、私たちは出逢えた」

 

 そう。これは奇蹟などではなく、確実にほむらがもたらした当然の結果としての勝利。

 私は、そう思う。

 

 その言葉に対するほむらのリアクションは、言葉ではなく柔らかい微笑みだった。

 そして、ゆっくりとその白い手を私に差し出してきた。

 手の冷たい人は心が温かいと言ったのは誰かは知らない。

 でも、初めて握る彼女の手のひらが、ひんやりと冷たかったことは今でもよく覚えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後の私がどうなったかと言えば。

 

 変化其の一。

 ワルプルギスの夜を倒した一週間後の事だった。

 学校帰りの夕暮れの中、家の近くの小川のところに、見知った女の子が立っているのが見えた。

 ショートカットで、背は少し高い子だ。

 美樹さやか。かつて私の友人だった女の子。

 そのさやかが私に気づいて顔を上げた。

 事が成ったとは言え、彼女を傷つけた罪は消えはしない。

 私は目礼して彼女の脇を通り抜けようとした時だった。

 

「待って!」

 

 切羽詰まったような鋭い声で、さやかが私を呼び止めた。

 そんな彼女の方に向き直ると、物凄く複雑な顔をしたさやかが必死に言葉を探している様子が見えた。

 そのまま経過する数秒。

 意を決したさやかが深々と頭を下げた。

 

「ごめん、謝る!」

 

 頭を下げたまま、さやかが言葉を紡ぐ。

 

「私が悪かった。あんた、私のこと思ってやってくれたのにさ、あんなひどいこと言っちゃった」

 

 いきなり謝罪モードのさやかに、私は呆気にとられた。

 謝られる義理はない。あれはどう考えても私が悪い。

 

「あんただって、苦しんで選んだ結論だったんだろうって後になって思ったんだ。まどかにも相談したけど、あの子も同じ意見だった。それと、仁美にも全部話した。そうしたらあいつ、馬鹿にしないでくださいって怒り出しちゃってさ……」

 

 言いながら、徐々に鼻声になって来たさやか。

 これは後になって仁美から聞いたことだ。

 仁美は何故集団自殺の現場にいたことは全く記憶にないそうで、しかもそういうことを考えるほど思い詰めていたわけでもなかったのだそうだ。警察も事件の原因の調べについては苦慮しており、最終的にはガスか何かによる集団催眠というような苦し紛れの推測を報告書に書くことになったらしい。

 仁美としては友情と自分の気持ちを天秤にかけ、友情を取るというのは彼女の中で結論が出ていたことだったとのこと。どこまでが仁美の強がりかは分からない。でも、そのことでさやかが気に病むことはないのだとさやかを説き伏せたのは当の仁美だった。

 

 そんな過程を経て、さやかは私の元を訪れてくれた。

 あんなことを言った後だ、かなりの勇気が必要だったことだろう。

 もはや完全に涙声のさやかが、頭をあげることなく言葉を続ける。

 

「悪いのは全部あたしなんだ。あんたにもまどかにも仁美にも、皆に謝らなくちゃいけない。本当にごめん。許して欲しいなんて言えた義理じゃないけど……簡単に許してもらえるなんて思っていないけど……でも、もし、いつか許してくれたら……」

 

 もはや泣き濡れてぐしゃぐしゃになったさやかが、喉に詰まっていた彼女の本心を口にしてくれた。

 

「その時は、また……私の友達になってくれないかな」

 

 ふと、脳裏を過ったのは、私がほむらに告げた言葉だった。

 

『大丈夫なのよ。これからは良いことしかおこらないの。ねー。』

 

 言葉には力があるというのはこの国の信仰の一つ。

 もしかしたら、そんな見えざる力が働いてくれたのかも知れない。

 手から零れたと思った大切な珠が、今また私の手に帰って来てくれたことを私は知った。

 

 

 

