劇場の幕が上がった。
女向けの内容なので、観客は若い女性ばかりできゃあきゃあと黄色い歓声が響いてくる。
舞台ではルイズとノクトが初めて見た、『トリスタニアの休日』である。
リッシュモンは眉をひそめた。役者が笑う度、見得を切る度、観客が騒ぐ度に彼のこめかみがビキビキと音を立てる。無遠慮な観客達の声援が耳障りなのではない。
約束の刻限になっても、待ち人が来ないのが気掛かりなのであった。彼の頭の中では、質問したい内容がいくつも思い浮かび、思考を真っ黒に染めていく。
今回の女王の失踪は、自分を通さずに行ったアルビオンの陰謀なのか。もしそうならその理由は? そうでないのなら、早急にトリスタニアに内在する第三の勢力を疑わねばならない。
どちらにせよ、面倒なことになったと、リッシュモンは貧乏ゆすりをしながらひどい芝居を見て、待ち人を待つ。
そんな時だった。
自分の隣に、深くフードを被った女性が座ってきた。最初横目で見た時は待ち人かと思ったが違った。
席を間違えたのだろうか。いずれにしてもそこはリッシュモンが密談するために用意した席だ。これだから若い女は、常識がなってなくて困る、と。リッシュモンは深いため息をついた。
リッシュモンは小声で
「マドモワゼル、そこは私の連れが座る場所なので、他所にお座りください」
「·······」
そう言われても女は立ち上がろうとしない。そこは指定席なのだと言ったのに立ち上がらないとは一体どういう教育を受けてるんだ、とリッシュモンは苦々しげに顔を横に向けると、
「聞こえませんでしたかな? マドモワゼル?」
「観劇のお供をさせてくださいまし·······リッシュモン殿」
「ッ!?」
リッシュモンの方に振り返ったフードを深く被った女は、フードの中にあるその顔を見せつける。そして、リッシュモンは目を丸くした。それは失踪したはずの、アンリエッタ女王陛下その人だったからだ。
アンリエッタは真っ直ぐ舞台を見ながら告げる。
「これは女が見る芝居ですわ、ご覧になって楽しいかしら?」
リッシュモンは一瞬動悸が早まったがすぐに落ち着きを取り戻し、次の瞬間には表情は真顔に戻っていた。
座席に深く腰かけ、アンリエッタと同じように舞台を見ながら言う。
「つまらない芝居に目を通すのも仕事の一つですから。そんなことより陛下、お隠れになったという噂をお耳にしましたが·······ご無事で何よりでございます」
「·······劇場での接触とは、考えましたね。あなたは高等法院長。芝居の検閲も職務のうち、誰もあなたが劇場にいても不思議に思いませんわ」
「左様で。しかし接触とは穏やかではありませんな·······私が愛人とここで密会しているとでも?」
リッシュモンは何かに余裕を持っているのか、笑みを崩すことはなかった。それを見てアンリエッタはむしろ獲物を狩る鋭い目付きでリッシュモンを見る。
「あなたの言うお連れの方なら、いくら待っても来ませんわ。チケットを改めさせて頂きましたの。偽造のチケットで観劇など、法にもとる行為。是非とも法院で裁いていただきたいわ」
「ほう·······いつからチケット売場は王室の管轄になったのですかな?」
言葉での睨み合い。
二人は舞台の茶番劇を見ながら会話を進めていたが、アンリエッタが緊張の糸から切れたようにため息をついた。
「さあ、お互い戯言はもうよしましょう。あなたと今日接触する予定だったアルビオンの密使は昨夜逮捕しました。彼はまだ聞きもしないことをペラペラと喋り、今頃はチェルノボーグの監獄です」
これで茶番劇は終わりだと言うかのように、アンリエッタは一気にリッシュモンを追い詰めた。だというのに、その全てを知りながらもリッシュモンは余裕の笑みを崩さず、むしろ不敵に嗤い始める。
「ほほう! お姿をお隠しになられたのは、この私をいぶりだすための作戦だったわけですな!」
「その通りです。高等法院長」
「私は陛下の手のひらの上で踊らされていたというわけか!!」
「わたくしにとっても不本意ですが·······その通りですわ」
リッシュモンは邪気の籠った嗤いを見せつけ、アンリエッタの心を不快にさせる。そのちっとも悪びれない自信は一体どこから来るのやら、姫はリッシュモンに低い声で告げる。
