ウマネストの後日談的な感じでタキオンとダスカの絆を描きました。

2022/7/1
pixiv版にて、表紙と挿絵付きを公開致しました。
イラストレーターのふしごろう先生に素敵な表紙と挿絵を描いて頂きましたので、是非ご一読よろしくお願い致します
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=17874394

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もうひとつのウマネスト 〜とある賢者の愚かな選択〜

「タキオンさんって、ゲームは得意ですか?」

 

 暖かな風がカーテンを揺らす昼下がり。紅茶を一口啜った後、傾けていたティーカップをソーサーに戻したダイワスカーレットはふいにそんなことをアグネスタキオンに尋ねた。

 

「なんだい藪から棒に」

 

「つい最近学園に新しい設備が導入されたんですよ。レース用のシュミレーターで《VRウマレーター》っていう名前の機械らしいんですけど」

 

「あぁ、そう言えばそんな噂は耳にしたな。ゴルシ君がまた何かやらかしたとか」

 

「その機械、仮想レースだけじゃなくて色んなゲームも出来るみたいなんですよ。良かったら一緒にプレイしてみませんか?」

 

「ゲームねぇ。折角のお誘いだが遠慮しておくよ。チェスやオセロ、トランプなんかのアナログなものであれば人並み程度には嗜むがコンピューターゲームには疎くてね。それに、そんなものに時間を費やすくらいなら研究——」

 

 研究という言葉を口にした時、タキオンにある考えが浮かんだ。VRという最新の技術を介することで、脳波や筋収縮に未だ見ぬ反応が表れるのではないか。そのデータが採れれば、新たな新薬の開発、あるいはマンハッタンカフェが見ていると思しき〝現実と仮想の狭間にいる不可視の存在〟の究明にも繋がるかも知れない、と。

 

「そ、そうですよね。タキオンさん、いつも研究で忙しそうだから偶には気晴らしにゲームでもと思って誘ってみたんですけど、そんな時間無いですもんね」

 

「いや、行こう」

 

「えっ?」

 

「様々な体験を通して知見を広めるのは研究においても新発見に至るための重要なファクターだ。VRという最新技術を通してで無ければ得られないデータもあるだろう。あぁ、俄然興味が湧いてきた。是非とも行こうじゃないかスカーレット君。新たな実験と研究のために! そうと決まれば早速準備をしなくては」

 

 タキオンはやや興奮気味にそう言うと、測定器らしき機材や謎の液体の入った試験管やビーカー類。その他諸々の怪しげな荷物を次々と台車へ乗せていく。どうやら、これらすべてを持ち込むらしい。

 

 研究を忘れて気晴らしをして欲しかったスカーレットからすれば本末転倒な結果にはなってしまったが、楽しそうに袖と尻尾を降るタキオンと共にスカーレットは設備のある部屋へと向かった。

 

 仮設として一時的にシュミレーター、もといウマレーターが置かれている部屋へとやって来たタキオンとスカーレットは、案内役のだづなからある程度の説明を受け、空いている二機へ搭乗することになった。

 

「えっと……残念でしたね。タキオンさん」

 

 スカーレットは隣のカプセルに搭乗しているタキオンに声をかけた。当のタキオンはといえば、耳が垂れ、溜息を吐いている。先程とは打って変わって意気消沈気味なのには理由があった。

 

『安全に利用してもらうために、搭乗前の薬剤投与や外部の機材の取り付けは禁止です』

 

「やれやれ、せっかく新たなデータを得られる機会だったんだが……。まぁ、仕方ない。今日のところは自身の体験をデータとして持ち帰り、今後どのように監視の目を盗んで機材を取り付けるか考えるとするよ」

 

「あ、あはは。あ、そういえば既に二機動いているみたいですけど、誰が使っているんですか?」

 

 スカーレットの問いに対し、たづなは笑顔で答えた。

 

「それはゲームの中でのお楽しみです。それでは、早速始めましょう」

 