 変化其の二は父の事。

 ワルプルギスの夜との決戦の前の週に、父の意識が回復した。

 程なく退院して社会復帰したのだが、その半年後に入院中に知り合った女性と再婚したいという相談を受けた。

 相手の女性の名を、早乙女和子さんと言った。

 魔女の口づけを受けたあの件はハコの魔女の時に続く連続集団昏倒事件として社会的に整理されており、早乙女先生は他の被害者と同様に病院に運び込まれた。

 その病院で父と出会い、意気投合したのだそうだ。

 全然気づかなかったよ、私としたことが。

 当の早乙女先生もまさか私の父だったとは思わなかったようで、彼女が事実を知った時は何とも味のある複雑な顔をしていたそうだ。

 ともあれ、私としては仲良しな夫婦が誕生するのであれば文句はない。初婚の先生に再婚コブ付の父と言うのはちょっと引っ掛かりはあったが、その辺はお互い調整済みらしい。

 一点、気に入らないところは先生の料理の腕だ。

 私の尺度で見ても修業不足。自分の恋心に酔って相手の事を考えないところは包丁人として失格だ。

 以来、彼女を徹底的に扱いた。

 始めたのはまずは我が聖典『流れ包丁鉄平』の熟読からだ。

 影で彼女に鬼軍曹と言われていたようないろいろな修業エピソードは敢えて語らないし、その甲斐あってまずまずの腕前になってはくれたのだが、私が就職して家を出る時に彼女が流した涙は、恐らく惜別のものだけではなかっただろう。

 

 

 変化其の三は高校に進学した時だった。

 中学から面子は変わらず高校になった私たちは、まどかを筆頭とした一団を形成し、いつも通りに毒にも薬にもならない活動を続けていた。

 あまり部活動とかが活発ではない高校において、上級生が抜けたせいで仁美ひとりだけになってしまった茶道部の部室に入り浸っていた。台所もあるので簡単なものであれば料理などもできたのでオードブルやケーキを作って女子高生として至極真っ当な日々を過ごしたのだが、ある時さやかが宣言した。

 

「今度の日曜、皆で遊園地行かない?」

 

 突拍子もないことを言いだすのはこの子のデフォだが、問題はその趣旨だった。

 

「恭介の友達たちが私たちと是非一緒に、って言ってるんだって」

 

 何とも青春くさい話である。

 何しろうちの面子には男子から人気があるのが数人いるからなあ。

 馬柱を作るとしたら仁美が本命、ほむらが対抗、穴がまどかだろうか。まあ、人によって予想は変わるが。誰かさんならまどか以外眼中にないだろうし。

 人付き合いが苦手な私としては遠慮したかったのだが、さやかがそれを許してくれなかった。まあ、枯れ木も山の賑わい、員数合わせならこれも付き合いというものだろう。

 

 そうして出掛けて行った日曜日。気の利いた私服の手持ちがない私に無理矢理よそ行きを買わせたのはさやかだが、化粧の指南は仁美だった。いや、メイクくらいはできるよ、前世の記憶あるし。

 

 待ち合わせは切符売り場だったのだが、定刻10分前になっても誰も来ない。

 時間を間違えたかと確認しても合っている。さて、電車でも遅れているのかと思ったら思わぬ人物が現れた。

 

「あれ、今日は香波もメンバーなの?」

 

 聞き覚えのある声に振り返ると、そこにいたのは高校生にバージョンアップした中沢君だった。

 成長期なのか背も伸び、サッカー部で活躍している好青年はなかなか見目が良い。

 どうやら上条君側のメンバーに彼も含まれていたらしい。

 誰狙いなのか知らないが、彼なら友人の彼氏としては文句はない。

 そうこうしているうちに約束の時間が経過。

 おかしい。まどかたちにメールを送り、電話もかけるがいずれも無反応だった。

 中沢君に聞いてみれば、彼の方も同じらしい。

 さて、どうしたものか。

 困って彼に視線を向けると、同じようにやや困った顔で中沢君が言った。

 

「しょうがないから、今日は一緒に回らないか?」

 

 私の初めての異性と二人きりのお出かけの始まりは、こんな感じだった。

 

 真相を知ったのは翌朝の事。

 集合場所に行けば友人全員が何とも嫌らしい笑みを湛えていた。

 

「昨日はどうだった?」

 

