魔法学院へと戻った次の朝からルイズは変わった。一言でいうならノクトに対して優しくなったのだ。
そうはいっても、普通に人間としての扱いを受けたというレベル。ペットから一人の人間として認めたレベルだ。
というわけで。
どこがどう変わったのか、王子の一日を見てみよう。
△▼△▼△▼△
まず目が覚めたノクトは、ルイズを起こす前に、水が入った洗面器を用意する。
朝、顔を洗う為である。
しかし、個々の部屋に水が引いているわけがなく、下に行って水道水から冷たい水を貰っている。
そして、ようやくルイズを起こすとノクトは水を掬う。
顔を洗うのもノクトの仕事なのだが·······
ルイズは眠たそうに目を擦るのだが、体を動かさない。
どした? と聞くノクトに対し、ぼんやりとした表情のまま口を開いた。
「そこに置いといて。自分で洗うからいいわ」
「そっか、自分で洗うのか·······って、え!?」
ノクトは、ルイズの言葉に驚きを隠せなかった。
『自分でやる』なんて使い魔に見事就任してから一度も言った事がないし、言おうともしなかったのだ。
「自分で、洗う、のか?」
聞き間違いかもしれないと思い、ルイズに聞いてみる。
すると、ルイズは不機嫌そうに横を向いた。口を尖らせ、頬を赤く染めている。
「自分で洗うからいいの。だからほっといて」
ルイズはうんしょ、と洗面器を持ち上げて顔を近付ける。。
ルイズは洗面器に手をいれ水を掬うと、思いきり顔を横に振って洗った。水が盛大に飛び散る。
「へぇ、お前、顔を動かして洗うタイプだったんだな」
ノクトの何気ない一言に、洗ったはずの顔が赤いインクを塗られたかのように再び染まっていく。
恥ずかしながらも、ルイズは怒った。
「べ、別にいいじゃない! 私がどう洗おうと勝手でしょ!?」
「いやうん別にいいよ!? だからそこまで怒ることじゃなくね!?」
世間話のつもりで話した為、怒られるとは思わずノクトは頭をかく。
その後、クローゼットまで足を運ぶと、下着を取り出してベッドに置く。
このままルイズの着替えを見ていると、犯罪者になってバッドエンド直行になってしまうので、ノクトは体ごと視線を他に向ける。
顔を洗い終わったルイズは、下着にへと着替える。
その間にノクトは制服を手に持って着させる準備をした。頃合いを見計らって、視線をルイズへと持っていくと·······なぜか下着姿のルイズは、慌てた顔になって、ベッドのシーツに包みこもった。
「服、置いといて」
ぴょこっと顔だけシーツから出して言った。
「·······」
おかしい、とノクトは思う。
いや、これが普通の年頃の女の子が起こす当然の反応なのだが、なにぶん今までのルイズとは真逆だったから故に、ノクトは不思議に感じる。
「あの、ご主人様? 自分でやるのでありましょうか?」
ノクトの質問に、ルイズは野良猫のようにう~と唸りながらも睨んだ。
多分、いいから置けと言っているのだろうと解釈したノクトは、制服をルイズの目の前に置いた。
「·······向こうむいてて」
「ん?」
「向こうむいてなさいって言ってるの!」
ボフッ、とノクトの顔に枕が投げ付けられる。見ると、ルイズの顔は湯気が出てきそうなまでに真っ赤に染まっていた。
「おいなんなんだよ一体!? 俺何かしたか!?」
「べ、別になんでもないわよ! バカッ!!」
ノクトはなんなんだ·······とルイズの変化に驚きながらもちゃっかり背中を向けたりする。
普通ならここでルイズが異性としての意識を持ち始めたのでは? と思ってもおかしくないのだが、
(あいつ、変なものでも食ったのか?)