 たづなはそう言うと、機械の開始ボタンを押した。ゆっくりと扉が閉まり、シュミレーターが起動し始めたのがモーター音と微弱な振動から感じられる。目の前に白い光が広がっていく。眩しさに目を閉じるスカーレットとタキオン。二人が目を開いた時、そこは狭い金属の箱の中ではなく広大な草原が広がっていた。

 

「ふぅン、これがVRの世界か。頬を撫でる風といい、この足元の土や草の質感は限りなく本物に近い。おそらく、過去に経験した感覚や感触を機械を通して脳から引き出しているんだろう。実に興味深い。では、土や草木に触れたことない者にはこれらがどういった感覚に置き換わるのか気になるねぇ。尤も、そんな環境で育った者を探すことの方が困難だろうがね」

 

「もー、タキオンさんてば。せっかくのゲームの世界に来たんですから研究ばかりじゃなくて楽しまないと損ですよ。タキオンさんの格好、外套と魔導書があるってことは魔法使いか賢者じゃないですか?」

 

「そういう君は長い剣とプレートアーマー。その特徴なら剣士か勇者だろうね。まぁ、どちらでも構わないが、このゲームはどうやったらクリアになるんだい?」

 

「えーと、今マニュアルを読みますね。剣と魔法の王国ウマネスト。この世界で最も速い疾駆者はダイワウルフでもワイバーンでもない……えーっと、要するにこの世界の魔王を倒せばゲームクリアみたいです」

 

「なるほど、それじゃあ話は早い。早速行こうか」

 

「行くって、どこへ?」

 

「決まっているだろ? 魔王の所さ。大方、あの遠くに見えるシュミの悪そうな城にでも住んでいるんだろうよ」

 

「あっ、でもアタシたちまだレベルが——」

 

 スカーレットの忠告を聞かず、タキオンは真っ直ぐ魔王、もといウマ王のいるウマ王城へと向かった。

 

 鬱蒼とした森、毒の沼地を抜けて真っ直ぐ進むこと約一時間。タキオンとスカーレットは難なくウマ王城の城門へと辿り着いた。

 

 幸か不幸か、此処に至るまでの道中で二人は一度も敵らしき敵に遭遇していない。不安を覚えてしまうくらいの順風満帆ぶりも然る事乍ら、何よりも不気味なのは城の佇まい。

 

 遠くから見た時はわからなかったが、こうして目の前に来るとその異様さがよく分かる。

 

 最も異彩を放っているのは、まさしく取って付けたかのような〝赤い服を着て四葉のクローバーを持った白いウサギ〟の看板。

 

 如何にも悪の親玉が住んでいそうな禍々しい雰囲気を払拭させようとした意匠が伺えたのが、尚の事不気味さを際立たせていた。

 

「これは何とも形容し難い雰囲気を醸し出しているねぇ。見た目は悪の居城そのものだが、看板だけ見ればまるで子供用品店じゃないか。侵入者へ対する警告か、はたまたその逆で警戒心を薄れさせて招き入れるための擬態のつもりか。いずれにせよここの主はマトモじゃなさそうだね」

 

「タキオンさん、一旦戻りませんか? アタシなんだか怖いです」

 

「私もその意見には賛成だ。さっさと現実世界に戻ってやり残してきた研究を再開しなければならないからね」

 

 またもやタキオンはスカーレットの忠告を聞かず城の中へと足を踏み入れた。

 

 無警戒に進んでいくタキオンの後ろを恐る恐るついて行くスカーレット。城の中は外とは打って変わって白を基調とした安心感のある内装が施されていた。似た雰囲気の場所を敢えて挙げるとするなら、デパートが限りなく近いだろうか。そんな既視感が生んだ油断が徐々にスカーレットの警戒を解いていった。

 

 エントランスホールの振り分け階段を登り、真っ直ぐ奥へと向かうと仰々しい大きな扉の前へと辿り着いた。タキオンは両手でその扉を押し開けるとそこは広い玉座の間となっており、最奥にある壇上の玉座には人物が一人。その人物はいきなり入室してきた二人の冒険者を見ると、嬉々とした声を上げて玉座から立ち上がった。