 私もまるっきり馬鹿ではない、ここまで言われれば分かる。いや、ここまで気づかないあたりは馬鹿なのかも知れん。

 嵌めやがったな、こいつら。

 一気に不機嫌モードに突入した私だが、そんな私にさやかが必死に話しかけてきた。

 案の定、黒幕はこいつだった。紆余曲折はあったものの、上条君との仲を取り持ったことについて、さやかなりに恩義に感じてくれているらしい。

 曰く、中沢君がしきりに私の事を気にしているので上条君と組んで一芝居打ったとのこと。中沢君もその姦計の犠牲者だったようだ。

 何の冗談か知らんが、こんな面白みのない女に中沢君みたいな社交家がその手の興味を持つわけないだろう。

 そう思っていたのは三日後までだった。

 

 ロッカーに挟んであった古風な手紙に気づいたのは朝の事。

 いつぞや私が使った手なだけに嫌な記憶が蘇ってきたが、内容を見れば中沢君からの放課後の屋上への呼び出し。

 学生時代のこの手の手紙の内容は大きく分けて二つある。一つは果たし状、もう一つは……ちょっと待て。

 丸一日授業そっちのけで悩んだ挙句、私は意を決して屋上に向かった。

 恐らく、何かの罰ゲームを実行中なのだろう。それが私なりの結論だった。

 そうでも考えないと腑に落ちない。

 まあ、精神年齢は彼よりはるかに年上の私だ、ここは大人の度量を発揮するところだろう。

 

 屋上に到着したら、中沢君は既に待っていた。

 赤ら顔の彼からどんな変化球が来るかと思ったら、飛んできたのはキレのあるど真ん中のストレートだった。

 

「俺と付き合って下さい!」

 

 そんな彼の言葉が、やけに遠いものに感じた。

 

「罰ゲームなら無理をしなくていい」

 

「え?」

 

 私の素直な言葉に、中沢君の表情に罅が入った。

 

「私が貴方の好みではないことは知っている。その仮定に照らすと、貴方は私にこういうことをするという条件の罰ゲームを受けていると推測する」

 

「そ、それ違うよ、俺の好みは香波なんだよ!」

 

「貴方は肉感的な年上の女性が好みだと認識している。私は年上でもないし、胸もふくよかではない。以前、貴方が『隣のDカップお姉さん』という写真集を熱心に」

 

「それは忘れてくれ!」

 

 そんなすったもんだがあった後。

 

「分かった。じゃあ罰ゲームの協力と言うことで俺と付き合うふりをしてくれればいいから」

 

「了解した」

 

 そんな結論になった。

 

 その後は特筆することはない。世に言う彼氏彼女っぽい関係として、私たちは高校時代を過ごした。クリスマスには一緒に街に出掛けたし、バレンタインデーには手作りチョコをあげた。イベントの度に『この罰ゲーム、いつまで続くの?』と訊き、彼が『まだ結構かかるんじゃないかな』と答えるのがいつものパターンだった。

 

 

 変化其の四。

 大学を卒業後、私は悩んだ挙句、管理栄養士の道に進んだ。料理人の道に進むことも考えたけど、店を構えて世に己の技を問うのは私の料理の主旨と違う気がした。気の向くままに好きなものを作るのが私には性に合っている。ましていきなり店を持てるわけではなく、修行として洋食和食中華と言う枠に縛られるのは息苦しい気がしたのもある。ましてそんな無名の存在であれば料理研究家になれる訳でもない。ごく普通の料理趣味人としてやっていくのが私の流儀には合うのだ。

 そんな仕事を始めて三年目。

 私の誕生日に中沢君から求婚された。

 商社に勤める彼は海外を飛び回る多忙なポジションにいたが、それでもこうして節目節目に時間を作ってくれていた。今回もその種のイベントだと思ったところに不意を打たれた。

 

「ずいぶん長い罰ゲーム」

 

「まだまだ続くと思うよ。それより、答え、訊いていい?」

 

 私は頷いて答えた。

 

「喜んで」

  

 さすがに最早白々しいやり取りではあるが、こういう訳で私は中沢姓になった。

 

 

 

 

 私のことはそんな感じで、これ以上は特に変わったところはない。今はごく普通に専業主婦をやっている。

 子供はまだいないけど、そこはまあ授かりものだし。

 では、私の友人各位がどうしたかと言うと。

 

 杏子はワルプルギスの夜を倒したのち、マミさんの家に居候することになった。

 恐ろしいことだがあすみも一緒だ。杏子の仕業らしいが、役所への届け出とかどういう詐術を使ったのかは知らない。それでもちゃんと学校に通うようになったことは私としては安堵できる展開だった。

