魔法少女まどか☆マギカ 続かない物語    作:FTR

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第6話

 少々立て込んだ翌日。

 一晩寝ても精神的な疲労は完全には抜けてくれなかった。我ながら中学生らしからぬ情けない回復力だ。

 昼休みに中庭の自販機脇にある小さなベンチで、一人青空を見上げながら私はため息を吐いた。少し一人になりたくなって来た中庭。まどかたちには『ジュース買ってくる』と言ってある。

 宣言通りに手にはパックのオレンジジュース。愛媛の老舗が頑なにポリシーを守っている果汁100%の逸品だ。

 まどかとさやかへの説教は今日の放課後の予定だが、かなりの高確率で馬耳東風な結末になるだろう。

 困った奴らだ、と思うものの、考えてみればそういう気のいい連中だからこそ私も危ない橋を渡る気になったというもの否定できない。

 一晩考えたが、まどかを深入りさせないための方法論についてはさっぱり思いつかなかった。恐らくは不可避であろう淫獣とのファーストコンタクトまでにもう一本くらい何らかの阻止線を引いておけないだろうか。昨日のコンタクトが上首尾に終わっただけに、そればかりが気がかりだ。

 そう、昨日の交渉は、予想以上にうまく行ったのだ。

 

 

 

 

「それじゃ、遠慮なくいただくよ」

 

「どうぞ」

 

「あんたはそれでいいの?」

 

「問題ない」

 

 佐倉杏子をファーストフードに引きずり込み、接見料と言うことでバリューセットを提供する。必要経費だとしても私の懐としては馬鹿にならないだけに、私はホットコーヒーだけだ。できれば水の方が良かったくらいだ。

 私の事情を他所に、大口開けてハンバーガーに噛り付く杏子。何というか美味しそうに食べる人だ。こういう人に料理を振る舞ったらどういう顔をしてくれるか見てみたい。

 そんな感じにじっと食べる様子を見ていると、さすがに杏子が嫌そうな顔をした。

 

「そう睨みつけられてると食い辛いよ。それで、話ってのは? スカウトって言ってたよな」

 

 別に睨んでいるわけではないのだが、それはさておいて私は頷いて用件を告げた。

 

「貴女に、一時的に見滝原に来てもらいたい。魔法少女として」

 

「あ?」

 

 飛び出した単語がよほど予想外だったのか、ポテトを口に入れかけた状態で杏子は呆気にとられていた。

 そんな機能停止は数秒で終わり。苦いものを吐きだすように杏子が言う。

 

「見滝原って、あそこにはあたし以外の魔法少女がいるじゃん」

 

 こう切り出せば当然彼女の中の引っかかりに抵触するだろう。まあ、そう素直にいい返事がもらえるとは私も思っていない。

 

「巴マミのことであれば了解を得られている」

 

 禁忌の単語を出すのにはちょっと度胸が要ったが、予想通りにその言葉に杏子の顔に怪訝な表情が浮かぶ。

 

「どういうことさ?」

 

 首を傾げる杏子に、私は話の核心を切り出した。

 

「ワルプルギスの夜のことは?」

 

 予想外の単語だったと思うが、杏子はあまり動じなかった。

 

「魔法少女で知らない奴は、いないんじゃねえの?」

 

「3週間から4週間後、見滝原にワルプルギスの夜が来る」

 

 その言葉には、流石に一瞬杏子の手が止まった。その眼光の鋭さは、幾つもの修羅場を越えてきた戦士のものだ。

 

「何故判る?」

 

 やや声のトーンを落として、杏子が訊いてきた。

 

「それは貴女が受けてくれた後で話す」

 

「ふ~ん……ワルプルギスの夜ね。確かに1人じゃ手強いが……2人がかりなら勝てるかもな」

 

「現在、見滝原には2名の魔法少女がいる」

 

「2人?」

 

 さすがにこれは意外だったのか、杏子は頓狂な声を出した。

 

「これについても詳細は追って話す。だが、魔法少女2名ではワルプルギスの夜を相手にした場合、総合的な戦力が不足している可能性が高い。倒すには貴女のようなベテランであれば3名以上、そうでなければ4名以上は必要と見積もっている」