 

「まぁまぁまぁ! 久しぶりのお客様です〜。それも二人も」

 

 紫の王冠を戴き、紫のマントを羽織った魔王と思しき風態のウマ娘。二人は彼女の事を知っていた。意外な人物の登場にスカーレットは思わずその者の名を叫んだ。

 

「ス、スーパークリーク先輩が魔王なんですか!?」

 

「魔王じゃなく、ウマ王ですよ〜。正確には二代目ですけど」

 

「早速で悪いんだけど、我々は元の世界に戻りたいんだ。単刀直入に聞くけど、大人しく倒されてくれるわけにはいかないだろうか?」

 

「あらあら〜、残念です。でも事情があるのでしたら仕方ないですね。もちろんいいですよ。私はここから動きませんから、遠慮なく攻撃してください」

 

 ニコニコしながらそう答える二代目ウマ王スーパークリークに対してスカーレットは腰に差した剣の柄を握れども、鞘から引き抜けずにいた。

 

「無防備な先輩を攻撃するって何だかやりづらいわね」

 

「うふふ、どうぞ遠慮なく。でも一つだけ忠告しておきますね。くれぐれもこの部屋の道具に触れちゃダメですよ〜?」

 

 スーパークリークの余裕な笑みの中に不穏な気配を察知したのは、これまで一切警戒しなかったタキオンだった。以前どこかでこんなやり取りを自分自身で行なった記憶が有ったからだ。

 

「用心したまえ。何か罠を張り巡らせているようだ。彼女の忠告通り、周りの物に一切触れてはいけない」

 

 禁止されたものであるほど手を伸ばしたくなる心理が働くカリギュラ効果というものがある。以前、マンハッタンカフェに新薬を服用させるためにタキオン自身が用いた手法。あの時はタキオンの思惑は外れ、カフェはその薬には一切手を付けなかった。もちろん、タキオン自身も本気で期待していたわけではない。軽い冗談の一種であり、そんな陳腐な心理現象なんかにカフェが引っかかるはずもないと心の中では理解していた。しかし今、共にいるのは彼女ではない。

 

「えっ? 何か言いましたか?」

 

 少々語気の強めなタキオンの言葉に振り向いたスカーレットの手には子供用のガラガラが握られていた。足元に落ちていたものを何の警戒もなく拾い上げたのだろう。

 

 その瞬間、スカーレットの体が謎の煙に包まれた。

 

「あらあら、いけない子でちゅね〜。触ってはいけないと言ったはずでちゅよ〜」

 

 頬に手を当てながらほくそ笑むスーパークリークを見て、タキオンは全てを察した。

 

 此処に至るまで一匹も魔物に遭遇しなかった、その理由を。

 

 本来、RPGとは旅の道中にて経験値を上げて強大な敵に挑むもの。裏を返せば、レベルが上がらなければ強い敵は倒せない。その事を二代目ウマ王であるスーパークリークは熟知していた。だからこそ手下を一切配置しなかったのだ。自身を滅ぼす敵を育てないために。

 

 極めつけは、この乱雑に散らばっている幼児用玩具の数々。

 

「おぎゃあ! おぎゃあ!」

 

 煙が晴れてそこにいたのは、赤ん坊に変えられたスカーレット。おそらく、触れたものを赤ん坊に変える魔術か呪術の類が施されていたのだろう。何らかの方法でレベルを上げてきた挑戦者に対するレベル強制リセット策。赤子になってしまえば剣を振れないことはもちろん、一人で歩くことさえままならない。こうなってしまっては最早レベル云々の話以前の問題。魔王にとって勇者一行を返り討ちにすることなど文字通り赤子の手を捻るに等しいというわけだ。

 

 先程まで着ていた衣服に包まれ、火のついたように泣き叫ぶスカーレットを見てタキオンは後悔した。忠告を聞かなかったのは彼女ではない。寧ろ自分の方だったと。

 

 冒険が始まってすぐ、スカーレットは確かに告げていた。

 

『あっ、でもアタシたちまだレベルが——』

 

