□都市国家連合カルディナ・冶金都市グロークス
「それで、何の用だ?ブラー」
ウーが冷ややかに言った。その身体には漲る戦意が溢れんばかりに満ちている。地下堂の空気は張り詰めた弓弦のように緊迫し、冬の夜空のように冷徹だった。敵意と悪意が風に乗って舞う。
最後に会ったとき、二人の間に在ったのは殺しあいだった。巻き添えを食らった砂漠の盗賊団がひとつ、壊滅するほどの。
「そしてまた、私の駒を痛め付けてくれたな」
「客人を襲ってくるから返り討ちにしただけだよ」
ブラーの仮面が光り、その口元が食いしばるように笑う。
ここへ来るまでに、数人のメンバーを倒したのは事実だ。殺してこそいないが。彼の力なら容易い。
“
犬歯をむき出しにした笑顔が、冷めるように消える。
「そう、客だ。僕らは」
「随分と暴力的な客人もいたものだな」
ウーの瞳が妖しく光る。呆れたような声の中には、しかし確かに緊張が混ざっていた。
「だが、客だというなら、なおさら用件がある筈だ……穏便な用件がな。言え」
応えるようにブラーが両手を広げ、左手の紋章を見せる。砂まみれのマントがガサガサと音を立てた。
「何のことはない、商談だよ」
嘘はない、と、貼り付けたような誠実さをアピールする。ウーの《真偽判定》は、それを真実だと審判した。それを分かってか、ブラーの雰囲気が少しだけ緩む。
「君のエキドナの能力……<
その言葉に、ウーは可笑しくて堪らないといった風に失笑した。剣呑な笑い声が響く。
「あの時は我が誘いを拒否しておいて、今さらの懇願か?いやはや、人生とは分からないものだ」
「懇願?これは対等な提案だよ……ついでに、使うのは僕じゃない」
そう言って、ブラーがその挑発的な口を閉じる。入れ替わるように響くのは、静かな足音。
褐色のマントの影、隠れるように佇んでいたその足が動く。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。五歩の冷静な足音ののち、その少年は首をかしげてウーを見つめた。
まだ若くーー否、幼い。しかしてあどけなさを残した外見の、その裏から少年らしい生命力が覗いている。無理に引き伸ばしたような細い手足が所在無げに揺れていた。ティアンの常としてその手には紋章が無かったが、その代わりだとでも言うようにひきつれた火傷の跡がすべらかな皮膚を汚している。
だが、何より悼ましいのはその眼だった。子供のする眼ではない。まるで深い海の底、あるいは暗い夜の果て。絶望ではない、恐怖でもない、おぞましいまでの自我の発露。それは、人殺しの眼だ。
そのターコイズ色の瞳が昏く輝く。火傷跡のある左手を撫でながら、少年ーートビアは口を開いた。
「あなたは、僕を<マスター>に出来る?」
それは、傲慢な、しかしありふれた望みだ。だが、グラマンのように脂ぎった野心と恐怖からではなく、あるいは無邪気なあこがれからの言葉でもない。
渇望。純粋な欲望。それを手に入れるためなら最短を貫いて手を伸ばすという覚悟さえ垣間見える、荒々しく昏い欲。
その渇望を湛える矮躯を見下ろして、ウーは冷ややかに言った。
「私は<エンブリオ>を売る者だ。それ以上でもそれ以下でもない。そして、代価は百億リルだ」
無謀な額に、トビアが笑う。底無し沼のような目付きが少しだけ和らいだ。
「そんな大金、ないよ」
「そうだよ、殿様商売はごめんだね」
ブラーが横から口を出す。
「将来有望なティアンだ。成長性への投資として無料で売れよ」
その横暴な口ぶりに、ウーの視線が氷のように冷たさを増した。
「レベル0のティアンのガキに、何が出来るというのだ?雑用なら足りているぞ……それとも、お前が百億の代わりに私に仕えるか?なぁ、“
「その“自殺”っての、やめろ。僕は一回でも自殺したつもりはないぞ」
【盾巨人】ブラーは吐き捨てるように言った。その左手で紋章が鈍く輝き、マントがバーニアを孕んで膨らむ。
「……やめておけ、ブラー。ここは既に我が領域だ」
