木賃宿のベッドの上で、二人は寄り添って座っていた。
ノクトの腕に包まれたアンリエッタはその心地よさにしばしの間眠ってしまったらしい。時間的にはまだ一時間くらいしか経っていないが、それでもアンリエッタは眠りすぎたと感じていた。
眠りが覚めたのは雨が小雨に変わり、外の空気が晴れたときのことだった。
「よく眠れたか?」
「え、あ·······も、申し訳ありません!」
「いいよこのぐらい。相当疲れてたんだろ」
ノクトは口角を上げて微笑みを浮かべ、アンリエッタを安心させる。何故だろう、この青年の笑顔を見ていると、全ての悩みがちっぽけに思えてしまうのだ。
まるで夜空のような印象を受ける。
夜空に浮かぶあまねく全ての星々を祝福するような笑顔に、アンリエッタの胸が熱くなるのを感じる。
「不甲斐ない所を見せてしまいましたね。でも、またあなたに助けられた」
「また?」
「そうです。あの夜わたくしが·······自分を抑えきれずに、操られていたウェールズさまと一緒行こうとした時、あなたは止めてくださいましたね」
「ああ」
「あなたはあの時わたくしにこうおっしゃいましたね。行こうとしているなら全力で止めてやる。加減もしないし、覚悟しておけよアンリエッタ姫、と」
「そ、そういや言ったな·······そんなこと」
さすがにあの時はやり過ぎたかもしれないと今になって思う。全力で止めなければいけないと思ったのは正解だと思う。だが、言い方がちょっと中二病っぽかったかな? と今更になって恥ずかしくなってきた。
「それでも愚かなわたくしは目が覚めませんでした。あなた方を殺そうとした。あなたはそのわたくしが放った愚かな竜巻さえも止めてくださいました」
アンリエッタは静かに目を瞑る。
「あの時·······実はほっとしたんです」
「ほっとした?」
「そうです。自分でも気付いていました、あれはわたくしが愛したウェールズさまではないと。ほんとは違うって。わたくしはきっと·······心の底では誰かに言って欲しかった。そして、そんな愚かなわたくしを誰かに止めて欲しかったに違いありません」
アンリエッタは冷たいため息を吐くと、隣にいるノクトの右手を握ってこう言ってきた。
「だからお願いしますわ使い魔さん·······いえ、ノクト。またわたくしが、何か愚かな行いをしそうになったら·······あなたの剣で止めていただけますか?」
「·······それはつまり、アンタを斬れってことか?」
「·······そうです」
アンリエッタは諦めたような声でそう言うと、ノクトは低い声でこう訊ねた。
「アンタ何様だよ」
「え?」
唐突なノクトのその言葉に、アンリエッタは固まってしまった。
青年は続ける。
「そんな弱気でどうするんだ? アンタはこの国を支える女王様のはずだろ。自分の意志でみんなを守るんだろ? アンタ言ってただろ、この国の人を守るって、あれは嘘だったのか?」
「·······」
「そんなわけねぇだろ。確かに若くして女王の座に就いたことに不満を持つ奴らは沢山いる。だけどそれがどうした? たった少しの不満声だけでアンタは折れるほど弱い心の持ち主だったのか? 俺達に宣言した通り、たとえ誰が死んだとしても、何かを失ったとしても、常に胸を張って生きていけ。それが、アンタが背負うべき罪と罰だ」
アンリエッタはその言葉を聞いて俯いてしまった。ノクトの言うことは最もだ。自分はこの国を支えるために女王になったはずだ。
それなのに、弱気になってどうする。
ウェールズに誓った約束を破ってどうする。
アンリエッタはノクトのその重い言葉に潰されそうになりながらも、前を向いて突き進むと改めて誓った。
「ありがとうございますノクト。あなたのおかげで少しは前に進めた気がします」
「なに、アンタが欲しがっていた言葉をくれてやっただけだ」
二人は笑い合う。
王族同士、共通点が多かった二人は互いを理解しあう。
そんな時だった。
ドンドンッ!! と。
扉が激しく叩かれた。そしてドアの向こう側から荒げた声が響いてくる。