 

「……おだててるつもりかい?」

 

「客観的な判断」

 

 言葉通り、私の判断基準は客観的なものだ。

 私はまず、ワルプルギスの夜がどれくらいの強さを有しているかについて考えた。ワルプルギスの夜は確かに強大な魔女だ。元は一体の魔女と言う幹に多数の魔女の波動が寄生した特殊存在。結界を必要としないようなそんな強大な魔女を数人の魔法少女で倒せるかは現場を知らない私では確たる判断がつかない。

 これについて、記憶における『魔法少女まどか☆マギカ』の劇中において、意外なことに魔法少女2名で挑んだ場合に『倒せなかった』という明確な資料はなかったように思う。まどかとマミさん、まどかとほむらで挑んだ戦いの映像ではいずれもワルプルギスの夜がいない場所で魔法少女側は地に塗れた姿を晒していた。あれを『相討ち』と取るか『事後』と取るかで判断は別れる。だが、これについては、私は返り討ちと考える『事後』派だ。

 次に、杏子と言う要素を考えてみる。

 私の認識としては、杏子は腕力担当、サッカーで言えばフォワードだ。速さを売りにした近接戦闘を得意とし、必要に応じて小技もこなす前衛にもってこいのキャラ。仮に同じクロスファイトスタイルのさやかがいたとしても、私ならば杏子をワントップに据える。もしこれがシミュレーションゲームだったら、イケイケ派の私あたりは物凄くお世話になるユニットだと思う。

 そんな彼女の実力がどの程度のものかは、魔法少女のさやかやオクタヴィア、そして此岸の魔女を相手にした際の活躍の範囲における相対評価でしか判らない。だが、最大の目標であるワルプルギスの夜を相手にした場合の戦力値については、淫獣が漏らしたコメントが一つの物差しになると私は考えている。

 

『もちろん無駄な犠牲だったら止めただろうさ。でも今回の彼女の脱落には大きな意味があったからね』

 

 杏子亡き後のほむらの部屋で抜かした御高説の中のワンフレーズだが、杏子を間引くことによりほむらを孤軍に貶め、まどかの魔法少女化を推し進めようという姦計こそがオクタヴィア戦における淫獣の杏子殺しの根幹だと判る台詞だと思う。あの効率主義者がわざわざ罠を張るくらいなのだから、このことから、杏子とほむらのベテラン2名の連合がワルプルギスの夜と対峙する布陣は、淫獣が警戒するほど有効なものであったという事が推測できる。

 劇中のほむらの回想で2名で挑んだ際はいずれも当時はまだベテランとは言い難いまどかがペアの片割れだったし、まだメガネ装備だった頃のほむらとまどかではいずれも熟達したペアとは言い難い。

 それならば、淫獣が警戒したベテラン2人にマミさんを加えた精鋭3名の布陣で挑んだらどうなるか。

 諸説はあると思うが、私は勝機ありと考えている。 

 打撃力については必要とあればオクタヴィアサイズの蛇轍槍だのティロフィナーレな列車砲だのといった得物を持ち出すことが出来る連中だし、しかもその武器がエンチャントと来れば、ほむらの通常兵器の一斉攻撃以上の効果が期待できるだろう。

 戦術レベルの話になってくれば、上手く連携さえ取れれば異なる特性を持つ魔法少女3人、その相乗効果は単純に戦力3以上のものが期待できるだろうと私は推測している。

 すべて推測に基づく皮算用ではあるが、そこに博打を打つだけの価値を私は見出している。

 これで追いつかなかったら、もう私の力の及ぶ範囲ではどうしようもない。

 

 だが、そんな私の思惑をよそに杏子は興味なさそうに宙を仰いだ。

 

「まあ、そっちの事情は判ったけど、あたしには関係ない話かな。悪いけど」

 