ウーが鋭い目でブラーを見つめる。その足元で、玉座に据え付けられた石像が動き出した。その顔面がゆっくりと歪み、目鼻立ちが文字へと変わる。どこか冒涜的な痩躯が石床を踏みしめる。その顔に彫られた銘は……
「『solas』……陽光。アイリッシュのババアの『作品』か。これまた、高級品を仕入れたね」
「あぁ。これもまた必要経費だ」
ブラーがその右腕……深紅の機械鎧を構える。排気機構が唸り、装甲が震え、
「……無駄だよ」
しかして、その機械腕が素早く
「後方からの奇襲、ね。正々堂々してるじゃん」
「そりゃどうも……」
塵を蹴立てて、現れた男が石床に降り立つ。朱の着流しに日本刀、まぎれもなく侍の出で立ちである。
ウーの部下のひとり、天地出身の猛者にして、修羅。
その者は剣客、巴十三。【剣聖】がギラリと光る刀を構える。
「交渉は決裂かね、ボス……お客人はかなり虫の居所が悪いようだな」
「そうでもないさ」
ブラーが笑い、トビアが一歩横へずれる。
「これからだよ、“交渉”は…………起きろ、アシュトレト」
「いやはや、仕事が出来たな」
侍が呆れたように首を振る。その瞳が修羅の鋭さを帯び、気配に剣呑さが現れる。
「いざいざごろうじろ、妖刀【
その足元、両足首の足環が妖しく光る。瞬き一つ分ののち、十三が一気に間合いを詰めていた。
「《レーザーブレード》」
「《
轟音と衝撃波が炸裂し、上級職の奥義と<エンブリオ>がぶつかり合う。風が消し飛び、閃光が溢れ出す。そして、踏み込んだはずの十三が吹き飛ばされ、膝をついた。
「なんという出力……まともに受ければ、腕がイカれるな」
「当然だ、相手はあの人間弾頭だぞ」
ウーの言葉に、十三が裂けるように笑う。
「であらば、これよ!」
その足環ーー<劣級>が光り、そして十三の姿がかき消える。その像も、足音も、世界から失せて……
「ッ……!」
ブラーが右の機械鎧を垂直に立てた。その装甲が火花を散らす。
「《太陽砲》」
侍の消失とタイミングを合わせるように、あの石像の顔面、文字が刻まれたそれが発光していた。陽光をモチーフに造られたホムンクルスがその力を解き放ち、熱を持った輝きが深紅の装甲を焼き焦がす。そして、
「隙あり、だ」
再出現した十三が背後で上段に構える。その掌の刃が殺戮の喜びに輝きを増す。
その刀、凡百の刀にはあらず。純粋強度に特化した剛の刀……ふさわしい猛者であれば、無類の切れ味と決して砕けぬ刃を与える妖刀。かの四十二染が一振、決して曇らぬ【
【盾巨人】すらも切り裂くるその一閃が、その背後に迫る。だが、
「それは駄目だよ」
横合いからがらくた……鉄パイプが突き入れられた。
その鈍い先端は刀の側面、その中心を少しずれて捉え、軌道をほんの少しだけ、心なしかの少しだけ、曲げる。刃筋を逃した剣閃がブラーの背中に弾かれる。火花が宙を彩り、妖刀が不満げに煌めく。
「……!?」
十三が驚愕する。
それは、ありえない現象だった。レベル0。世界に助けられぬまま、物理的な肉体のみで、生まれ持った肉の力で。
レベル五〇〇……限界までジョブの、アーキタイプの器を載せた十三の刀を逸らすなど、見たことも聞いたこともない。
確かに、起こりうることではある。偶然の可能性はある。必要なのはふさわしいタイミング、少しだけの力。だが、そんなもの意図できるはずがないのだ。
見えないはず、追いつけないはずだ。それは文字通り机上の空論。
「このッ……!」
思わず振りぬいた雑な一閃は、しかし躱されていた。振られるよりも早く、十三が漫然と攻撃したその思考よりも早く。
「いてて……掌すりむいた」
曲がった鉄パイプを投げ捨てて、トビアが手を見やる。その顔を見つめて、十三は立ち尽くした。
「バカな……レベル0の子供が俺の剣を……?いや、確かに……」
「呆けてるのも自由だけどさぁ」
トビアが血の滲む掌を広げる。
「そこ、危ないよ」
「《
大きな隙を晒した侍を、ブラーの裏拳が打つ。バーニアで加速をかけられた左拳が、【剣聖】の身体を壁に叩きつけた。