「開けろ! このドアを開けるんだ! 王軍の巡邏のものだ! 犯罪者が逃げてな、順繰りに全ての宿を当たってるんだ。ここを開けろッ!!」
ノクトとアンリエッタは互いに顔を合わせる。おそらく、ドアの向こう側にいる奴らが捜しているのは犯罪者じゃない。
アンリエッタ姫だ。
姫が城から抜け出したと街中にバレればこの国は大混乱に陥るだろう。姫様が失踪した、なんて言葉聞いた市民は慌てふためくに違いない。
「おそらくわたくしを捜しておられるのでしょう」
「やり過ごすしかねぇな·······」
頷くアンリエッタだったが、ドアノブが乱暴にガチャガチャと響かせて、そしてまた怒鳴り声が聞こえてきた。
「開けろッ!! 非常時ゆえ無理矢理にでもこじ開けるぞッ!!」
宣言通り兵士は剣の柄か何かを使って、ドアノブを無理矢理壊そうとしてくるのが伝わってくる。
「こうなったら仕方ありませんわね」
するとアンリエッタは何かを決心したように、ルイズから借りた市民用の服のボタンをはだけだしていき、ノクトの方に向き直る。
「な、何する気だアン?」
「ごめんなさいノクト。こうするしか方法はないんですッ!!」
そう言ってアンリエッタはノクトの唇に自分の唇も押し付けた。重ねられたのは唇と唇。黒髪イケメンのノクトの唇を奪う妖艶なアンリエッタが全ての中心に立っていた。あまりにも激しいキスで、舌を絡ませて、アンリエッタは両腕をノクトの首元に回し、そのままアンリエッタはノクトをベッドに押し倒した。
そして次の瞬間には、アンリエッタは目を瞑り、熱い吐息と舌を、ノクトの口の中に無理矢理入り込ませた。
「~~~ッ!!!??」
意識が消えてしまいそうな、激しいキスをノクトに躊躇なく押し付ける。
「忠告はしたぞ! これより強引にでも開けさせてもらうッ!!」
アンリエッタがノクトを押し倒すのとほぼ同時に、兵士がドアノブを叩き壊し蹴破って侵入してきた。
そこで見たものとは。
「ん·······んちゅ、れろっ·······」
「んぅ~~~ッ!!!??」
男の体にのしかかり、激しく男の唇を吸っているような女の姿であった。女は兵士が入った来たことにも、注意を払わず夢中に男の唇を舐め回している。
白熱で情愛の吐息が、二つの唇の隙間から漏れ続けている。
兵士達はその光景を見て唖然としてしまっていた。一人の兵士が『すみませんでした』と言い、ドアを閉めて退出していった。
「·······ったく、こっちは雨の中捕りものだってのに。お楽しみとかふざけてんだろ·······羨ましい」
「ま、いいじゃねぇか。仕事終わったら一杯やろうぜ」
バタン! という音が聞こえ、扉の向こう側から兵士のバタバタという足音と共に階下へと消えていった。ドアノブを壊されたドアからは軋んだ音が聞こえてくる。
「·······ふぅ、なんとかやり過ごせましたね」
アンリエッタは唇を離してからそう言うが、目が少し潤んでいた。その今にも涙が一雫溢れそうな瞳でノクトのことを見つめる。
咄嗟に起こしたアンリエッタの行動に、ノクトは顔から火が出るくらいに赤くなっていた。口許を抑え赤面し、アンリエッタを見つめる。
二人とも上気した頬で互いを見つめ続ける。
「アンリエッタ姫·······」
アンリエッタは首を横に振り強い目で見つめて言った。
「アンとお呼びくださいと。そう申し上げたはずですわ」
「いや、けど·······んんぅ!?」
反論しようとしたらまたアンリエッタはノクトの唇に自身の唇を押し付ける。今度は優しく、情が籠った口づけだった。ノクトは激しく動揺したまま、アンリエッタの唇が自分の形をなぞるのに任せていた。
するとアンリエッタは唐突にこんな質問をしてきた。
「恋人は·······いらっしゃるの?」
熱い吐息と共に吐かれたその言葉に、ノクトは一瞬言葉を失う。だがすぐに正気を取り戻し、首を横にブンブン振って否定する。
「·······いや、いねぇけど·······」
「·······」
そう答えるとアンリエッタはどういうつもりなのか、ノクトの耳たぶをかんだ。
「ならば、恋人のように扱ってくださいまし」
「はあ!? なんで!?」
