ゼロの王子様   作:織姫ミグル

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第41章

 

 

「はあ·······今日も疲れたわ·······」

 

 

アンリエッタは立つ事さえも疲れるのだろうか、倒れこむようにベッドへと体を預けた。衣服は既に脱いでおり、身を纏う物は一枚の薄着だけ。

 

女王陛下専用のベッドは最高級であるため、疲れた分だけ心地よく感じる。

 

ここは、本来亡き父の部屋であった。しかし、女王に変わったからには、という理由で今はアンリエッタの部屋である。

 

このまま睡魔に襲われて、夢の世界へとおさらばしてもいいのだが、起きている間に少し裕福な時間を過ごしたい。

 

アンリエッタは怠そうに起き上がると、そのままベッドの横にあるテーブルに近づく。

 

小さなテーブルに相応しい物がそこには置いてあった。ワインとグラスである。

 

アンリエッタの楽しみといったらこれしかない。たとえあまりよろしくない行為であったとしても、それが彼女を止める理由にはならなかった。毎回毎回、全ての決議を承認するのはアンリエッタである。たとえそれがほぼ決まっている状態でも、心身共に疲れる作業であった。

 

ましてや今は戦時中、他の国との外交にも全力を注がなければならない。いくら枢機卿マザリーニの助けがあったとしても、多少軽減されるだけであって、疲れる事には変わらない。

 

そう、たとえ飾りの王とはいえ、飾りなりの責任はつねに負っているのであった。

 

まだ王女のままでいたかったアンリエッタは、その重圧をいまだ扱いかねていた。

 

ふぁ、と小さな欠伸をかいて、ワインとグラスに手を伸ばす。息抜きという名の飲酒が、彼女には必要なのである。壜をとり、中身をグラスに注ぐと、躊躇いもなくそれを一気に飲み干す。

 

女王になってからは、毎日がこうであった。もしお付の女官や侍従に見られたら、間違いなく取り上げられてしまう。だから、こうして一人っきりになれるこの時間に飲むのだ。

 

もう一杯飲もうと再び注ぐ。と、頭がふらふらとしてきた。

 

 

「飲み過ぎ········ではないわね」

 

 

トロンとした眼差しでワインのラベルを見る。普段とは変わらないのだが·······いつも以上に疲れてる証拠なのだろうか?

 

アンリエッタは杖を使ってルーンの文字を紡ぐ。すると、杖先から水が溢れ出て来た。水蒸気を液体に戻す、『水』系統の初歩魔法である。

 

あっという間に、水はグラスの許容量を越えて零れ落ちる。とっとっ······とアンリエッタは慌てて杖先から溢れる水を、蛇口を捻ったかのようにピタッと止めた。

 

そして、グイッと再び一気に飲み干す。プハーッ、と口を拭う。

 

この時間だけ、女王ではなく一人の女の子となるのだ。普段は見せられない態度も、ここでは平気で取れる。

 

そんな時間であった。

 

あまり飲み過ぎるのも体に悪い。グラスをテーブルに戻したアンリエッタは、ベッドに再び倒れ込む。

 

 

「なんで·······」

 

 

いつもと同じように酔い、いつもと同じ思い出を頭に浮かべる。

 

一番楽しかった日々、一番輝いていた日々。

 

何事にも囚われず、自由に過ごせた十四歳の夏。それは短かった。彼女の生きてきた中では本当にごく僅かであった。しかし、それは彼女の中ではとても大きい、絶対に忘れる事のない時間でもあった。

 

 

「どうしてあなたはあの時おっしゃってくれなかったの?」

 

 

それでも、たった一つだけ悔やまれた。

愛する人に言われて欲しいあの言葉を、彼は最後の最後まで言ってくれなかった。

 

どれだけ不思議に思ったのだろうか? 

 

どれだけ理由を聞きたいと思ったのだろうか?