「調子に乗るなよ、サムライ・ガイ」
されど、もう一つの脅威は去っていない。太陽をテーマに造られたホムンクルスがその光を解放せんと顔を上げる。そして、
「《フェザー・ミサイル》」
六発の紅色がその顔を焔に染めた。深紅の機械鎧が発射口を閉じ、排気の咆哮を上げる。機械音とともに、挑発的な声が響く。
「で、まだやるかい?」
◆◇
「いっただろ、将来有望だってさぁ」
「確かに、そのようだな」
ウーが呟く。
「レベル0。無能のはずだろうに……どういうトリックだ?」
「リソースの量だけが戦闘の趨勢を決める要因ではないよ」
その言葉にウーは鼻を鳴らした。
「どちらにせよ、<劣級>はやれんな。再び製造するためには時間もリソースも足らん」
その言葉に、ブラーの殺気が再度膨らみ始める。
「だが、他ならぬ貴様の頼みだ」
ウーがそれを遮るように言った。
「考えてはやろう。居住ブロックに部屋を用意させる。しばし休むといい」
「それは、誰にやらせるつもりなのかしら」
扉の残骸をその足が蹴り飛ばす。傷だらけの身体を引きずって、現れたのはレディ・ゴールデンだった。
「あたしはごめんよ。バラバラにされるとこだったのだから」
「俺も、ごめん被るね」
そう言ったのは、ずだ袋のように転がっていた腕彦だった。横着なことに、寝転がったまま口だけを動かしている。
「危険人物だ。信用して迎え入れるべきじゃないぜ、ボス」
「へえ、的確な評価じゃん」
トビアが楽しそうに笑う。その濁り切った瞳が腕彦を見つめた。ウーが静かに口を開く。
「私の決定に逆らうな、愚図どもが。貴様たちが調査隊を速やかに始末できていれば、計画を早める必要もなかったのだ」
「じゃあ、リベンジさせてくれよ、ボス」
腕彦の上半身が起き上がる。その左手に赤茶けた革のような手袋が瞬き、実体化する。
「タケナミカタとハーデニカのコンボは完全だ。あの爺の能力も見切った。今度こそ!」
「挽回の機会はくれてやる。だが、それは最終フェイズ発動のあとだ」
ウーが吐き捨てるように言う。
「全員をここに集めろ。ドラグノマドの<超級>が出張ってくる前にかたを付ける。……エンブリヲンの高慢ちきどもの支援などあてにならん」
眉間にしわを寄せたウーは、足早に歩き去った。それを見過ごすレディたちに、ブラーがへらへらと声をかける。
「で、危険人物の客室はどこだい?上等の部屋だろうね?」
「あたくしを召使のように扱わないでくださる?」
レディが顔をしかめた。
「あの女に聞けばよろしくってよ、フン!」
レディの人差し指が苛立たし気に遠くを指す。その指の先に居たのは、いつの間にか地下堂に居た白黒の女だった。
「人を指すな、似非淑女。あるいは気取り屋といった方が似合いか?」
忌々し気に白色矮星が言う。
「私だってこの男を信用したわけじゃない。いきなり押し入ってきてレベル0の子供に<劣級>を与えろなどと、身勝手もいいところだ」
「あら、ぼろ雑巾にされた個人的な恨みでしょう?」
レディのあざけりを、白色矮星は顎で一蹴した。
「貴様の方が重傷に見えるがな。脳みそが控えめな貴様と違って、私は論理的に考えているんだ。かの“自殺”のブラーだぞ」
そう言って、彼女の視線がブラーの仮面をねめつける。
「大人しく協力するような人物じゃない。絶対に状況を混乱させるだけだ。そうなっても私達では止められもしない。なにせ、準<超級>————」
「ーー誰が“準”だ?」
空気が爆ぜる。次の瞬間、白色矮星は壁にめり込み、その首をブラーが掴んでいた。仮面の眼が光を孕む。女が苦しげに肺の空気を吐き出す。
「人を見切り品みたいに呼びやがってさぁ、これ、侮辱だろ?侮辱は罪だ、つまり極刑だな。今すぐ極刑に――」
「そこまでにしときなよ、ブラー」
トビアが呆れたように言った。
「その人殺しちゃったらややこしくなるんじゃない?メリットないよ」
その言葉に、ブラーが渋々腕を下す。白色矮星が咳き込み、その腕を構えた。
「愚弄してくれる……!殺す、殺してやるぞ、《