「わたくしが失踪すれば、あなたは慌てて密使と接触するのではと思いました。『女王が自分達以外の第三者の手によって拐かされる』などと、あなた達にとってこれ以上の事件はありませんからね。慌てれば、慎重さは欠けますわ。注意深いきつねも、その尻尾を見せてしまう」
「·······さて、いつからお疑いになられた」
「確信はありませんでした。あなたも、大勢いる容疑者のうちの一人でした。でも、わたくしに注進してくれたものがおりますの。あの夜、手引きした犯人はあなただと」
アンリエッタは本当はリッシュモンを信じていた。幼い頃から面倒を見てきてくれた彼が容疑者のはずではない、と。
しかし、もう情報は得ている。その情報は確かなもので、確実に容疑者はリッシュモンだと確信を得た。よって、アンリエッタはまるで失望したかのように悲しい声で言う。
「信じたくなかった。あなたがこんな·······王国の権威と品位を守るべき高等法院長が、このような売国の陰謀に荷担するだなんて。幼い頃からわたくしのことを可愛がっておられたあなたが·······わたくしを敵に売る手引きをするとは」
「·······陛下は私にとって、未だになにも知らぬ少女なのです。そのように無知な少女が玉座を抱くぐらいなら、アルビオンの手に落ちてしまったほうがまだマシというもの」
「私を可愛がってくれたあなたは嘘なのですか? あなたは優しいお方でした。あの時の·······いえ、全てが偽りだったというのですか?」
「主君の娘に愛想を売らぬ家臣はおりますまい。そんなこともわからぬのか。だからあなたはまだ無知な子供なのだというのですよ」
アンリエッタは深く失望した。リッシュモンにではない、見抜けなかった自分にだ。リッシュモンは元からアンリエッタに忠誠を誓っていたわけではない。出世するために愛想よくして、騙していただけなのだ。
そんなことも見抜けなかった自分は、リッシュモンの言う通り子供と呼ばれても仕方ないのかもしれない。
だが。
今は違う。
自分は誓ったはずだ。
この国を、民を、必ず守ってみせると。
アンリエッタは真実を見抜く目で睨みつけ、告げる。
「リッシュモン、あなたを女王の名において罷免します。高等法院長、大人しく逮捕されなさい」
「·······」
毅然とした態度で言ったというのに、リッシュモンはまるで動じない。むしろ、舞台の方に視線を向け、深いため息をついて息を整える。
そして、姫に対して小馬鹿にするような態度で言う。
「野暮を申されるな。まだ芝居は続いておりますぞ。始まったばかりではありませんか。中座するなど、役者に失礼というもの」
「外はもう魔法衛士隊達によって包囲されています。さあ、茶番劇はもうやめて貴族らしく潔く杖を渡してください」
アンリエッタが立ち、水晶のついた杖をリッシュモンに向けると、リッシュモンは呆れたように目を細める。
「小娘がいきがりおって·······誰を逮捕するって?」
「·······どういう意味でしょう」
「
リッシュモンも立ち上がり指をパチン! と劇場内に響かせると、今まで舞台の上で芝居を演じていた役者達が、懐に隠していた杖を引き抜いてアンリエッタめがけて突きつける。
急な展開に、客達は騒然として悲鳴を上げている。
リッシュモンはそんな不快なノイズに苛立ち、大声を響かせる。
「黙れッ!! 芝居は黙って見ろ!!」
劇場内に響かせるその怒号こそ、まさに彼の本性。リッシュモンはアンリエッタに告げる。
「陛下自ら来られたのが、ご不幸でしたな」
「·······」
アンリエッタは目を鋭くしながらも、杖を構え続ける。そんな彼女の手をリッシュモンは握り締め、アンリエッタに悪寒が走る。
「私の脚本はこうです陛下。あなたを人質にとり、アルビオン行きの船を手配してもらう。あなたの身柄を手柄に、アルビオンへと亡命。大団円ですよ」
「·······なるほど。この芝居、脚本はあなた、舞台はトリステイン、役者はアルビオン、っと」
「そう、そしてヒロインはあなた。さて、杖を納めていただきましょうか陛下。一緒にアルビオンへと来ていただきましょう」
その言葉にアンリエッタは似合わない不敵な笑みを浮かべた。陛下らしからぬその笑みにリッシュモンは思わず引いてしまう。