 それはごもっとも。

 彼女にしてみれば縄張りでもない隣町の話に過ぎないし、グリーフシードと言う果実についても最終的な収支が黒字になるかどうかは確約できるものではない。だが、『魔法は自分のためだけに使う』という杏子の性格は私も織り込み済みだ。『まさかとは思うけど、やれ人助けだの正義だの、その手のおチャラケた冗談かますためにアイツと契約したわけじゃないよね?』という台詞の通り、彼女をそう言った方向で切り崩すことはできないだろうことは承知している。

 ならば、話をビジネスにしてしまえばどうだろう。

 

「貴女に対する要請は無償奉仕の求めるものではない。それに見合う対価を可能な限り用意する」

 

「あいにく、金には困ってねえよ」

 

 そりゃ魔法使ってATMからちょいちょいくすねてりゃ金には困らんだろうさ。銀行の担当は今頃泣いているだろう。雑損計上して保険で何とかなるのだろうか。

 それでもまだ、杏子は可愛い方かも知れん。ほむらの悪行に至っては、防衛省と在日米軍とヤーさんの首と指がどれくらい飛んでる事やら。そう言うことを一顧だにせず装備品をぱちっている辺り、あいつが一番おっかないかも知れん。それにしてもスコーピオンだのシュマイザーだの、挙句の果てにMG42なんてどこから持って来たんだろう。

 ともあれ、金を求められたらこっちだって小遣い生活者、しかも今月は月の前半でそろそろ危険水域の身の上だ。そっちの領域に入られると交渉以前の話になってしまうが、私にはお金以外にまだテーブルの上にベットできるチップが手持ちにある。それはまさに、お金で買えない価値があるものだ。

 

「金銭は女子中学生として常識的な範囲でしか用意できない。その代り、貴女が知らない情報を提示することができる」

 

 人は好奇心で動いている生き物だ。『知らない情報』という言葉の持つ魅力には誰もが絶対に興味をそそられる。杏子もその例の漏れず、瞳にその種の光が見えた。

 

「あたしが知らない情報?」

 

「魔法少女の事。そしてソウルジェムの事。貴女が知りえない秘密を提示する用意がある」

 

 幾つかの危険なキーワードに反応して、さすがに杏子の視線が険しいものになって来た。

 

「……あんた、何者だ?」

 

「現時点では開示できない」

 

「それもあたしが話を受けたらって訳かい?」

 

「場合によっては考慮するとしか言えない」

 

「ふ~ん、魔法少女に関する情報ねえ……そんなに価値がある情報なのかい?」

 

「貴女の考え方に一石を投じるだけの内容という自負はある。少なくとも巴マミは考え方を根本から変えることになった」

 

「マミが、ねえ」

 

「貴女と彼女のことは知っている。だが、貴女たちの間にある過去の確執を根幹から揺るがす情報と思ってくれていい。重要性と言う意味で、巴マミも知ってから嚥下までに相応の時間を要した。貴女にもそれを認識してもらった上で助勢の是非を判断して欲しいと思っている」

 

「……へえ」

 

 それだけ言うと、杏子は腕を組んで長考に入った。もう一押しか。

 秒針が1周する頃、私は追加条件を告げた。

 

「それで不満な場合、他には食事か菓子類を提供することしかできない。こちらが提供できる対価はこれが限界」

 

 その言葉に、少し間をおいて杏子はにやりと笑った。

 その笑顔が、私はやけに気に入ってしまった。これはほむら相手にポッキーを差し出す時の顔だ。普通の女の子ではちょっと無理な、どちらかと言うと肉食獣のような笑み。でも、杏子がそれをやるとやけに似合ってしまうのだ。よほど心根が強くないと、こういう笑い方はできないだろう。

 

「そっちを先に言った方が話が早かったね。そいつと魔法少女の秘密ってのを聞かせてもらえるってんなら、話に乗ってやってもいいよ」

 

 言葉は冗談めかしているが、多分本音は別の所にあるのだろう。恐らくは魔法少女の秘密と言う情報について食指が動いたのだろうが、恐らくはそのための受けるきっかけが欲しかったのだろうと思う。マミさんと袂を分かったことは今も杏子の中では自分でも触れたくない瑕疵だろう。逆に、そのマミさん絡みとなればそうそう無視はできまい。この子も、決してマミさんを嫌って袂を分かったわけでないのだ。そのマミさんの身に由々しき事態が起こったと知らされれば心中は穏やかではあるまい。そんな事態に関わるために、自分に対しても理由付けが必要なのは理解できる。軽口のように思える言葉の数々も、彼女の中で付ける折り合いにはきっと必要なのだろうと私は思った。