「それはだめですよ、
白色矮星が振り返る。そこに立っていたのは、雨傘を差した笑顔の少年だった。
「ただいま戻りました……お久しぶりですね、ブラーさん」
◆
「今度は敵じゃないんですね?」
ユーリイはそう言うと、雨傘をくるくると巻いて畳んだ。水滴がポタポタと床を汚す。白色矮星が吐き捨てた。
「敵じゃないだと?こいつのどこが味方なんだ」
「まあまあ、落ち着きましょうよ」
畳んだ傘を片手に、ユーリイが笑った。その目が一瞬鋭い光を孕む。
「オーナーの決定に逆らう気ですか?」
「変わらないな、シュトラウス」
ブラーが呆れたように呟く。
「それで、客室はどこだい?」
「あぁ、はい。ゴールデンさん、お願い出来ます?」
レディの顔が心底不快そうに歪む。最後に白色矮星を殺しそうな目付きで一瞥すると、レディは渋々口を開いた。
「……ついてらっしゃい」
「いやー、悪いね!ボコボコにしちゃったのに」
「……!……!……お気になさらないで?」
その拳が白くなる。無言の怒りを滾らせるレディに、ユーリイが後ろから声をかけた。
「三番の部屋でいいですからねー!」
「フン、いい様だ」
白色矮星がせせら笑う。十三がため息をついた。
「もう少し平和に話せんのか……で、どうなんだ?」
ユーリイがにっこりと笑う。雫が床に垂れる。
「殺してきました。【妨害】はオフにして僕が持ってます」
その笑みが殺意の色を帯びる。彼にとって、凡百の<マスター>を始末するなど容易いことだ。“雨傘”の名に懸けて、彼の前で立っていられるものはそう多くない。
「ジンジャーさん、そして藤堂さんはまた別の侵入者と交戦中ですか。どうも警備に問題があるようですね……あとでカークさんと話をしなくては」
この地下は幾人かの能力で代わる代わる監視下におかれている。ノクセクのアルゴスが内部の主要通路を、展開範囲に優れるカークのステュムパリデスが外部を。こうも侵入を許すというのは、いささか妙ですらある。
「オーナーは?」
「また、あのお転婆姫のところだ」
白色矮星が髪をほどく。その雪のような白髪が黒ずくめの服に落ちてコントラストを作った。
「だが、今回は少しばかり様子が違う。いよいよ始めるつもりだろう」
「それは残念。戻ってくるまで邪魔は出来ませんね。せっかく見せたいものもあるのに」
ユーリイが少しだけ残念そうに呟く。そして、引きずっていたものを手前に放り投げた。石の床がゴトリと音を立てる。
「面白い人材ですよ。きっと役に立つと思います」
そこにあったのは、全身が灰色に【石化】した女……生きたまま石に変えられた【
白色矮星が眉をひそめる。
「これは?」
「帰り道……というか、戦闘のあとで出くわしたんですよ。無視しても良かったんですが、調査隊のひとりですし、何より有用な能力を持っていたので」
「それは知っている。で、どうする気なんだ?」
女の紅の唇が歪む。
「<マスター>には精神の……いや、監禁や強制に対するセキュリティがある。我々の回復でもさせるのか?穏当な交渉で従うとも思えないが」
「それは大丈夫ですよ」
ユーリイは、春の日差しのような暖かい笑顔で言った。
「オーナーは、説得が得意ですからね」
◇◆◇
□■冶金都市グロークス中央区
市街地に爆発音が響く。既に日は十分高いというのに、未だ薄暗い空には暗雲が立ち込めていた。さっきまで雨が降っていたらしい、地面には水溜まりが光っている。
暗雲に遮られ、空へ抜けられぬ轟音が、もがくように街を震わせる。そして、
「っはぁ!この……!」
地面が崩壊した。炎の柱が大地を割き、瓦礫を投げ上げる。崩落した大穴から、複数の人影が姿を現す。
「くそ、あの女、なんて無茶を……」
キュビットが呻き声を上げ、そして瓦礫の山に這い上がる。
「みんな、無事か?」
「うむ、なんとかな」
Ⅳ世が鎧を引きずりながら土埃を吐き出す。その後ろでは、Moooがユーフィーミアを背負って倒れていた。爆破された通路の跡を見て、キュビットが呟く。