「何がおかしい? 逆に追い詰められて気でも狂ったか?」
「いいえ、わたくしは至って正常ですわ高等法院長殿。ただ、ひどい脚本がおかしいと思っただけですわ」
そう言うと、今まで怯えきっていたはずの客達の声が静になり、
「ひどい舞台には終演を」
その言葉に観客達は一斉に拳銃を取り出し、アンリエッタに杖を向けていた役者達目掛けて銃を発砲した。
リッシュモン配下のメイジ達はその雷鳴のような銃声を聞こえた頃には既に遅く、急所を狙って打たれた弾丸は骨を砕き胸の中へとめり込ませる。
拳銃から放たれた弾丸によって発生した黒煙の中、舞台が次第に晴れていくと、役者に扮したアルビオンのメイジ達は各々全員が弾を喰らい、呪文を唱える間もなく絶命した。
劇場の客全員が、アンリエッタが用意した最優秀な役者達だった。わざと悲鳴を上げ、リッシュモン率いるアルビオンのメイジを油断させる作戦は上手くいった。
なるほど、とリッシュモンは思った。リッシュモンが気づかないのも無理はない。全員が平民で構成され、しかも女性ばかりだったから油断していた。
アンリエッタは杖を向けたまま、リッシュモンに告げる。
「さあ、カーテンコールですわ。リッシュモン殿」
「·······フフッ」
アンリエッタのその言葉を聞いて、リッシュモンは高らかに嗤った。
「フハハハハハハハハハハハハッ!!」
銃士達は一斉に短剣を引き抜き、いつでもリッシュモンを捕まえられる準備をする。その光景を見ていたリッシュモンは高笑いを続けながら、突きつけられたアンリエッタの杖さえも臆すこともなく、彼は舞台の上に上がっていった。
「往生際が悪いですよ、リッシュモン」
「········ご成長を嬉しく思いますよアンリエッタ女王陛下。これほどまでに感動させるほどの脚本を描いていたとは·······フハハッ! 実に素晴らしい!!」
リッシュモンは大仰な身振りで周りを囲む銃士隊達を見つめた。
そして最後に、アンリエッタを見つめると、
「陛下·······陛下がお生まれる前から仕えていた私からの最後の助言です」
「·······おっしゃい·······」
「昔からそうでしたが陛下は─────」
そう言うとリッシュモンは舞台の一角に立つと、右足で力強くドン! と叩きつける。するとリッシュモンが立っている部分の床がパカッと開いた。
「─────詰めが甘い」
落とし穴の要領でその場から姿を消したリッシュモン。慌てて銃士隊達が駆け寄ってその床を叩いてみるもびくともしない。引っ張っても押しても動かなかった。どうやら魔法がかけられている仕掛けなのだろう。平民の彼女達ではどうにもできない。
アンリエッタは悔しそうに爪を噛んだ後、顔を上げ大声で怒鳴った。
「出口とお思しき場所を探して! 早くッ!!」
△▼△▼△▼△
穴は地下の下水道へと続いていた。
いざという時のために造らせておいた抜け道である。
そして、魔法を使って杖先に明かりをつけたところで、足元を照らしながら自分の屋敷へと向かう。この通路は屋敷に続いている。そこさえつけばどうとでもなる。大金を手にしてアルビオンへと亡命すればいい。今頃彼女らは自分が近くにある出口から出てくると思って劇場近辺を探し続けているところだろう。
「やはり、詰めが甘いな·······陛下」
亡命した後の事を考えながらリッシュモンは地下通路を進んでいく。
そんな時だった。
明かりの中に人影のようなものが映った。
「ッ!?」
リッシュモンは一瞬後退る。
ぼぅっと、暗がりの中で浮かび上がってきたその顔は·······赤紙の中折れ帽子を被った男だった。
「何者だ!?」
「おやおや、随分と変わった帰り道をお使いですねぇ、リッシュモン殿?」
「何者だと聞いている!!」
「·······『レコン・キスタ』幹部、アーデン・イズニア。あ、これは偽名だから別に名前は覚える必要はないよ」
レコン・キスタ。
アルビオンの王族を倒して国を奪い取ったという組織の名。それを知っていたリッシュモンは口角を上げる。
「レコン・キスタだと? ならば丁度よかった、私をアルビオンへ連れていってくれ。もうこの国には愛想が尽きたんだ!!」
そう言うと、アーデンは踊るような歩き方で近付いてきてこう言った。
「言ったでしょ?