 急いては事を仕損ずるとはよく言ったもので、思慮が浅かったと認めざるを得ない。自嘲混じりの笑みを浮かべ、タキオンはそっと退化したスカーレットを腕に抱いた。

 

「まんまとやられたよ、魔王――いや、ウマ王君。こうなってしまってはお手上げだ。ここは一旦退かせてもらうよ。いずれまた対策を練ってから仕切り直そうじゃないか」

 

 タキオンはそう言うと、緑色の液体の入った試験管を地面へ叩きつける。直後、液体と同じ色の濃い煙が辺りに充満していった。視界を遮るのは、ほんの僅かな間で構わない。

 

 すらりとした足から生み出された超光速粒子の名に恥じぬスピードで、タキオンはウマ王城からの逃走を成功させたのだった。

 

 どれだけ走っただろうか。

 三十分、一時間、それ以上。

 

 時間など一切に気にせず、ただひたすらにタキオンは走った。

 

 背後から感じる不穏な気配が届かぬ距離まで全速力で。且つ、腕に抱く赤子に負荷をかけぬよう出来る限り慎重に。

 

 心身ともに限界を迎えたタキオンの足が止まったのは、ウマ王城から遠く離れたとある町の中。市場には多くの人で賑わっており、魔物の脅威が及んでいないことが伺えた。

 

「流石の私も……ハァハァ……これ以上は走れそうにないな。どこかで一度休息を取って——」

 

「おぎゃあ! おぎゃあ!」

 

「うわっ、ど、どうしたんだい急に。なるべく負担のかからないように走ったつもりだったが、どこか怪我でもしたのかい?」

 

 急に泣き出したスカーレットに困惑していると、町人らしき老婆に話しかけられた。

 

「その子、お腹減ってるんだと思うよ」

 

「あぁ、なるほど。空腹を訴えていたのか。しかしそれはそれで困ったことになったな」

 

 タキオンはもじもじと自身の胸元を摩る。経産婦ではないタキオンに母乳など出るはずもない。

 

「よかったらウチに来るかい? 先月孫が産まれたばかりだから、その子にもおっぱいを分けてあげるよう娘に頼んでみるよ」

 

 願ってもない申し出にタキオンは老婆の家へとお邪魔させてもらうことにした。

 

 老婆の家は町はずれの牧草地にあり、町からかなり歩いた場所にあるという。

 

 牛などの家畜を飼育しており、畑では麦や芋などの穀物も育てていた。夫や婿は主に畜産や農耕などの力仕事を行ない、老婆と娘は収穫した作物を町へと売りに来ていたという。先月生まれた孫の世話で娘が動けないため、今は老婆一人で荷車を引いているらしい。その皺だらけの手は痛々しいほど荒れていた。

 

 タキオンは荷物とスカーレット、老婆を載せた荷車を引いて農村へと向かう道を行く。

 

 最初は老婆も遠慮していたが、施しに見合った対価を持っていないからと半ば強引に荷車を引き始めたタキオンの厚意に老婆も甘えて荷台に揺られることにしたのだ。老婆の家で客人としてもてなされたタキオンは、スカーレット共々食事と寝床を世話してもらい、長い一日を終えた。

 

 翌朝、老婆の家を後にしたタキオンは農村から更に北へと向かった。

 

 老婆の夫の話では、北の山の中腹に今はもう使っていない小屋があるという。

 

 十年ほど前まではそこで炭を焼いていたが、足腰を悪くして山仕事が難しくなり今では手入れもせず放置しているらしい。タキオンはそこをしばらく貸して欲しいと申し出たのだった。

 

 ウマ王の手から逃れて来た身である以上、追手が来ないとも言い切れない。

 

 もし追手が放たれれば、あの家に居てはきっと迷惑が掛かる。どこかで身を隠しつつ、スカーレットを元に戻す手段を講じながら反撃の機会を待つことをタキオンは選ぶことにした。

 