 

誰も答えられない。

 

この事を知ってるのはアンリエッタと·······“彼”だけ。

 

そしてその彼はもういないのだ。この世のどこにも、いない。その事実が深くのしかかってくる。理屈ではわかっていても、感情が言うことを聞いてくれない。

 

もう二度と見れないあの笑顔、もう二度と戻れないあの日々。

 

途端、

 

少女の涙腺から透明な雫が伝った。

 

 

「あ·······れ·······?」

 

 

なんで涙を流したのだろう。明日の朝は早く、大事な日である。

 

ゲルマニアの大使との折衝が控えてある。このような戦争を早く終えたいアンリエッタにとっては、大事な折衝なのだ。そんな大事な時に涙で濡れてしまった顔を見せないと決心したではないか。

 

たとえあの日々を思い出したとしても、今日は涙を零さないと決心したではないか。

 

それなのに、流してしまった。

  

それだけ悲しかったのだ。

 

それだけ、辛かったのだ。

 

たとえどれだけ弱いところを見せないようにしても、心は素直に自分に語ってくれる。

   

たった、それだけの話であった。

 

このままではよくないと感じたのか、アンリエッタは酔い潰れようと思い、再びワインに手を伸ばそうとした。

 

コンコン、と。

 

同時、扉がノックされた。

 

こんな夜遅くに何の用事であろう。慌てている様子はないので、重要な用件ではない。

  

ならば、寝たふりをしてそのまま去るまで待つのもいいが、それはアンリエッタにとって後味が悪い。

 

仕方なくガウンを羽織ると、ベッドの上から尋ねた。

 

 

「誰ですか? こんな夜中に」

 

「僕だ」

 

 

瞬間、アンリエッタの脳が完全に覚醒した。

 

しかし、

 

 

「飲みすぎたみたいね。いやだわ、こんなはっきりと幻聴が聞こえるなんて·······」

 

 

わかっている。こんな事はありえないのだ。

 

そう、ありえないはずだ。

 

落ち着かせるため、アンリエッタは胸に手を当てる。しかし、心臓の鼓動はいつも以上に早く、小刻みに震え続けた。

 

 

「僕だよアンリエッタ。この扉を開けてくれ」

 

 

アンリエッタの呼吸が激しくなる。期待が身体を支配していく。

 

 

「ウェールズ様? 嘘。あなたは裏切り者の手にかかったはずじゃ·······ッ!?」

 

 

少女は扉へと駆け寄り、震える声で呟いた。

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

『──────怪しいものじゃない。散歩をしているだけだ。君こそこんな夜更けにどうして水浴びなんかしているんだ?』

 

「それは間違いだ。こうして僕は生きている」

 

 

信じられない。思い出の中で、しかもう聞く事のできないはずの声が、

 

今、目の前で聞こえてくる。

 

 

『─────僕だよアンリエッタ! ウェールズだ。アルビオンのウェールズだ。君の従兄弟だよ!』

 

「嘘、嘘よ·······どうして」

 

 

それでも、少女は否定する。

 

この扉の向こう側にいる人間が、少女は別人だと思いたい。この扉の向こう側にいる人間が、少女はあの人だと信じたくない。

 

 

『─────驚かせるつもりはなかったんだ。ただ、散歩していたら水音がして·······行ってみれば誰かが水浴びしてるじゃないか。ごめん。じっと見入ってしまった』

 

「僕は落ち延びたんだ。死んだのは·······()()()()()()

 

しかし、声を聞けば聞くほど、否定する材料がなくなってくる。彼の言葉は魔法がかかっているかのように優しく、また安心を与える感じであった。

 

 

『────君はもっと美しい。水の精霊より美しい』

 

「そんな·······ッ!! だって、こうして風のルビーだって·······」

 

 

少女は、自分の指に嵌めたウェールズの形見である指輪を確かめた。間違いない。これは確かに本物だ。あの青年から託された、最後の形見だ。

 

 

『─────じょ、冗談なんかじゃない! 君、僕は王子だよ。嘘をついたことは一度もない! ほんとにそう思ったんだ!』

 

「敵を欺くには、まず味方からというだろう? まあ信じられないのも無理はない。では僕が僕だという証拠を聞かせよう」

 

 

そうだ。証拠を出せばいいのだ。それなら、この人が別人だとわかる。

 

わかるはずなんだ!