瞬間、リッシュモンの腹の中が熱く燃えるような感触が伝わってきた。
「·······え?」
リッシュモンの口から溢れたのは魔法の呪文ではなく、赤い鮮血だった。アーデンは剣の柄すらもめり込ませるほどの剣をリッシュモンに突き立てていた。
「な、なん、で·······?」
「なんでって? 必要ないからだよ、あんなまだ幼いお姫様にバレるような奴がアルビオンにまで来られちゃ足手まといにしかならない、と閣下はお考えでね·······ってあれ? 死んじゃった?」
物言わぬ死体となったリッシュモンを、アーデンは下水道に蹴り飛ばした。そのままリッシュモンの身体は下水道に流れていき、チクトンネ街の排水溝へと流れ出るはずだ。
アーデンは鼻唄を歌いながらその場を去ろうとした·······その時だった。
カンテラを持った女騎士のアニエスがその一部始終を見ていて、レコン・キスタ幹部と名乗ったアーデンに向けて剣を構えていた。
「貴様·······何者だ」
「·······」
アーデンは何も答えない。そのままアニエスの横を素通りするように平然と歩くが、アニエスがそうはさせまいと、首もとに剣先を向けて尋問する。
「答えろ! 貴様は何者だ!?」
「········面倒だなぁ、さっさとやっちゃえまえばいいのに」
するとその瞬間、アーデンはアニエスの刃を自分の首に押し込んだ。
アーデンは嗤っていた。
「な!?」
アニエスは驚いた声をあげてしまう。血は吹き出しこそしないものの、とめどなくそれは切れた場所から赤黒く流れていた。
「ほら、敵が目の前にいるんだよ? さっさとやればいいじゃない」
「ッ!!」
アニエスは手が震えていた。定まらない剣先の中、目の前にいる男がただの人間ではないことに気付いたのだ。
化物。
そういう風に見えたアニエスはアーデンのその予測不可能な行動に恐怖を覚えた。アニエスの切羽詰まった様子を見て、アーデンは小さく嗤った。
嗤いながらこう言った。
「利口だね。そう、そうやって見送ればいいのさ、自分よりも上の存在には戦いを挑まない方が長生きするってもんだよ?」
アニエスは動けなかった。
圧倒的に邪悪な存在を前にして、生存本能が働いて動くことを許さなかったのだ。
アーデンはそのまま素通りし、アニエスの足がようやく動けるようになって振り返っても、既にアーデンはどこかへ去ってしまった。
△▼△▼△▼△
三日後。
ノクトは『魅惑の妖精』亭にて皿洗いをしていた。少し顔面に青痣が出来ているような気もするがきっと気のせいだ。
そんなノクトの背中に料理を運んでいるルイズの肩がぶつかる。
「おい、気を付けろよ」
「あ?」
「·······」
ルイズにぎろりと睨まれたノクトは、まだ気にしてんのかよとため息をつく。
三日前、ルイズに尋問という罰を受けて以来まともに口をきいてくれない。ノクトは結局ルイズにとっちめられて、アンリエッタと共に木賃宿で隠れてそこで起きたことを話してしまったのである。(ただしキスのことは除く)
アンリエッタと一緒に宿で寝泊まりしたというだけで不機嫌になるのだから、もしも女王陛下と口づけをしたなんて話したら大変なことになる。ルイズは独占欲が強く、使い魔であるノクトが他の女に目移りするだけで爆裂魔法を放ってくるのだから、ましてやそれが敬愛しているアンリエッタ姫となんてなおさらヤバい展開になるに違いない。
ノクトはとにかくルイズに機嫌をよくしてほしいらしく、警戒しながらルイズに訊ねる。
「いつまで怒ってんだよ」
「怒ってないわよ」
「何度も言ったけど、俺はアンリエッタとはなにもしてねぇぞ。確かに衛兵に見つかりそうになったから抱き合って気まずそうな雰囲気を作ったりしたけどさ」
「·······アンタそれ以上のことはしてないでしょうね?」
「それ以上のことってなんだよ、
嘘は言っていない。
ノクトはただアンリエッタに迫られただけである。だから、自分からはなにもしていない。故にキスされたことは説明しなくても問題ないのである。
なんか端から見たら恋人の痴話喧嘩だが、幸か不幸か両者共に全く自覚がなかった。ノクトはただルイズが独占欲が強くて嫉妬していると思っている。
「·······本当かしら·······」
ルイズはルイズで、己の気持ちを認めようとはしない。険悪なムードが漂っている中、羽扉が開かれ、フードを深く被った二人が来客した。
「いらっしゃいませ」