「今宵だけでよいのです。本当に恋人になってほしいと申し上げてるというわけではありません。ただ·······今だけは抱きしめて、口づけをくださいまし·······」
ノクトは混乱していた。
何故一国の姫に対し、自分の唇を授けなければならないのか、と。それだけじゃない、アンリエッタはルイズの幼馴染みだ。そんな幼馴染み相手に抱いてしまえば、ルイズからは爆裂魔法を喰らわされる。
しかし、アンリエッタは目を逸らさない。
真剣にノクトを見つめると、またノクトを押し倒すようにして上に跨がった来た。
「な、何を!?」
「どうか、わたくしに口づけを」
ノクトは思わずアンリエッタのその美貌と魅力に溺れそうになった。そしてまた近付いてくる彼女の唇。
彼は数瞬ボーッとしてしまったが、すぐさま切り替えてアンリエッタの両肩を掴むと、迫り来る彼女の行動を強制的にやめさせる。そして、彼女の髪を撫でこう言った。
「俺はこの世界ではただの平民だ。王族のアンタとは吊り合わない!!」
「存じております」
「なら尚更、なんでいきなりそんなことを言い出すんだよ!?」
アンリエッタは目を瞑り、ノクトの胸に頬を寄せた。するとアンリエッタは、ノクトの鼓動音に安心しながら吐露するように呟く。
「·······はしたない女などと、お思いにならないでね。女王などと呼ばれても、わたくしも一人の人間、女でございます。誰かの温もりが恋しい夜もありますわ」
「·······」
それからしばらくの間、アンリエッタはノクトの胸に頬を押し付けていた。都で一番安いんじゃないかという宿で、国一番の高貴な人が自分の腕の中で子供のように震えている。
ノクトは真剣に、アンリエッタにこう話しかけた。
「なあ·······アン」
「なんでしょうノクト?」
「そろそろ教えてくれ、一体どうしてここまでしているのか。姿までくらまして、衛兵達は全力を尽くしてアンタを捜している。そして、アンタは身を隠すために体まで張っている。何が目的なんだ?」
「そうね、そろそろ教えなければなりませんね」
アンリエッタは威厳を取り戻し、いつもの調子で背筋を伸ばしてノクトの目を見て言った。
「きつね狩りをしております」
「きつね狩り?」
「ええ、きつねは利口な動物だということはご存知? 犬をけしかけても、勢子が追いかけても、容易には尻尾を掴ませません·······ですから罠を仕掛けましたの」
「罠、か。つまりそれで、そのきつねをおびき寄せるエサというのが──────」
「えぇ、わたくしです。おそらく明日になれば、きつねも巣穴から出てくるはずですわ」
ノクトは顎に手を当ててそのきつね·······つまりは『内通者』をおびき寄せるためにアンリエッタ自らが囮になるという作戦なのだろう。
街中も大騒ぎだろう。
姫が失踪した、姫の姿が消えたという噂が流れれば国は大混乱に陥る。故にそれを狙って姫は今日明日一日姿をくらますことにした。
「そのきつね·······いや、『内通者』はどこの国の奴なんだ? もうすでに目星はついてんだろ?」
「“アルビオン”です」
△▼△▼△▼△
「で、事情って何よ?」
アニエスとルイズは馬に跨がったまま、リッシュモンの家のそばの路地に息を殺して身を潜めていた。雨は小雨に変わったものの、濡れたままの服であるので、しかも薄着だからか寒気がする。アニエスはそんなルイズに自分が着ていたマントを羽織らせた。
事情が聞きたいルイズは再度アニエスに訊ねる。
「ねえ、事情って?」
「·······ネズミ捕りだ」
「·······ネズミ捕り?」
「ああ、王国の穀倉を荒らすばかりか·······主人の喉笛をかみ切ろうとする不遜なネズミを狩っている最中なのだ」
ねずみ捕り、それは内通者を捕まえる際に使う言葉だ。つまりトリステイン内部に裏切り者がいるということだ。かつてのワルドがそうだったように、現在この国は内乱が起きてしまう寸前まで来ているのだ。
無視できないその言葉に、ルイズはさらに訊ねる。
「もっと詳しく教えて」
「今はこれ以上説明する暇はない·······来たぞッ!!」
