□■アルムト村跡地
かつて故郷だった場所を、トビアは歩いた。一歩一歩を踏み出すごとに、足の裏で音が鳴る。
炭を踏む音。灰を蹴散らす音。そして、骨が砕ける音。
「父さん、母さん、ブルーノ兄さん、カール兄さん……」
黒々とした人型を眺め、その前に跪く。風が静かに流れ、煙の匂いが鼻腔をくすぐる。
トビアはうつむき、ただじっと想いを馳せた。
家族だけではない。幾人かの友達や、近所の人たち、名前を知っている村人、名前も知らない村人、牧場の家畜、誰かが拾ってきた捨て犬、花壇の花、家々、木々、そして……自分自身。
この現実は、まるで物語のようだった。遠い誰かの話のようだった。
どこから歯車が狂ったのだろうか。或いは、初めから世界とはこのようなものだったのか。
何故……本当に何故、こんなことになったのだろう?理屈は分かる、仕組みも分かる。どういう事が起きていたか、手に取るように思い出せる。
それでも、理由だけが分からない。
全て失った。喪ったのだ。どれ程望んでも帰ってこないものが沢山ある。こんな目に遇わなければならない理由があったのだろうか。
言葉は出てこなかった。謝罪、悲哀、絶望。それらをこの亡骸たちの前で語ったところで虚しいだけだ。彼らは二度とその言葉を受け取ってはくれない。
これが、これこそが死。無慈悲な終わり。人間としての終わり。
トビアは、黙って立ち上がった。悲しみや絶望すらも、心の中で霞み、ぼやけていく。
だが、代わって鮮明になっていくものがあった。それを自覚したとき、トビアは、自分はなんて身勝手な人間なのだろう、と思った。
◆◆◆
■トビア・ランパート
かつて村だった場所を後に、トビアは歩いた。夜明けの風がかつて母がしてくれたように頬を撫でる。優しい風の中、一歩一歩を踏み出すごとに、心の中で強くなる思いがあった。
怒り、憎しみ、そして……渇望。
トビアは熱と衝撃で形の変わってしまった石垣を越え、そして空を見上げた。薄紫と群青の手前、仮面を被った男が空に座っている。その右腕は包帯で固められており、陶器の仮面にはヒビが入っていた。
「よぉ少年、調子はどうだい?」
「良さそうに見える?」
相変わらずお気楽なブラーに、トビアは冷たく返した。怒りなどは起きなかった。トビアが怒っているのはもっと別のものだ。その眼は憎しみによってか、ひどく黒々としていた。
「ブラー、言ってたよね、僕にも<エンブリオ>が手に入るって」
「言ったね」
ブラーは何故か愉しげに言った。
「場所はカルディナ。そこまで行けば、君にもその
「あぁ、確かに、特別になるとかはもういいよ」
トビアは静かに言った。その幼い憧憬は、あの血の臭いを知ったときに、確かに褪せて壊れてしまっていた。
「でも、分からないんだ。なんでこんなことになったのか。なんで止められなかったのか、なんで……」
トビアは鋭く息を吸い込んだ。
「なんで、僕はこんなに弱いのか」
憎かった。人や怪物ではない。恐るべき強者や災いが、でもない。強さや弱さといった、無慈悲な尺度が。人の命さえ簡単に損なってしまうその仕組みが。
「だから、力が欲しい」
欲しかった。かつての無邪気な憧れではない。力の恐ろしさを知り、一度は逃げ出した上でなお、それが欲しい。
喰らう側。喰らわれる側。この世界という、冷酷で壮大な無限の上下構造の中で、少しでも上に。それこそが、『強さ』への復讐なのだ。
「<エンブリオ>が、欲しい!僕によこせ!ブラー!」
ブラーは悪魔のような笑みを浮かべて叫んだ。
「いい台詞だ、
「砂漠越えは過酷だ。<エンブリオ>の対価だって安くはない。その覚悟はあるよな?」
「あぁ」
トビアは平坦な口調で言いきった。もう惜しいものは何も無い。尻込みする理由も。
「なら、旅の支度を始めよう。僕も装備とか全部失くしてしまったし、君にも旅支度がいるからね……モートに頼めばどうにかなるだろ」
ブラーが半ばなげやりに言う。その装備はローカストとの戦いでほぼ全てが失われていた。一欠片の【ジェム】も無い。リルも手持ちの分は全て無くなってしまった。
そのとき、地平線が光った。暗い空を朝日が染め上げ、太陽が顔を出す。光に満ちる
「英雄、魔王、王、奴隷、善人、或いは悪人……これから何になるか、それは自由である筈だ。誰にとっても、君にとっても。望むように望めばいい」
トビアは黙ってその仮面を見つめた。ブラーは静かに続けた。
「これから始まるのは無限の可能性だ。<エンブリオ>と同じさ」
そして、星と少年は歩き出した。それぞれの目的の為に。
◆◆◆
□■カルディナ ヴェンセール付近 ポイントOD-3
砂漠の厳格な太陽が照りつける。その日差しを逃れてか、地下の遺跡に
ふと、そこにいた幾人かの一人が冷たい灯りを灯した。硬質な白色光がその面々を少しだけ照らす。
男がいた。女がいた。少年がいた。そして、一段上がった所に一人の人物が鎮座していた。
漆黒の髪を長く伸ばした男だ。黄金と青に縁取られた仕立てのよい服を身に付け、傲慢な態度で悠々と座っている。両手には純白の手袋を嵌め、首には豪奢な装飾品を下げている。そして、ふと、その口が動いた。
「諸君、時は来た……!計画は最終段階へと入った。これより北方へと移動をするぞ」
その声はぞっとするほど冷酷で、しかし同時になにかカリスマのような力を備えていた。
「未だ数は少ない、よって私はそちらに力を注がねばならん。ゆえに、諸君らには活躍を望む」
その言葉に、その場の面々は静かに頷いた。仄暗いがゆえに、表情を窺い知ることは難しい。それでも、彼らの所作には緊張と畏怖とがあった。
「もう一度……言う。私を失望させるな……それだけだ。去れ」
いうが早いか、彼らの殆どは安堵するように立ち去った。中にはログアウトで消えるものもいる。最後まで残っていた少年が灯りを掲げながら言った。
「良いんですか?オーナー、未だに
「よい。どのみち“監獄”に落ちるようなやつではない。計画にもさして支障は無い。優先するべきは、我が<
男は余裕そうに言った。
少年は首をかしげた。
「次は誰に?めぼしい奴に心当たりでも?」
その問に男は愉快そうに笑みを浮かべた。
「そうだな。ティアン……ティアンの実力者に与えてみるのも悪くないだろう……」
そう言って男は手袋の掌を開いた。そこには宝石のような何かが、微かな灯りを反射してきらきらと光っていた。
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