と、どこまでも鈍いノクトだったりする。
もちろんこれだけで終わるはずがなかった。朝食、今回は洗濯を後回しする事になり、先に食べる事になった。
いつも通り、指定された床に向かったのだが·······そこには食事が何一つなかった。
「あれ? 朝飯は?」
とノクトは首を傾げる。まさか集団いじめが起きているわけがあるまい。それとも、使い魔という立場なので、飯抜きとなったかもしれないという。
しかし、その考えはすぐに違うと断言できた。
飯抜きという事は、何かしらの罰がなければならない。しかし、当の本人はそのような事をした覚えがなかった。
事情を聞こうと、ルイズに視線を向ける。視線を感じたルイズは口を開く。
「今日からアンタ、テーブルで食べなさい」
「·······え?」
まただ、とノクトは思った。思いがけない発言にノクトはただ困惑するばかり。
ノクトは様子がおかしいご主人様に向かって、
「ご主人様·······ひょっとして何かをわたくしにお求めているのでしょうか?」
「いいから。ほら、早く座って」
いつも以上にかしこもった態度をとるが、ルイズはただノクトを促すだけ。
仕方なく、ノクトはルイズの隣に腰掛ける。
すると、いつもそこに座っているかぜっぴきのマリコルヌが現れて、主のルイズに文句を言う。
「おい、ルイズ。そこは僕の席だぞ。使い魔を座らせるなんて、どういうことだ?」
ルイズはきっとマリコルヌを睨んだ。
「座るところがないなら、椅子を持ってくればいいじゃないの」
「ふざけるな! 平民の使い魔を座らせて、僕が椅子を取りに行く? そんな法はないぞ! おい使い魔、どけ! そこは僕の席だ。そして、ここは貴族の食卓だ!」
「·······って言われてもなぁ」
ノクト、は困る。
極論を言えば床に座って食べても問題がないので、別にどけと言われたらどいてもいいのだ。
しかし、立ち上がろうとしたその時、ルイズがノクトの裾をちょんちょんと引っ張って首を横に振って制止をかけた。
どうやら主はそうなって欲しくはないようだ。確かにノクトはこういったタイプの男はあまり好きではない。自分の方が偉いからという理由でどけっと言われるのは、はっきり言ってムカつく。
めんどくさいが仕方ないか·······とため息を吐くと、やや震えているマリコルヌの目の前へと立ち上がる。
「そんじゃあ、決闘でもすっか? 席を賭けた決闘。確か平民と貴族が決闘しちゃいけない法はなかったはずだよな?」
ノクトの不敵な笑みにマリコルヌは一歩下がる。
ギーシュを倒し、あのフーケをとっ捕まえたノクトはただの平民ではない、ということはすでに学院中の噂になっているのだった。
おまけに、ルイズ達と数日学院を留守にしている間に、なにかとんでもない手柄を立てたらしい、ということさえ昨日の今日なのに噂されていた。
だからマリコルヌにはそんなノクトが恐ろしく強い人間だと感じた。そんな人間に決闘を申し込まれたら勝ち目がない。
「ないけど、いい。僕が悪かったですはい」
マリコルヌはすぐに首をぶんぶんと勢いよく振って否定した。するとノクトは笑顔を見せて、
「じゃあ早く取りに行っちゃおうぜ? もう始まるしさ」
そう言うと、マリコルヌはすっ飛んでいった。
これでいいのか? と聞くノクトにルイズはそっぽを向いて無視するだけであった。
(なんか今日のルイズ、様子がおかしいな)
さっきからまるでノクトを気遣うような行動をするルイズ。そんなルイズに、ノクトは首を傾げる
(けどまあ、座れって言ってんだから座るしかねぇよな)
ノクトはご主人様の命令に従い、テーブルの上で朝食を摂るのだった。
△▼△▼△▼△
授業が始まる前、ルイズの周りにはクラスメイトで一杯であった。
この数日間、何かとんでもない冒険をして凄い手柄を立てたらしい、との噂が今一番の話題であった。
裏付け証拠に、魔法衛士隊の隊長と出発するところを何人かの生徒たちが見ていたのである。
何かがあるに違いない。そう思ったクラスメイトたちは聞きたくてしょうがなかった。しかし、朝食の席には教師達がいるので遠慮していた為、今爆発したのだ。