リッシュモン邸の扉が開き、十二、十三歳ほどの赤いほっぺの少年が出てきた。
カンテラを掲げ、きょろきょろと辺りを見回したあと、再び引っ込み馬をひいて現れた。小姓は緊張した様子で馬に飛び乗って、カンテラを持ったまま走り出した。
アニエスはうっすらと笑う。
そしてアニエスはカンテラを持ったままの小姓のあとを追い始めた。
「なにごと?」
「任務の開始だ」
アニエスは短く伝える。
真夜中の中を小姓を乗せた馬が駆け出していく。主人に厳しく言われたのだろうか、彼の表情からは焦燥の色が見えた気がした。少年はただただ馬にしがみつき、見回す余裕もなくただ真っ直ぐ走っている。
アニエスはつかず離れずの距離をとり、少年の後を追う。小姓は高級住宅街を抜けいかがわしい繁華街へと馬を走らせていく。
辺りには女王陛下を捜す衛兵、酔っぱらいでハイテンションになっているもの、様々な人で溢れかえっていた。
小姓はチクトンネ街を抜け、さらに奥まった路地へ馬と共に消えていった。それを確認したアニエスは厩に馬を預け、小姓がどこぞの宿に入ったことがわかると、アニエスとルイズもその宿へと向かった。
「一体何がどうなってるのよ」
アニエスは一々後ろからの質問に答えるつもりはない。最優先事項は任務の遂行。たとえ陛下の親友であろうとも、任務が優先のため対応は冷たい。
宿に入り、中にいる人混みを掻き分けて進んでいくと、二階へと続く階段にあの小姓が登っていくのが見えた。
階段の踊り場から、アニエスは小姓が入っていった扉の奥を確認する。
しばらくそこで二人は待ち人となってしまったが、アニエスが囁き声で彼女に耳打ちする。
「マントを返してくれ。酒場女のように、私にしなだれかかれ」
「わ、わかったわ」
アニエスの言う通りにマントを返すと、情人といちゃつく騎士の姿が出来上がった。酒場の喧騒によく似合う二人は周囲に溶け込み、誰がどこにいるのかわからない状態になった。
「似合うな」
アニエスは女性だが、どこか男らしさがあって何故か一緒にいると安心する。声も女性なのに髪も短いし、低い声色だからか男性と言われても不思議ではない見た目をしている。
すると、小姓がすぐに部屋を出てきた。
それを確認したアニエスはルイズの腰に手を回し、一言謝ってから、
「すまない、これも任務なのでな」
「え? ·······んむぅっ!?」
アニエスに引き寄せられたルイズはあっという間に唇を奪われ、じたばたと暴れまくる。しかし、さすがは騎士なだけあってアニエスの方が力が強いのか引き剥がせなかった。
その間、部屋から出てきた小姓は唇を合わせるアニエスとルイズをチラッと一瞥すると、何の問題もなさそうに素通りしていった。よくある酒場での風景。そう思った少年はそのまま宿を後にした。
それを確認したアニエスはようやくルイズから唇を離し、そしてルイズは赤面しながら怒号を上げる。
「い、いきなりなにすんのよ!!」
その怒鳴り声すらもアニエスは気にしてないのか、人差し指でしっ! と口に当てて静かにするように命令する。
「静かにしろ。心配しなくても私にそんな趣味はない。任務のためにやっただけだ。許してくれ」
「こっちだってそうよ全くもうッ!!」
怒鳴るのも疲れてきたルイズは先程出ていった小姓は追わないのか訊ねる。
「さっきのアイツは? 追わなくていいの?」
「ああ、アイツは何も知らないだろう。ただ手紙を届けに来ただけに過ぎない」
そう言ってアニエスは先程の小姓が入っていった部屋まで足音をたてずに忍び足で扉の前まで来ると、ルイズに小声で命令した。
「この扉を吹き飛ばせぬか?」
「吹き飛ばすの? 随分と荒っぽいことするのね」
「鍵がかかっている。やむを得ん。ドアノブをガチャガチャしている間に逃げられる。短期決戦で部屋の中にいる奴を取り押さえる」
「·······わかったわ」
ルイズは太もものベルトに差した杖を引き抜くと呼吸に全集中し、『虚無』の魔法を唱えると、杖をドアの方へと振り下ろした。
エクスプロージョン。