 そのためにも山奥は非常に都合がいい。老夫婦の話では山に自生している植物やキノコには薬効が強いものが多く冒険者の薬草や毒消しに使われるものもあり、町でも高く売れるという。まずはそれらを調査しスカーレットの幼児化を解く薬の開発を推し進めること。その副産物として出来た有用な薬や素材を売却や物々交換で食料品や日用品を揃える。それが当面のタキオンの目標となった。

 

「さて、まずは掃除から始めなくてはならないようだね」

 

 老夫婦から譲り受けてきた荷車からホウキと雑巾を取り出し、タキオンは小屋の掃除と片付けを行なう。ありがたいことに山奥で生活する上で必要最低限な物資と食料を少しばかり分けてもらっていたのだ。

 

 小屋の中は埃と蜘蛛の巣まみれであること以外は雨漏りや目立った破損もなく充分生活を営める状態であった。

 

「やれやれ、モルモット君さえいてくれればこんな面倒なことは……」

 

 小屋の中で一人愚痴を溢していると、外の荷車で寝ていたスカーレットの泣き声が聞こえた。おしめかミルクか、はたまたただ単にぐずっているだけか。泣かれる度に作業の手を止めてあやさねばならないため、結局住める状態にまで綺麗にするのに丸一日掛かってしまった。

 

 翌朝、タキオンは近くを流れている小川へと向かった。手頃な木を鋸で切り、組み立て、簡易的な水車を作った。これを動力として脱穀や製粉を行ない、パンを焼く。その為のも窯も粘土や石で組み上げた。また、タキオンにはもう一つどうしても作りたいものがあった。水車や窯は、その為の副産物に過ぎない。

 

「ようし、完成だ!」

 

 水車の動力でプロペラを回し、窯で発生させた熱を利用し熱風を発生させる道具を作った。牛の乳を噴霧器で霧状に散布しこの熱風に当てることで液体の蒸発、乾燥を促せるというわけだ。所謂、噴霧乾燥法である。そこに果実や薬草から抽出したビタミン、カルシウム、マグネシウム、亜鉛、鉄などの栄養素を追加して赤子の成長に必要な成分を加える。これにより、液体よりも長期保存が可能で栄養価の高い粉ミルクが量産出来るようになった。

 

 日中は薬草を調合し、出来上がった薬や素材は荷車で町へと売りに行く。タキオンの作った薬は良く効くと忽ち評判になった。常にスカーレットを背負っているため〝子連れの賢者様〟と呼ばれて親しまれるようになった。そして帰りの道中に老夫婦の家に寄り、粉ミルクの原料となる牛乳を買っていくのがタキオンの日常となっていた。

 

 山小屋で暮らし始めてしばらく経ったが、未だ幼児化を治す薬は作れていない。

 

 毎日手は掛かるし、泣き喚いて五月蝿いことこの上ない存在であったが、タキオンは不思議とそれを煩わしいとは思わなくなっていた。

 

 この子が笑うと嬉しくなり、この子が泣くと不安になる。この小さな手が掴む未来を見てみたい。いつしかそんな風にさえ思うようになっていった。

 

(やれやれ。このペースだと幼児化を解く薬が完成するよりも、普通に成長してしまう方が先かも知れないねェ)

 

 すっかり板についてきた子連れ賢者の隠遁生活だったが、そんな平和な日常は唐突に終わりを告げることとなる。

 

「どこの誰かは知らないが、そんな物騒な気を放っていては夜襲の意味がないだろうに」

 

 草木も寝静まった月夜の晩に無数の不穏な気配を感じたタキオンは、スカーレットを起こさぬようゆっくりと扉を開けて外に出る。月夜の訪問者は、漆黒の衣服に身を包んだ長い黒髪のウマ娘。タキオンはその顔に見覚えがあった。

 

「ウマ王様に仇成す反乱分子。ようやく見つけました」

 

「やぁ、誰かと思えばカフェじゃないか。せっかく来てもらったところ悪いんだけど、用があるならまた明日にしてくれないかな? さっき娘が寝たばかりでね。ヘタに起こすと寝かしつけるのにまた時間がかかるんだ」