 劇的に変わった暮らしが始まっても、三人は至って通常運転だった。いつも通りにあすみが毒を吐き、杏子がそれをとっちめる。それをマミさんが笑って眺めている構図だ。

 この子たちに共通していることは、全員子供でいることを許してもらえなかったこと。そんな傷を、お互いの存在で埋めあった感じだろうか。傷の舐め合いと言うものではないだろう。彼女たちの間には、確かに通い合ったものがあるのを傍らにいる私には感じられた。

 そんな共同生活だが、杏子は成人になって数年で割とあっさり嫁に行った。

 相手は寡黙ながらも誠実な運送業の人だった。

 私も会ったことがあるが、心根が優しい人だと感じた。杏子のお父さんも、もしかしたらこんな感じの優しさを持った人だったのかも知れない。

 

 あすみは高校の時から持って生まれたセンスに磨きをかけてデザイナーの道を切り開き、奨学金で入学した大学で学生ながらブランドを立ち上げた。才色兼備の美人デザイナーとして雑誌にも出ていた。

 主なデザインはゴシックロリータファッション。インナーからドレスまで一通りを取扱い、ブランド名『Love Me Do』はその筋ではかなりの評価を得ているらしい。中でもインナーの売り上げは好調で、あまりふくよかではない女性用の下着が世の中の隠れたニーズを掘り当てて大ヒットした。

 『無乳用』と魔女文字でデザインが施された最小サイズのブラ、しかも私にぴったり合う試供品を何も言わずに送って来た時は流石に彼女のところに怒鳴り込んだが、ホルスタイン柄の最大サイズをもらっていたマミさんに笑って窘められてしまった。悪い子ではないのだが、ちょろっと悪戯するのは恐らくあすみの仕様なのだろう。

 現在は海外展開もしており、ちょくちょく欧米にビジネスで出かけている。

 独立してもいいだろうに、未だにマミさんの部屋に寄生中。当人が言うには海外に行く機会が多いので独自に部屋を借りるのはもったいないのだそうだ。マミさんもそれを歓迎しているので問題ないのだろう。

 

 ほむらはどうかと言えば、学生時代は紆余曲折を経て私たちのチームに入って友人集団の一角になった。決戦後のほむらには、当初あった棘のような近寄りづらさはない。そうなると男子からの人気は赤丸急上昇で、漫画のように靴箱に懸想文が溢れるのがデフォになったのだが、当人はそういうのに全く興味がなかったらしい。ぎすぎすした空気が無くなったのはいいのだが、まどか至上主義は相変わらずなのだ。

 そんな風にまどかへの想いを持て余すほむらに『同性愛はいかんぞ!非生産的な!』と説教して対策を入れ知恵したのは私だが、その時から作戦方針を明確に定めたほむらは鹿目家に事あるごとに入り浸って最大の作戦目標であるタッ君攻略に血道をあげ、傍で見ていても涙ぐましい努力を重ねた結果、本当にまどかの義理の妹の座に収まってしまった。

 まどかの親族と言う立ち位置をついに掴んだほむらはご満悦だが、ちゃんと旦那さんの事も深く愛しているようだから問題ないだろう。外面は家事も仕事もバリバリこなす絵に描いたような良妻だが、幾度ものループの後遺症で意外とネジが緩んでいる部分があることは周囲には知られていない。かつて小学生のタッ君に魔法少女まどかのコスプレをさせて鼻血を吹いていたのは私が墓場まで持っていく秘密だ。年齢差は結構あるのだが、魔法でも使っているのか好青年に成長したタッ君と同年代に見えるから恐ろしい。ある意味、これも『魔女』という奴なのかも知れん。

 

 さやかは至って順調に初恋を貫いて、大学卒業と同時に上条姓になった。

 旦那さんに割とオタク趣味があることは結婚後に知ったらしい。その辺の嗅覚のなさは生涯の不覚だろう。

 それでも夫婦仲は円満。

 2児の母となってお母さん業を頑張っている。

 

 仁美は大学卒業後、お父さんのグループ会社に就職。お見合いの数に辟易しているとの話を良く聞かされた。彼女自身はさやかに負けない恋愛結婚を夢見ているようだが、いかんせんハードルが高いのでなかなかお眼鏡に叶う猛者が見つからないらしい。