ドアが爆発し、部屋の扉が中へと吹き飛ばされる。何事かと部屋の中にいる人物がベッドから起き上がる前に、アニエスが駆け出してその人物の喉元に剣を突き付ける。
「動くな!」
アニエスは剣を突き付けたまま、腰につけた捕縛用の縄を掴み、鉄の輪のついたそれで男の手首を縛り上げた。猿轡を噛ませると、それと同時に他の客達が何事かと思い部屋に集まってくる。
アニエスは冷静に大声で言った。
「騒ぐな! 指名手配中の男を捕縛しただけだ!!」
宿の客達はとばっちりを受けるのを恐れそのまま退散していく。
アニエスは先程の小姓から受け取ったであろう手紙の封を開けると、一枚ずつ目を通して一文字も残さず頭の中に叩き込んでいく。
するとルイズがこの男は何者なのかアニエスに訊ねる。
「こいつは? 一体何者なの?」
「アルビオンのネズミだ。商人のようななりをしてトリスタニアに潜み、アルビオンへと情報を運んでいたのだ」
「ってことはこいつが敵の間諜なのね! 凄いじゃない! お手柄だわ!!」
とルイズがジャンプしながら喜んでいるものの、アニエスは首を横に振る。
「いや、まだ終わってない」
「え? なんで?」
「親ネズミが残っている」
アニエスは手紙を見つけたあと、机の中や、男のポケットなどを洗いざらい確かめ、一枚ずつゆっくり目を通した。
すると、あることがわかった。
「なるほど·······貴様らは劇場で接触していたのだな。先程貴様の元に届いた手紙には、明日例の場所で、と書かれている。例の場所とは、この見取り図の劇場に間違いはないか? どうだ?」
「·······」
猿轡を噛ませられてるため声は出せないが、頷くか首を横に振るかくらいは出きるだろう、とアニエスが言っても、商人風の男は目を逸らして答えるつもりはないらしい。
「答えぬか·······貴族の誇りか、素晴らしいことだな」
だが、と言うとアニエスは腰から剣を引き抜いて冷たい笑みを浮かべると、容赦なく男の足の甲に剣を突き立てて床に縫い付けた。
「ん~~~ッ!!!!!??」
あまりの痛さに悶絶する商人風の間諜に、アニエスは容赦はしない。
彼女は腰のベルトから拳銃を引き抜き、ガチリという撃鉄を起こす音がなり、額に銃口を突き付ける。
「五秒やる、選べ。生か、誇りか」
△▼△▼△▼△
翌日。
中央広場。
サン・レミ聖堂の鐘が十一時だという時間帯を知らせる。
タニアリージュ・ロワイヤル座の前に、一台の馬車が止まった。中から降りてきたのはリッシュモンである。彼は冷静に、静かに馬車から降りると深いため息をつく。
御者台に立った小姓が駆け寄って鞄をお持ちしようとしたところ、
「良い、馬車で待っておれ」
リッシュモンは首を横に振ると、そのまま舞台の出入り口まで登っていく。チケット売場の男性はリッシュモンの顔を確認しただけで、どうぞとチケットを無償で渡した。芝居の検閲もその一職務の高等法院長の彼にとって、もはやここは別荘のようなものであった。
今日の客席は少ない。
おそらく、演技がひどすぎるというのが話題となって観る者達が少なくなったのだろう。出来れば多く入ってくれた方が密談しやすくて助かるのだがそうも言ってられない。
リッシュモンは彼専用の席に腰かけると幕が上がるのを待つ。
△▼△▼△▼△
そして劇場前、リッシュモン以外の者達が舞台前に集まっていた。
いるのはルイズ、アンリエッタ、アニエス、そしてノクティス。
ルイズとアニエス組とノクトとアンリエッタ組は合流すると、ルイズは一番乗りでアンリエッタがご無事だったことに喜び抱きついてきた。
「心配しましたわ姫様、一体今までどこに消えておられていたのです?」
「優しい使い魔さんをお借りして、街に隠れておりました。黙っていたことは許してちょうだい。あなたには秘密で動かなければならない任務だったのです。でもアニエスとあなたが行動を共にしているとは驚きました。やはりあなたはわたくしの一番のお友達、どこにいても駆けつけてくださるのですね」
そしてアニエスの方を見たアンリエッタは、彼女の方に近付き右頬に手を置いて褒めた。
「よくぞ任務を全うしてくれました。あなたには感謝しかありませんわ」