ルイズが注文を取りに行くと、客はフードから顔を出した。
「アニエス!?」
共に任務を全うしたアニエスが来客したことに驚いたルイズは思わず銀のトレイを落としてしまう。ルイズは慌ててトレイを拾うと営業スマイルでアニエスともう一人を迎える。
するとアニエスは囁き声でルイズに言う。
「二階に部屋を用意してくれ」
「あなたがいるってことは·······もう一人の方は」
もう一人フードを深く被った者は人差し指を伸ばし口許に当てて静にするようにジェスチャーする。
ルイズは頷き、店長であるスカロンに部屋を借りるように話しに行き、許可を頂いて二人を部屋へと案内した。
△▼△▼△▼△
アニエスと共にやってきたもう一人のフードを被った者は案の定アンリエッタだった。彼女は一目につかないことを確認するとフードを脱ぐ。
「さてと、ルイズ········まずはあなたに感謝を」
アンリエッタはテーブルに座っている面々を見回して言った。
アニエス、ルイズ、ノクト。
ノクトは何故か顔に青痣が出来ていたが、一先ず気にしないことにし、今回の件についての話題に触れる。
「ルイズ、あなたが集めてくれた情報は役に立ちましたわ」
「あ、あんなのでよろしかったのでしょうか?」
政治関係の情報を調べてほしいとお願いされたが、手に入れたのは街で出回っているような噂話ばかりで、あとは市民達の意見や批判など、姫様に対する不満声ばかりであった。
嘘偽りなく全ての情報を伝書フクロウを通じて姫様にお届けした。
アンリエッタは首を縦に振って答える。
「あなたはなんの色もつけずにわたくしのところまで情報を届けてくださいました。耳に痛い言葉ばかりでしたが、わたくしが欲しかったのはそういった真実の言葉なのです」
「·······姫様·······」
「未だわたくしは若輩の身、きちんと批判を受け止め、今後の糧としなければなりませんからね。あなたはよくやりましたわルイズ」
「勿体なきお言葉です姫様」
ルイズは頭を下げて感謝を告げる。
「さてもう一つ、今度はお詫びを申さなければなりませんわね。なんの事情も説明せずにあなたの使い魔を借りてしまって、申し訳ありませんでしたわ」
「そうですわ、私だけのけものだなんで、ひどいですわ」
「あなたにはあまりさせたくなかったのです。裏切り者に、罠を仕掛けるような汚い任務を·······」
「裏切り者·······高等法院長のことですわね」
アンリエッタはこの事を内密にしようとしていたが、そういう秘密は必ずどこかから漏れるらしい。リッシュモンがアルビオンの間諜だったことは、既に街中に散らばっている。
ルイズは真剣な眼差しでアンリエッタの目を見つめると、
「姫様、わたくしはもう子供ではありません。姫様に隠し事をされる方がつらいですわ。どうかこれからは全てのことをわたくしにお話しくださいますよう」
ルイズのその言葉に、アンリエッタは深く頷いた。
「わかりました。そのようにいたしましょう。何せわたくしが心から信用できるのは·······ここにいる方々だけなんですから」
「ノクトも、ですか?」
そう言われて、アンリエッタはノクトのことを見るとすぐに目を逸らしてしまう。二人の視線が交差した時、二人とも頬を軽く染め、お互い俯いた。
「え、ええ! 当然ですわ!!」
語気を強くして言うアンリエッタ姫。
その瞬間をルイズは見逃さなかった。アンリエッタ姫とノクトは確かに視線を交わした後、顔を伏せていた。ルイズの中で疑念が·······なんだか妙な疑念が膨れ上がっていく。
「で、では·······お二人も仕事があるでしょうし、ここら辺でお暇いたしましょうか、アニエス殿」
アンリエッタはすぐさま立ち上がると部屋の出口まで早足で向かっていく。
「え? 今宵はゆっくり祝杯をあげる予定では?」
「ええ、ですが仕事がまだ残っていることを思い出しました·······それではルイズ、引き続き情報収集をお願い致しますわ」
アンリエッタはそそくさと部屋の外へと出ていった。疑問を抱き解せぬ様子のアニエスがその後に続く。
「·······」
そしてノクトも立ち上がると、部屋の外に出て皿洗いに戻ろうとする。
が。
ガシッと腕を掴まれた。
「どこ行くのノクト?」
「皿洗いに戻らねぇと、と思って」
「別にそんなに急かなくていいじゃない。朝までここ貸し切りなんだから」