「ねえルイズ、あなたたち、授業を休んで一体どこに行っていたの?」
クラスの代表者として話しかけてきたのは、香水のモンモランシーであった。
腕を組んで、いかにも偉そうな立場をとっている。彼らは既に席に座っていたキュルケやタバサに同じ質問をぶつけたが、タバサはただ本を黙々と読むし、キュルケも優雅に化粧を直している。すなわち、何も喋らないのだ。
一方のギーシュは二人と違う。
「君達、僕に聞きたいかね? 僕が経験した秘密を知りたいかね? 困ったウサギちゃんだな! あっはっは!」
と呟くなり足を組み、人差し指を立てていた。思いきり調子に乗っている。このままで何かも喋ってしまうので、ルイズは人込みをかきわけて、ギーシュの頭をひっぱたいた。
「なにをするんだね!?」
「口が軽いと姫様に嫌われるわよ。ギーシュ」
自分が好意を抱いているアンリエッタを引き合いに出されたギーシュは、黙るしかなかった。
そんな二人のやりとりを見て、ますます好奇心を隠せないクラスメイト。ギーシュも喋らない今、最後の希望はルイズである。
「ルイズ! ルイズ!」
「俺たちのルイズ! 教えてくれよ!」
わいわいがやがや、と教室全体を巻き込むかのようにテンションが上がっていく。
しかし、ルイズは澄ました顔で、
「なんでもないわ。ちょっとオスマン氏に頼まれて、王宮までお使いに行ってただけよ。ねぇギーシュ、キュルケ、タバサ、そうよね」
と三人に振った。なんというか、怖いもの知らずである。
キュルケは意味深な微笑を浮かぶだけだし、タバサはじっと本を読んでいる。
ギーシュだけが頷いたが、そんな事はクラスメイトにとってはどうでもいい事である。テンションがすっかり落ちたクラスメイト達は、やめだやめだといった感じに自分の席へと戻っていく。
ルイズの言動に腹を立てた人もいたらしく、負け惜しみを吐き捨てた。
「どうせ、たいしたことじゃないだろ」
「そうよね、ゼロのルイズだもんね。魔法のできないあの子に何か大きな手柄が立てられるなんて思えないわ! フーケを捕まえたのだって、きっと偶然なんでしょう? あの使い魔が助けただけじゃないかしら?」
見事な巻き毛を揺らして、モンモランシーが嫌味ったらしく言った。
流石のルイズにもこれにはカチンときた。しかし、実際そこまで活躍していないのも事実である。きゅっと唇を悔しそうに噛み締めるが、それだけであった。
ちなみに手柄を立てたノクトは、尿意がきたのでトイレに行っていた。
コルベール先生の授業が始まってる中、手洗いが終わったので教室に戻ったら、ルイズがいつも通りやらかしたのだ。
しかも今回は油のせいで、余計に教室の中は惨劇であり、片付けにも時間がかかった。
もっとも、ルイズも以前よりかは手伝ってくれたおかげで、心なしか少し楽のように感じたが、それは気持ちの問題で、体は正直である。
就寝の時間。
体の筋肉が悲鳴をあげる中、ノクトは立ち上がる。就寝時間の為、ルイズの着替えを取り出そうとしたが、先にそのルイズが着替えを取り出したのだ。
「·······え?」
ポカンと口を開けているノクトを他所に、黙々と作業を続ける。
ルイズはベッドのシーツを天井から吊り下げ、簡単なカーテンを作り上げた。そしてノクトの視界に隠れるような位置で、がさごそと着替え始めたのだ。
そしてカーテンが外された。
ネグリジェ姿のルイズが現れ、早速ベッドに横たわった。机に置かれたランプの明かりを、杖を振って消す。窓から差し込む月明かりがなんともまあ綺麗であった。
少しでも体力を回復をしようと思ったノクトはすぐ寝よう、と思い目を閉じる。
すると、ルイズがカバッ! とシーツごと身を起こし、ノクトに声をかけた。
「ねえノクト?」
「んあ? 何?」
しばらくの沈黙、ルイズは顔を赤くして言いにくそうにしているのだが、ノクトにはわからない。
「どした? ルイズ?」
再び聞かれたノクトに、ビクッと体を跳ね上がらせた。
「えと、その·······いつまでも、床ってのはあんまりよね。だから·······その、ベッドで寝てもいいわよ?」