 

 軽口で余裕を演じようとするが、決して乗ってくれないことは明白だった。タキオンを見据える鋭い眼光に宿る殺意と敵意は今まで見たことのないものであったからだ。

 

「そうはいきません。それに私はそんな名前じゃありません。ウマ王軍幹部の一人、屍術師 (ネクロマンサー)です」

 

 ネクロマンサーを名乗るマンハッタンカフェが指を鳴らすと、真っ暗闇の森の中に無数の視線が光った。あれが彼女の軍勢であり、彼女の力なのだろう。老若男女、果ては犬猫などの獣に至るまで。無数のゾンビが腐臭を放ちながらゆっくりと歩み寄ってくる。

 

「既に周囲は包囲してあります。いくらあなたの俊足であろうとも、この布陣からは逃れられない」

 

 この宵闇の中で、ただでさえ足場の悪い山道を走ることは決して容易ではない。加えて、これだけの数の軍勢に囲まれては万に一つも逃れる術はない。これまで作ってきた毒薬、爆薬を用いれば自爆覚悟で抗うことも可能だろうが、その後山奥で一人残されたスカーレットがどうなるかは想像に難くない。万策の先まで思考を超高速で巡らせているタキオンに対して、マンハッタンカフェはある提案を持ちかけた。

 

「ウマ王様に仇なす存在である勇者。ダイワスカーレットの身柄を引き渡すなら、あなただけは見逃しましょう。実験でも研究でも、人里離れたこの山奥で一人で勝手にやっていてください。もし断るのなら、反逆罪であなたを拘束します。手足を枷と鎖で縛り、走ることも研究することも出来ず、陽も当たらない城の地下牢で命尽きるまで責め苦を受け続けてもらいます」

 

 赤子と化したスカーレットを差し出せば、何よりも大事な研究は続けられる。選ぶべくもない単純明快な選択だった。

 

「本当に約束は守ってもらえるんだろうね? 後から反故にされては堪らないから、一応そこは確認しておきたい」

 

「崇拝するウマ王様の名に誓って、必ず守ると約束しましょう」

 

「それなら安心だ。それじゃあ、早速行こうか」

 

「行くって、どこへ?」

 

「君が言ったんじゃないか。城だろうが地下牢だろうが、好きな所へ連れて行きたまえよ。私は君に従うし、拷問にも付き合うよ」

 

 意外なほどあっさりと自らを差し出したタキオンの行動。ここまで冷徹を保っていたマンハッタンカフェの表情に初めて動揺が浮かんだ。

 

「何よりも大事にしていた研究と走りを捨てると言うのですか? あなたの夢やこれまで積み重ねてきたものを全て手放すと言うのですか?」

 

 マンハッタンカフェは問う。故意に未練を掻き立てるような言葉を選んで。しかし、タキオンは真っ直ぐにカフェを見つめて穏やかに答えた。

 

「最後に一つだけ頼みがある。私がここを去った後、あの子をこの先にある老夫婦の家へと預けてくれないかな? あるいは町の孤児院でもいい」

 

 タキオンはそう言うと、小屋に入って安らかな寝顔のスカーレットを抱いて戻ってきた。

 

「理解に苦しみます。たかだか赤子一人のために、何故そこまで出来るのですか」

 

 愚かな選択と自分でも思う。

 だが今はただ、この愚かしささえ誇らしい。

 

 元より比ぶべくもないのだ。この子の未来には、自身の研究や走りを捨てても余りある価値があるのだから。

 

「この子を守れるのなら何だってするさ」

 

 腕の中で眠るスカーレットの寝顔を慈しむように見つめるタキオンの姿に聖母が重なった。

 

「さよならだ、私の愛しい子……」

 

 君のためなら私は全てを捨ても決して後悔はしない。

 無論、私の夢を継いで欲しいとも思わない。

 ただ一つだけ。

 一つだけで構わないから、どうか約束しておくれ。

 

「誰よりも一番、幸せになるんだよ」

 

 タキオンの意識は、そこで途切れた。

 

 ——ですか?