「これじゃ、もう下には行けないな」
「いや、まだ可能性はあるとも。市内であれば<マスター>も多いはず、岩石操作の能力者を募れば……」
「いや、そこまでする必要はないよ」
キュビットが頭を振る。その傍らで、モハヴェドが市長を引きずりながら悪態をついていた。
「悪徳市長めが……職権濫用で弾劾してやるぞ」
「煩いぞ、下っ端ごときが……私の所有する弁護人に勝てるとでも思ってるのか?」
市長が歯を食いしばる。それを見ながら、キュビットはまた口を開いた。
「十分な戦果だ。通信妨害のない地上に出たことだし、迅速に連絡を取る」
『どこに?誰に?』
Moooがメモ用紙を掲げる。砂塵に揺れる紙切れに応えるように、キュビットは懐からなにかを取り出した。
「ドラグノマド……今回の依頼者にだ」
「依頼者?」
Ⅳ世が身体を起こし、瓦礫に腰かける。
「では、カルディナ議会に連絡を取るのか?」
「いや、それは正確じゃない。今回の任務を斡旋した担当者に、だ。政府の職員だよ」
キュビットが手の中のものを弄ぶ。それは、黒電話の受話器のような形をしていた。
血を失いすぎてか、青い顔のユーフィーミアが唇を動かす。
「……あの人、ですか?少し前にかなりお世話になりましたね」
「ユーフィーミア嬢はご存じなのか?」
老騎士が呟く。キュビットがその電話機を握りしめ、スイッチを押した。
「まぁ、やり手ではあるからね」
◇◆
□■カルディナ ドラグノマド
「ハァイ?珍しいわね、貴方から掛けてくるなんて……雨でも降るのかしら?」
『もともとそういう手筈だったでしょ、テレサさん』
キュビットが呆れたように言う。その電話の相手、テレサは愉しげに笑った。
「やだ、怒らないでよ?ちょっとした冗談じゃなーい!……それで、連絡寄越したってことは、そういうこと?」
『ええ、グロークス市長は間違いなく危険行為を……というか、テロリストに従っていた、という方が正確ですね』
「ふーん、そのパターンね」
ドラグノマドの一角。上品に調えられた部屋の窓辺で、女が呟いた。
「【
ガラス窓を撫でる午前中の風を眺めながら、女は紅茶を淹れ、その湯気に重ねてファイルを捲る。
身に纏う服は紅のヴェルヴェット。その滑らかな表面が柔らかな明かりに照らされている。
「つまり、作戦能力と慎重さを持ち合わせた人物。厄介ねえ……」
その肌は浅黒く、すべらかなきめの細かさを誇らしげに見せている。指に嵌められた銀のリングが上品に光る。
「ええ、理解したわ。その概要は上に上げておく……けれど、即時行動は難しいわね」
そして、その頭部。本来なら女の顔があるはずのそこには、鈍く輝く黒電話が鎮座していた。
「ご存じのように、対グランバロアの関係が急速に悪化しているの。ドライフもアルターに対して強硬策を繰り返しているし、東の黄河は相変わらずの脅威。コルタナの壊滅事件もあったし、動かせる戦力に余裕がある訳じゃないわ……そもそもそれは私の職務の範囲を越えているけど」
口もないのに、その黒電話が紅茶を啜る。上品な瀬戸物をテーブルに置き、テレサ・ホーンズは
「ええ、<エンブリオ>を売る商人についての噂は知っているけど……あら、本当だったの?分からないものね」
『取り敢えず、俺達じゃ勝ち目は薄いです。相手もそれは分かってるだろうし。準<超級>クラスの戦力を派遣した方が良いと思います』
キュビットが言う。
「敵は強いですよ。人数も居るようですし」
『それは分かってるわよ……あなた、知らないの?まぁ速報だしね……』
「何を?」
『いや、昨日のうちにグランバロア側から……』
そして、耳障りな音を立てて通信が途絶した。
「もしもし?もしもし?!……何があった?」
『無駄だ、キュビット』
Moooが紙切れを広げる。
『再び通信妨害だ』
「地上でもか?急に強気になったな」
「一体、敵は何を考えておるのだ?連絡を取られることは不利益だろうが、その割には行動がちぐはぐであろうに……」
「敵側にもアクシデントがあったことは確かだね」