 後は彼女とのこれからの接し方次第だろう。冷徹な現実主義者のようでありながら、実は杏子は割と面倒見がいい人情派なことを私は知っている。見も知らぬ誰かならともかく、懐に入った窮鳥を殺せるタイプではない。良い関係を築いて、そういう方向に縁を持っていければいいのだが。

 

「それで、どんなものを食わせてくれるんだい?」

 

 

 

 

 

 

 ふと足音を聞き、私は視線を自販機に向けた。

 黒髪の美少女が、いつも通りの仏頂面でミネラルウォーターのボタンを押していた。

 受け取り口からペットボトルを取り出す仕草一つとってもやけに洗練されている。美少女と言うのは何をやっても補正がかかるからずるいと素直に思う。

 

「何?」

 

 まじまじと見つめる私の視線に気づいたほむらが、振り返って私に問うて来た。

 その視線を受け止め、ぽろりと本音が漏れた。

 

「貴女を、尊敬する」

 

 あまり考えずに漏れ出した言葉に、ほむらの眉が不機嫌を意味する角度まで傾斜した。

 

「……どういう意味かしら?」

 

 別に馬鹿にしたわけじゃないんだから睨まないで欲しい。

 

「鹿目まどかに対する私の認識に、甘さがあったことを認める。私のプランには、まだ欠損が多くあった」

 

 予想しない言葉だったのか、ほむらが首を傾げた。

 

「説明してもらえるかしら」

 

「鹿目まどかの持つ個性において、ごく普通の注意喚起は意味をなさないことを確認した。彼女が魔法少女として契約することを回避するには、現状の対応では不十分。しかし、それに代わる手段の見通しが立たない」

 

 私の弱音に、ほむらの柳眉が逆立った。

 

「諦めると言うの?」

 

「そういう意味ではない。彼女の魔法少女化の阻止は最優先事項。しかし、彼女にそれを確約させるためのロジックを組むことが現時点ではできない。インキュベーターの奸智を考えた場合、ただ彼女の意思だけで魔法少女化を防ぐことは難しいと思料する。その事実から、貴女のこれまでの苦難を推察した」

 

「……判ったようなことを言われるのは心外だけど、その意見には概ね同意するわ」

 

 ほむらはそう言うと、長い髪をゆっくりと手櫛で梳いた。

 

「貴女が言うとおり、まどかは今の在り方を変えようとはしないでしょうね」

 

 どこか自嘲にも似た響きがある言葉の後、ほむらの瞳が鋭さを増した。

 

「だから、あの子の傍に現れる魔女は私がすべて倒す。ワルプルギスの夜も含めてね。キュゥべえの接触も許さない。後は、貴女が過度に魔法少女に接近しないことが重要だわ」

 

 私が魔法少女に接近しないこと、というのはどういうことだろうか。

 私は首を傾げた。

 

「説明を求める」

 

 素直に問う私に、ほむらは訥々と回答を述べた。

 

「あの子は友人が窮地に陥った時、絶対に黙っていない。貴女が私たちに接近しなければ、あの子と魔法少女の接点はそれでなくなるわ」

 

 言われてみて初めて気づいた。

 確かに私が関わらなければ、まどかと魔法少女の接点はなくなる。これは盲点だった。

 だが、今この状況で私が足抜けするというのはちょっとひどい選択だとも思う。

 

「そんな無責任なことはできない」

 

「もちろん今さら抜けることは許さないわ。私たちとの距離の取り方を考えろと言っているの」

 

 なるほど。 

 要するにあれか、まどかに気取られないように接すればいいということか。

 何だ、判ってみれば思いのほか簡単な問題だったような気がする。

 そして同時に、本当はまどかと友達として接したいであろうほむらが、どれほどの我慢を己に課しているかが理解できてしまって胸が詰まった。

 

「……理解した」

 