 さやか同様、平和な子は特筆すべきことがないな。

 天下泰平、結構結構。

 

 一連の騒動の中心人物であるまどかはそんな人々に囲まれ、幸せなまま今に至る。

 学生時代に知り合った優しげな男子とは今も続いており、恐らくそろそろ秒読みに入っているはずだ。

 その笑顔が曇ることがないのは、他ならぬほむらの努力の賜物だ。

 あの日以来、インキュベーターの存在は確認できていないが、ほむらの警戒に緩みはない。恐らく、私の望み通りに幸せなままに天寿を全うしてくれるだろう。

 概念存在になる未来も、友達が魔に堕することも既にない。

 そのことだけで、私は充分に幸せだ。

 

 

 

 さて、最後に私の最も親しい友人の事。

 巴マミ。

 この人の今が、私のエラーを浮き彫りにしてくれる。

 

 旦那の海外出張の時、私はこうしてちょくちょく彼女の部屋で過ごす。

 皆のタイミングが合う時は、今回のように魔法少女同士で女子会を行う流れだ。魔法少女ではない私がいる理由が料理担当なのは言うまでもない。

 個人的にもマミさんとは頻繁に会っているが、旦那もよく知るマミさんのところにいることは心配性の旦那の不在時に私が彼の信頼を裏切るような事をしていないことの証明も兼ねている。

 不在がちの仕事をしていることを彼はいつも気に病んでおり、そこはかとなく私の浮気が心配だと言われたりもする。こんなつまらん女に手を出すような奇特な奴はおらんから安心して欲しいのだが、私がそれを言うと旦那は『俺の嫁の悪口を言うのはお前でも許さん』と言って怒るのだ。

 

「おまちどう」

 

 2人の尻を蹴飛ばしてようやく大掃除が終わって御飯時。

 出来上がった料理を乗せたお盆を、マミさんとあすみが待つテーブルに運ぶ。

 

「きたきた、いつもありがとう~!」

 

「貴女も料理だけは上手いよね」

 

「こ~ら、いちいち突っかからないの」

 

 デフォルトの毒を吐くあすみを嗜めつつ手にしたビールを嬉しそうに開けながら、マミさんは満面の笑みを浮かべる。

 そんな姿に、思わずため息がこぼれた。

 目の前にいるのは、三十路に足を踏み入れたマミさんだ。

 身に付けているものは中学時代から愛用している赤いジャージ。しかもノーブラだ。

 最早底が見えるくらいに枯渇してきた彼女の女子力が、実に心配だ。

 私が来た時には、リビングには脱いだ衣類や読み終わった雑誌が散乱していたし、掃除機もしばらくかけていない気配も漂っていた。

 キッチンのゴミ箱を見れば袋ラーメンの残骸が幾つもあり、その隣のリサイクルボックスには缶ビールの空き缶が溢れていた。

 マミさんのみならず、苦労をしたはずなのに同居人であるあすみも女子力が決定的に欠けている。杏子が早めに嫁に行ったのは、同居人のあまりのずぼらさに耐えかねたからかもしれない。

 今また新たなビールを開けた様は、正直女を捨て始めたいろいろやばい独身女性。でも。

 

「ん~~っ、辛~っ! やっぱりこれよね~」

 

「うわ、やっぱり私はダメ、これ。辛すぎ」

 

 オーダーをもらって作った麻婆豆腐に、舌を出して涙目になるあすみの隣で微笑むマミさんを見るのは、私は嫌いではない。

 ある世界では、魔女に無残に殺されていた彼女だ。こうして美味しそうに私の御飯を食べてくれる今は彼女にとってもベターな未来であったのだと信じたい。

 