 

少女は待つ。たとえ何時間であろうとも、彼の言葉を聞くまで待ち続ける覚悟で。

 

 

『────風吹く夜に』

 

「風吹く夜に」

 

 

心から聞こえてくる声と、耳から聞こえてくる声が、一致した。

 

·······なかった。

 

少女を止める理由など、もう存在しなかった。

 

少女はこみ上がる涙を気にせずに、扉を開け放つ。

 

何度も見たいと願ったその人が、

 

何度も見たいと願ったその笑顔が、

 

そこには、いた。

 

 

『────君が好きだ。アンリエッタ』

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

「ああ、ウェールズ様·······よくぞ·······よくぞご無事で·······ッ!!」

 

 

涙が言葉を発するのを邪魔する。ならばと思い、アンリエッタはウェールズの胸に飛びついた。

 

 

「相変わらずだねアンリエッタ。なんて泣き虫なんだ」

 

 

ウェールズは、涙を流しているアンリエッタの頭を優しく撫でた。

 

 

「だって、てっきりあなたは死んだものと·······どうして、どうして、もっと早くにいらしてくださらなかったの?」

 

「敗戦のあと、巡洋艦に乗って落ち延びたんだ。敵に居場所を知られてはいけないからずっと隠れてたんだよ。大変だったさ、君が一人でいる時間を調べるのにね。まさか昼間に謁見待合室に並ぶわけにはいかないだろう?」

 

 

ウェールズはニコッ、と悪ガキ少年のように笑う。

 

 

「昔と変わらず意地悪ね。どんなに私が悲しんだが·······寂しい想いをしたか、あなたにはわからないでしょうね」

 

「そんなことはないさ。わかるからこそこうやって迎えにきたんじゃないか」 

 

 

ウェールズの一言一言が優しく包みこむ。返事をするのを忘れて、しばらくこのまま抱きしめあった。

 

 

「遠慮なさらずに、この城にいらしてくださいな。今のアルビオンにはこちらへ攻め込む力はありませんわ。この城はハルケギニアのどこよりも安全。敵はウェールズさまに指一本触れることはできませんわ」

 

「すまないが、それはできないんだ」

 

「どうしてですか?」

 

 

アンリエッタは首を傾げる。

 

 

「僕はアルビオンに帰らなくちゃならない」

 

「何を言っているのですか!? 今の命を捨てるだけではないですか!」

 

「それでも、行かなくちゃならないんだ。アルビオンを、『レコン・キスタ』の手から解放しなくちゃならないんだ」

 

「冗談·······にしてはちょっと笑えないですわ」

 

「冗談なんかじゃない。それが理由で今日君を迎えに来たんだ」

 

「私、ですか?」

 

「そうだ。アルビオンを解放するには君の力が必要不可欠なんだ。国内には仲間がいるが·······やはり信頼できる人が少ない。一緒に来てくれるかね?」

 

「それは·······できることならそうしたいのですが、わたくしはもう女王なのです。国と民が肩に乗っている限り、ウェールズ様と一緒には行けませんわ」

 

 

ごめんなさい、と頭を下げる。

 

しかし、ウェールズは諦めきれないのか、ガシッとアンリエッタの肩を掴んだ。

 

 

「無理は承知の上だ。でも、解放には·······勝利には君が必要なんだ。敗戦の中で気付いたのさ、アルビオンと僕には『聖女』が必要なんだよ!」

 

「·······」

 

 

どうするべきなのだろう、と思う。愛しい人に必要とされている。それだけでもう、アンリエッタは頷きたいくらいだ。

 

でも、女王である自分に勝手な真似はできない。 

 

女王として断るべきか、愛する者としてついていくか、この場合、女王としての立場をアンリエッタは優先した。

 

 

「これ以上わたくしを困らせないでくださいまし。お待ちください。今、人をやってお部屋を用意いたしますわ。このことは明日また────」

 

「ダメだ。明日じゃ間に合わないんだ」

 

 

ウェールズはアンリエッタの言葉に割り込み、首を振る。

 

 

「愛してる、アンリエッタ。だから僕と一緒に来てくれ」

 

「んむッ!?」

 

 

そういうと、ウェールズはアンリエッタと唇を重ねた。

 

何かを言おうとしたが、唇が塞がれて喋れない。今まで言ってくれなかった言葉をウェールズの口から聞けた。それだけでも幸せなのに、キスまでときたのだ。

 