「勿体なきお言葉でございます陛下」
「それで、準備の方は?」
「用意万端、整いましてございます」
「ありがとうございます。あなたは本当によくしてくださいました」
そして最後にやってきた観客は、マンティコア隊を中核とする魔法衛士隊であった。獅子の頭に蛇の尻尾を持つ幻獣に跨がった隊長はその場にいた全員を見て目を丸くした。
「おや!? これは一体どういうことだアニエス殿!? 貴殿の報告により駆けつけてみれば陛下までおられるではないかッ!?」
慌てた調子でマンティコアから飛び降りると、すぐさまアンリエッタの前へと向かい片膝をつき、一礼して語り出す。
「ご無事で何よりです陛下。して、一体どこにおられたのです? 皆心配しておられましたよ?」
魔法衛士隊達が勢揃いなのでそろそろ顔を隠さなければならないと感じ取ったアンリエッタはフードを目深く被ると、マンティコアの隊長にこう言った。
「その話しはあとでゆっくりと致します。その前にまず、貴女方にはやってもらいたいことがあるのです」
「なんなりと」
「貴下の隊で、このタニアリージュ・ロワイヤル座を包囲してください。蟻一匹も逃がしてはなりませんよ」
「御意」
「それでは、わたくしは参ります」
「おとも致します姫様」
ルイズが一歩前に出てそう言うが、アンリエッタは首を横に振ってそれを許さなかった。
「あなたはここでお待ちなさい。わたくしにはわたくしにしか出来ない·······戦いがあるのです」
「で、ですが·······」
「命令です。ルイズ、どうかお願い致します」
「ッ!!」
毅然と言われて、ルイズは渋々首を縦に振る。そうして、アンリエッタはただ一人、劇場内へと向かってあるいていった。アニエスはアニエスで役目かあるのか馬に跨がりどこかへ行ってしまった。
そして。
残されたのはノクトとルイズ。
ルイズは真剣な眼差しでアンリエッタを見送るノクトの袖を引っ張って聞く。
「ねえ、ノクト?」
「なんだよ?」
「一体何がどうなってるの?」
「きつね狩りするとかなんとか」
「私はネズミ捕りをするって言われたわ」
「似たような言葉だな。一体誰を誘き出そうとしてるんだ?」
ノクトとルイズは二人揃って首を傾げるも、それ以上の情報は言われてないからわからない。
すると唐突に、ルイズがノクトに近付いて鼻をくんくんと鳴らして険悪な表情へと変わっていった。
「おいなにやってんだよ!? 人の匂いを嗅ぐとかセクハラだぞ!?」
「·······ノクトォ?」
ルイズは何故か絶対零度な感じの冷たさでノクトを見る。口は笑っているが、目は笑っていない。その表情を見てビクッとしたノクトは思わず一歩下がる。
ルイズは言う。
「なんで·······アンタから姫様の香水の匂いがすんのよ?」
「·······え?」
「アンタまさか·······姫様に変なことを─────」
「バカ、するわけねぇだろッ!!」
「·······ホントかしら」
「ほら、さっきエスコートした時についたんだろ?」
「そう? じゃあ確かめさせて」
「え?」
有無を言わさずルイズはノクトの左耳を引っ張り自分の鼻を近付ける。『いででででッ!?』というノクトの声を無視し、身体の隅々まで匂いを嗅いでいく。
「エスコートした時についたって言ったわね?」
「そうだよ·······そん時についたんだろッ!!」
「へぇ~·······じゃあなんで首もとまで姫様の香りがするのかしら? エスコートして首まで匂いが移る香水でも売ってるの? どんな香水よ!!」
「いや、それは·······ちょ、ちょっと恋人のフリをしなくちゃいけない時があって、たぶんそれで────」
「恋人~?」
ルイズは黒いオーラを纏いながらノクトの左耳を引っ張る力を強める。
「ちょっ!? 痛い痛い痛いッ!! 何すんだよルイズッ!?」
「アンタの身体に直接聞くのよ·······覚悟しておいてねノクト」
「なんだそれ、俺は本当になにもしてねぇっつうのッ!!」
ノクトの叫びも虚しく、ルイズは左耳を引っ張りながら路地へと向かい、そこからノクトの絶叫が響いた。