「貴女、時々抜けているのね」

 

 辛辣な言葉だが、今は言い返す言葉がない。

 

「まどかとは今まで通りに接しなさい。必要な打合せはメールか夜にすればいい。貴女はこのプランの責任者よ。うまく立ち回りなさい」

 

 そんなほむらの言葉に、私はまじまじとほむらを見つめてしまった。

 直接的な言葉ではないにしろ、彼女は今、一つの答えを私に述べてくれたのだ。

 

「……連合を?」

 

 期待をこめた私の視線に一つため息をついて、ほむらが言った。

 

「そう取ってもらって構わないわ。貴女は、自分の宣言の通りに佐倉杏子を交渉の場に引き出してきた。そこまでやって見せられたからには、貴女のプランに乗るのに吝かではないわ」

 

「感謝する」

 

「その言葉は、全てが終わった後にして欲しいわね」

 

 そう言って去ろうとするほむらの背に、私は慌てて声をかけた。

 

「明日の夕食、苦手なものはない?」

 

 足を止め、振り返ってほむらが言った。

 

「私も居なければならないの?」

 

 頷くと、ほむらはまたため息をついた。

 

「……特にないわ」

 

 杏子に何が食べたいと訊いた時、その返答に対して轟々たる黒い感情が胸の内に沸き起こった。その感情が『憤怒』なのだと気づいたのは帰りのバスの中の事だ。

 要望を聞いたら『へえ、あんたが作んの?』と意外そうな顔をされたが、ああいう顔をされては私としては思うところはある。そして出された遠慮の欠片もないオーダーとその言い方にも血圧が上がった。

『そうだな~、どうせ御馳走になるならフランス料理がいいな。フルコースってやつ』

 堂々と言ったもんだ。

 しかも『作れんの?』という感じの挑発的な目をして。

 その目を見た時、自分の中の導火線が一気に長さゼロになったのを感じた。

 よろしい、ならばこれは交渉ではなく誅伐だ。

 私は俄然やる気になった。当方に迎撃の用意あり。幼少時どころか前世から心の師と仰ぐ、水瀬秋子さんに誓ってただでは帰さん。謎のジャムはないがな。

 

 ちょうどいいのでマミさんとほむらにも声をかけ、顔合わせを兼ねたイベントにした。

 私の集めた小さな防衛軍の、これを決起集会と位置付けよう。

 

 

 

 放課後、まどかたちと別れ、私は足早に近くの商店街に足を運んだ。スーパーマーケットの類も結構ある見滝原だが、こういう個人商店が集まってちょっとした商業エリアを作っていたりするのもこの街の特長だ。値段は大手スーパーに比べれば不利な部分もあるが、食材の鮮度は一味違う。

 食材の調達にあたっては残念ながら小遣いでは賄いきれないので、遺憾ながら積み立てを崩すことになった。父の日に買おうと思っていた松坂牛は他の材料にグレードダウンせざるを得まい。

 会場は私の家だ。

 予定の日は父は出張だと言っていたし、テーブルウェアについてはそれなりに揃っているし、自慢の大火力4口コンロをはじめとした調理器具も問題ない。何より、使い勝手がいいキッチンは気分的には私の魔術工房だ。あれこれ混ぜて何かを作るという意味では錬金術のアトリエと言った方がいいかもしれん。失敗したら爆発しかねないあたりは非常に『ユキのアトリエ』的ではある。

 さすがにデザートは手が回らないので、ケーキはマミさんにオーダーした。快諾してもらえたが、あんな嬉しそうな声を出すマミさんと言うのも珍しい気がした。いや、本当に美味しいのよ、彼女のケーキは。

 

 何だかんだで人数分揃えると大荷物になった。愛用のお買い物用トートバッグがパンパンだぜ。

 杏子に言っておいた約束の時間は7時。面倒なところは昨日の内に仕込んで冷蔵庫に入れてあるが、あまり時間的な余裕はない。

 ショートカットのためにマミさんとよく落ち合う公園に入った時、私は目に入った人物に足を止める羽目になった。

 ベンチで静かに空を見上げている、小学生。赤い鞄を背負っているところを見ると学校帰りだろうか。

 