だから、アンリエッタにウェールズが魔法をかけた事に気がつかなかった。

 

ゆっくりと、少女は深い眠りの世界へと落ちていった。

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

「なぁ、アンタ」

 

 

ここはトリステインの首都に一番近い森の中。そこのとある場所に、アーデンとフーケは静かに待機していた。

 

ウェールズがアンリエッタを確保した後のルートは、すぐ目の前の街道である。時刻も深夜、恐らく今頃接触しているはずであろう。

 

しかし、ここにアーデンとフーケがいる事は誰も知らない。

 

そう、二人は勝手にここまできたのだ。

 

別に、クロムウェルに伝えようと思えば伝えられたはずだが、もしかしたら止められるかもしれない。

 

その不安が、今という状況に至る。

 

 

「何? どうかした?」

 

 

闇とほぼ同化した二人は、注意深く見ない限り気付きはしない。また、この時間帯に人が通るのも珍しい為、フーケは気にせずアーデンへと話しかけた。

 

 

「なんでまたこんなこそ泥みたいなことをするんだい?」

 

 

フーケはアーデンの行為が理解できなかった。

 

ウェールズの援護をするならば、それを伝えればいいではないか。謎の魔法を使う奴とトライアングルクラスのメイジ、作戦に組み込む材料としては充分過ぎる戦力である。

 

なのに二人は独自の判断で待ち構えている。

  

まるで自分達が手柄を独り占めしたいかのように。

 

アーデンはそんなフーケの思考を読み取り、小さく笑った。

 

 

「心配せずとも、俺が興味を持ってるのは『アイツ』だけなんでね」

 

「来るのかね·······あの瞬間移動を使う男は」

 

 

道中でも話題に上がった青年。瞬間移動能力で敵を翻弄し、圧倒的な剣技で二人の理想を見事打ち砕いた青年である。

 

 

「おそらく来るだろうねぇ。アイツはそういう奴だから」

 

「しっかしあたしたちはアイツに何度も負かされてるんだよ? 勝ち目はあるのかねぇ」  

 

「負けたのは君だけでしょ? 俺は別にまだ直接戦ってないし、負けたのはワルド子爵だよ?」

 

 

ぐっ! と。フーケは怒りを堪えた。

 

フーケは青年に何度も敗北している。フーケは巨大ゴーレム、アーデンはワルドのシガイ。己の代名詞とも呼べる魔法能力を用いても勝てなかったのだ。

 

だからといって、ウェールズ達があの青年に勝てるかと言ったらそれは違う。

 

確かにウェールズ達は不死身の能力を持ってはいるが、奴の前では手も足も出ないだろう。つまりは、十中八九負けるのであろう。そんな青年に、果たして自分達が再び挑んでも勝てるのだろうか?

 

もちろんフーケとて、挑む前から負けるとは思っていない。だが、アーデンがどのように反応するか若干気になったからだ。

 

 

「俺は困ったことに不死身だからねぇ。何度敗れてもまた挑戦するだけだよ」

 

 

すらりと言った。何も考えず、当然の答えであるかのようにアーデンは続ける。

 

 

「たとえ九十九回殺されたとしても、またもう一回挑めばいい、それだけのことさ」

 

 

いつアイツを倒すまで、ね。と笑みを浮かべながら付け加えた。

 

簡単な話であった。

 

勝つまで戦い続ける。単純ではあるがもっともな意見である。

 

たとえ向こうが魔法に対する無敵な防御を持つ剣を持っていたとしても、

 

たとえ向こうが瞬間移動して敵を翻弄する能力を持っていたとしても、

 

たとえ向こうがどれだけ傷つけても立ち上がる不屈な精神を持っていたとしても、

 

一人のメイジにそんな些細な事は関係なかった。いつか勝つ事を信じて何回でも立ち向かう、その覚悟を持つだけで十分であった。

 

 

「また敗れたとしてもまた挑戦する·······そういうの嫌いじゃないよ」

 

「嬉しいねぇ、そう言ってもらえて。素直に嬉しいよフーケちゃん」

 

 

そう言いながらアーデンはまたフーケよりも先に歩いていく。フーケは猜疑心を強めながらも、アーデンの後をついていった。

 

 

 

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