ジンジャーの言葉を思いだし、キュビットはそう言った。
「まあ概要は伝えられたから、いい。それより、もう一度合流するのがかなり難しくなったのが問題だよ」
もう現地解散でいいかな、などとナメた口を利くキュビットをユーフィーミアが叩く。
「ダメですって!ていうか、このまま放っておくわけにいかないでしょ!」
キュビットが頷く。地上で通信妨害など行えば、否応なしに市内のものたちが気づく。それを忌避していない、つまりそれは敵が目的を隠す気をなくしていることを意味する。強硬策の気配がするのだ。
モハヴェドが難しい顔で言った。
「市庁舎なら市内全域へのスピーカーがある。それでお仲間と連絡を取れるんではないか?」
どのみち、この事実を知らせに自分は市庁舎へ戻る、とモハヴェドは言った。
「議会と憲兵上層部に報告せねばならん、カルディナへのクーデター画策など、恐るべき破壊行為だ」
「なら、そうしよう。周囲の警戒を怠るなよ」
そう言って、一行は早足で歩きだした。鋭い視線を周囲へと向けながら。
◇◆◇
□■冶金都市地下施設・最下層
地下通路の網の目の中枢、その更に一段、下層。それはかつて数多の工人たちが掘り上げ、そしてそのまま殉死に処された最下層の墳墓だ。
石の材質からして違う。銀の混じった黒石は、冷たく闇を吸い込んでいる。地下特有の水分が辺りを濡らし、独特の悪臭すら産み出している。灯りは少なく、辛うじて足元が見える程度。
そのなかの一室に、ウーは足を向けていた。
後付けされたと直ぐに分かる木製の扉が開く。黒ずんだ木は、湿気にやられて傷んでいた。扉には原色の塗料で何やら書き付けてある。
扉の隙間、部屋の内部から暖色の灯りが床に落ちる。そして、ウーは口を開いた。
「気分はどうかね?」
その声は、気味が悪いほどに優しかった。その他の大勢を相手にする時の、氷のようなそれとはまるで違う。
「欲しいものは全て言うがいい、必要経費として揃えさせよう」
「いらないわ」
それは、幼い子供の声だった。
「もう十分。あとは時間があればいいわ。あそびの時間がね」
「あぁ、すぐに」
その白く塗られた部屋にあったのは、大きなベッド。灰白色の壁のそばに、まるで貴族のような天蓋付きの寝具が置かれている。衣装箪笥やローテーブル、幾つかの丸椅子がそれに続く。
寝具に横たわるのは、まだ幼い女児だ。細やかな赤毛が純白のゆったりとした服に映えている。頭には可愛らしいカチューシャ、そして袖には繊細な花柄の刺繍。その小さな手が、青く透き通る石を弄んでいた。
「あら、
そして、その傍らには一人の女が控えていた。
青黒い髪を後ろで束ね、控えめな服装に身を包んでいる。白い丸襟を閉め、黒いタイトスカートが髪の色によく似合っていた。首に下がった簡素なアクセサリーだけが、唯一の華美な服飾と呼べるものだ。手には分厚い書物を携えている。
「何かあったのですか?」
「これから始める。予定を繰り上げなければならなくなってね」
「ええ、一向に構いませんよ」
女が、ベッドの上で遊ぶ女児を眺める。その眼差しは、自分の半身を見つめるように、優しかった。
「もともとそちらの都合ですから。ですが、ここで全て使ってしまうのですか?」
「次回のことなら、別の手を講じるだけだ。ストアリカはこのためにある」
「了解しましたわ、
ウーが去り、扉が閉まる。白い部屋に閉じ込められた灯りがぼんやりと輝く。
その光に照らされて、壁に埋め込まれた戸棚が煌めいた。女児がその光をじっと見つめる。
「ねえエリコ、もうひとつ取ってくれる?」
「ええ、いいですよ、ファティマ」
黒髪のエリコが戸棚を開く。その中には、美しい青の結晶がぎっしりと、数え切れぬほどに多く並べられていた。
◆◆◆
□■冶金都市・地上 市庁舎
「お疲れ様です、今まで何処に……その後ろの奴らは!」
「落ち着けェ!問題はない、現在複雑な状況だが、彼らは敵ではない!」
憲兵のとがめをモハヴェド隊長が躱す。若い憲兵は不思議そうな顔をし、そして後ろで項垂れている市長を見て首をかしげた。