 神名あすみ。

 

 その彼女が、無表情で虚空に視線を向けていた。

 どこを根城にした魔法少女なのかと思ったけど、まだ見滝原にいたのか。やはりこの公園は変わり者のメッカと化しつつあるのだろうか。

 一見すると物憂げな少女の図なのだが、それを見るこちらは当然ならがら心中穏やかではない。

 先日の凄まじい笑顔を知っているだけに、うっかり近寄ったら鉄球で頭蓋を砕かれてしまいそうな錯覚を覚える。

 遠回りしようかとも思ったのだが、どうしても彼女の透明感のある表情が気になった。顔立ちがいいだけに、やけに引き込まれる横顔だ。

 経歴は物騒な陰険少女だそうだが、先日は結果的なものとはいえ助けてもらったからには一言くらい挨拶をするべきだろうか。あるいは君子危うきに近寄らずを貫くか。

 そんなことを悩みながら、ふと手荷物の中身を思い出した。

 う~む、これで行くか。つまらないものだが私も中学生だし、これくらいで充分義理は立つだろう。

 バッグの中に入っていたのは黄色いリンゴ。デザートにマミさんのケーキの付け合せとして使おうと思っていた信濃ゴールドだ。多めに買ったから余分はある。

 意を決して、私はあすみに近寄った。

 何に集中していたのかは知らないが、私がすぐ傍に近づくまで、あすみは私に気付かなかった。

 会話ができる距離になって、ようやく彼女は視線を私に向けた。

 表情と同様に、感情が読めない透明な瞳だ。

 

「これ」

 

 私は手にしたリンゴをあすみに差し出した。

 あすみはきょとんとした顔をして、次いでそれを受け取った。

 

「先日のお礼。助けてくれてありがとう」

 

「……」

 

 私の言葉にも、彼女の表情は変わらなかった。ただ、透明な表情を私に向けるだけだ。

 表情が乏しい者同士が見つめ合う夕方の公園。

 私とこの子がにらめっこをやったら千日手が成立しそうな気がした。

 

「それじゃ」

 

 私は慌てて踵を返し、逃げるような勢いで家路を急いだ。

 

 

 

 

 

 家に戻って作業に取り掛かっていると、最初に到着したのはマミさんだった。

 

「お待たせ、持って来たわ。自信作よ」

 

 玄関に入るや嬉しそうに言いながら、手にしたケーキの箱を私の前に差し出してきた。わざわざラッピングまでしてくれるとは恐れ入る。

 

「感謝する。入って」

 

 キッチンに案内すると、用意が進む料理の様子に一瞬マミさんの表情が凍りついた。

 

「……すごいわね」

 

「今日は本気」

 

「楽しみね。そういうことなら、これもただ切って出すだけじゃつまらないわね。チョコレートパウダーとかある?」

 

「そこの棚に。スプーンドロップも入っているから適当に使ってくれて構わない。キャラメルソースとカスタードソースは、フルーツと一緒に冷蔵庫に入っているから使って欲しい。他のソースが要るようなら作る」

 

「素敵だわ。おっけー、こっちは任せておいて。そっちに負けない物を用意するわ」

 

 うきうきと言う感じで嬉しそうに持参したマイエプロンを装備して準備に入るマミさん。これまでの付き合いで、マミさんのお菓子の芸風はそれとなく理解できている。用意したソースやフルーツなら、恐らく彼女が考えているデザートには対応できるだろう。

 私としても彼女のデザートは楽しみだ。好きこそものの上手なれと言うけど、これまでにいただいたお菓子の完成度を見るに、マミさんの腕前はちょっとしたパティシエ並みだ。将来はこっちで身を立てられるんじゃないかと思っている。分量や材料などは料理は多少はごまかしが利くが、お菓子はそうはいかない。繊細な人しか手が出せない世界なのだ。

 

「やっぱり、誰かとこういう作業をするのは楽しいわね」

 

「私も楽しい」

 

「それなら、もうちょっと楽しそうな顔してくれないかしら」

 

「……感情表現は苦手」

 