 だが、問題はその未来の在り処だ。

 総じて思うことだが、もしかしたら私がいるこの世界は、実は『魔法少女まどか☆マギカ』のそれではなく、漫画『巴マミの平凡な日常』の世界だったのではないだろうかと。

 兆候はいくつかある。

 本来存在しないはずの、さやかと上条君がくっつく世界と言うのがまずそれだ。

 重曹で洗ったらソウルジェムの濁りが落ちることを知った時は、あまりのショックに2日ほど寝込んだ。

 何より、ずぼらを絵に描いたような今のマミさんの格好がその証明だ。

 もし本当にそうだとしたら私がやったことはすべて無駄なことであり、放っておいてもマミさんが美味しそうにビールを飲むこの世界に帰結したのではないかと思うのだ。

 何という痛恨のエラーであろうか。

 あの苦労は何だったのだろう。

 この仮説にたどり着いた時の徒労感は、きっと誰にも分かるまい。

 でも。 

 

「あれ? 春巻、いつもと違うね」

 

 春巻を齧ったあすみがきょとんとした顔をした。

 

「ちょっと工夫を凝らしてみた。美味しくない?」

 

「私、こっちの方が好みだなあ。中身は何?」

 

 もし、この世界が私が思うスピンアウトな世界だったら、もしかしたらあすみはここにいなかったかも知れない。

 私が存在したがために魔道に堕ちた女の子。その子が魔女にならず、こうして暢気に私が作った料理をぱくついていると言うのは悪い気分ではない。

 マミさんを見るたびに感じる徒労感を埋めてくれるのが、このあすみだ。

 人間万事塞翁が馬、私の行動が今のあすみに繋がっていたのだとしたら、私のやったことにも意味があったように思うのだ。

 かつては『不要な花嫁』に成り果てる可能性もあった彼女だが、今はその気になればいつでも本当に幸せな花嫁になれるだろう。でも、当のあすみはまだ仕事が楽しいらしく、彼女の周囲にもマミさんと同様良縁の影はない。

 世の男どもは何をしているだろうと思うが、この2人の女子力が年々加速度的に降下していることに鑑みると割と男と言う種族は鼻が利くのかも知れん。

 その辺を矯正するのは、多分私が負った天命なような気もする。

 そんなことを思いながらも、美味しそうにご飯を食べてくれる彼女たちの姿を見る度に私はこう思うのだ。

 『まあ、いいか』と。

 

 その時、玄関のチャイムが鳴った。

 

「悪い悪い、遅くなった」

 

「こんばんは」

 

 やって来た二人のミセスが、昔と変わらない笑顔でリビングに入って来た。

 

「先に始めさせてもらってる」

 

 ビール缶を示しながらあすみが言うと、杏子の目が輝いた。

 

「あたしも最初はビールがいいな」

 

「冷えたのあるわよ」

 

 そう言ってマミさんが冷蔵庫に向かう。

 もうすっかりおなじみのちょっと変わった同窓会は、いつも通りの展開になりそうだ。

 そんな雰囲気の中、残るほむらの視線は卓上の一品に注がれていた。

 

「また、これを作ったのね」

 

 怖い顔でほむらが口にしたその問いに私は頷いた。

 何気にほむらは、こういう辛い物が苦手だ。

 

「今日のは美味しいはず」

 

「結構よ。何度騙されたと思ってるの」

 

「嘘ではない」

 

 隣に視線を向けると、あすみが深々と頷いた。

 

「大丈夫、私も箸をつけた」

 

 お前は本当に箸をつけただけだがな。

 そんなあすみが、横を向いて可愛らしく舌を出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 未来なんてものは誰にも分からないというのがこの世の定説だ。

 それが悲劇だったり喜劇だったり、見る者の主観に応じて物語の主旨が変わるというのも確かなことだろう。

 私がたどり着いた未来。

 どんな形であれ、それは私が知る魔法少女たちの物語が、私が知る結末へと続かない未来だった。

 まどかの笑顔もさやかの笑顔も、そしてほむらの笑顔も曇ることがなかった、悲劇に続かなかった物語の世界。

 

 そんな物語の世界で、私はこのまま過ごしていくのだろう。

 私が愛する、かけがえのない友人たちと一緒に。

 もちろんではあるが、その結果に文句はない。

 今の私は、間違いなく幸せなのだから。

 

 そんなことを思いつつ、いつも通りに騙されて口から火を噴いたほむらを見ながらひと匙掬った麻婆豆腐。

 

 舌先で弾ける花椒の辛さに、私は茅原実里に似た声で小さく呟いた。

 

 

「上出来」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔法少女まどか☆マギカ 続かない物語  完

 

 

 

 

 


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