先導するモハヴェドに、四人と一人が着いていく。
「放送室はこっちだ」
豪華な廊下を抜け、硬質な足音が響く。いくつもの角を曲がり、扉をくぐる。そして、またしても一行を呼び止める声があった。
「モハヴェド!無事だったか!」
「カラハールどの!」
通路の角。大柄で髭を蓄えた、まるで太陽のような男がそこには立っていた。後ろに部隊を並べているところをみると、指揮官クラスのようだ。
「心配していたんだ、今から探しにいくところでね。通信も遮断されていて、大混乱だよ。いやはや、こんなに憲兵は要らなかったかな……で、何故、要注意人物たちを連れている?市長も一緒だとは、危険じゃないか」
「カラハールどの、至急お耳に入れたいことがあります!このものたちを警戒する必要はありません、説明すればその理由もお分かり頂けると」
モハヴェドが鋭く具申する。
「市長が匿っていたのはテロリストです、詳細は不明ですが、カルディナへのクーデターの計画と思われます、即座に拘束を!ドラグノマドからも支援が……」
「あぁ、成る程、そういうことかね」
カラハールの顔が何故か緩む。柔和な表情で、彼はその大きな手をモハヴェドの肩に置いた。
「状況は分かった……私の部隊を連れてきていて良かったよ」
「では……!」
「あぁ、心配は要らないとも、あとは私が引き継ぐ」
そして、市庁舎に鋭い銃声が響いた。
◆
モハヴェドが腹を押さえて崩れ落ちる。粘りのある血潮が床を汚し、そしてモハヴェドの肩をカラハールが踏みつけた。
「あぁ、本当に部隊を連れてきていて良かったよ、モハヴェドくん。こうして状況を整えられるのだからね」
「迂闊だったな」
キュビットが呟く。それに呼応するように、モハヴェドが呻く。
「何故……!」
「なぜもなにも、これが私の立場として正当な振る舞いだとも」
カラハールが笑う。モハヴェドが血と共に言葉を吐き捨てた。
「貴様ら……!市長派、というわけか……既にそこまで……!」
「逆に何故想定しなかったのかねぇ、きみ、常々言っているだろう、視野を広く、とね」
カラハールが呟く。その背後、そして前方から銃を構えた憲兵が立ち塞がった。魔力式銃器の銃口がずらりと並ぶ。
「さて、完全に包囲した。さぁ、市長をこちらへ」
「お、おお、よくやったぞ、カラハール!」
グラマンが歓喜に叫ぶ。
「ええ、市長。これが私の役目ですから」
キュビットは無数の銃口を見つめ、そして悔しげに市長を引き渡す素振りを見せた。市長の身体を迎えるようにカラハールが一歩踏み出し……
「《イントゥー・ザ・ネイチャー》」
瞬間、サトリが飛び出した。カラハールの顔面に獣が張り付き、呼応してMoooがライフルをカラハールに押し付ける。ユーフィーミアが得意気に言った。
「さぁ、これで立場は逆転ですよ、貴方たちの指揮官と市長は私たちの側に!」
だが、その言葉が終わるより早く、カラハールの身体は動いていた。豪快な前蹴りがMoooを吹き飛ばし、踏み込んだ勢いのままキュビットをも殴り抜ける。
「な、なんで?」
「ふむ、これが情報にあった<エンブリオ>の能力か、確かに脅威ではあったな」
そう言って、カラハールが顔のサトリを引き剥がす。その唇が優越感にほくそ笑む。
「だが、皮膚接触のみの条件であれば、強力な術理ではないと思ったよ」
その懐から落ちるのは、【健常のカメオ】、その砕けた残骸。破損と引き換えにどんな状態異常も弾く、高級アクセサリーだ。
「対策はうつとも。危険な能力であればあるほどね」
その銃口が炎の弾丸を放つ。サトリがギャアと鳴き、床にくずおれた。その腹をナイフが突き刺す。
「状態異常を防いでしまえば、精神感応も弾けるらしいな。そして、こうすればもう能力は使えない……」
「参った、よ」
顔をいくぶん腫らしたキュビットが
「だが、君たちは状況が分かってない。ドラグノマドから応援が来るのは確実だ、カルディナを敵に回して生き残れるつもりか?」
傍らの老騎士も口を開く。