「それは練習あるのみね。でも、最近はちょっとは判るのよ、貴女の表情」

 

「そう?」

 

「鹿目さんたちには負けるけどね」

 

 そんなことを言いながらマミさんは笑いながらホールのレアチーズにナイフを入れ、綺麗に切り分けていく。

 

「あの子にケーキを食べてもらうのも、久しぶりだわ」

 

「佐倉杏子?」

 

「ええ。元気でやってくれていればそれでいいと思っていたけど、また見滝原に来てくれるとは思わなかった」

 

 その言葉にこもった感情は私にも理解できた。

 そこにあるのは友達のようであって姉でもあるような、人と人の関わり合いにおいて、大切な暖かさだ。

 だが、今はまだその温もりはしまっておいて欲しかった。

 

「気を抜かないで欲しい」

 

「え?」

 

「彼女に魔法少女の事を話した後で、彼女がどう思うかまだ判らない。交渉が不調に終わる可能性も考えておかないといけない」

 

 私が知る物語では、さやかという要素があったから杏子が上手く気持ちを切り替えられた可能性がないわけではない。この世界線ではその辺はまだ未知数なのだ。

 

「……確かにそうね」

 

 そんな感じに2人で作業を進めていると、今一度玄関のベルが鳴った。

 ぱたぱたと出てみると、そこに制服姿のほむらが立っていた。

 

「ちょっと早かったかしら」

 

「問題ない。入って」

 

 

「手ぶらで来るのも悪いから、よかったら」

 

 差し出されたのはスパークリングワインだった。私も知っているブランドだ。ノンアルコールのものだが、お子様向けのワイン風のジュースではなく、ワインからアルコールだけ抜く製法で造られた本格的な奴だ。私が用意していたスパークリングジュースよりよほど気が利いているのはいいのだが、すごく高いってことくらい知ってるぞ、これ。

 

「いいの?」

 

「あなたのことだからちゃんと用意してるんでしょうけど、何かの時に間に合わせにしてくれればいいわ」

 

「そんなことはない。使わせてもらう」

 

 よし、早速クーラーに放り込もう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「よう、遠慮なく来させてもらったよ」

 

 時間きっかりに、杏子は我が家の呼び鈴を押した。

 

「待ってた」

 

「へえ、本当に料理やるんだねえ」

 

 玄関に迎えに出た私のエプロン姿をまじまじと見ながら、杏子は履いていたブーツを脱いだ。

 

「まだもう少し時間がかかる。その前に紹介したい」

 

「あんたが言ってた、もう一人の魔法少女?」

 

「そう」

 

 リビングに案内すると、入ってきた杏子にマミさんとほむらの視線が飛ぶ。返す杏子の視線もまた、多くの表情を持ったものだ。

 

「久しぶりね」

 

 口火を切ったのはマミさんだった。さすがは年長者。心得たものだ。

 

「ああ。まさか、またこの街に来ることになるとは思わなかったよ」

 

「いろいろ考えはあるでしょうけど、私は素直に嬉しいわ」

 

「変わんないな、あんたも」

 

 そんな感じにマミさんとやり取りをしていた杏子が、ほむらに視線を向けた。

 

「あんたが2人目ってわけだな。佐倉杏子だ」

 

 よろしくね、と言ってうんまい棒を出すかくし芸を期待したが不発だった。

 

「暁美ほむら」

 

 やや警戒した雰囲気のほむらを気にした風もなく、主賓の杏子は遠慮なくソファに腰を下ろした。

 

「今お茶を持ってくる」

 

 キッチンに戻ろうとした私を、杏子が手で制した。

 

「お茶はいいよ。もうじきできるんだろ?」

 

「あと5分で始められる」

 

「始められる、って……本当にフルコース作ったのか?」

 

「そう要望された」

 

「……マジかよ」

 

 そんな杏子の様子に、マミさんが笑う。それに反応して、杏子の眉が傾いた。

 

「あたし何か変なこと言ったか?」

 

「ごめんなさい。でも、あんまりこの子を甘く見ない方がいいわよ」

 

「あん?」

 

「まあ、百聞は一見にしかずね。暁美さんも初めてよね?」

 