「·······え?」
「勘違いしないで。へ、変な事したら殴るんだから」
「いや、俺はさすがにそこまで特殊な趣味は持ってな──────」
無い、と言いかけたノクトをルイズの殺意がこもった視線が貫いた。危ない危ない、と思いながらノクトは口を閉じる。あのまま言葉を続けていたら、ルイズの爆発を食らっていたかもしれない。
「別にこのままでも良いぜ。床でも寝ることにも慣れてきたし」
「使い魔の体調管理も主の仕事よ。良いからベッドで寝なさい」
「いや、だから·······」
「私に······二回も同じ事を言わせる気?」
「·······ベッドで寝ます」
やれやれと思いながらノクトはベッドに向かうと、端に潜り込んで毛布を被った。ルイズはというと、ベッドの端の方で毛布にくるまり丸くなっている。
二人がしばらく無言でいると、ルイズが口火を切った。
「ごめんね」
「何が?」
「勝手に召喚したりして」
「またその話かよ。言ったろ? 別に気にしてねぇよ。命を助けてもらったんだからさ」
「違うの」
ルイズは割り込んだ。
「私、いつもダメだって言われた。お父さまにも、お母さまにも、私には何にも期待してない。クラスメイトにもバカにされて。ゼロゼロって言われて·······ほんとに才能がないの。魔法を唱えても、なんだかぎこちないの。自分でもわかってるの。先生や、お母さまや、お姉さまが言ってた。得意な系統の呪文を唱えると、体の中から何かが生まれて、それが体の中を循環する感じがするんだって。それはリズムになって、そのリズムが最高潮に達したとき、呪文が完成するんだって。そんなこと、一度もないもの」
ルイズの声がだんだん弱々しく、小さくなった。
「でも私、せめて、みんなができることを普通にできるようになりたい。じゃないと、自分が好きになれないような、そんな気がするの」
それはきっと、ルイズが今まで胸の中に溜め込んできた不安や恐れなのだろう。
今まで魔法を満足に使う事ができず、親や姉からは魔法が使えない事で叱られ、同級生達からは馬鹿にされ続ける日々·······それは、彼女にとってどれほど辛い日々だったのだろうか。
ノクトは寝転がりながら、口を開いた。
「確かにさ、ここでは魔法を使えないのは珍しいのかもしれねぇけど。だからって悲観することはねぇと思うぞ?」
え? とルイズは小さく零した。
「例え魔法が使えなくてもさ、お前は助けを求めてる人に手を差し伸べたじゃねえか」
アンリエッタの時、それがどれだけ危険な任務であったのかわかっていたのにルイズは手を指し伸べた。
「あ、あれは姫様が言ったから·······」
「関係ねぇよ」
とノクトは否定した。
「力がなくても、誰かに力を貸そうとする人間は、誰かが助けようとするもんだ。自分が幸せになるのが当然だと思わないで、他人が幸せになる事を考えてる人間には、誰かが関わってくれる。少なくとも俺がそんな人間だったら好きになれるぜ?」
それに、と一拍置いて、
「ただ馬鹿にしている奴より、何倍も素晴らしいはずだ」
とノクトは付け加えた。
そう言われると、ルイズもなんとなく自分が少し好きになれた。フーケの時だってワルドの時だって命懸けで頑張った自分を。
「だからルイズ。お前はゼロなんかじゃねぇよ。確かにお前は魔法が使えないかもしれない。だけど、誰かを思いやる心、誰かを護ろうとする気高い心を持っている。例え他の誰かが否定したとしても、俺はこう言い切る。お前は、俺が出会ってきた中で最高のメイジだって」
「·······ッ!!」
「そんじゃ、明日も早いしさっさと寝るか。お休みルイズ」
ノクトはルイズに背を向けると、目を瞑る。それから間もなく、ノクトの意識は眠りの世界へと落ちて行った。
「·······なんで」
不思議だった。
なんでこの青年の言葉はこんなにも力があるのだろう?
歳はそこまで離れてないのに、なんでこんなにも強いのだろう?
自分の考えている問題を、どうしてこんなにも簡単に答えちゃうんだろう?
胸が熱くなりながらも、ルイズはずるいと思った。