 

 どこかで声が聞こえる。

 聞き覚えのある声。

 

 肩を揺すられながら名を呼ばれているとわかった時、タキオンの意識はゆっくりと現実へ引き戻されていく。

 

「大丈夫ですか? タキオンさん」

 

 目を開けると、制服姿のスカーレットが心配そうに顔を覗き込んでいた。

 

「よかったぁ、ゲームオーバーになったのに全然目を覚まさないから心配しましたよ」

 

「ゲーム……あぁ、そうか。そうだったね」

 

「まぁ、仕方ないですよ。マルゼンスキー先輩相手じゃレースゲームで勝つのなんて不可能ですから」

 

「レースゲーム? なんのことだい?」

 

「さっきまで二人でプレイしてたじゃないですか——って、タキオンさん。どこか怪我でもしましたか?」

 

 スカーレットはそう言うと、ハンカチを取り出してタキオンの頬を拭った。

 

「だってほら、泣いているじゃないですか」

 

 心配そうな顔を向けてくるスカーレットの顔を見て、タキオンは答えた。

 

「いや、すまない。なんでもないんだ。気にしないでくれたまえ」

 

 その日以来、タキオンはボーっとすることが増えた。

 

 いつも通り怪しげな研究や実験をしてはいるが、心ここに在らずといった雰囲気。その様子を見兼ねたマンハッタンカフェは、珍しく自らタキオンに話題を持ち掛けた。

 

「その白い粉、一体どんな薬なんですか?」

 

 タキオンはカフェに話しかけられて初めて自分がいつぞやの粉ミルクを製成していたことに気づく。

 

「あぁ、これか。なに、薬なんて大したものじゃないさ。ただの粉末ミルクだよ。そうだカフェ。君にあげよう。コーヒーにでも入れるといい」

 

「遠慮します。それと、お客様がいらっしゃるみたいですのでシャキッとしていてください」

 

 そう忠告して部屋を出て行ったカフェと入れ替わりでやってきたのはスカーレットだった。

 

「こんにちは、タキオンさん。今ちょっと良いですか?」

 

「あ、あぁ。勿論だとも。今紅茶を淹れるからゆっくりしていくといい」

 

 スカーレットはこうして時々タキオンの元を訪れ、紅茶を飲みながら他愛もない話をする。勉強のことやトレーニングのこと。ライバルであるウオッカとのいざこざのことなど。話題ごとにコロコロと表情を変えるスカーレットを微笑みながら見つめるタキオン。その視線に気づいたスカーレットは、照れ隠しで話題を先程タキオンが作った白い粉末の入ったビーカーへと向けた。

 

「そういえばその白い粉は新しいサプリメントですか?」

 

「ん? あぁ、これは粉末ミルクさ。液体に溶けやすいからコーヒー用にでもと思ってカフェに勧めたんだが、断られてね」

 

「なら、私がもらっても良いですか? ミルクティーにして飲んでみます。あっ、なんだか懐かしい味がします。すごく美味しい」

 

「そう言ってもらえると試行錯誤した甲斐がある」

 

 テーブルを挟んで紅茶を嗜みながら他愛もない話をする。それがタキオンにとって、何よりも大切な時間であった。

 

「ふふっ」

 

「何がそんなに面白いんだい? 私の顔に何か付いていたかな?」

 

「あっ、いいえ。違うんです。タキオンさんって、何だかお母さんみたいだなぁって」

 

「私は母親には向いていないさ。だがもし……いや、なんでもない。忘れてくれたまえ」

 

「えーっ、最後まで言ってくださいよ。気になるじゃないですかー」

 

「それよりお茶のお代わりは如何かな? ミルクティーにするなら二杯目はミルクに合うアッサムの茶葉で淹れてあげよう」

 

 華麗に話題をすり替えながら、タキオンは心の中で言い掛けた言葉の続きをスカーレットに投げかけていた。

 

『もしもいつか私に娘が産まれたら、その時は君の名前をもらってもいいかな?』

 

 

 

 

 


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