「この国にとって、都市間の協力は国体そのものだ、それを脅かす存在など、面子と威信にかけて全力で滅ぼされるであろう」
「それを考えるのは政治家の仕事だ。軍人は命令に従うのみ」
「軍人にしたってどうなんだい?」
キュビットが呟く。
「この都市にいる戦力は俺たちだけじゃあない、異変が起これば対応する<マスター>だっているだろう。個人的な援軍だって大勢来る」
「くどい。それは私の管轄ではないと言った!」
カラハールが銃を構える。その引き金が動き……
そして、突如空気が揺れた。
「なんだ、地震か?」
「いえ、地面は揺れていませんが」
「なんらかの精神干渉でしょうか?」
カラハールが冷酷な目で四人を眺める。キュビットが首を振った。
「先に言っとくけど、たぶん俺たちじゃな……」
そして、光の波が通り過ぎた。その場の全員が驚愕し、あたりを見回す。
「今のはなんだ、なんの光だ!」
「下からです、しかし有害な事象は認められません!」
「な、なんなんだ、どうにかしろ!」
市長が喚く。カラハールは八つ当たりのようにモハヴェドを蹴り飛ばし、窓の外に目をやった。
街並みは何も変わらず穏やかだった。石造りの直線形の中、ただ白い光の波が揺らぎ、街の外へと広がっていく。その動き方は、間違いなく下から……地面の下から発生しているものだった。
「広範囲にわたっての発光現象……この冶金都市を丸ごと覆っているぞ!」
「そんな広域での影響、あり得るのでしょうか?この通信妨害となにか関係が……」
その憲兵の言葉に、キュビットも怪訝な顔を作った。地下からの不思議な光、十中八九あの敵の仕業。
「憲兵さんは知らなかったのか?どうせあなたたちの仲間の仕事じゃあ……?」
「なんのことだ?」
カラハールが銃口とともに振り向く。白光が揺蕩い、静かに通り過ぎていく。
そして、その光が群青へと変じた。
◆
□■冶金都市地下・最下層
純白に塗り上げられた一角。そこで椅子に腰かけた女が置時計に目をやり、その黒い瞳を天蓋へと向けた。
「時間です、ファティマ」
その言葉に、ベッドの上で玩具の城を並べていた女児、ファティマが振り向く。赤毛が揺れ、瞳が何かを期待するように鈍く輝いた。エリコが続ける。
「
「ふーん、そお?面白いといいなあ」
「ええ、きっと面白いですよ、今度の遊びは」
そう言って、エリコは戸棚を開けた。彼女の首のアクセサリー――【劣級貯蓄 ストアリカ】の中央に嵌められたガラス玉が輝き、呼応するように無数の青い結晶が光る。その硬質な表面が崩れ、光の塵と化していく。蛍が飛ぶように、青い光が舞い散る。
「では、お人形遊びを始めましょうか……《
女はそう言って……その輪郭をほどいた。黒髪が揺れ、瞳が発光する。人間の姿は溶けるように消え、代わりに光の波が伝わっていく。壁を、石を、地面を抜け、空の上まで。彼女が腰掛けていた丸椅子の座面に、アクセサリーがことりと落ちる。
白い光がさざめく。その中に、青い結晶の成れの果てである光もまた溶け込んでいった。白光が鼓動し、揺らめき、地上へと湧き出して溢れかえる。部屋の中はまるで光の海だった。
「わあ、綺麗だね」
ファティマがその幼い顔を綻ばせる。その手の中で最後の結晶が光り、崩れていった。満足を示すように、白光が群青に変わる。青い光が地上に満ちる。
やがて波は一つの像を結び、
『完成ですね』
街に重なって、一つの巨大な城が実体化した。
城壁、尖塔、堀や桟橋。立体映像のように都市と交錯し、そして同時に触れられる確かな体積を持ち合わせる、不可思議な古城の輪郭。実体のある虚像という不条理のかたち。
それなるは、世に珍しき人間型の<エンブリオ>。
TYPE:メイデンwithラビリンス、【城塞乙女 エリコ】。
かのヨシュア記はこう述べる。
『今や、エリコの門はかたく閉ざされていた。イスラエルの子等のためである。誰一人として出でもせず、そして誰一人として入ることもなかった。(『ヨシュア記』第6章第1節)』
To be continued