「ええ」

 

 頷くほむら。そういやほむらに御飯食べてもらうのも初めてだったな。

 

 

 

 準備が整い食卓に案内すると、杏子が流石に絶句した。

 皿や食器、ナプキンに至るまで、ちょっとした店に比べても遜色ない光景を用意してある。照明はどうしようもないが、燭台はそれっぽいのが用意できている。蝋燭は御仏壇の物なのは内緒だ。

 そんなテーブルの様子に、杏子の顔にちょっとだけ動揺が浮かんだのが見て取れた。

 

「……本格的じゃん」

 

 3人の着席を確認し、私は冷やしてあったほむらが持って来てくれたボトルの封を切った。ワインオープナーで丁寧にコルクを抜いて、3人の前に並ぶちゃんと磨いたグラスにそれぞれ注ぎ、コルクと一緒にテーブルに置いた。

 ちょっとだけ考えてから杏子がナプキンを手に取った。

 

「マナーとか知らないから適当にやるよ?」

 

「問題ない。自分が一番食べやすい食べ方で食べてくれればいい。始めるから適当に飲んでいて」

 

 私の言葉に従い、3人が三者三様の面持ちでグラスを取った。

 どういう主旨の乾杯になるのかは彼女らに任せよう。

 コースが始まれば、ここからはずっと私のターン。

 まずは前菜からだ。

 

 

 

 

 

 その後の時間、会話はお世辞にも弾まなかった。

 弾まないと言うより、カニを食べるように皆沈黙していた。聞こえてくるのはBGMに流しているモーツァルトだけだ。

 初対面の魔法少女同士が牽制し合っているわけではない。互いの視線は皿に注がれている。

 

「パン取ってくれ」

 

「どうぞ」

 

 杏子がほむらにバスケットに入ったスライスしたフランスパンを求め、ほむらがそれに応じてまた沈黙。

 それでいい。

 物を食べるのには理屈も高説も要らぬのだ。美味しいか美味しくないか、その二元論の世界だけがあればそれで充分。

 会話を楽しむのもこの手の食事会の主旨の一つだが、会話よりも作ったものがその場の主役になってくれるのであれば料理人としてはこれに勝る名誉はない。

 コースは粛々と進み、いよいよメイン。

 

「魚は明石鯛のポワレに季節の温野菜を合わせた。これの次は牛のホホ肉を赤ワインで煮込んだもの。但馬牛のいいのがあった」

 

 それが終わればマミさん謹製のチーズケーキがメインを飾るデザートでコースは終了だ。

 コーヒーと紅茶を出して、私の任務は完了する。

 

 

「……あ~、何ていうかさ」

 

 コーヒーに一口飲んで、杏子は困ったように頭をかいた。

 

「あたしは半分冗談で言ったんだよ、フルコースって。ここまでやられちゃうとは思わなかったよ」

 

「口に合った?」

 

 私の問いに、杏子は彼女特有のあの笑みを浮かべた。

 

「文句なしに美味かった」

 

 はっはっは。その言葉が聞きたかったのさ。

 

 

 

「さて、それじゃ腹も膨れたところで、そろそろ聞かせてくれない? あんたが言ってた、魔法少女の秘密ってやつをさ」

 

 杏子の言葉に、マミさんとほむらが緊張したのが判った。

 

「わざわざこんな場を設けてあたしを呼んだんだ、よっぽどのことなんだろ?」

 

 杏子の目の光り方が、やけに気になった。それは得体が知れないものを警戒するネコ科の獣のような目だ。

 一つ、この子を侮っていた部分があることを私は自覚した。この子、腕力はあっても決して状況が見えないタイプの子じゃないらしい。

 私が言ったはったりじみた情報というものの本質を、既にどことなく見透かしているのかも知れない。

 

「……お茶のお代わりは?」

 

 私の問いに、3人は静かに首を振った。

 なるほど、頃合いか。

 私はエプロンを取ると、残った椅子に座って背筋を伸ばした。

 

 さて、始めよう。

 

 打倒ワルプルギスの夜対策会議、その第1回目を。

 

 

 

 


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