そう言ってルイズはノクトの手を引っ張ってベッドにほぼ無理矢理腰掛けさせる。そして、その隣にワインボトルとグラスを二つ持ったルイズが座る。グラスの一つをノクトに渡し、二人のグラスにワインが注がれる。
そしてルイズは乾杯しようとノクトの真横にグラスを固定し、ノクトが乾杯してくれるのを待つ。
ノクトは恐る恐るという感じでカラン! と互いの杯を響かせる。
「今日はどんどん飲んでいいわよ。私の奢りだから!」
「·······」
めっちゃ怪しい。
いつものルイズならもっとこう、むすっとした表情を浮かべて『アンタ姫様と口づけしたりしてないわよね?』などと言い睨み付けてくるはず。
だというのに、彼女は笑っている。他意もなく、純粋な笑顔を浮かべている。
「ほら、早く飲みましょ!」
「あ、ああ·······」
そう言ってワインを勧められるが、一口含んだだけでかなりキツかった。だが、酒を飲まなければご主人様のご機嫌を損ねてしまうかもしれない。ノクトはあまり酒は飲まないが、今日だけは特別ということで、我慢して飲み干す。
「あら、もう飲んじゃったの? じゃあ注いであげるわ!!」
「え? いや、俺はもう─────」
「遠慮しないで! あなたは姫様の護衛をしたんでしょう? 主人として鼻が高いわ!!」
「そ、そうか?」
「そうよ! さすが私の使い魔ね!」
「そんな·······ただ一緒にいただけだし」
「それでも凄いわ! 誰にもバレないように追っ手を巻いたんでしょう?」
「ま、まあな」
「さ、飲んで飲んで!! 今日はきっちり任務を果たしたあなたがご主人様よ! そして私が給仕!!」
そう言ってワインを注ぐルイズ。ルイズにそこまでおだてられたらアルコールの力も加わって気分が高揚してしまう。
「ノクト凄いわ! 部屋に踏み込まれた時、咄嗟に機転を利かせて恋人のフリをしたんでしょう? あなた役者になれるわ! タニアリージュ・ロワイヤル座の看板役者にもなれるわ!!」
「そ、そこまで·······そんなに誉めたってなんも出ねぇぞ?」
それでもルイズは煽てる調子を崩さずこう言った。
「本当に凄いわ! 姫様ともキスしたんでしょう!!」
「ま、まあな···································ん?」
そこでノクトは空気が変わったのを感じた。空間そのものが固まったのだ。部屋の領域全体が絶対零度な温度に変わる。
ルイズはそれを聞いた途端、今まで煽てていた態度から一変して、前髪の影に目元が隠れて、ぴりぴりとした緊張感が広がっていく。
「ル、ルイズ·······今のは違──────」
「あ?」
「ッ!!」
ガチで態度を変えているルイズはなんか真っ黒なオーラを纏いながら立ち上がると部屋の鍵を閉め、振り返ると、
「頭を垂れて蹲い平伏なさい」
ノクトはすぐさま土下座をする。
めっっっっっっっちゃド低い声で言われたノクトはあまりの恐怖にその言葉を耳にした瞬間に床に額をつける。
ワインの酔いも覚め、身体全体から汗が噴き出る。
「私が問いたいのは一つのみよノクト。一体姫様になにしたの?」
(いや、あれは姫様の方からやってきたからそんなことを俺に言われても)
「·······“そんなことを俺に言われても”、何? 言ってみなさいよ」
「ッ!?」
思考が読めるのか!?
まずい!!
「何がまずいの? 言ってごらんなさい」
と激昂したルイズは杖を取り出すと杖先をノクトに向ける。なんでこっちが考えてること全部わかんだよッ!? と思った次の瞬間にはルイズの冷たい一言が返ってくる。
「アンタの表情で何を考えてるのかわかるわよ」
今夜のルイズはきっと違う。一味違う。そんな痺れるような予感がノクトの身体を突き抜ける。苦い絶望の味が口の中に広がっていく。
「よくも今まで騙してくれたわね。私以外の他の女と·······それもよりによって姫様相手にキスをするなんて·······」
「いやあれはアンリエッタ姫からやってきたことであって俺自身の意志でやったわけじゃ────ッ!!」
「何? アンタは私の言うことを否定するの?」
「いやだからそうじゃなくて、お前はなにか勘違いをして─────ッ!!」
「黙りなさい。何も勘違いしてない、私は何も間違わない。むしろアンタが間違ってる。ご主人様を騙しておきながら平然としていた·······万死に値するわよ」
「·······ッ!!」
あ、これもうダメなやつだと思ったノクトは目を瞑った。覚悟を決めて深呼吸をした次の瞬間。
ノクトを中心に衝撃波と爆炎を周囲に撒き散らした。